1999年5月中旬の日記
■5月11日(火)
今日は遠方の客先で打ち合わせなので、移動中に読書の時間が長く取れるのである。「異形コレクションX 時間怪談」からいっぱい読めた。ただ、あまり誉める作品が無いのがツラいところなのだが。面白くなかった作品については書くべきではないのかもしれないが、自分の好みを分析するためのメモとして書いておくのである。読みたくない人は読み飛ばして下さい。
朝松健氏『「俊寛」抄−世阿弥という名の獄−』
なかなかの力作でしたね。でも、主人公の考え方が現代的すぎるのに少し違和感がありました。あの頃の日本に「神」の概念はあれほど大きかったんでしょうか?
籬 讒贓氏「DRAIN」
…う〜ん、よくわからん。何が言いたいんだろう。それを私のような馬鹿な読者にわからせようという意識をあまり感じられない。それとも、もともと雰囲気だけなのかな。
竹内志麻子氏「むかしむかしこわい未来がありました」
なかなかすごい作品でしたね。ホラーを解さない私のような人間にも伝わってくるものがあります。読み終えて疲れを感じるほどに。
…ということで、疲れたので「パソコンは猿仕事」を読み始めた。最後の章が長かったので、けっきょく最後まで読んでしまった。これは面白かったな。時間を潰して読んだ価値があった。解説もなかなかである。この日記もこれくらい面白ければいいんだが……って、そうだったらプロになってるよ。
皆川博子氏「こま」
イカン、やっぱりこういうのはわからんわ、私。こういう、散文的に恐ろしげな表現を散りばめただけの作品、これからも出てきたら面白くないと言うと思いますけど、個人の好みですのでどうかご容赦を。
小中千昭氏「0.03フレームの女」
うん、これは面白い。きちんと描き込んであるから世界にリアリティがあるし、こういう設定には何だかワクワクするものを感じます。
村田基氏「ベンチ」
うーむ、何ということもない話である。面白くないと思うのは、私の感覚が麻痺しているからか?
五代ゆう氏「雨の聲」
うーん、時代モノだからというわけでもないんだろうけど、イマジネーションがわかん。慣れ親しんだ世界でなければダメなのか、私は?
中井紀夫氏「歓楽街」
これも、何ということのない話なのだが、面白く読めた。やはり、世界に入りやすいせいだな。めぐみちゃんが可愛いし(爆)
牧野修氏「おもひで女」
こ、これは凄い。こんな設定は今まで見たことがないし、この「追いかけてくるのに逃げられない」感覚というのは、恐怖感を盛り上げるでしょうね。このような設定を発想し、このような形に結実させた作者に敬意を表したいと思います。まあ、最後はもう少し怖がらせてくれると思ってたんだけどね。
奥田鉄人氏「夏の写真」
はあ、何かスゴイっすね……それだけ。でも、望んで読みたいタイプの作品ではないなあ。
今日は打ち合わせが奇跡的に早く終わったので、客先からの帰りに日本橋に寄った。何か買うものはないかカミさんに電話し、次に電話するまでに買うものを考えておくように言う。「『バーチャコップ2』は要る?」と問うと「『幻想水滸伝II』の方がいい」と応える。「953円なんやけど…」と言うと「……買う」と応えたのだった。「幻影水滸伝II」も中古屋で売っていたので買う。中古といっても3割引き程度にしかならなかったんだけどね。これで、今年のカミさんへの誕生プレゼントは終了である。
露崎春女さんの「WONDER OF LOVE」のサンプル版が安く売っていたので買う。ベストやライヴも買ってまだ聴き込んでいないというのになあ。でも、あの声に惚れてしまっているのである。ざっと聴いてみると、いい曲はやはりベスト版に入ってますね(笑)
家にも早く帰れた。玄関に入ると、息子が階上から呼ぶのが聞こえる。階段の途中まで下りてきて「おとーちゃん、きた」「おとーちゃん、きた」「おとーちゃん、きた」と、ずいぶんな喜びようである。彼が起きているうちに帰るだけで、これだけ喜んでくれるのに、それがままならないというのは辛いねえ。私が3階に上がって着替えていると、追いかけて上がってきた。私とカミさんの婚約時代の写真が飾ってあるのを指差して「とーちゃんや」「とーちゃんや」と叫ぶ。はいはい、いっしょに下りような。
今夜は私が息子を寝かせることになる。なかなか寝てくれない。何かと喋りかけてくるのである。「でんしゃ、みた」とか「きんぎょ、みた」とか言ってくる。今日あったことを報告してくれているのであろうか。「あのね、…」などと話し始めると、本当に子供の話し方だな。そのうちに、こちらが眠く……
■5月12日(水)
今朝も息子は機嫌がよい。最近、息子は「いちにいさんしーごー、はち」とか言っている。昨日も「にーしーろくはち」とか言っていた。まだ意味はわからなくても、数字を言葉として覚え始めているのだ。このあたりは「数」の概念の発生とは順番が逆なんですね。もともと、実世界に存在する物事の「量」を表現するために「数」というものが発生したのだが、(我々も含めて)彼は、まず「数」を覚えて、それが実世界の「量」を表現するのに使える、ということを学習していくわけだ。「数」の概念が発生するためには、目の前にある両手に一個ずつの柿と、人差し指と中指が立っているということの間に対応関係があるということを発見しなければならない。それができれば、そいつに「2」という言葉を割り当てるのはそれほど難しくはないでしょう。いや、逆に言葉がないと抽象的な概念というのは固定できませんから、それに「2」とかいう言葉を割り当てることにより初めて「数」という概念が発生するのかもしれない。それが最初からあるということは物凄いステップの省略になるわけですな。最初から与えられると、その有難味もよくわからなかったりするんだけれども。
個数を「数」であらわすと便利だということになると、酒や距離などの「量」も、同じ大きさに分ければ数で表されることに気づく。いわゆる「単位」の発見ですか。おや、これはA/D変換(デジタル化)というヤツじゃないのか?
息子もまだ数は数えられないが、数字が同じものがいくつかあるときに使う言葉だということは、おぼろげに理解しかけているようで、絵本に車が何台か描いてあるのを見て「いちにいさんしー」とか言ったりする。
今日も今日とて、通勤中に「異形コレクションX 時間怪談」を読むのである。まず加門七海氏「喜三郎の憂鬱」……う〜ん、謎はいいのだが、解き方が面白くないなあ。飯野文彦氏「家族が消えた」も感想は同じである。
井上雅彦氏「クロノス」……まあ、望むものが違うのだから、仕方がないか。
安土萌氏「塔の中」はまあ、ショートショートの水準作というところでしょうか。
ソニーがロボットを発売したようですけど、インターネット上のみで限定販売ですか…これ、一部にはすごく受けそうな気がする。連れてれば自慢できるだろうし。私のRuputerなんかよりもよっぽどねえ。
昼休みに職場の近くの書店で梶尾真治氏「OKAGE」がハヤカワ文庫で出ていたので買った。SFではなくホラーなんだそうだが、ファンとしては押さえておくべきものでしょう。最初の数ページを読んだ感触では、いい感じだったし。でも、こんな厚い本、いつ読めるのだろう。
米政府関連サイトが続々とハッカーの被害に遭ってるそうですけど、やはりああいうことをすると標的になっちゃいますねえ。別に正義感とかいうんじゃなくて、大っぴらに攻撃できる大義名分ができて喜んでいるハッカーは多いと思いますな。
今日も家に帰ると息子は寝ていた。今日は保育所でテンションが高くて、そのせいか夕食を食べているときから眠そうだったということである。それでも寝付くまでには時間がかかったらしい。「寝る前のおしゃべりが日課になってるのかな」と言うと、カミさんにはそうでもないそうなのである。やはり昨夜は、昼間いっしょにいなかった私に一日の出来事を報告してくれていたのだろうか。
カミさんがサンデーを買っていた。「『め大』がイヤラシかったので思わず買っちゃった」そうである。
■5月13日(木)
昨夜は、2日ぶんの日記を書いていたら、寝室で息子が夜中に急に泣きだした。カミさんが上がって行っても泣き止まないようなので、寝室に入って様子を見る。どうやらカミさんに抱かれて大人しくなっているようである。カミさんの脇から「おとーちゃん、きた」と言うのが聞こえた。「どうしたんだ」と言って抱き寄せる。嫌がらずにこっちに来る。よしよし、今日も嫌われてはいないようだ。今夜も顔を見ずに寝るのかと思ってたぞ。カミさんは二人の様子を見て居間に下りていった。今夜は私が寝かせてやることになるな。ということは、私もいっしょに寝てしまうことに…
昨夜は日記が書けなかったので、また早起きして日記を書く。今朝書かなかったら2晩連続して書けないことになってしまう。日記を書き終えて上げたところで、妻子が起きてきたようである。息子を2階に置いてカミさんが洗濯機のスイッチを入れに洗面所に降りてきたので、彼は2階の踊り場で泣きだした。2階に上がり、居間に連れていって両腕を広げると、素直に抱きついてきた。私の身体に頭をもたせかける。このまま眠ってしまうんじゃないだろうな。椅子に座らせても、何だかほんやりして食欲もない様子だったが、時間をかければけっこう食べたようである。
ここ2日ほど、カミさんは夜遅くまで起きている。仕事をしているのか聞いてみた。
「遅かったみたいだけど、仕事してたの?」
「仕事をしたり遊んだりだわね」
「『幻想水滸伝』とか、してた?」
「最近、やってないわね」
「『II』も買ったのにね」
「そうねえ。私、本は積ん読しないけど、ゲームは買ってもやらないの多いわね」
「そんなことしてるうちに廉価版が出たりして…」
「ま、そのときはそのときよ」
「自分の金で買ったわけぢゃないからねぇ」
「ほ〜っほっほっほ…」
この「ほ〜っほっほっほ…」が息子に大ウケした。ケラケラ笑ってカミさんに何度もやるよう要求する。そんなに面白いかねえ。
きょうも通勤中に「異形コレクションX 時間怪談」を読むのである。さあ、いよいよ梶尾真治氏「時縛の人」である。この人の時間モノには「美亜へ贈る真珠」や「時尼に関する覚え書」といった、涙なしには読めない超名作があるので楽しみなのである。まあ、あれほどのレベルの作品がこんなところに出てくるとは思ってないんだけれども。そのあたりを知ってか知らずか、ただ1つのSFなんだそうである。で、解説を読んでいて思い出したんだけれども、このアンソロジーは意識してSFを排しているんでしたね。私にとって面白い作品が少ないのも当然だな。それで感想ですが、この作品はなかなか楽しませていただきました。描いてあることは荒唐無稽だけれど、肌に合うんだよな。気持ちよく意表を突いてくれるし、作品世界を充分満喫しているところに、最後にまた落としてくれたのがさらに嬉しい。
帰りには竹河聖氏「桜、さくら」を読んだ。なかなか丁寧な描写で、読ませてくれました。この作品も「追いつかれる感じ」が怖いんじゃないかな。
ここ数日、咳が酷い。熱はないし気分も悪くないのだが、気管支の奥、というより肺の中が痒いのである。咳の衝撃によって、痒いところを引っ掻きたい感じなのだ。背筋を伸ばして伸び上がるように咳をすると、痒いところによく響く。こんなに繰り返すと擦り剥けて出血してしまうんじゃないだろうかと思うくらいである。そのうちに、炎症を起こしたのか固い痰が出はじめた。本当に気管支炎になってしまいそうである。家族3人とも咳をしてるし、寝室に空気清浄機でも置くべきかな。どうも夜になると酷くなる。疲れてくるせいだろうか。一日中咳をしていると、脇腹とか背中とか、身体を締めつけるための筋肉が痛い。やはり、咳をするのにはかなりの体力を必要とするようである。なんせ、時速数百キロという速度で空気を押し出すわけですから。
どうも、今読んでみると昨日の日記、寝不足で書いたせいか何を言いたいのかよくわかりませんねえ。どうも、柄にもなく難しいことを言おうとして自爆しているような気がする。それに、考えてみれば概念を自分で発見せずに社会から教えられるのって、ほとんどがそうだよなあ。今も息子は、間違ったことを言っては親に矯正されている。今朝も、窓を指差して「どあ」とか言って、母親に「あれは窓。ドアはあれ」と指摘されていたのである。こういうふうにして、社会と共通の概念を持つようになっていくのだなあ。
そういえば、昨日言ってたソニーのロボット、ここで動画が見れるようです。メガ単位の容量があるので、私は見てないんですけど。
今日の夕方、前の保育所の行事があったので、息子はカミさんの実家で夕食を食べたのである。曾祖母さんに連れられて鍼にも行ったらしい。それで、今夜は寝る前にカミさんにもいろいろ喋ったそうだ。やはり、一緒にいなかった人に今日の出来事を教えてくれてるんだな。「でんしゃ、みてぇ」「きもちいい、してぇ」とか話したそうなのである。「気持ちいい」と言ったと聞いて、私は思わず「ホンマかいな?」と訊いてしまったのだった。
■5月14日(金)
今朝も息子は元気である。「とーちゃん、だっこ」と言って抱きついてくる。そして、私の身体によじ登り「おっきくなった!」と言う。カミさんが「そういうときは『高くなった』て言うのよ」と教えるが、そういうことはまだ区別できていない。出勤するために背広に着替えて居間に下りてきたときにも、チーズ入りのヨダレを流しながら抱きつきにきた。こらっ、今はダメだ。すると「とーちゃん、ばいばい」と言われてしまった。ちょっと機嫌を損ねたようであるな。今日は家族3人で家を出る。彼は、「いってきまっす」と言いながら自転車に乗せられて行ったのだった。
通勤時に読む「異形コレクションX 時間怪談」もやっと終わりである。最終話の菊地秀行氏「踏み切り近くの無人駅に下りる子供たちと、老人」を読む。なんというか、重い話ですねぇ。でもこれ、「時間怪談」なんでしょうか?
次に「ホシ計画」(廣済堂文庫)を読み始める。今は仕事が忙しいので、長編を読んでいると読み終わるまで感想が書けないので日記のネタが無くなるおそれがある。だから短編集を読むのだ。そろそろ、未読の本は長編ばかりになってきたような気がするが。
まずは安土萌氏「同窓会」である。うーん、甘酸っぱいなあ。こういうこと、できることならばやってみたいもんですね。いや、同窓会というのは、そもそもこういうことをするためのものなんですよね。そういえば、大学のクラブのOB会に出たときに昔の話になって、いつのまにか「あそこの店で…」とか「部室のあっち側に…」とか指を差しながら話しだしたんだ。酔っていたせいか、その場では話の中に入っていて何も不思議に感じなかったのだが、後になって考えると、何でみんな大阪にいるのにもかかわらず熊本の話をするのに座標がそろってるんだろうと不思議に思ったのだった。そういえば、現在位置は学生街の中のある飲み屋だという前提で話をしていたような気がする。あれは、きっと、みんなの心の中に仮想の街を作ってたんだな。まるで、店を出るとそこにはあの頃の学生街が広がっているような感じだった……しかし、あんな短い話でずいぶんいろいろと語ってしまったもんだな。心の中に風を吹き込んで、このように心を揺らしてくれるのが「物語の力」というものなんでしょうね。
1本目で書きすぎたので、あとはもう感想もショートショートである。
井上雅彦氏「麒麟の旅」………………略
太田忠司氏「みんな、ここに来る」…略
斉藤肇氏「きりんさん」………………う〜ん
矢崎存美氏「プレゼント」……………コワいっす
奥田哲也氏「冬虫夏草」………………まあまあ
藤井青銅氏「農業後継問題」…………まあまあ
【昨日の夫婦の会話】
「今日のテレビ、カレー一色だったわね」
「そういうのを見ながらカレーを食う、というのもオツなものではあるね」
「まさか、それを言うために昨日『カレーを食べたい』って言ったの?」
「私にそんなこと考えられるわけないでしょ。いつもアナタに『バッカなんだからあ』と言われてるくらいバカなんだから」
昼休みに、職場近くの書店で「母は枯葉剤を浴びた」(中村梧郎氏・新潮文庫:ISBN4-10-131701-1)を買った。人間として絶対に目をそらさず見ておくべき本だと思うのだが、なぜか今まで買ってなかったのだ。人の子の親となった現在、他人事ではないからね。
菊池鈴々さんの「『JUNE/やおい本』チェックリスト」に「対なる者の証」が載った。ありがたいことである。評価ポイントを見ると、ある程度は満足していただいたというところでしょうか。
■5月15日(土)
なぜ、この日に限ってそうなったのか、わからない。今夜は、外で食事をした。帰りの車を運転しながら、妻が「高速道路を走っていい?」と言いだした。原稿に詰まっているらしい。21時過ぎのことであった。「ヒッパレ予約してないから、10時までに帰れるなら」と応える。「環状線に乗るの初めてだから、ナビして」と言われたので助手席に移動する。高速に乗るので、右後部座席に座っている息子のチャイルドシートのベルトは念入りに締めておく。高速に入る前に「イヤなら止めとくよ」と言われたが、特に反対する理由もない。
高速に乗った。だが、大阪市内を過ぎたあたりで曲がるところを間違えた。堺の方へ行く道に入ってしまったようである。この先は一本のようなので、高速を下りることにする。高速に沿って反対方向に走ってゆけば、また高速に乗れるだろうと思っていたのだが、しばらくは入り口が無いようなのである。そのうちに、走っている道が高速から離れてしまった。右に折れて高速に近づこうとする。そうこうしているうちに、小さな踏切を越えた。道の両脇には高架の支柱が立っていて両側は見えない。踏切の先は真っ暗で、まっすぐ暗い道が続いていると見えたのだが……
次の瞬間、いきなり我々は交差点の中にいた。前方で赤い信号がぼうっと光っている。え? なんでここが交差点なんだよ。右から車が走ってくる気配がする。だが、こちらも動いているのでそれは当たらないと感じた。問題は左だ。黒い車が2台走ってくるのが見える。後ろの方は止まれそうだが前の方は…無理か。避けてくれ、と思ったが少しハンドルが動いただけだった。まるでこの車の左前部に向かって引いた直線上を滑るようにして近づいてきて……「赤や、赤や、赤、あか、アカ、あか……」意味もなく叫ぶしかない。
当たった瞬間から、しばらく記憶がない。気がつくと車の外で立っていた。妻が息子を抱いて「ごめんね」「ごめんね」と繰り返している。彼女の右足の親指から出血している…草履履きで運転していたのか。私も左膝が痛い。ずいぶん人が集まっている。よくこんな寂しいところで真夜中にこんなに人が集まって来るもんだ、などと他人事のように考えている。赤い液体が道路を流れている。誰も大きな怪我はしていないはずだが……車のオイルか。相手はタクシーだったようである。客も乗せていなかったようだし、こちらが軽自動車なのでそれほど被害は受けいていないようだ。
また気がつくと、救急車に乗っていた。何か言ってこの場の雰囲気を変えなければ、などと考える。カミさんに「こんな機会はめったにないから、(救急車の中を)よく見ておくように」などと言ったが、そう言った私がよく覚えていない。
病院に着いた。他の患者もいたのでしばらく待って診察を受ける。左膝が痛いのと、歯を噛みしめたときに左のこめかみが痛い。事故の瞬間に歯を食いしばったせいだろうか、と医者に言う(後に、左側頭部を打撲していたことが判明した)。左膝のレントゲンを撮ることになる。撮影時に横になるときに左の肋と右の膝もチクリと痛んだ。ここも打っているかもしれないな、などと思った記憶がある。
診察を待っている間に、看護婦さんから警察に電話するようにという伝言を手渡された。同様のものは救急車の中でも渡されている。治療を終えたら警察に出頭しなければならないようである。今から行ったんじゃ、終電には間に合わないかな。車なしでどうやって帰るかと考えると気が重い。病院の窓口で保証金を1人2万円ということで6万円請求されたが、手持ちが無いので3万円で勘弁してもらう。これでタクシーを使って帰ると、大変なことになるな。息子も、いつもの日ならもう眠っている時間なんだがな。事故を起こしたんだから仕方がないことだが。
タクシーで警察署に向かう。とりあえず一通り説教された。車は今夜中に片付けないと翌朝になって警察に電話が殺到するということで、JAFを呼ぶことにする。今夜は事故が多発しているということで、牽引車が来るまでにはしばらく時間がかかるという。大人二人と幼児であれば、なんとか牽引車に便乗できそうだということであった。これは助かった。牽引車が来るまで、がらんとした警察署のロビーで親子三人、じいっと待っている。息子もかなり疲れている様子だが、横にしてもすぐに起き上がってしまう。今夜はいろいろあったからねえ。のどが渇いているようなので缶のお茶を買ってきて与える。警察のオジサンが彼にお菓子をくれた。
長く、重苦しい時間が過ぎ、牽引車がやって来た。もう翌日になっている。再び事故現場に戻る。車は、交差点の角の歩道の隅で静かにうずくまっていた。JAFのオジサンが現場に着いて一言「これは難しいなあ」。車道は車が走っているし、歩道には車がいっぱい停まっているので、邪魔にならないように持ち上げて引っ張っていく作業をするのは大変なようである。またオジサンは事故現場の目の前の建物を見て「ここはイヤラシイとこでっせ。ヤ●ザよりもイヤラシイ。●クザも嫌がるというとこですわ」などと言う。そんなことを聞くと、早くここを離れたいと思うのだが、なかなか作業が終わらない。オジサンは汗だくになって作業をしている。大変な仕事ではあるな。
牽引車の助手席で身を縮めていた長い長い作業時間が終わり、出発する。牽引した状態では我が家のガレージには入れられないので、いつも車を整備してもらっている自動車屋さんの近くの道路脇にでも持って行ってもらうことにする。重量が2台分なので、運転も大変なようである。息子は妻の膝の上で寝息をたてはじめた。ただ無言で、ゆっくりと進んでゆく。
自動車屋の前に着いた。脇の道を入ったところに車を置いてもらう。牽引車を降りると、息子が「おんぶ」と言って抱きついてきた。疲れているんだろうね。彼を背負うと、両膝の傷が痛んだ。これは、ここから家に帰るのも大変なことであろう。車の前に立ち、「たぶん、これでお別れや。よう見とくんやで」などと言いきかせる。
牽引車が行ってしまった。費用は予想よりも少なくてすんだようである。さあ、家に帰ろう。とりあえず歩いて、タクシーが来たらつかまえることにしていたが、どうもつかまりそうにない。歩くのもキツくなってきた。10分程度の道のりのはずなのだが、身体がいうことをきかない。最初に見つけた公衆電話からタクシーを呼ぶことにする。呼んだ直後に目の前でタクシーが信号待ちしたが、これは仕方がない。マーフィーの法則というヤツだ。
タクシーで我が家に帰り着いた。息子の身体を拭いて寝かせる。とにかく、長い夜だった。
■5月16日(日)
自動車屋の始業時間が9時なので、今朝は9時前に電話で事情を話し、キーを預けに行かねばならない。であるから、今朝は8時に起きて、カミさんが出かけている間の電話対応および息子が起きたときのために待機するのだ。上司の自宅に電話をして明日遠方の客先に行けないことを報告し、カミさんを見送る。寝室で息子が泣いたのでなだめていたらカミさんが帰ってきた。保険会社にも連絡し、また3人で寝る。けっきょく15時くらいまで寝ていた。
一夜明けてみると、左側頭部は何かで打撲していたようで腫れていた。口を大きく開けると痛い。事故直後に痛かった左膝よりも、右膝と左脇腹が痛い。特に左の肋骨は痛くて寝返りに支障がある。右膝もかなり酷い内出血である。事故直後はあまり痛くなかったところの方が被害が大きいというのも不思議なものである。あと、左肩も打っていたようである。
夕方に家族3人で夕食の買い物に行く。最初に行ったスーパーで適当なものが無かったので次のスーパーに向かったのだが、スーパーを1軒回っただけで疲れた。移動中、カミさんに「怒ってるの?」と訊かれた。疲れて表情が無くなっているらしい。
息子は無傷だと思っていたのだが、左顎の下にチャイルドシートのベルトで擦り傷ができていた。そうか、それで食事中に口から辛いものをこぼしては泣いていたんだな。
■5月17日(月)
今日は、事故直後に運ばれた病院に行って再検査を受けるのである。朝起きて朝食を食べていると息子がグズる。体温を測ってみると、38度近くの熱がある。しかし、今日しか行けないので出かけるのである。自転車で駅まで行き、電車で一本。そこからタクシーを使うが、病院はすぐ近くであった。けっこう客が多い。かなり待たされて3人順番に問診である。医者が二人並んで診察しているのだが、間に間仕切りもない。いいのかね、これで。外科だからいいのかなぁ。胸に聴診器当てるわけではないが。隣の患者は若いねーちゃんだったけど、指の治療だけだったしね。息子はかなり緊張していたようで、診察を嫌がる。診察が終わったときにドクターに向かって「ばいばーい」と言って、診察室中にウケた。
問診後はレントゲン撮影である。またしばらく待って、まずカミさんがエレベータに乗って別フロアに行く。しばらくして撮影室から呼ばれた。「子供がいるんですけど…」と言うと「いいですよ」と言われた。息子を連れて入ると、彼をガラスで区切られた部屋(体勢などを指示するところ)に連れて行くつもりらしい。しかし、息子は私と引き離されると火がついたように泣き出した。そりゃそうだな、母親が自分を置いて行ってしまった上に父親から引き離されたんだから。向こうの部屋は若い兄ちゃん4人なので、大変である。私は体を動かせないから声も出せないし(けっきょく動いていたということで、あとで1枚追加撮影された)。「とーちゃん、くる」「とーちゃん、くる」と言って泣きわめく。それは、私の撮影が終わる直前になって、自分の撮影を終えたカミさんが来るまで続いたのだった。
けっきょく、息子は異常なし、私はレントゲン撮影の結果は骨に異常なし、カミさんは首の骨がずれているということで治療が必要であるということであった。カミさんは、近所の知り合いのカイロプラクティックで治療するつもりのようである。
私は胸を打撲しているということで、コルセットを装着させられる。装着方法を説明してくれたのが若い看護婦さんだったのだが、ずいぶん緊張しているようである。いくらカーテンで囲まれて二人だけになっているといったって、そんなにしどろもどろになることないのに。私って、そんなに危なそうなのかしら。
帰りにデパート内で食事をするが、息子の調子がよろしくない。やはり風邪かなぁ。しかし、電車に乗るとたちまち背筋が伸びて元気になるのである。家に帰って昼寝をさせてから、近所のかかりつけの医者に連れていく。受付で診察券を探していたら、ねーちゃんに「今日はシンジ(仮名)くんだけですか?」と訊かれた。もう、顔を覚えられているのね。毎月行ってるようなものだからなあ。診察の結果、やはり喉が腫れているということであった。私も先週からの咳について診察を受けたのだが、気管支の炎症だろうということであった。
■5月18日(火)
どうも体調が良くないので、今日も休むことにする。私が家にいるからということで、息子も休ませることにする。
カミさんが、いつでも連絡が取れるようにしたいというので、PHSを買うことにする。PHSが使えると、夫婦同時にネットサーフィンできるしね。ただ、通信業者の選択が悩ましい。NTTかDDIだと思うのだが、どちらも一長一短である。Pメールが使えるか(木根さんが使っている)、料金体系、データ通信のしやすさ、あたりが比較項目か。カミさんは標準コースにすると言っているので、これに関しては通話料金は同じようである。いや、よく見てみると、NTTは隣接及び20kmまでは区域内と同じ料金だ。ウチは東大阪だが、大阪市や門真市にかけることが多いと思われるので、これは大きいかもしれないな。DDIの「区域」がどうなっているのかは知らないけれど。で、20〜30kmは同じで、50kmまではNTTが有利、それを超えるとDDIが有利になるようだ。まあ、そんな長距離にPHSは使わないと思うんだけどね。短距離ではNTTが有利なようだな。
Pメールは、店の兄ちゃんの話によると、NTTからだとEメール経由になるらしい。でも、NTTだとEメールは無料で、きゃらメールは月額100円なのか…どう違うんだろう? きゃらメールは到着時にわかるということかな。これも確認しなければ。
NTT DDI
Pメール Eメール経由 OK
基本料金 50km以下で有利 50km超で有利
家族割引 1台目は携帯必須? 200円×台数
自宅への通話の割引 有 無
1350円コース 10円/18秒 倍額:10円/30秒
データ通信料金 昼60秒・夜90秒 10円+全日70秒/10円
メリット・デメリットをパンフレットから読み取って整理してみた。Pメールに関しては、Eメール経由というのは鬱陶しいが、とりあえず相手は木根さんなので遠隔地ならばEメール経由の方が安くつくような気がする。家族割引は、店の兄ちゃんはNTTもPHSだけで使えると言っていたが、パンフレットを読むと主回線は携帯でなければならないように読めるので要確認だな。あとは私が使うであろう1350円コースの通話料金が大きく違うが、これは私はあまり電話をかけないから影響は小さいだろう。データ通信料金も8時〜23時の間に7分を超える通信を行った場合にのみDDIが有利だが、昼間はそんなに長時間の通信はしないだろう…などと考えると、やはりNTTかな。いや、よく読んでみると、データ通信料金はDDIならコースによらず一律だが、NTTはそうだとは書いていない。これも要確認だな。
■5月19日(水)
今朝、出がけに雨が降りだした。今日は、息子が昼寝をするときに使う布団を保育所に持って行かねばならないので荷物が多いのである。車があれば何ということもないのだが、こういうときに限って雨が降る。カミさんは息子にレインコートを着せ、荷物をポリ袋に詰めながら「これも罰かな…」などとつぶやいている。いかん、いかんぞ、そういう考え方は。
そう思いながらも、私も今日からまた仕事だ。久しぶりだと気が重いねえ。駅まで歩いていくしかないか…などと思っていると、雨足が弱くなってきた。強引に自転車で出る。少し濡れたが、天気は回復に向かっていたようである。
今日も通勤中に「ホシ計画」を読む。だが、心に引っかかってくるような作品がほとんど無い。やはり、ショートショートというものの難しさを感じるのである。これだけの数の作家が集まって書いていても、たぶん心に残るのは数編しかないだろう。こういうことによって、逆に星新一先生の偉大さを感じてしまいますね。今日読んだ中で印象に残った作品というと、まず藤井俊氏「宇宙の男たち」。まあ何というか、SFしてましたね。それから、西秋生氏「人形愛の夜」ですか。でも、これってショートショートじゃないような(笑)。あと、小田ゆかり氏「ウエディング・ベル」の一発狙いにはやられてしまいました。
今日は、職場近くの書店で山田太一氏『親ができるのは「ほんの少しばかり」のこと』(新潮文庫)と中島らも氏「訊く」(講談社文庫)を買った。しばらく本屋に行っていなかったので、目を通しておくべき本が多いな。
ドコモのサイトで調べたら、やはり1350円コースはデータ通信料金も10円/18秒らしい。DDIは基本コースと同じようなので、そうであれば私はDDIの1350円コースしか考えられないな。そうすると、カミさんは家族割引の400円とPメールでDDIを取るか、隣接区域への通話料金の安さでNTTを選ぶか、という選択になるのかな。こういうのは問題を単純化しないと選べないからね。
今夜も家に帰ったのは遅かったのだが、息子はまだ寝室で起きていた。事故直後の様子を、いろいろと喋ってくれるらしい。ひょっとして、キミがいちばんよく覚えているんじゃないかな? 2歳6ヶ月というと……もしかしたら記憶に残ってしまうかもしれないね。カミさんが私の食事の用意をしに階下に下りていく間、私が息子を寝かしつける。胸の上に乗せて背中をトントンする。リズムをだんだん緩やかにしてゆくと、すぐに寝てくれた。
■5月20日(木)
昨日、帰りに「修羅の門」の26巻を買ってきた。カミさんが読んで「続きが読みたいな」と、こっちを見るのである。今朝も、「この人って、男の人はこれだけいろんなタイプが描けるのに、どうして女の子はみんな同じなのかしら。舞子ちゃんのお母さんは違うけど、あの人は女として描かれてないわよね」などと言っている。まあ、男性作家の描くヒロイン像というのは、よく見るとあまりパターンは無かったりするもんだが、この人のは極端だね。
今日も出勤時に「ホシ計画」を読むのである。今日読んだのはけっこう面白かった。白河久明氏「悪魔のレポーター」みたいなバカバカしいのも好きだし、津井つい氏(なんちゅうペンネームじゃ)「追憶」のようなのもいいなあ。やっぱり時間モノの切なさ、みたいなものが好きなのである。
今日はどうも腹具合が悪い。夕方になると寒気がしてきた。風邪かな。いつもより早く退社する。胸にコルセットをしていて姿勢がいつもと違うせいか、背中の筋肉がバリバリに固まっているのだ。しかし、早く帰ったら早く帰ったで、梅田方面を回って本屋に寄ってしまうのである。体調不良じゃなかったんだろうか。でも、SFマガジンも小説推理もまだ最新号を立ち読みしていないんだもの(おいおい)。でもねえ、やっぱりSFマガジンという雑誌は、いくらSF好きとはいえ私のような薄々の一般人を拒絶しているように見えるんですよね。濃すぎて。今までに買ったといったら、500号記念だったけ、あの分厚い号だけだったな。
で、本屋に行くと「さよならジュピター」の上下巻が出ていたので即ゲット。この作品は週刊誌連載中に立ち読みしていたので、たしか単行本は買ってなかったような気が…でも、これも買っても読めないだろうな。ということで、帰りの電車の中であとがきとインタビューを読む。あとがきには感動しちまいましたね。もう、一生ついていきますって感じ(笑)。これが書かれたのが17年以上前なのか。映画はずいぶん評判が悪いんですがね(怖くて見ていない)。
最初に寄った本屋にウィングス文庫が無かったので、さらにジュンク堂に行く(こらこら)。第2回配本分は全て平積みになっていたが、「対なる者の証」は最も山が低かった。他の本が売れて補充されていたのかもしれないが、少なくともまったく売れていないことはないようである。
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