2000年 4月上旬の日記
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4月1日(土)
今日は、息子の保育所への入所式であり、カミさんのお祖母さんの葬儀なのだ。起きると、カミさんと母は入所式に行っていた。父は、私の妹が来るので迎えに行くために待機している。妹が着いたところにみんな入所式から帰ってきて全員が揃い、昼食を食べて葬儀に出かける。

会場に着いて読経の間、息子を膝に乗せて正座していたのだが、彼は合掌すべきところではちゃんと手を合わせて目を閉じている。もう、そういう状況が判断できるんですねえ。周囲の人々から脚を崩すように言われたのだが、私は将棋部に通算8年在籍していて自信があったので正座で通す。しかし、やはり16kgを膝の上に乗せていたのはキツかった。脚が痺れている。焼香に行くときは、ちょっと情けない姿になってしまいそうになったのだった。

最後に、花輪の花を切って棺に入れる。これで最後だ。息子も入れている。後で彼は「ひーばーちゃんに、おはな、あげたん」と言っていた。本当の意味はわかってないんだけれども。

子供がいるので火葬場には行かない予定だったのだが、やはりカミさんもずっと一緒に暮らしていたということで行くことになる。霊柩車に続いてマイクロバスで行ったのだが、火葬場はすぐ近くの町中の公園の中にあった。私の祖父母のときは山の中にあったので、市街地にあるのはちょっと意外であった。見ると、煙は内部で処理して外に出さないようになっているようだ。まあ、すぐ近くに住宅があるから仕方ないんだろうけど。あの、煙が立ちのぼってゆくのを見つめている、というのが故人を「見送っている」という感慨があるんだけどねえ。

お骨はきれいに残っていた。私の祖母のときは骨粗鬆症で苦しんでいたので、脚なんかほとんど何も残らなかったんだけれども。それだけ元気で過ごせていたということですね。骨拾いが終わって帰るとき、火葬場の敷地内で丸々と太った茶色い猫がひなたぼっこしていた。何だか、カミさんを思い出してしまって、あごの下を撫でてやる。素直に撫でさせてくれた。そのとき、後ろからカミさん本人が猫を見つけてやってきた。最近、彼女は猫の禁断症状を起こしているのである。しかし、その猫はカミさんが近づくと逃げて行ってしまった。カミさんが連れている息子に恐れをなしたらしい。やはり、子供は苦手なのね。猫を撫でられなくて、ぶーたれるカミさんであった。

息子は、まだ曾祖母が死んだということが理解できていない。家に帰ってお義母さんに電話していたときに彼と代わったのだが「ひいばあちゃんと、かわる」とか言うのである。もう曾婆ちゃんとは電話できないんだ。もう、あの家に行ってもあの部屋には誰もいないんだ。「シンちゃん(仮名)、よう来たなあ」と迎えてはくれないのだ。そうやって迎えてくれたことや、いっしょに鍼に行ったことなどを、キミは大きくなっても覚えているだろうか。あの、ゆっくりと歩いてくる姿を。

葬儀を終えて家に帰るタクシーの窓から、ツバメが飛んでいるのが見えた。春は、何事もなかったように、着実にやって来ようとしている。

◇ ◇ ◇

家に帰り、WOWWOWで録画していたモータウンライヴを観る。一回目はゴスペル系のアーチストの特集で、なかなか聴き応えがあった。特にYolanda Adamsが素晴しい。こんな凄いヴォーカリストがゴロゴロしてるんだよなあ、向こうは。Kirk Franklin & The Nu Nationもいいですねえ。聴いていて、思わず拳を握りしめてしまいましたぜ。

で、何といっても目当てはPatti LaBelleの出る回である。おろ、いきなりデュエットですか。Patti LaBelleといっしょに歌うとは、相手は勇気があるなあ。誰だろう…と思っていたらRegina Belleですか。なるほど、若手で実力に自信があれば勝負してみたいでしょうな。でも、Patti LaBelleは手加減なしですからねえ。いつもマジですからねえ。大砲のようなパンチが嵐のように飛んできますから。以前、Joe Cocker(「愛と青春の旅立ち」のテーマを歌ってた人ね)が彼女といっしょに歌って跡形も残らないほど粉微塵にされてたのを観たことがあるのだ。あれは気の毒だった。まともに勝負できてたのは、Michael Boltonくらいしか記憶にない。続いてソロですが、バックコーラスの男性たちを一人ずつ前に出してバトルし始めました。根っからバトルが好きなんでしょうなあ。しかし、コーラスなのにソロでPatti LaBelleと渡り合ってます。さすがに超一流はバックも凄い。というか、やっぱり向こうにはこの程度のレベルはゴロゴロしてるんでしょうかねえ。



4月2日(日)
外泊許可は今夜まで出ている。今日は昼過ぎまで寝ていた。やはり、疲れたようだ。昨日カミさんに「明日のご予定は?」と訊かれて「シンジ(仮名)を連れて西大寺にでも行きます」と応えたので、実行しなければならない。この駅は、大阪〜奈良・京都〜伊勢志摩の交点になっているので、常時いろいろな電車が停まっているのである。遅くならないうちに家を出る。デジカメ持参である。電車の写真を撮って後でパソコンで見せてやれば、息子も喜ぶだろう。

西大寺駅に着いたとき、ちょうどホームに「KYOTO」と書かれたピンク色の車両と「NARA」と書かれた薄緑色の車両が連結された列車が停まっていた。これが例の「きょーとの、でんしゃ」というやつか。どうやら、観光用にペインティングしているだけらしい。写真を撮ろうとしたが、電源が入らない。液晶表示をオンにしていると電源が入らなくなっている。故障かなあ。おかげでこの電車を撮り損なってしまったぞ。うがあ。

今日も、伊勢志摩ライナー特急電車が見れて、息子は上機嫌である。そのうちに、奈良行きの急行で、見たことのないタイプの車両が入ってきた。上半分がグレイ、下半分が白のツートンカラーである。どうやらこれが新型車両らしい。すると、上半分はグレイではなくてブラウンなのか。そう言われればそういうふうにも見えるな。息子はこれ以降「新型車両」と言う言葉を覚えて、折に触れて「しんがたしゃりょう、みたな」と言うようになってしまったのである。

1時間近くホームで立っていると、さすがに疲れた。病院の最寄り駅でカミさんと待ち合わせることになっているので、家に電話をして電車に乗る。息子には電車に乗る前に尿意がないことを確認したはずなのだが、目的の前の駅あたりでモジモジし始めた。「おしっこ」と言う。目的の駅で降りてトイレに急いだ。しかし、息子に電車の前方を見せてやりたかったので我々はいちばん前の車両に乗っていたのだが、この駅のトイレはホームのいちばん後ろから階段を上って反対側のホームの上に行かねばならないのである。かなりの距離がある。なんとかトイレに入り、息子は小便器の前でズボンを下ろす。間に合ったと思ったのだが…彼はパンツを下ろしかけて固まってしまった。見ると、パンツの中から小便が流れ出している。慌ててパンツを下ろして照準を合わせなおすが、ズボンから靴下まで濡れてしまっている。トイレの出口のところで、用意してきたパンツとズボンに穿き替えさせる。靴下の替えは無いし、本人も替えなくていいというのでそのままにしていたのだが、しばらく歩くと靴下が濡れていると言いだした。それを脱がせていると普通電車が到着してカミさんがやって来たのであった。

親子三人で駅周辺の商店街を散策して食事をする。そして、駅に戻ってお別れである。また一人だ。駅前のコンビニで雑誌を立ち読みし、ギリギリの時刻に病院に入る。病室に入ってデジカメで撮った内容を確認してみたら、日付が昨年になっている。内蔵時計がリセットされてしまっているようだ。まったくもう。



4月3日(月)
朝、検温に来た看護婦さんに「今日、退院ですよね」と言われて驚く。たしか、先週の金曜日に外泊許可をもらうときにドクターに聞いた話では、頭のCTを撮るのを土曜日から月曜日(今日)にしてもらうことにして、その日に耳鼻科で結果を診てもらえないので退院は火曜日になるという話だったはずなのだが。看護婦さんに確認を依頼する。ずいぶんと走り回っておられたようだが、「今日、耳鼻科の診療、受けられるそうです」ということであった。うーん。

CTを撮りに行く。仰向けになって頭を固定した状態と、うつ伏せになって顎を立てて固定された状態(これはキツかった)の2通りの状態で撮られる。横方向と縦方向の輪切り写真を撮ろうとしているのかと思ったが、後で見せられたのは水平方向に輪切りにされた写真のみだった。

写真ができてから耳鼻科で説明を受ける。いきなり「やっぱり、蓄膿ありますわ」と言われた。写真を見せられて「空気は黒く写るんですけどね」ということなのだが(確かに頭の外は真っ黒である)、鼻の奥の洞が白く写っている。正常ならば空洞なので黒く写るらしい。目の奥の洞も左側は下の半分くらいが白くなっている。水平方向に輪切りにした写真で、黒から白に変わるところでは中央部が黒く写っている。中央が窪んでいるということだから、かなり粘度が高いもののようである。これが脳細胞だったら、少しは頭が良くなるんだろうけどねえ。かなり長期間かけて溜まったものだろうとのことである。

手術を勧められる。方法を聞くと、鼻から内視鏡を入れて骨を削って膿を出すらしい。そういう手術はできれば受けたくない。今まで日常生活に特に支障がなかったわけだし。他の選択肢としては「3ヶ月ほど抗生物質を飲んで様子を見る」という方法があるらしい。3ヶ月後に再度CTを撮って、良くなっていなければ手術をするということである。即決でそちらを選択する。この3ヶ月で何とかしなければならないな。漢方薬についても調査しよう。

アレルギーが原因だということも考えられるので、血液検査をするということである。病室に戻ってから採血するということである。結果がでるのに1週間かかるので、また来週来るように言われる。

カミさんに金を持ってきてもらわなければならないので入院費の計算をお願いする。事務のねーちゃんに請求しないといけないらしい。朝食後すぐに申し込んだのだが、請求書ができたのは午後かなり遅くなってからだった。ずいぶん時間がかかるのね。6万円足らずか。1日約7000円ということになるわけね。あれだけ検査をして、だいたいビジネスホテルと同じか…まあ、6人部屋だし、何より保険があるからね。

なかなか採血に来ないので看護婦さんに聞いてみたら、調べに行って「連絡が伝わってませんでした」と言う。大丈夫かね。しばらくすると、事務のねーちゃんが「計算が間違ってました」と言って請求書を取り替えに来た。たぶん、アレルギー検査の分が入っていなかったんだろう。

今日退院ということになってしまったのでカミさんに連絡する。彼女には明日退院すると言っているのだ。しかし、家に電話してもPHSに電話してもまったく連絡が取れない。私は大金を持ってきていないので、支払ができないぞ。「これで通じなかったら自分で銀行に行って預金をおろしてくるしかないな」と思いながら17時過ぎに電話したら、やっと繋がった。息子がまだ保育所に慣れていないので昼までで帰らせて、彼と一緒に寝ていたらしい。ふう。



4月4日(火)
今日も仕事を休む。とりあえず木曜日までは休んで様子を見る予定なのである。朝は親子三人で新しい保育所に行く。場所と送り迎えの方法を知っておかねばならない。リハビリ中は私が息子の送り迎えをすることになりそうである。慣れない保育所なので別れるときに愚図るかと思っていたのだが、ちょうど両親が出ていくときに窓の外を電車が走ったので、息子は「でんしゃ、でんしゃ」と言ってこちらの方は見向きもしない。そうか、親よりも電車の方がいいのか。今日も慣らしの期間ということで昼過ぎに迎えに行く予定なのである。昨夜は息子を寝かしつけていていっしょに寝てしまったので、今日こそは風呂に入らねばならない。最初は息子を迎えに行ってから風呂に入ろうと思ったのだが、お昼寝モードに入ったカミさんの様子を見ていると、どうにも昼過ぎに起きそうな雰囲気ではない。予定変更して息子を迎えに行く前に風呂に入ることにする。病み上がりだから、あんまり風呂上がりに外をうろつきたくないんだがなあ。それでもしばらくは暖かくしているつもりだったのだが、半月分の垢を落として風呂から出てくると、息子を迎えに出るべき時間の30分前だった。慌てて髪を乾かし(しばらく散髪してなくて伸び放題なので時間がかかるのだ)、カミさんの言いつけ通り風呂の湯を落として浴槽の掃除をし、ギリギリの時間に家を出る。帰りは歩いて迎えに行くつもりだったのだが、時間がないし道に迷うとやっかいなので自転車で行くことにする。案の定、1回角を曲がり間違えてから保育所に着いた。今日、息子は昼食を食べなかったそうである。「まだ慣れてないんで保母も無理強いはしませんでしたけど」とのことである。最近、家でも食べるのを嫌がることがあるからなあ。

本屋とスーパーを廻って帰ることにする。しかし息子は本屋に入ってしばらくするとモジモジしだした。オシッコのようである。困ったなあ、最寄りのトイレのあるスーパーは改築中だし…仕方がない、少し離れたスーパーに行こう。「我慢できるやろ」と息子に声をかけ、自転車に乗せる。目的のスーパーに着いて、息子の手を引いて走っていると、彼は「かい、みる」と言って立ち止まろうとする。ここの魚屋は生け簀の中の魚や貝が見えるのである。おいおい、オシッコするんじゃなかったのか。まずはオシッコだ。トイレまで引っ張ってゆく。用を足して魚屋の前に戻る。今日はそれほど長時間見なくても満足してくれた。店内を一通り見て回ったが、残念ながらこのスーパーには買うべきものがない。また別のスーパーに行く。そこで息子は納豆が売っているのを見つけて「なっとお、かう」と言いだした。ここの納豆は、あまり好きな製品が置いてないんだ。仕方がないので、入り口のところで100円ケーキを売っているのを指差して「ケーキ買いに行こ」と言ってそちらに注意を向ける。5つ買って家に帰るのである。

家に帰ると、やはりカミさんは起きていない。息子は「けーき、たべる」とか言っているが「母ちゃんが起きてからな」と言って我慢させる。しばらく息子と居間で遊んでいたが、私も昼飯がまだなので腹が減ってきた。カミさんが寝ているので自分で食事の用意をしなければならない。最寄りのスーパーに食料を買いに行くことにする。今回は歩きである。野菜ジュースと納豆を買った。納豆は、少し高めだが無農薬と書いてあるものを買う。成長期の子供が食べるものだからね。息子はパンの売場で「ぱん、かう」とか言ったが「帰って納豆食べよな」と言ってレジに向かう。

家に帰り、インスタントのラーメンと納豆で飯を食う。うーむ、緑黄色野菜が足りんなあ。納豆でも息子はあまり食べなかった。どうしたんかのう。それからひとしきりまた息子と遊んでいると、階上でカミさんが起きる気配がした。息子はさっそく階段を上って母親が起きたことを確認しに行く。母親が起きるとケーキが食べられることを覚えているのだ。

カミさんは早売りの月マガを買いに行ってきた。かなり浮かれている。海皇紀が良かったらしい。「これは、真剣に本を出すことを考えないと」とか言っている。今度はそっちですか。カミさんが帰ってきたので、代わりに私がマンガ雑誌の立ち読みに行く。久しぶりであるな。かなり時間がかかってしまった。カミさんが怒っていると怖いので、土産に修羅の門(28)」を買って帰る。カミさんはそれほど機嫌は悪くなかったが、それを読み終えて一言「続きは?」。どうやら、ディアーボを起こしてしまったようだ。怖い。「買ってきて〜」と言ってジタバタしている。すぐさま、息子を連れて本屋に29巻を買いに行くのであった。



4月5日(水)
今日も仕事を休んで保育所に息子を送っていく。天気が悪いので歩いて行く。傘を差して自転車に乗るのは好きではないのである。運転技術の問題かもしれないが。息子は、保育所への途中にある家の排水口から洗濯の水が側溝に流れ込んでいるのを見ては「おみず、ながれてる」「あわ、でてる」とか言ってしばらく立ち止まって見ているので、なかなか時間がかかる。まあ、時間と心に余裕を持って、いろんなものを見ながら歩くのがいちばんいいのかもしれないんだけどね。

家に帰ると、カミさんはパジャマ姿のままゲームをしていた。「影牢」というゲームのようである。最近、彼女はこのゲームばかりしているようだ。まあ、主人公が女性のようなのでヤオイを考えなくていいようなのが救いかな(誰にとって?)。……とか書いたら、その夜にクリアした彼女は「これ、主人公が少年だったらモロにヤオイだったのに」と、のたまったのだった。はあ。

今日も昼過ぎに息子を迎えに行く。雨が降っている。息子のレインコートを持って歩いて行く。出がけにカミさんに「サッポロポテト・バーベQあじを買ってきて」と命令されているので、少し遠回りになるがスーパーに寄ることにする。その途中で踏切の前を通るときに息子は「あっち、わたりたい」と言った。雨が降っているので「ダメ!」と断固拒否する。彼は、えんえん泣きながらついてくる。「なみだ、でた」と言っては泣き、泣いては涙や鼻水を出し、そしてまた「なみだ、でてもーた」と言っては泣くのである。いいかげんに気分を変えろ。やっとのことで家の近くまで来たが、こんどは「おなか、いたい」とか言いだした。仕方がないので、おんぶする。片手は傘を持っているし、彼はレインコートを着ているので滑りやすく、彼の体重を支えるのは辛い。しかし彼はしばらく歩いたところで、お好み焼き屋の前にある水槽の中を泳いでいる金魚を見つけて「きんぎょ!」と叫んで私の背中から降りようとするのである。こら、お腹が痛いんじゃなかったのか。



4月6日(木)
今日からは、息子に保育所でお昼寝してもらうのである。カミさんに息子のパジャマと布団のカバーを持たされる。玄関を出るときに息子は「じてんしゃで、いく」と言う。歩いていくのは懲りたらしい。保育所に着いて布団にカバーを掛ける。息子の布団は押し入れのいちばん下にあったので、上に乗っている他の子の布団を出してから息子の布団を出してカバーを掛けていたら、数人のガキンチョどもが寄ってたかって他の布団まで押し入れから引きずり出そうとしている。口で怒っても効かない。ヨソの子をひっぱたくわけにもいかないしなあ。困ったもんである。

保育所から帰ってカイロに行く。なんとか蓄膿は手術をせずに治したいのである。カイロからの帰りに今週のモーニングと修羅の門(31)」修羅の刻(四)」を買う。これで「修羅…」シリーズはコンプリートだな。モーニングは、今週も『ΠΛΑΝΗΤΕΣ(プラネテス)』(幸村誠)が載っているので買うのだ。いやいや、今回も笑わせ、そしてホロリとさせてくれました。私はSFオンライン賞のコミック部門にこの作品を投票したのだが、ベスト10に入っていなかったんだな、10位が2票なのに…ということは、この作品を推したのは私だけか(爆笑)。好きなんだけどなあ。

カイロから帰ると、カミさんはすでに寝ていた。腹が減ったので納豆とインスタントのスープで昼食を摂り、散髪に出かける。昨日まではカミさんに「オタクみたい」と言われるような髪型だったのだが(ということはオタクだと思われていないということか)、短く刈ってもらったので息子を迎えに行ってちゃんと認識してもらえるかちょっと心配だったのだが、特に問題はなかった。今日は、昼寝をするときに息子は父ちゃんが迎えに来ると言って嫌がったそうである。そうか、朝別れるときにちゃんと言い聞かせておくべきだったか。今日も歩いて帰る。桜の花を見せるが、それほど関心はないようだ。

家に帰り、カミさんが起きてから夕食を食べ、カミさんが風呂に入っている間に息子がトイレに行ったのだが、見てみるとトイレの電灯が点いている。あれ、踏み台は持って行っていないはずなのに。「電気、点けたんか」と訊くと彼は「シンちゃん(仮名)、つけたねん」「シンちゃん(仮名)、やったねん」と言う。用を足した後どうするか見ていると、必死で背伸びして指先でスイッチに触るが、ギリギリで押すことができない。すると、トイレのドアのノブを片手で掴んで身体を持ち上げ、スイッチを切ったのだった。感心して見ていると、彼もすごく得意そうである。風呂に入れてもらいに母親のところに行ったときにも「シンちゃん(仮名)、でんき、つけたねん」と言っていた。

カミさんは「修羅の門(31)」の後書きを読んで「これだけ描いて、わかってもらえなかったらショックでしょうねえ」とか言っている。そうだよなあ。あれを読んで作者の葛藤を感じることができないような読者の感想なんて無視してもいいと思うんだが。実際にすべての世界を創っている作者の方が、その作品に関しては読者よりも何倍も深く考えてるんだから。それ以降の「修羅の刻」や海皇紀で、斬られて人がバタバタ死んでいくのは「格闘技の大会で人を殺すのはいけなくても、剣で人を殺すのはいいのか」という作者の問いかけなのではないかと思うのは深読みしすぎなんでしょうな。



4月7日(金)
今日、入院以来初めて出社する。往きの電車の中で「異形コレクション15 宇宙生物ゾーン」を読む。久しぶりだな。大場惑氏「夜を駆けるものたち」を読んだが、SFしててなかなか楽しめた。 仕事はまだまだリハビリである。今後の打合せとかで終わる。帰りに梅田の大型書店を徘徊する。堰が切れたように本を買う。買った本は以下のものである。
(1)「鉄腕アトム(3)」(手塚治虫:秋田書店)
 これは、立ち読みしていたら無性に懐かしくなって買ってしまったのだ。ここに収録されている「地上最大のロボット」はいちばん好きな話でもあるしね。たしか、この話はほぼリアルタイムで読んでいたような記憶があるんだが、初出を見ると小学校低学年の頃なんだよな。どうやって読んでたんだろう。
(2)「電脳奥様(2)」(後藤ユタカ毎日コミュニケーションズ
 これは、前巻がカミさんに受けたので買うのである。なぜか、前巻は現在カミさんの本棚に入っているのだ。
(3)ミクロ・パークJ・P・ホーガン創元SF文庫
 まあ、ホーガンのSFは押さえておかなくっちゃね。
(4)「猫の地球儀 幽の章」(秋山瑞人:電撃文庫)
 前巻もけっこう面白かったので買うのである。今回の帯には「猫嫌いのあなたにもおすすめです」と書いてある。けっきょく、どっちでもおすすめなわけね。
(5)聖の青春大崎善生講談社
 ハードカバーなのに買ってしまったのである。少年マガジンに広告が載っていたのを見て気にはなっていたのだが。店頭で見つけて立ち読みしていると、どうしても買わなければいけなくなってしまった。そして、帰りの電車の中で読み、家に帰っても読み、今日のうちに読了してしまった。何と言えばいいんだろう。以前「身体の心配をせずに、心ゆくまで羽生と戦わせてやりたかった」と書いたことがあるが、この本を読んでいるとそれもちょっと違うような気もしてきた。あの、病気も含めて彼だったのだから。残り時間が少ないのを自覚していて、だからこそ、そのすべてを将棋に賭けてあの結果だったのだから。それでも、それでももう少し病気が軽ければ、とか考えてしまうのであるけどね。

息子を寝かせていたカミさんが起きてきた。抱いていたらオネショをされたと言って怒り狂っている。階上で息子が泣いているので着替えを持って上がっていく。私が着替えさせようとするが、「かーちゃん、だっこぉ」と言って応じない。母親は「着替えてからや!」と言って突き放す。また泣く。無理矢理パジャマを脱がせたが、着てくれない。けっきょく、私ではなく母親でなければ着ようとしなかったのである。そして、あれほど怒られたにもかかわらず、母に抱かれないと泣きやまないのである。辛いなあ。



4月8日(土)
昨夜は遅くまで通信していたら寝てしまっていた。コタツの中で寝たので、また風邪を引いたかもしれないな。妻子が起きてきた。慌てて今朝の分の通信をする。今日は息子を保育所に送ってカイロに行く。カミさんに言いつけられた昼食用のコロッケとお好み焼きを買って帰る。二人で食べてから寝室でイチャイチャしていたら眠ってしまっていた。気がつくと夜である。息子もカミさんが連れて帰ってきてくれたらしい。すみませんねえ。

今日は家族3人で外食をする。玄関を出ると息子は西の空を指差して「おつきさんや!」と声を上げる。見れば、曇り空に輪郭のぼやけた三日月が浮かんでいた。彼はまた、桜の花が街灯に照らされているのを見て「さくら、さいてる」と指摘する。無関心そうに見えても、ちゃんと認識していたのね。「にゅーすすてーしょんで、やってたなー」と言う。そう、きのう夜桜の中継をやってたね。よく覚えているもんだね。



4月9日(日)
昨夜は、長距離電話が安くなる時間になって木根さんからカミさんに電話がかかってきた。カミさんは私に「シンちゃん(仮名)、寝かしといてね」と言って電話を始めた。今夜も長くなりそうである。しかし、この時間になっても息子は寝ようとしない。そのうちに、例によって私はカミさんの長電話の声を聞いているうちに睡魔にノックアウトされてしまった。気がつくと、カミさんが息子を寝かせようとしている。息子は抵抗している。時計を見ると1時半である。「ずいぶん早く、電話終わったのね」と言うと「寝かせてからかけ直すことにしたの」と言われた。うう、すみませんねえ。

何だか、ずいぶん前から息子がモゾモゾしている気配がする。明るくなっている。何時なんだろう。ずいぶん長く寝たような気がするが。時計を見ると9時過ぎであった。まさかもう月曜日じゃないよなあ…などと思いながら起き上がる。布団から抜け出て横になっていた息子も起き上がった。連れだって居間まで下りる。いっしょにオシッコをして着替えさせ「顔洗ろてくるな」と言って洗面所に下りヒゲを剃っていると、階上から息子が呼んでいる。なんだかモジモジしている。「ウンコか?」と訊くと頷く。トイレでウンチをさせる。ちょっと柔らかいかな。

しばらく息子に本を読まされて過ごす。彼が空腹を訴えれば朝食を食べさせるつもりだったのだが、そういう様子を見せない。昼前になっても遊んでいる。野菜ジュースが切れているので、買いに行くことにする。今日も歩きである。野菜ジュースとヨーグルトを買い、パンの売場を通ると息子は「ぱん、かう」と言う。朝食は納豆でご飯を食べる予定だったのだが、まあ昼飯用にパンも買っておくか。家に帰ると午になっていた。息子は「ぱん、たべたい」と言うが、「納豆食べよな」と言ってご飯の用意をする。まずは残り物の筑前煮を食わそうとするが「おいしくない」と言って食べない。「なっと、たべたい」と言うので食べさせる。それでもご飯が残ったので、必殺のキムチを出してくる。息子は「からいー」と言って半ベソをかきながら、ご飯を全部食べたのだった。

食事をしてまた息子に本を読まされていると、やっとカミさんが起きてきた。木根さんとは海皇紀のことで盛り上がっていたらしい。合同誌でも出しそうな勢いですな。彼女は食パンを食べ始める。息子が食べたがるので、昼前に買ってきたパンを出してきて食べさせる。飯を食ってほとんど時間は経ってないはずなんだがなあ。

カミさんは息子を連れて浄水器の交換用フィルターを買いにホームセンターに行った。この間に日記を書けばよいのだろうが、「電脳奥様(2)」を読んで終わってしまうのである。帰ってきて息子は「おさかな、みたん」とか言っている。そうか、あそこには熱帯魚のコーナーがあったからなあ。カミさんは障子紙も買ってきたようだ。3階の障子を貼り替えるが、かまってもらえない息子は余計なことをして怒られるのである。

カミさんは焼肉を食べたいとか言っている。じゃあ、今日も外食しましょうか。息子がトーマスのビデオを見るというので、私は自分の部屋で弟から送ってきた本を読む。腹が減ったので居間に上がっていくと、息子が電気炬燵から上半身を出して眠っていた。まあ、昨夜寝たのが遅かったからねえ。カミさんと今夜の食事をどうするか相談する。息子を寝室まで連れていって、起きれば外食で焼肉、そのまま寝れば家で食べることになる。息子を抱き上げると起きたが、疲れているようである。カミさんが寝かせるというので階下に下りたが、しばらくすると寝室からドンドンと物音が聞こえてきた。上がっていくと息子がゴネている。咳込んで吐いたらしい。かなり機嫌が悪いようである。強引に着替えさせられて母親に抱かれたら落ち着いたようなので、私はまた下りてゆくのである。



4月10日(月)
今日は午前中は医者に行くのである。ついでに息子を保育所に送ってゆく予定だったが、今にも雨が降りだしそうな天気なので自転車で行くのはちょっとヤバいような気がする。息子も「かーちゃんと、いく」と言ったので、カミさんにお願いして私は電車で行くことにする。

まずは耳鼻科に行く。順番が来て名前を呼ばれ、現在の症状を話すが、どうも話が通じない。医者は「あ、入院してはったんやね。外来のカルテしか来てないわ。入院のカルテ持って来させますんで、ちょっと待ってください」と言って、後回しにされる。血液検査の結果は、花粉にはアレルギーは無いが、ダニや家の埃にアレルギーがあるそうである。これは、家をこまめに掃除しないといけないんだなあ。続いて呼吸器科に行くが、待合室が異様に混雑している。十人以上の人間が座れなくて立っているのである。耳鼻科からカルテが回ってきてからになるので、かなり長時間待たされた。本を持ってくればよかったな。胸のCTで影があったので痰の検査をしたが、ガン細胞は発見されなかったとのことである。これで、医者と闘わなくてよくなったな。会計でも待たされる。いつもなら診察結果と処方箋を窓口に出せばすぐに名前を呼ばれるのだが、数十分待たされた。そして、当然のごとく薬局でも待たされるのである。すべてが終わったときには午を過ぎていた。雨が降りだしている。電車に乗って家に帰り、昼食を食べて歩いて駅まで行って出社すると、かなり遅くなってしまった。

仕事を終えて家に帰り玄関に入ると、風呂の中から「とーちゃん、かえってきた」と息子の声がする。「おかえり!」と言うので「ただいま」と応える。私が食事を始めると、彼は横にやってきて「おにく、たべたい」とか言いはじめる。口に入れてやると「おいしい」と言って食べている。ふつうに食事をするより食べてるんじゃないだろうか。今日はご飯が少なかったのだが、かなりの量を息子に食われたのは計算外だった。

狼谷辰之  新書館ウィングス文庫
なる
¥620+税  ISBN4-403-54021-X



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