2000年 3月下旬の日記
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3月21日(火)
今日は仕事を休んで病院に行く。しかし、けっきょく熱が下がりつつあるということで咳止めを処方されただけであった。病院から帰ってしばらく休み「特定疾患医療受給者証」の更新のために保健所に行く。帰ってきてすぐに寝るが、猛烈に熱が上がってくる感触が襲ってきた。起きて、体温を測ると39.5度である。うわああ、私の人生の中でも、これだけ熱が上がったのは記憶にないなあ。



3月22日(水)
寝汗がひどい。昨夜からパジャマを4〜5枚ビショビショにしてしまった。今朝から、朝起きると茶色というか鶯色というか、そういう濃い色の痰がゴロゴロ出てくるようになった。今までは塩辛いお湯みたいな感じだったのだが。これはまた一段階、病状が進んだか。



3月23日(木)
今日、病院に行こうかと思ったが、雨が降ったので中止して一日中寝ている。それでも、病状はいっこうに良くなる気配がない。医者に行ってもよくわからないみたいだしなあ。相変わらず寝汗はひどい。



3月24日(金)
今日は夕方に病院に行った。どうにも動けないのでタクシーを使って行く。2000円近くかかってしまった。近くに呼吸器科のある病院がないので遠くの病院に通っているのが辛いなあ。これで入院、てなことになってしまったらどうなってしまうんだろう。茶色い痰が出ているということで「出したくないんだけど」と言いながら抗生剤を処方される。「これを2〜3日飲んで、病状に変化がないようならまた来なさい」とのことである。熱が続いて、体力的にそろそろ限界なんですけど。救いは、抗生剤の名前が「クラリス」だったことくらいか。

帰りは電車で帰ったのだが、駅への10分足らずの道がとてつもなく長い。駅でも、目の前を電車が出ていくのを呆然と見送るだけである。次の電車が来るまでの十数分の時間を、寒風の中どうやって過ごそうかと途方に暮れてしまった。しかし、待合室があったので助かった。最寄りの駅に着いたが、家までの10分あまりの道のりを歩く気力が無くてタクシーで帰ってしまったのだった。

最近、カミさんの息子への扱いが荒い。私の世話までしなければいけないので疲れているのであろう。洗濯物も倍増してるしねえ。深く責任を感じる今日この頃である。



3月25日(土)
今日も37度台の熱がある。これは明後日からの仕事はしんどいな。上司にどう言うべきか。向こうは「これだけ休ませてやってるのに」と思うだろうしな。私があっちの立場でもそう思うぞ。1週間も休んで風邪が治らないとはねえ。

寝てからも頭が痛い。横を向いて寝ると、どちらを下にしても側頭部が締めつけられるように痛む。上を向いて寝ると鼻水がノドに落ちてくる。ううう……



3月26日(日)
雨戸は閉めているが、外は明るくなっているようだ。息子が起き上がって寝室の外に出ていく。オシッコだろう。ラクになったものである。かなり時間が経って戻ってきた彼は、カミさんに向かって「シンちゃん(仮名)、おしっこ、ひとりで、いったん」と報告しに行って「んもう!」とか言って怒られている。私が寝かせようとするが、嫌がる。それでもしばらくは横になっていてくれたが、もぞもぞと動いている。カミさんが起きる気配がないので私が起きることにする。彼はかなり飢えているようである。「なっとうときむち、たべたい」と言う。「納豆、無いねん」と言うと、「なっとうときむち、かいにいく」と言いだした。「父ちゃん、しんどいねん」と言っても、3歳児には聞き分けるのは無理だ。「なっとうときむち、かいにいく」と繰り返してベソをかく。そのうちに、自分で着替えを出してパジャマを着替え始めた。NHK教育の「NHK早指し将棋選手権」の決勝戦が秒読みに入ったくらいのタイミングだったので、テレビをつけて誤魔化すのである。

録画していたヒッパレを観る。いやいや、おやじダンサーズは相変わらず笑わせてくれます。で、今回の圧巻は本田美奈子さんのあなたのキスを数えましょうでしたね。前回は歴然と練習不足だったのだが、今回はかなり歌い込んできたことがうかがえる。まあ、この曲を人前で生半可な気持ちで歌うというのは恥を知らない人間だというしかないでしょうけどね。

今日はカミさんが息子を生駒までケーブルカーに乗せに連れて行ってくれるらしい。少し機嫌の悪かった彼も「ケーブルカー」というキーワードを聞いた瞬間、「てーぶるかー、みに、いく」と言って自分で靴下を履きはじめる。

妻子が外出している間、久しぶりに日記を書く。もう2週間ぶんくらい空いている。どうするかのう。

妻子が帰ってきた。息子に「ケーブルカー見たか?」と訊くが、彼は「きょーとの、でんしゃ、みたん」と言って「ケーブルカー」の「て」の字も出てこない。生駒じゃ京都行きの電車は見れないはずだし、カミさんが出がけに「寒い」と言っていたので予定変更したのだろうか…とか思っていたのだが、どうやら帰りに「京都」と書いてある見慣れない派手なツートンカラーの車両を見たらしい。しかし、息子の「近鉄車両データベース」にマッチしないとは、いったい何だったんだろう。彼の近鉄の車両に関する知識は、はっきり言ってすでに私を超えているのだが。

番組改変期なので「どうぶつ王国」のシリーズをやっている。結婚当初までは好んで見ていたのだが、「動物」じゃなくて「孫」がメインになってきたのでイヤになって見なくなっていたのだ(「子育て日記」を公共の場に書き散らしているヤツの言うことかね)。今回は「孫と動物」だったので見ていられた。そりゃオレだって、テツが死んだときにゃ、泣いたんだよ。

しかし、孫に伝えられる技術があるというのはいいですねえ。ここ100年ほどは生活の変化が激しすぎて、生活に関する技術の陳腐化がはなはだしいですからねえ。しかし、戦前生まれの人々の生活ノウハウというのをこのまま朽ちさせてしまうというのは、国家的にものすごい損失だと思うんだがなあ。まあ、国全体がそういう選択をしてしまったので仕方ないんだが。でも、この方向で本当にいいんだろうか、という怖れも少しは感じているのよね。「お茶漬けの味」みたいに、科学の役に立たない世界がやってきたら、一発で滅びてしまいそうな気が…やはり、多様性というのは必要ですよ。効率は悪いかもしれないけれど。あと、私も含めて戦後生まれの人間の知識というのはもう、陳腐化を前提としているようなものだから、孫ができる頃には何の役にも立たなくなってるんだろうなあ。ちょっと哀しい。

今日も昼間は平熱だった(それでも身体はダルい)が夜には37度台後半になっていた。いったいどうなるのやら。



3月27日(月)
夜になると熱が出るので、今日も仕事を休んで病院に行く。いつもは受付でどのドクターにかかるか訊かれるのだが、今日は何も訊かれなかった。前回の医者を調べてくれたのかな、と思ったが、呼ばれたのは初めての医者の診察室だった。経過と症状を言って診察を受けるが「私にはわかりません」と言って、けっきょく呼吸器科の医者に回される。ここでもよくわからないということで、胸部のX線撮影と血液検査をして、結果が出るまでの間に点滴をされる。やはり点滴の時間は暇である。後から来た隣のオバサンの方が早く終わりそうなのはなぜだろうと思っていたら、私は500mlなのに対して向こうは200mlだった。ズルい。点滴中に、検査の結果を持ってドクターがやって来た。検査結果としてはほとんど異常なしなのにこれだけ熱が続くというのは逆に異常なので、検査のための入院を勧められる。これでまた我が家はしばらく母子家庭か。合掌。

「入院前の検査」ということで、心電図と腹部のX線写真を撮られて家に帰る。しかし、入院に必要なものに関する説明が全くなかったな。家に帰り、入院の準備をする。タオルにパジャマや下着などの着替え、重ね着用のセーターと半纏、歯ブラシ、髭剃り、お茶を入れる水筒、箸、ビニ一ル袋、そして暇潰しの本、それから日記を書くためのZAURUS。入院してから、スリッパとティッシュも持ってきた方がよかったかなと思った。まあ履いてきた靴は着脱しやすいし、ティッシュもしばらくは着てきた服のポケットに入っていたものでしばらくはしのげるだろう。あと、ふりかけとか卓上調味料もあればよかったかもしれない。

病室は、5階の隅の6人部屋である。しかしここの病室、カーテンがベッドの周囲を完全に覆えないのである。特に私のベッドは入り口側なのでカーテンをフルに引いていても廊下から丸見えである。日本の医療施設は患者のプライバシーを軽視しているというのを改めて実感したのであった(そもそも、診察時の声が他の患者に丸聞こえだしね)。前の病院ではカーテンを引いてカミさんとイチャつけたんだがなあ。まあ、それも新婚時の遥かなる栄光の記憶であるが。

明日はいろんな血液検査と、心臓弁膜に炎症があると熱が続くらしいのでそれを弁別するための心臓の超音波検査と、肺のCT検査をするらしい。後の2つはあまり聞かない検査だし、痛くなさそうなので楽しみである。

点滴がまだ半分もすんでいないのに、夕食の時間になってしまった。「前の病院だったら、食事までに終わるようにやってくれたんだがなあ」などと思いながら、点滴が終わるのをじっと待つのである。

かなり身体は乾いていたのだが、それでも500mlを2回目となると、かなり膀胱が膨らんできた。腹も張ってくる。悶々としていると、看護婦さんがやってきて「点滴の位置を動かしましょうか」と言われた。ここでは点滴をしながらトイレに行ったり食事をしたりしてもよいそうである。でも、下手な人に針を入れられると、動かすだけで痛いんだがなあ。

食事はオカユではなかった。よかった。まあ、呼吸器の患者だからね。味もなかなかセンスが良い。ただ、病院食だけに塩分と脂肪分が非常に少ない。これは、卓上調味料を加えないと食べられない人も多いだろうなあ。ま、これも修業である。

点滴が終わって咳込んでいると、何かが膝の上にポタリと落ちた。血である。針を抜いたあとから出血している。手首のRuputerのべルトの下を通って掌の脇まで来ている。慌てて傷口を押さえ、ティッシュを探す。みるみるうちに体温と同じ温度だった血液が冷たくなってゆく。大怪我をして死ぬときは、これを全身で感じるのだろうなあ

夜は静かである。前の病院ではTVの音とか聞こえていたのだが、ここはイアホンを使用するルールなのでそういう音は聞こえない。しかし最近の病院のTV、コインじゃなくてプリペイドカードになっているのか。



3月28日(火)
今朝は5時から採血に来るらしい。明るくなってきてからかなり経つのだが、まだ5時にならないんだろうか…などと考えてまたいい気分で寝てたら看護婦さんがやって来た。大丈夫かなあ。私ゃ、自慢じゃないが起きてすぐはほぼ死人なので血圧なんて出ないのだ。下向きにして寝てて痺れている右腕の方に来る。案の定、血が出ないようだ。「右は痺れているから左の方が出るかも」と言うと左腕の方に来て何度もチクチク針を刺されるが、やっぱり出ないようである。彼女は「また来ます」と言って敗れ去って帰っていったのであった。まあ、早朝のキツイ時間帯は若い人が多くなるのは仕方ないんだけどね。俺は血も涙もない人間だし。

かなり経って、看護婦さんが再挑戦にやってきた。針を刺してから「血が出ませんねえ」と言いながら、上膊部を縛っているゴムチューブを締め直したり腕をさすったりしている。あーん、やだよ〜。ちらりと見ると、コップ一杯…まではいかないまでも、100mlは確実に取られている。うう、今の私はオシッコだってそんなに出ないぞ。昨夜はお茶をもらえなかったので、それほど水分も摂っていないのだ。

痰と便を取るように容器を渡される。起きてすぐなら痰はいっぱい出るんだが、入院して安静にしているせいか寝ている間に溜まった痰を出してしまうとそれ以降はそれほど出ないのだ。今ごろ渡されてもなあ。

朝食もずいぶんまともである。野菜とエノキの和え物、貝の佃煮、芋の味噌汁、リンゴ、牛乳。ちゃんと予算が配分されてるな。というより、前の病院が酷すぎたんだがね。オカユに海苔の佃煮のビニールパック1つ、麩が浮いてるだけの味噌汁に缶詰の果物が少々…というのが普通だったからな。

心臓の超音波検査に呼びに来た。本館の地下まで行く。上半身を裸にされて寝かされ、身体を密着されて胸じゅうをゼリーをつけた器具でグリグリされる。これは、患者が若い女性だったら楽しい検査だろうなあ。それにしても長い。「このにーちゃん、オレに欲情しとるんかいな」と思っちまったぜ。そのうちに、もう一人のにーちゃんが黙って入ってきた。これも患者が女性だったらセクハラだな。それで始める話といえば、病院の機器選定に対する不満である。何だかなあ。

今日も朝晩500mlずつ点滴されるらしい。ドクターは、薬で熱が出ている可能性もあるので抗生剤以外の薬を抜いてみると言ってたんだがなあ。袋を見ても、何も書いてない。1日に1リットルも水分を注入されるのは大変ですよ。患者に苦痛を与えてまでやるべきことなんだろうか。まあ、医学的な理由でなく、経営学的な理由なのかもしれないけど。いつも入院すると、肘の内側の血管をボロボロにされるのだ。午後に点滴に来た看護婦さんに何も入ってないんじゃないかと訊いたら「痰を切れやすくする薬が入ってるはずですけど」と言われた。どうなってるのかなあ。

頭が痛い。昼飯が食えない。まあ、もともと家庭内療養してるときは一日二食だったんだが。

「入院説明書(検査、手術、治療等)同意書」というのが来た。「他に疑われる病気」というのは、「膠原病、肺結核、甲状腺機能亢進症」なんだそうだ。「予想される入院期間」の欄は「1週間程度」に丸がついていたが、「2週間程度」にも丸がかかっていた。

胸のCTは午後からであった。高速回転している機械の中を、1cmずつくらい小刻みに移動してゆくというのは、なかなかサイバーであります(人によってはモダンタイムスなのかもしれないが)。しかしまあ、CTってのは偉大な発明ではありますねえ。あらゆる方向から透視した結果から断面図を合成してしまうとは。ま、いつか誰かが辿り着く場所だと言えばそうなんだけれど。



3月29日(水)
今朝は咳も出ずひじょうによく眠れた。まだ寝足りないくらいである。おかげで、今日から痰の検査の容器が2種類になっているのだが、なかなか取れないくらいなのだ。片方の容器は茶色い液体が入っている。細胞の診断をするためのもののようだ。最悪の場合「肺ガンの可能性がある」と言われてしまう目もあるんだよな。そう言われたらどうするか。とりあえず「余命3ヵ月」とか言われたら、こういう目にあわせてくれた上司をブン殴って会社を辞めて失業保険でブラブラと暮らそう(余命3ヵ月の人間にそれだけの元気があるかどうかは別にして)。まあとにかく、確実に治る保証がない限り、手術や抗ガン剤は断固拒否だな。数パーセント余命が延びたところで、その全体を何もできないような状態にされちゃかなわん。多少余命が短くなっても、身体にメスの入ってない、抗ガン剤の副作用で七転八倒することのない状態で過ごしたいのである。手術や抗ガン剤で寿命が延びたってのは医者の自己満足ですよ。

…なんてことを考えてたら、看護婦さんが「検尿のコップ来てますか?」と言ってきた。えー、そういうことがあるということ自体、聞いてないよー。やはりこの病院、ちょっと連絡が不徹底のようだ。みんな忙しいのはわかるんだけどね。

今日は力ミさんが着替えを持って来てくれた。サンデーとマガジンも買ってきてくれる。いま、ワタクシ的に金を出して読む価値のあるマンガ雑誌はこの2誌とモーニングくらいかな。でも、今週のマガジンには「コー夕ローまかりとおる!」と「はじめの一歩」が載っていなかった。これは読んでいてツラかった。

カミさんが交渉してくれてべッドを移動することになる。隣の部屋の同じ位置である。端っこの部屋でないので、ドアの位置がべッドから少し離れているのである。かなりマシになったんだけれども、部屋に入るときに丸見えということはないがそれでも見える。誰も文句言わないのかなあ。

入院した日以来吐き出した鼻水に血が混じっているので、今日は耳鼻科の診察を受けるのである。看護婦さんが午前の点滴に来たので耳鼻科の診察はどうなるのか訊いたら、耳鼻科に電話して点滴が終わってからということになる。しかし、点滴していると昼食の時間になってしまった。点滴を引きずりながら昼食を取りに行くと、呼ばれるかもしれないので食べないで待つように言われる。他の患者たちが食べ終えた頃になって別の看護婦さんが耳鼻科の診察が昼からになったことを告げにくる。そのまま行こうとするので昼食を食べてもいいか訊くと「いいですよ」とのことである。んで、こういうときに限ってメニューがラーメンだったりするんだな。汁を吸ってブツブツ切れるラーメンを食べていたら食事を待つように言っていた看護婦さんが病室に入ってきて「もう耳鼻科の診察は終わったんですか」と訊かれる。「あ、午後からになったと聞いたんで…」と気弱に応える私だった。しかしなあ、私は意識がはっきりしてるから自分で対処できるが、意識レベルの落ちてる患者だったら…まあ、それなりに気を遣って扱ってくれるんだろうけどね。

昼食はラーメンに加えて丼飯が主食になっていたのだが、残りのおかずが春巻き半切れとサラダだけであった。これで完食は無理だよと思ったのだが、カミさんが持ってきてくれたキンピラが役に立った。ありがたいありがたい。

午後から耳鼻科の診察である。症状を説明すると、ファイバースコープで鼻の奥を診ようということになる。先端の光る針金のようなものを鼻の穴に突っ込まれるということである。指が入る程度の範囲まではよかったが、それ以上奥に入ってこようとするとやはり痛い。「いちちちちち…」とか声を出すと、「麻酔をかけましょうか」と言われる。私にゃ、これ以上耐えられんですよ。でも、注射じゃないだろうなあ。「苦いですよ」と言われたので、どうやらこれ以上痛い思いはしなくてすむようだ。鼻の中に薬剤を噴霧される。それでもまだ痛いが、前よりは奥まで入ったようだ。「異常はないようです」と言われる。眉間から眼の上下にかけて頭痛があることを訴えると、「違和感があるなら蓄膿があるかレントゲンを撮りましょう」ということになる。副鼻腔炎かどうかはファイバースコープではわからないらしい。「いつでもいいですよ。しばらく入院してるんでしょ」と言われる。うーむ。

レントゲンは明日以降になると思っていたのだが、病室に帰るとすぐに呼びにくる。固い撮影台の上に俯せになって、顎を固定して頭を動かさないように言われて写真を撮られたのであった。耳鼻科の医者が診てくれるのは明日になるらしい。

今日もまた午後から点滴である。点滴中にトイレに行けるのはいいよなあ、前の病院では点滴中にいかに尿意を我慢するかが一日の最大の問題だったからなあ…などと考えながらトイレに行って帰ってきてべッドで横になって気がつくと点滴の滴が落ちていない。けっきょく一回余計に針を刺されたのであった。今日は薬剤師のねーちゃんが薬の説明に来たので訊いたら、点滴には痰を切れやすくする薬が入っているということであった。ふうむ、そうなのか。

今夜も痰を取る容器が来ない。寝る前に自分で取りに行く。模範囚を演じても早く出所できるわけじゃないんだけどなあ。



3月30日(木)
今朝も咳は出なかった。寝汗も、布団の中がカーッと熱くなって首をダラダラと流れる、という状態ではなくなってきている。まだかなりひどいのは事実なんだけど。しかし今朝は、ずっと逃げる夢を見ていたな。濡れたシャツを着替えるために何度か起きたのだが、例外なく何かから逃げ回る夢を見ていた。何か意味があるんだろうか。

午前の点滴をしていると、耳鼻科のドクターがやってきた。蓄膿があるようだが通常のX線写真でははっきりしたことはわからないということで、頭部のCTを撮ることになる。続いて呼吸器科のドクターがやってくる。今回の発熱の病名としては気管支肺炎ということになるそうだ。明日も血液検査とX線撮影をするらしい。また早朝から血を取られるのか。ふぅー。

タ食を食べていたら、医者が「××君、どこ行った!?」と言って走り回っている。今日、ウチの病室に入ってきた若い患者を探しているらしい。そのうちに館内放送が始まった。「5xx号室の××さん、至急病室にお戻りください」それでも戻ってくる気配がない。かなり経って戻ってきた。買い物に行ってきたらしい。駆けつけてきた医者に「安静にしてるように言ったでしょう。B型肝炎はナメたら死ぬぞ!」と怒られていたのだった。

夜になって、カミさんが息子を連れてやってきた。明日ウチの両親がやって来るのでそれと一緒に来る予定だし、何より息子は病院に連れて来ないはずだったんだがな。息子は私を見て「とーちゃんや」「とーちゃんや」と言っている。カミさんは私のべッドの脇に立ってまず、彼女のお祖母さんが亡くなったことを告げた。…そうか。息子が小学校に入るまでは、とかおっしゃってたらしいんだがな。カミさんは明日は来れないだろうから、今日のうちに着替えとかを持ってきたのである。彼女にとっては、親代わりになって育ててくれた人だから、また格別な思いがあるだろう。こういうときに側にいてやれない亭主というのも情けない……いろいろな、いろいろな思いを乗せて、夜は更けてゆくのである。



3月31日(金)
今朝トイレで朝の一発をひり出した後、しばらくしてトイレの前を通るとジイさんが呆然と立ちつくしている。見るとトイレの床一面に水があふれて、廊下にまで流れ出しそうな勢いである。おいおい、まさか私のせいじゃないだろうな。そんなにデカいのは出してないぞ。…係の人が対応していたのだが、いま便器の中から何か出てきたらしい。どうやら私のせいではなかったようだ。ホッ。

昨日、カミさんがモーニングを買ってきてくれた。『ΠΛΑΝΗΤΕΣ(プラネテス)』(幸村誠)、いいですねえ、宇宙ですねえ。

昨夜、ZAURUSの電池が無くなった。いつもは1ヶ月保つのだが、今回は2週間で終わってしまった。日記書きに酷使してるからねえ。どうも、ワープロ機能が高い電圧を要求するようだ。しかし、入院中はZAURUSで日記を書いているのだが、思うように入力できなくてストレスが溜まる。パソコンなら両手の指が使えるのだが、ZAURUSだとペン先だけでしか情報を伝えられないですからねえ。いつもなら走って行ける道を、這いずって進んでいるような気分である。

今夜カミさんのお祖母さんの通夜があるので、外泊許可をもらう。耳鼻科の頭部CTも明日の予定だったのだが月曜日にしてもらった。私の両親が病院に来るらしいので、いっしょに通夜に行くことにする。「3時には着くと言ってた」とカミさんから聞いたのだが、着いたのは16時過ぎだった。道が混んでいたとか言っていたが、降りた駅も最寄りではなかったような気がするぞ。病院から私の家に行くときも、家から通夜の会場に行くときも、タクシーがなかなか来ない。病院では室内で待っていられたから良かったが、家では玄関で寒い中待っていなければならなかったのでこたえた。通夜に出席するよりもよっぽど辛かった。今日は月末の金曜日のうえに期末で、しかも雨が降っていたので道が異様に混んでいたらしいが。

通夜に出席する。会場に入ると息子が駆けてきて抱きついてきた。かなり居心地が悪そうである。そりゃそうだな。母親もあまりかまってくれないだろうしね。僧侶が読経している後ろで順番に焼香する。なんだか、葬式みたいだな。家が狭くて会場を借りているのでこうなるらしいが。私の祖父母の通夜のときは、田舎だったので自宅でやれたからなあ。あのときは故人を偲びながら近しい親族が枕元の火を絶やさないようにして夜を明かしたものだったが、今回は私も息子や両親がいるし、入院中の身であるので焼香だけして家に帰ったのであった。

狼谷辰之  新書館ウィングス文庫
なる
¥620+税  ISBN4-403-54021-X



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