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▲7月1日(木)▼ →
昨夜はまた何もできず居間で死んでいた。座っていて「ああ、疲れた」と思ったときにはもう、横たわる場所を探している。意志の弱いことである。気がつくと5時過ぎだ。何かと用事を済ませてシャワーを浴びると7時前。起床すべき時間なのである。
引き続き「量子宇宙干渉機」(ジェイムズ・P・ホーガン/内田昌之:創元SF文庫:→【amazon】:→【bk1】)を読んでいる。パラレルワールドテーマであるが、少しずつ異なる宇宙が並行して存在していて、別の世界の自分に「のりうつる」ことができるようになった、という話である。別の世界の「自分」というのはどうやって繋がっているのか、というのが問題になったりする。そうだよな、「少しずつ違う」のだから、その人が「自分」だといえるかというのは微妙な問題だよな。こういうところを気にするところがSFである。さて、どういう回答を用意してくれるのだろうか。
帰りに梅田の本屋に入ると「医竜 6」(永井明/乃木坂太:ビッグコミックス:→【amazon】:→【bk1】)が出ていたので買う。私は記憶力が無くて何巻まで買ったか覚えてないので、最新刊かどうか確証がなかったのだが、3冊分のスペースを取って平積みになっているから大丈夫だろう。というか、裏表紙を見ると例の麻酔医が載ってるから決まりですな。これは連載中から早くコミックスにならないかと待ってたんだ。そして電車の中で読み始めるが…いやー、いいねえ。バーの姉ちゃんが撃たれてから救急車でERに駆け込み手術完了するまでは、日本のマンガ史に残る名場面だと思うぞ。それもこれも、これまでのキャラ立てがあってのことだが。
今夜も家に着いたときには21時を過ぎていたのだが、息子は起きていた。「阪神勝ったで。11対0」とか言っている。両手を広げてやってくるので彼の脇に下に手を入れて天井近くまで持ち上げてやる。喜ぶかと思ったら「びっくりしたー」とか言っている。足もふらついている。予想外だったらしい。見ていたカミさんが娘を連れてきて「高い高い」をしろと言ってくる。平等にサービスしなくちゃいけませんか。
明日は私が徹夜作業で家に帰ってこないので、夕食は宅配のピザを頼むようなことを言っている。何かカミさんと息子で揉めていると思ったら、何を注文するかで揉めているのだった。
今夜も眠い。何度も意識を失う。明日は徹夜作業なので早めに寝る。といっても、その時点ではすでに翌日になっていたのだが。
▲7月2日(金)▼ →
尿意で目が覚めた。9時過ぎである。9時間近く寝たことになるか。横を見るとカミさんと娘が大の字になって寝ている。保育所には行かなかったんだろうか。起きて昨夜できなかった用事を済ませる。今夜は徹夜のため遅く家を出るので9時半に起こしてもらうように言っていたのだが、まったく起きてくる気配がない。独り寂しく徹夜作業への旅に出るのである。
引き続き「量子宇宙干渉機」(ジェイムズ・P・ホーガン/内田昌之:創元SF文庫:→【amazon】:→【bk1】)を読んでいる。並行して存在している別の世界の対応する人間に「のりうつる」ことにより別世界を体験する様子が描かれている。そして、こちらから別の世界に「行ける」ということは、別のところからこちらにも「来ることができる」ということだ。こりゃ大変ですよ。
そして権力志向の人間たちが"別天地"に行って支配しようとしているのだが、あちらの人々にガキ扱いされてチョン…というこの作者ならではの楽観的な結末なんだろうか、などと思いながら読んでいる。やはりこの人には「知性」への無条件の信頼というものがある、と感じる。この世は争いと矛盾に満ちているにもかかわらず。SFの良質な作品を生み出すためには、それが必要なんだろうな。
主人公は軍拡競争がなかったためにテクノロジーがこちらの世界のように進んでいない世界に行っているのだが、自分がこういう世界に行ったら何ができるだろう…と考えてしまう。科学の「結果」は知っていても、実際的なことは何も知らない。こういう人間がいちばん役立たずなんだな。
しかし、人格が完全に置き換わるというのにはちょっと納得できない。あちらの人格とこちらの人格の「重ね合わせ」が起こるというのであれば、SF的にはありそうな気もするのだが…とか思っていたらちょっと様相が変わってきたようですね。
往きの電車の中で見かけた背の低いにーちゃん、デカいピアスをぶら下げているもんだから、耳たぶがビョーンと伸びて垂れ下がってやんの。何だかなあ。まあ世界にはそういう風俗の人々もいるんだが。
私にはどうも儒教的な価値観が強いようで、自分の身体を妙なふうに加工するのには強い拒絶反応が出るのである。カミさんと最初に出会ったときにも彼女がピアスや濃いマニキュアをしていないことに好感を持ったんだよな。以前、結婚紹介業者の会員になっていたときにも、紹介された相手は積極的だったのだが彼女のマニキュアが真っ赤なのに私が引いてしまって逃げるように帰ってきた…というようなこともあったなあ。
▲7月3日(土)▼
けっきょく一睡もせず7時まで仕事。仕事場を出て、昨日の出勤時に買ったスポーツドリンクの2リットルのボトルが半分近く余ったので飲みながら駅に向かう。1リットルの野菜ジュースも一緒に買ったのが敗因だった。
電車に乗る前にトイレには行っていたのだが、やはり大量に水分を摂ると途中で尿意を催す。座って気持ちよく眠っていたのに目が覚めてしまった。停車したときに降りて用を足そうかとも思ったのだが、「あと2駅だから」ということでそのまま乗っている。しかし、特急だから走っている時間が長い。その間にも膀胱はどんどん膨らんでくる。限界に近くなってきた。手足の指を、うにょうにょ動かして耐える。いかん。何かあったら決壊するぞ。もう、耐えること以外何もできない。尿意は徹夜明けの眠気よりも強いのだった。
十三に着いたときには破裂寸前である。しかし、梅田まではあと4分くらいのはずなので、知らない駅で降りて迷うくらいならこのまま乗っていた方がいい。窓からホームのトイレの位置が確認できれば降りようと思っていたのだが、どうやら階段の上にあるようである。それで降りずにそのまま乗っていたのだが…激しく後悔する。ああもう、ちょっとの衝撃で破滅がやってくる。立ち上がってドアの前まで行くが、それからがまた長い。脂汗を流しながら無限とも思える時間を耐えるのであった。
停車してドアが開いて走って走ってトイレに駆け込み、溜まっていたものを放出する。ああこの開放感。長い長い長い放尿が終わる頃には、目に涙が滲んでいるのであった。
家に着いたのは10時頃であった。玄関を内側からロックされてたらどうしよう…と思っていたのだが、解錠してみたらスッと開いたのでホッとする。まだみんな寝ているんだろうと思っていたら、居間では息子が独り起きていた。「ドラゴンボール」を読んでいる。13巻を買いに行こうと言われるが、「父ちゃん寝て起きてからな」と言う。正直、外出できるような体調ではない。
息子を独りでは置いておけないので、カミさんが起きてくるまで待つ。昼前に起きてきたので交代して寝る。こうなるともう起きられない。カミさんが洗濯物を干すときに娘を預かったのだが、ただ泣かせるだけ。夕方になって風呂を沸かすよと言われたのにも反応できない。階下でカミさんが子供たちを風呂に入れている気配を感じて、起きなきゃ…と思うだけで身体が動かない。やっとの思いで21時過ぎに起きていったが、息子が寝るので絵本を読んでやるために一緒に寝室に入り、そのままダウン。けっきょく、顔を洗ってお茶を少し飲んだだけであった。背中が痛いので息子に背中を踏んでもらう。
▲7月4日(日)▼ →
4時過ぎに目が覚めるが、背中が痛く、頭も身体も重くて起きられない。30分くらいゴロゴロしてから起き上がる。つごう17時間くらい寝ていたことになるか。しかし、身体が80代の老人のように錆びついていて、うまく動かない。階段を下りるのも顔を洗うのも一苦労である。40代でこれじゃ、先が思いやられるな。
まずは水分の補給である。お茶を飲むと、ようやく腕を血液が流れる感覚が蘇ってきて汗が出始める。そこにカミさんが下りてきた。階上で娘が泣きはじめたので、ご下命を受けミルクを飲ませに上がる。カミさんがまた寝るようなので交代。
もうお茶が入らないので、冷蔵庫に入っていたカルピスソーダを体内に注入する。そして、野菜ジュースと柔らかいパンをゆっくり腹に入れる。なんだか、冷凍睡眠していたのを解凍するようなプロセスである。
今日は息子はお義母さんに海水浴に連れて行ってもらうことになっている。小学生の遊び相手ができるような体調ではないので有難い。カミさんの従姉妹とそのお子さんも一緒に行っていて、帰りに我が家に立ち寄られる。息子の又従兄弟は彼より1つ年上で、車の中で揉め事を起こしていて二人とも降りてこない。まあ、喧嘩ができる相手がいるというのは良いことだ。ウチの子は従兄弟がいないからねえ。
我々の世代くらいから兄弟の数が少なくなってきているし結婚しない(できない?)人間も増えてきているから、息子の世代になると兄弟も従兄弟も少ないのである。彼らにとっては又従兄弟が我々の従兄弟くらいの感覚なんだろうな。そういう意味では、我々は従兄弟たちとも良い関係を作っておかねばならないんだろう。
息子の又従兄弟のお姉さんは、小学校高学年で整った顔立ちの眼鏡っ娘である。最近はこういうタイプに萌える奴も多いんだろうなあ、と思うと複雑な心境である。まあ、オレだって世間から見ると性的嗜好が異常なんだろうが。
又従兄姉たちが帰っても息子は元気である。半日泳いできたというのにねえ。キャッチボールをやりたいと言っている。「10球だけやぞ」と言ってすぐに切り上げる。そして買い物に連れて行ったのだが、そこで疲れているのに気づいたようである。現金なものだ。夜はすぐに寝たようだ。泳いだ疲れは後から来るからねえ。私だったら翌日仕事がある日に泳ぎに連れて行ったりできない。
▲7月5日(月)▼
昨日、息子が「グダフタヌーン」とか言っていた。いい発音だ。最近は小学校にも外人の先生が教えに来るらしいからな。息子が言うには先生ではなく先日外人さんがやってきて、それで覚えたらしい。そういえば先週息子を校門の中に送り出してからすれ違った、ビデオカメラで撮影しながらゾロゾロ歩いていた青い服を着たガイジンの一団がそうだったのかな。なんでこんなところに観光に来るんだろうと思っていたのだが、何かの使節団だったんだろうか。しかし、今はまだ余裕を持って褒めてやれるが、子供の進歩は早いからすぐにこちらの理解を超えたところまで行ってしまうんだぞ。
今日、「量子宇宙干渉機」(ジェイムズ・P・ホーガン/内田昌之:創元SF文庫:→【amazon】:→【bk1】)を読み終えた。取っ付きは悪かったが、結果的には面白く読めた。ホーガンはいつもそうか。「暗殺部隊も含めて敵が全員向こうの人格と同化してしまって戦意をなくしてしまう」というオチかと思っていたのだが、少し違っていた。しかし、どうせなら「これをきっかけに人類が進化してしまってこちらの世界まで変貌してしまう」ところまで描いてくれるんじゃないかと思っていたんだけどねえ。
続いて「天切り松闇がたり 第1巻」(浅田次郎:集英社文庫:→【amazon】:→【bk1】)を読み始める。カミさんに渡されて読むように言いつけられているのである。彼女にとってはオールタイムベスト級の作品らしい。
今の人が読んで、こういう大正時代の風俗ってわかるのかなあ、などと思いながら読んでいる。いちいち解説したんじゃリズムが悪くなるというのはわかるが、まるっきり当時のままの感覚で描かれたんじゃ、私のような教養のない人間にはちょっとツラいんだよなあ。
▲7月6日(火)▼
昨夜、カミさんが息子にウチの妹の本(→【amazon】:→【bk1】)を読んでやったそうである。先日ウチの親から送られてきたものである。ウチの親が出版社からまとめ買いして親戚中に配ったそうなのである(そういうことをするから嫌がられて教えてもらえないんだよな)。「どういうご関係ですか」と訊かれたので「○○○○○○は娘です」と応えたら「『○○○先生』と呼ばれていた」と喜んでいた。親としては嬉しいだろうな。脛を齧るだけの娘だったからねえ。
読んだカミさんは「可愛げがないほど巧い」とか言っている。まあ、賞の趣旨をちゃんと理解して選ぶ方の立場までちゃんとわかって書かれてますからな。私なんかは、そういう模範解答みたいなところがちょっと…なんだが。まあ、これも兄の欲目(じゃなくてその逆)なのかもしれないが。
カミさんは「どうやって創ったのか訊いてみたい」とも言っている。北島マヤタイプである彼女からみれば、求められるものを計算通りにすべてきっちりと盛り込んで仕上げてくる自分と正反対な姫川亜弓タイプを見れば「どういうふうに創ってるんだろう」と思うんでしょうな(意味のわからない人がいたらすみません)。まあそれは逆も真のような気がするんだが。
引き続き「天切り松闇がたり 第1巻」(浅田次郎:集英社文庫:→【amazon】:→【bk1】)を読んでいる。旧き良き時代の話だねえ。ゼニカネでなく、人々が「粋」とか誇りとかいうものに身体を張って生きていた時代。このシステム化された世の中で効率とか生産性とかを考えながら生きている身にはもう、異国の話ですな。そしてやはり薄々の一般人には難しい。山県有朋が「伊藤」と言ったときに伊藤博文という名前とこの二人の関係が頭に浮かぶ程度の教養は必要なような気がする。あいにく私は歴史の成績が悪かったのである。
「牛太郎」という言葉も私のような教養のない人間にはわからないのである。Linuxザウルスで辞書を引いてやっとわかったのである。「地下鉄(メトロ)に乗って」(浅田次郎:講談社文庫:→【amazon】:→【bk1】)もそうだったが、このレトロな世界はかなり人を選ぶような気がするんだな。
しかし、そんなことを言いながらもいつの間にか江戸弁風の言葉で物を考えている自分に気づいて苦笑する。けっこう影響力はあるのかもしれない。まあそれも、言葉のリズムがいいからなんだな。
▲7月7日(水)▼ →
今日は朝から大阪の本社に出て荷物を持って京都に移動する。移動中に開店直後の京阪モールの中を通ったのだが、ブティック街を通ると各店舗の店頭に出ているお姉さんたちがずらりと頭を下げる。私はそういうのに居心地の悪さを感じてしまうのだが、こういうのが嬉しい人もいるんだろうな。そして京阪モールを出てJRの駅に向かっていると、号外を配っていた。「国松元警察庁長官狙撃事件 オウム幹部4人逮捕」だそうである。「何で今頃こんな昔の事件で…」と思ってしまうのだが。まあ、警察もメンツがかかってるんでしょうが。
そして往きに「天切り松闇がたり 第1巻」(浅田次郎:集英社文庫:→【amazon】:→【bk1】)を読み終えた。いい作品ではあったが、やはり私には遠い世界の話である。私のような人間には大正時代よりも宇宙空間や未来社会の方が身近に感じてしまうのだ。こういう濃厚な人間関係にも耐えられない人だし。ちょっとカミさんとは泣きのツボが違うんだろうな。まあそれでも、おこん姐さんはいい女だねえ。
続いて「蒲生邸事件」(宮部みゆき:文春文庫:→【amazon】:→【bk1】)を読み始める。相変わらず読みやすい。この時間旅行者の描写を読んでいると「クロスファイア」を思い出してしまう。そして、このメイドさん(女中と言え)であるところの娘さんが魅力的だ。こういうキャラクターを登場させればもう勝ったようなもんだな。というか、負けるのはオレか。
娘は床の上を這って自力で移動できるようになったらしい。さっそく隣の部屋まで行って戻ってきたそうだ。「動けた〜!」というので大興奮だったようである。まあ、肉体的な条件は整っていたみたいなのに何でできないのか不思議なくらいだったから、単にコツがわかって自分がそれをできることを認識したというだけのことなんだろう。そういう意味では、私のような歳になってもまだ使っていない能力があって、ある日突然その使い方がわかる…ということも有りかもしれないな。
「PCソフトの違法コピー率は世界で7番目に低いのに損害額ではワースト5」ってのは、この国ではソフトが高価すぎるってことだよなあ。欲張り爺さんはかえって損をすることになるんだぜ。ソフトなんてもんは安くしていっぱい売った方がいいと思うんだがなあ。
▲7月8日(木)▼ →
引き続き「蒲生邸事件」(宮部みゆき:文春文庫:→【amazon】:→【bk1】)を読んでいる。なんか、主人公に考えが無さすぎる。宮部みゆきさんの作品には珍しく、登場人物の行動に納得できない。これじゃあ感情移入できないなあ。「ふきちゃん、こんな馬鹿に引っ掛かるなよ」とか思ってしまう。
主人公が戦前の世界にすんなり溶け込んでいるように見えるのにもちょっと違和感がある。現代と戦前ではかなり言葉遣いや物事に対する考え方が違うはずなんである。相手による言葉遣いの使い分けも、現代人には細心の注意が必要なはずだ。この考え無しで頭の軽そうな主人公がボロを出さずにいられるというのが信じられない。
そしてその主人公が、なんだか急に名探偵になってきた。こんなに豹変するって、なんかマンガみたいだな。でもなあ、銃を撃ったら匂いでわかるんじゃないのかなあ…とか思ってしまうのである。
ああー、もうやだー。「話をしたい」という古田に、渡辺オーナーが「無礼な」って…もうこれ以降、日本のプロ野球を観る気はなくなったな。もう何でも勝手にやってください。けっきょく日本のプロ野球ってのはファンや選手のためのものじゃなくて、オーナーの持ち物だってことね。でもね、言っておくけど、たとえそうだったとしても客に見放されたらおしまいなんですよ。最近、読売の試合の視聴率が下がってるのも、1リーグにして新鮮なカードを組めば挽回できると思ってるのかなあ。分析が間違ってるような気がするんだが。まあ、自分の考えが間違ってるかどうかなんて気にする人じゃないみたいだから、何を言っても無駄だろう。
そういう意味では、ここまで言われても読売ファンは試合を見るのかねえ。オーナーじゃなくて選手やチームのファンだったら、選手が尊重される球界になるまで試合を見るのはやめるべきだと思うんだよなあ。結果は読売系以外の新聞で見るべきだと思うし。
娘は這えるようになったのだが、昨夜は私が帰ったときには寝ていたし今朝は起き抜けだったのでその雄姿を見せてはくれなかった。今夜帰ったときには起きていて居間の隣の部屋にいたので、私の姿を認めるとニコニコ笑いながら1メートルくらいの距離を腕の力だけで這ってきて、床に突いていた私の腕にしがみついてくる。ううー、嬉しいぞー。
▲7月9日(金)▼ →
引き続き「蒲生邸事件」(宮部みゆき:文春文庫:→【amazon】:→【bk1】)を読んでいる。「人の力が重んじられた時代だから、人同士のつながりも温かい」というのはそうかもしれない。「天切り松闇がたり」を読んでいて感じた、あの人々の大らかさと暖かさもそういうことなんだろう。
ただ、読んでいてどうも宮部みゆきさんの作品のなかではそれほど出来がいい方ではないように感じる。何でSF大賞を獲ったんだろうと思うくらいである。これも最後まで読まなければ評価できないが。まあ、受賞作のリストを眺めてみて、私が鑑賞していて面白いと思ったのは「太陽風交点」、「童夢」、「ヴィーナス・シティ」、「新世紀エヴァンゲリオン」、「かめくん」くらいか。2割を切ってるな。そういう意味では私の趣味とはズレている賞なんだろう。
明日と明後日は休日出勤する予定なので今日は早めに帰るつもりだったのだが、何だか妙な現象が発生して遅くなってしまった。家に着いたときには23時近く。それでも家族はみんな起きていた。息子がやってきて「日曜日、何あるか知ってるかー?」と言ってくる。何だと訊くと「10時から○○公園で野球すんねん」と言う。どうやら同級生と約束してきたらしい。ほう、それはいいことだ。集団でゲームをやらないとわからないこともあるからねえ。本来なら、上級生が中心になったコミュニティがあって、そこに組み込まれてその中でレベルアップしてゆく形が望ましいんだろうけど。
▲7月10日(土)▼
明け方から雷が鳴り、強い雨が降っている。サーバを落とした方がいいかなあ…とか思いながらも起きられない。近くに落雷してサーバが壊れたら泣くに泣けないのだが。最近はデータ量が多くなりすぎたためハードディスクにバックアップしていて、光ディスクには保存していないのである。コツコツとやらねばならないのだが、面倒臭せえしなあ。
何もかも、ハードディスクの容量増加の勢いが激しすぎて、リムーバブルな記憶装置が追いつかないのが原因か。容量が増えるのは悪いことじゃないんだが。まあ、最近になって動画データを大量に貯め込んでいるのもあるよな。
今日も仕事。いつもの京都に行く時間に起きて家を出る。しかも雨が降っている。警報まで出ているようである。学校だったら休みなのになあ…とか思いながら駅まで向かう。
往きに「蒲生邸事件」(宮部みゆき:文春文庫:→【amazon】:→【bk1】)を読み終えた。ああ、やっぱり巧い。小説が巧い。読んでいる途中には多少の不満もあったのだが、やはりこの作品も読み終わったときには「読んで良かった」と思わせてくれる。もうエンディングでは泣ける泣ける。この、読者に回想を喚起させる力は凄い。それもこれも、主人公と同じものを読者がリアルに「体験」させられているからなんだな。それでもSFとしてはそれほどとも思わなかったが、小説としてはきちんとツボを押さえた良い作品でございました。
テーマもきちんと立ててあり、それがちゃんと伝わってくる。それは、歴史を結果だけ見て批判するのは卑怯だということである。その時点で最善だと思うことを精一杯やって、結果に対してはきちんと責任を取るというのは偉いということである。当たり前のことなんだが、これがなかな難しいのよね。
そういえば昭和30年代のニュースを集めて面白がるという企画があるようだが、どうも過去を下に見ているようであの時代を生きていた身としてはどうも面白くない。「あの時代があったから、今のお前らがヘラヘラしていられるんだぞ」とか言いたくなる。それと似たような感覚かな。まあ、企画したのは私と同世代らしいんだが。
明日も出勤することを覚悟していたのだが、みんなに頑張ってもらったおかげで思いの外作業は順調に進み、今日のうちに終えることができた。なんとか明日は休むことができそうである。
帰りに「一千億の針」(ハル・クレメント/小隅黎:創元SF文庫:→【amazon】:→【bk1】)を読み始める。「20億の針」(ハル・クレメント/井上勇:創元SF文庫:→【amazon】:→【bk1】)の続編である。これを読んだのは、たしかまだ学生の頃だったんだよなあ。懐かしい。「あの名コンビが帰ってきた」という感じですな。今の目で見てもそれほど変な設定ではないし、かえって妙にひねってない分だけ好感が持てる。いい感じである。
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