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▲2月1日(日)▼ →
今日は大阪府知事の選挙である。投票所は息子が通っている小学校なので、カミさんは息子を連れて行って運動場で遊ばせてきてくれた。私はその後に娘の散歩も兼ねて、彼女をベビーカーに乗せて投票所に向かう。7kgの乳児を片腕で抱いて、片手だけで候補者の名前を書くのは難しいな。
OQO UPCのデモビデオを見るためにQuickTimeをupdateしたのだが、そうするとタスクトレイに入ってくるしクイック起動に入ってくるし…前のバージョンの設定をまったく無視している。何という行儀の悪いソフトだ。リアルプレーヤーもそうだったし、このあたりは競争が激しいから仁義なき戦いになってるのかな。
今日も息子と9枚落ちで将棋を指す。上手が入玉して必勝態勢になったのだが、下手が「待った」の連続で何とか玉を脱出して持将棋。まあ、まだ「手を読む」ということができないから、待ったをして試行錯誤をすることで相手の手を予測して対処する方法を学習するしかないんだろうな。「この一手」の連続で逃げ切らねばならなかったので、玉の逃げ方の勉強にもなっただろう。
けっきょく、この土日も家の外に出たのは投票のときだけだった。ダメダメである。
▲2月2日(月)▼ →
今日は通勤中に「Pure Best [LIMITED EDITION]」(杏里:→【amazon】)を聴いている。やはりいい曲が揃っている。「ドルフィン・リング」なんか、この曲を愛して、愛を誓うためにドルフィンリングを交換したカップルもいるだろう。こういう作品をクリエイトするということは、それだけの影響を他人に対して及ぼすことができるということなんだな。そういうことを考えながら歩いている。
今日は朝から京都で仕事なので、いつもより2時間早く家を出る。阪急梅田駅に着いたときには8時14分。電光掲示板を見ると先発が特急になっている。15分発か。そう思っているうちに「先発」の赤い文字が点滅しはじめた。ヤバい。乗る前に回数カードを買おうと思ってたんだが、間に合わないので普通のプリペイドカードで改札を抜け、エスカレーターを駆け上がる。割り引きはないが、40円程度で15分稼げるなら考える余地はない。しかし、最後尾に乗り込んで前の方の車両に移動しようと思ったんだが、途中で女性専用車両があるのでそこで行き止まりである。うーん、趣旨は理解できるんだが、こういう場合は不便だな。
今日は長時間移動するので通勤中に「ライオンハート」(恩田陸:新潮文庫:→【amazon】:→【bk1】)を読んでいる。これはいい話のような予感。失意のどん底にある自分を探しにきた、見知らぬ12歳の美少女。これだけでも素晴らしい(こらこらー)。二人の出会いの何と印象的なことよ。そして、提示されつつあるパズルのピース。これを最後で見事に組み合わせてくれることを期待しよう。筆者も「時尼に関する覚え書」の存在を知っているはずだから、それをいかに超えてくれるか、だな。恩田陸氏だし、期待していいだろう。
京都で作業場所に入るために壬生寺の前を通る道を歩き始めると、なんだかずいぶん立て込んでいる。見ると、道端で何か作業をしている。どうやら露店を立てているようだ。祭りでもあるのかな。道が狭くなっているので、車とすれ違うのもスムーズにいかない。急いでるんだよ〜。
今日は私の担当とは別のサーバでトラブったりしていたので、けっきょく21時まで作業場所にいた。今日中に家に帰りつけるかな。そう思って急ぎ足で歩き始めると、ちょうど壬生寺の前では祭りをやっていたのであった。人混みでまともに歩けない。もう少し早ければ楽しみながら歩けたんだけどな。別の道を選べばよかったと後悔する。
しかし、夜店で売っているものって、土地によってずいぶん違うものだねえ。七味唐辛子なんて買ってもその場で食えないだろうし、シシャモらしき魚を売っている店まであった。謎である。ラーメン屋もあり、息子がいれば喜んだろうに…とか思いながら歩くのである。
何の祭りかといま調べてみたら節分会だそうだ。3日間もやるんですか。
駅に着き、回数券を買ってホームに降りると、ちょうど梅田行きの快速特急が出ていくところだった。うがー、回数券を買うんじゃなかった。
家に帰ると、NIFTYからメールが来ていた。このページが入っているサーバーを廃止するので立ち退けとのことである。代わりのサーバも用意してあるが、URLも変わってしまうらしい。うーん、べつにサーバが変わるのはかまわないけど、URLは変わらないようにできないのかなあ。URLというのはメールアドレスと並んでネット上での自分のアイデンティティなんだから。これは、インターネットにおける地上げだと言ってもいいんじゃないだろうか。
そうなると、URLが変わるなら別にプロバイダを乗り換えてもかまわないんだよな。パソコン通信をしている頃はよかったけど、最近はNIFTYに所属している意味なんてあんまりないからなあ。さて、どうするか。
夜中にカミさんと二人でインターネットしていると、急に通信できなくなった。家庭内のサーバーとは通信できるから、これは外部との問題だ。ルータは大丈夫そうなので、ケーブルモデムの電源を切って入れなおす。しかし、状況は変わらないのであった。ISPがサーバのメンテナンスでもしてるんだろうか。ISPから割り当てられたメールアドレスはカミさんが使っているのでそういう情報は来てないか訊くと、そのアドレスに来たメールはほとんど見てないという。何じゃそりゃ。そういうことで、我が家のネットワークは外界から隔絶されたネットの孤島になってしまったので、二人とも早々に(という時間でもないが)寝るのである。
▲2月3日(火)▼ →
昨夜のネットワーク障害だが、朝になっても復帰していなかった。再度ケーブルモデムの電源を入れなおしても、ルータの電源ケーブルを抜き差ししても状況は変わらない。ルータでWAN側IPアドレスの書き換えをやってみる。それでも駄目なように見える。そのときカミさんが「あ、繋がった」と言ったが、私の方はまだ繋がらない。どうも、LunaScapeでは(たぶんIEも)リロードだと復旧しても見えないようである。アドレスバーでEnterを押してやらないといけないのか。それが原因だとすると、ずいぶん時間を無駄にしたな。
今日は通勤中に「シングルス」(アリス:→【amazon】)の1〜2枚目を聴いている。先日聴いた「今はもうだれも」が良かったので聴くのである。さすがに谷村新司氏がリーダーをしていただけあって、デビュー当初から現在でも充分鑑賞に堪える曲を出している。でも、当初は当時流行りの爽やか系フォークソングを目指していたように見えるのだが、それをやるには彼らの個性がどうしようもなく濃いのが微笑ましい。
オフコースの影響が見えるのも興味深い。まあ、どちらが影響を与えたかとかいうことは軽々しく言えないのだが、谷村氏がオフコースを意識していたのは事実のようだからな。初期のオフコースは一般の客よりも同業者に評価されるグループだったみたいだし。
今日も昼から京都で打合せなので長時間移動しなければならない。引き続き「ライオンハート」(恩田陸:新潮文庫:→【amazon】:→【bk1】)を読んでいる。途中のパナマの話は退屈だなあ、と思いながら読んでいたのだが…こういうラストが待っていたとは。やられました。
最後まで行かずにネタを明かしているのだが…うーん、こういうことですか。時空を超えて巡り逢う二人の出逢いの場面はどれもこれも印象的だが、全体としては期待していたほど感動的ではない。期待が大きすぎたか。まあ、最後はうまく着地してみせてくれましたけど。
このテーマはちょっと「現実から翔び過ぎている」ような気がする。この人は、もう少し現実に近いところの話の方がいいんじゃないだろうか。
移動途中で食事をしなければならないので、今日も吉野家に入る。13時半だというのにすごい人だ。私の前に4人待っている。店のねーちゃんもパニックになって注文をさばききれないくらいである。オーダーを訊くときに目の焦点が合ってない。やはりもうすぐ無くなると言われるとみんな食べたくなるんだろうな。新メニューを頼んでる人もけっこういたので、試しに食べてみようという人も多いのかな。けっきょく、私が店を出るまでに2階席だというのにほとんど席が空くことがなかったのであった。メニューが増えてこれじゃ、パニックにもなるでしょうな。
▲2月4日(水)▼ →
今日は「シングルス」(アリス:→【amazon】)の3枚目を聴いている。3枚目はそれほどでもないか。
今日からまた通勤中に「短篇ベストコレクション 現代の小説 2003」(日本文芸家協会編:徳間文庫:→【amazon】:→【bk1】)を読みはじめる。まず安東能明氏「夜汽車」を読み終えた。うーん、何か微妙な話ですねえ。意味があるようなないような。まあ、そういう思わせぶりなものを出現させて読者の心を動かすのが目的なんだろうけど。それは成功してると思いますね。主人公の境遇の悲惨さも理解できるし。こういう家庭に生まれなくてよかったと思うからな。
続いて江国香織氏「前進、もしくは前進のように思われるもの」。うーん、これはさらにわけがわからん。夫との関係に違和感を感じはじめた40代の女性の日常を描いた作品だが、主人公の感情が理解できないんである。宇宙人やロボットの行動なら理解できたりするのにな。
現在コンピュータが使用されている分野の中でロボットが最もその計算能力を必要とする分野であり、「コンピュータの能力が現在の1億倍になっても、それを全て使い切る自信がある」ってのはスゴいですねえ。それだけ人間(というより生物か)というのは高度なことをやっているということなんだな。まあ、ノイマン型でやってるからそういうことになってしまうのかもしれないが。
そういう意味では人間の脳も細胞一つ一つの処理能力が低くても並列で処理をしているわけだからそれらを合わせるとけっこうな処理能力かもしれない。あと、分散してやってることを一極集中のアーキテクチャで実現しようとすると、ユニット間でインターフェースすることによって実現できてることも全部やらなきゃいけないからな。画像の認識みたいなことは効率が悪いだろう。まあ人間の視覚も、単機能のモジュールを集めてさらにそれを階層化することで効率よい処理を実現しているんだが、逆にそれだからこそ錯覚が起こったりするんだけどね。
▲2月5日(木)▼
今日は朝から打合せがあるので早く家を出なければならない。それで、息子と一緒に家を出る。彼と一緒だとかなりゆっくりとした歩調になるので勝手が違う。校門の前で別れ、息子がフェンスの向こうから手を振ってきたので、こちらからも手を振ってやるのである。
今日は通勤中に「Past Masters, Vol. 1」(The Beatles:→【amazon】)を聴いている。とりあえずオリジナルアルバムは全部聴いたのだが、赤盤や青盤に入っていた曲で入っていないものがかなりある。シングルにしか入ってない曲がかなりあるようなので、調べてみるとそういう曲を集めたアルバムがあったのである。「She Loves You」のドイツ語バージョンは初めて聴いた。歌詞が違うだけで、英語版とほとんど変わらない。八方破れに見えてもこれだけレベルが揃えられるということは、ちゃんと計算してやってるんだろうな。
引き続き通勤中に「短篇ベストコレクション 現代の小説 2003」(日本文芸家協会編:徳間文庫:→【amazon】:→【bk1】)を読んでいる。まずは帚木蓬生氏「百日紅」を読み終えた。これはいい話だった。故郷で医者をしていた父親が亡くなり、その葬儀に帰る途中での回想を中心にした話なんだが、主人公や父親の周囲の人々の気持ちが素直に伝わってくる。現在の機械に頼り過ぎた医療の状況についても考えさせる構成になってるし。
続いて筒井康隆氏「余部さん」。こういう変な話を、するっと読ませてしまう手腕は大したものであります。
今日の最後は角田光代氏「秋のひまわり」。学校でいじめられてもそれに負けずに生きる少年の話…とまとめてしまってもいいんだろうか。家庭でも事件が起こっているのにラストのこの明るさには救われる人もいるかもしれない。まあ個人的には望んで読むタイプの話ではないのだが。
おお、NASとEthernetで連携できるMPEG-4対応DVDプレーヤーが出たか。アイ・オーのLinkPlayerは売れてるらしいから、追随するのは当然だろう。しかしこれはウチのために出たような製品だよな。いま、動画のファイルはLinkStationに入れてるんだから。買うかどうかはレビュー記事とかが出てからだが、LinkPlayerを買わなくて良かったと思うのである。
…けど、ニュースリリースを読むと、DivXには対応してないのね。今の世の中そりゃダメでしょう。これは、アイ・オーがサーバーソフトをバージョンアップしてくれるのを待つしかないのか。アイ・オーのNAS対応が先か、バッファローのDivX対応が先かということだな。まあ、ファイルサーバのハードディスクを増強してそちらに動画ファイルを移せばいい話なんだが…でも、CPUがPentium III 500MHz以上とか書いてあるから、能力が足りないかもしれない。悩ましいところである。
▲2月6日(金)▼ →
気がつくと床の上でのびていた。寒い。床暖房は稼働しているが、寒い。のろのろと起き上がり、歯を磨く。寝るまでにしばらくパソコンをいじる。だらだらといじる。そこで、大変なことに気がついた。寝惚けて今日が土曜日で休みだと勘違いしていたのである。馬鹿である。気がついたときにはもう平日には妻子が起きる時間になろうとしていた。仕方ないのでそのまま起きている。
心ならずも早起きしてしまったので、今日も息子と一緒に家を出ることにする。彼もそうしたいようである。校門までゆっくりと歩いて別れ、フェンスの向こうとこちらから手を振り合ってそれぞれの目的地に向かう。
今日は通勤中に「The Gospellers」(THE GOSPELLERS:→【amazon】)を聴いている。個人的には「Soul Serenade」や「FIVE KEYS」よりもいい感じである。とか思いながら聴いていたのだが…想像以上にいいアルバムだ、これは。コーラス…というよりマルチヴォーカルの楽しさを充分に味わわせてくれる。聴きはじめはそれほど大したことはないと思っていた曲が彼らの声の力でどんどん盛り上がっていくのを感じるのは快感である。
今日も通勤中に「短篇ベストコレクション 現代の小説 2003」(日本文芸家協会編:徳間文庫:→【amazon】:→【bk1】)を読んでいる。今日は吉田修一氏「日曜日の新郎たち」を読み終えた。父親が知人の結婚式のために田舎から出てくるという、ただそれだけの話なのだが、都会と田舎での他人との距離の違いとか、逝ってしまった者への想いとか、いろいろと考えさせられる内容になっている。ふつうの人の日常を描いただけの作品でも、こういう話なら読んで損をしたとは思いませんな。
これでこの本は終わりである。このアンソロジーを読んで、少しは現代日本のふつうの小説というものがわかったような気がする。SFも見習うべき点がありますな。というか、SFはすべてを包含できるんだから、SFのネタがあってこれだけ物語性があれば鬼に金棒…って、無茶な要求してますか?
帰りに上本町駅で電車に乗ろうとすると、駅員さんが何人かホームに集まっている。見ると、ベンチの上でオッサンがぐったりと横たわっている。口から粘液が地面まで糸を引き、そこには吐瀉物の池が。そこから茶色い液体がホームの端まで流れている。駅員さんというのはああいうのの相手もしなくちゃいけないんだよな。オレにはとてもできない。
▲2月7日(土)▼ →
起きられない。息子にオシッコをさせねばならないと思いながら起きられない。何とか起きて息子にオシッコをさせて、また一緒に寝る。すでに明るくなってたんだけどね。そして息子が目覚めて起こされる。ちょうど午である。
今日も息子と9枚落ちで将棋を指す。また例によって大駒は成り込まれるが、こちらがそれに追われて入玉しようとしているのに息子は玉の前に金銀を上がりはじめた。おいおい、将棋の本を読んで「玉を囲う」ということを覚えたのでやってみたいのはわかるが、シチュエーションというものを考えないと。それで守りが薄くなったところに入玉し、彼も入玉しようとしたようだが上手にそういうことを許されるわけもなく、敢えなく負け。2局目は下手が「待った」しまくってやっと勝ち。まだまだだね。
夜、カミさんが娘を床の座布団の上に乗せて居間を出ていったのだが、帰ってきて「えっ!! 寝返りしてる!」と叫んだ。見ると、たしかに俯せになっている。おお、ついに寝返りができるようになったか。これからはソファの上に寝かせにくくなるな。生後5ヶ月と5日目の夜であった。
▲2月8日(日)▼ →
娘の寝返りだが、私と息子が寝てからも彼女と一緒に起きていたカミさんによると、座布団のように柔らかくて盛り上がっているものの上だと寝返りできるようだが、平らなところではまだ無理だそうである。
今日はホームページの引っ越しをする。けっきょくniftyに言われるまま、新サーバに移動することにする。nifty以外に移るとなると何かと面倒臭いというのがその理由である。我ながら情けない。まあ、出張時のために日本全国どこからでも電話回線でアクセスできるISPのアカウントを持っている必要があるという理由もあるんだけどね。メールアドレスも変えたくないし。
そういうことで、まずはアドレスを取得してカウンターの使用を申し込んでその数字の初期化。しかし、前のカウンタの数字を入力してもエラーになるのである。数字のチェックもちゃんとできないとは、馬鹿じゃなかろうか。そして全データを新サイトにアップロードして、旧サイトの目次のページに引っ越しのお知らせを載せる。これからしばらくは目次のページは二重管理か。面倒臭せえなあ。そして、掲示板の設定も戻るページのアドレスを変更しないといけない。ううー、面倒臭せえ。けっきょく、この作業で一日分のパワーを使い果たしてしまったのだった。
最近はパソコンで将棋を指すときには「激指」に対してレーティング戦で最低得点から始めてずっと勝ち続けてきたのだが(負けたのは時間制限があるのを知らずにパソコンの音声を切っていて時間切れ負けした1回だけ)、レーティングが1000点を超えてから急に勝ちづらくなってきた。調べてみると、4級にはぜんぜん勝ててない。うう、オレの実力はこの程度か?
今夜は私が子供たちを風呂に入れる。娘を膝の上に乗せて身体を洗っていると、彼女は起き上がってきて私の胸をまさぐってくる。こらー、父ちゃんは乳は出ないのだよ。しかし、すごい腹筋だな。我が家でいちばん長く上半身を持ち上げていられるんじゃないだろうか。
先日メールが来た横倍角変換のページだが、さらにバージョンアップしたそうだ。マメだねえ。やっぱりインターネット時代はスピードがないとダメだよな。
▲2月9日(月)▼
今日から「君の詩」を聴いている。これは1970年代から80年代初頭にかけてのフォークソングを集めた4枚組のCDで、通販専用でふつうのレコード屋には売ってないもののようだ。ケーブルテレビでこれの宣伝ばかり流している局があって、聴いてみようかなと思ったのである。
まずは1枚目である。聴きはじめて、そういえば「翼をください」(赤い鳥)を細かく聴いたのは初めてなのに気づく。へえ、こういうアレンジになってたのか。もうちょっとコーラスを前面に出しても…などと思いながら聴いている。「夢の中へ」、「心もよう」(井上 陽水)あたりも意外と音楽してるじゃないか、と思う。「見つかることもよくある話で…」のところもちゃんと歌詞がリズムに乗っている。どうも私の中ではこの人は吉田拓郎あたりと一緒の棚に入ってたんだよな。私ゃ、ああいうボブ・ディランの系譜に連なるスタイルはどうにもこうにも駄目なんである。そういう意味では「スローバラード」(RCサクセション)はさらにダメだ。何であのスタイルが一般に受け入れられたのか未だに理解できていないのである。
先週の金曜日から「前哨」(アーサー・C・クラーク:ハヤカワ文庫 SF:→【amazon】:→【bk1】)の続きを読み始めている。金曜日に「地球への遠征」(アーサー・C・クラーク/山高昭)を読み終わっていたのだった。ふつうのファーストコンタクトものかと思っていたのだが…いちおう最後にどんでん返しが用意してあるし余韻もあるラストなのだが、今となっては少し物足りないな。
今日はまず「抜け穴」(アーサー・C・クラーク/山高昭)。うーん、いきなりこれが出てきて逆転、というのは反則だと思うんだが。
続いて「遺伝」(アーサー・C・クラーク/山高昭)だが、これも今読むとちょっと物足りない。やはり昔の作品はネタの理屈づけが大らかだなあ。
先日の脇腹痛の原因がわかったような気がする。今はデモ用サーバの環境設定をしているので、自分の机の上のパソコンとは別にサーバを隣の机に置いて作業をしているのだが、そのサーバの操作をするときに身体を捻って作業をしているせいのようだ。座った状態で上半身を横移動させるだけでもけっこう胴回りの筋肉を使っているものである。
そういうことで、今日は家に帰ると腹筋が痛い。耐えられないほど痛い。ずっと痛い。ちょっと身体を動かすたびに「いてて…」とか言っているのである。歳じゃのう。
▲2月10日(火)▼ →
今日は通勤中に「君の詩」の2枚目を聴いている。このディスクはかぐや姫・イルカ系の曲ばかりなので意外性がない。伊勢正三氏の曲はたしかにいいんだけれど。やっぱり全レーベルのアーチストを網羅しているわけではないようなので、多様性に乏しいのではないだろうか。
引き続き通勤中に「前哨」(アーサー・C・クラーク:ハヤカワ文庫 SF:→【amazon】:→【bk1】)を読んでいる。最後のタイトル作を読んだのだが、かつて月面には水が流れていた…という記述は、いま読むとかなり違和感がある。まあそれでも、なかなか余韻のある終わり方でしたね。まあ、あの続きを描くと別の話になっちゃうんだろうけど(それが2001年、か)。
この短編集を読み終えて思ったのは、クラークも私を満足させてはくれなかった、ということだな。次に読む本を決めなきゃいけないんだが、私はどうすればいいんだろう。
◇ ◇ ◇
こらー、マイクロソフトが「客観的」なんて言うな〜! Windows3.1 が Macintoshに追いついたとか言った会社だぞ。とにかく奴らの言ってることは話三分くらいに考えないといけないからな(まあ、アメリカの会社はだいたいそうみたいだけど)。でもやっぱりこういうキャンペーンを信じる馬鹿もいっぱいいるんだろうなあ。
えー、安部英に善悪を判断する能力がないだってえ? そういうふりをしてるだけなんじゃないか? うーん、これで自分の世界に逃げ込んじゃったことになるのか。本人がどう思ってたかはともかく、結果的に引き起こしたことの責任は取らせるべきだと思うんだがな。というか、かなり自分本位な人間だったみたいだから、どうせ狭い範囲のことしか考えてなかったんだろうし。
そーだそーだ、『「著作権法で守る」対象が“著作権者”ではなく、実際には“流通業者”であるという図式がより進行しつつある』というのはけだし名言。本当にそうなんだよな。作品を楽しむ我々の権利を制限しようとしている連中は、実は何もクリエイティブなことをしていない連中なんだと思うのである。
げー、8GBのCFカードですか。容量的にはハードディスクであるMicrodriveを超えちゃいましたなあ。技術の進歩はスゴいものであります。
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