1999年4月上旬の日記
■4月1日(木)
昨夜はついに家に帰れなかった。仕事が一段落ついたときには、もう3時だった。とうぜん電車はすでにない。タクシーで帰ろうかとも思ったが、家に帰っても2時間くらいしか寝れないので、職場で寝ることにする。
ところが、探してみると、職場に横になれるソファが無くなっているのである。仕方がないので、一人掛けのソファの上で身を丸くする。さすがに明け方は寒い。家に帰るより長く眠れるつもりだったのだが、6時前にオフィスに入ってきた掃除のオバサンに起こされてしまったのである。
◇ ◇ ◇
今夜も仕事で遅くなった。終電が無くなってしまったので、タクシーで帰った。家に入っても、人がいる気配がしない。妻子はもうすでに眠っているらしい。食卓の上に残っている息子の食べ残しとおぼしき食物で腹を満たす。日記の更新くらいはしなければなるまい。明日はまた遠方で仕事だしなぁ。
今、日記を書いているのだが、こうしている間にも何度か意識を失った。ホームページのメンテナンスをするのに、次に何をすればいいのかわからない……今日のところは、リンクが切れてたりしてても、どうかご容赦を。
ああ、今、夢の中で問われたことに応えた自分の声で目が覚めてしまったぜ。ちょっとアブナイな。
■4月2日(金)
今朝の夢と現実の境界が溶けてゆく体験というのは、なかなか興味深いものであった。誰かが私に喋っているのだが、私がそれに応えた瞬間に鼻先で声が響いて、それでこちらの世界に引き戻されるのである。やはり、夢と現実では情報のリアリティが違いますな。私の場合、映像でも一枚薄皮を被ったように見える。声にしても、夢の中のものは自分のイメージの世界の中だけに存在するバーチャルなものなので、自分の感覚器を通してインプットされたリアルな情報が入ってくると、統合して処理することができなくなるのである。まあ、それが区別できなくなっちゃ、オシマイだよね。どこが違うかというと、やはり情報のリアリティ。それが何かというと、余計な情報がいっぱいくっついているということですかな。夢の中の情報というと、自分が作り出したもの(もしくは自分が体験したものの記憶)だから、自分に必要な情報(記憶の再生であれば、ナマの情報から自分に必要なものをフィルタリングした抽出結果)しか入っていない。人間というのは、感覚器から入ってきた情報から何段階ものフィルターをかけて意味のある情報を抽出して(これが抽象化ということか)処理しているそうですから。そうでなければ、情報量が多すぎて処理できないですからね。だから、リアリティがあるということは、適当に余分な情報が入っているということだと思うのですね。小説なんかでも、ちょっとした書き込みで物語への没入度がぜんぜんちがってきますから。そして最後には、額にガンっと衝撃を感じたと思ったら、私はパソコンデスクに突っ伏していたのだった。
今日は遠方の客先に行くのである。移動中に「SFバカ本 だるま篇」を読む。まだ半分ほどしか読んでいないのだが、今回はなかなか面白い。「たわし篇プラス」なんかを読んでいてもかなり物足りなかったからなあ。まあ、肩に力が入ってないのがこちらの個性か。「異形コレクション」が作家たちの闘いの場だとすれば、こっちは同好会みたいな感じだからな。
巻頭の山下定氏「リストラ・アサシン」がなかなか面白かった。SFとしては定番なんだが、やはり私はこういう現実を構成している要素を一つトンデモナイものに入れ替えることによる世界の変容を見せてくれる作品が好みなのであるな。あんまり今まで自分で分析したことはなかったのだが。
梶尾真治氏「奇跡の乗客たち」も、なかなか面白く読めた。この馬鹿馬鹿しさがよろしい。そういう意味では次のかんべむさし氏「液体X」もそうだよな。「なんとか健康法」を突き詰めてゆくと、こういうふうになってしまってもおかしくないと思えてしまうんだよねえ。
松本侑子氏「サイバー帝国滞在記」は…いま流行りのインターネットと環境ホルモンをテーマにするという発想はありきたりといえばありきたりだが、読ませる力はありました。ただ、もうちょっと結末はなんとかならんかなぁ。難波弘之氏「ゴースト・パーク」も面白く読めたが、オチがちょっと…
大原まり子氏「花モ嵐モ」。やっぱり、私はこの人の作品は理解しがたい。かなり感性にズレがあるようだ。まあ、後で初期の作品を読んでガツンとやられて、評価が180度変わる可能性もまだ残されてはいるのだが。
牧野修氏「踊るバビロン」……うう〜む、何だこれは。私にはちょっとシンクロできない世界である。新鮮ではあるのだろうが。あんまり望んで読みたいとは思わないタイプの作品だなぁ。ただ、この作品を読んでいて私は電車を乗り過ごしてしまったことは最後に申し添えておこう(爆)
帰りに腹具合が悪くなったのでSAURUSでトイレに駆け込む。むう、ソフマップのトイレって温水洗浄機能つきなのか!
「味いちもんめ」の原作者の方が亡くなられたそうですね。今号が最後になるそうなんですが。あの漫画は地味だけどけっこう好きだったんです。ご冥福をお祈りします。
若島津さんにやっと5月10日ごろ発売予定の「対なる者の証」のゲラが渡ったようで、イラストの打ち合わせが始まっている。忙しいのにすみませんねえ。カミさんは、編集さんが電話をかけてきたとき一言云うつもりだったそうだが「あの疲れた声を聞いたら言えなくなっちゃった」そうである。話を聞いていると、ここ1月くらいは「惑星直列」的に雑誌の発行が集中したらしいからねえ。……しかし、今日帰ってみると、「『美貌の食卓』のイラストの順番を間違えられた」と言って怒っていた。う〜む、よっぽど酷い状態だったんだろうなぁ。
■4月3日(土)
息子は昨日から公立の保育所に行っている。今朝は、母親が帰るときに泣いたらしい。まあ、慣れないところに一人で置いておかれるわけだからねえ。
保育所から帰ってくると、私に「ばいばい」する。近づいてゆくと、私の身体を押し返す。おいおい、そんなに邪険にしなくても……ここしばらく会ってないからなぁ。
だが、食後にカミさんが皿を「父ちゃんのところへ持ってって」と言うと、素直に持ってこようとする。しかし、持った皿に注意を集中してるし私の方しか見ていないので、つまずいてマトモに転んだ。でも、転んだ瞬間「だいじょーぶ」と言いながら起き上がった。うむ、その点は誉めてやろう。
今年のコンピュータ将棋選手権の結果を見た。優勝は金沢将棋ですか。ずいぶん久しぶりのような気がするな。ちょっと前までは連戦連勝でしたからね。しかし、棋譜を見たが柿木将棋が弱い。何でだ? 私とやってる市販のバージョンよりずっと弱いような気がするぞ。みんなこの大会のためにチューニングしてきてるはずなんだが。
アクセスカウンタが600を超えた。今回の100件には15日かかったか…
■4月4日(日)
息子は今朝は早起きしたらしいのだが、どうも調子が悪い。着替えさせようとしても「じぶんで」「じぶんで」と言って嫌がるのだが、自分で着替えられるかというと、できない。埒があかないので、無理やり着せる。また嫌われてしまったな。泣いてゴネるので、食事をさせるのも一苦労である。
私が図書館から本を借りて半年近く返してなかったので、督促状が来たらしい。一家三人で図書館に行くことにする。ところが、カミさんが車を出すときにエンジンのかかりが悪かった。予定を変更して車屋さんのところに行って見てもらうことにする。調べてもらっている間、隣にあるスーパーに買い物に行く。往きは息子も両親に両腕を引き上げてもらってゴキゲンだったのだが、店に入ると両親にあまりかまってもらえないので、また機嫌が悪くなる。
とりあえず車には異常はなかったようである。カミさんの買った衣料の収納ボックスが大きかったので、家に置いてから図書館に行った。最近、忙しくて借りても読めないのだよなあ。でも、借りてしまうのだ。
図書館から近郊のスーパーのビルに行き、昼食を食べる。電車を見れる席を取ったので、息子は当初は機嫌が良かったのだが、時間が経つとじっとしていられなくなる。食事が終わった後、階上の遊技場に行く。まだ息子はトーマスや新幹線の乗り物(揺れるヤツ)には乗るだけで、お金を入れて動かさなくても満足である。ただ、実際に走る小型の機関車や、空気で膨らませたビニールシートの上で跳ねる遊具(トランポリンのようなもの)で他の子が遊んでいるのを見るとやりたがるので、それらは金を払って遊ばせたのだった。特に「空気圧トランポリン」は、6歳以下用だったのだが、かなり年かさの子も含めて十人近くが入り乱れて跳ねていた。息子もかなり興奮して跳ね回っていた。最後にはもう、立つのもやっとであった。
かなり疲れたようなので、家に帰って昼寝させようとするが、寝室に行くのを嫌がる。カミさんが彼を置いて寝室に上がっていくと、また泣き喚く。「かーちゃん、かえってくる」と繰り返す。だが、私の膝の上に乗せていると、しばらくしたら上体を倒して静かになってしまった。どうやらこれは寝そうだな、と思ってじっとしていたのだが、私もそのままの体勢で眠ってしまっていたようだ。……ハッと気がつく。ここはどこだ。居間? 俺は座っているのか? うっ、膝の上に何か……おお、シンジ(仮名)か……そうか、思い出したぞ。だったら抱き上げて寝室に連れていくか。だが、抱き上げようとすると、彼は目覚めて泣き出した。泣き声が再開したのでカミさんが様子を見に下りてきた。私は脚が痺れているので、息子をカミさんに預けて一緒に寝室に上がり、眠りに落ちたのだった。
息子は、それからあまり寝なかったそうである(私は夜まで寝ていたのだ)。夕食も外食だったのだが、じっとしているのが苦痛のようである。2回ほどトイレに連れて行かされた。トイレでは、便座に座って、水を流して、手を洗うという一連の手順を行うだけで、用は足さないのである。
家に帰ると、息子はもう本当にヘロヘロである。あれだけ動いて、あまり寝てないんだからねえ。風呂が沸くまでの間にも、かなりゴネた。風呂上がりにも機嫌が悪い。横にして身体を拭いていたのだが、そこから起きあがれない。服を着せた後も、私にもたれてじっとしている。歯を磨き、抱き上げて寝室に連れていくときには嫌がったが、布団の上に寝かせると大人しくなった。絵本は読まされたが、それも後半になるとどうでもよくなってきたようであった。電気を消すと、数分で眠ってしまった。
私が息子を寝かせている間に、「対なる者の証」のイラストを描いておられる若島津さんから、イラーがイシュカ(雑誌掲載時には登場していないキャラね)の腕を折るシーンがどういう体勢なのかよくわからないとの電話があったそうだ。カミさんもよくわかってなかったようなので(笑)、私を実験台にしていろいろ試して描き、FAXで送ったのだった。これも作家の亭主の勤めであろう。でも、ヤオイの体位を試すのはしたくないなあ。
最近、公私ともにストレスが溜まることが多いので、文章が荒れているな。元から大したものではないんだけどね。落ち着いて直すほどの時間も精神的余裕もないし。ちょっちツラい。
■4月5日(月)
息子が吐いたのである。未明のことである。5時過ぎであった。ゲホンゲホンと咳き込みながら、ゲロッと吐いている様子であった。朝起きてからもグッタリしている。何も食べようとしない。ジュースさえも飲もうとしない。胃のあたりを押さえて「いたぃ」と言っている。医者に連れて行かねばならないな。風邪で熱を出したくらいであれば、カミさんに任せておいても大丈夫だと思うのだが、今日はちょっと様子が違うので出社するのを遅らせて一緒に医者に行って説明を聞くことにする。
自転車で親子三人、医者に行く。診断の結果は「お腹はゴロゴロいってません。咳は酷いようです。子供は酷い咳をすると吐いてしまうことがあるので、それではないでしょうか。咳をすると腹筋を酷使するので『お腹が痛い』と言うこともあります」ということであった。私も咳が原因で吐いたのではないかと思っていたのだ。点滴するか、飲み薬にするかを問われたが、息子に痛い思いをさせるのも何なので、点滴はせず薬をもらって帰る。「今はお腹に異常が無くても、子供は急に症状が進むことがあるので、何かあったらすぐに連絡して下さい」とのことであった。
診察が終わったら、私はそのまま職場に直接行くつもりだったのだが、気が変わって家に戻る。土曜日に借りたレンタルビデオの返却日が今日なので、レンタルビデオ屋が開いた頃に家を出て、ビデオを返してから出社しよう。どうせ遅れるなら同じだ。
家に帰って、カミさんが洗濯物を干したりトイレに行ってる間、息子を抱いている。カミさんが薬を飲ませる。嫌がらずに飲んでくれる。偉いぞ。勢いがついたようなので、お粥を食わせる。これも食べてくれた。とりあえず食べるだけ食べさせてから寝室に連れていく。寝室に入ると、息子は急に吐きそうな様子を見せる。「吐きそうや。おいっ、タオル!」カミさんは慌ててタオルを取りに階下に駆け下りる。彼はカミさんが上がってくるまで我慢して、タオルが来てからゲロッと吐いたのだった。よく我慢したな。偉いなぁ、おまえ。
薬も含めて全て出してしまったので、再度医者に行って点滴してもらうことにする。点滴するなら私も行った方がいいだろう。職場には昼から出社する旨連絡して医者に行く。今日も点滴の針を刺すときは、両親はシャットアウトであった。息子は声を上げて泣くことはなかった。行ってみるとシーツが何カ所か涙で濡れていたが。
カミさんも、忙しい時期なのだけどね。来月早々に出る「対なる者の証」のゲラを校正して送り返さなくてはならないし、宮本春日さんとの合同誌(学園モノ)の原稿も書かねばならない。しかしこういうときは仕方がないんだな。
私も仕事はドツボなのである。今夜は翌日の3時近くまで仕事をした。夕食を食う暇がなかったので、タクシーで最寄りのコンビニまで帰り、弁当を買って家まで歩く。しかし、「夕食」を食べているときに新聞配達の気配がするというのは、ちょっと情けないものがあるな。
■4月6日(火)
息子は、昨日の午後になって嘔吐は治まったが、下痢をするようになったそうである。だったら、やはり咳よりも消化器に異常があったのかな。その後は熱が出だしたらしい。
そういえば、息子が点滴されていた薬の溶媒が「トリフリード」とかいう商品名だった。こういうのを体内に注入されると、夜中に3本脚で歩き出すのではないかと思ってしまうのであった…理解してもらえる範囲が極めて狭いネタだな。
今朝は1時間遅めに出社するのである。起きるべき時間になると、私を起こすためにカミさんが息子を連れて寝室に上がってきた。息子は例によって「おきて〜」と言いながら私の上に乗ってくる。けっこう元気そうだな。熱はあるようだが。
出勤時に「SFバカ本 だるま篇」の岬兄悟氏「薄皮一枚」を読んだ。これもなかなか面白い。この方の提示する「設定」(現実とは違うところ)が、私には興味深いのである。相性がよいのであろうな。私の周囲ではこの人への評価はあまり高くないのだが…これも、大原まり子さんを奪った(笑)というのが原因のような気がするんだけどね。しかし、私が読んだ作品はみんな、こういう「次元の隙間」的なテーマばかりだな。もう少し別の設定も見たいものだ。
そういえば、ウチの夫婦もこの作品のカップルと同じなのだ。寝るときに私は布団の中に潜り込んでいくのだが、カミさんは顔(ときには両腕も)を出して寝るのである。だから、一緒に寝ると夫婦間に齟齬が発生するので、布団は別々なのだ(本当は、カミさんが布団の中では自由でありたいのが最大の理由)。息子はカミさんに似たようで、布団から脱出してどんどん上の方にずり上がってゆく。昨夜などは、私が寝室に入ったときには布団から身体半分はみ出して、水枕を腹の下に敷いていた。これじゃ逆効果だよな。そろそろ外が明るくなりかけている時間帯だったので、彼を布団の中に戻すときには緊張した。ここで起きられると、私は完徹になっちゃうからね。
今ごろになって「ホット・ゾーン」を買った。文庫本が出ていたのである。私はハードカヴァーは買わないのである。ざっと見たところでは、訳もなかなかこなれていて読みやすそうだ。どんなに素晴らしい作品でも、訳が良くなければ読む気がしないからね、私は。
カミさんは「対なる者の証」の校正済のゲラを今朝新書館に送ったようである。できれば私も校正の手伝いをしたかったのだが、こういう状況ではねえ。今夜も22時前に職場を出られて「早いなあ」と思ってしまったくらいだからね。
帰りに井上雅彦氏「フィク・ダイバー」と岡本賢一氏「12人のいかれた男たち」を読んだ。「SFバカ本 だるま篇」はこれで終了である。いや、面白かった。予想外である(^^;)ぉぃぉぃ
「フィク・ダイバー」は……や、やられた〜〜
こりゃ、反則だぁ! でも、面白けりゃいいのだ。これは絶対にネタバレしちゃいけないな。こういうのは異形コレクションには書けないよねぇ。
「12人のいかれた男たち」は……ぶはははははは……電車の中で読んでいたので笑うまいと努力したのだが……無駄だった。もぉー、顔がグニャグニャ。これはヤオラーの方にもオススメです。でもこれ、もともとは私が無限壁で書いたネタのような気がするんだがな。自意識過剰だろうか。まあでも、もし作者があそこでネタを拾ったんだとしても、これだけ面白く書いてくれれば許せちゃうな。
■4月7日(水)
今日から出勤時に小松左京先生の「男を探せ」の続きを読んでいる。出勤時に「鳩啼時計」を読み終えた。ちょっと凝り過ぎかな。たしかにレトロな雰囲気は出てるし、SF的な道具立ての上でミステリーをやるというのは、ネタの尽きた感のあるミステリーの世界を拡げられるのだが、雰囲気だけであまり面白味が感じられなかった。相対論的効果を導入するだけでも、トリックのネタは飛躍的に増えると思うんだけどね。
帰りに読んだ「共喰い」も、あまり面白くなかったなぁ。言われてみれば、これはSFじゃないんだ。形式上は、れっきとしたミステリなんだな。でもやはりちょっと凝りすぎのような気がする。やはり私はSFのヒトなんだな。続いて読んだ「危険な誘拐」もねえ……途中で「こうなるんじゃないかな」と思った通りになっちゃいましたからね。お約束といえばお約束なんですが。たぶん、いぜん読んでいた記憶が残っていたせいだと思いますけど。
今夜も22時過ぎまで仕事をしていた。帰宅するとカミさんがワープロの前でウンウン唸っている。合同誌の学園モノに詰まっているらしい。ある程度まではできているのだが、エンディングをどうするか悩んでいるとのことである。私に向かって「明日、長時間移動するんでしょ。打ち出すから電車の中で読まない?」とか言う。そういうことをするわけにもいかないので、彼女が寝た後にワープロ上で読むことにする。オープニングはなかなか良かった。翌日そう言って誉めたら、少しは楽になったようである。読み終えた後、少し体がダルい。ちょっとだけ横になるかな。そんなことをするとどうなるか結果はわかっているのだが、誘惑には抗えない。うう、まだ日記も書いてないし、インターネットもしてないのに……
■4月8日(木)
今朝、気がつくと私は居間の床の上に横たわっていた。少し寒気がする。何とか風邪はひかずにすんだようだが。ヒーターが点いていたおかげかな。外はもう明るくなっている。身体の節々がバリバリいっているが、起きねばなるまい。
今日は遠方に仕事に行くので、移動中に長編を読むことにする。「ホット・ゾーン」を読むのである。買うときにパラパラと読んで、何となく手応えを感じたのだ。読みたい気持ちが募ってくる。途中まで読んだ感想も、期待に違わぬものであった。やはり本というのは1ページを読むだけでも、ある程度の見極めというのはできてしまうのだな。とにかく、怖い。オープニングの怖さは格別である。本を読んで、これだけ怖い思いをしたのは「リング」以来だな。もちろん、怖さの性質はまったく異なるのであるが。まあ、怖かったのは最初だけで、途中はちょっと退屈なところもあったのだが、ワシントン近郊でウィルスが発見されるくだりになって、また面白くなってきた。なかなかの緊張感である。訳も素晴らしい。日本語として読んで、ほとんど違和感がない。センテンスが短くて、ちょっと愛想が無いかなとも思うが、ドキュメンタリーだからこういう文体の方がいいのでしょう。
読みやすい文章を書くのがどれだけ難しいことかというのは、私も連日切実に感じていることでございますからねえ。毎日これだけ悩んでても、この程度のものしか書けない人間もこの世の中にはいるわけですから、翻訳でこれだけのものを書くには、どれだけ時間をかけたんだろうと思ってしまうわけですね。
今日も遠方の客先で21時過ぎまで打ち合わせをしていたので、帰宅したときにはほとんど翌日だった。今夜も寒い。切実にコートが欲しいと思ってしまったのだった。
■4月9日(金)
今週は息子が病気してアッキャロを大量に飲んだらしいので、昨夜で無くなってしまった。そこで、買い置きしていたボトル入りの無塩の野菜ジュース(昔からあるトマトジュースがベースのヤツね)を出してきた。今朝、朝食後に私が飲んでいると、息子が指差して「じゅーす」と言う。味が違うんだが面白そうなので飲ませてみる。一口飲んで、ちょっと違和感を感じたようだが、ズズズッと飲んでしまった。さらには、もっと欲しいと要求する。甘くないんだけど、気に入ったのか? セロリの風味があって子供の嫌いな味だと思うんだけどねえ。だが、2杯目を持っていくと「もいらんの」(もういりません)と言った。そういうことは注ぐ前に言え。
今日も、遠方の客先に行ったので「ホット・ゾーン」(著/リチャード・プレストン・訳/高見 浩)を読んでいた。やはり読めば読むほど訳がすばらしい。原作と自分の間に翻訳というフィルターが挟まっていることを全く感じさせない。だいたいが外国の作品を読んでいると、「翻訳調の文章だな」とか「これは、こういう英文の訳だろうな」と感じることがあるのだが、それがほとんど感じられないのだ。やはり日本人が日本語で考えたことをそのまま日本語にしたものがいちばん読みやすい(まあ、日本語が不自由な日本人もいっぱいいるのだが)。だから翻訳する場合、逐語訳するのではなく、いちど自分の中で原文をイメージに変換して、それを日本語に逆変換しなければこんなに引っかかりなく読める文章にはならないと思うのだ。そういうわけで最近、私は翻訳モノがほとんど読めない身体になっているのだけれど、その私にこう言わせるのだから大したものである。帰りに読み終えたのだが、その後に読んだ「当った予言、外れた予言」とは雲泥の差だな。比較して悪いのだけどね。
今日、遠方の客先に訪問したのは進捗会議のためだった。とくに揉めることもなく終わったので早く帰ることができた。途中で日本橋に寄ってビデオテープを買う。最近、忙しくて買う暇がないので底をついていたのだ。カミさんに誕生日プレゼントとして「幻影水滸伝」とかいうゲームソフト(かと思ったら「幻想水滸伝」だった)を要求されているのだが、中古のゲームソフトを売っている店はすでに閉まっていたのだった。そういえば、IIも欲しいとか言ってたな。
家に帰ると風呂場の電灯が点いていた。息子の歌う声が聞こえる。こいつも歌が好きになるのかねえ。しかし、彼が起きているうちに家に帰り着いたのは久しぶりだな。風呂上がりに迎えに行くと彼は、右の上腕部を指差して「がぶ、がぶ」と言っている。見ると、歯形がついて内出血している。カミさんによると、保育所で他の子に噛まれたらしい。うーむ、彼も新しい保育所で手荒い歓迎を受けているのだな。「がぶ、した」とか言っているので「そういうときは『がぶ、された』言うんやで」と言うと「がぶ、しゃれた」と言うが、すぐにまた「がぶ、した」に戻ってしまう。まだ受動態というものが理解できていないようである。
■4月10日(土)
目が覚めると昼過ぎだった。一度手洗いに起きたが、12時間近く寝ていたことになるな。寝室から下りていったが、妻子はいない。カミさんが息子を迎えに保育所に行っているのであろう。いっしょに車で行って保育所の位置を教えてもらい、ついでに駅まで送ってもらって自転車を取ってこようかと思っていたのだが、こんなに寝るとは思わなかったからねえ。顔を洗おうとしていたところに二人が帰ってきた。
カミさんが言う。「夕べ、だんなさんの日記読んでたんだけど、ずいぶん私、悪妻みたいね。特にシンちゃん(仮名)を保育所に入れる前は。遅くまで寝てるし、シンちゃん(仮名)に当たるし」それは前にも聞いたなあ。それが普通だと思ってれば普通なんですけど。ヨソの夫婦のことは知らないしね。で、問うてみる。
「何か思うところがあったので?」
「ううん、単なる逃避」
はあ、そうですか。今回の原稿はなかなか悩ましいようですなあ。でも、いちおうエンドマークはつけたとは言っていたが。
カミさんは体調が悪いという。ゾクゾクするらしい。昼食を食べて息子と昼寝をしに寝室に上がって行った。私が自分の部屋で用事をしていたら、寝室の扉が開く音がした。息子が階段を下りてきているようである。2階の廊下を走って居間に行ったようだ。私を呼ぶ声が聞こえる。うう、いま手が放せないんだけどねえ。聞けば「うんこ、でる」とか言っている。慌てて駆け上がる。オムツの中を覗くと……ありゃ〜、やってますね。お尻拭きを用意してオムツを下ろす。するとまた「うんこ、でる」と言いだした。うわー、急いでトイレの便器に座らせた。「おしっこ、でた」と言うが、出た形跡はない。もういいのか? すると、「うん、うん」と気張りだした。おあっ、まだウンチするのか? そして「うんこ、でた」と言った。出たようには見えないんだけどね。便器から下ろしてみると、ほんのちょっぴり水の中に浮いていた。お尻を拭くために「もーん(お尻を突き出すこと)し」と言うと、中腰になってまた気張りはじめた。おいっ、ここで出しちゃイカンぞ!
木曜日あたりから腰が痛いのである。カミさんに湿布を貼ってもらった。貼られるときに「あぁっ……」などと声を上げると、カミさんが喜んでしまうのである。「いいわねえ。私が「攻」の男だったら放っとかないわよ」などと言う。どう応えて良いものやら……カミさんも、手が痺れるらしいのである。息子の持ち上げすぎじゃないかと言う。夜、寝るときに私が湿布を貼った。
カミさんが息子と寝室に隠った後に、若島津さんから電話がかかってきた。来月はじめに小説Wings文庫で出る「対なる者の証」のイラストに関する用件であろう。後で起きてきてからかけさせると答えて電話を切る。カミさんはかなり疲れていたようだが、起きてこないようなら起こさねばならないだろう。仕事だからね。せっかくこちらの意向を聞きながら描いてくれてるんだから。
3時間くらいして起こしに行く。かなりツラそうである。これはダメかな、と思ってたが、しばらくして起きてきた。電話とFAXをして、どうやら話はついたようである。横にいたら、いま書いている原稿を読めと言われた。読んでみたが……どうも、後半における登場人物の心理がまったく理解できない。もうちょっと描き込むべきなんじゃないかな。
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