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4月21日(水) 
ノドが痛くて目が覚める。扁桃まで腫れている感覚がある。これはしばらくすると発熱しそうだ。そういうことで、今日は仕事を休むことにする。

医者に行く途中に娘がお世話になっている保育所があるので、今日はカミさんに連れられて初めて娘の保育所に行くことにする。保育所の場所を把握して、保母さんたちとも顔つなぎをしておかねばならない。私が娘を背負って自転車で保育所に向かう。今まで息子が通っていた3つの保育所に比べてかなり大きい。市内でも有数の規模だそうである。

娘を預けて私はそのまま医者に向かう。しかし、水曜日は休みだったのである。週休2日で土曜日も半ドンですか。くそお、いい商売してますなあ。そのまま家に帰って寝る。けっきょく、夕方まで寝ていたのだった。

起きて仕事用のメールを転送しているメールボックスを開くと、山のように処理すべきメールが溜まっていた。なんだか在宅勤務しているようである。便利になるというのは労働者にとっては必ずしも良いことではないということを実感する。

今夜は私が息子を寝かせる。夕方に数時間も仕事をしてしまったせいで疲れているから早く眠りたいのだが、電灯を消しても彼は何かと喋りかけてくる。私の上に乗って龍騎のことを何かと解説してくれるのである。最近の彼は龍騎が再びブームになっていて、暇があれば部屋の隅で映画のパンフレットを拡げたりカードを並べてみたりしているのである。この語りたがりは誰に似たんだよ。

腕の中の息子が龍騎に出てくる各ライダーの能力について解説してくるのに相槌を打ちながら聞いていると、やがて静かになった…と思ったら私を押して自分の布団に戻って行った。ようやく眠ったようである。こっちもやっと眠れるか。



4月22日(木) 
昨日は医者が休みだったので、今日は医者に行ってから仕事に出ることにする。医者に行くついでに私が娘を保育所に連れて行く。カミさんが締め切り前のようなので、協力しなければならないからな。医者では、扁桃は腫れてなくて普通の風邪だろうということであった。一安心である。

出勤していて、往きに「首都消失〈下〉」(小松左京:徳間文庫:→【amazon】)をほとんど読み終えてしまった。帰りに読む本は用意していない。京都に着いて、駅の上にある本屋に入って次に読む本を探すが、新刊を買ってもいいと思えるものがどうしても見つからない。最近、新刊の選択には厳しくなってるからな。時間がないので諦めて帰りに古本屋で読める本を漁るか…と思って本屋を出ようとしたところで「黒い遊園地」(異形コレクション:光文社文庫:→【amazon】:→【bk1】) が出ているのを見つけた。出てましたか。ぜんぜん知らなかったな。ジュンク堂の新刊書コーナーをチェックできてないからだな。まあそれでもこれが見つかったというのはラッキーである。買って仕事場に向かう。

今日は通勤中に「シングルコレクション(1992〜1997)」(徳永英明:→【amazon】)を聴いている。この前「安全地帯・玉置浩二 ベスト」(玉置浩二 安全地帯:→【amazon】)を聴いて僕らが生まれたあの日のようにつながりで聴いてみる気になったのだが、あまり印象に残る曲はなかったなあ。

首都消失〈下〉」を帰りに読み終えたが、少々物足りない。社会的な描写が中心になっていて、最後の方は架空戦記みたいになってたし。蘊蓄も歴史的なものが多かったよなあ。まあ、これを描いたときの筆者の興味が「国家」の成り立ちとか安全保障の問題に向いていたということなんだろう。それが私の興味の方向とずれていた、と。それだけ戦争の修羅場を体験していない我々の世代と、それが中心になってゆく日本という国への危機感が大きかったということなのかな。そんなに信頼されてないというのは残念ではあるんだけど。

体調が悪いので、環状線には一電車見送って座って帰る。私の隣に座ってきたのは、化粧の濃いねーちゃん。ヨドバシの紙袋を持っている。こういう人種がヨドバシで何を買うんだろうと思ったら、バッグのようである。ふうん、あのビルのテナントに入っている店ではこの紙袋を使うのか。とか思ってたら喋ってる言葉が日本語じゃない。文字通り人種が違ったのね。

黒い遊園地」を読み始める。まずは林巧氏「香港の観覧車」 である。例によって好みの話ではない。

続いて朱川湊人氏「よい子のくに」。途中でネタは割れていたが、それでも読みではありましたな。



4月23日(金) 
今日は通勤中に「CM STYLE-Sony CM Tracks-」(オムニバス:→【amazon】)を聴いているのだが…耳あたりはいいのだけれど、どの曲もただ耳の端っこを通り過ぎてゆくだけである。まあ、CMソングとしてはそれでいいのかもしれないが。

今日は久しぶりに本社に戻ったので、帰りにジュンク堂に寄る。やはり文庫の新刊は出ていない。いつもは見ないノベルズの新刊の棚を見てみると…「獅子の門 白虎編」(夢枕獏:カッパ・ノベルス:→【amazon】:→【bk1】)が出てるじゃあーりませんか。このシリーズも書き続けていたのね。これを読まずに死んだら一生後悔する。即ゲットである。そして、ホラー文庫の棚のところに行って中井拓志氏の残りの2作「レフトハンド」(中井拓志:角川ホラー文庫:→【amazon】:→【bk1】)と「クォータームーン」(中井拓志:角川ホラー文庫:→【amazon】:→【bk1】)を買う。これは他の本屋では見つからないのである。買っておかねば。多少本は傷んでいるが仕方がない。

そしてマンガコーナーに行くと「新世紀エヴァンゲリオン 9 」(貞本義行GAINAX:角川コミックス・エース:→【amazon】:→【bk1】)も出ていたので買ってしまう。昨日には買う本が無いと悩んでいたのが嘘みたいである。いつも持っている鞄とほぼ同じ重量の荷物を持っているし後日にしようかとも思ったのだが、勢いで買ってしまう。帰りが大変だ。

そしてさっそく帰りの電車の中で「獅子の門 白虎編」を読み始める。ああもう、18ページで、涙が出るほど盛り上がってしまう。自分の意志とは関係なしに顔が笑っている。うん、面白い。泣けるような場面じゃないはずなのに、なんで俺はこんな泣き笑いのような表情で読んでいるんだ。

ふと電車の外を見ると、自分のいる駅がわからない。あの駅だとしか考えられないのだが、何でこっち側に線路があるんだ。変じゃないか。それに、こっちのドアが開いているのもおかしい。ひょっとして、終点まで行って戻ってきたとか…まさか。そんなに時間は経っているはずがない。まだ数ページしか読んでないんだぞ。などということを考えて呆然としていると、自分が思っているのと反対方向に進みだした。ああ、そうだったか。そういうことも判らないほど脳を乗っ取られていたか。

家に帰るとカミさんは同人誌の原稿を打ち出している。娘が泣き始めた。カミさんは娘の世話をする余裕がないようだ。こういうときは私の勝利の方程式である。座っていると娘が退屈するので、彼女を背負いながら「獅子の門 白虎編」を読む。来週まで待てないほど面白いというのもある。読み終わるまでに死んだりしたら、一生後悔するからな。

そして今夜は私が子供たちを寝かせる。娘を背負って息子を連れ、階上に上がる。こらー、他人がオシッコをしているときに背中で壁を押すんじゃない。息子に絵本を読み終えて娘を布団の上に下ろすと、また彼女は泣き出した。昼に寝ていないそうなので眠いのか泣き方は弱い。これだったら何とかできそうだ。抱いて背中をトントン叩く。それでもしばらく寝なかったのだが、背中を叩くのを止めるとすぐに静かになったのだった。そうか、こういうときは静かにした方がいいのね。横を見ると、そのときにはすでに息子も眠っていたのであった。



4月24日(土) 
ノドが痛くて目が覚める。寝ていられない。起きてイソジンでうがいをすると、飛び上がりそうなほど痛い。痛みに身体が動きそうになる。しかし動けない。今はノドの奥に水が入っているので、ここで身体を動かすと妙なところにウガイ水が浸入してむせ返ることになる。このノドの状態でそうなったらどれだけ痛むか想像もしたくない。それで動くとさらに痛みが増して身体が動いてノドが痛んで…無間地獄に堕ちることになる。必死で痛みに耐えるのである。

朝食を食べていると宅急便がやってきた。DELLからのようである。けっきょくセカンドハードディスクは交換のようだ。無償ですか。サポート期間内とはいえ、ハードディスクのような壊れやすい部品を3年後でも無償交換するとは。太っ腹だねえ。大丈夫なんだろうか。

ノドが痛いので今日も医者に行くことにする。娘を保育所に連れて行ってから医者に入ると、診療開始前なのに土曜日なので待合室はほぼ満席であった。しかし問題ない。「獅子の門 白虎編」(夢枕獏:カッパ・ノベルス:→【amazon】:→【bk1】)を持ってきているのである。読み始めるが……くぅーっ。室戸武志の試合は泣ける。この生きざまが泣ける。不器用で真っすぐで、かつそれがどうしようもなく輝いている試合ぶりが泣ける。それが感動的なのである。昨日、泣きながら読んでたのは、室戸武志の試合の場面だったからなんだ。

この歳になると、涙ぐんでいても実際に涙が眼からあふれ出てくることはまずない。それが独りじゃないときならなおさらだ。しかし、今日はこれだけ他人がいっぱいいる待合室の中で涙がこぼれて、拭っちまったですよ。

うん。室戸武志のキャラクターは好きだ。父親から受け継いだ、この不器用な生き方が好きだ。男なら、自分の息子にはこのように、不器用でも真っすぐに生きてほしいと思うんじゃないだろうか。実際にはこんなふうにできるわけじゃないんだが。こうして愚直なまでに自分を曲げずに生きて行くのは途方もなく苦しいことである。男として、この父子が羨ましい。世間的には単なる莫迦としか評価しようがないとしても。

次の試合、ノックアウトされた選手の内面描写が素晴らしい。こういう表現、ありそうで今まで見たことがなかった。夢枕獏氏の表現力の凄さを思い知る。

そのまた次の試合。闘っているものの心理描写を読んでいるだけで、ふいに込み上げてくるものがある。このトーナメントの1試合1試合にこれだけの描写を乗せてくるとは。すごい人だ。

けっきょく診断としては、朝起きてノドが痛いということは口を開けて寝ている可能性があるということで寝る前の点鼻薬を処方されて薬も変わった。口を開けて寝ているつもりはないんだがなあ。寝るときに加湿器を点けてみるか。



4月25日(日) 
どうもマウスの調子がおかしい。クリックがダブルクリックになってしまうのである。こういう入出力装置は身体の一部になってしまっているので、思うように動かないとすごいストレスである。もうこれ以上我慢できないので、息子がパソコンを使うときのために用意していたマウスに取り替える。するとうまく動作するようになった。やはりハードウェアの障害であったか。

マウスの障害を解決したと思ったら、今度はATOK16の辞書が壊れたようである。今までもときどきLunaScapeで日本語を入力しようとすると「辞書として扱えません」というメッセージが出ていて、マシンを再起動すると復旧するので何度もサスペンドしているせいかと思っていたのだが、今日は起動して間もないのにこのメッセージが出て、ついには「辞書ファイルをオープンできません」というメッセージが出るようになってしまった。

バックアップしている辞書から戻そうとしても、少し前からおかしかったということは、定期的にバックアップを取ってるから逆に壊れた状態をバックアップしてしまっているということなのである。困ったものだ。

だましだまし使ってきたキーボードカバーもヨレヨレになってきたし、そろそろシステムが全体的に老朽化してきたかなあ。…うう、MS-IMEは馬鹿すぎる。Windowsは長く使ってるとシステムがだんだん壊れていくのが困ったもんだよなあ。

仕方がない。ジャストシステム製品のバックアップツールでバックアップしてからATOK16をアンインストールし、関連ファイルを削除して再インストールしてリストアすれば使えるようになった。ATOK Syncは再インストールしなきゃいけないんだけどね。ユーザー辞書に登録した内容も残っていた。偉いもんである。…と、ここまで書いて実感する。やっぱしATOKは使いやすい。ふだんは意識してないけど、

でも、使っているとなんだか完全には戻ってないようである。変換できない単語もある。よくわからん。そう思ってATOK Syncを実行してみると、異常終了してしまうのである。再インストール直後に取ったバックアップから戻しても状況は変わらない。けっきょく、泣きながらまたアンインストールからATOK Syncのインストールまでを繰り返すことになるのである。初期化してバックアップから戻さない状態でATOK Syncで過去にアップした辞書から復旧すると、使えるようになった。単語の優先順位は忘れてしまってるみたいなんだけどね。まあ、登録していた単語を忘れなかったというだけでも幸いと思うべきか。

息子は私がLinuxザウルスで書いたデータをPCに移しているのを見て「これ、どんだけゲーム入ってるん?」と訊く。どうやらゲームがしたらしい。それで、しばらくLinuxザウルスでゲームをさせていたのだが、「こっちの方が使いやすいんやけど」と言って、ついには私のPCでゲームを始める。いいもんね。父ちゃんには読む本があるもんね。

そういうことで昨日に続いて「獅子の門 白虎編」(夢枕獏:カッパ・ノベルス:→【amazon】:→【bk1】)を読む。もうこの巻の最後の試合は、息子がゲームをしている横で、涙と鼻水ををボロボロ流しながら読んでいる。顎を伝って涙が落ちる。唇の端から入ってきた涙が塩辛い。いやー、感動だ。以前「餓狼伝」を読んでるときも感動したが、この本にはそれが一杯に詰まっている。最高です。生きててよかった

続いて「新世紀エヴァンゲリオン 9 」(貞本義行GAINAX:角川コミックス・エース:→【amazon】:→【bk1】)も読む。オリジナルで見えなかった部分をキレイに補完している。相変わらず登場人物が魅力的なのも吉。



4月26日(月)
今日は通勤中に「DISCO FEVER SUPER NON-STOP」(オムニバス:→【amazon】)を聴いている。けっこう好みの曲が入っているようなので多少は期待していたのだが、実際に聴いてみると期待外れであった。ノリのいい曲を集めてあると思っていたのだが、「Oh,シーラ」(レディー・フォー・ザ・ワールド)なんかカマっぽくて気持ち悪い…ってえのも差別発言でしょうか。

とか思っていたのだが、帰りに歩きながら聴いているとけっこういい感じである。やっぱり本を読みながら聴く音楽ではないか。しかし、mp3に変換して聴いていると、曲の切れ目で音が飛ぶのでストレスが溜まる。こういうノンストップな編集というのは意外と有効なコピーガードかもしれないな。



4月27日(火) 
まだノドが痛い。朝起きてウガイをするときに、多大な覚悟を必要とする。イソジンの溶液がノドの粘膜に触れると、焼けつくような痛みを感じるのである。今年の風邪はなかなか治らないなあ。毎年言っているような気もするが。要するに老化現象かな。

今日は通勤中に「ザ・一発屋」(オムニバス:→【amazon】)を聴いている。「一発屋」というからには広くヒットした曲を集めているんだろうと思うんだが、私には知らない曲の方が多い。40年近く前の曲が入ってるくらいだから時間的にもかなり範囲は広いはずなんだが。ヒットした記憶があるのは半分以下だな。中には「彼女はサイエンス」(トーマス・ドルビー)、「ラヴ・ミサイルF-1-11」(ジグ・ジグ・スパトニック)のようにとてもヒットしたとは思えないような妙ちきりんな曲も入っている。「トラブル」(シャンプー)なんかはアタマ悪そうだけどヒットしたと言われれば「そうですか」という感じなんだけど。

昨日から「レフトハンド」(中井拓志:角川ホラー文庫:→【amazon】:→【bk1】)を読んでいる。この異常現象が終始科学の言葉で語られているのは好感が持てる。ただ、いきなりカンブリアと結びつけるのは飛躍しすぎのような気がするが。それでもそれが前提として話が進んでゆくと、それが真実のような気になってくるのが恐ろしいところである。



4月28日(水) 
ようやくノドの痛みも軽くなってきた。朝起きてウガイをするときにも、それほどの覚悟は必要としない。ふつうにウガイができるというのは有難いことなのだなあ、と実感する。

あの侍魂が更新を再開したようだ。就職してしまうと学生時代のように時間を投入できないのだが、それでも少しずつ調子は戻ってきているようである。

今日は通勤中に「Miracle」(MINMI:→【amazon】)を聴いている。車か何かのCMでこの人の曲が流れていたのが耳に残っていたので聴いたのだが…初っ端のライヴで、いきなり音ハズしてません? あと、本人ではないが、ラップも酷いな。自分の言いたいことを一方的にがなっているようにしか聞こえない。こういうラップを使っているというだけでセンスを疑う。どうしてこんなに日本の(とくに野郎の)ラップは(以下略)



4月29日(祝)
久々の休日である。体調が悪いので助かる…というか、休日なのに何もできないと思うべきか。カミさんが外出するついでにドラゴンボール」のコミックスを買いに息子を古本屋に連れて行ってくれるということなので、私は娘とお昼寝である。ただし、前回医者に行ったときに乳幼児医療証というのを持って行けば娘の医療費が無料になると教えられて発行してもらったのだが、未発行だったその時点で支払った額を返金してもらってくるようカミさんに言いつけられている。夕方には起きねばならない。

娘が泣き出したので目が覚める。17時半。医者が診療を開始するという時刻である。しかし起きられない。娘は泣き続けている。うー、もう少し寝かせてくれ〜。という心の叫びに逆らって必死で起き上がる。彼女は腹が減っているようなのでミルクを飲ませ、負ぶい紐で背負って自転車で医院に向かう。しかし、気がつくと目的の場所を通り過ぎていた。いけないいけない、とか思いながら引き返して1軒ずつ建物を確かめていると…シャッターが閉まってるじゃないですか。シャッターには木曜日は休みだと書いてある。一瞬「あら、それは残念」とか思ったのだが、よく考えると今日は休日じゃありませんか。「日曜・祝日は休診」とも書いてある。ふつう医者は休日には診療してないよなあ。だまされた〜!



4月30日(金) 
今日は移動中に「青春の輝き〜ヴェリー・ベスト・オブ・カーペンターズ」(CARPENTERS:→【amazon】)を聴いている。よくもまあ、出てくる曲出てくる曲すべてが記憶に深く刻みつけられた名曲であることよ。

京都で作業している場所の近くには食事をできるところが少なかったのだが、最近になって回転寿司の店ができたのでそれ以来、週の半分くらいはそこで昼食を食べている。今日もそこに入っていたのだが、我々の席の近くに座った初老の男女二人連れの男性の方が女性店員を呼びつけて何か言っている。注文しているらしい。なんだかずいぶん声がデカい。迷惑なことに嫌でも耳に入ってくる。
男性「持ってきて」
店員「ご注文の品はお席の色のトレイに乗って回ってまいりますので…」
男性「持ってきて」
店員「ご注文の品は…」
男性「黙って持ってきたらええんじゃあ!
店員はムッとした顔で引き上げていった。うーん、ああいうシステムを導入してるから一皿100円で提供できてるんだがなあ。そういうことも理解できないんだろう。だから、ああやってゴリ押しで生きてきたんだろうな。あれじゃあビデオの予約もできないに違いない。彼らの将来を心配してやっても仕方ないんだが、周囲の人間は迷惑だよな。というか、そのシステムが嫌なら対面式で握ってくれる寿司屋に行け。そのシワ寄せは他の客に行くんだぞ。

引き続き「レフトハンド」(中井拓志:角川ホラー文庫:→【amazon】:→【bk1】)を読んでいる。アリスもそうだったが、こんなにスプラッタな話なのに筆者の視線が皮肉っぽいので何となく笑えてしまう。あと、登場人物がどれもこれもいわゆる「B型性格」なので、それも何となく深刻さが足りなく見える要因だろう。どいつもこいつも他人の話を聞いてないし。しかし、その中にいきなりこういう「変態」の場面が出てくると、これは怖い。日本ホラー小説大賞長編賞を獲っただけのことはある。

ここで語られるウイルスという生物の起源も興味深い。そうか。そういうことも考えられますわね。この人の作品にはそういう発見がある。言われてみれば、こちらの方が現在の科学界の定説よりも筋が通っているような気さえする。

誤字めっけ。363ページ後ろから3行目「収拾方」は「収拾法」だろう。

今日はウチの会社は全体として休むのを奨励している日なのだが、月次の作業があるのでいつものように京都まで行って夜間の作業をしなければならない。それも早く終わる内容だったのだが、お客様の内部で情報がうまく流れていなかったせいでそれ以降の作業が発生してしまった。大阪に帰り着くための最終の電車は23時過ぎに山陰本線の駅を出る便である。まだ作業は完了していないが、一応の目処はついたので大阪在住の私は他のメンバーに任せてその電車に飛び乗る。

山陰本線の駅から大阪までは、JRの陰謀で連続した切符を買うと高価いのである。それで最初はJスルーカードでJR線に乗ったのだが一度京都駅で改札の外に出て大阪までの切符を買い、また構内に戻る。それで我が家までは帰る権利はあるはずなのだが、京都駅で切符を買って入っていると鶴橋でJRから近鉄に乗り換えるときに2社の間にある改札機に2社の定期券を入れるとエラーになるのである。京都駅で入った切符が必要なのだ。すなわち、3枚合わせた情報がないと通してくれない。しかし、2社の間にある改札機は2枚しか受け入れる能力がないのである。どうやればいいんだろう。鶴橋での乗り継ぎ時間は2分しかない。駅員に訊いたりしてまごついていたら、せっかく終電に間に合うギリギリで大阪まで帰ってきたのに最後のところで乗り遅れることになってしまう。それだけは避けねばならない。熟考の末、幸いにも大阪での乗り換え時間が7分あるので大阪駅でまた外に出て定期券で入り直すことにする。なんだか馬鹿みたいである。

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