1999年6月下旬の日記
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■6月21日(月)
「反対語」だと思っていても、実は違うことがある。たとえば「甘い」と「辛い」。味覚としては全く別のものなんだよな。だから「甘辛い」などという味も存在することができる。でも、うちの親なんかは塩気が足りないのを「甘い」と言ったりするんだよな。「対照的」だというのを「反対」だと思ってしまいがちなのだ。鏡に映っている姿も、みんな左右が反対になっているように思っているけれども、あれは実は左右が反対になっているわけではないのだな。それが証拠に、横に寝っ転がってる人と立ってる人じゃ、反対だと思ってる方向が違うでしょ…って、これはまた別の話である。

あ、それから上で「辛い」と書いているのは「塩辛い」という意味です。関西では塩辛さと唐辛子などの辛さの区別が言葉の上では無いのですよね。関東では塩辛い味を「しょっぱい」などと言って区別できているようですが。違う概念でも言葉が同じだと区別できにくいです。関西では区別せずに話している人も多いような気がする…というのもまた別の話

何でいきなりこういうことから書き始めたかというと、今日は熱を出して一日中寝ていたので書くネタがないのである。けっきょく、日曜日にまで無理して仕事をしようとした(ほとんど進まなかったが)ツケを払ってしまったのだな。

朝、起きると熱っぽい。熱を測ると37度近くある。午前中は休んで昼から出勤することにする。今日もカミさんと息子は闘っている。でも、息子は保育所に行きたくないそうなのである。カミさんは「2日間母に怒鳴られ続けて、それでも保育所に行きたくないって言うのよ。子供って寛大だわ」などと言っている。まあ、子供は親を選べないからねえ。寝るために寝室に上がっていったら、階下から息子の絞め殺されそうな悲鳴が聞こえてきた。慌てて下りる。目薬を点していたようである。息子が抵抗しないように彼の身体を押さえつけて点したら、そういうことをされたのは初めてだったので悲鳴を上げたんだとのこと。驚かさないでよね。

昼前に起きたが、まだ熱っぽい。体温を測ると37度を超えていた。けっきょく医者に行って今日一日休むことにする。納豆を食おうとしたら凍っていた。冷蔵庫の設定が「氷温」になっていたらしい。かき混ぜ難い。中央部をガリガリ削っていたら、挽き割り納豆みたいになってしまった。まあ、これはこれで面白い。医者では「ノドが爛れている」と言われた。野菜ジュースを買って帰り、寝る。

夕食前に起きると、息子は今日も体験したことを報告してくれる。「ばしゅ、のっていった」。今日、彼は保育所から早めに帰り、バスに乗って皮膚科とアレルギー科がある病院に行ったのである。背中が赤くなっているのはジンマシンらしい。「ばしゅ、ぐるぐるしたん」とも言う。バスに乗ったのがターミナルだったので、方向を変えるために回転したことを言っているのである。

医者からの帰りに
GUT’s(2)」講談社・月刊マガジンKC:風童じゅん)を買った。うう、燃えるぜ。正統派少年マンガである。最近、これだけ単純に燃えさせてくれるマンガは少ないのである。で、これも出ているのを知らなくて、気づいたときには身近な本屋には無くなっていたのである。まあ、あるところにはあったのだが、そこはウィングス文庫を置いてなかったから(笑)。

う〜ん、書くことがないと言いながら、けっこう書いているぢゃないか(爆)



■6月22日(火)
今日も通勤中に「
異形コレクションXI トロピカル」を読む。まずは篠田真由美氏「Flora」である。これはなかなか楽しんで読めた。直前に載っていた作品とほとんど同じような構成なんだが、なんでこんなに印象に差があるんだろう。枚数の差(=積み重ねた表現の差)なのだろうか。

藤川桂介氏「赤い月」は……ノリが悪い。文体のせいだろうか。どうも平板な感じなんだよな。

辻和子氏「ココナツ」……何ですかこれは。やっぱりこのアンソロジーは小説だけに絞るべきなんじゃないの、というのが私の個人的な感想でございます。

今日は昼休みに職場近くの書店で「アラマタ図像館(1)」(小学館文庫:荒俣宏)を買った。あまり読んでいて気色のいい本ではないが、ウチの子供が大きくなって父親の蔵書を「探検」したときにこういう本が出てくるというのも面白いだろう。

郵政省の99年版通信白書によれば、『11年2月現在、国内の(中略)WWWでアクセス可能な総情報量は1,024GB(中略)に達すると推計された』そうですね。1テラバイトですか。新聞の朝刊に換算すると2700年分なんだそうで。でも、「まだ1024ギガバイトかぁ。意外と少ないな」と思っている自分がここに…だって、私のデスクトップマシンが格納可能な情報量の、たった150倍でしかないんですもの。

昨日の続きであるが、辞書を引くと「甘い」を「塩気がすくない」(広辞苑第四版)などと書いてある。こうなると、こういう使い方はスタンダードとして認められているということなのだな。でも、私個人としては「甘い」と「塩気が少ない」というのは絶対に異なる状態だと思うのだ。そういう意味では「からい」と「つらい」が漢字にすると同じ字になってしまうというのも納得できないな。言葉というのは難しいものである。

今日は、いつもより早く帰れた。家に入ると寝室から息子の声が聞こえる。寝室に入ってみると、息子は元気であった。まったく寝そうな様子がない。もう22時過ぎなんだがなあ。「父ちゃんと一緒に寝よか」と言うと。「いらん!」と一言で却下されてしまった。なんとか懐柔しようとするが、まったく取りつく島もない。そのうちにカミさんは息子を私の上に乗せて出て行ってしまった。彼を抱きしめる。泣く。逃れようともがく。だが、許さないのである。ひとしきり泣き暴れさせた後、放したらそのまま寝てしまった。やっぱり疲れないと眠れないのか。

カミさんはようやく「対なる者のさだめ」の先が見えたので、今日は機嫌よく息子と遊んだそうである。しばらくは家庭内に平和が訪れるかな。



■6月23日(水)
今日は、カミさんが
例の事故の調書を取りに行くのである。9時半からという時刻を指定されたので、彼女は息子を保育所に連れて行くことができない。したがって、私が彼を連れて行かねばならないのだが、彼を送り届けた後そのまま駅に行って自転車を置いて出勤したのでは、夕方になってカミさんが迎えに行くことができなくなる。息子の座席がついた自転車は1台しかないのである。早めに彼を送り届け、家に帰ってから自転車を乗り換えて出勤することにする。保育所に着いて、荷物を所定の位置に置く。彼に「ばいばい」を言うが、反応しない。建物の外に出て「ばいばい」すると、ベソをかきだしたが動こうとしない。そのまま門の外に出る。今朝は、ちゃんと別れが惜しめなかったな。

今日も通勤中に「異形コレクションXI トロピカル」を読むのである。まず二木麻里氏「サヴァイヴァーズ・スイート」であるが、描写が的確でイメージの喚起力が素晴らしい。これだけ細かい描写をしようとすれば、日常生活においても相当な観察力が必要だと思うのだが、疲れちゃわないんだろうか。この本をここまで読んできて、ちょっと欲求不満気味だったのだが、久しぶりに満足させてくれました。ただ、細かい表現に気を使い過ぎなのか、全体として何を言いたいのかがイマイチはっきりしなかったような…

帰りに田中哲弥氏「猿駅」と飯野文彦氏「椰子の実」を読んだ。「椰子の実」はありがちなの話だが、それで逆に意図的に結末を書いていないのが効果を上げている。

そして、「猿駅」……うぎゃげぎゃぐぎゃげが…これも凄い。田中姓の作家はキモチワルイのを書くのが巧い、ということはないんだろうな。

最後に、草上仁氏の「スケルトン・フィッシュ」である。「異形コレクション」を10冊読んできて、百人近くいるであろう作家の中で私の個人的な評価は一二を争う人なので読むのを楽しみにしていたのだが、その期待はまったく裏切られなかったのだった。クリスタルなイメージの奔流が素晴らしい。同じ日本語の文字を並べているのに何でこんなに違うのだろうねえ。

対なる者のさだめ」がある程度できたというので、夜中の1時頃から読みだしたのだが、その前にカミさんの長電話を聞いていたので眠い。「ごめん、明日でいい?」と許してもらう。今日は早起きしたから昼間から眠かったんで、面白くなかったわけぢゃないんだよぉ〜。信じてちょ〜。

昨夜、カウンタが1800を超えたようだ。ここ数日、増え方が鈍っているようだな。何かマズイことでも書いたかしら。



■6月24日(木)
今朝も妻子は朝食を食べるための椅子をどちらが出すかで揉めている。「対なる者のさだめ」の目処がついて気分が楽になっているわけではなかったのかねえ。

今日も通勤時に「
異形コレクションXI トロピカル」を読むが、朝松健氏「泥中蓮」はまあ、楽しんで読めた。
竹河聖氏「干し首」もなかなか良かったですね。これは、けっこう怖いんじゃないだろうか。
江坂遊氏「トロピカルストローハット」は……う〜ん、やっぱりショートショートって難しいのね。
井上雅彦氏「デザート公」は……やはり目指すものが違う、というのを再確認しただけだった。
あと少しだから、というので家に帰ってから菊地秀行氏「黒丸」を読む。うーむ、正直よくわからん。

昼休みには「看護の現場から」(小学館文庫:江川晴)を買った。私は病弱なので、医療問題には関心があるのである。

今日も雨が降っている。暗い道を歩いて帰ってきたので、何度か水たまりに足を突っ込んだ。おニューの革靴なのにぃ。遊歩道を歩いて帰ってくるのだが、両側に樹や雑草が生い茂っているので、「トロピカル」を読んだ直後に真っ暗な中を歩くと、まるでジャングルの中を歩いているような気分になりますなあ。

今朝、カミさんは息子を保育所に連れていく途中に自転車で転倒したらしい。息子のおでこに大きなコブができたそうな。「今の自転車、重くて運転しにくいから、前の自転車に替えていい?」との仰せである。前の自転車がイヤだから替えたんじゃないのか。替えたら替えたで、また文句を言いそうな気もするんだけどねえ。息子を乗せるから頑丈なものを、ということで、わざわざ高価い金出して買ったのだが、逆効果だったのかなぁ。



■6月25日(金)
息子の額には大判の絆創膏が貼ってあった。なんだか、「三つ目がとおる」みたいだな。「そと、あめ、ふってる」などと言う。かなり「文章」になってきている。単語も三つになっているし、時制の使い分けもできるようになっている。この世に出現して2年半で…人間というのはすごいものだ。彼は今朝は愚図っていないが、なんだかボーッとしている。頭を打った後遺症じゃないだろうな。寝不足か? そういえばカミさんが、昨夜はいつまでも寝ないので「ちょっと仕事してくるな」と言って彼を寝室に一人残して下りてきたとか言っていたが。

朝食を食べてゴミを出すために家を出かけたときに、階上で息子の泣き声が聞こえてきた。急いでゴミを出し、居間に上がっていく。食後に手を洗うときに踏み台を流しの前に移動させるのを、彼の手が汚れていたため母親がやってしまったので怒っていたそうである。ううむ。保育所に行く時刻になるが、雨足が一段と強くなってきた。カミさんは玄関まで出たが、小降りになるまで出発を保留するそうである。私は歩いて行くので先に家を出た。息子は、間断なく雨が落ちてくるのを玄関先からじっと見つめている。

酷い雨である。強めのシャワーのような雨が、そこいら中に降り注いでいる。半歩踏み出すだけでも、傘の守備範囲から出た脚がビショビショに濡れてしまう。これでは歩くのもままならない。バス停の前で足が止まってしまった。まるで滝の中にいるようだ。後方を見る。煙った雨の向こうに、バスらしきものが見える。あれがバスだったら乗ろう。どっちにしろ、雨足が弱まるまでしばらく歩く気はない。

やはりあれはバスだった。整理券を取って乗り込む。しかし、ワンマンバス(これは和製英語ですな)というのは、かなり乗客にも高度な能力を要求するものであるな。テープによるアナウンスがあるとはいえ、人間のガイドなしで整理券を取り、目的地の前で停車を指示し、料金を整理券の数字から自分で判断して払わねばならないのだ。これだけのことをするにも多くのルールがあったりする。車掌業務の一部を乗客に負担させることによりコストダウンを実現しているというわけだ。まあ、今の世の中、どこでも似たり寄ったりなのだが。

地下鉄駅の最寄りのバス停で降りたのだが、駅まではまた結構歩かねばならないことに気づいた。濡れて歩きながら、あんまりバスに乗った意味がなかったような気がしてきたぞ。これだったら、終点のJRの駅まで乗った方が良かったな。次回は間違わないようにしよう。次回があるかどうかはわからないが。

昨日で「
異形コレクションXI トロピカル」を読み終えてしまった。今日から何を読もうかと考えていたら、草上仁さんの短編集を古本屋で買っていたのを思いだした。たしかあそこに…あったあった、市長、お電話ですだ。さっそく出勤時に読む。まず「国境を越えて」である。どうも「異形コレクション」に載っていた作品に比べて緊張感が足りない。ユーモアものだから仕方がないか。やはり私はこの人のシリアスな短編が読みたいのだな。でも、本屋を探し回っても、たまに見つかるのはユーモアものばかりなんだよな。そんなことを考えながら読んでいたのだが、アイデアはSFなので面白い。読むのが辛くはない。帰りには「ポルノグラフィック」まで読んだ。こっちはオチだけの話だな。まあ、これだけ読ませてくれればいいか。

今日は、昼休みに医者が末期がん患者になってわかったこと(岩田隆信:角川文庫)を買った。今日も医療モノだな。買う前にざっと読んでみたが…真実の重み、というのは強い。そういえば、医者は苦痛を伴う検査は一度受けておくべきだ、と言っている人もいましたねえ。インターネットで調べていたら……ちょっとしたベストセラーだったのね、この本。なるほどね。

帰りには雨は少しパラつく程度になったので、昨日出勤時に乗った自転車で帰ってきた。カミさんは先日行った病院で「金曜日に来なさい」と言われてたので、雨の中タクシーを使って保育所から息子を回収して行ってみたら臨時休診だったと言って怒っていたのだった。



■6月26日(土)
昨夜、寝室では締め切って蚊取り線香を炊いていた。一度は眠ろうとしたのだが、煙たくてどうにも耐えられない。数日前までは蚊取り線香も炊かずに開け放っていたのに…こんなに極端から極端に行かなくてもいいんじゃないかと思うんだが。息子は眠っているようだが、大丈夫なんだろうかねえ。どうしようもないので、枕と掛け布団を持って居間に下り、そこで眠ることにする。寝室は電灯の豆球が切れているので、歩くのに苦労する。カミさんの枕元はヤオイ本で足の踏み場もないし。そういや、昨日カミさんが息子を踏んづけたとか言ってたなあ。

妻子が起きてきたので目覚める。昨夜も遅くまで日記を書いたりしていたし、寝心地も悪かったので、あまり眠った満足感というのはない。まあ、今朝も朝一番でカイロに行かねばならないので、あまり眠れないのは予定のうちなのだが。朝食中に私が野菜ジュースを食卓に持って行く途中にこぼしてしまった。カミさんに「何やってんの!」と言われる。それを聞いていた息子が私に向かって「なにやってんの〜」と繰り返す。まあ、いつも母ちゃんに言われっぱなしのキミの心情は理解できますが…

食後に息子をトイレに連れていく。今日もウンチが出た。偉いぞ。ただ、彼を便器から下ろした後、私がトイレの水を流すと、彼は泣いて怒りだした。けっきょく、水が流れ終わったあと、再度自分で水を流して手を洗ったのだった。意固地だねえ。いったい誰に似たのやら。

カイロに行く用意をしていたら、カミさんに息子を保育所に連れていくよう言われた。まあ、ついではついでなんですけどね。仰せに従い、息子を自転車に乗せてまず保育所に行く。途中で紫陽花の花を指差して「あじさい」と言う。他にも花はいっぱい咲いているのだが、他の花では言わないので、花の種類はちゃんと弁別できているのだな。

カイロから帰って、息子がいないうちに「対なる者のさだめ」の原稿を読む…つもりだったのだが、またも眠ってしまった。うう、今日も睡眠不足だったんだよ〜。

寝室に行って寝て、起きたら夜であった。今日も外食だという。雨が降ってるんだけどねえ。歩いて行くのかと思ったら「自転車で行った方が濡れないわよ」との仰せである。だが、ファミレスを出たときには強烈な降りになっていたのであった。息子を自転車に乗せるときに、自転車に装着している傘から流れ落ちる雨が襟元から流れ込む。ぎゃ〜。うう、たとえインスタントでもウチで食った方が良かったと思った夜であった。

今日は私が息子を寝かせる。珍しく私の方に寄ってくるので何かと思ったら、脚が痒いので掻いてくれということらしい。



■6月27日(日)
昨夜は息子と一緒に眠ってしまったので、今朝は早起きして通信する。テレホタイムの間に落としてきたテキストを読んでいたら、階上から息子の声が聞こえてきた。階段を上がって行くと、彼が階段を一人で下りてくるところだった。

まず、私の部屋に行って昨夜録画していたヒッパレを観る。息子は途中で飽きたようで私の膝の上から逃れようとするが、早送りしながら最後まで観る。今週は印象に残るパフォーマンスは無かった。
日刊スポーツのサイトに『歌手で女優の森川美穂(31)とボーカルバンドVOX-のKOHJIRO(年齢公表せず)が、日本テレビ「THE夜もヒッパレ」の収録で共演』と書いてあったので無理やり食事前に息子を連れて観たのだが、出ていなかったようだな。こんなベストテンを扱う番組、一週間後の収録なんてしないと思うのだがなあ…と思っていたら、よく見ると『7月3日放送』と書いてあった。

今朝の食事は、インスタントの味噌汁にふりかけと私の母が作ったイカナゴの釘煮、そして例によって納豆である。野菜といえば、食後に飲んだ野菜ジュースだけである。偏った食事で、すまないねえ。食事の後片付けをしながら息子に「うんち、するか?」と訊いたら、彼は微妙な顔で笑った。「いや、その…」と照れ笑いするような感じである。「ひょっとして…」とパンツの中を見ると、やはりやっていたのであった。トイレに連れて行ってパンツを脱がせてお尻を拭き、「まだ出る?」と問うと頷いたので便器に座らせるとさらに出た。彼なりに我慢はしていたのかなあ。再度お尻を拭いて新しいパンツを出し、「穿いといて」と言いつけて洗面所に下りパンツを洗って洗濯機に入れる。上がってみると、彼はパンツもズボンも穿いていた。おお、偉いぞ。パンツは前後反対のような気がするけど、特に問題はないだろう。

私が新聞を読んでいる間、息子は一人で遊んでいる。楽になったものである。そのうちに「かいもの、いく」と言いだした。ほぼ同時に階上で雨戸を開ける音が聞こえてきた。カミさんが起きたようである。だったら、外に行こうか。母ちゃんは締め切り間際のようだから邪魔してはいけない。自転車で行こうかと思ったのだが、雨がパラついているので歩いていくことにする。歩いた方がキミも疲れて昼寝をしやすいだろう。

まずは雨の日の定番、最寄りの電気屋に行く。息子は途中で「おんぶ」とか言って私の脚にすがりついてくるが、なだめながら歩かせる。例によってパソコンデスクに座り、パソコンのキーボードをいじり、音楽用のキーボードで音を出し、チャイルドコーナーで遊ばせる。彼がチャイルドコーナーで遊んでいると、姉弟二人連れが入ってきた。そのうちに入り口のところで突っ立っていた弟の方が突然泣きだした。どうも、先に息子がいるので自分の思うように遊べないというので泣いているようだ。二人を連れていたオッサンがやってきて、息子に向かって「小さい子をいじめたらあかんで」とか声をかけている。息子はキョトンとしている。そりゃそうだ、彼はそこに居ただけなんだから。それに、ほとんど年齢は変わらないと思うぞ。サイズは違ったけど。反論するのも阿呆らしいので言わせておいたんだけどね。一言言って、すぐに行っちゃったし。

電気屋を出て、向かいのスーパーに行く。入ったところに長い行列ができている。何かと思ったら、卵を1パック38円で売っているそうな。これが安いのは私でもわかる。並んで買う。納豆と昼食用のパンを買ってレジに行くと、卵は合計で千円以上買わないと38円にならないと言われてしまった。レジで打っていたのをキャンセルしてもらい、買い足して再度レジの行列に並ぶ。いろいろ買ったので荷物が増えてしまった。片手で全部は持てないので、息子と手をつなげない。雨は上がっているので彼に傘を持ってもらう。二人で手をつないで家に向かって歩いていると、目の前を自転車に乗ったカミさんが我々と同じスーパーの袋を前カゴに積んでスーッと走っていった。ありゃりゃ、母ちゃんに原稿をしてもらうために我々は長い時間をかけて外を回ってたんだがなあ。

帰ってパンを食べ、カミさんの邪魔にならないよう息子に昼寝をさせる。息子は疲れている様子だったのだが、なかなか寝ない。私が先に眠ってしまった。そのうちにカミさんが上がってきて彼女の布団の上に横になった。あれれ、原稿はしなくていいのかな。息子は「かーちゃん、だっこ」とか言ってカミさんの上に乗ったりしている。そのうちに「痛い!やめて」とか怒鳴られて突き飛ばされてしまった。うう、不憫なヤツ。

今日も昼寝から起きると夜であった。あ゙、RINGS録画するの忘れた…うう、何のためにWOWOWに入っているのやら。さて、今日こそは「対なる者のさだめ」を読むのである。カミさんは昨日印刷してコピーを編集さんとイラストの若島津さんに送ってしまったので、ちょっと遅いのだけどね。基本的には雑誌掲載時と大きく変わってはいない。「心理描写は深くなっているはず」だと本人は言っていたが。読んでみると、全く同じ濡れ場のシーンが2ヶ所にあった。ワープロを使ってシーンを組み合わせながら書いているとこういうことがあるんだよな。シンとラランジャの初エッチにずいぶん悩んでいたようなのにサラッと記述されているので、思わず「ちゅんちゅん?」と書いてしまった私だった。だいたい読み終えたところで、階上から息子の声が聞こえてきた。上がって行くと、寝室の扉から顔を出してニッコリ笑う。「おはよ」と言うと「おはよ」「おきたぁ」と応える。ずいぶん遅くなってしまったな。今夜も遅くまで眠らないだろうねえ。

今夜も私が息子を寝かせる。やはり彼は眠らない。こっちにくっついてきてくれるのはいいのだが、私の上に乗ったりして暴れる。抱いて背中をトントンしたり、かなり長時間相手をしていたら、やっと眠ってくれたのだった。



■6月28日(月)
昨夜は息子と一緒に寝てしまったので、今朝は早起きして日記を書かねばならない。書いていると、階上で雨戸を開ける音と息子の泣く声が聞こえてきた。上がってゆくと、息子は「かーちゃん、ばいばい」をしているという。父親に対してはそれほど嫌がらない。昨日一日、私といたからかな。このあたりは
鳥の雛と同じだな(おいおい)。私の膝の上に頭をもたせかけ、横になる。眠そうである。昨夜は遅かったうえに、あれだけ寝る前に暴れればねえ。

息子は、朝刊の一面の写真を見て「しんかんせん、こわれた」と言っている。おう、もう新聞が読めるのか(違う)。しかし、福岡トンネルや新関門トンネル内で内壁がはがれ落ちる事故が続いているようだが、まさか北九州に地震が起こる前兆ではないだろうな。

カミさんは、昨夜私が息子を寝かしている間に原稿はかなり進んだようである。シンとラランジャのエッチも書き足したとか言っていた。いや、別に書き足した方がいいといったわけではないんだけどね。あなたの友人たちが読めばそう言うだろうと思っただけで。

今日は昼休みに「病いに医者いらず」(柴田二郎:小学館文庫)を買った。ううむ、医療関係3連発であるな。まあ、医者を信じる・信じないに関わらず、こういう本を一冊は読んでおいた方がいいと思いますね。

今日も市長、お電話ですを読む。今日は往復で「転送室の殺人」しか読めなかった。やはり私はSFのミステリというのはあまり好みではないようだ。



■6月29日(火)
昨夜も帰宅が遅くなってしまった。帰ってみると、若島津さんのMacの調子が悪いという。送られてきたFAXを見ると、OSを8.1に上げようとしたら日本語の文字が表示できなくなってしまったらしい。しかし、使い初めて数日でOSのバージョンアップに挑戦するとは、大胆ですねえ…コンピュータというのは安定して動いてるうちはよっぽど新しい機能を使う必然性がない限り環境をいじるべきじゃないというのが私の考え方なんですけどねえ。しかも、トラブったときには他人に聞きながら調査・復旧するにせよ、使い慣れていないと難しいのだが。それにまだ、そんなにバージョンアップの必然性を感じるほどMacを使い込んでいるとは思えないんだけどねえ。誰か焚き付けた人がいるのかな? まず、通信のログから似たような症状をいろいろと探してみるが、見つからない。最近、そういうところは見てないからねえ。とりあえず、CD-ROMから立ち上げて様子を見てもらおうと電話をするが留守電だった。いろいろ調べていて遅くなってしまったので、また明日電話することにする。でもなあ、わざわざバージョンアップしてトラブる人が多いようにも見えるから、ひょっとするとこれもまたパソコンの楽しみ方の一つなのかもしれない。

日記を書いて上げ、寝室に入る。今夜も真っ暗である。手探りで自分の布団のところに行くと、柔らかいものに触れた。息子だ。今夜は私の布団で寝てるのか。これは腕か…そうすると、このへんに頭が…ん、呼吸音が聞こえないぞ…あ、これは脚か。逆さまに寝てるんだな。彼の寝てるところを避けて、布団の空きスペースに横たわる。

眠っていると、息子が「あし、かゆい」と言って私の顔に脚を押しつけてくる。触ってみると、足の内側が小さくプックリ膨れている。私も痒いな。蚊でもいるのか。足をコリコリ掻いてやる。休むとまた「あし、かゆい」と言って私の顔に脚を…というのを、夜明けまで何度か繰り返したのであった。

今日も引き続き通勤中に
市長、お電話ですを読む。今日は「豆電球」と「市長、お電話です」だったが、「豆電球」はあまり面白くなかったね。何でだろう? 「市長、お電話です」はなかなか良かった。このあたりはモロに趣味が出ているな。

今日の夕方、アクセスカウンタが1900になったようだ。少しペースが落ちたな。

今日はすごい雨であった。大雨洪水警報が出ているようだ。しかし、今夜も仕事で遅くなってしまったのである。職場を出たときは小降りになっていたので自転車を置いてある駅で降りたら、そのときには雨が降っていた。しばらくコンビニでマンガを立ち読みして、それでも降っていたらまた最寄りの駅まで電車に乗って、そこから歩いて帰ろうと思っていたのだが、コンビニを出たところで終電が出てしまっていることに気づいた。大馬鹿である。そこから歩いて帰るととんでもない時間になるので、傘を差して自転車で帰った。下半身はズブ濡れである。

家に帰って食事をし、若島津さんに電話をする。どうやら、CD-ROMから起動しても同様の症状になるらしいので、バージョンアップは難しいんじゃないだろうか。私の判断では、元の環境に戻すのが最善ではないかと伝える。それから、「対なる者のさだめ」に載る書き下ろしを読む。まだ途中なのだが、今までに比べるとかなり淡々とした話になっているな。どうまとめるのかお手並み拝見である。そして今、日記を書いているのである。もうすぐ4時か。

あ、三冊目のタイトルは「対なる者の誓い」になるそうです。



■6月30日(水)
昨夜(というより今朝)は、日記を上げて風呂に入ると外はもう明るくなっていた。それでも今朝は少し寝過ごしたが元気である。

昨日で
市長、お電話ですを読み終えたので、今日からしばらく通勤中にはノンフィクションを読むことにする。読んでない小説もあると思うのだが、ざっと探しても読みたいと思うものが見あたらない。もっと本棚の奧まで探せばあると思うのだが、今はそういう時間がないのだ。まず医者が末期がん患者になってわかったこと(岩田隆信:角川文庫)を読む。最悪の事態に直面した人間の心の動きが生々しく伝わってくる。悪性の脳腫瘍。しかも、自分はその専門家。否応なく事態を正確に認識できてしまう。しかし認めたくない。そういうものだ。自分や愛する人の生命に関わる事態に直面したとき、人間というのはそう簡単に気持ちを切り替えて対処できるものではない。

私だって余命何年などと宣告されたら、しばらくはそれを認めることはできないだろうな。私はまだ死ぬわけにはいかない。息子にはまだ何も教えていないのだ。具体的な知識とかそういうものではなく、ものの見方とか、知ることがエキサイティングなことがあるとかそういうことである。手取り足取り教えなくても、側にいるだけで伝わるものはあると思うのだ。

実は私が小学校低学年のとき、父が大量に吐血して死にかけたのだが、それから奇跡的に回復して退院するときに「長くて余命5年」と宣告されたらしいのですな(今でもしぶとく生きているのですが。開いてみると肝臓がカチンカチンだったらしいのだが、再生力が強い臓器だったのが幸いしたらしい)。そのときの気持ちというのは察するに余りある。妹はまだ生まれたてだったしね。父は母に、私と弟についてそれぞれ「これはそういう性格でこういうことに向いているだろうから、こういう道に進んだらいいんじゃないか」などと言ったらしいが、いま考えると別に親に何を言われたわけでもないが結局二人ともそういうふうに生きている。親というのは子供をよく見ているものではあると思うのである。私も、父が死にかけた歳どころか、それから5歳上の年齢さえも過ぎてしまった。信じられないことではあるよなあ。

あ、そうか。ひょっとすると世界は今日で終わりかもしれないぢゃないか(苦笑)。まあ、世界が滅びなくても余命百年以下というのは事実なんだがね。

今日は昼休みに「デパートB1物語」(吉田菊次郎:平凡社新書)を買った。まあ、分野によらずギョーカイの裏話というのは面白いものでございます。

狼谷辰之  新書館ウィングス文庫
なる
¥640+税  ISBN4-403-54008-2



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