1999年9月下旬の日記
■9月21日(火)
インド人の方と打合せをする機会があるのである。いちおう、カタコトの日本語は喋れるのだが、最初の打合せには日本人の方とペアで来られた。難しい話になると、2人で話し出す。日本語と英語のチャンポンで話しているのだが、その使い分けが面白かったりする。英語で滔々と喋っていたことに途中で自信が無くなったりすると、最後に「……かな?」と付け加えたりする。このあたりは、日本語が曖昧で、結論が語尾にくるという特性を見事に利用していると言えるだろう。
◇ ◇ ◇
翌日は客先にシステムの説明をしに行かねばならないのに細かい不具合が無くならないので、昨夜は半徹夜状態になってしまった。せめて簡単に落ちることはないようにしないとなあ。ホテルに着いたときにはもう4時である。それから食料を買ってシャワーを浴びて食事をして寝たのだが、今朝起きてみると胃の内容物が消化されていない。ヨーグルトしか飲めなかった。
今日になっても、客先に行く直前に大きな問題点が発覚してギリギリまで出れなかった。客先では昼休みにパソコンの設定をしなければならないので、けっきょく昼飯抜きである。健康に悪いことではある。でも、空腹よりも眠気が強い。早く寝たいなあ……とか言いながら今日も22時すぎまで仕事をしていたのである。
■9月22日(水)
明日は休みなので、今日は家に帰る予定だったのだが、客先でテストをしているとプログラムの不具合がボロボロ出てきたので、明後日の説明会までに直さなければならなくなってしまった。最終の急行に乗るまでには直るかなと思っていたのだが、根本的におかしい部分があったようで、なかなか直らない。明日出勤するのはイヤなので、なんとか今日中に直してもらおうとするが、おかしな点が次々に出てくる。今日はあきらめて明日休日出勤するかという話も出たのだが、明日は家に帰って家族サービスしたいので徹夜してでも今日中にカタをつける方向に持ってゆく。根本的におかしい部分は舌先三寸でゴマカすことにしても、けっきょく朝の5時までかかってしまった。もう東の空は明るくなりはじめている。やっぱり、こういう複雑なプログラムは、もう少しスケジュールに余裕を持って作って、体系的にテストしないとねえ。
そういえば家では息子がまた熱を出しているらしい。カミさんが商業誌の原稿をしなければいけないというのに、まったく役立たずの亭主である。息子は今日までカミさんの実家にお世話になっているのだが、昨日はまた交通科学博物館に連れていってもらったらしい。昨夜カミさんの実家に電話をすると、横でお義母さんが「大和路快速、乗ったやろ」というのに応じて「やまとじかいそく、のったん」と言う。難しそうな単語なのに一発で覚えてしまうねえ。まあ、好きなことだからなんだろうけど。
始発の電車が出る時間になってしまっているのだが、宿泊しないとなると出張の精算が面倒臭いので短時間でもホテルに泊まることにする。泊まれば夕食代と朝食代も出るしね。カミさんも朝早く帰ってこられても困るようだったしなあ。コンビニでマンガ雑誌を立ち読みして(休日前なので読むべき本が多い)食料を買い込み店を出ると、もうすでに完全に朝であった。あーあ、今から寝るのか。コンビニで夕食(?)用におでんを買ったのだが、入れたてだったのか(夜中の2時頃に行くとほとんど残っていないが、この時刻はギッシリ詰まっていた)どれもこれも味がしみてないしスジ肉が臭い。ホテルで一口食った瞬間「うげげ!」と思ったのだった。こんなのを売るなよぉ。
■9月23日(祝)
ホテルのチェックアウトが10時なので、けっきょく今朝は2時間しか眠れなかった。重い荷物を持って駅に歩く。大阪に帰る電車の中で「E.G.コンバット 3rd」(秋山瑞人:電撃文庫)を読み始めた。う〜む、やっぱ凄いわ、この人。なんだか、夢枕獏氏の文体を最初に読んだときに近い感覚がありますね。どう言うんだろう、文章の押しの強さというか「ああっ、文章が私の中に押し入ってくるぅ」という感じかな。
休日の午前中だから大阪に行く人が多いようで、電車が途中からは満員になった。そういう状況でも平気で鞄の上にFIVAを乗せて日記を書くのである。やっぱ打ちやすいわ、このキーボード。
今日家に帰って、明日の朝一番でまた遠方に戻らねばならないのはキツイが、カミさんは商業誌の原稿の最中なので、少しは手伝わねばなるまい。まあ、同人誌の「As Time Goes By」を書いたときのように何日間も不眠不休で作品にのめり込んで書く、といのは子供ができるともう無理である。それはもう、これが「大人になる」ということんだろうけどね。
家に帰ると、妻子はいなかった。上階に上がって着替えていると帰ってきたようである。買い物にでも行っていたのだろうか。洗面所のところで、またモメている。どうやら、カミさんがシャワーを浴びようと言っているのを息子が拒否しているらしい。カミさんがああいう性格だし、これで息子の反抗が本格的になったらどうなってしまうんだろう。ちょっとビクビクなのである。
私の両親から電話が入ったらしい。いま大阪に来ているので出てこないか、とのことである。私の仕事が忙しくてしばらくこちらから行ってないからねえ。カミさんは体調が悪いらしく「断ってもいいかしら。こっちに来てくれるなら一緒にお食事くらいしてもいいけど」とか言っている。何だったら、私が息子を連れていってもいいんだが、彼も昨日熱を出したらしいからねえ。
しばらく親子3人で昼寝をしていたらウチの両親から電話が入った。こっちに来るらしい。カミさんは体調が悪いのに亭主の両親が家に来るというので怒り狂っている。私が忙しくて孫の顔を見せに行けないので向こうから来ているのに、ウチの両親が来るのが悪いように言われると、私の立場がないのである。
私が自転車で駅まで迎えに行く。両親はすでに着いていた。タクシーに押し込んで家まで移動する。妻子の体調が悪いことは耳に入れておく。ついでに、カミさんが自分の職業をカミングアウトするらしいので、それもさりげなく予告しておく。家に着いてカミさんが息子を起こしてくるが、昼寝の途中だったので機嫌が悪い。なかなかに辛い状況なのである。まあ、時間が経てば彼の機嫌もだんだん直ってきたんだけどね。
カミさんが両親のところに「対なる者の証」を持っていく。カミングアウトである。まあ、私の母親は文学少女だったようだからこういう仕事(ヤオイではない)に理解はあると思うのだ。じっさい、喜んでいたみたいだし。カミさんは「そういうことなので、お盆やゴールデンウイークは仕事で東京に行くと思いますけど…」とか言っている。まあ、それがカミングアウトの目的なのだろうけどね。「仕事じゃないだろう!」とツッコみたかったのだが、そんなことをすると生命が危険にさらされるので、必死で我慢していたのである。
しばらくすると、カミさんは体調が悪いというので寝室に引っ込んでしまった。ほどなく両親は帰ることになる。すみませんねえ。息子は「さんよーでんしゃ、のる」とか言っている。もう、私と外出するつもりになっているようである。キミ、昨日は熱があったんではなかったのかね。寝室のカミさんに預けて見送りに出るつもりだったのだけどねえ。
両親が家を出るときにもカミさんは出てこない。タクシーを呼ぶのも面倒臭いので歩いて駅まで行くことにする。その方がウチの両親も孫と長く過ごせるだろうし。息子は歩きながら祖父と父親に両手を持って引き上げてもらって喜んでいる。しかし、ウチの両親は途中の商店街で靴屋に入ってしまった。息子と孫をそっちのけで靴を選んでいる。息子は退屈している。こいつは昨日熱を出していたんだがなあ。困った人たちである。
かなり時間がかかったが駅までたどり着いた。両親の切符を買う。息子が自動販売機のボタンを押したそうにしていたので2枚目を買うとき彼に押させた。それが全てのはじまりだったのである。息子は出てきた切符を握りしめて放さない。ウチの両親がお金やお菓子を見せて「これと交換しよ」と言うが、彼は「おかね、いらん」と言って譲らない。その切符よりも千円札の方が値打ちが高いんだが……というのは我々の価値観だよな。仕方がないので入場券を買ってきて、これと交換しようと言うが、それも即断で却下される。近鉄は入場券は手書きで入場時刻を記入するようになっていて、自動改札を通れないのである。そういうことがわかるのかねえ。まあ、彼にはこれが切符に見えていないだけなんだろうけど。どうしようもないので、私の親父が入場券で構内に入り、私が息子に切符を自動改札に入れさせて一緒に入る。息子はそれがやりたかったのだな、とも思ったのだが、駅のベンチに座っても相変わらず切符を放そうとしない。万策尽きて、私の父親は改札に最少額の切符を買いに行った。親父が帰ってきたときにちょうど電車が到着した。息子の手を引いて両親と一緒に電車に飛び乗る。座席に座って、親父が買ってきた150円の切符と交換するように言うと、息子はあっさり応じた。額面の違いは問題ではないらしい。勢いで、両親がJRに乗り換えるまで見送ることにする。息子は電車に乗れてゴキゲンである。ウチの両親も、これで満足したようだ。まあ、家の最寄り駅で別れていたらかなり減点されたような気がするからねえ。乗換駅に着いて改札まで上がり両親を見送る。持ち上げていた息子を下ろして帰ろうとすると、彼は構内を仕切っている柵の方に駆けていって叫んだ。「やまとじかいそくや!」そうか、あれは快速じゃないんだけど、あの車両にキミは一昨日乗ったんだね。
帰りは大阪から郊外へ帰る電車になるので席があまり空いていない。息子を膝の上に乗せて座る。彼はおとなしくしている。家の最寄り駅に着いた。息子を連れて、駅に置いてある自転車を回収して帰らなければならないのだが、この自転車は息子を乗せる装備がついていないのである。さて、どうやって帰ろうか。最初は息子を後ろの荷台に乗せて自転車を押して帰ろうかと思っていたのだが、乗せてみると意外と安定している。これだったら、ゆっくり運転すれば大丈夫だろうと判断した。サドルにまたがり、ゆっくりゆっくり漕ぎ始める。息子に私の服を握らせる。片手で彼の身体を支えながら運転する。自動車とすれ違うときは停止。なんたって、まだ2歳だからね。落ちたりしたらおしまいだ。彼は後ろで、何度も「また、でんしゃ、のろな」と繰り返す。いろいろ電車が見れたからねえ。
今夜もカミさんが息子を寝かせてくれるということだったのだが、彼を寝室に連れていく前にトイレでオシッコをさせていたら突然「おつきさんや!」と叫んだ。窓から月が見えていたのである。彼は抱き上げてよく見せろと要求する。それだったら、とっておきの場所があるぞ。彼を3階まで連れて上がり、南側の部屋に入る。月光が畳の上に窓の形の輝きを作っている。そこに座り、息子を膝の上に乗せる。彼は私の膝の上に座ったり窓にとりついたりして飽きずに月を見ている。なぜか飽きないんだよね、こういうのは。最初は薄雲に覆われてリングをまとっていたのだが、そのうちに雲がなくなって怪しいほどに輝きを増してきた。「お月さんやな」「綺麗やな」と声をかけながら見ている。しばらくして上がってきたカミさんが「ずっと見てたの?」と呆れている。いいぢゃないか、男同士で時間を気にせずにこういうことをするというのも。こいつと宇宙の神秘について語り合えるようになるのはいつ頃になるのかな。まあ、親子二人で時の経つのを忘れて月を見つめているというのも、本質的にはそれと変わらないような気もするけれど。
■9月24日(金)
今朝、台風により警報が出ているので保育所が休みになるという連絡があった。ウチはカミさんが在宅勤務だからまだいいけど、夫婦とも今の私のように仕事を休めないという状況だったら大変だよな。実際、片方が無理にでも休まなきゃいけないんだろうけど。
今日も遠方の客先で仕事である。満員電車の中で立っているのが辛い。吊革につかまって、やっと身体を支えている。朝礼で倒れる小学生の気分だな。長距離移動の電車で座ってからも、最初は「E.G.コンバット 3rd」を読んでいたが、すぐに寝てしまった。
客先の工場は山の上にあるのだが、台風が来ているので落ち着かない。窓際にいると、強風が轟々と音を立てている。外を見ると、木も何本か倒れていた。説明会では、いろいろと文句はつけられたが「明日、ゆっくりと見ておく」と言われたので、今日は何とか帰れそうなのである。
帰りの電車の中で「E.G.コンバット 3rd」を読み終えた。今回は少しヌルいかな、とか思っていたのだが、やはり最後は盛り上げてくれましたね。やっぱ巧い…というのは少し違うような気がする…凄いわ。
■9月25日(土)
昨夜は、通信していたらそのまま眠ってしまっていた。気がつけば、座椅子の上で朝を迎えていたのだった。
久しぶりに土曜日を休めるのである。土日を続けて休めるなんて、何カ月ぶりであろうか。まあ、これも後に控えている地獄の前のひとときの休息なのである。今朝は、私が息子を保育所に送ってゆくことにする。彼も最初は自転車に乗って良い気分のようだったが、保育所への最後の角を曲がる前から「とーちゃん、おしごとおわったら、かえってくる」と言ってベソをかきだした。それでも保育所に着くと、泣きながらもタオルやパジャマをバッグから出して渡すと所定の場所に持っていくのである。偉いねえ。でも、けっきょくは泣きながら保母さんに抱かれて別れたのだった。
家に帰るとカミさんは「薬を飲んで寝る」と言って寝室に上がっていく。結局、私が息子を迎えに行くまでずっと寝ていた。
カミさんが寝ている間に自分の用事を済まし、FIVAをデスクトップにLANで繋いでデータをコピーしようと思ったのだが、うまく繋がらない。いろいろやってみたが、ダメである。Librettoは繋がったのにな。何が違うのだろう。やはり、FIVAのOSが98だというのがいけないのだろうか。かなり時間を無駄にした末にあきらめた。やはり、パソコンというのはトラブると貴重な時間を無駄にしてしまうのである。そして、夜になって電話線に繋いでインターネットしようとしたときにも繋がらなくなってしまった。ネットワークの設定をいろいろいじっているうちに、ダイアルアップの設定まで変わってしまっていたらしい。まったく…
今日は私が息子を風呂に入れることになる。久しぶりだな。彼は、独力で浴槽への出入りができるようになっている。カミさんから聞いていたが、やっぱり感心するねえ。ちょっと前までは、お湯の中でただ浮かんでいるだけだったのにねえ。
■9月26日(日)
昨夜は23日の日記を書いていたら朝の5時になってしまった。まあ、久しぶりに家族とのことがいっぱいあったからねえ。けっきょく、23日までの分しか書けずに寝室に上がる。
寝ていると、息子が起こしに来た。今日は私の眼鏡を探し当て、「どーぞー」と渡してくれる。それでも横になっていると、「とーちゃん、おきてー」と言いながら私の身体を起こそうとする。私の手を持って引っ張る。はいはい、起きますよ。もう昼なのか。
私が起きていくと、カミさんは食卓の上でPowerBookを広げている。昼間からインターネットしたらしい。息子はPowerBookの横に置いてあった電卓を使ってよいかカミさんに許可を求める。彼も「いんたーねっと」したいらしい。別に許しなんか求めなくてもいいんだけどねえ。彼は、その電卓を耳に当てると次のような言葉を発した。「もしもし…ああ、アニキ」 次の瞬間、カミさんは爆笑し、私は床の上にズッ転けた。そう、「頭文字D」のビデオの中での高橋啓介の科白である。ううううう…キミがそういう言葉を発するまでには、どれだけの洗脳プロセスがあったのであろうか。不憫な。門前の小僧、習わぬ経…じゃなくてアニメを真似る。別に四書五経を諳んじさせろとは言わんが、もうちょっとまともなモノはないのかね。こいつが大きくなって、他人迷惑な騒音をまき散らす車に乗るようになったらどうするんだ、ブツブツ…
息子はカミさんのPowerBookを指して「すぺーしあ、みるぅ」と言っている。以前、雑誌の付録にスペーシアの運転シミュレーションソフトのデモが入っていたので、それをハードディスクにコピーして、その中に含まれていたムービーを再生して見せたのを覚えているらしい。また再生してやると大喜びである。
今日はカミさんと、ガレージに入れる本棚を組み立てる。私が独身時代に買っていた本棚を入れていたのだが、それでは手狭になったらしい。やはり、オタクには充分な空間が必要なのである。
本棚の組み立てを横で見ていた息子は、ガレージの中に置いてあった子供用の自転車に乗りたそうである。これは、1年以上も前に私の両親が彼へのプレゼントに買ったのだが、彼には早すぎたのでしばらく雨ざらしになっていたのである。まったく、発達の度合いというものを考えてほしいもんだな。まあ、お得意様の自転車屋さんが持ってきたので断りきれなくなったらしいのだが、人が良いにもほどがある。息子は最近やっと自転車に乗れるようになってきたというので、近所で乗せてみることにする。見ていると、ペダルを踏めば進むことは覚えたようだが、まだ連続して踏んで進むことができない。右のペダルがいちばん上に来たところで、ペダルが足から外れてしまう。サドルが低すぎるのかもしれない。両親が実家で買ったので、調整が必要なときには店に持っていけないというのが辛いところだな。サドルの高さを調整するにはスパナが必要なようである。買わなきゃいかんか。まあ、片足が伸びきって反対側の脚が縮んだ状態から踏み込むだけの脚力が無いというだけのことかもしれず。
本棚の組み立てが終われば、家族3人でお昼寝である。気がつくと夕方になっていた。今夜も私が息子を風呂に入れる。カミさんがセリエを出していた。カミさんがワープロを出したのを見るのは久しぶりのような気がするな。
■9月27日(月)
昨夜は息子を寝かせてそのまま一緒に眠ってしまったのだが、気がつくと7時になっていた。あややや、昨日の朝日のサイトの朝刊の記事を読んでいないぞ。また1日分、抜けちゃったなあ、とか思いながらアクセスしてみると、なんと昨日の記事が残っていたのである。目出度い。更新が遅れてくれて助かった。
今日は遠方への移動中に、カミさんからの課題図書ということで「月の影 影の海[上] 十二国記」(小野不由美:講談社X文庫)を読んだ。けっこうあちこちで話題に出る作品でもあるしね。うーん、読みやすいし読んでいても不快になったり退屈したりはしなかったんだけど、ファンタジーというのはやっぱり自分から進んで読む気はしないなあ。前にも書きましたけど、「現実からの距離感」というヤツなんですかね。現実からあまりに離れすぎていると、どうも読んでいて面白くないのです。SFが好きだと言ってるヤツが言うことじゃないのかもしれないけど。まあ、この作品もファンタジーといいながら現実との接点もありますから、異世界からこっちを見る、という面もあって、それがけっこう心に痛かったりするんですが(笑)。
■9月28日(火)
長期間出張をしていると金がかかるのである。宿泊費が必要だし、3食とも自分の財布から負担しなければならない。昨日、手持ちの金が尽きたので銀行に下ろしに行った。しかし、現金引出機に「支店が変わっているので使えない」と拒否されてしまった。そういえば、ウチの会社が取り引きしていた支店がリストラされたので別の支店に吸収されるとか言ってたなあ。たしか、新しい支店のカードに換えたと思っていたのだが、支店コードを見てみると前のままである。ひょっとして、新しいカードを廃棄してしまったんだろうか。そのあたりの記憶がまったく無い。金が欲しければ、紛失届を出して再発行の手続きをするように言われてしまった。カード発行の手数料が1000円+消費税必要だそうである。うがあ、カードを交換しなければならなかったのはこっちのせいじゃないのに、その手続きを間違ったときのコストはこっちに負担させるのかあ。支店コードさえ変わらなければこういう手間をかけなくても済んだのにぃ、などと怒ってしまったのであった。ところがその怒りも、窓口のお姉さんが私好みの和風のキリッとした美人だったので、たちまちしぼんでしまったのである。あれが、もし隣の窓口のオジサンに当たったりしていたら、銀行に対して悪口雑言を書きまくっていたような気がするな。いやあ、美人は得です…というより、オトコという生き物は哀しいです。ま、正直な話、あれだけの美人と10分近くお話しできて、1m以下の距離で眺めることができて、手続きが終わったときにニッコリと微笑んでくれるのならば、千円は安い。もういちどカードを紛失したいくらいである。でも、こういう考えって、援交と同じなんじゃないだろうか。それを考えると、やはり千円は安い(そういう問題じゃないって)。しかも、一流といわれる企業の店舗内で誰にはばかることなく美しい女性を鑑賞できるのである。しかし、あの銀行もあんな美人に千円ぽっちの客の相手をさせて、企業としてペイするのであろうか(だから、そういう商売じゃないって)。でも何と言われても、綺麗な女性が働いている(もしくは一生懸命何かをしている)姿を視るのは好きなのである。
■9月29日(水)
今日の夕方になって、明日は伝票作成のために大阪の本社に出ることが決まった。期末なので金の関係する伝票は今月中に出さなければならないのである。出張の伝票は1ヶ月近く溜めてるからなあ。先週までの分を書いて集計してみたら10万円以上になっていた。これだけ自分で払ってるんだから、金が無くなるはずだね。
ホテルは今夜まで予約していて荷物も部屋に置いている。電話をかけてキャンセルする旨を伝える。荷物は夜、帰る途中で取りに行くので預かっておいてほしいと言ったら、責任者が出てきてホテル側で荷物を移動させることはできないと言う。夜まで荷物を置いておくならキャンセル料として室料の半額を取るというのである。今までホテルで荷物を移動させてトラブルになったことがあったので、そういうことになるのだそうである。まあ、移動させた荷物から何かが無くなったといって因縁をつける客もいるかもしれないからねえ。今から行けばどうか、と問うと、今回だけは一泊分を全額返金するとのことである。慌てて仕事場を抜け出して荷物を取りに行く。キャンセル料は会社は出してくれないだろうからね。
帰りの電車の中で「くだんのはは」(小松左京:ハルキ文庫)を読み始めた。まず「ハイネックの女」である。まあ、ふつーのSFですな。読ませる力は凄いけど、ネタとしてはそれほどのものでもないっすね。まあ、中国の古典の蘊蓄とかが出てくるあたりは流石ですけど。
読みながら小腹が空いたので「EAT SYSTEMストロベリー味」(サントリー)を食べた。これはなかなか美味い。お菓子のような味である。栄養調整食品には脂肪分が少ないのをウリにしているものが多い中で、パッケージに「表面の脂肪分が白く固まることがありますが…」と書いているところが潔くてよろしい。ただ、味が単調なのですぐに飽きそうだな。
次に表題作の「くだんのはは」を読む。うーむ、これって「恐怖小説」なんですか。普通の人は、こういうのが怖いのか…うーむ。などと、自分の感性が他人とは違うことを思い知らされながら次の「流れる女」に入ってゆくのである。まず、最初の10ページが街の描写に費やされているのに驚く。そして、次々に現れては流れてゆく、この流麗な表現の数々。最初に、さほど必然性があるとも思えない街の描写を引っ張っているのも、まるで自分自身への挑戦のように見えてしまったのであった。
■9月30日(木)
今朝も、カミさんが寝た後、日記を上げてネットサーフィンをしている途中で意識を失っていた。気がつくと朝である。もう、明け方は寒いくらいだね。風邪を引いてなければよいが。
今日は大阪の本社で伝票書きなのである。今日くらいは早めに帰ろう…と思っていたのだが、けっきょくチケット屋に行けるギリギリの時間になってしまった。シャッターを下ろしかけているチケット屋に飛び込み、図書券とテレホンカードを買う。これで心おきなく本が買えるぞ(とか言いながら、遠方で仕事をしていると本屋に行く機会も無くなってしまうのだが)。さっそくジュンク堂に行く。約1時間歩き回って、やっと日頃の欲求不満が薄らいだ。まず「妖精作戦」(笹本祐一:ソノラマ文庫)を買う。「彗星狩り」に感動したので「もう、どこまででもついていきます」(笑)という感じなのである。このあたりは、帰る途中に家の近くの本屋で買った「鉄コミュニケイション(1)」(秋山瑞人:電撃文庫)も同じだな。そして、「たったひとつの冴えたやりかた」(ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア:早川書房)も買った。この作品もあちこちで話題になるからね。まあ、私の好みは変わっているようなので、だからといって私にとって面白いとは限らないのだが。で、家に帰って今日の戦果をカミさんに見せていたら「だんなさん最近、こういうの(ライトノベル)多いわね」と言われてしまった。そして「たったひとつの冴えたやりかた」を見て「あ、ティプトリーは持ってるかも」と言われてしまった。ううっ、我が妻、恐るべし。でも、読みたいとなると、なかなか出てこないんだろうな。
帰りに「くだんのはは」の続きを読む。「流れる女」のオチは、あまり大したことはなかったか。「蚊帳の外」は、江戸時代の、いわゆる買春がテーマの作品ですが…こういうの、どうやって取材したんだろう。しかし、これだけ同じテーマの作品が続くと、いくら小松先生の作品とはいえ、ちょっと食傷しますな。ひょっとすると、従来の作品集のように、テーマがヴァラエティに富んでいる方が読んでいて楽しいのかもしれない。
家に帰ってみると、東海村のウラン加工施設で事故があったという。ニュースを見ると、そうとう酷い状況のようですな。我が家の近所でそういう事故が起きたら、私だったら即座に妻子を私の実家に疎開させますな。放射能というのは、それほど恐ろしいものなのである。これでまた原発の反対運動が盛んになるのでしょうね。でも、みんな夏場に思う存分冷房できないとか、電気をふんだんに使えなくなる覚悟はあるのかなあ。ウチの会社の近くに電力会社の本社があって、よく前でデモとかしてるんですが、その人たちが帰りに「暑い暑い」とか言って冷たいものを飲みながら涼んでいたりするのを見ると、ふとそういうことも考えてしまうのである。私も、どちらかというと原発には賛成ではないんですけどね。特に「絶対安全」などと言っているヤツは、技術者として絶対に信用できないのである。
狼谷辰之 | 新書館*ウィングス文庫 |
対なる者のさだめ |
¥600+税 | ISBN4-403-54013-9 |
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