1999年10月上旬の日記
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■10月1日(金)
今日からまた遠方の仕事先で作業なのである。ちゃんとした時間に起きたのだが、意識が混濁している。身体が重い。息子が手を繋いで階下に下りようというので一緒に下りたが、居間で動けなくなってしまった。起きたのは小用を足したかったというのもあった。私が用を足してトイレのドアを開けると、息子が待っていた。「オシッコか?」と問うと、うなずいてトイレに入ってくる。一人でズボンとパンツを下ろす。いつもなら「とーちゃん、してー」というのだが、私が疲れているのがわかるのだろうか。用を足した後、ズボンとパンツを上げるのも自分でやった。私が何もサポートしなくても、もう一人でオシッコができるんだね。私はしばらく居間の座椅子の上でグッタリしていたのだが、状況が好転しないのでまた寝ることにする。1時間ほど眠ると、少しはラクになった。カミさんと息子はちょうど保育所に出発するところであった。彼は玄関から階上に「いってきまーす」と声をかけて出ていったのであった。

今日も、遠方の仕事場への移動中に「
くだんのはは」を読んだ。まず「秋の女」である。ううむ、美しい日本語というのはこういう文章のことを言うんだろうな。私なんかじゃ、いくら修行してもこういう文章は書けそうにない。文章表現のテクニックどころか、それ以前の、物事の捉え方、事象の観察眼からしてレベルが違う。これはもう、人格の差である。こういう文章を読むと、日本人に生まれて良かった、と思いますね。この作品、SF的な要素も絶妙なブレンドで入ってたし、すばらしい作品だと思います。この文章力があるからこそ、「果しなき流れの果に」の最後の1行を読んだ瞬間に、滂沱の涙があふれてくるのであるな。

続いて「女狐」である…いや、これは凄い。小松先生が阿倍晴明を描くとこうなるのか。あの当時の権力闘争をアジア全体の文化の流れの中で捉え、それをまた現代の思想の体系と重ね合わせている。こういう広い視点からの風呂敷の広げ方は、小松先生ならではですな。オチも気が利いてるし。いや、いいものを読ませていただきました。これを30年以上前に書いているのか、凄いなあ。

明日は大阪で仕事をすることにして、今夜は帰ることにする。帰りの電車の中で「待つ女」を読んだ。うーむ、これは「普通の小説」ではないか。怪奇小説かと思わせておいて、実は世間で言うところの「まともな小説」だったという仕掛けなのですか。これは、SFというジャンルが世間から虐げられてきたことに対する意識があるのではないか…などと思うのは勘ぐりすぎなのでしょうな。



■10月2日(土)
昨夜、家に帰るとカミさんが長電話の最中だった。しばらく終わりそうにないのでシャワーを浴びて出てきても、まだ電話をしている。新聞を読みながら終わるのを待っていたら、いつしか眠ってしまっていた。気がつくと朝である。カミさんと息子が寝室から下りてきた。そうか、けっきょく飯を食わずに寝てしまったんだな。しかし、最近は家の布団の上でほとんど寝ていないような気がする。

そういえば一昨日、カミさんが
THE MATRIXを観たいと言っていたのだった。「土曜日、観に行かない?」と言われて仕事だから無理だと応えていたのだが、それを何とかするために今日は大阪で昼からの仕事にした、という面もあるのである。10時からの館があれば、何とか昼までには間に合うだろう。昨夜、家に帰る途中のコンビニで調べたら、道頓堀で10時からやっている映画館がある。カミさんは家に近い映画館で観るつもりだったらしいが、2時間以上あるようなので10時半過ぎからでは職場に昼までに間に合わないのである。

10時に道頓堀だと、カミさんが息子を保育所に送っていって、帰ってきたらすぐに出かけねばならない。今日も彼は「いってきまーしゅ」と言って出ていく。顔を洗って、昨夜通信できなかったので最低限のサイトを回ったところでカミさんが帰ってきた。けっきょく朝飯も食えなかったな。

ちょうど10時に映画館に飛び込んだのだが、最初の15分は宣伝だったのだった。あんなに急ぐこともなかったんだな。その間に、出張中に買い込んでいた栄養調整食品で腹を満たす。で、映画の感想であるが…う〜ん、たしかにCGは凄かったけど、どうも世界観に納得できないのだな、私には。特に、あの世界で人類が存在している理由を聞いてシラケてしまったのだ。それに、仮想現実はイカンですよ。何だって有りになっちゃうんだから正面から突破するのにも説得力が無いし、だいいち世界全体が相手の支配下にあるんだから本来勝負になるはずがない。やっぱり、制約のある世界でないと物語というのは成立しないっす。それに、最終的に勝ったとしても、その後で人類が生きていけるとは思えないんですけど。自由というのは、本来ものすごくキツイことなのです。

映画館を出て、金龍でチャーシューメンを食べる。大阪に20年近くいるが、ここのラーメンを食べるのは初めてなのである。なかなか旨い。チャーシューにもしっかり味がついているし、大阪で定番になっているだけのことはある。チャーシューが大量に入っていたので、普通のチャーシューメンのつもりで食べていたら最後にチャーシューが大量に余ってしまった。替え玉がほしいな。

会社に行く途中で「くだんのはは」の続きを読む。「戻橋」も「普通の小説」でしたね。小松先生がわざわざこういう小説を書かなくてもいいじゃないか、と思うのだが、何でも書いてしまう人だからなあ。

今夜は、いつもより少し早く家に帰り着いた。カミさんが寝室から下りてきたが、息子はまだ寝ていないらしい。寝室の様子を窺うと、彼は暗い中、独りで何か言いながら大人しく寝ているようだ。本当は眠るまで一緒にいてやらなきゃいけないんだけどね。

夕食を食べ終わり、カミさんは商業誌の原稿を、私は日記を書いている。夫婦二人、並んで無言でキーボードを叩いている姿、というのは、こういうことに興味のない人が見たら、うそ寒い光景に見えるのだろうなあ。



■10月3日(日)
昨夜も遅くなってしまった。何度か気を失いながらも日記を書き終えて上げると5時過ぎであった。何とか寝室まで上がって布団に潜り込む。

今日も息子が起こしに来る。午か…まだ寝足りないなあ。でも、カミさんも上がってきて喋ったりしているうち、徐々にこちらの世界に戻ってきた。カミさんはそのままお昼寝モードに入ってしまった。息子の世話は私が引き継ぐことになる。昼食は無いので、買ってこなければならないらしい。息子を連れて近くのスーパーにパンを買いに行く。

午前中にいろいろと間食を食べさせているらしいので、息子には欲しがったときに私の食べているものを食べさせただけである。食事を終えると、例によって絵本を持ってきて読めと言う。これもまた例によって数冊読むと眠くなってきた。今日は近くの小学校で運動会をやっているらしいので「運動会、見に行こか」と言うが、彼に却下された。何冊か絵本を読んで私が沈没してしまったあとも彼は一人で読んでいたようだが、しばらくして少し浮上したときに再度問いかけると、運動会を見に行くと言ったのだった。

小学校のフェンスの外から中を覗き込むと、校庭には何もない。隅の方に人が集まっているばかりである。デコレーションなども見えない。本当に運動会をしていたのかね。息子はどんどん歩いてゆく。近くの家の水槽の中に金魚が泳いでいるのを見て「きんぎょ!」と声を上げる。高いところにある水槽にも金魚がいるので、抱き上げて見せてやるとまた喜んだ。

息子はさらに歩いてゆく。この調子では隣駅まで行ってしまう。まあ、家で絵本を読んでいるよりは眠くないから私はいいんだけど。とうとう駅に着いてしまった。踏切を電車が通っていくのを見て「はやいー」とか言っている。そのまま改札の前まで来て、彼は自動券売機を指差して「とーちゃん、おかね、してー」と言ったのだった。切符を買ってほしいのか。プリペイドカードで最低料金の切符を買う。これで乗って、家の最寄り駅に降りるまでにあちこち回ろうか。切符を渡すと、自分で自動改札機に入れて構内に入っていく。電車を待つ間に「オシッコするか?」と息子に問うと、素直についてくる。ちゃんとオシッコをしたのだった。ただ、切符を預かろうとしても「シンちゃん(仮名)が、もっていく」と言って放そうとしない。そんなに切符が好きなのかね。

まずは生駒に向かう。途中で車庫に
アーバンライナーの車両が停まっているのを見て、息子は「あーばんらいな!」と大喜びである。生駒に来たのは、私が近鉄の奈良線と東大阪線の間が改札を通らなければ行き来できないというのを自分の目で確かめたかったのである。やはり自動改札で仕切られていた。これがなければ、姫路から名古屋まで改札を通らずにJR以外を使って行けるんだがなあ。残念である(何がだ?)。息子は、東大阪線のホームに停まっている地下鉄の車両(実はOTSの車両だったのだが)を見て「ちかてつでんしゃ」と叫ぶ。ちゃんと覚えてるんだな。

このまま帰るのも早いような気がしたので、さらに西大寺まで行くことにする。下車して難波行きのホームに行くと、ちょうど京都行きの特急が着くところだった。難波行きと京都行きは同じホームから出るのか。すぐそこで交差するわけなのね…ちょっと怖いな。到着した京都行きの特急は伊勢志摩ライナーの車両であった。息子は大興奮である。目の前を黄色い車両が停まり、通り過ぎてゆく。「窓、大きいな」とか言いながら見ていたら、息子はそれ以降何度も「いししまらいな、まど、おーきいねん」と言っていたのだった。

帰りに生駒駅で近鉄東大阪線の車両が見えたので「東大阪線の電車や」と教えると「ひがし、おおさかせんの、でんしゃ、みたな」と一発で覚えてしまった。彼はまだ「東」という言葉も「大阪」という言葉も知らないのだ。すごいものである。

家に帰ると、息子は食事前に座椅子の上で横になってグッタリしている。駅までの行き帰りを歩いたから疲れたのだろう。まあ、行程の半分以上は私の背中の上にいたんだけどね。食事もいらないと言う。両親が食べ出しても食べようとしないので「ヨーグルト食べるか?」と問うと頷いたので食べさせる。食べ始めたら勢いがついたようで、ご飯も食べだした。それでも普段よりも少ない量だったが。



■10月4日(月)
昨夜も例によって息子を寝かしていたら一緒に寝てしまっていた。今朝は6時に目が覚めた。慌てて通信するが、今朝もまだ
朝日のサイトの朝刊の記事は更新されていなかった。ラッキーである。

今日も、遠方の客先に行く途中で「くだんのはは」を読む。まず「無口な女」を読み終えた。日本の民話や伝承を現代にあてはめてみる。これも「古き良きSF」の一つの形でしょうね。まあ、男である私は「ええ話や」などと思いながら読んでいたんですが、小松先生の「理想の女性像」というのが前面に出すぎて、最近の女性には承伏しがたいところもあるかもしれませんな。

ただ、いま乗っている電車の中にも、出入口のところにベッタリと座っている男子高校生がいるのだが、こういうのを見ていると、日本の「伝統の継承」なんてものは怪しくなってるんじゃないかと思っちゃいますなあ。戦争に負けたんだから仕方がないか。

続いて「お糸」を読んだ。最初は、江戸時代の古き良き習俗と近代文明を組み合わせた「理想郷」を描いたものなのかと読めてしまったので「それは違うだろう」などと思いながら読んでいたのだが、最後は私なんぞの浅はかな考えをはるかに越えておりましたな。それまでに載っていた作品が日本の古い習俗を美しく描いたものばかりだったからそう勘違いしてしまったんですが。この作品は、ちゃんとしたSFになっております。まあ、これは小松先生の作品の底に流れる最も基本的なテーマの一つでありましょう。デビュー作も同じテーマだったしね。

やはり月曜日は体調が悪い。日曜日に休んだのだから体調が良くなっているのではないかと思われるだろうが、休日は心身とも活性度を下げているので週初めからエンジン全開というわけにはいかないのである。冬眠明けのカエルのようなものですな。もう、ひっくり返されてもそのまま…って感じですか。



■10月5日(火)
昨日はまた銀行に行った。
先週、キャッシュカード再発行の手続きをしたのだが、印鑑を押すところが漏れていたので再度来店するか書類に押印して送り返すかしてほしいという電話が我が家に入ったらしいのだ。決して、美人の窓口のお姉さんの顔を見に行ったわけではないのである。店内に入って案内の女性に理由を話すと、担当者の名前を問われる。「ラッキー!」と思った……ということは断じて無いのである。しかし、何故に私は担当者の名前を答えられたのだろうか。窓口の前には客はいなかったのだが、しばらく待たされる。窓口の向こうでバタバタしている。書類を探しているんだろうか。やっと名前を呼ばれて窓口の前に座る……おいおい、また住所氏名を書かせるのかよ。判子を押すところが漏れてただけでしょ、それもそっちのミスで…などと思うが、美人相手に文句は言えないのである。オトコは哀しい動物なのである。

カードの再発行がまた遅れるので、ついでに今日は通帳と印鑑で金を下ろすことにする。決して美人のお姉さんの窓口でより多くの手続きをしたかったからではない。しかし、今の時代でも通帳と印鑑で現金が下ろせるのね。もともとはそれがスタンダードだったんだから当たり前か。しかし、窓口のお姉さんが対応してくれるならカードを使わない、というオトコはいないのだろうか。私なんか、それでもいいかとも思うのだが。そうすると、銀行は大変な人件費アップになるな。美人を採用するのは逆効果、ということになる。まあ、そういう客が増えると窓口が混雑して手続きに時間がかかるようになるから、よっぽど暇な客以外はCD機を使うようになるんだろうけどね。

印鑑のチェックが物凄く厳重である。申込用紙に押された印鑑の像を折って通帳の像と重ね合わせ、何度も重ねたりめくったりを繰り返してチェックしている。昔はそれほどのチェックはしていなかったと思うんだがな。まあ、こういう金の下ろし方をする客が少ないからマニュアル通りのチェックになるのであろう。印章のチェックが終わって通帳を窓口の機械に入れるが、機械が受け付けない。何度も再試行して手元のテンキーを叩いているが、状況は同じである。おずおずと私が「支店が変わったせい違います?」と言うと、やっと原因に気づいたようであった。通帳の再発行になるようである。3度目の印鑑を出す。通帳はすぐ発行してくれるのだな。だったらカードもすぐに発行してくれればいいのに。1週間というのは、どう考えてもかかりすぎだと思うぞ。

でもまあ、確かに美人ではあるが、2回目ともなると、最初見たときほどの感動は無いな。美人は三日見れば飽きる、というのは本当なのでしょう。やっぱり、長く一緒にいるなら面白い相手でないとね。

キャッシュカード再発行手続きの最後にお土産をくれた。向こうのミスだから、ということであろう。職場に着いて開けてみるとティッシュのセットであった。シケてるな。まあ、支店をリストラするくらい経費を削減しようとしているんだから仕方ないか。



■10月6日(水)
一昨日は2時すぎ、昨日は1時まで仕事をした。しかも昨日は客先での作業で、居場所が無くてほとんど立ちっぱなしだったので疲れた。客先なので間食もできない。0時すぎに仕事場に戻ってきて、そこからまた仕事を始めるんだから、あの人たちには私はとてもついていけない。いつもは仕事場を出るとホテルに戻ってから日記を書き、コンビニに食料を買いに行くついでに途中の公衆電話で通信するのであるが、昨夜は何度か気を失いながら日記を書き終えた後、「ちょっとだけ」と思ってベッドの上に横になったのが最後、気がついたら6時であった。あちゃー、昨夜の夕食を買い損ねたぜ。近地の出張なので、ホテル代や食事代は領収書がある分だけ出るのである。一食分、会社から分捕り損ねた。夕食を食えなかったのより、それが悔しい。今朝は9時から客先で説明会があるので、8時半までに仕事場に行かねばならないのである。もう寝るのは無理だな。日記の体裁を整えて、朝食を買いに行く途中に上げる。今日の仕事は何時までになるのやら。

先月後半くらいから、道を歩いていると銀杏の実が路上で潰れていて臭い。やっぱり街路樹にメスの銀杏の木というのはマズイよな。でも、銀杏は精子で受精するという話を聞いたような気がするんだが、どうやってオスの木からメスの木に到達するんだったっけ。そういえば子供の頃、人間の精子もどうやって卵子のいるところに到達するのか不思議だったな。「尾で泳ぐ」というんだから空中を漂っていくわけじゃなし、もしそうだとしたら、誰の精子でも受精する可能性があるから夫婦の意味がない。一緒にお風呂に入ると泳いでいくのだろうか…などと思ったりしたのだが、自分の両親のことを考えると公衆浴場に行っていて男女別だからなあ。一緒に温泉旅館にでも行かないと子供ができないのだろうか。それに、そうだったらプールに入れないぞ。…などと悶々としていたのだが、けっきょく最も確実で簡単な方法に気がつかなかったのである。大自然というのは奇想天外な方法を思いつくものである。やはり、私は子供の頃から自由な発想に乏しかったのだ。この方式を「発明」したのは爬虫類か。これができないと水のない環境では繁殖できませんからね。個人的には卵殻の発明よりも「直接注入法」の発明の方が偉大なような気がするのであった。まあでも、昆虫なんかも独立して発明したみたいだから、やっぱりそれほど大したことではないのかもしれないな。



■10月7日(木)
今夜もまた朝の5時まで仕事をした。今週は、今日までの4日のうち3日も翌日まで仕事をしていた。こりゃ、マトモな人間のやることじゃないね。こんな暮らしをしてて日記のネタなんてあるはずがないよな。ホテルの部屋に帰ると、電気が点かない。スタンドの電気も同様である。フロントも寝ぼけていたのか、私にキーを渡すときに部屋の電気を使えるようにするのを忘れていたらしい。ホテルでは、部屋を勝手に使われないように、フロントから電源を制御できるようになっているのか。一つ勉強になった。モノを知らない私である。

今日は、間食に「PERFECT PLUS ナッツバー」(
明治製菓)を食べた。栄養調整食品としてはなかなか美味い。チョコバーだと思って食える。まあ、あれほどのコクはないんだけどね。

私は未確認だが、カミさんによると「対なる者のさだめ」がオリコンのチャートに入ったらしい。前作の「対なる者の証」が売れてなかったので、編集さんに不思議がられたそうな。「もうちょっと別の反応をしてくれてもいいのに」とカミさんはふくれていたのだった。



■10月8日(金)
昨日(というより今朝)は遅くまで仕事をしていたので、今日は昼から仕事場に行くのである。少し回り道をして本屋に寄る。「アルジャーノンに花束を」(ダニエル・キイス:ダニエル・キイス文庫)が
早川から文庫になって出ていたのだった。おおお、ついに文庫になったのか。何も考えずに手が動いて買ってしまう。しかし、このまえ英語にルビつきの本を買ったのは、いったい何だったんだ。まあいいさ、会社を辞めてからゆっくり読もう。老後は少しは暇だろうし……って、本当にそうかなあ。

先日、「美人は得」だと書いたが、男でもそうなんだな。今の職場にキムタクそっくりの美青年がいるのだが(私が「似てる」と思うくらいだから本当に似ている。ただ、キムタクほど不良っぽくはない。真面目な好青年である)、先日お客様のところに操作法の説明に行ったときに、彼が部屋に入っていった瞬間、客先の女性たちは一斉に部屋の外に出てキャーキャー騒いでいたらしい。みんな彼が開発しているサブシステムの担当になりたいと言っていたそうな。あれだったら多少のミスは向こうの女性が押さえてくれるだろうなぁ、などと他の男性陣はやっかみ半分で言っていたのだった。まあ、私は「男は顔じゃない」と思っているので、容姿でコンプレックスを感じたことはないのだが。ええ、いわゆる強がりというヤツですとも。



■10月9日(土)
今日も仕事である。ただ、みんな疲れ切っているので早く帰ろうという点では一致していたはずなのだが…けっきょく仕事を終えたのは普通の人の平日の定時退社時刻であった。やっと家に帰れる。明日は息子が通っている保育所の運動会なのである。

今日は大阪に帰る電車の中で
アルジャーノンに花束をを読み始める。やっぱり、ひらがなばかりの文章は読みにくい。それに、どうもこの文章は知能指数が低い人間が書いたものだとは思えないんだがなあ。まあ、本当にそういう文章にしたらストーリーを追えなくなってしまうのかもしれないが。途中で小腹が空いたので「PERFECT PLUS チョコバー」(明治製菓)を食べた。先日、「ナッツバー」のことを「チョコバーだと思って食える」と書いたが、チョコバーもあったんだ。これも美味い。

家に帰り着くと、浴室の電気が点いている。風呂に入っているのか。洗面所で手を洗っていると、カミさんが「顔を覗かせてやって」と言う。浴室の扉を開けて中を見ると、息子がカミさんと並んで浴槽から上半身を出している。「とーちゃん、おかえりなさいっ!」と言ってくれる。かなり的確に日本語を使えるようになってきたな。風呂から上がって身体にバスタオルを巻き付けてやる。いつもはこのまま抱き上げて2階まで連れて上がるのだが、今日は一人で階段を上がっていく。腕が使いにくい格好なのだが、何段かは腕を使わず脚だけで上ってゆく。私がいない間は母親と二人なので甘えることができないからなのかな。居間に上がると、彼はいろいろと喋りだす。「ひがし、おおさかせんの、でんしゃ、いっぱい」などと言ったりする。1週間前のことも覚えてるんだね。

カミさんによると、今夜から私の両親が泊まりに来るらしい。運動会は朝からなので、実家からでは間に合わないからね。カミさんが客室のベッドメーキングをしているところに、息子を寝かせるため寝室に連れていく。階段を上りかけたところで「おしっこ」と言う。トイレの電気を点けてやると、自分で扉を開けて入っていき、一人でズボンとパンツを下ろして用を足す。ズボンとパンツを上げるのも一人でやった。偉いぞ。ただ、うまく穿けてないので直してやらねばならなかったが。

私が客用の布団にシーツを掛けていると、息子がシーツや枕をカミさんから受け取って持ってきてくれる。自分の毛布を引きずって、その辺を走り回る。客用の布団の上で、ころん、と転がる。いつも使わない客用の布団を敷いてるときって、なんだかワクワクするんだよね。カミさんが寝室で息子を寝かしつけ、私が夕食を食べ始めたところで両親が到着した。もう少し早く来てれば息子と遊べたのにねえ。



■10月10日(日)
今日は息子の運動会である。なのに、昨夜は「対なる者の誓い」の原稿を読んでから日記を書いていたら朝の5時になってしまっていた。ギリギリまで寝かせていてもらったが、2時間くらいしか眠れてないのである。まったく何を考えているのやら。

妻子は先に保育所に行った。私は両親を連れて行かねばならないのでタクシーを呼んで行くのである。保育所に着くと、カミさんとお義母さん、そしてカミさんのお祖母さんの3人が2歳児の保護者席の最前列に陣取っていた。我々も隣に座らせていただく。けっきょく、我が一族が最前列を占領してしまったのだった。

運動会が始まる。へえ、けっこう身体の不自由な子がいるんだ。保母さんは大変だと思うけど、いろいろな子供がいたほうが子供の成長のためには良いと思いますからね。最初の息子の出番は全員での体操である。彼は、年長の子供たちの中に紛れ込んでしまってベソをかいていた。

我々が座っていた場所は朝一番は日陰になっていたのだが、しばらくするとモロに直射日光に晒されるようになってきた。暑い。ジャケットを頭から被っても暑い。そのうちに意識を失っていた。やはり睡眠不足はこたえる。

年寄りもいることであるし、プログラムがある程度進行して、息子の出番がすべて終わったところで会場を抜け出す。最寄りの駅まで歩くが、けっこう遠い。それでも息子は最後まで歩いたのであった。親と歩くと、この程度の距離でも途中でおんぶするよう要求するのだけどね。やはり祖父母がいると甘えにくいのであろうか。途中で彼は「おしっこ」と言ったのだが、祖母たちがパンツを脱がす暇も与えず漏らしてしまったらしいのだ。替えのパンツとズボンは、それぞれあと一着ずつである。これから食事をして遊園地とかに行く予定らしいのだが、果たしてこれで足りるのであろうか。

駅の近くの和食のチェーン店で、全員そろってお食事である。息子はみんなから少しずつ分けてもらって食べている。窓から高架の上を電車が通っていくのが見えるので、そのたびごとに「でんしゃ!」と叫ぶ。デザートになって、彼はまたいろいろ食べていたのだが、気づかないうちにみんな食べてしまっていて、一人ひとりの食器が空になっているのを確認して回っていたのだった。まったく、甘いものだったらいくらでも入るんだから。

食事を終えて駅から電車に乗り、生駒山上遊園地に行くのである。息子は、また切符を握って離さない。自分で自動改札機に切符を入れて入っていくので、大人が一人くっついて入らなければ乗れなくなってしまう。彼は改札から入ると、エスカレーターを見つけてそっちの方に駆けていき、そのまま飛び乗った。そして後ろを振り向いて、誰もついてきていないことを発見したのだった。「かーちゃ…」と言いかけて己が状況を確認すると、「ぴーっ」と悲鳴を上げた。ステップを下りようとするが、それもかなわず座り込む。「とーちゃーん」と泣き声を上げる。みんな、苦笑しながら彼の後を追ったのだった。

お義母さんとカミさんのお祖母さんとは生駒でお別れである。ケーブルカーの駅に移動するが、息子はケーブルカーが見えた瞬間に「てーぶるかー、のる」と大騒ぎである。まだ切符を買っているというのに改札から入ろうとする。そんなに好きなのかね。

息子は、遊園地の中を走っているロープウエーがお気に入りだそうである。遊園地に入るとすぐに指差して「ろーぷえー」と言う。4人乗りであったが、息子を私の膝の上に乗せて5人で乗ったのだった。まあ、まだ2歳だから…と言いながら、「3歳以上」と書いてある乗り物にも平気で乗せたりしているのである。あと1ヶ月ちょっとだしぃ。

息子は、いくつか乗り物に乗ると、もう帰りのケーブルカーに乗りたがる。まあ、帰りたくないと泣かれるよりはましなんだけどね。ケーブルカーは途中で一度乗り換えねばならないのだが、写真を撮っていたら乗り換え後の車に座れなくなってしまった。下の線は短いので、立っていくことにする。息子にはいちばん前に立たせて前方を見せてやる。しかしケーブルカーって、運転席の前面の窓が開いているのね。雨が降ったらどうするんだろう(まあ、閉まるんだろうけど)。それに、虫とか鳥が入ってきたりしないんだろうか。いちばん下の駅にはホームが2つあるのだが、片方には使用されていない青い車両が停まっていて、動いているのは赤い車両だけなのに息子は不満そうである。「あおい、てーぶるかー、うごきません、ねん」と、ずっと言っている。

帰りの電車に乗る。カミさんは保育所の最寄り駅で降りて、保育所に乗ってきた自転車を回収して帰る。私は息子を連れて、両親を西梅田まで送っていく。息子は昼寝をしていないし相当歩き回っているので、かなり眠そうである。何度もシートの上にコロンと横になる。しかし駅に着くとまた起き上がる、というのを繰り返すのである。中央線は「みどりの、ちかてつでんしゃ」と言っていたので、四つ橋線に乗り換えるときに「青の地下鉄電車やで」と教える。大阪の地下鉄は、路線ごとに違う色のラインが車体に入っているのだ。

ようやく、最寄り駅に帰ってきた。ここで降りてバスで家の近くまで帰るのである。改札を出ると、息子は切符の自動販売機の前で「とーちゃん、おかね、してー」と言う。おいおい、まだ乗る気かよ。「バスに乗るからな」と言い聞かせて階段を上る。バス停に行くが、誰も人がいない。「これは、しばらく待たなきゃいけないかな」と思ってしばらく待っていたのだが、時刻表をよく見ると我が家の方に行く便は朝の数本だけで、あとは全て別方向のバスなのだった。あらら、私たちはどうやって帰ればいいんだ。仕方がない、タクシーを使おう。苦渋の選択である。私もこの上、一人でも15分かかる道を息子を連れて歩く気力はない。そういえば、今日は一度もおんぶしろと言わなかったしオモラシもしなかったな。有り難いことである。紙オムツを使わなくなったので、かなり家計も楽になっているのではないだろうか。あれはけっこう金がかかるからね。バスに乗ると言っていたのに乗らなかったので、家に帰ってから息子に「ばす、のらへんかったん」と何度も言われた。悪かったな。

家に着くとカミさんが手を洗っているところだった。本屋を回って、いま帰り着いたところらしい。はあ、そうですか。カミさんは疲れているし、私も早く眠りたいので今日は外食になる。近くの
デニーズに行く。しかしここ、いつもセンスのいいブラックミュージックがBGMで流れてるけど、どの店でもこうなんだろうか。疲れているのに思わず身体が動いてしまったりする。疲れているから抑制が緩んでいるのかな。

家に帰り、私も息子もちょー眠いので、今夜は私が息子と一緒にシャワーを浴びて寝ることにする。まだ20時なのだが、二人ともすぐに眠ってしまったらしい。

狼谷辰之  新書館ウィングス文庫
なるさだめ
¥600+税  ISBN4-403-54013-9



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