2000年 8月上旬の日記
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8月1日(火)
今朝もカミさんに起こされる。今日も弁当を作ってくれているのである。今朝も息子は調子が悪そうである。食欲もなさそうだが、キムチで飯なら食えるのである。「朝っぱらからニンニク臭い保育園児か…」とつぶやくと、「納豆臭いよりマシよ!」とカミさんに反撃されてしまった。息子は「これ、にっぽんのきむち?」などと言いながら食べている。買ってきたときに私が「これ、日本のキムチやからな」と言っていたのを覚えているのだ。ちょっと前までは「本場モノ」ということで韓国産のキムチを買っていたのだが、最近買ったものがみんなピリピリと辛くてすぐに酸っぱくなるので降参したのだ。やはり日本人は旨味が欲しいのである。

我が家のトイレの窓枠のところにめ大が積んである。我が家の大猫のしわざである。先日、私が曽田正人特集のナマズの巣をもらってきたせいだろうな。この小冊子はすでに彼女のものになっているのである。

今日、家に帰ると木根さんから電話がかかってきた。代わったカミさんが「どうしたの? 鼻声だけど」と言っている。その理由は次のカミさんの言葉を聞いて得心がいった。「あ、猫球読んだの!」 ああ、そういうことなのね。カミさんも相手ができて語る語る。「いーでしょー!!」とか言っている。後で話を聞くと、木根さんはカミさんよりも感動度が大きかったようである。泣けるからねえ、あれは。



8月2日(水)
今朝もカミさんに起こされる。息子はいつもよりは元気である。昨夜見たものを報告してくれる。
ぴーえるのはなび、みたん」
「どうやった?」
「ここから、ちょっと、みえたん」
家のベランダから見たそうなので、それほど大きく見えなかったんだろうな。

今朝もカミさんは弁当を作ってくれていたのだが、私が家を出ようとすると弁当の箱を開けたまま3階に上がって布団を干し、下りてくるかなと思ったらそのまま掃除を始めた。「えー、見送りもしないのかよー。仮にも世帯主なんだぞー。頼りなくとも少なくとも食住の費用は私が出しておるのだぞー」などと怒りながら家を出て、自転車を出しているところで気がついた。「あー、弁当忘れたー!」今日は講習会なので遅刻するわけにいかない。そのまま出発する。自転車で走っているとPHSがブルった。カミさんからだろう。後でメールを見てみると、今日の晩ご飯はその弁当だそうである。うえーん。

今日は昼休みに最終兵器彼女 / 2」高橋しん:ビッグコミックス)を買った。連載で追ってないのでコミックスで買うのである。

昼休みが終わって講習会の教室になっている会議室に入ると、誰もマイクで話していないのにスピーカーから声が聞こえていた。どうやら、隣のビルの大企業で何か説明会をしているようである。止め方がわからないので聞いていると、どうも、リストラされる人たちに対する説明会みたいなんですな。これは辛いなあ。退職の書類の書き方とかを説明するらしい。退職の書類だけでも大量になるらしいのだが、「転籍」になるのでさらに多くの書類を書かねばならないそうだ。きっと会社の都合なのに、そういう面倒臭いことをさせられるなんて、踏んだり蹴ったりだよなあ。「できるだけ社員と同じ扱いにいたしますが…」などと言っているが、そんなわけないじゃないか。そういう扱いをするなら退職なんてさせないだろう。

今夜は早めに家に帰った。家に入ろうとしていると息子が中から「かぶとむし、ごはん、たべてる」と言っている。そういえば、ウチの実家からカブトムシを送るとか言ってたな。久しぶりに起きている間に父親が帰ってきたせいか、息子は異様に元気である。何かあると「やたやたやたやた、やったやった!」などと言いながら跳ね回る。「欣喜雀躍だな」とつぶやいたらカミさんに「欣喜タヌキ躍でしょ」と訂正されてしまった。今夜は私が息子を寝かせるのである。



8月3日(木)
今朝、目が覚めたのは6時半であった。慌てて飛び起きる。必死で日記を書いていたら、7時前に妻子が階段を下りてきた。いつもは眠い眠いと言って起きないくせに何でこんな時に限って早く起きてくるかね…とかボヤいていたらカミさんが「『電車』という言葉を聞いた瞬間、飛び起きたわよ」と言った。そうか、今日はお祖母さんの法事だったか。彼は「とっきゅーでんしゃ」に乗れるのである。

今日は昼休みに「週刊モーニングを買った。『ΠΛΑΝΗΤΕΣ(プラネテス)』(幸村誠)が載っているので買うのである。少しでも早く読みたくて買ったのだが…うーん、私には問題が解決した理由がよくわかりませんでした。カミさんは「今回も良かったわね」と言っていたようだから、理解力の問題なんだろう。今回はネット上でも好意的な評が多かったようだし。ただ次回からは隔月連載になるらしいが、大丈夫なんだろうか。どうか、多少ペースは遅くてもクオリティの高い作品を描いていただきたい。まあ、作者も食わなきゃいけないんだけど。でも、そうなると近いうちにコミックスが手に入れられるな。

今日の通勤中に星虫岩本隆雄:ソノラマ文庫)を読み終えた。うう、良かったぜ、感動だぜ。ただ、コンピュータ関係の描写が古すぎるという評価をあちこちのSF系のサイトで見かけたんですけどね。私も「第五世代コンピューター」とか「プロローグ」とかいう言葉が出てくるたびに「ちょっと待てー、書き直さなかったのかー」とか言いながら読んでいた。しかし、そんな欠点を補っても余りあるだけの「力」がこの物語には、ある。たしかに冷静に読めば恥ずかしい描写や古い記述もあるのだが、主人公の宇宙に対する憧れや前向きな気持ちに素直に感情移入できる。良質の物語というのはそういうものである。私はSF者ではあるが、物語よりも科学的正確さの方が重要だという人々とはちょっと違うのである。ああ、この本は十代の頃に読みたかったぞ。子供にも読ませてやりたい…という本に限って子供は読んでくれないんだな。まあ、親子関係としてはそれが健康なんだけどね。最後に、絶版になっていたこの物語をふたたび世に出すために奔走されたであろう方々に、ネットワークの片隅からではありますが賞賛の言葉を贈りたいと思います。おめでとうございます。そして、ありがとう。

なんて恥ずかしいことも書けてしまうんだよな。この本を読むと。


今日は、早めに退社してVARODVD返品に行くつもりだったのだが、一度パソコンを終了させてから「あ、ホームページで店の定休日や営業時間を確認しておかなくちゃ」と気がついてパソコンを起動していたら上司が帰ってきた(泣)。何か話があるようだったが、客先から予定の時間に帰ってこなかったので定時になったら帰ろうと思っていたのだ。いろいろ確認していたらギリギリの時間になってしまった。諦めようかと思ったが、次にいつ行けるかわからないし、返品は早く申し出なきゃいけないからね。日本橋に急ぐ。職場から行くには地下鉄を3本乗り継がなきゃいけないのである。

店に着き、事情を説明すると、返品はあっさりと認めてくれた。ただ、代わりのソフトを買うというと、それが動作することを確認しなければ売れないと言う。まあ、また返品されちゃかなわないだろうからねえ。こっちはメーカーのサイトで確認したというと、メーカーはもう終わってて直接確認できないのでそこを見に行くという。レジのパソコンでWebブラウザを立ち上げて見に行っている。レジのマシンを専用機じゃなくてパソコンにすると、こういう汎用性があるのよね。しかし、遅い。やはりこういう店の通信環境もあまり良くないのよね。こっちがケーブルテレビの高速通信環境に慣れてしまっているせいもあるんだろうけど。けっきょく、DVD-RAMドライヴの型番も覚えてなかったので、こちらから電話で型番を教えて店からメーカーに使えるソフトを確認してもらうことになる。ああ、また往復しなけりゃいけないのか。日本橋に来るだけで金も時間もけっこうかかるんだよな。移動時間も金額に換算すれば、返品して帰ってきた金額を超えてしまうかもしれない(泣)。まあ、確認せずに買った自分が悪いんだけどね。

いろいろやっていたので、店を出ると19時55分であった。しかし、すぐに隣の店に飛び込んで買えるものがないか物色する。日本橋に来たからには何か買わねば損だと思っている自分が哀しい。それで要らないモノを買ったらかえって損なんだからさあ。



8月4日(金)
今日はちょっと仕事上で失敗をして遅くなってしまった。それでも帰りに本屋に寄るのである。ここはレンタルビデオ屋を兼ねているのだが、近郊に24時間営業のレンタルビデオ屋が開店したためか最近24時間営業になったのである。対抗して24時間営業にしても効果があるのかと思っていたのだが、もう翌日になっているのにけっこう客がいる。それがどれだけ売上につながるかはわからないが。とにかく、ここで月刊の少年漫画誌を立ち読みする。読むだけでは何なので、「PSI遊記」(陽気婢:茜新社)を買った。家に帰って開けてみると…絵が古い。失敗だったか。

家に帰るとカミさんはゲームをしていた。商業誌の原稿はどうなっているんだろう。本人は「七転八倒している」と言っているのだが、どうもそういうふうには見えない。まあ、頭の中では考えているということにしようか。



8月5日(土)
昨夜は通信していたらテーブルの前でそのまま寝てしまっていた。明るくなって目を覚まし、また通信をはじめる。いつだって好きなときに通信できる環境になったというのに、これでは人間としてどうかと思うな。

通信していると妻子が起きてきた。今日は私が息子を保育所に送って行く。今朝の別れ際は、彼は電車の本を読んでいる子の方に歩きながら後ろ向きに手を振っただけであった。おい、それは人間としてどうかと思うぞ。

家に戻ると、カミさんは「シンジ(仮名)迎えに行ってくれる?」と言って寝室に上がり寝てしまった。ちゃんと寝てないのに私は寝れなくなってしまうのね。寝てしまうと絶対に夜中まで寝てしまうからなあ…などと思いながら通信していたら気がついた。あー、膝の痛みが取れないから医者に行こうと思っていたんだった。こういうことを忘れるとは、人間としてどうかと思うなあ。

何とか通信しながら夕方まで起きて、息子を保育所に迎えに行く。帰る準備をして、保育所を出る前にオシッコをするように言うと彼は鞄を肩に掛けたままトイレに入ろうとする。注意するとグズグズ言いだした。「せえへんなら置いてくぞ」と言って押し問答していると、彼は「おしっこ、でた」と言った。見ると、足元にオシッコが滴っている。教室に引き返してズボンとパンツを持ってきて穿き替えさせるのである。…ったくもう。

保育所の門を出るときに彼は空を指差して「おつきさん」と言った。見上げると、青い空に白く欠けた月が浮かんでいた。あれを見つけたか、偉いもんだね。彼は自転車に乗せて走っていても、何かと月について質問してくる。欠けた月は三日月と呼ぶということと丸い月は満月と呼ぶということは説明して何とか理解させた。そして「三日月は夕方に沈むんや」と言うと「まんげつ、よるになったら、でるん?」と応えた。おおっ、そうだぞ。わかってるじゃないか。

今日の夕食はカミさんがレンタルビデオを車で返しに行くついでに外食することになる。まあ、毎週のパターンである。まずレンタルビデオ屋に行くが、前の道に車が停められなかったので少し先の古本屋の駐車場に停めてカミさんが返しに行く。その間に私は息子を連れて古本屋で本を物色できるかなと思っていたのだが、甘かった。もう息子は本屋に入ると絵本を読んでもらえるものだと思っているのである。彼の手を引いて文庫本のコーナーを回ろうとすると抵抗するのである。仕方がないので「ちょっとだけ待ってな」と言いながら背表紙だけをざっと見て絵本のコーナーに行き、絵本を読んでやる。しゃがんで息子を膝の上に乗せながら読むのはなかなか疲れる。しかし彼は途中で「おつきさん、みる」と言いだした。うう、こんなに暑いのに外に出るってか。本を読むよりキツいぞ。でも、出てしまうのである。

車に乗っても彼は月を気にしている。「みかづき、すぐ、しずむん?」とか言っている。まだまだ西の空の高いところにあるので、父の言ったことに不信感を持っているようである。うう、あれは三日月じゃなくて6日目くらいの月だったのね。三日月にしては太りすぎだと思ったんだ。「もうすぐ、まんげつに、なる?」とも言っている。いや、沈むのと満ちるのでは必要とする時間的スケールが違うのだよ…とか言ってもわからないしなあ。やっと時間の経過が認識できるようになってきた段階だから、数時間後と数日後の違いが理解できないのである。

しかし眠い。家に帰ってから息子にねだられて絵本を読んでいて、気がつくと関係ないことを喋っていて愕然とする。これは早く寝なければ。



8月6日(日)
昨夜は息子を寝かしていて一緒に寝てしまったので、今朝は7時前に起きて通信をはじめる。今年の星雲賞が発表になったようである。これまでの年度は他のSF関係の賞に比べて私好みの作品が多かったのだが、今年は「星雲賞を獲ったのなら買おうかな」と思うようなものは無かったっすね。カウボーイビバップは、星雲賞なんぞ獲らなくてもDVD-Videoが観れるようになったら買ってしまいそうなんだけれどもね。まあ、マイク・レズニック氏の作品は読んだことはないから(薄々)、受賞したことによって買う可能性があるとしたらこれくらいか。

正直に書いてしまうと、私は神林長平氏も野尻抱介氏もそれぞれ2作ほど読んでいるが、どれもあまり面白いと思わなかったんですよね。野尻氏の作品について何を読んだかは日記に書いてあるが、神林氏は、えーと…まずNiftyのフォーラムの感想文の会議室で誉めてあったのであな魂を読んだのだが、ぜんぜん面白くなかったんだな。「もう少し我慢して読んでいれば面白くなるに違いない」と思いながら読んでいたら、そのまま最後まで行ってしまったという(泣笑)。次にこれもNiftyだが、私が居着いていた会議室で高評価だったので雪風を読んでみたのだが、けっきょく面白いと思えなかった。理由はよくわからないが、登場人物に感情移入できないのである。私には、「こちら側の人間」でさえジャムが作ったモノのように見えてしまう。こんなモノ同士が闘っているのを見ても、動物の交尾を見ているような感じでぜんぜん興奮しないんだよな(こらこら)。

けっきょく、今日は一歩も家の外に出ることなく通信だけして終わってしまった。まったく人間としてどうかと思ってしまうのである。



8月7日(月)
今は通勤中に図書館で借りたマイノリティ・リポートフィリップ・K・ディック:ハヤカワ文庫 1999)を読んでいる。まずはタイトル作であるが…なんだか、狐につままれたような感じがしますな。私の頭が悪いせいもあるだろうが、このオチはイマイチ納得できない。言ってることはわかるんだけどね。時間というのはこんなに単純なものではないだろうと思ってしまうのである。

今日は仕事の納期が1ヶ月早まるかもしれないということで、急きょ客先に行くことになってしまった。使う機能は限定されるようだが、客の都合によっては本番時期が早くなる可能性が高いようである。対応策の打合せとかをしていたら、夜中になってしまった。私はそれ以外の仕事も抱えているのである。家に帰ったときには翌日になっていた。居間には誰もいない。カミさんも息子と一緒に寝てしまったのね。シャワーを浴び、台所にあるものを適当に暖めて食べて通信を始める。しかし眠い。どうにもこうにも耐えられない。その場でひっくり返ってそれっきり…



8月8日(火)
昨夜も、居間で寝てしまっていた。妻子が起きてきたので目を覚ます。今朝も息子は調子が悪い。朝食を食べるのを嫌がる。母親も機嫌が悪いので、けっきょく朝食抜きで保育所に行ったようである。

ここ数年、子供ができてからは私はカミさんの夏コミに合わせて夏休みを取り、カミさんが東京で楽しんでいる間は子供を連れて実家に帰って過ごすことになっているのである。そういうことで明日から夏休みを取るので、とりあえずやらなければならない仕事は終わらせなければならない。それなのに、新しい仕事が入ってきたりするのである。今日も真夜中までかかってしまった。家に帰ると翌日になってるな。

今日はマイノリティ・リポートフィリップ・K・ディック:ハヤカワ文庫 1999)収録の「ジェイムズ・P・クロウ」と「世界をわが手に」を読み終えた。「ジェイムズ・P・〜」とくると、つい「ホーガン」と続けてしまう自分が情けない。この作品は人種差別の戯画化なんだろうが、この投影の仕方にはちょっと違和感がある。まあ、私が生まれる前に書かれた作品だから仕方ないですね。コンピュータ的にはまだFORTRANも無い頃なんだから。しかし、それにしても、こんなオチでいいんでしょうかねえ。続く「世界をわが手に」であるが、「世界球」というのは非常にSF的なネタですね。でも、このネタでこのオチというのは仕方ないんだろうなあ。途中で一度フェイントはかけてくれているんだが。

帰りに家の近くの本屋でCD-ROM Fan」を買った。オマケのCD-ROMに鉄道大百科〜関西・中国 編」の体験版が収録しているので買うのである。決して、「アダルトムービー60本」が収録されているからではない。

今日も午前様であるが、カミさんは起きていた。息子が寝ている部屋はガンガンに冷房が効いていて寒いくらいである。動作モードを「ドライ」に変えて下りる。

カミさんはODNに契約解除の申し込みをしたらいきなりメールが使えなくなってしまったというので、ケーブルテレビのプロバイダのメールアドレスに変更しろと言う。勤労奉仕を依頼しているのに、なんだかずいぶん偉そうだな。自分のことじゃないか、ということで自分でやらせる。それでも、設定方法を書いてある資料は私が探し出してきて渡したんだが。それは何とか自分でできたようである。

カミさんはFIVAを東京に持っていってホテルで通信するらしいので、電話回線からNifty経由でインターネットに繋げる方法を教える。これは自分では調べられないだろうなあ。

FIVANiftyのメールを見たいと言っていたのでWebから見る方法を教えていたのだが、カミさんは操作性が悪いと言って怒っている。「Macと同じようにできると言ったじゃない」と詰られる。「これじゃ、Macに戻った方がマシだわ」とまで。それじゃ、戻ればいいんじゃないですか。私が頼んでWindowsに移行してもらったわけじゃないっすよ。それに、Macと同じようにするには「それなりのソフトを入れればできるよ」と言ったはずなんですけど。そのためには何種類もあるWindowsの通信ソフトの中から自分に合うものを選んで入手して設定し、操作方法も調べなければならない。それだけのことを自分は何もしないでやってもらえるなんて、甘いんじゃないかなあ。私はWindowsではNiftyしてないから、これだけのことをやろうとしたらかなりの時間がかかるし、自分には何のメリットもないんですけど。それにMacとは操作性も変わるはずだからそれで怒られる可能性も高い(泣)。だいたいが、Macだって買ったままの状態ではComNiftyや茄子が使えるわけじゃなくて、それなりのところから入手してインストールしなければならないんですけど。たまたま私がそれらを使っていたから入れて使い方を教えられただけの話なんだがなあ。その程度のことも理解してもらってないんだろうなあ。

あ、また怒っている。「Niftyのメールが消えた」とか言っている。サーバの容量には限界があるから一定時間が経つと消えるので、必要ならばPCに保存しておかねばならないってのは常識だと思っていたんだがなあ。「Webで見る」ということの意味を理解してなかったのかなあ。ちょっと甘やかしすぎていたかなあ。



8月9日(水)
昨夜はカミさんの依頼で彼女のブー×シュー(意味の分からない人には申し訳ない。意味が分かっても意味がないと思うので、あえて意味は書かない)のペーパーノベルを読んでいたら寝てしまっていた。2日続けて布団の上では寝ていない。さすがにこれは人間としてどうかと思う。しかし、この小説に私の目を醒まさせてしまうだけの威力がなかったのも事実である。本人は「甘々の小説を望む読者には受けると思う」とか言っていたのだが。「ブー×シューは何も考えなくても書ける」とも言っていたが、本当に何も考えずに書いているのではないだろうか、と思ってしまうような部分も散見された。こういう書き方してたらグイン・サーガみたいになっちゃいますぜ…なんてことは面と向かっては言えないのである(書いてるけど)。

明るくなって目が覚める。妙な体勢で寝てガチガチに凝った重い身体を引きずり起こして通信を始める。やはり人間としてどうかと思う。6時過ぎになって息子が起きてきた。一人で起きるなんて最近は珍しいね…とか思っていたら彼は私のところにやってきて「せなか、かい」と言った。私が掻いてやっていると「くすり、ぬって」と言う。薬を塗ってやるとまた寝室に上がっていったのであった。

しばらくして7時過ぎになってまた起きてきた。私の横でパジャマを脱ぎはじめた。今度は寝るつもりはないようである。しばらく膝の上でインターネットさせていたら「おなか、すいた」と言いだした。ここしばらく朝には食欲がなかったのに、さすがに自分で起きると腹が減るか。カミさんはまだ起きてこないのでパンを焼いて食わせる。

今日から家族3人で私の実家に帰るのである。実家ではトイレの工事中なので遅めに来てほしいと言われているため、息子は保育所に行かせて帰ってきてから出発するのである。カミさんが起きてきて保育所に行く準備をしていたら彼は「うんこ、でた」と言いだした。うーむ、最近シモが緩いね。その歳でボケたわけではないだろうが。カミさんは彼のパンツを脱がせて「あ、まだパンツに付いてないわ」と言い、トイレに連れて行こうとする。そのとき、居間の床に何かがボトッと音を立てて落ちた。ブツである。フローリングだからまだ被害は少なかったが…

今日はカミさんが息子を保育所に連れていてくれた。彼女は帰ってくると「シンちゃん(仮名)、迎えに行ってね」と言いつけて寝室に入ってしまった。今日もまた私は寝れないのであるな。

カミさんが私に指令してダウンロードしてきた曲を東京に行っている間にMDで聴きたいと言うので、Macに移してCD-Rに焼く。やってみるとけっこうな手間である。ThinkPadでダウンロード→DVD-RAMドライヴを接続し、PDに複写→Macのハードディスクに複写→CD-Rに焼く。我が家の環境ではこれだけの工程が必要なのである。データ量が大きい上にどの工程も入出力に時間がかかるので、けっこうな時間を必要とする。これは、CDを買って直接MDに録音した方がよっぽどラクだよなあ。歩いて10分程度の道でもタクシーを使うような人ならば特に。いや、これを実現するために投入したハードウェアやソフトウェアの費用まで考慮すると、経済的にも得だとはいえない。でも、レコード屋で買えない曲はこうしなければ仕方ないのだよなあ。さらに、彼女は録音する生MDも持ってないというので私が供出する。至れり尽くせりである。

それほど経たずにカミさんは下りてきた。眠れないそうである。すでにイベントの期待で興奮状態なのか。まあ、息子を迎えに行ってくれたからいいんだけどね。予定通り17時に出発する。夫婦二人ともFIVAを持っているのでなかなか大変である。こういう夫婦もあんまりいないだろうな。

息子は電車に乗れるのが最大の楽しみである。まずは近鉄に乗る。「しんがたしゃりょー」も見たし「とっきゅーれっしゃ」が並んで走るのも見ることができた。キミはついてるぞ。難波に着いて電車から降りると彼は「じゅんきゅーに、かわった」と言いだした。見ると、乗ったときには「難波行きの普通」だった列車のディスプレイが「奈良行きの準急」になっている。よくそんなところに気がつくもんだね。それ以降もホームにいる間はずっと「じゅんきゅーに、かわった」と繰り返すのである。続いて地下鉄に乗り換えたのだが、車両の端っこに座れたので連結部を見せてやると喜ぶ。しかし連結部を人が通って来るのを見ては「なんで、とおれるん?」と訊いたり、対向車線の列車を見ては「なんで、すれちがうん?」と訊いたりしてうるさい。向かい側のドアの上に京阪電車の広告が貼ってあったので「あれ、何やろな」と訊くと彼はしばらく考えた後「けいはんでんしゃ」と答えたのであった。ううむ、字も読めないくせに何でわかるんだ。乗ったこともない電車なのに。

そして、梅田のデパートで実家への土産を買っているときにカミさんが言った。「あ、MD持って来るの忘れた」…おーい、私のあの苦労は何だったんだ。「あれだけは持って行きたかったのに…今から取りに帰るわけにはいかないわよね」とか言っている。そりゃそうでしょう。うう、こんなん連れてやってまんねん。

実家の最寄りの駅に着く前に息子が「おつきさん、みえる?」と訊いたので頭の中で月齢を計算し「晴れてたら見えるで」と応える。彼のおかげで、だいたいの月齢は頭に入ってしまっているのである。電車から降りて見ると、薄雲はかかっているが輪郭くらいは見える。息子は実家までの道すがら、ずっと「おつきさん」を気にしながら歩いていたのであった。

家に着き、弟に渡された古本マニア雑学ノート唐沢俊一:幻冬舎文庫)を読んでいるが、面白い。カミさんも弟の本を読みふけっている。S.O.S細野不二彦)と軍鶏(作・橋本以蔵/画・たなか亜希夫:双葉社)である。「軍鶏」は私も続いて読み出したが、なかなか後を引く。気がついたら3時になっていたのだった。



8月10日(木)
9時過ぎに息子が起こしに来た。もう彼はミニトマトを採ったり、リスに餌をやったりしたらしい。私が朝食を食べているところに息子を引きつけておいて、カミさんは東京に出発する。後で彼が「かーちゃんは?」と訊くので「お仕事や」と言うと、横になってグズグズ言い始めた。不憫よのう。

息子は祖母と庭に出ていって、水を入れたタライに入って遊んでいる。最初は入るのを嫌がっていたようだが、タライの縁に座っていてドボンと落ち込んでしまい、そのまま入り込んでしまったらしい。庭木に水をやるホースの先についているシャワーをいじっていたので、水道の元栓を開けてやると顔にシャーッと水飛沫がかかる。驚いて泣き出すかと思ったが、彼は喜んでいる。何度もそれを繰り返したのであった。

昼食を食べると眠くなってきた。ウチの親子に与えられている部屋に入って寝る。ぐーたら三昧である。

また息子が起こしにきた。身体が重いが、息子に手を引っ張られて起きる。下りてゆくと母に息子を風呂に入れるように言われる。息子が眠そうなので早めに風呂に入れたいのだが、私の父は外出の用事ができて母は食事の用意があるということである。しかし息子は私と風呂にはいることを嫌がる。うーむ、今日一日あまり相手をしていないからなあ。当初は「じーちゃんと」と言うが、駄目だとなると今度は「ばーちゃんと」と言いだした。祖母は「店番があるから…」とか言っていたが、けっきょく一緒に入ることになったようである。やはり孫には勝てないか。

風呂上がりに花火をする。息子が昼間からずっと「はなび、したい」と言っていたので祖父と一緒に買ってきたようである。どうも息子は火が点いているものをどう扱ったらいいかわからないようで、火が手元まで燃えてきても花火を手から放そうとしない。祖父が慌てて息子の手から花火を叩き落とす。息子は、線香花火の光が細かく枝分かれするのを見て「きれいやなー」とか言っている。もう、そういうことが言えるんだな。「美」の認識というのは、学習なのか、生まれながらに持っているものなのか。このあたりは、子供が育つのを見ていてもよくわからない。最初は「きれいやな」と言われたものを指して「きれいやなー」とか言っていたのだが、そのうちに教えていないものでも「きれいやなー」と言い始める。それも、帰納や演繹によって導き出されるような対象ではない、まったくかけ離れたものに対して。やはりこれは、「快」「不快」の感覚と同じようなものなんでしょうかねえ。

息子は祖母が夕食の用意をしている間に、座椅子の上で横になって寝息を立て始めた。食事の用意ができても起きない。やはり、慣れない環境で疲れたんだな。仕方がないので抱き上げて寝室に連れていくのである。

狼谷辰之  新書館ウィングス文庫
なる
¥620+税  ISBN4-403-54021-X



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