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▲3月1日(土)▼ →
今日も休日出勤。プログラムを作ってる人が昨日徹夜して今日も夜からしか出てこないので、今夜は私も徹夜になりそうだ。私の担当のところで全体が止まってるので、来週の頭には以降の工程がテストできるようにしなければいけないのである。
今日は通勤中に「aesthetic」(MIO)を聴いている。あのエルガイムやダンバインのMIOさん(いまはMIQさん)のアニソンではないオリジナルアルバムである。これもいいアルバムなんだよな。私のオタクな弟が買ったのを録音させてもらって、気に入って自分でもレコード屋に取り寄せてもらって買ったのである。アニソンみたいな激キャッチーな曲はないけれど、なかなかいい出来です。
一昨日飲んだ下剤の効果が切れてから腹の中の動きがなくなってしまった。しかしどうも腹の中のバリウムをすべて排出した確証が持てない。まだ残っていて腹の中で固まるとやっかいだ。少なくとも明日の朝まで職場にいるから検診センターでもらってきた下剤を飲もうかと思ったのだが、やはり平和的に排出したいということで500mlのミネラルウォーターを一気飲みする。そうすると、期待通りに便意が訪れた。やはり水分を摂り、冷たい水で腹を刺激するのがよいのだな。
けっきょくプログラムがぜんぜんうまく動かないので、今夜は徹夜することになる。明日も亭主が休出ではカミさんが一週間ずっと息子の相手をすることになってしまうので、明朝までに最低限の仕事を終わらせて明日は息子の相手をしたいのである。
▲3月2日(日)▼ →
けっきょく20時まで仕事をしてしまう。今日は昼間に息子と遊ぼうと思って徹夜したというのに…何ちゅうこっちゃ。そして気がつくと、朝にコンビニでカップラーメンを買って来て食べた以外、何も口に入れていない。あっという間に時間が過ぎてしまっている。本人は濃密な時間を過ごしているように感じているが、これだけの時間でこれだけのことしか感じていないということは、けっきょく密度の薄い時間だったということだな。
いやー、やっちゃいましたねロイ・ジョーンズ・ジュニア。10kg以上軽いのにボクシングのヘビー級世界タイトルマッチに勝利。これは大変なことですわねえ。これだけ差があると、優位に進めてても一発で逆転があるし、こういう身体をぶつけ合うような競技だと体力の消耗も激しいだろうにねえ。スゴいヤツだ。
で、今日は久しぶりに息子が起きている時間に家に帰り着いて、私が息子を風呂に入れたのだが、彼は風呂の中で今日観た「笑点」のことを話し続ける。誰の服の色がどうだとか誰の座布団の数が何枚だったとか誰がどういうことを言ったとか、のべつまくなしに喋り続けである。たかが10分くらいのコーナーでそんなに語れるとは…やっぱりオタクな素質があるのだろうか。まあ、子供というのはそういうものなんだろうな。けっきょくオタクのこだわりというのは子供の部分がそのまま残っていると言えないこともないかなあ。
▲3月3日(月)▼ →
昨夜は息子と一緒に早めに寝たのだが、それでも今朝は起きられない。まあ、40時間以上続けて起きてたわけだからな。少し遅れて出勤することにする。そして23時半まで仕事。遠回りで帰るので家に着くと1時過ぎ。なんと面白みのない日常であろうか。
▲3月4日(火)▼ →
今日は通勤中に「VOICE PEAKS」(中西保志:→【amazon】)を聴いている。「最後の雨」のために買ったものである。いま聴いてみてもこの曲は名曲だねえ。それにこのアルバム、この曲の他にもいい曲が入っている。バックグラウンドヴォーカルも非常にソウルフルで、なかなか感動的である。今は仕事がドツボなので、以前NIFTYに書き込んだ内容を引用してお茶を濁すのである。
最後の雨/中西保志
1998年11月30日 03:50
この曲は、結婚直後の仕事で東京に行きっぱなしになっていた頃、コンビニで夕食
(というより夜食)を選んでいるときに何度かかかっていた曲です。はっきりと聞こ
えないながらも、良い曲だな、そして何よりも上手いヴォーカルだな、と思いながら
聴いていたのを覚えています。別れの曲なので、その頃の暗い心理状態にマッチして
いたせいなのかもしれません。
この曲の、そしてこのヴォーカリストのことを知りたくて、いろいろ調べてみました
が、わかりません。ほとんどあきらめて忘れてしまっていたのですが、かなり時間が
経ってからテレビなどに出てくるようになったのです。ものすごく息の長い曲だった
のですね。こういうふうにしてブレイクする曲があるということは、この世界もまだ
まだ捨てたものではないな、と思ったりするのです。
▲3月5日(水)▼ →
今日は午前中に京都で打合せ。いつもより早く家を出る。乗換案内のサイトで検索した列車に乗り遅れてヤバいと思ったが、阪急のホームに上がるとちょうど特急が発車するところだったので飛び込む。どうやら間に合ったようだ。
京都への往きの電車の中で「導きの星 3 災いの空」(小川一水:ハルキ文庫:→【amazon】:→【bk1】)を読み終えた。4年以上この日記を書いてきて、この言葉を使ったことはほとんど無かったと思うが、ここで使わせていただく。これは、傑作である。科学あり、戦争あり、ラブロマンスあり、悲劇あり、すべてが高いレベルで調和している。そして、いくつもの物語が重層的に重なり、見事な世界を構築している。中身のみっちり詰まった短編集と、大河小説を同時に読んだようなこの読後感。
外文明観察官である主人公の前で繰り広げられる人間模様…じゃなくて異星人模様、か。いやそれだけでなく、さらに大きな物語が寄せ木細工のように組み合わされている。泣けるしワクワクするし考えさせるし、これはほとんど文句はありません。ちょっと主人公が小さなことにとらわれすぎだけど、それはまあそういう設定だからな。
いやー、しかしこの小川一水という人、目覚ましい勢いで進化してますな。まるでこの物語に出てくる異星人みたいに。こういう面白い本を読んだら幸せになるのはもちろんだが、ずっと読み続けてきた作家がどんどん巧くなっていくのを見るのもそれは楽しいものでございます。
そして続いて「忌まわしい匣」(牧野修:集英社文庫:→【amazon】:→【bk1】)を読み始める。最初は「おもひで女」ですか。これは以前読んで衝撃を受けた作品なのだ。それまでは牧野修という人はそれほど好みの作家だとは思っていなかったのだが、この作品あたりから「凄い作品も書く人」だと認識したのだった。
なんせこの作品を読んだ当時、この人の作品は読後の評価で★4つと2つが入り混じっていて、3つが全く無かったんだから。これはある意味スゴいことですな。ずっとコンスタントに★3つの作品を読ませてくれる人も偉いと思うんだけどね。そして次は「瞼の母」。これはあんまり好みの作品ではない。そういう意味では前の「おもひで女」もそうなんだけど、それでもなお凄い話が混じってるから侮れないんだよな。
京都で駅から地上に出ると、雪が降っていた。大阪で見るような湿った雪ではない。パラパラの粉雪である。やっぱり京都は寒いんだなあ、と実感したことであった。
▲3月6日(木)▼ →
6時に目が覚めた。また居間で寝てしまっていたのである。まあ、今からでも2時間は寝れるだろう。そう思って寝室に上がり布団に潜り込む。そして妻子が起き、息子が起こしに来たが起きられない。人間に戻るまでかなりの時間を必要としたのだった。起きても、体調が悪い。体温が上がらない。カミさんが息子を送って帰ってきたので、車で駅まで送っていただくのである。
今朝、息子は早起きしたそうである。その理由が、昨日寝る前に母親が早起きしたら餅を食わせてやると言ったせいらしい。彼女には「まったくAB型は食い意地が汚いんだから」と言われてしまう。いやー、私と息子ではサンプル数が少なすぎると思うんですけどぉ…
今日も通勤中に「忌まわしい匣」(牧野修:集英社文庫:→【amazon】:→【bk1】)を読んでいる。今日は「B1公爵夫人」を読み終えた。これも意味がよくわからない。まあ、意味が無くてもおもしろければいい…それが小説というものなんだろうけど、私には面白くなかったということなんだよな。世の中にはSFに対してそう思う人も多いみたいだしなあ。
▲3月7日(金)▼
引き続き通勤中に「忌まわしい匣」(牧野修:集英社文庫:→【amazon】:→【bk1】)を読んでいる。今日は「グノーシス心中」を読み終えた。しかし、これもよくわからん。「おもひで女」以外はみんな不条理虐殺の話だよな。別にそういうのを描かれても私はまったく楽しめないのである。まあこれは趣味の問題。主人公の宗教への皮肉な見方にはちょっと意表を突かれたんだけどね。
今日は昼から京都に移動してソフトを持ち込みサーバの設定。マシンの入っている施設の退出時間が早いので、今日は定時で仕事を終える…といっても、作業場所が京都だから家に帰るのにはそれなりの時間がかかる。それでも息子が起きている時間に帰れたんだけどね。体調が悪いのでカミさんに車で駅まで迎えに来ていただく。有難いことである。
息子はカミさんが寝かせてくれると言っていたのだが、私も疲れて起きていられないので一緒に寝ることにする。その日のうちに寝たのは何日ぶりであろうか。
▲3月8日(土)▼ →
昨日から通勤中に「OKAYS」(OKAYS)を聴いている。このグループも私は好きだったんだが、けっきょくブレイクせずに終わってしまったんだな。こういうのは運もあるからなあ。でも、けっこういいアルバムなんですよ。
今日は朝から京都で仕事。いろいろ不測の事態が発生して、作業に区切りがついたのは夜中の2時であった。明日もここで作業しないといけないし京都のホテルに泊まろうかという話もあったのだが、今夜は我が家に宮本春日さんと木根尚子さんがいらっしゃっているはずなので、挨拶くらいはしておきたい。たぶん二人とも今の家に来るのは最後だろうからね。そういうことで、上司の車で大阪まで飛ばすのである。
家に着くと3時である。皆様はまだ起きておられた。食事をすると4時近く。明日も朝から京都なので9時に家を出なければならない。昨日早めに寝ておいて良かったと思うのである。そうでなかったら、たぶん死ぬな、オレ。
▲3月9日(日)▼ →
さすがに2時まで仕事をして4時間しか寝てないとキツい。電車の中で座っても本を読む気力もわかない。そういう体調なので移動中に聴く音楽も、何か感動させてくれるものが欲しくて「INNOCENT」(石嶺聡子:→【amazon】)を選んだ。石嶺聡子さんのデビューアルバムである。この歌が巧い人の、初々しい歌いっぷりというのは感動的だなあ。そういうことで、疲れているので今日も以前NIFTYに書き込んだ発言を再録してお茶を濁すのである。
【石嶺聡子】「私がいる」(長文注意)
1997年01月25日 13:17
やっと…本当にやっと、この曲の感想を書くことができます。
有線放送で流れていた曲に心を奪われてしまうなんてことは
中西保志さんの「最後の雨」以来の経験でした。
…そして、心の隅にずっとひっかかっていたのです。
「最後の雨」の場合は、自分で曲名を調べることができましたが
この曲はどうしてもわからなくて、「もっと聴きたい」という
想いばかりが膨らんで、ルール破りになるとは知らず
この会議室に質問を上げてしまったのです。
ルール破りであったにもかかわらず教えていただいたおかげで
アルバム「INNOCENT」を購入することができました。
「私がいる」など、瞳をうるうるさせながら聴いております。
本来なら、回答を寄せてくださった発言にコメントすべきなのですが
それらはもう、はるかサイクリックの彼方(2000発言以上…)なので、
そこから派生したコメントチェーンの最後につけさせていただきます。
で、まずクレジットを見てひとこと。
「あら、尾崎亜美さんの曲だったんだ」
なるほど、それで納得できます。私の「ツボ」をモロについたのも
むべなるかな、です。彼女の書いたバラード、好きなんですよね。
気に入ってしまう曲というのは、ちょっとした微妙なメロディの動きや、
歌詞の一片が心の敏感な部分に響いてしまうのです。
そう、この曲「私がいる」です。
この曲は『自分探し』の曲なのですよね。
自分はどこから来たのか、そして自分が自分であるというのは
どういうことなのか…
このアルバムを購入した日の翌日、昨年の11月に長男が生まれたのですが、
彼が最初に分娩室から出てきたとき、目にいっぱい涙をためていたのです。
「そうか、生まれて来るというのはそんなに苦しいことだったのか」と
最初は思ったのですが、どうも様子が違うのですよね。よく見ていると、
瞳を開けようとして「あっ、まぶしい!」と閉じては、また開けようとして
…というのを繰り返しているのです。
どうやら、外界を見たいけれど明るすぎるので眩しくて涙が出ている
ようなんですね。
母親のいる陣痛室の薄暗いところに連れていったら、真っ黒な瞳を開けて
何かを凝っと見つめています。信じられないけど、眼の前で指を動かしたら
追いかけたりして…
ああ、生まれてきたばかりなのに、もう自分の周りに「世界」があることを
わかっている。こんなに小さいのに、瞳を開ければそれを見ることができる
ことを知っている。
彼もまた、自分の周りの世界に関するいろいろなことを知ってゆき、
そして、世界を知るにしたがって、それに相対する「自分」というものを
また知ろうとするようになってゆくんだな…と、思ったことでした。
…えー、ここまで読んできて「曲とはあんまり関係無いじゃないか。
子供のことを書きたかっただけなんだろう」と思った方、
その通りです。どうもすみません。
石嶺聡子さんに関してですが、本当に歌のうまい人だなと思います。
(本当のことは、ライヴを見なければわかりませんが、たぶん間違い
無いと思います)
メロディがするどく立ち上がるところでも、軽々と歌いこなして
まったく危なげがありませんし、多少の高音部でも、安易に
ファルセットに逃げることもありません。
(個人的に好きなんですよね。こういうヴォーカリスト)
アルバムを見ても、タイアップ曲が多くて、周囲の期待の大きさを
感じさせます。
そういえば、杏里さんのデビューも、高橋真梨子さんのソロデビューも
亜美さんの曲だったのですよね。これからデビューするヴォーカリストに
亜美さんの曲を贈るというのは、最大限のはなむけかもしれない…
ただ、気になったのが、すこし淡々と歌いすぎているのではないか
ということ。これが彼女の個性なのかもしれませんけど、いまひとつ
「これは彼女にしか歌えない」というものが見えなかったのですよね。
このアルバムは曲のレベルが高いから良いのですけど…
今の世の中、ただ歌が上手いだけではインパクトに欠けるのもまた、事実です。
「実力はあるのに、曲に恵まれずに認知されなかったヴォーカリスト」
というのは、何人も見てきているもので…(ファンの方、すみません)
まあそんなことは抜きにして、いい曲を上手いヴォーカリストが歌う
というのは良いものです。この曲は私の愛聴曲にさせていただきます。
最後になりましたが、この曲に関する情報を教えて下さった
もげーりさん、ひろKさん、そして、何度となく励まして
くださいました、みりいどさんに感謝します。
どうもありがとうございました。
▲3月10日(月)▼ →
今日からシステムが使えるようにしないといけないということなので、けっきょく昨夜から完徹になってしまった。サーバに最新のソフトを入れたら動かなくて旧バージョンに入れ替えたりしてたからなあ。今日も午前中までしか保たんだろうとか言いながら、19時まで仕事をしたのであった。これからまた大阪まで帰らにゃならんのか。
そして帰りの電車の中で「忌まわしい匣」(牧野修:集英社文庫:→【amazon】:→【bk1】)の「シカバネ日記」を読みおえた。うーむ、どう反応をしていいかわからない。
眠い。帰りの電車の中でドアの脇の壁にもたれて本を読んでいたのだが、膝がガックンとして意識が戻る…というのを繰り返している。それをSL-C700で書いているのだが、油断すると意識が飛んでそれを取り落としそうになる。ヤバい
そして大阪で降りて、何かに引き寄せられるようにジュンク堂に行く。そこで「週刊石川雅之」(石川雅之:モーニングKC:→【amazon】:→【bk1】)が出ていたので買う。なんか、出てくる女性がチャーミングなのよね。話の内容もブッ飛んでるし。このブッ飛び方はSFの匂いがする。
そして、文庫とSFのコーナーを眺めるために2階へ上がって何気なく新書のコーナーを通ったら…「餓狼伝 13」(夢枕獏:Futaba novels:→【amazon】:→【bk1】)が出ていたのであった。徹夜明けの私を引き寄せていたのはこれか。いま読んでいる「忌まわしい匣」が体質に合わないので、帰りに電車の中で読み始めるが…いやー凄い。一挙に物語世界の中に没入させられてしまう。しかし冒頭のこのやおいっぽさは意識してやってるんだろうか。カミさんくらい濃ゆいヤオラーはあざといと思うかもしれないけど。
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