2000年 1月下旬の日記
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1月21日(金)
雪が降っている。かなり大粒で固い。濡れたアスファルトを踏むと、粘ついた感触がある。このまま降り続くと積もるかもしれないな。人や車の通っていないところは、もう白くなりかけてるし。

昨夜は、食事から帰ってきて買ってきた本を読みながら日記を書き終えて、通信しに行くつもりだったのだが、背中がガチガチに凝っているので、しばらく背中を伸ばそうと思ってベッドに横になったら…まあ、どうなるか薄々わかっていたことではあったのですけどね。やはり、パソコンジャックのないホテルに泊まってしまうと、通信するのには決意が要る。まだ22時頃だったはずなんだがなあ。起きたのは、部屋を出るべき時刻の1時間前だった。あわてて日記をHTMLに編集して公衆電話に走る。しばらく更新が滞っているからなあ。

いっしょに仕事をしてきた上司も、今日で客先に行くのは終わりだとか言っている。ああ、これからどうなるんだろうか。この仕事をやる前に戻ってこれを止められたらなあ、とか思ったりするのであった。でも、時間を戻すというのは、その間の努力をぜんぶ無駄にするということだからなあ。のうのうと生きてる人間の発想だよなあ。まあ、この間の仕事の上での努力は全く報われない努力だったから、ワタクシ的にはいいんだけどね。しかし、時間を戻しても未来の情報がなければまた同じことになるに決まっているし。過去に戻ってやり直すということは、過去の人間に現在の自分の記憶を注入するということになる。これは許されることなのだろうか。今の自分に20年後の自分の記憶が割り込んでくるということは、今の自分の人格が無くなってしまうということだよなあ。これは今の自分としては耐えられないよなあ。やはり、過去の自分に現在の情報を何らかの方法で知らせてやるくらいが適当なところなのかな。いや、物事の進み方が不確定性原理の積み重ねで確率的なものだったりカオスになってしまったりするんであれば、別の未来になることもありうるかも。だったら時間を戻すだけでも…こういうことをグルグルと考えてしまうのも逃避である。

10時間寝たので、さすがに帰りの電車の中でも本が読める。「高砂幻戯」の続きを読む。まず「山姥譚」である。蘊蓄が多すぎて、私みたいに知的レベルの低い人間には読みにくい。なぜ、小松先生がこんな作品を書いたのかよく理解できないのだが、それでも最後はちゃんと人情話になっているのはさすがである。続いて「反魂鏡」であるが、「あ、えすえふえすえふだ」などと思いながら読んでいたのだが、オチがねえ……あまり笑えなかった。「高砂幻戯」はこれで終わりである。続いて「ドリーム・オン」の2作目「いやな奴」を読んだ。意味はよくわからなかったが、まあまあ楽しめた。



1月22日(土)
昨夜は久しぶりに家で通信していたら、気を失っていた。床が冷たいなあ…などと思いながら起きられない。目が覚めると7時前であった。慌てて新聞社のサイトに行って朝刊の記事を見に行く。世間の様子も知っておかなければ……などと言いながら、落とすだけで読む暇がなかったりするのだけどねえ。しかし、その時点では朝日のサイトはまだ更新されていなかったのだった。

ひとしきりFIVAでインターネットした後、自室のMacNiftyのフォーラム巡回ソフトを起動したところで(NiftyのメールやフォーラムはMacでしか読んでいないのだ。Windowsマシンとは情報の共有が難しいからね)階上から息子の声が聞こえてきた。けっこう早かったな。

息子を連れて居間に下りると、彼は何だか泣いて怒っている。どうやら、居間のガスファンヒーターのスイッチが入っていると言って怒っているようである。このスイッチを入れるのが自分の仕事だと決めているらしい。けっきょく、一度消してからまた点けたのだった。まったく資源の無駄遣いである。難しい年頃だね、ホントに。

今日も息子は保育所に行くようである。そうか、それで早く起きたのね。親子三人でパンを食べる。食事中に息子は「シンちゃん(仮名)、かってに、おしたん」と繰り返す。カミさんによると、先日スーパーに行ってエレベーターに乗ったとき、彼はエレベーターのボタンを押すつもりで非常ベルのボタンを押してしまったそうな。店員さんが飛んできてしまって「子供が勝手に押したんです」と言われたのがトラウマになっているようだ。

息子はけっこう食欲はあって、パンを3つ食べた。だが、食べ終わって着替えているときに咳込んで吐いてしまった。カミさんのパジャマの前がドロドロである。カミさんは「病気なんだから気にしなくていいのよ」とか言っている。おお、優しいねえ。でも、保育所には行かせるのである。

息子をトイレに連れていくと、彼は窓際に立てかけてある本を指差して「あっち、むいてー!」と言う。(我が家の大猫は、トイレに本を持ち込む習性があるのである)バガボンド」の5巻の表紙が怖いらしい。それを言うなら「あっち向けて」だろう。

今日は私が息子を保育所に連れていく。家を出るときに彼の荷物を持つのを忘れて出発しようとしてカミさんに「何やってんの」と言われる。おお、失敬失敬。久しぶりだから忘れていた。

保育所に着いて、自転車から降ろしたあたりから、息子はメソメソしだした。「かーちゃ…おしごと…おわったら…かえってくる…」などと言っている。何で「父ちゃん」じゃなくて「母ちゃん」なんだよ(家に帰ってカミさんに言ったら「うちは母子家庭だから仕方ないわねえ」と応じられてしまった。しゅん)。彼はベソをかきながらも、靴を脱いで下駄箱に入れる。家でも、反抗して泣きながらもやるべきことはやるのが面白い。彼の教室に入るが、誰もいない。土曜日は児童が少ないので他の部屋でまとめて保育してるんだろうか。他の部屋に行こうとするが、彼は部屋を出るのを嫌がる。涙をポロポロ流している。しばらく抱きしめてやっていると、廊下を通った先生が「●●組の部屋でおやつよ」と言った。彼を連れていく。彼は、今日も先生に抱かれて泣きながら別れたのであった。

家に帰り、カミさんと二人で新しいコタツで昼寝をする。居間でカミさん一人で寝ていると、耳元でボソボソ声がするので嫌なんだそうである。うとうとしていると、保育所から電話がかかってきた。息子の咳が酷くてしんどそうなので、早めに迎えに来てほしいとのことである。カミさんは「何とかしますから」と応えていたが、そのうちに寝室に上がって行って本格的な昼寝モードに入ってしまった。そのまま起きてこない。電話が来る前にも「4時頃に自分が迎えに行く」と言っていたはずなのだが、今から起きたんじゃ16時に保育所に間に合わないぞ。疲れているのかなあ。仕方がないので私が迎えに行くことにする。私の顔を見ても、息子は突っ立ったままである。カミさんによると、最近は彼女が迎えに行くと「かーちゃーん」と言って走ってくるそうなのだが。やはり母子家庭のせいなんだろうか。

息子は思ったより元気である。先生は「お昼寝して元気になったのかしら」とか言っていた。コートを着せるが、最近やっとジッパーの上げ下ろしができるようになっている。まあ、いちばん端っこをはめたり外したりするのはまだできないんだけどね。そういえば最近彼は、カミさんの腹の上に乗って彼女の服でボタンやジッパーの扱いを練習しているようだ。カミさんが何かしているときにやって、よく怒られたりしているようだが。

葛根湯が切れているので、帰りに薬屋に行く。ついでに本屋に寄ったら、店の前の線路をアーバンライナーの車両の回送車が走ってきた。息子は「あーばんらいなや!」と大喜びである。おう、よかったな。薬屋に行くと、彼は「おうち、かえりたい」と言ってゴネる。私を引っ張って店を出ようとする。すごい力である。もうちょっと待ってくれ。葛根湯を買って「野菜ジュース買いに行こ」と言ってスーパーを廻る。しかし、やはり近所のスーパーには適当なものがない。あのスーパーが改装中なのは痛いなあ。前を通ったが、建物自体を取り壊しているようだ。どうなるんだろうね。そのうちに彼はモジモジしだした。「オシッコか?」と訊くとうなずく。困った。このスーパーにはトイレがない。いつもトイレを使わせてもらっているスーパーは改装中である。商店街なので立ちションをさせるわけにもいかない。彼を自転車に乗せ、トイレのありそうなスーパーに急行する。店内の地図を見て場所を確認し、二人で走る。何とか間に合った。偉いぞ。

家に帰ると息子は流し台の前に踏み台を持ってきてその上に乗り、母親が食事の支度をしている横でそれを見ている。料理しているのに興味があるようである。そろそろ、ものを混ぜたりはさせているようだが、早くもっと高度なことができるようになってほしいものである。まあ、最近は食器を台所から食卓まで運べるようになっているから、多少は役に立つようになってきてるんだけどね。



1月23日(日)
息子は昨夜から何度も咳とトイレで母親を起こして、彼女はかなり気分を害しているようである。私はどうもまた風邪を引いたみたいなのだが、息子が寝室内を歩き回っているので私が起きて相手をした方がいいだろう。おかしいなあ、昨夜は息子といっしょに寝たから半日以上寝ているはずなのだが、やはり家に帰って緊張が緩むと体調が悪くなってしまうんだろうな。

雨が降っている。今日は外に出れないな。まあ、体がだるくて何もする気が起こらないからちょうどいいんだが。でも、息子はストレスが溜まるかもしれないな。彼はかなり飢えているようなので、食事の用意をする。インスタントの味噌汁に納豆、そして昨夜の残りの八宝菜である。食事の用意をしていると息子は「あーばんらいな、みたん」と言う。そうか、そんなに嬉しかったか。

食事を終えて後片付けをしていると、息子がやってきて「ふん!」「ふん!」と言っている。「ウンチか?」と訊くとうなずく。トイレに連れて行くと大人並みの立派なのが出た。糞切りも良い。トイレットペーパーがほとんど汚れなかった。胃腸は健康だな。

息子が遊んでいる横でグッタリしているとカミさんが下りてきた。今日も機嫌が悪そうである。外に出られない状況ではちょっとツライな。息子は正月にカミさんの実家の集まりでもらってきたジグソーパズルをやりたいと言う。まだ一人ではちゃんとできないが、最後の数ピースになれば自分ではめられるようだ。

息子は昨夜も咳が酷かった。医者は前回よりも強い薬を処方しているという話だったのだが、効果が見られない。成長期にあまり長く同じ薬を飲み続けるのも危ない気がするので、漢方薬を試してみることにする。小青竜湯を飲ませてみる。これで数日様子を見て、効けばそれでいいし、効かなければまた別の医者を捜すことになるだろう。

まあ、ちょうど「小柴胡湯の副作用で8人死亡」という報道がされた時期ではあるんだけどね。でも、前にも書いたけど、漢方薬の方がいいと思う分野もあるのだ。それに、朝日の記事だと「数十万人が服用」して「体力が著しく衰えていた」患者が「22人が死亡」する程度だったら優秀なもんだと思うんだがな。伝染病の予防接種の副作用も許さないようなもんなんだろうか。薬というのは効くからには副作用があるのがあたりまえであって、効果と副作用を秤にかけて処方するべきものだと思ってるんだけどねえ。それから、使用したのが、ちゃんと漢方の診断に基づくものだったのかも疑問なんですけど。「慢性肝炎による肝機能障害などに使われる」と書いてあるけど、西洋医学の診断で「慢性肝炎だから」というので何も考えずに使うのは危険だと思うんだがなあ。漢方の病気の分類は西洋医学とは全く違いますから、西洋医学で「慢性肝炎」だからといって、小柴胡湯の「症」であるとは限らないと思うんですよね。西洋医学になじんだ眼には、漢方の病気の分類は「なんでこうなるの?」というのも多いですからねえ。たとえば、葛根湯は風邪の引き始めのゾクゾクしている時期に飲むべき薬なんですが、熱が上がってハアハアいってるときに、西洋医学の診断で「風邪」だから風邪薬を…というので処方したりすると、逆に悪化させてしまいますからね。こういうのは、薬以外にもありがちなことのような気がする。ひょっとしたら、我々が客観的だと思っている「科学」に関してもそういうことが起こりうるのかもしれない。異なった文化の技術を使うというのは、本当に難しいことなのであります。地球人同士でさえこうなんだから、異星人の技術だったりしたら、封印しておいた方がいいのかもしれないですねえ(何の話だ?)。

息子が「たらこ、たべる」と言ってタラコをご飯に混ぜたのに食べなかったので、母親に怒られている。彼は怒られたので「かーちゃん、だっこぉ」と言って母親のところに行こうとするが、「食べるまでダメ!」と言って拒絶される。すると「おしっこぉ!」と言って「一人で行きなさい」と応じられてまた「いかへん」と言う。私がいっしょに行こうとしても「かーちゃんと、いく」と言って行かない。ああそうですか。カミさんは「漏らしたら承知せんからな」と釘を刺す。息子はビービー泣く。ドンドン飛び跳ねて叫ぶ。うう、何とかしてくれ。

ひとしきり騒いだあと、息子が「あつまれ、して」(食べさせて)と言った。ついに折れたか。キミも強情だね。悪いことじゃないんだけど。

食事を終えて息子を風呂に入れる。カミさんから風呂上がりの息子を受け取って身体を拭き、服を着せる。彼は「らいおんの、ぱじゃま、きる」と言ってゴネる。最近の彼は自分がやりたいことにこだわって、主張が激しくて扱いに困る。今日は雨が降ったから室内に干してるけど、まだ乾いてないんだよ。タンスの引出しの中を見せて、納得させる。彼は、立ったままパンツやズボンを穿こうとしている。へえ、もうそういうことができるようになってるんだ。

昨日からFIVAデスクトップのMacEthernetで繋ごうとしているのだが、うまくいかない。Mac上で動かしているVirtual PC上でネットワークが見えないのである。仕方がないのでPDからWindowsをインストールした直後の状態に戻したが、それでも認識できない。いや、「ちゃんと動作していない」と言うメッセージが出るので、さらに状況は悪いかもしれない。仕方がないので元の状態に戻したら、今度はVirtual PC上でWindowsが立ち上がらなくなってしまった。うう、どうすればいのだろう。デスクトップとノートでデータを共有できないと何かと不便なのである。こういうふうにして、Windowsに移行してしまうのだろうかねえ。



1月24日(月)
今朝も息子は激しい咳をしていた。痰を切ろうとしている咳に変わってきつつあるような気はするが、それでも咳をした勢いで吐いてしまったようだ。私とカミさんが起きて階下に下りていくときも、彼にはしばらくそのまま寝ているように言う。私が背広に着替えるついでに起こしに行ったときまで、言われたとおり布団の中でじっとしていたようだ。「起きるか?」と言うと起き上がって「おきた!」と言った。

私はといえば、頭の芯が痛くて熱っぽい。往きの電車の中でも、身体を丸めてひたすら休む。だが、ちょっと寒いので眠りには入れない。あと2駅になって夜が明けたらを読み始めた。まずは表題作である。いやあ、SFですねえ。SFってのはやっぱりこうでなくっちゃ。「こんなこと、起こるはずないけど、起こったら…」と思わせるところがSFだ。夜の闇の恐怖というのを見事に描ききっていますね。体調が悪くてもじゅうぶん楽しめたっす。体調が悪くて寒気がするから臨場感があった、という話もあるか。

今日は客先にも行かなくていい日だし、それほどトラブルも起こらなかったので、ダラダラと仕事をする。いつになったらテキパキ仕事ができるような体調になるんだろうか。今日も宿泊なのだが、適当なところで切り上げて仕事場を出る。今週はパソコンジャックがあるホテルが取れたのだが、部屋に入って一言……「ヤニ臭っせー!」なんだか、吸殻入れの中に投げ込まれたような気分である。部屋中にヤニのニオイが染みついている。ホテルも早く喫煙者と非喫煙者で部屋を分けてほしいもんだねえ。



1月25日(火)
腹具合が悪い。昨夜ファミレスで夕食を食べたときにも、胃の中が砂利でも呑み込んだように痛かったのだが、今日も朝から胃が痛い。下痢もしているようである。

今日も、それほど大きなトラブルはなかったが、何かと調べなければならない事象が発生して、予定の作業が進まなかった。上司は、来週くらいから通いで作業できないか、とか言っている。宿泊費用が惜しいんだろうが、往復5時間はツライぞ。

ホテルの部屋で何の気なしにテレビをつけたら、K−1をやっていた。長崎でやってるのか。オランダとの対抗戦、ということでですか。はあ、なるほど。元極真会館黒澤浩樹ってのは、体つきや身のこなしを見てるだけで、スゲエ強そうだ…と思ってたら、本当に強かったですね。「雰囲気」というものがある。さすがは極真である、というところか。



1月26日(水)
昨日、若島津淳さんのサイトに行ったら、リンク集にウチのサイトが入っていた。オープンから1年以上経つのだが、他のサイトからリンクされるのは初めてなんだな。嬉しいことであるが、ほとんど日記しかないから身内にしか面白くないと思うので、何だか面映ゆい。特に今は仕事が忙しくてあまり面白いことが書けないし(でも、本人が思ってるのと読む人が感じるのは違うからなあ)。あと数ヶ月もすれば、もう少し面白いことも書けるようになると思うんだけどね。

今日も胃が痛い。胃が痛いと飯が旨く食えないし、食事以外のときも気になるので人生が楽しくない。困ったもんである。まあ、身体のどこかが痛いと人生が楽しくないというのは当たり前なんだが、食事の楽しみもなくなるのでさらに不幸である。

ホテルで暖房を最強にして寝たせいか、咳が出る。いま泊まっているホテルの部屋は寒いのである。ベッドで被ることができるのは毛布一枚だけだし。それで空調を強くすると空気がカラカラになる。乾いた空気が直接吹きつけてくるので、室内の湿度を上げようとする努力はほとんど無駄なのである。夕方になって咳が激しくなってきた。これはヤバいかもしれない。



1月27日(木)
昨夜は、仕事場を出たときには雨だったのだが、食糧を買いにコンビニに入って出てきたら雪になっていた。ずいぶん大粒の雪である。かなりの勢いで降っている。明かりのあるところだけ雪が見えるので、暗闇とのコントラストが鮮烈だ。車のライトの中を雪が舞う、舞う。一夜明けて、朝にはもうやんでいたが、車の上とかには積もっていた。でも地面が凍ってなくてよかったな、と思いながら仕事場に向かう寒い朝であった。

カミさんに電話したら、対なる者の誓いは前の2作より発行部数を減らしたら足りなくなったそうで、急きょ増刷したらしい。出張先の駅の近くにある本屋でもすぐに無くなって「あったら、売れるかもしれないのに」と思ったりもしてたんだけどね。単行本を出して、それが増刷されるようになれば、とりあえず一人前かな。まあ、それでも初版・2版合わせて前2作の部数に及ばないらしいんだけれども。でも「美貌の食卓」の続きも書かせてもらえるらしいし、何とか今年もプロとしてやっていけそうですね。

12時32分頃に突然地面が揺れた。とっさに「地震や!」と言ったが、揺れが一瞬だったから地震ではないかもしれない。地震だとしても、震源はかなり近そうだな。だったら、それほど大きな地震でもないだろう。…とか思っていたら、やはり地震であった。こういう情報がすぐに手に入るというのは、インターネットの素晴しさである。インターネットがなかったら、たぶんこの規模の地震だったら最低限の情報を得ることもできなかっただろう。

今日も咳が酷い。息をしなければまだましなのだが、息をするたびに気管支が刺激されて咳が出る。息をしないと死んじゃうしなあ。困ったもんである。



1月28日(金)
今日カミさんに電話をかけたら、何だか怒っている。先週の土曜日の日記で「大猫」と書いたのに怒っているらしい。●●kgだったら、猫としては大きいと思うんだけどなあ。
「何が『大猫』よ?」
「じゃ…じゃあ、『大』の字に『丶』をつけます」
「何で『犬』になるのよ?」
「いや、下の方に『丶』がつくんですけど…」
…あああ、また怒らせちゃった。

帰りの電車の中で夜が明けたらを読む。まず「空飛ぶ窓」である。う〜ん、えすえふだなあ。「サイエンス・フィクション」じゃなくて「すこし・ふしぎ」だけれど。続いて「海の森」を読んだ。最初のゴジラはこういう感じだったのかな。だったら、もう少し怖くできそうだけど…でも、最後のヒネリは見事でございます。やはり、このシリーズは「サイエンス・フィクション」ではないな。続いて「ツウ・ペア」を読んだ。これはなかなか怖いかもしれない。正統派のホラーというヤツでしょうか。そして「真夜中の視聴者」である。怪談と見せて、オチがなかなか気がきいている。さすがに一筋縄ではいかないな。

家に帰り、食事をして日記を書いていたら階上でドンドン音がして寝室の扉が開き、息子が母親を呼ぶ泣き声が聞こえてきた。オシッコらしい。起きて教えられるようになるとは、人間の成長というのは偉いものである。まだ失敗することもあるそうなんだけどね。



1月29日(土)
昨夜は、久しぶりに家で通信していたら遅くなってしまった。時間を気にせずに通信できるということは素晴しいが、身体には悪いねえ。疲れたが、寝室まで上がるのも面倒臭いので、その場に横になると、そのまま寝てしまっていたようである。気がつくと、妻子が階上から下りてくる音が聞こえる。カミさんが新潟県の少女監禁事件のことが気になって仕方がない、というのでインターネットで新聞社各社のサイトを廻って情報を集める。こういうときにインターネットは便利である。カミさんに「読んで」と言われるが、咳のしすぎでノドが痛い。読み上げソフトを使ってパソコンに読ませる。こういうときに、パソコンに情報が入っていると便利である。

しかしこの事件、一人の人間の人生を滅茶苦茶にしてるわけですから、考えようによっては殺人よりも罪が重いですわね。これからの被害者の歩むであろう苦難の道を考えると。で、オトコとしては、やっぱり「慰み物にされてたんだろうか?」などと考えてしまうのでございます。カミさんは「この男、許せないわ。さらわれるからには可愛かったに決まってるし。9歳から19歳っていうと、いちばんいい頃じゃない。それを独占するなんて」…おいおい、それは私が言うべきセリフだって(こらこら)

今日は私が咳が出て体調が悪いので、カミさんが息子を保育所に連れていってくれる。有難いことである。寝不足なので、昼間はダラダラと過ごす。だからといって寝もしない。昨年末からFIVAで集めた情報をデスクトップのMacに持っていく。Ethernetで繋がらないので、圧縮してフロッピーで持っていく。まあ、MacLHAは、解凍時に改行コードを変換してくれる機能もある、という理由もあるのだが。テキストだけで6枚分になった。で、Mac上のディスクにコピーして解凍しようとしたところで、Windows用のCD-ROMが付録に付いた本が目に入った。そういや、これに入ってた動画データ、AVI形式だったからMacでは見れなかったんだ。デジカメの接続キットに入ってるQuickTime 3 Proをインストールすれば見れるようになるかも…などと思ってインストール作業を始めてしまうのである。そして、インストール途中でMacが凍ってしまった。うう、辛いなあ。あ゛、インストールする前にシステムフォルダのバックアップを取るのを忘れた。もう、インストーラはシステムを書き換えているみたいだし、このままだと元の状態に戻れない。不覚である。しかしヤバそうな機能拡張を全部外して再度再起動すると、やっとインストールできたのであった。

カミさんは昼寝していたが、今日は息子を迎えに行くべき時間の前に起きてきた。だが、風邪を引いているらしい。寒気がして節々が痛い、とか言っている。こういうときは葛根湯だな。カミさんの方がしんどそうなので、息子は私が迎えに行くことにする。ジャンプ「ヤンマガ」も買いに行こうかと言ったのだが、これは自分で買いに行くという。はあそうですか。

今日は私が迎えに行くと息子は走ってきてドン!、とぶつかってくる。板の間の上で足を踏み鳴らす。ひょっとして、先週ビデオでTAPを観ていたので、その影響か? グレゴリー・ハインズは凄いからねえ。彼に「タオル取ってきて」と言うと、「たおる、あらへん」と言って泣きだした。見ると、彼のタオルをかけてあるべきところに何もない。何でないんだろう。ひょっとして、タオルが無いことで辛い思いでもしたのか? 連絡事項を挿してあるポケットを見ると、色紙を切り刻んだものがビニール袋に入れて洗濯挟みで留めてある。それを手に取ると息子は「シンちゃん(仮名)、ちょきちょき、したん」と言った。そうか、自分で切ったのか。

今日も帰りに野菜ジュースを買いに行くが、見つからない。店内で息子が帰りたそうだったので、自転車に乗せるときに「家に帰ろか」と言うと彼は「あっち、いってみる」と応える。彼が指差す方向には踏切があるのだ。はあそうですか。線路の前の本屋に入る。息子は店に入ったときから「おうち、かえるう」と言いだす。本を眺める暇もない。マイペディアの機能限定版が付録について500円の雑誌があって、買うかどうか迷ってたんだけどねえ。

最近は、料理をするときに卵をかき混ぜるのが息子の仕事のようだ。台所の流し台の前に踏み台を持ってきて、母親と並んで「仕事」をしている。台所から食卓に食器や料理を運ぶのも息子の仕事になっている。箸を食卓の上に置くときに、きちんと並べなければ気がすまないらしいのが彼らしくて微笑ましい。だが、両親が使っている大きなお盆を使って持っていこうとするのだが、重くて先の方へ傾いてしまう。鶏の唐揚げの入っている皿をひっくり返してしまった。絨毯の上に散らばった唐揚げを拾い集めている私を見て、彼はまたカミさんに怒られるのである。

食事時には私が息子よりもテレビ側に座っているのだが、おかずを取るために私が身体を前に傾けると、息子はテレビが見えないので椅子から身を乗り出してテレビを覗き込む。食事時以外でも、私がテレビの前で何かやり出すと「どいて〜」と言われる。子供はテレビが好きだからねえ。私が3歳になるかならないかの頃にも、当時はテレビの本格的な普及の前で(老爆)近所に一件だけだったテレビのある家の窓に外からしがみついて見てたらしいのだ。それで、世間体が悪いので我が家もかなり早くテレビを買ったらしい。

息子はカミさんがPowerBookを広げているのを見て「すぺーしあ、して」と言う。まだ覚えているのか。動画の再生は数秒で終わってしまうので、何度も要求されてうるさい。再生ボタンの上にマウスポインタを置いて、クリックすれば再生されるようにしてやった。彼はクリックすれば「でんしゃ」が動き出すのを知って、飽きずにクリックし続ける。そのうちにカチカチカチカチやりだして母親に怒られている。彼女は「パソコンをコントロールできることを教えて……そのあと相手するのは誰だと思ってるのよ」と言って私にも怒る。ごもっともですが、そのうちやらなきゃいけないことですからねえ。パソコンを使う3歳児ってのも当たり前らしいし。

しかしさっそく彼は、食事時になって私がマシンをスリープさせようとすると「シンちゃん(仮名)が、するう」と言って私がPowerBookを触ろうとするのを払いのける。もう自分でパソコンのすべてをコントロールできると思っているらしい。キミキミ、そんなコドモみたいなことを言われたら困るねえ(子供だって)。パソコンってのは、それほど単純なものではないのだよ。



1月30日(日)
昨夜は咳が出て体調も悪かったので、通信もせずに息子といっしょに寝た。しかし、今日も昼前まで寝ていた。カミさんはもう起きている。息子は布団の上に座って一人で遊んでいるようである。「下に母ちゃんおるで」と言うと、彼は一人で下りていった。着替えていると、階下で息子の泣き声が聞こえた。うう、また母子で争っているのか。平和主義(事なかれ主義とも言う)の私としては辛いことである。まあ、反抗期だから仕方ないんだけどね。急いで下りていくと、息子は私を見て「ばいばい」をする。そうか、そういうつもりか。私も「バイバイ」と言って居間の戸を閉める。彼はまたギャーと泣く。ったくもう。

私が食事を始めると、カミさんはカイロに行くという。息子はまだまだ食事中である。テレビをつけると、彼は母親がいないことは気にしない。昨夜録ったヒッパレを観る。だが、息子は早送りすると嫌がるのである。「送ってええか?」と訊くと「おくち、せーへん」と言って怒る。母親がいないのは平気でも、テレビの画が乱れるのは許せないのかよ。父ちゃんは大竹しのぶてん・むすの歌なんか聞きたくないんだよ。今回はBBmakが良かった。やっぱり、向こうの人間は体力があるから声が出ますねえ。特に高いところで踏ん張るときにパワーの差が出ちゃいます。それに、日本の文化には和音というものが足りないから、そういう面でも不利だよなあ。最近は世界中の音楽が聴けるとはいえ、やはり文化の深いところにあるものの差、というのは出てくると思うのだ。まあでも、最後のVOX―IVは相変わらずいい仕事してますねえ。

息子は相変わらず胃腸は健康なようである。朝食後に彼が便意を訴えたので便所に連れていって座らせると、すぐに「うんち、でた」と言う。彼を便座から下ろすと、長くて立派なモノが湯気を立てていたのだった。

食後にカミさんが息子を外に連れだしてくれた。先日買ったTOUGHER THAN LOVEDIANA KING)を聴きながら日記を書く。ジャマイカ出身というと、普通なら聴く気は起きないと思うんだが、以前のヒッパレに出たときにシャウトした声にノックアウトされて、買う気になったのだ。私はレゲエが苦手なんでね。でも、かなりレゲエのノリは入っていたが、それほど気にはならなかったな。何曲か気に入った曲もあったので、金を出しただけのことはあったな。とか思って解説を読んでいたら…このCD、日本で100万枚売れたんですか。ぜんぜん知らなかった。相変わらず薄々である。まあ、自分で聴く上では、どれだけ売れたかなんて何の関係もないんだけどね。

妻子が帰ってきた。今日も難波から心斎橋まで歩いたらしい。息子は「かにさん、みたん」「おめめ、うごいてたん」などと報告してくれる。難波にある巨大蟹の看板を見たらしい。母子でおのぼりさんよろしく見上げていたそうである。

今日も息子は台所から食卓に料理を運ぶ。今日は、いつも両親が使っているものより一回り小さなお盆で運んでいる。ほう、失敗から学べる人間にならなきゃダメだよね。茶運人形みたいに両手で持って、ゆっくりと緊張した顔で運んでいるのが、何だかおかしい。

夕食を食べながらNHKの7時のニュースを見ていたら、アナウンサーが「『日本沈没』で知られる作家の…」と言いだした。それを聞いてドキッとしたのだよ、私は。カミさんも同じ思いだったようで、二人で顔を見合わせた。だが、続きを聞いてみると、オンデマンド出版の件だった。あービックリした。心臓に悪いね、ホントに。



1月31日(月)
相変わらず咳が酷い。症状が軽くなる気配がない。これは、医者に行って診てもらった方がいいだろう。例によって熱っぽいので体温を測ると、37.4度あった。これは欠勤決定である。

かかりつけの耳鼻咽喉科に行く。ノドの奥を覗き込んで「あー、これは咳がツライやろね」と言われた。「気管の入り口が腫れてるね。いうなれば気管支炎なんやけど」ということである。

夕食後、息子の額が熱いというので熱を測ってみると、38度前後の熱があった。これは、カミさんも大変だな。

狼谷辰之  新書館ウィングス文庫
なる
¥620+税  ISBN4-403-54021-X



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