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10月11日(木) 
ここのところ、朝早くに目が覚めてしまう。これまで半世紀ずっと寝起きが悪い人だったのに、最近は6時ごろに目が覚めてしまうのである。前の日に夜更かししてもそれは変わらない。老化現象かなあ。年寄りは早起きだというし。

最近は仕事帰りに本が読める精神状態になってきているので楽園の知恵―あるいはヒステリーの歴史」牧野修)を読んでいる。今日は「逃げゆく物語の話」を読み終えた。なんか設定に無理があるなあ無理があることを作者本人が作中で言ってしまっちゃおしまいなんじゃないのかなあ…とか思いながら読んでいたのだが、これはラブストーリーでしたか。

おそろしく歪んではいるが、これが牧野修のラブストーリーなのだったのだな。読後感がいいから、この作品を最後にもってきたのは正解でしょうね。中華風の屍体みたいな作品で終わったんじゃ、私みたいな感性の人間は次を買う気がなくなってしまう。



10月12日(金) 
今日は朝早くから京都に移動して仕事。昨日まで楽園の知恵―あるいはヒステリーの歴史」牧野修)を読んできたのだが、「付記・ロマンス法について」は後書きかと思っていたらフィクションだった。まあ、後書きも兼ねてるみたいだけど。これは私の批判的な感想に対する回答なんだろうなあ。ここまで先回りされていたとは。本人にもそういう自覚があるということなんだろうけどね。

これでやっと(本当にやっとこさ)、この作品集を読み終えた。平山夢明の解説が秀逸。そういえば、この解説を読んでこの本を買う気になったんだった。罪作りな人ではある。

牧野修氏の作品を読んできてかなり精神的に疲弊したので、読みやすくて精神的にシンクロできてエンターテインしてくれるものをということで、帰りにはおえらびください小松左京:ケイブンシャ文庫)を読み始める。まずは「ウインク」である。

小松先生の文章を久しぶりに読んで、読点(、)が多いのにあらためて気づかされる。これで短い言葉を連ねて畳みかけるようなリズムを生み出しているのだな。私はほとんどの場合、1つの文に読点を1つしか使えないのである。物の考え方はずいぶんと影響を受けたつもりなんだが、そういう面での影響は受けなかったみたいだ。

なんで1つの文に1つしか読点を使えないかというと、書くときにプログラミング言語のように文章の構造というものを意識してしまって1種類の読点ではそれが表現できないからなのである。たとえば、読点ではなくて「()」が使えるならば、前の文章は以下のように記述するだろう。
((なんで)((1つの文に1つしか読点を使えないか)(というと)))(((書くときに)((プログラミング言語のように)(文章の構造というものを意識してしまって)))((1種類の読点では)((それが表現できないから)(なのである))))
本当なら文章を短い単位に区切りたいのだが、そうするとそれぞれの関係がわかりづらくなるのが気持ち悪くて最も大きな区切りにしか読点が打てないのだ。プログラミングをやりすぎたせいかなあ。それだったら職業病なんだが。

◇ ◇ ◇

げろげろげろげろガ・ガ・ガ…とか歌ってしまったですよ、このニュースを読んで。



10月13日(土) 
今日はカミさんが旅行に行くことになっている。娘は保育所に行ってもらうつもりだが、今日も医者に来るよう言われているので昼に迎えに行かねばならない。それで7時に起こして早めに連れて行くことにする。起こしたときには「ねむたい〜」とか言っていたのだが、顔を洗ってテレビをつけると画面に注意が引かれてだんだん目覚めてくる。

8時過ぎの保育所にはまだほとんど人がいない。娘は「やすみなんちゃう?」とか言っていたが、同じクラスの子を見つけて安心したようである。泣かずにバイバイしてくれた。

家では息子に将棋の勝負を挑まれる。8枚落ちで1勝1敗。1局目は大駒をタダ取りして勝ったが2局目は敵陣にまったく手がつかず完敗。そろそろこの手合いでは苦しくなってきてるかな。

耳鼻科の診療時間は12時半までで保育所とは逆方向にあるので、12時過ぎには保育所を出なければならない。それで12時前に保育所に行ったのだが、娘はまだ年長組の部屋で昼食を食べていた。医者は12時半までしかやってないしギリギリに飛び込んで診てもらえるかどうかわからないのだが、急かせるわけにはいかない。

先に娘のホームルームに行って荷物をまとめ、彼女の横で食べ終わるのを待つ。その間に他の子に質問攻めにされる。私の顔についてるのは何だとか(たぶん良性の腫瘍)唇が切れてるのは何故だとか。まったく好奇心の固まりであるなあ。

娘が食べ終えたのでデザートの蜜柑はパスして医者に急ぐ。早く漕ごうとするがペダルが重い。何とか12時20分頃に着くことができた。その後にも他の患者がやって来てたりしたので、多少の余裕はあったようだな。

先に私の診察があり、娘は一人では嫌だというので膝の上に乗せて受診する。母親と一緒の時には泣いたらしいが、今回は泣かなかった。吸入を済ませて帰りに料金を払おうとして私の分しか請求されなかったので戸惑ったが、幼児はタダだったのね。

今日の午後はずっと子供たちの相手をしなければならないので、娘に疲れてもらうよう医者からの帰りに公園に寄る。このあたりでもっとも大きな公園で遊具も規模の大きなものがあるので、一巡するだけでもけっこう疲れてくれるだろう。

家に戻って洗濯物を干しているときに下で猫が鳴いていたと思ったら、2階のベランダに上がってきた。窓の前に座り込んで入れてほしそうにしていたが、無視する。すると、毛づくろいをはじめた。気がつくと、カミさんがイチゴを育てるといって置いていたプランターの上に座り込んで遠い目をしている。おいおい、トイレにしているんかい。

眠くなってきたので娘と一緒に昼寝に入る。気がつくと娘に起こされていた。腹が減ったと言っている。眠いが、腹をすかした4歳児にそれを言っても無理である。まだ総菜が値下がりする時間ではないので、煎餅を食わせてしのぐ。19時過ぎになってスーパーに行き、半額になった刺身や寿司を買い込んで夕食にするのであった。



10月14日(日) 
今朝も5時半に目が覚めたのだがまた寝て、9時になって息子に起こされるまで寝ていた。娘も起きるという。昨夜半額で買ってきたサンドイッチ類を食わせる。

今日は地域の祭りなので、カミさんと息子は御輿を引きに行く。私は娘と留守番。HDD&DVDレコーダープリキュアトトロを観て過ごす。

カミさんは家に戻って昼食を食べると昼寝に入った。その間に、娘は公園に行きたいという。昨日に行って味を占めたか。自転車に乗せて公園に向かっていると、息子もついてきた。

公園では、娘は息子について歩いている。一生懸命7歳年上の兄の後を追いかけている姿は何とも微笑ましい。そのうち、娘は鬼ごっこがしたいと言い出した。私は彼女が危険なことをしないか監視するだけで精一杯なのである。しかしそのうちに、息子と彼と同じ年頃の子供と2人で娘から逃げてくれている。娘は大喜びでキャーキャー言いながら2人を追いかけている。これは今夜も早く寝てくれそうだな。

しかし、昔の子供は一日中こういう感じで動き回っていたんだろうなあ。今の子供がひ弱になるのは仕方がないかも…などと思ってしまったことであった。



10月15日(月) 
今日も朝から京都に移動して作業。出勤時に阪急梅田駅に入ると、禿げたガイジンのオジサンガチェックのスカート姿でトイレに入っていくのが目に入った。どうやって用を足すのか興味があったのだが、急いでいたのでそのままホームに上がる。ちょっと後悔。たぶん前をたくし上げてやるしかないと思うんだけど。

引き続き移動中にはおえらびください小松左京:ケイブンシャ文庫)の「ウインク」を読んでいる。ユーモアたっぷりの語り口に最初は「ムチャクチャやなあ」とか思いながら読んでいたのだが、だんだんと怖くなってくる。このあたりの畳み掛け方が巧い。まあ、好奇心は人類を滅ぼすというのは真実かも。

続いて「手おくれ」を読む。地球上の歴史で起こったことを宇宙規模に拡大しただけだが、これだけの記述を積み重ねられるとそれだけの話でも読めるな。

帰りに「TDSとSDの不吉な夜」を読む。ちょっと読んだだけでネタが割れるし、そのネタも今となっては古臭い。

続いて「おちてきた男」を読む。視点の転換という、SFのスタンダードな手法ですな。これも、今となってはこの程度では驚けない。

今日の最後は「時魔神(タイムマシン)」。これはもう現在でも、いや現在になってますます苛酷になっている事態ですな。書類搬送用のエア・シュートが電子メールになり、磁性インクを使った書類が液晶ディスプレイになり、ハードウェア的にはこの時代に空想されたものよりもさらに高速化している。

その結果引き起こされる状況に関しては、仕事のストレスで鬱になった身としては話が古いとも他人事だとも思えない。そして最後は生身の人間が時の流れについていけなくなり、それを機械に任せてしまう…というのは今ならイーガンを思わせる展開ですな。イーガンはその中に入って行ってしまうが、この作品ではそれを外から見るラストになっている。これもまた有りでしょう。



10月16日(火) 
今日も朝から京都に移動して仕事。引き続き移動中にはおえらびください小松左京:ケイブンシャ文庫)を読んでいる。まずは「日本漂流」を読む。よくもまあ、こんなアホな話(ほめ言葉)を書くもんではある。それもこれだけの紙数を費やして。まあ、大きな法螺を吹くときこそ細かいディテールを積み重ねなければならないということなんですな。

続いて「*◎=▲は殺しの番号」(「=」は二重の波線)である。いやー、怖い話ですなあ。現在でもこの状況はぜんぜん変わってないんだよな。人類としてつらいことではある。

今日の、そしてこの作品集の最後は「ヤクトピア」。薬剤による精神状態の改変というのは、今でも最先端のテーマだな。イーガンなんかだと仕組みの記述が細かくなってマイクロマシンによるシナプスの接続変更とかいう説明がつくが、基本は同じ…とか思いながら読んでいたら、現在でも通用するような理屈がついてますな。こりゃ驚いた。

耽美派小説の薬が座薬になっているというのは笑える。しかし、ただラリってるだけの話かと思っていたら、この展開も見事。けっきょくこういう結論になっちゃうわけね。



10月17日(水) 
今朝も6時半に目が覚めてしまった。朝から仕事で京都に行かねばならないのでそのまま起きて、HDD&DVDレコーダーに録画していた番組を観る。しかし眠い。テレビを見ていても間欠的に何度も意識を失う。困ったもんである。

そのうちに階上から誰かが下りてきた。息子の足音と違うのでカミさんかと思ったら娘だった。いつもは最後まで眠ってるんだが、今日は遠足に行くので何日も前から楽しみにしているのである。朝食も早く済ませて母親に「はよいかな、ばす、いってまう」と言って困らせている。

娘は私に彼女が描いた絵を2枚くれた。1枚は2人の人物が描かれていてそれぞれの上に色の違う3本くらいの円弧が引かれている。「縄跳びしてるの?」と訊くと「これ、にじやで。とーちゃん、にじ、しらんの?」と言われてしまった。いや、光源が一つならそういう虹の出方はしないはずなんですけど。

今日は息子と一緒に家を出る。手をつなぐと「手ぇ、熱いで。眠たいんちゃう?」と言われてしまったのだった。その通り、私は眠い。電車に乗ってからも猛烈に眠く、立っていても油断すると意識を失って倒れそうになるくらい眠い。阪急の特急で座れたので、そのまま桂まで熟睡する。隣に座った兄ちゃんも前のめりになって熟睡していたので、降りるためには彼を起こさなければならなかった。

往きに睡眠を取ったせいか、日中にはそれほど眠くなることはなかった。そして帰りには脳髄工場小林泰三)を読み始める。まずはタイトル作である。脳に機械を接続して人格を「調整」する話だが、理路整然とトンデモナイ世界が構築されてゆく。作者は詐欺師にもなれるんじゃないか。まあ、それがフィクションを描く人間の資質なんだが。

しかし、そういうトンデモナイ世界にもかあわらず、主人公は悩み、ちゃんと小説になっている。ふつうなら哲学的な方向に行ってしまいそうなもんだが。大したもんである。

しかししかし、そう思ったのも束の間、物語はまたさらにトンデモナイ方向へと走りだして行く。あの、いかにも「小説」という描写もこの効果を上げるための仕掛けだったのか。だったらさらに、大したもんである。

まあ、未来を知ってしまったらそれを変えようとするから、この結末のようにはなりようがないんだけどね。これが「自由意思」のパラドックス。さすがの作者も、この点については読者を騙すことはできなかったみたいだな。それでも、私にこれだけ書かせるというだけでも大したもんである。



10月18日(木) 
今日も朝から京都で仕事。そして今日も往きは特急の中で寝ている。帰りに脳髄工場小林泰三)の続きを読み始める。まずは「友達」。あんまり面白い話じゃなかったなあ。

続いて「停留所まで」。これも面白くない。「同窓会」もネタだけの話だったし。次の「影の国」なんか、もうアホらしくて。やっぱり個人的にホラーには興味を引かれない。



10月19日(金)
今日は地下鉄で2カ所を訪問することになっている。金曜日に地下鉄に3回乗るということで、ノーマイカーフリーチケットを買う。

そして、ブックオフを6軒廻る。カミさんに頼まれていたものもあったのだが、けっこう見つかった。しかし疲れた。地下鉄で移動してるとはいえ、駅からけっこう離れている店もあるからな。

移動中に脳髄工場小林泰三)を読む。まずは「」。ちょっとまともすぎる。短いから仕方ないのかもしれないが。

続いて「C市」。荒唐無稽さが面白いが、やっぱりちょっと求めているものとは方向が違う。



10月20日(土)
今日はカミさんは仕事、娘は保育所に行っている。息子とテレビを見ていると、家の外で猫が窓を開けようとしている。カギがかかってるからダメだよ。そう思って無視していたのだが、いやに近くで猫の鳴き声が聞こえるなと思ってたら、彼がスタスタと居間の中に入ってきた。キミ、どうやって入ってきたんだ。玄関を開けるパワーはないだろうし。それで思いついて寝室に上がると、網戸が開けられていた。2階から入ってきましたか。

今日の夕食は王将で外食である。隣の席で煙草を吸われるのが辛い。せめて席を分けてくれればいいのに。

今夜は近くの神社でお祭りである。子どもたちは家に戻るとすぐに神社に向かう。息子はスーパーボールすくいをするが、すぐに紙が破れる。娘にはその手のゲームはさせられないということで、くじ引きをさせてビニールの剣が当たった。それを背負って歩いていると、小剣士という風情である。なんか可愛い。

息子はラッキーボールをして、1列並べてゲームをゲットした。娘もやりたいというのでやらせてみると、リーチを4つも作った。ビギナーズラックというやつかな。それでも玉を並べることはできなかった。しかしプリキュアのシールをもらって彼女なりに満足したようである。



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