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▲8月1日(金)▼ →
起用は通勤中に「空の風景」(夏川りみ:→【amazon】)を聴いている。前の「南風」を聴いたときに、この人の力はこんなものではない、と思ったからだ。腰を据えて作ればもっといいものができるはずだと。そして聴きはじめて、その期待は裏切られなかったと感じた。1曲目の「満天の星」が素晴らしい。ほんとうにこの声は自由だ。そう思わせてくれる。しかし最初の方は良かったのだが、ちょっと途中で失速したような感じだったな。売れてるからといって半年毎にアルバムを出すというのは営業的にはよくても、作品のクオリティという点では問題があるような気がするなあ。まあ世の中経済原理で動いてるんだが。
今日は夕方から京都に移動して負荷テストを行う。冷房がガンガン効いたマシン室で作業をしていたので、どうも体調を崩してしまったようである。寒気がする。これは、扁桃炎がぶり返したかな。
今日も通勤中に「しあわせの理由」(グレッグ・イーガン:ハヤカワ文庫 SF:→【amazon】:→【bk1】)を読んでいる。今日は「チェルノブイリの聖母」(グレッグ・イーガン/山岸真)を読み終えた。SF的な小道具は使われているが、これは探偵小説だよな。私は探偵小説には萌えはないのである。中学生の頃にはシャーロック・ホームズのシリーズを読んでたりしたんだけどね。こういう小説も「そうだったのか」というのを感じるのが快感だったりするんだと思うのだが、SFとはその方向性が違うんだよな。それでも、この「そうだったのか」を快感と感じるかどうかには個人差があるんだろうと思う。ウチの息子はどうやら「こちら側」の人間だ。それは素直に嬉しいと思う。
▲8月2日(土)▼ →
11時過ぎまで寝ているが、相変わらず体調は悪い。背中がバリバリに張っている。ノドも腫れている。今日は息子がお絵描き教室に行くので彼を自転車に乗せて20分以上の道程を行かねばならないのだが、大丈夫なんだろうか。軽いものを持ち上げるのもキツいくらい背中が張っているのである。
お絵描き教室に行く前に、同方向なので耳鼻科の医者に寄ることにする。私のノドも診てもらいたいし、息子がキャンプから帰ってきて以来ゴホンゴホンと咳をしているのも心配なのである。
診察の結果、息子の咳は風邪だそうである。ノドは腫れていないとのこと。私も風邪だそうだ。扁桃は腫れていないと言われたのだが、自分の感覚とは違うなあ。
医者が前の患者への説明にかなり時間をかけていたので少し遅くなってしまった。あと15分だ。急がねばならないが、そういう気力はない。スピードアップするためには腕の力も使わねばならないから、そうすると背中が痛むのだ。それでも途中で川を越えねばならないので、そのときは頑張らねばならないのである。
教室の近くにあるというスーパーのところまで来たので、そこからは息子に道案内をさせる。もう彼は自転車の後部座席から言葉だけで道案内ができるようになっている。偉いものである。音声だけで道案内をするというのは、けっこう高度な能力を必要とするはずだからな。
息子を教室に送り届け、さてこれから3時間をどうやって過ごすべきか。教室の隣にあるスーパーのビルに入って本屋の棚を見てみるが、雑誌はほとんど紐がかかっている。小説を立ち読みする気力もない。まず風邪であれば水分とビタミンCの大量摂取である。そういうことで238円とすこし高価いがC.C.Lemonの1.5リットルボトルを買い込み、子供服売り場のベンチに座ってそれを飲みつつ行き交う夏服の少女たちを眺めながらSL-C700で日記を書くのである。キーボードつきPDAは素晴らしい。
1時間も日記を書いていると、背中の凝りが耐えきれなくなってきた。座っているのも辛い。ここで倒れたら大変なことになる。最悪のシミュレーションが頭の中を駆けめぐる。カミさんにタクシーで迎えに来てもらうのでは何をしているのかわからないからな。そこで思いついた。電器売り場に行ってマッサージ機を使おう。そう考えてマッサージ機のコーナーに行ったのだが、同じ考えの人も多かったようですでに満員なのだった。しかし、その半分近くが小学生だってのはどうよ。
しかしトイレに行って帰ってくるとちょうど一つ空いたのでそこに座る。ああ痛い。痛いけど気持ちいい。でも機械は疲れないのが素晴らしい。「ああ、もっと」というのにいくらでも応えてくれる。気がつくと息子を迎えに行くまで20分になっていた。1時間半も揉まれていたことになるか。
息子を連れて何とか家に戻り、少し休んでスーパーに食料の買い出しに行く。カミさんはまだ買い物に出られないのである。息子も自分の自転車に乗ってついてきたのだが、角を曲がるところで派手に転ける。曲がろうとしていた方から自転車に乗ったオジサンが来ていたからかな。そのオジサンに「大丈夫か?」と訊かれて彼は「だいじょうぶ」と言ってすぐに起き上がる。よしよし、偉いぞ。
しかし疲れた。夕食時、ビールを飲むと疲れて眠くなってしまう。耐えきれずにダイニングルームの隣の部屋に轟沈する。もうだめぽ。(文体も逝っちゃってます)
妻子が寝てから起き出してパソコンをいじってたらカミさんが起きてきて、彼女に背中をマッサージしていただく。夜にもヒイヒイ言わされてしまったのであった。
▲8月3日(日)▼
今日も背中が痛い。ひねもすダラダラと過ごす。妻子はずっと寝ている。昼過ぎになって息子だけ起きてきた。昨夜とズボンが替わっている。またオネショしたのか。キャンプの期間中は粗相しなかったらしいが、その反動か帰ってきてから連日のように漏らしているのである。
息子は私のパソコンでゲームをしたいという。使わせてやると自分のやりたいものがないとか言っている。何をやりたいんだと訊くとブロック崩しがしたいと言うので、いくつかダウンロードして試してみるが、「BreakOut」というソフトを使うことにする。動作がかなりゆっくりなので、息子にはちょうどいいくらいだろう。
カミさんは起きてきて食事をすると、また居間の隣で寝てしまう。妊婦というのはそんなに眠いものなのですか。息子が私のパソコンで映画を観たいというので再生方法を教えて私も居間のソファの上で眠ってしまう。エアコンの風が当たるところだったので、身体が冷えてしまった。ちょっと失敗だったかも。
▲8月4日(月)▼
眠っていると、カミさんの息子がオモラシをしたと言っている声が聞こえた。彼女は彼の下着やシーツを替えると枕元の電気スタンドを点けて本を読み始めたようである。時計を見ると3時だ。私も目が覚めたので居間に下りてパソコンをいじり始める。けっきょく、朝まで起きていたのであった。これじゃ、昨日昼寝をした意味がないなあ。
今日は通勤中に「Machine Head」(Deep Purple:→【amazon】)を聴いている。1曲目の「Highway Star」とかを聴いても、よくこんな凄い曲が作れたもんだなあという感想しか出てこない。まあそれだからこそ名曲として今まで残っているのだけどね。アルバム全体をみても、この時代のロックという音楽の持っていた熱気というものが伝わってくる。ひょっとしてトム・ショルツは目標としてこの作品を見ていたのではないか、そういうことも思ってしまったのであった。
今日も通勤中に「しあわせの理由」(グレッグ・イーガン:ハヤカワ文庫 SF:→【amazon】:→【bk1】)を読んでいる。今日は「ボーダー・ガード」(グレッグ・イーガン/山岸真)を読み終えた。この作品はまず量子サッカーの試合場面から始まる。ルールは、選手の身体の動きによってフィールド全体に拡がった量子にエネルギーを与えてその波動関数を収束させ、相手ゴール中で存在確率を50%以上にすれば得点ということのようだ。私のイメージとしては、プールの中で身体を動かすことによって波を起こしてその波頭を相手ゴールに入れる、というようなイメージだな。ちゃぷちゃぷ。他にも既読の作品に出てきたガジェットが出てきたりするが、これもテーマはふつうの小説だ。永遠の生命を得ると人はどうなるのか…という会話は出てくるが、これもそれほど突き詰めて描かれてはいない。これも私が期待してるのとはちょっと違うような気が…って望みが高すぎますかそうですか。
▲8月5日(火)▼
今日は通勤中に「秋 そばにいるよ」(aiko:→【amazon】)を聴いている。小気味よいが、ちょっと深みが感じられないような気が…
そして引き続き通勤中に「しあわせの理由」(グレッグ・イーガン:ハヤカワ文庫 SF:→【amazon】:→【bk1】)を読んでいる。今日は「血をわけた姉妹」(グレッグ・イーガン/山岸真)を読み終えた。まったく同じ遺伝子を持った一卵性双生児の姉妹。彼女らは同じウイルスに感染し、まったく同じ病気になった…この作品をにはSF的なガジェットはまったく出てこない。すべては現在のこの世界でも起こりうることである。まああまり一般的でない用語は出てくるが、これは一般教養の範囲内だろう。ネタ的にもふつうの社会派小説と言っても差し支えないと思う。
最後のタイトル作は既読なので、この本はこれで終わりだ。直前の「ボーダー・ガード」もSF的小道具はいっぱい使ってあったがテーマとしては悲惨な過去からの解放の物語だったし、この作品集を読んで「イーガンもけっこう普通の話も書くのね」と思ってしまったことであった。個人的には前作の「祈りの海」の方が凄みがありましたね。
今日は早めに仕事を終え、J&Pメディアランドが閉店セールをやるというDMが来ていたので日本橋に行ってみることにする。
日本橋は久しぶりだ。最近、買い物はほとんどヨドバシで済ませてるからな。しかし行ってみるとロクなものは残ってなかった。何もなくてもMultiPASSのインクカートリッジくらいは残ってるんじゃないかと思っていたのだが、それも無い。うーん、金目のものは先に運び出しちゃったんじゃないのか。なんか悔しい。
しかし、日本橋を歩き回っていると量販店がかなり閉店しているのが目につく。やっぱりヨドバシの影響のような気がするなあ。しかし疲れた。階段の上り下りにも苦労するほどである。昔は半日歩き回っても平気だったのに。引っ越してから身体を鍛えてないからなあ。
▲8月6日(水)▼ →
今日は通勤中に「Diving into your mind」(畠山美由紀:→【amazon】)を聴いている。偶然手に入ったので聴いてみたのだが、やはり私にはジャズ畑の音楽は合わないというのを再確認しただけだった。amazonのカスタマーレビューでどれもこれもベタ褒めなのを見て、音楽の趣味の違いというのはどうにもならないものなのだなあ…と思ったことであった。私の評を見て気分を害している人もいるかもしれないが、そのあたりはお互いに尊重しながら領域を侵犯しないように生きていくのが大人というものでしょうな。
今日から通勤中に「美亜へ贈る真珠」(梶尾真治:ハヤカワ文庫 JA:→【amazon】:→【bk1】)を読んでいる。まずはタイトル作の「美亜へ贈る真珠」を読み終えた。ううー、泣けるー。わかっていても泣けるー。これがデビュー作ですか。SF業界騒然だったでしょうなあ。私がこの人のことを知ったのは大学時代、熊本日々新聞に連載してたエッセイによってだったからなあ。その時点ではこの作品が発表されて10年近く経ってたんだった。それでも文庫になったのは認識した前後だったというのが救いか。
続いて「詩帆が去る夏」を読み終える。ううー、これも泣ける〜。このセレクションは反則でございますわよ。人間というのはなんでこんなに哀しいんでしょうか。うるうる。
▲8月7日(木)▼ →
目が覚めると9時である。昨夜、息子が目覚ましをいじっていたせいで鳴らなくなっていたらしい。妻子とも死んだように寝ている。どうせ遅刻するならということで、今日は夜勤があるので遅れて出社することにする。洗濯物も干さなきゃいけないしな。
引き続き通勤中に「美亜へ贈る真珠」(梶尾真治:ハヤカワ文庫 JA:→【amazon】:→【bk1】)を読んでいる。今日は「梨湖という虚像」を読み終えた。ううー、これも哀しい話ですねえ。決して触れ合うことのできない愛する人。そういう切ない話を描くのが筆者のライフワークなんでしょうねえ。それで、実はこの作品のネタはイーガンの某作品と通じていたりするんだな。まあ例によってイーガンはそのネタをゴリゴリと突き詰めていってしまうのに対して、梶尾先生は決して手が届かない切なさを演出するための小道具として使ってるという違いがあるんだが。そういうことを考えてしまうのも、いかにイーガンのネタの掘り下げ方が凄いかということなんだろうな。
今日もまた夕方から京都で負荷テストである。京都までは同僚と車で往復して帰りは遅くなったので家の最寄り駅まで送ってもらったので本は読めなかったし音楽も聴けなかった。家に着くと23時過ぎ。妻子とも熟睡している。用意されているおかずを暖めて独りで食う。
家に帰ってからHotwired Japanで科学系の記事を関連記事をたどりながら読んでいたら4時を過ぎてしまった。馬鹿である。でもなあ、このサイト構成はどこまで読んだかわからなくなるから読み出すと途中で止められなくなるんだよなあ。
▲8月8日(金)▼ →
昨日から通勤中に「HARVEST〜SINGLES 1985〜1992」(米米CLUB:→【amazon】)を聴いている。1985〜1992年のベストである。あの頃はヒット曲を連発していたような印象があるのだが、こうやってまとめて聴いてみるとかなり好き放題やっているように見える。それが受けたのなら幸せなことだろう。まあ、個人的には「TIME STOP」が入っていただけでラッキーと思うべきか。この曲はCMで使われていて印象に残っていたのだが、曲名がわからなかったのである。
今日も通勤中に「美亜へ贈る真珠」(梶尾真治:ハヤカワ文庫 JA:→【amazon】:→【bk1】)を読んでいる。まず「玲子の箱宇宙」を読み終えたのだが、この話を読んで思い出した。7年半前にniftyのフォーラムで「ここ10年ばかりSFから遠ざかっていた」という人に「これはいけるんじゃないかと思うものがありましたら紹介してください」と訊かれて梶尾真治先生の名前を挙げたことがあることを。これもそういう話である。なつかしい感じがするちょっと不思議な話。ネタを別にしても、科学的にはおかしなところもあるんだけどね。でも作者にとっては全体のテーマというか雰囲気というかそういうものの方が重要なのだ。そういう意味では、このネタはイーガンだったらぜんぜん別の話になっちゃったんだろうなあ…って、いいかげんイーガンを例えに出すのはやめなさい>オレ。
続いて「ヒト≠ヘかつて尼奈を……」を読み終える。ううー、これも泣けるー。泣ける泣けるばかりだが泣けるんだから仕方がない。片思いのかなわぬ愛というのが泣けるし、異種の生物どうしの心の通いあいというのが重ね合わされていて優しい気分になる。現実はこういうふうにはならないんだろうけど、それだからこそ感動があるのである。
電撃文庫の最新刊に挿まれているパンフレットをみると「イリヤの空、UFOの夏 その4」(秋山瑞人:電撃文庫:→【amazon】:→【bk1】)が10日発売の予定と書いてあった。10日は日曜日だから実際の発売日は9日のはずで、そうだったら運がよければ大阪の大手書店では今日出ているかもしれない。そういうことで今日は早めに仕事を終え、ジュンク堂に向かう。あ、公式には台風のせいで警報が出ていたせいなんだった。
雨が降っているので地下からジュンク堂に向かう。ビルの地下入り口付近には土嚢が積んであった。今回の台風はかなり強そうなので、その準備なんだろうな。そして、ライトノベルの新刊コーナーに行くと…積んでありましたよ「イリヤの空、UFOの夏 その4」が。何も考えずに2冊買う。1冊はカミさんの分である。前回、何で彼女の分も買ってこなかったのかと怒られて買ってきたものを進呈する羽目になったからな。レジに出すと「これ、同じのですけど」と言われた。予想通りである。「これはそれだけの価値がある作品なんですよ」と言おうかとも思っていたのだが、大人げないのでやめておく。まあとにかく、素直に嬉しい。
今日は早めに家に戻ったので息子はまだ起きていた。彼は玄関まで迎えに来ると「ぼく、てんのうせいのえいせい、ふたつおぼえたで」と言う。そうか、今まで彼は火星と冥王星の衛星すべてとガリレオ衛星、タイタン、トリトンくらいを覚えてたのだが、天王星の衛星に関してはまだ名前を覚えているのは無かったのだ。よしよし、偉いぞ…といっても、こういうことで感心してくれるのはこういう人くらいなんだが。まあ、薄々の一般人の息子としてはそれだけでも充分か。
▲8月9日(土)▼
今日は昼過ぎまで寝ている。しかしいくら寝ても眠い。ここしばらく仕事ではそれほど無理をしていないはずなんだが…
私がパソコンを使っていると息子がやってきて何か新しいゲームをやりたいというので、五目並べを落としてきてやらせる。しかし、斜めの並びがうまく認識できないようだ。そもそも、3つ並んだら止めなきゃいけないということも解ってないんだからなあ。勝てるわけがない。6歳半を超えたのに、まだその程度も理解できないか。
カミさんが動けないので、今夜も息子を連れて買い物に行く。彼は「寿限無」をフルで言えるようになっている。店に入ると、詰まりながらも何とか最後まで言い終えた。へえ、すごいもんだな。まあ、これも誰も感心してくれそうにないんだけど。
▲8月10日(日)▼ →
今朝は早く起きたのだが、今日は妻子が起きてこない。昼前になって息子が起きてきた。朝食の準備をしている私に向かって彼は、自分にどんなゲームが合うかと訊く。「四川省くらいかなあ」と応えると彼は、私のマシンにそれは入っていないと言うのであった。ハメられたか。けっきょく、四川省をダウンロードしてインストールさせられることになるのである。
昼過ぎに起きてきたカミさんは、ビニールプールを出してきて息子を遊ばせるという。まあ、それだったら息子の疲労度に比べて親は楽ですわね。
カミさんが動けないので、今日も夕方になって息子を連れて買い物に出る。まずは近所のディスカウントストアに行って、そこに売っているのもはそこで買い込む。1.5リットルのペットボトルを3本も買ってしまったので、ひとまず家に帰ることにする。帰りに息子は自転車で角をうまく曲がれずに、父親がすぐに停まって待ってくれないと言って怒る。「とーちゃんの、ばか!」「けち!」とか言って、泣きながら追いかけてくる。なんでケチなんだよ。
続いてディスカウントストアに売ってなかったものとカミさんのリクエストによる冷え餅を買いに行く。彼女はダーツの遊具も買ってくるように言う。息子が彼の祖父母に買ってもらったものは引っ越しのドサクサで見つからなくなってしまっているのである。それで、彼は祖母と一緒に代用品を作ったのはいいのだが、これが金属のお盆に磁石でくっつける方式のため当たったときにカーンと非常に大きな音がするのである。それを何を思ったか昨日は祖母と一緒に我が家にやってきて、カミさんが寝ている部屋でやっていたのである。隣の部屋にいた私もうるさかったくらいだからカミさんは耐えられないんじゃないだろうかと思っていたのだが、彼女は何も言わないのだ。ウチの親だったら私がすぐに止めさせるんだが…とか思いながら聞いていたのだが、そのせいなんだろうか。そして、夜になってさんざん相手をさせられた。これは、あとで腕が痛くなるような気がするなあ。
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