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▲1月11日(水)▼ →
今朝も寝ていると娘が布団に入ってきて痒みを訴える。いつもより症状が酷いようで、薬を塗っても抱き上げても痒いというのである。医者に処方されていたローションを塗ってしばらく痒いところを擦っていると、やっと眠ってくれた。それで朝まで眠っていてくれたのだが、彼女が布団の中央で大の字になって寝ているので私は遠慮しながら寝ることになる。気がつくと肩が掛け布団から出てたりするし。おかげで起きたときには眉間とノドの痛みがぶり返していた。子供を持つというのは大変なことである。
引き続き通勤中に「ディアスポラ」(グレッグ・イーガン/山岸真)を読み続けている。ほんとうに読むのに時間がかかるな、この作品は。しかし、なんちゅう途方もないことになってるわけですか。意識がデジタル化されてて自らの実行速度を自由に変えられるから追跡できるんだろうけど。まったく謎のための謎にしか見えない。「宇宙」を、こういうふうに使い捨てにしていいものなんでしょうか。イーガンのことだから、またトンデモナイ理由を用意してるんだろうけど。これが超知性体の排泄物(でなくても脱皮した抜け殻とか)だった…とかいうオチだったら笑うぞ。
あら、ここで終わりですか。まだかなりページ数があるんだが。最後に用語解説があったのね。訳者あとがきに解説までついてるのか。しかし、途方もない話でしたなあ。すごい。なんだかよくわからないけど、凄い。このスケールは「果しなき流れの果に」を超えたかもしれない。ただ、こちらの理解が追いつかないのがこの作品の最大の問題か。理解できれば感動度もあれに匹敵したのかもしれないけれどねえ。
マガジンで連載していた幸村誠氏の作品(ここを表示したらブラウザのウインドウサイズをディスプレイ一杯に拡げやがった。なんたることを)だが、いつのまにかアフタヌーンに移籍していたようだ。マガジンに1ページ使って告知されていた。ぜんぜん気づかなかったな。この人の作品、「宇宙」を描かなくなって全く目に入ってこなくなっているのだ。
職場からの帰路、左の後頭部がズキズキと痛むようになってきた。家に戻り食事を終える頃にはもう、左首筋までずっきんずっきんと痛む。こりゃ起きていられない。今夜もそのまま寝る。
▲1月12日(木)▼ →
昨夜はカミさんが娘をずっと寝かせていてくれたので、久しぶりに深く眠れた。娘は何度も起きて「かーちゃん、かい」と言っては母親に怒られていたようなんだけど。ちゃんと眠ってるはずなんだが、それでも気分はすぐれない。いったいどーなっているんだろう。
今日は往きに「ディアスポラ」(グレッグ・イーガン/山岸真)巻末の用語解説を読んでいるのだが、だいたい理解に大きなズレはなかったようだ(というか、本文でもけっこう詳しく説明されてたし)。位相幾何学や素粒子物理学の細かいところはスルーしてるんだけどね。用語解説があるのに気づかずに読んでいたから、これを参照しながら再度読み直せばより理解が深まって感動も増すと思われるのだが、私にはそれだけの時間がない。なんせ読み通すのに2か月近くもかかったからな。まあ、他のそれほど革新的でない小説を読むよりはエキサイティングなんじゃないのと言われればそうなのかもしれないんだけど。
昨日、『このスケールは「果しなき流れの果に」を超えたかもしれない』と書いたが、訳者あとがきでも「果しなき流れの果に」との類似について言及されていた。たしかにこの壮大さには同じように打ちのめされるが、圧倒的なイメージの喚起力で世界を描き出してくる小松左京に対してイーガンは論理回路が計算してゆくように意味を積み重ねてこの壮大な構造を構築している。小松左京が手描きの油絵ならばイーガンはコンピューター・グラフィックス、という感じでしょうか。
大森望氏の解説も絶賛ですなあ。まあ、これがそれに値する作品だという点については、私も異論のないところではあります。イーガンが「現在の地球上で最高のSF作家」だという点に関しても同意。SFギョーカイの主流とはかなり好みが異なる私のような人間にもそう思わせてしまうのだから大変なものである。
そして、また最初の2ページを読んで「ああー、最初に読んだ時はぜんぜん本当の意味が分かってなかったんだぁー」と思ってしまった。こういうところも「果しなき流れの果に」の二重構造のエピローグに通じるところだな。これじゃあ、また読み返しちゃうじゃないか。
昨日から体調が悪いので、今日は早めに仕事を切り上げる。帰りの電車もブックオフの店内も人でいっぱいだ。1時間ちょっと早いだけでこんなに違うのね。
家に着いたのは20時過ぎだったのだが、息子は「TVチャンピオン」を観ていて迎えに出てこない。それで、娘も父親の帰宅に気づかず独りで遊んでいる。寂しい。
カミさんは風邪気味だということで私が子供たちを風呂に入れることになったのだが、息子が抱きついてきたときに熱く感じたので体温を測らせると37度を超えていた。それで彼は風呂に入らないことになったのだが、そうすると母親と入るつもりだった娘も身体を拭くだけでいいと言いはじめる。けっきょく、独りで入浴することになってしまうのである。寂しい。
「コピーワンス見直し」とか言ってるが、なんでこうわかりにくいのかね。「コピーコントロールは主張しないが、保護技術のチェーンで守られる」ってのは何のことやらわからない。片隅であってもIT業界に生息している私がざっと読んで理解できないのに、私の父母とかの世代が納得できるとはとても思えない。一般消費者を煙に巻こうとしているようにしか思えないんだが。まあ、少なくとも「新しいキカイを買わなきゃ見せてやんないぞ」と言ってるらしいというのはわかるけど。
▲1月13日(金)▼ →
今日も通勤中に、まだ性懲りもなく「ディアスポラ」(グレッグ・イーガン/山岸真)を読みかえしている。こりゃ1年でも読んでいられそうですな。今までは無人島に1冊だけ持って行くなら「果しなき流れの果に」だったと思うんだが、これからはひょっとすると「ディアスポラ」かもしれない。いや、感動度よりも長く保ちそうという理由で。
今日も帰りに鶴橋駅のブックオフに寄る。買うべき本があった。しかし今日はまた福引をやっていたので、無理矢理あと4冊買う本を探す。なんだか本末転倒のようだな。そしてガラガラを回して出てきたのは水色の玉で100円の金券。まあ1冊タダになったということだな。
冥王星探査機「ニューホライズンズ」、17日に打ち上げですか。「9年後の15年半ばに冥王星に接近」かあ。冥王星はまだ近くで(撮影した映像を)見たことがないからな。それまでは生きていたいなあ。っていうか、子供が成人するまでは死ねない。
思えば、ずっとそういうことを考えて生きてきたような気がする。病弱な子供だったからね。たしか小学生のときに山陽新幹線に関する新聞記事を読んで「ボクが中学2年になった頃にできるのか。それまで生きていられるかな」と思った記憶があるからねえ。それが今や2人の子持ちだからな。よく生き延びてきたものである。
▲1月14日(土)▼ →
9時20分過ぎに停電した。またかよ。大阪に来てからほとんど体験したことがなかったのに、この冬は続けて2回ですか。前回は雪のせいとしても、今回は停電するような原因は考えられないんだがなあ。まったく関西電力は社会のインフラを預かってるという責任感を持ってほしいものである。
慌てて使っていたパソコンをスタンバイ状態にして、2階のサーバのところに行く。またハードディスクがおかしくなったら嫌だなあ。今日はCPUサーバも起動してるから、接続されてるハードディスクは合わせて8台。危険度は上がっている。
ノートパソコンをサーバに使ってるのは消費電力が少ないというのに加えてバッテリーが入ってるので停電に強いだろうという考えがあったのだが、電源供給が絶たれると外付けハードディスクが死んじゃうから一緒だな。システムドライブが破損する可能性は少ないけど。電気が来るようになってから起動してみたが、何とかハードディスクに異常は出なくて済んだようである。
カミさんは私に対して、自分が夕食の準備をしている間に「苺ましまろ」のフィギュアを組み立てておけという。薄々の一般人にそういうことをしろと言うですか。やってると、まるでテレビドラマの「電車男」じゃないか。こういう姿を息子に見せるのはどうかと思うよなあ。「ぼくはオタクになってもいいんだ」と思われてしまうんじゃないか。
カミさんに、「舞-HiME」はファイルサーバに入ってないのかと訊かれた。あれはDVDに焼いてHDD&DVDレコーダーから削除したからファイルサーバには入れてないんだな。それで、レコーダーで焼いたDVDからそれほど手間をかけずPCのファイルに落とす方法を探してみる。コーデックは圧縮効率がいいらしいのでH.264が使えると嬉しい。
それで最初に見つけたのが「iriverter」である。CPUサーバにインストールして使ってみると、なるほどこりゃ簡単。DVDから取り出したいタイトルを選択するだけである。チャプター単位の取り出しも可能だ。H.264にするには出力されたファイルを別のソフトに入力してやらねばならないようだが、「iriverter」の出力ファイルはXviDらしいので、それで充分じゃないか。
それでエンコードしてみたのだが、[Video Size]で[640x480]を指定しているのに解像度が320×240になってしまう。いろいろ設定を変えながら何度も時間をかけてやってみたのだが、状況は変わらない。やっぱり今の時代、320×240じゃ寂しいよなあ。まあ、本来iriverの製品で再生する動画を作成するためのソフトのようだから、640×480のような解像度で出力できる必要はないんだけど。
仕方がないので、続いて「Super © for FREE」というソフトを試してみる。DVDの中から取り出したいVOBファイルをウインドウ内にドラッグ&ドロップして、まずはデフォルトの設定でエンコードしようとするとmencoderを使わなきゃダメよと言われてしまう。それで「mencoder」にチェックしたのだが、その後に保存するディレクトリを指定するとまたffmpegに戻ってしまうのである。なんでだろう?
試行錯誤のすえ「Use DirectShow」のチェックを外すと「mencoder」のまま動作させられることがわかった。それでエンコードを開始させたのだが、たかが20分ちょっとの動画を変換するのに1時間半以上かかっただよ。しかも「Video Scale Size」を「NoChange」にしていたら、画面が縦長になっちゃうの。まあ、これはAspectを4:3に指定してやると回避できたんだが。
娘は昨日あたりから私に冷たい。抱っこしようとしても絵本を読んでやろうとしても飯を食わしてやろうとしても「かーちゃんと!」と言って母の元に逃げていき、私に近づこうとしない。朝も早くから起きていたらしいのにカミさんが「下りて父ちゃんとこ行き」と言っても寝室を出ずにずっと母親の横にいたらしい。夜になって寝るときも嫌がられてしまい、カミさんに寝かせていただくことになるのである。
▲1月15日(日)▼
例によって昼過ぎになって起きてきたカミさんは子供たちと家の外で泥遊びをするという。家の前にあるタライに砂を入れてあるので、そこに水を混ぜれば泥遊びができるのである。しばらくするとカミさんが家の中に戻ってきた。娘は息子に見させているという。このあたりは大阪の中でも時間の流れが止まったようなところだし息子を信じないわけでもないのだが、先日ブックオフで買ってきたマンガを読みながら家の前にあるブランコに座っていることにする。
子供たちは仲良くペットボトルを斜めに切って作ったスコップやカップで砂をすくって遊んでいる。そのうちに息子が泥遊びをやめてしまうと、娘ももうやめるという。それで片づけていたら彼女はブランコに座り、一緒に乗れと言う。二人でゆらゆら揺れながらマンガを読む。寒いけど幸せ。
そのうちに娘はブランコを降りると、ボールを持ち出してきて家の前でボール遊びをしようと言う。まだ2歳なので彼女が放り投げたボールを受け取り転がし返してやるだけで喜ぶ。これだったら楽チンだと思ってたら、息子が出てきて2人を相手にしなければならなくなる。息子が強く投げ始めたので、彼との間はドッジボールみたいな感じになってしまった。重いボールを思い切り投げたので肩が心配だ。明日以降に痛みそうだな。
「iriverter」でDVDに入っている動画を変換しようとするとmencoderを使わなきゃダメよと言われてしまう件だが、VOBファイルを直接変換しようとしているせいではないかと思ってDVD2AVIでd2vファイルに変換してみる。しかし、それを入力してmencoderにするとffmpegにしろと言われるし、それでffmpegにするとmencoderにしろと言われる。いったいどうすればいいのだ。
それでd2vファイルをaviファイルにしようと思ってTMPGEncで読み込もうとするとDVD2AVIを後からインストールしたのでd2vファイルを読み込まねえし。TMPGEncのアンインストールの方法がわからない。最新版をインストールしなおしても同じ。べつにインストールとか要らないソフトみたいなんだけどなあ。
まあ、時間がかかっても「Super © for FREE」で直接DVDから変換してやるしかないのか。寝てる間に変換できるんだからな。複数のタイトルをまとめて変換できるかは、また確認しよう。たぶん、「vobファイルが複数になっていて、mp4ファイルが複数に分割されてしまう」とか書いてあるサイトがあったから逆にそうなんだろう。…とか思ってやってもたら、ファイルを一つ処理するごとに保存する場所を訊いてくるんでやんの。入力ファイル名から自動的に出力ファイル名を決めるんだから全部同じ場所に保存してくれればいいのに。
あとは、1つのタイトルが長時間で1ギガを越えてて複数VOBファイルに分かれているときの方法だな。
ビットレートを1008bpsにしてエンコードしているのだが、動きの速い場面ではかなりブロックノイズが出るなあ。それとも、テレビで観てたときには気づかなかっただけで、HDD&DVDレコーダーでLPモードで録画したときからそうだったんだろうか。H.264の能力がその程度のものだとは思えないんだがな。そうだったら、もっとビットレートを下げられるか。
▲1月16日(月)▼ →
昨夜は私が子供たちを寝かせたのだが、娘は外で遊んでたし昼寝もしてなかったので背中に薬を塗り込むだけですぐに眠ってくれた。それで起き出してパソコンをいじる。3時前になって寝るために上がっていき、息子にオシッコをさせるためトイレを開けていると寝室から娘の泣き声が聞こえてきた。あら、起きちゃいましたか。慌てて寝室に入って抱き上げるが、ずっと身をよじって嫌がっている。母親のところに連れて行かなければならないのか…と思っていたのだが、聞いてみると「じゅっこ」「じゅっこ」と言っている。ひょっとして、尿意を訴えているのか。トイレに連れて行って降ろすと泣きやんだ。はあ、オシッコで目を覚ましたですか。偉いもんですな。
オシッコさせると娘はすぐに抱っこしろと言う。抱き上げて寝室に戻ったが、これじゃお兄ちゃんにオシッコさせるのは無理ですな。そのまま、彼女が眠るまで抱いたまま部屋の中を歩き回って眠らせる。そして、私が寝るため上着を脱ぐときに目を覚ましたので胸の上に乗せて寝かせる。そのまま私もうつらうつらしていたら、いきなり耳元で大きな音がして驚いて目が覚めた。娘が咳をしたのである。あー、びっくりした。
またツイン21で古本市が始まったようだ。昼休みに行ってみたが、やはりブックオフの100円コーナーに慣れた目で見ると割高に感じる。「これを逃したらもう出会えないかもしれない」と感じるような本しか買えないなあ。そういうことで、買う本はなかったのであった。まだ15分程度では全部見れてないんだけど。
ある棚などは埃が積もっているのかと思ったら、本の上面が虫食いでフラクタル状態になっているのだった。和紙の本である。拡げてみると、上部から侵入した虫食いが1センチ以上入り込み、本文領域まで侵していたりする。こりゃ古そうですねえ。行書の文字を振り仮名を頼りにざっと読んでみると、この症状の時にはこの食物を食えというような内容だった。医食同源ですか。けっこう面白そうかも。でも、他の本が汚染されるのが心配だから買えないなあ。
今日は昼から移動して久しぶりに野田の客先に行く。そういうことで帰りに弁天町のブックオフに寄ったのだが、ここもコミック文庫の100円コーナーは縮小の傾向にあるようだ。けっきょく買ったのは7冊。そのうち3冊はスターウォーズ関連の文庫本で見たことのないものがあったのでカミさんへの土産に買ったものである。でも、徳間文庫でもスターウォーズの本が出てたとは知らなかったな。
レジに行く前に、先日当たった金券が使えないか確認してみる。裏面の使用可能な店舗の一覧を見てみると、この店も含まれていた。それに、滋賀の店も含めて私が行ったことのある店がほとんど含まれているような感じである。前回とは変更されているようだが、どういう基準で選ばれてるんだろう。まさか共通のユーザが訪れる店をグループ化していて私がそれらの店に行ったせいで…ということはないだろうなあ。
性懲りもなく通勤中に「ディアスポラ」(グレッグ・イーガン/山岸真)を読んでいる。ラストを比較すると、「果しなき流れの果に」においては宇宙(よりもさらに大きなもの)の果てを見た主人公は力尽き破滅してあのエピローグに縮み込んでゆく。それに対して「ディアスポラ」では主人公はそれを目撃したことに満足し、自分の生まれた時空からはるか遠く切り離され数学の世界に引きこもることになる。このあたりも作者の性向の違いが現れているんだろうか。
さらに言えば「果しなき流れの果に」の中心には「男女の愛」というテーマがあるが、この作品にはそれが希薄だ。小松左京にとっては性別や性欲のようなものは人間性の基本であるのに対して、イーガンにとって「性」というのは克服すべきものである。このあたりは時代背景もあるんだろうか。はたまた文化の違いか。
いずれにせよ、イーガンの方が機械的というか無機質な感じがする。これは明らかに個性である。個人的には性別で脳の構造も異なるようだし物の考え方もまったく異なるように思われるので、人格から性を切り離すのは難しいように感じられるのだけどね。
肉体と精神をどこまで切り離せるものなのかについても、かなり考えるべき問題だと思う。現状では体調や身体の状態によって思考は相当の影響を受けているからな。
とりあえず「ディアスポラ」を読むのはここまでにして、「さらば幽霊―自選短編集」(小松左京:講談社文庫 こ 4-3)の続きを読み始める。まずは「忘れられた土地」である。ああ、文章の手触りが丸くて暖かい。
家に戻ったとき、家族は風呂に入っていた。カミさんに呼ばれて娘を回収するために私がバスタオルを持って行くのを見ると、彼女は急に泣き出して脱衣所に逃げ戻る。いったいどうしたというのだ。今朝は一緒に寝たじゃないか。
▲1月17日(火)▼ →
昨夜はカミさんが娘を寝かせてくれたのだが、寝ていて気がつくとまた娘がこちらに歩いてくるところだった。そして布団に入れてやるとまた痒い痒いと訴えはじめる。時計を見ると2時過ぎである。今回は薬を塗っても治まらない。それで医者に処方されたローションを塗ったのだが、それでもダメ。抱き上げて歩き回っても、しばらくは静かになるのだがすぐに身体を掻きむしり始める。とくに紙オムツの中が痒いようで、触ってみると異様に湿っている。これはオムツを替えた方がいいかということで階下に下り、カミさんにオムツ替えとベビーパウダーの散布をお願いする。そのままカミさんが娘を寝かせてくれたのだが、私は目が覚めてしまったな。しかし寝る前にかなり眠たかったのでそのまま布団に入ることにした。それなのに、今朝は眠くて起きられないのである。
往きに電車に乗ると、新聞の一面はみんなライブドアに家宅捜索というニュースである。あらー、そういうことになってましたか。何となく昨日から「堀江も三木谷も他人のフンドシで相撲を取ることしか考えてない」という言葉が頭の中を回っていたのだが、何かの予感だったのか無意識のうちにこのニュースを知ってたのか。
個人的にはこのBlogのコメントを読んでいたのがきっかけなんだけど。けっきょく、テレビ局なんか買わないで自力で番組を作ればいいのにそれができないのは、彼らが持っている資産が虚像だからなんじゃないかという考えが頭の中で回っていたのだ。実際にモノやリアルな金に変換すると価値が下がってしまうので、株同士で交換するような形でしか使えないんじゃないかと。
だいたいが、私がインターネット上で自分が探してきて選んだサービスはみんなこの人たちに買われちゃってるのも「他人のフンドシ」という印象を強めている。掲示板はライブドアに買われちゃったし、宿泊予約やアクセス解析やフリーメール(ポータルの操作性はライコスの方が良かったのに)は楽天に買われちゃったし。けっきょく、自分のところで作らずに買ってきてるだけのように感じてしまうんだよな。
引き続き通勤中に「さらば幽霊―自選短編集」(小松左京:講談社文庫 こ 4-3)を読んでいる。今日はまず「忘れられた土地」を読み終えた。いやー切ない。まあ、そういう時代に住んでる人間なら「それがどうした」と言いそうな気もするんだけど。昨日感じたように文体が柔らかいのは、それを意図しているからだな。
続いて「保護鳥」を読み始める。ああ、やっぱり小松先生の文章は凄いわ。久しぶりに読んでみると改めてそれを感じる。この暗く、重苦しい雰囲気。そしてその景色の向こうから、ひたひたと迫ってくるような恐怖。いやー、怖い怖い。
▲1月18日(水)▼
今日も昼休みにツイン21でやっている古本市に行ってみる。「これはめったに出ないかも」と思うようなものはあったのだが、「300円なら」と思うものが500円だったり「500円なら」と思うものが1000円だったりして…ああ、貧乏はツラい。
同僚に自分のPCに入っているフォルダを公開してその結果を確認していたのだが、「共有ドキュメント」という名前で見えている「C:\Documents and Settings\All Users\Documents」というフォルダが知らないうちに共有され「ネットワークユーザーによるファイルの変更を許可する」になっているのを見つけてしまった。これはヤバイんじゃないのか。ここに大量のデータを書き込まれたらOSが落ちちゃいませんかね。デフォルトで誰にでも読み書き可能ってのは、なんぼ何でもヒドすぎるんじゃないの。
帰りに寄ったブックオフで大判コミックスの3冊210円セールをやっていたので無理にでも3冊買ってしまう貧乏人である。それでも「鉄コミュニケイション 1」と「ふくふくふにゃーん 1」と「妖精の秘密」というのはけっこういい組み合わせではなかろうか。こういう機会でもないと、収納効率が悪い大判コミックスは買わないからな。
東証が売買取引を全面停止というニュースが。そら『「約定件数が400万件を超える場合には、システム処理の継続に支障が生じる」とし、売買取引を全面停止する恐れもあると警告』したら、みんなパニックになって殺到するでしょう。それに、先日の誤発注の場合は「そういう操作をされることは想定外」という場合もあるかもしれないが、これは予想できたことなんじゃないの。最近は個人投資家が増えてきたんだから、余裕を持ってシステムを増強しておくべきだったんじゃないだろうか。駅の売店にある新聞の見出しを見て、もうニッポンはダメかもしれないなあ…などと思いながら帰る。
後から読んだニュースによると、制限は「確保できるハードディスクの空き容量の大きさから」って…そりゃ怠慢と言われても仕方ないでしょ。開発の遅れは仕方ない(とくに、こういうトラブると影響が大きいシステムは)にしても、空き容量ってのは金の問題なんじゃないの。
家に戻ると息子はトリビアを見ていた。久しぶり(私にとっては初めて)の将棋ネタである。しかし、「二歩」ってのはああいう平板なアクセントだったっけ。プロもそう発音していたからそうなんだろうけど。私らは「に」を強く発音していたんだけどな。
堀江社長のノートパソコンも押収されちゃったですか。メールが読めなくなっちゃうのかな。これじゃ仕事ができんだろう。
今夜も娘は風呂から上がってきて身体を拭き薬を塗ってパジャマを着せようとすると、嫌がり裸で逃げ回る。無理矢理着せたのはいいが、その後ペチャペチャと私に向かって文句を言ったあと、「わかった?」と言い捨てて遊び場所に向かう。うーん、2歳児に説教されるとは思わなかったな。
▲1月19日(木)▼
引き続き通勤中に「さらば幽霊―自選短編集」(小松左京:講談社文庫 こ 4-3)を読んでいる。今日はまず「さらば幽霊」を読み終えた。こんな軽い話なのに、ちゃんと「幽霊の文化への貢献」とか「現代における著自然的なものに対する感覚の喪失」とかネタが入っているのが偉い。やっぱりまずネタがあって、そこから物語を創ってるんだろう。考える力と時間があれば何倍も楽しめるんだろうけどね。
そして、帰りに「海の視線」を読み終えた。主人公は客船で海を旅している。前半は、はじめての船旅をしている彼の、船内とその外に広がる海に対する感覚が描写されている。なんということもない普通の小説のようにみえる。しかし、彼が不思議な老婦人と会話を始めるあたりから様相が変わってくる。
そのことについて明示的には言及されていないのに、強烈なまでの重苦しさで感じられる、圧倒的な海の量感。そして、その大量の海水が消え失せてしまった未来と現在が、未来の探査者の心を通してつながる。この枚数で、なんと大きな物語を描き出してしまうことか。
今日も昼休みにツイン21で開催されている古本市を見に行く。開催期間は今日までのようなので、今回はこれで最後だろう。しかし、カバーの無くなった詰将棋の文庫本を200円で買っただけ。ちょっと真剣に7〜11手くらいの詰め将棋を考える訓練をしないといけないと感じているのである。最近、手を読む能力が落ちてきているのに愕然としているのだ。以前であれば変化手順の隅々まで見通せたのに、最近は数手で読みがブチブチ切れる。練習不足というより老化現象なんだろうなあ。
今日は家に着いたときにはカミさんが子供たちを寝かせているところだった。カミさんが下りてくると娘の泣き声が聞こえてきて、それから息子がなだめているような声が聞こえてくる。すぐに静かになったのだが、後で私が寝るために寝室に入ると、子供たちは息子の布団で二人並んで眠っていた。なんか可愛い。いつもはケンカばかりしてるのにねえ。
昨日、知らないうちに誰でも書き込み可能な状態でフォルダが共有されていた件だが、フォルダオプションの「表示」タブで「管理ファイルの共有を使用する(推奨)」というチェックを外すとアクセスできるユーザを制限できるようになった。しかし、たまたま私がファイル共有の動作確認をしたから発見できたのだが、気づかずに大事なところをネットワークに丸出しにしている人も多いんじゃないだろうか。なんでこういう設定が「推奨」でデフォルトになってるんだろう。何も考えなくていいからなんだろうな。やっぱりMicrosoftのOSは危険だ。
もう一つ昨日、堀江社長のパソコンが押収されて仕事ができないんじゃないかと書いたのだが、本人のblogを見ると「データを全部コピーすることは認めてくれた」ということのようだ。まあ、証拠隠滅の証拠を探すならオリジナルのハードディスクがあればいいんだからクローンを作ってそれを渡せばいいのだが、この日記を見るとライブドアの社員がその作業をしたらしい。そういうのは地検側がやるべきことなんじゃないの? …とか書いてたら、やっぱり業務的にかなりの混乱はあったようですな。
▲1月20日(金)▼ →
帰りに本屋に寄り「最強!あおい坂高校野球部 5」(田中モトユキ:少年サンデーコミックス)を買う。まだテンションは落ちてないな。
家に着くと、娘が迎えに出てきた。髪を後ろで左右に括っている。かっ、かわゆい〜! 三つ編みにしろとまでは言わないが、やっぱり女の子は髪を後ろで括るのが正義である。あらためてそれを実感したことであった。
【妹の本】
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