2000年 12月下旬の日記
前の日記へ
12月21日(木)
今月2回目の徹夜である。今回は3時間程度寝れたからまだマシなのだが、体力が落ちているぶんツライ。しかしそれでも、室内で蛍光灯下の一定した明るさの環境で仕事しているにもかかわらず、外が暗いときにどんなに眠かったとしても外が明るくなってくると目が覚めてくるのは自然の驚異である。水棲生物が水槽の中でも潮の満ち引きを感知できるようなものなんだろうか。

私がチェックしていたデータは、お客様から出てきた情報じたいがいいかげんなものだったらしい。けっきょく私の作業は無駄だったわけね。何のこっちゃ。

ここ半月以上一日たりとも休まずに毎日22時過ぎまで仕事をして、しかもその間に徹夜2回というのは無茶苦茶だな。さすがにこういうのは未体験ゾ−ンである。しかしそれでもまだ昨年の今頃に比べると精神的にはだいぶラクなんである。この前「毎日息子の顔は見れるし」と書いたが、どうもそれだけではない。思うに、前回は未完成のまま本番に入ってしまったのが大きかったな。本番に入ってしまったら、システムが止まれば客の仕事が止まる。対応する相手はエンドユーザだし、トラブったときには殺気立った現場のオジサンオバサンの相手をしなければならない。相手は素人だから調査するための情報もろくに取れないし。もう、ああいう仕事はしたくないもんだな。今回はまだ謝れば済む範囲なんである。動かなくても客の仕事が止まるわけじゃない。

とりあえず、チェックの結果はある程度まとまったようなので、今日は早く帰らせてもらえることになる。それでも、課長がメールを出してるのを待ってたりしたら昼をかなり過ぎてしまった。帰りに何軒か本屋に寄ったが、久しぶりなのにもかかわらず何も買う気になれない。気力が落ちているせいなのか。

今日、職場からの帰りに「大久保町の決闘」(田中哲弥:電撃文庫)を読み終えた。いやー、楽しかったっす。もう、文体だけで楽しめるというのは凄いことですな。これは並の才能ではできません。いま、文体だけで銭が取れる人というと、私には田中哲弥氏とスタパ齋藤氏くらいしか思いつかないな。この作品も文体で笑わせるだけでなく、ちゃんとアクションも甘酸っぱい想いもあるのである。それもまた凄い。このオリジナリティはどうだ。初めて読んだら衝撃を受けるぞ。それが本物のクリエイティヴというものだ。こういう面白い作品を続けて読むと、面白くない作品は遠慮せずに面白くないと言えるな。いやー、良かったのである。

家に帰ると16時であった。玄関に入ると、階上でドタドタ音がして「おとーちゃんやったよ」という息子の声が聞こえた。あら、ふつうなら保育所にいる時間のはずなんだが、今日も休んだのだろうか。聞けば、今日は早めに迎えに行ったそうである。彼が帰ってくるまでにインターネットしようと思っていたんだがな。

私が着替えて食卓の前に座ると、息子はさっそく本を持って私の膝の上に乗ってくる。誕生日に私が買ってやった本を「ぼく、このほん、すきよ」と言ってくれるのは嬉しいものである。早く字を読めるようになってくれ。字が読めるようになると、世界が無限に近く広がるぞ。

今夜、先日インターネットで注文したポータブルMDレコーダーパソコン接続キットが届いた。メーカー品切れだったので発送が遅れていたのである。売れているんだな。発送するまでに相場が変動したらどうするのかメールで問い合わせたら、安くなったらその時点の価格で対応すると言われたので安心したのである。それで、値引したと書いてあったので喜んだのだが、最新の情報を見るとそれよりもさらに100円安くなっていた。インターネットの流れは速いな。でも、ま、いっか。

しかし、インターネット通販は危険である。店に行かなくても買えるので、忙しくて時間が無くてストレスが溜まっているときなどは特に危ない。一度その店で買ってしまうと、あとはクリックだけで買えてしまうもんなあ。それでも、安いし移動の手間がかからないし、買うべきものがわかっているときは便利なのである。代引手数料も、考えてみれば日本橋への往復の電車賃と変わらない。ここしばらくはZAURUSもMDレコーダーもインターネットで買ってしまった。今後も電機製品などは日本橋じゃなくてインターネットで買うことになってしまうような気がするなあ。これからは店も大変だ。



12月22日(金)
目覚ましが鳴った。カミさんが止めた。それは認識したのだが、身体がなかなか動かない。10時間以上寝たことになるんだけどなあ。いや、久しぶりに長時間寝たせいか。しかし、6時間以上寝たのなんて、何日ぶりだろうか。1ヶ月近くの間、そんなに寝てないような気がするぞ。長時間走った後に急に止まると危険だというからなあ。気をつけなければ(苦笑)。

今日も20時に仕事場を出ることができた。こんな時間に帰れたのは久しく無いことなので駅の近くの本屋に入っていたりしたら家に帰り着いたときには22時を過ぎていたのだが、家に入ると階上から息子の声が聞こえてくるような気がする。居間に上がってゆくと、息子が椅子に座って母親とビデオで「となりのトトロ」を観ていた。明日は休みなので、今夜は遅くまで起きているそうなんである。うーむ、いいのかなあ。

内容に慣れてきたのか、息子は最初に観たときのように激烈な反応はしない。でも今は「ととろ、でてきそうやな」などと次に起こることについて言及しながら観ている。それに、何かにつけ「ほら、ねこばすや!」などと同意を求めてくるのである。一緒に楽しみたいのね。

今日から移動中に20世紀SF 2 1950年代 初めの終わり」(河出文庫)を読んでいる。まず「初めの終わり」(レイ・ブラッドベリ中村融)を読み終えた。これは、あの当時に読めば感動したかもしれないけど、今の我々はこれほどナイーブに「無限」というものを信じられなくなってるんだな。続く「ひる」(ロバート・シェクリイ浅倉久志)はウルトラQ例の話の元になりながら例の話より深いじゃないか。まあ、30分の番組では、ああ料理するのが正解なんだろうけど。次の「父さんもどき」(フィリップ・K・ディック大森望)は……いやー、こりゃ怖いっすねえ。SFの定番ネタではありますが。

そういえば今日、家に帰る途中の本屋で「TECH GIANを買った。例によってにしき義統氏の表紙イラストの壁紙が目当てである。べつにエロゲーの情報がほしいわけではない。本当ですってば。

ホンダがASIMOのレンタルを開始するらしい。「レンタル先としては公共性の高い博物館や企業のショールーム、イベント会場などが想定されている」ということだが、個人で借りるヤツも出てきそうな気がするな。いや、「グループでASIMOを借りようと思うのですが一口乗りませんか」というようなメールがどっかから来そうで怖い(笑)。



12月23日(土)
今日はカミさんのお父さんの法事なのである。久しぶりに休みを取ってカミさんの実家に行く。本当に久しぶりだな。30年以上も前のことだしこちらから聞き出すのも何なので当時のことはよく知らなかったのだが、こういう場だといろいろと話が聞ける。私も子供が独り立ちする前に死なないようにしなければ。

カミさんの実家からの帰りにスーパーで昼食を買って家で食い、昼寝をする。今朝も遅かったからね。夜になって起き、車でラーメンを食いに行く。例によってラーメン屋の隣の古本屋に入る。今日は以下の本を買った。
躁宇宙・箱宇宙」(梶尾真治:徳間文庫 1985)\400→\210
地球になった男」(小松左京:新潮文庫 1971)\240→\100
時間エージェント」(小松左京:新潮文庫 1975)\320→\100
闇の中の子供」(小松左京:新潮文庫 1975)\320→\100
小松先生の本はどれも買ったことがあるのだが、実家に置いてあるのである。やはり、手元に置いておきたいからね。ここしばらく(私としては)大量に本を読んでみて、やはり小松左京レベルの作品はなかなか書けるものではないということがわかってきたのである。私はSFファンではなく小松左京ファンだったのではないか、などと思ったりして。

今日は私が息子を寝かせる。寝室でパジャマに着替えていると、膝に何カ所か痣ができているのを見つけた。ここしばらく鼻血が出やすくなってるし、やはり血液の病気なんじゃないだろうな。



12月24日(日)
今日も休みである。しかし外に出る元気はない。息子が自分でプラレールを組み立てようとして果たせず、母親に怒られて泣いているので「外に行くか?」と声をかけるが拒否される。気分転換をした方がいいんだがなあ。子供の頃から一日中家の中、というのも問題だし、だいいち運動不足で夜寝れないぞ(苦笑)。まあ、こっちも疲れてるから外に出ないのは有り難いのだが。

今日も夕食は100円寿司で外食である。息子の医者代で今月は苦しいと言っていたような気がするんだが、大丈夫なんだろうか。まあ、ここ数週間、私がずっと出勤してたから外食してないんだけどね。

私が風呂から上がると、息子は「となりのトトロ」を観ていた。おいおい、大丈夫か。また寝るのが遅くなるぞ。見る前から「途中まで」という約束だったらしいが、やはり4歳児にそういう約束が守れるわけもなく、彼はカミさんがビデオを停止させようとするとゴネるのである。



12月25日(月)
今日は朝から東京に出張なのである。10時に飯田橋で待ち合わせなので、6時には家を出なければならない。カミさんには5時に起こしてくれるように言ってあるなのだが、できればもう少し早く起きて通信をしたいと思っていたのである。FIVAに最新のデータをコピーする必要もあるしね。目が覚めて、そろそろ起きるか、と思って時計を見る……ちょうど、6時になるところであった。ぎゃ〜、コレハ、ヤバい。予約しているのぞみに乗れないじゃないか。あと50分ちょっとしかない。ひかりの自由席で行くと、1時間くらい遅れてしまう。慌てて起き上がる。カミさんもつられて起き上がった。二人して必死で出張の用意をする。顔を洗う暇もない。カミさんが車で駅まで送ってくれると言う。眠っている息子を置いてゆくのは心配だが、逆転のチャンスはそれしかない。まだ暗い夜明け前の街を駅に急ぐ。車を降り改札に向かっていると、電車が着く音が聞こえてきた。階段を駆け下りて乗り込む。ラッキーである。この時間帯はタイミングが悪いとかなり待たねばならないからな。まだ本数が少ないので、乗り換えが少ないよう本町で御堂筋線に乗り換えねばならない……と考えていたのだが、なぜか気がつくと森ノ宮で降りていた。数メートル歩いて気がつき、慌てて引き返す。まだ寝ぼけているのか。人波にぶつかる。すみませんねえ。本町で降り、階段を駆け上る。息が切れる。トシだなあ。トシといえば、もう一つショックなことがあった。御堂筋線の電車に乗って新幹線の時刻表を見ていたのだが、文字が細かいので目を近づけると……かえって見にくいのである。字がぼやけてしまうのだ。ひょっとして、これが老眼というヤツか。私らがヒヨッコの頃にバリバリ働いてた先輩が書類を見るときに目を離しているのを目撃したときにもショックだったが、自らの身に起こると衝撃はその比ではない。それに、細かいものは目を近づけるとよく見えるのが当たり前だと思ってたからなあ。ピントが合わないというのは理論的にはわかっていても、まだ身体で納得できていないのである。とか思っているうちに新大阪駅に着いた。ZAURUS乗換案内では乗り換え時間は15分と表示されるが、のぞみの出発までは7分しかない。しかし、それでも勝ち目はあると思っていた。乗り換え時間はけっこう余裕を持っているはずだから。また階段を駆け上る。脚がガクガクする。新幹線のホームに駆け上ったとき、ちょうど列車が入ってくるところだった。間に合った。奇跡のようだな。起きた時点では半分諦めていたんだが。

昨日はずっと休んでたし息子と一緒に早く寝たのだが、身体が目覚めぬまま無理をしたのでダメージが大きい。けっきょく新幹線の中でもずっと寝ていたのだった。

東京では一日中会議である。疲れた。真夜中までやりそうな雰囲気だったが、発注元の組合が強くて22時過ぎは仕事ができないということで追い出される。助かった。他のメンバーはホテルにPCを持ち込んで資料を作らなきゃいけないんだけどね。それに付き合わなくてよくなったのはラッキーである(こらこら)。

今日も20世紀SF 2 1950年代 初めの終わり」を読んでいる。今日は「終わりの日」(リチャード・マシスン安野玲)を読み終えた。人類滅亡が、否応なしに目の前にはっきりとした形を取って迫ってきた。そのとき…という話である。SFの一大スタンダードなテーマですな。日本人なら、こんなに自暴自棄にならずに従容として滅亡を受け入れるんじゃないかなという気はするな。最近は違ってきてるような気もするが。少なくとも家族ができれば、人類滅亡が避けられないとしてもその瞬間までそれを護らないといけないわけで…などと考えるようになってしまうのである。結婚してしまうとね。

今夜も死ぬほど眠くて何度もホテルの部屋でベッドの上に倒れ込みそうになったのだが、強い意志を持って寝る前に風呂に入った。しかし日記を書いたりしていたので、上がると4時半になっていた。毎度バカである。



12月26日(火)
今日も東京の客先で定時をかなり超えて仕事をしていた。また家に着くのが遅くなるな。東京駅に着いて自動販売機で新幹線の指定席を予約しようとすると、出発まで10分未満ののぞみが予約可能であった。出発まで5分以下の便は予約できないらしいから、理想的なタイミングだな。これは予約せねばなるまい。しかし、乗ってみるとずいぶん空いている。3人掛けの席に1人ずつしか座っていない。こんな年の瀬に東京に出張する人間は少ないということか。これだったらひかりの自由席で帰ってもよかったか。

今日も20世紀SF 2 1950年代 初めの終わり」を読んでいる。まずは「なんでも箱」(ゼナ・ヘンダースン深町眞理子)であるが…うーん、意味がよくわからん。それに、文章が読みにくい。なんで、日本語を読むのにこんなに努力が要るんだ? 続いて「隣人」(クリフォード・D・シマック小尾芙佐)───まあ、何ということもない話だな。次の「幻影の街」(フレデリック・ポール伊藤典夫)は、なかなかの悪夢であるが、かなり話が古いなあ…と思いながら読んでいたが、最後の一ひねりが気が利いている。でも、やっぱり話が古い。続く「真夜中の祭壇」(C・M・コーンブルース白石朗)は、短いけどなかなか良い話でございましたね。

のぞみの車内でアナウンスがあった。米原のあたりで降雪のため遅れるそうなんである。しかし米原を通過したとき、窓にぶつかってきたのは無数の水滴だった。駅の電光掲示板を見ると、気温は0℃。そこを通過したあたりから、すごい冷気が窓から押し寄せてきた。さ…寒い。新幹線の車内なのに冷凍庫に入ったみたいだぞ。体調も弱ってるから辛いのである。

今夜、息子はカミさんの実家に預かってもらっているそうなんである。しかし彼は預けられるのを察したのか、鍼に行って戻ってきたときに部屋に入らず寒い玄関のところで頑張っていたそうである。それでも母親にプラレールを出すと言われるとそれに釣られて家の中に入ってしまい、そのまま母親に置いて帰られたらしい。不憫なヤツ。

息子がいないので、ThinkPadMDのリンクソフトの設定をする。ところがUSBドライバの設定をしていたら、途中で例外を起こしてWindowsが死んでしまった。まったくもう。いい加減な作りのOSを使ってたら…(以下略)

PCからMDに記録するのは、音楽再生の出力先をUSBにしてそれを光デジタル信号に変換してMDに録音するような仕組みになっているのだな。ワタクシ的にはMDレコーダーが外付けドライヴのように見えて音声ファイルをコピーすれば録音されるのが理想なんだが。そういう方式だったら、CPUパワーが足りなくて音飛びするような環境でも大丈夫なんだけどねえ(OSがタコだからよく音飛びするのよ)。そんなことをすると著作権上問題があるのかな。あくまでも音源は関係なく、PCから出力される音声信号を記録するということにしなければいけないのだろうか。まあ音源が何でもいい、ということは汎用性があるということなんだけど。



12月27日(水)
今日もまた大阪の客先で真夜中まで仕事である。朝から晩まで。出張帰りなのにねえ。おかげで読んだ本のことしか書くことがない。

今日も通勤中に20世紀SF 2 1950年代 初めの終わり」を読んでいる。まずは「証言」(エリック・フランク・ラッセル酒井昭伸)であるが、これは良い作品でしたね。従来の枠組みに、それに収まりきれないモノを無理矢理押し込むという手法もSFだし、泣かせどころも心得ている。前にも書いたように、政治とか裁判モノにはあまり興味はないのだけどね。特に外国モノは。そして、次の「消失トリック」(アルフレッド・ベスター伊藤典夫)はオチが理解できない。日本人が選んでるということは、文化のせいじゃないと思うのだが。

そういえば、カミさんに新書館から読者の感想の手紙が送られてきたそうだ。けっこう数があったようである。なぜか、男性読者からのお手紙もあったそうな。表紙イラストでシンを女の子と勘違いして買ってしまったそうな(読んでますか?>若島津さん)。それでも感想をくれるというのは偉いもんであるかもしれないな(苦笑)。カミさんは「読んで勇気が出たので『対なる者』シリーズを読み直してる」とか言っているが、勇気が出たなら次の商業誌の原稿を頑張るべきだと思うんだけどなあ…



12月28日(木)
今日も22時半まで仕事。何でこんな暮れも押し詰まった時期にこんな時間まで仕事をしなけりゃいかんのかねえ。

例によって今日も20世紀SF 2 1950年代 初めの終わり」を読んでいる。「芸術作品」(ジェイムズ・ブリッシュ白石朗)を読み始めたが、途中でバカバカしくなって読むのを止めた。物の考え方が浅すぎるように感じてしまったわけで。当時でもちょっと考えりゃ、音楽がこんな方向に進化するわけがないとわかりそうなもんなんだけどねえ。まあたぶん作者はコチコチのクラシック至上主義者なんだろう。ビートルズが出てきたときには猛烈に叩いた側の人間だな。こんな固い頭でよくSFを書いていたもんだな、などと思ってしまったのである。そんな偉い立場じゃないのはわかっているのだが。次は「燃える脳」(コードウェイナー・スミス浅倉久志)。「人類補完機構」の人ですか。でも、読んでて全く「SF」を感じないんだな。舞台が宇宙船の中で、目新しい言葉が散りばめられてるだけ。読んでいてぜんぜん「驚き」を感じない。私がスペオペをダメな理由と同じなんですな。

帰りに「たとえ世界を失っても」(シオドア・スタージョン大森望)を読み終えた。なるほど、当時ならば同性愛モノというだけで充分センス・オヴ・ワンダーだったんだな(笑)。しかし、今の感覚ではどう見ても発行をためらわれるような内容ではないと思うんだけどね。

家に帰ると妻子は寝ていた。寝室に上がっていって着替えていても起きる気配はない。テーブルの上に夕食が用意されていたので、それを温めて食べにゃいかんなあ…などと考えながら座り込んで呼吸を整えていたら…



12月29日(金)
今日は御用納めで久しぶりに自分の会社に行く。実はウチの会社が入っているビルが改装中なので、フロアを移動しなければならないのである。そのために、自分の荷物を箱詰めしなければならない。しかし、その前に東京の仕事で打合せがあるのである。こんな日にまで打合せとは、因果なことである。

朝、家を出て自転車で駅に向かっていると、交通量が異常に少ない。何だか気味が悪いくらいである。ひょっとして、世間ではもう正月休みに入っているのであろうか。

御用納めなので、会社でもみんな仕事はしていない。他の人間が荷造りをしている雑然とした雰囲気の中、隅っこで打合せをする。因果なことである。

昼休み、昼食を食べにビルの外にでて驚いた。どこのビルも軒並み閉まっている。いつも利用している近くのビルの食堂にも入れない。普段ならば所狭しと店を広げている弁当売りも一つとして見あたらない。やはり、今日は世間では休みだったのね。

会社では偉いさんの挨拶が済んで、16時過ぎにはみんな帰ってしまった。しかし、我々はまたそれから打合せをして荷造りをするのである。因果なことである。

それでも定時頃には会社を出た。しばらく本屋らしい本屋に行っていないので、久しぶりにジュンク堂に寄る。最終兵器彼女 3高橋しん:ビッグコミックススピリッツ)と祈りの海グレッグ・イーガン山岸真:ハヤカワ文庫)を買った。洋モノはあまり新刊では買わないのだが、「祈りの海」は評判がよかったので店頭でちょっと読んでみたら、最初の1ページで感心したのである。アイデアの「見せ方」が巧いと思った。ハイペリオンあたりは、評判がよくても立ち読みしてまったく惹かれるものがなかったんだけどね。

途中で本屋に寄ったが、19時過ぎに家に帰り着いた。久しぶりに息子が起きているうちに家に帰れたな。彼は帰ってきた私の後をついてまわる。着替えに上がった寝室までついてきて、布団の山にダイビングする。嬉しいのかい。いつも帰ってくるのが遅いからねえ。

今日、息子はお義母さんにラピートに乗りに連れて行ってもらったのだが、実物を見ると恐れをなして尻込みして、けっきょく急行に乗って帰ってきたらしい。ううむ、もうちょっと図々しくなってもいいんだぞ。

カミさんが録画していた「プロジェクトX」を観ながら食事をする。ううっ、やっぱり泣けるねえ。最近はほとんどテレビを見ない私であるが(パソコンで通信を始めるまでは毎日数時間テレビを見ていたんだけどね)、この番組は見たい番組の一つなんだな。

食後にシューアイスを食べる。息子は手先が不器用なので細かいことは自分でやらせるようにと言われている。袋を自分で開けさせるが、できないと言って泣く。すぐに他人に頼ろうとするのは、やはり一人っ子で甘やかしているせいだろうか。けっきょく、彼は袋を開けることができずにシューアイスを食べられなかったのであった。

手先の訓練だということで、カミさんがビニールの緩衝剤を持ち出してきた。気泡入りのビニールシートである。彼女はこの気泡をプチプチと潰すのが趣味なんだな。息子も最初はうまくできなかったが、一心不乱にやっている。周りが見えなくなっているようである。それを見てカミさんに言った。
ア「コイツ、ハマる性格だからねえ」
カ「誰に似たのかしら」
ア「アナタでしょ」
カ「あなただってハマる性格じゃない」
「…」
うーん、そうなのかなあ。



12月30日(土)
息子に起こされる。10時である。かなり前から起きてこちらにちょっかいをかけてきていたいたようだが、私が起きられなかったのである。起きなきゃいけないね。彼はもう、裏返しになったズボンの脚のところに腕を突っ込んで復元してから穿けるようになっている。おう、もうそういうことができるようになっているのか。けっこう3次元的な認識能力が必要とされると思うんだが。いや、やはり「裏返しになっているときは腕を突っ込んで裾のところを掴んで引っ張り出せばよい」ということを学習しただけかな。靴の左右の違いもまだ認識できてないようだからね。

何をする気も起きず、ただ一日中ダラダラとパソコンの前で時間を潰す。明日から実家に帰らねばならない。仕事は休みだが、休めるわけではないんだな。



12月31日(日)
5時半に起きた。今日は朝から私の実家に帰らねばならないので、早起きして通信するのである。RealPlayerの動画がうまく再生できないので最新版をダウンロードしたが、それでもうまくいかない。よく考えると、これもプロキシサーバを立てたせいだった。「最適な転送方法を自動選択」させても自分では見つけられないので、手動で設定する。RTSPとかPNAの設定で、何も考えずにHTTPを使用するように設定する。パフォーマンスが落ちるとか書いてあるが、1MBPS以上の回線を使ってるんだ。大丈夫だろう。思った通り、それでうまくいった。でも、勝手に訳の判らないプロトコルを作らないでほしいな。そういうのが増えれば増えるほどセキュリティの穴が増えて危なくなるんだから。HTTPでもやれてるんだからさあ。しかし、RealPlayerってのは再生した動画や音声を保存できないのかね。ユーザが保存できないから広く利用されてるんだろうけど。 Internet Ninjaだったら可能なのか? やっぱ、買うかのう。いや、ここを見ると、やっぱしダメな場合もあるみたいね。

妻子が起きてきて、朝食を食べて実家に出発する。息子が食うのが遅かったので家を出るのが少し遅くなった。まあ、彼が食っている横で何も言わずに通信してた両親が悪いんだが(苦笑)。まずは近鉄で難波まで出る。最も前の車両に乗ったので、息子を抱き上げて運転席からの景色を見せる。「しんがたしゃりょう!」などと言ってゴキゲンである。しかし重い。駅に停まって降ろすと、また見せろと要求する。脇の下が痛いとか言ってたんじゃなかったのか。難波に着く前に彼は「なんばについたら、ひがしいこまゆきに、なるん?」と訊いてくる。それはわからないよ。自分で確かめなさい。電車を降りてから彼は振り返って「さいだいじゆきに、なった!」と声を上げた。東生駒行きにならなかったことに、いたく感心したようである。

阪神梅田駅から、山陽への直通特急に乗り換える。切符を買っているときに5分後の便があったのだが、カミさんが阪神デパートでお土産のお菓子(とうぜん我々も食うのである)を買うというので見送る。家を出るのが遅れたのだが「ギリギリだと一緒に座れないだろうし」と言うと、大義名分ができたようである。今の時間帯は直通特急は30分間隔なので、かなり待たねばならない。ホームで待っていると、銀色の車両が入ってきた。息子は「さんようでんしゃ!」と言ったが、直通特急でないので当然阪神の車両である。こういうのは初めてだな。息子はかなり興味を惹かれたようで、それ以降数日間ずっと「はんしんときゅう、のりたい」と言い続けたのだった。

JRと併走しているところで息子が妙な特急を見つけた。主にライトブルー系の色の車両なのだが、後ろから2両目だけクリーム色に赤の車両が混じっているのである。車両が足りなかったのだろうか。息子はその時点では名前がわからなかったのだが、実家に着いてから持って帰ってきていた特急大図鑑 2000年を調べてはまかぜ」(このサイトを見ると、あの車両は旧塗装だったのかな)だと突き止めたそうである。はあそうですか。4歳児でもそういうことができるのね。

明石海峡大橋が見えてきた。息子は指を指して「おっきーなー!」と声を上げる。そうか、アレの巨大さを認識できるようになったんだな。認識できなかった頃もあったからなあ。さすがにこの歳になって認識できなかったら、そっちの方が問題か。

実家に着くと、息子は祖父母からダーツ(マジックテープでくっつくヤツ)を与えられて夢中になっている。やっぱりキミは投げるのは左なのね。最初は投げたものがどこにいくか全くわからなかったのだが、10分も投げているとかなり思うように投げられるようになっていた。やはり練習だな。こういうのは若いうちにやった方が身につくのが早いからなあ。しかし彼は遊んでいるうちに緑色のボールを無くしてしまい、寝るときまで「みどりいろのぼーる、なくなった」と言い続けていたのだった。どこに行ったのかねえ。

狼谷辰之  新書館ウィングス文庫
なる
¥620+税  ISBN4-403-54021-X



ホーム  日記の目次へ  次の日記へ