ホーム > 目次 > 駄文。たぶん… > ヴァーチャマインド 04
リハーサル通りに電気信号を送り込んでも、コンピュータ上で再現された脳は、現実世界に対して何ら意味のある反応を返さなかったのだった。
解決は困難を極めた。なにせ、現実世界ではそのような現象は再現しないのだから。そして当然のことながら、「本人」に原因を訊くこともできない。
機械の中に人間を創ろうなどとは神をも恐れぬ所業だと批判していた人々は、やはり機械に魂は再現できないのだと、これ幸いと騒ぎ立てた。
ただ、プラナリアのような単純な動物では行動の再現に成功していたので、研究者たちには理論的には不可能ではないと信じられていた。あとは、より複雑な動物を試していけば道は拓けるはずだ、と。
その過程でわかったのは、脳は肉体が無ければ正常に動作しない、ということだった。肉体に対する情報の発信と受信――神経系のみならずホルモンのような内分泌系も含めて――がなければ脳は意識を維持できないということだったのだ。
脊椎を損傷して首から下との神経接続が(自律神経系も含めて)切断されても記憶やパーソナリティの継続性は維持されるし、眼球しか動かせなくなっても思考は可能なので、人格は脳(それも大脳)内に閉じているという前提で実験が進められていたのだが、人格を維持するためには肉体が必要だったのである。
この問題は、研究にしばらくの停滞期をもたらした。そして解決後も大きな障害となって立ちふさがった。脳細胞の一つひとつの動作を計算するためには莫大な計算資源が必要となるのだが、肉体全体を再現しようとすると、さらに桁違いの処理能力が必要となるためだ。
人間を構成する要素が増えれば増えるほど、それらの間のインターフェースは爆発的に増加する。神経系と内分泌系では情報伝達に要する時間も違うし、要素間の距離によっても情報の到達時間が違ってくる。そのため、通信できればいいというわけではなく、それらを時間調整のためバッファするメモリーも必要になる。
もちろん肉体は脳ほどの精度は必要ないので、骨とか筋肉のような単純な臓器は細胞ではなく、ある程度のユニットごとにエミュレーションを行うことで計算を簡略化し、演算量の削減が試みられた。しかし、それでも神経系や内分泌系に関連する部分は、ある程度以上の精度が必要だった。
さらに問題なのは、肉体をエミュレートするとなると、その周囲の環境まで生成することが必要になるということだった。脳だけのエミュレーションであれば、現実世界とのインターフェースを作ればよいという想定だったのだが、肉体まで必要となると、極端な話、世界を丸ごと創造する必要があるのだ。
当初は小さな部屋の中で、現実世界と通信しながら過ごすということになったが、肉体があるということは運動や食事などが必要になるということなので、精神衛生的にも独房のような状況に閉じ込めておくには限界があった。
計算素子の性能向上は継続していたが、20世紀後半から21世紀初頭にかけてのような指数関数的な伸びは維持できなくなっていた。
それでも(私がスキャンされる)数年前には、実効速度は数十分の一ながら動作可能になり、繰り返し行われたチューリングテストもパスするようになっていた。
それで、年に数人ずつスキャン対象者の募集が行われるようになったのだ。ただ、希望すれば誰でもスキャンできるというわけではない。世界中でもいくつかのプロジェクトがスタートしたが、一般人が参加できるのはごくわずかだった。そのうちの一つ、ある研究機関が募集していた「検体」に私は応募したのだ。
条件は、今までスキャンされた人間と専門分野が重複しないこと。そして、莫大なコストをかけてスキャン・エミュレートするに足る知力を有していること。何しろ、肉体は数ミクロンのメッシュで3次元マップを作成し、脳に関しては脳細胞とそのシナプスの数の数十倍のナノマシンを脳関門内に注入し数日にわたって情報の流れを測定しなければならないのだ。
それらの情報を外部に確実に輻輳なく伝送するだけでも専門外の私には想像もできない技術だが、担当者に訊くと、意外と単純な技術の組み合わせで実現しているということだった。
それで私は休暇を取り、研究所内でスキャナーの中に横たわり、ナノマシンを注射されて目の前にあるモニターに映し出される問題を考えていたところだったはずなのだが…いや、スキャナーを出て食事をした記憶もあるような気がする――
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