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6月21日(土) 
目覚めたとき、カミさんはすでに起きていた。居間に下りてゆくと彼女は「やっぱりマウスがあると使いやすいわね」とか言ってマウスを使っている。あやや、そりゃ息子のために買ってきたマウスなんですよ。アナタのはどうしちゃったんですか…と言おう思ったのだが、「シンジ(仮名)が要るようになったら返すから」と言われて押し切られる。まあ、そんなに高価いもんじゃないから、いいんだけどね。

今日は久しぶりに晴れるそうなので、家の前にビニールプールを出して息子を遊ばせることになっている。彼はそれを非常に楽しみにしていて、自分でプールの空気を入れてしまったそうである。昼過ぎに耳鼻科の医者に行くことになっているので、帰ってきて水が暖まってから入るように言っていたのだが、どうしても早く入りたいと言っている。けっきょく、医者に行く前に入ってしまうのである。

息子はプールに浸かって上機嫌である。「戦争しようとイラクへ、出かけたが〜」とか歌っている。何じゃそりゃ。サザエさんの替え歌ですか。たぶん学校で仕込まれてきたんだろうな。昭和ヒトケタ生まれである私の父でさえ小学校のときは教育勅語のパロディが流行っていたとか言っていたし、子供の何でも茶化してしまうパワーというのは侮れないものである。権威はあるけど尊敬できないものというのは、本能的に分かっちゃうんだよなあ。

昼過ぎになって、私が息子を耳鼻科に連れて行く。カミさんは息子に対して私の自転車に乗っていくように言ったのだが、彼は「からだ、きたえる」と言って自分の自転車に乗ってくる。しかし、帰りは昼食に食べるものを買うために私がスーパーのある方に曲がると、「よりみち、せんとって!」と泣き言を吐く。それでも店内に入って漬物コーナーに行くと、様々のキムチを前にして「どれがいいかなー」と目を輝かすところが彼らしいところである。

医者は繁盛しているようで、けっこう待たされた。鼻汁は出ていないように見えても奥の方に溜まっているそうだ。プールに入るのであれば、定期的に来てほしいということであった。そして吸入。吸入器を鼻に当てるアタッチメントの装着や取り外しを子供自身にやらせているが、大丈夫なのかね。間違って未使用のところに戻されたりすると大変なことになりかねないと思うのだが。ちゃんと目配りをしているようにも見えなかったんだけどな。

家に戻り、医者からの帰りに買ってきた納豆とカップラーメンで昼食である。やっぱりあづまの納豆は旨い。他のメーカーの納豆で感じる苦みをまったく感じない。息子と二人で「おいしーねー」「美味しいものを食べると幸せだねえ」とか言い合いながら食うのである。なんだか年寄り臭いような気がするな。

息子は、午後はプールには入らないようである。家の外で祖母が近所の人と話してる中に入っているようだ。どうやら、隣家の猫を撫でさせてもらっているようである。あの猫はカミさんがいつか撫でようと狙っているはずなんだな。彼女は昼寝中なので、息子の方が先に撫でたことになるか。彼女は今夜も引き続きインターネットで子猫の画像を見て悶えることになるのだろう。

息子は今日も祖母の家に行ったようで帰ってこない。しばらくすると帰ってきて「いっしょに、じてんしゃのれんしゅう、しよー」と言う。少し前に補助輪の高さを上げたはずなので、今回そう言うということは補助輪を外すということかな。たぶん祖母にそう言われてきたのだろう。しかし、補助輪を外すにはスパナが要るんだよな。近所でカミさんの親戚が自転車屋さんをしているので、そこに行って外してもらうことにする。見ていると、補助輪を取り外すためにナットを外すと後輪まで外れてしまうのであった。これは自力では無理だ。ここに来たのは正解だったな。

家の前の道で練習するので、そこまでは自転車を押して帰る。息子は補助輪無しに慣れてないので、途中で自転車を倒してしまって通りがかりの女の子に起こしてもらったりしている。ちゃんと礼は言えたな。

家の前の道路で練習開始。しかし、自転車を支えながらいっしょに走るというのはキツい。走るのもキツければ、傾いたとき倒れないように引き戻すのも力が要る。コースを外れたら止めなきゃいけないし。息子は塀にぶつかりそうになって、塀に手を突いて止める。止まるときは足で止めた方がいいぞ。手は露出してるから釘でも出てたら大変なことになる。

家の周りの路地を6〜7周する。途中でノドが渇いたので近くの自動販売機でC.C.Lemonの500mlボトルを買って二人で交互に飲む。こういうとき、冷たい飲み物は美味いだろう。そしてまた練習再開。なかなかバランスを取って走れない。私が支えてないと倒れてしまうような状態で走っている。これは、まだまだだね。しかし疲れた。それでも自転車の運転というのはこの世界で生きていく上での必須の技能だから、それを身につけさせるのは父親としての務めである。やっぱり子育てというのは20〜30代の元気なときにやるべきだな、というのを実感したことであった…って、もうすぐ次のがやってくる予定なんだが。そのときには、こっちも7年ぶん歳を取ってることになるんだよなあ。



6月22日(日) 
目覚めると、今朝も息子が横で寝ている。昨晩に今日何をしたいか訊いたら「ぷらねたりうむ、みたい」と応えたので、今朝は早起きしないといけないぞと言ってたんだがな。布団に手をつくと、そこがしとどに濡れている。うえっ。気がつくと小便臭い。私の布団でオネショしちゃいましたか。今日は天気が悪そうなのに。

曇っているがまだ雨は降っていないので、布団を干すことにする。被害は私の布団だけにとどまらず息子の布団まで拡大していた。布団とマットで4枚。私の掛け布団も被弾していたので合計5枚。我が家はベランダが広いのが救いである。しかし干していると、そのへんの屋根でパラパラと音がし始めた。その瞬間に、あちこちの家から「雨ですよー」という声が上がる。ああ、やっぱりここはまだ田舎なんだよな。良い意味でも悪い意味でも。そういうことを思いながら、また布団を入れるのである。疲れた。

大阪市立科学館に行ったときには展示物をじっくり見る時間がなかったので、今日は午前中に家を出る。途中で思い出して乗車プリペイドカードを持ってるかときくと、「わすれた」と言う。しゃーないな。今さら取りに帰るわけにはいかない。私のカードで買うしかないか。そう思って自動券売機にカードを入れると…受け付けてくれないのである。ううむ、「スルッとKANSAI」が使えるのは自動改札だけなのか。近鉄も遅れてるなあ。

先にラーメンを食ってから行くかと訊くと後の方がいいと言うので直接大阪市立科学館に向かっていたのだが、途中で腹が減ったと言いだしたので「BALANCE POWER」(ハマダコンフェクト)を薬屋で買って歩きながら食べさせる。「たべたから、げんき、でた、でた」とか言いながら歩いている。頼もしいものである。

展示場に入ると彼は、太陽と惑星の大きさを示している展示物を「すいせい、きんせい、ちきゅう…」と指さしてどんどん先に駆けてゆく。やはり自分で動かせる展示物がいいらしい。まずは前回も触った、大きさの違うハンドルを回して力比べをするもの。次々に展示物を触ってゆく。

息子は水力発電の原理を示しているものが気に入ったようだ。ハンドルを回して水を上に揚げ、レバーを押すと揚げた水が流れてきて水車が回り、それで発電して電球が点く仕組みである。これは人気があるようでかつ1立方メートルくらいの水を数メートルの高さまで揚げなければならないので時間がかかるのだが、前の子供たちが終わるのをじっと待っている。プラネタリウムを見た後にも再度巡回したのでそのときにもやったのだが、後になって回しすぎで手の皮が剥けたとか言っていた。限度を知らんヤツめ。というか、子供だから夢中になるんだよな。

地球の形をした金属球を磁石の下に浮かべるというのも息子は気に入ったようだ。しかし、彼は不器用なのでなかなかうまくできない。上げすぎると磁石にくっついてしまうし、下げすぎると落ちてしまう。何度も挑戦して、後の子供をだいぶ待たせたのだった。

ハンドルを回して発電し、一日の電力使用量のグラフを下回らないようにする展示物もお気に入りだ。そして、彼はフライトシミュレーターがあるのを見つけた。さすがにこれは人気があって、何人もの子供が並んでいる。前の子が遊んでいるときにプラネタリウムの開始まで10分を切ってしまった。間に合うかと冷や冷やしたのだが、何とかギリギリに飛び込むことができた。しかし彼はどうやって遊ぶものかまったく分かってない。風景に合わせてハンドルを動かすことさえできない。けっきょく私が横から手を添えて手伝ってやることになるのである。何とか着陸できて彼の得点は75点。自分より大きい前の子より高得点だったと自慢するのである。父親に助けられたという意識はまったく無いらしい。

大阪市立科学館を出て、今日もジュンク堂で本を読み、北新地のラーメン屋に向かう。今日は大黒天らーめんという店に入った。息子に豚骨ラーメンと味噌ラーメンのどちらにするか訊くと「んー、みそらーめんかなー」と応えるので、今週も味噌ラーメンの大盛りを頼んで二人で分けて食べる。スープにはコクがある。麺とも合っている。海苔は1枚しか入ってなかったので息子に食べさせた。チャーシューは、単品の焼豚みたいだな。私は味噌ラーメンはあんまり好みではないのだが、これなら機会があればもう一度食べてもいいと思う味であった。

この店はキムチを取り放題なのである。舌がスープに慣れてきた頃になって私がラーメンにキムチを入れると、それを見た息子もさっそく自分の丼に入れて食べ始める。私よりも多いくらいである。おいおい、そんなに入れて大丈夫か…と思ったが、彼は赤く染まったスープまで飲んでしまったのであった。天下一品は前に家の近くの店に入ったことがあるので、北新地の曾根崎通に面したラーメン屋は制覇したことになるか。さて、次はどこに行くか(まだ行くのかい!)

北新地駅から電車に乗って家に向かう。最寄り駅から家に向かって歩いていると、建物の隙間から、オレンジ色の車体が走ってゆくのが見えた。アレは何だ? 息子にそう言う。「いせしまらいなー?」いや、あれにはオレンジ色はない。そう思った瞬間「『らく』や!」と息子が声を上げる。そうか、そうだよ。前回はあおぞら2で今週は『楽』か。2週続けていいものを見たねえ。休日だと、そういう列車が走っている確率が高いんだろうね。

家に着いたときには19時を過ぎていたが、外はまだ明るい。それじゃ、今日も自転車の練習をしようかね。感覚を忘れないうちに続けてやった方がいい。1周でもやっておこう。そう思ってやり始めたのだが、走り始めると腰の筋肉が悲鳴を上げる。昨日のダメージがかなり残っているようだ。子供用の自転車は荷台が低いので、そこを支えて走っているとかなり腰を曲げて走ることになる。それを改めて思い知らされる。今までそれを感じていなかったというのも老化現象だろうな。

2周目の途中で、かなり安定してきたので手を離すと、そのまま走り始めた。私は後ろについて走る。しばらくして息子は異変に気がついたようで後ろを振り向き、私が手を離して走っているのを見て「うわー、はしってるー!」と声を上げる。やったね。そのまましばらく走って祖母の家の前で停車すると、「おばあちゃんに、おしえてあげる」と言う。おいおい、まだ1回しか成功してないし、まだ独りでは走り出せないだろう。しかし彼はこの喜びを誰かに伝えたいようで、祖母の家の前に立ってチャイムを押すと、「ぼく、こまなしで、のれるように、なった!」と声を上げる。祖母にも母にもたいそう喜ばれたのであった。

乗っているのを見せてやるとか言っている。まだまだ発進するのが大変だが、走り出すともう支え無しで走っている。しかし、以前も子供の学習速度は速いと思っていたのだが、小学校に入ってさらに速度を増したような気がするな。6歳で教育を始めるというのは、それなりに根拠があることのような気がしてきた。



6月23日(月)
朝食を食べようとして身体を前に傾けた瞬間、背中にキた。うっ、やっちまったか。背中を傷めてしまったようである。これは持病みたいなものなんだが、2日続けて息子の自転車の練習につきあって前屈みで走り回ってたせいなんだろう。そういうわけで、カミさんに薬をスプレーしてもらい、背中を揉んでいただく。仕事には遅れて行くことになる。カミさんは朝一番から医者に行くということで、先に出ていったのであった。家に帰ってから訊くと、胎児の発育は正常とのことである。前回は少し小さめだったのだが、今回で追いついたようだ。やっぱりビールを控えたのが効いたのか。

今日は通勤中に「続・青春歌年鑑 1977」(→【amazon】)を聴いている。1曲目は「ペッパー警部」か。ピンク・レディーのデビュー曲である。私が彼女らを最初に見たのはテレビの深夜番組だった。私にはお色気グループにしか見えなかったんだよな。いや、売り出す側もそう考えていたんだろう。グループ名からしてそうだもんな。股間で手を広げる踊りを見て「何じゃあの振りは?」と思ったくらいなのである。ヤりたい盛りの青少年にそう思わせるくらいだから、お世辞にも上品と言えないものだったと思うのだが、それを小中学生まで真似をする一大アイドルになってしまうとは…流行というのは恐ろしいものである。この、お色気からスターへのターニングポイントはどこにあったんだろう。

引き続き通勤中に「夏のグランドホテル」(異形コレクション:光文社文庫:→【amazon】:→【bk1】)を読んでいる。往きに矢崎存美氏「柔らかな奇跡」を読み終えた。まあまあ読ませてくれたが、ちょっと周囲から浮いてたかも。続いて南條竹則氏「チャプスイ」。途中まで読んで「どんな凄い結末が待っているんだろう」と思っていたのだが、ちょっと期待が大きすぎたようである。そして薄井ゆうじ氏「無限ホテル」。うーん、よくわからん。いや、書いてあることはわかるんだが…

今日は昼休みに職場近くの本屋で「バガボンド 17」(井上雄彦:モーニングKC:→【amazon】:→【bk1】)を買う。これは買っておくべきでしょう。そして、仕事場からの帰りに「第六大陸 1」(小川一水:ハヤカワ文庫 JA:→【amazon】:→【bk1】)が出てないかとジュンク堂に寄ってみたが、まだ出てなかった。この巻で完結しないみたいだから、早めに読み始めるとそれだけ続きを読みたくて苦しむ期間が長くなるんだな。買っても次の巻が出てから読み始めることになるか。まあ、イラストを早く観たいというのはあるんだが。

これ、欲しい!」。思わず呟いてしまった。私は情報を保存することに喜びを感じる人間なんで、自分が見た印象的なシーンを後から保存できる機器というのは理想なんだな。まあ、これを装着して見てたら嫌がる人もいるだろうな。そのへんが問題である。



6月24日(火) 
私と息子が目覚めたとき、起こしに来たカミさんは腹が張ると言ってそのまま寝込んでしまう。調子が悪いようだ。息子に飯を食わせ、学校の準備をさせて送り出す。もう彼は何をやるべきか自分でわかっているので、こっちは名札とかを安全ピンで留めてやるくらいでいい。タバコ屋の角まで送ってやる必要もなくなったようである。

今日も通勤中に「夏のグランドホテル」(異形コレクション:光文社文庫:→【amazon】:→【bk1】)を読んでいる。まずは森奈津子氏「過去の女」を読み終えた。これは哀しい話ですねえ。ネタとしてはありふれたものだが、料理のしかたで読ませている。

続いて岡本賢一氏「死神がえし」。死神の姿を見ることができる男。彼は4歳になる自分の娘が死神に取りつかれたことを知ってしまった。その子を救う方法は…こういう話は好みではないが、なかなか読ませてくれた。

そして今日の最後は速瀬れい氏「流星雨」。おー、こりゃ良かったですね。吸血鬼と人魚の取り合わせが意表をついてるし、その組み合わせかたも巧い。ラストもヒネリが効いてるし(ちょっとヒネリ過ぎの気がしないでもないが)、これもなかなか楽しませてくれました。

『海賊PCを攻撃せよ――米上院議員が「最も過激な」提案』という記事を読んで「そこまで言うか」と思っていたのだが、今度はその本人がソフトの無断使用をしていたというニュースが。アメリカ人ってのは、どんなヤツでも立派なことをいう訓練を子供の頃から施されているからなあ。このあたりは立派なことを言いながら好き勝手をしている大統領も同じ…というか、国全体がそうなんだよな。

おお、署名記事で「ゲーム脳の恐怖」のセンセイの談話を掲載しているとは、勇気があるというか何というか。引きこもりの記事でそれは、ちょっと安易なんじゃないの? 「ゲームをやりすぎるといけない」というのをいちばん簡単に権威づけできるのはわかるんだけどさあ。

今夜も早く仕事を終えて「第六大陸 1」(小川一水:ハヤカワ文庫 JA:→【amazon】:→【bk1】)を探すため帰りにジュンク堂に寄ろうと思っていたのだが、いろいろあって21時半になってしまった。本屋には寄れない。駅を下りて自宅に向かって歩いていると、すごい雨である。豪雨というほどではないが、シャワーを浴びているような雨が間断なく降り続いている。家に着いたときにはすっかりビショ濡れになってしまったのであった。



6月25日(水) 
今日は通勤中に「TRUE」(中島美嘉:→【amazon】)を聴いている。んー、ちょっと物足りない。テレビで小耳に挟んだときには「いいかも」と思ったのだが、実際にアルバム1枚聴いてみると「巧い」というより「巧く聞こえるように歌っている」ように感じてしまうんだな。それはそれで上手いということなのかもしれないが。それでもやっぱり「物足りない」としか言いようがない。

今日も通勤中に「夏のグランドホテル」(異形コレクション:光文社文庫:→【amazon】:→【bk1】)を読んでいる。まずは倉阪鬼一郎氏「影踏み遊び」を読み終えた。これはなかなか力の入った重い話でございました。妻子を亡くした俳人の話なんだが、紡ぎ出す言葉を無くした彼が、再び確かな一句を得るシーンが印象的だ。やはり、その句の短い言葉の裏にあるものが見えないと、裏にあるものが理解しにくいというのはあるからなあ。17文字だけで全てを伝えるのが理想なんだろうけど。

続いて野尻抱介氏「局所流星群」を読み終えた。うーん、よくわからん。私の頭が悪いせいだろうか。でも、やっぱりこの作品中の記述からでは答えは導き出せないように思うのだ。謎解きだと思って読んでいたら何の解答もなくそのまま投げ出されたような感じ。科学的な言葉を連ねて結局はオカルトだった、というような印象しか残らない。一見科学的に見えるだけに始末が悪い。私以外の人もこれを読んで面白いと感じるとは思えないんだがなあ。思い出せば前に載っていた月に祈るものも同じようなわけのわからん話だったな。後で宇宙消失を読んでひょっとしてこのネタかなと思ったんだが、それだったらさらに始末が悪い。その作品だけ読んでも理解できないものなんて、書いちゃいけないと思うんだがなあ。読者を買いかぶっているのか馬鹿にしているのか。

最後に菊地秀行氏「空かずの間。これは面白かったっすね。このホテルを買収した巨大コンツェルンを率いる老人。泊まった人間が例外なく悲惨な最期を迎えるという空かずの間に泊まるためだという。彼の望みは…なかなか大きな話でございました。



6月26日(木)
今日は通勤中に「Kiroroのうた1」(Kiroro:→【amazon】)を聴いている。ああー、やっぱりKiroroはいい。王道を歩んでいるので安心して聴いていられる。まったく迷いのないところがいいですね。真っすぐ歩く、というのは、これはこれで難しいことなんである。ただ、後半はちょっと失速気味かな。

そして引き続き通勤中に「夏のグランドホテル」(異形コレクション:光文社文庫:→【amazon】:→【bk1】)を読んでいる。最初は牧野修氏「めいどの仕事」である。巧いなあ。オープニングからして巧い。ふだんからよっぽど細かく人間を観察してないとこういう表現は出てこないと思うんだな。とか思いながら読んでいると、いきなり牧野節炸裂である。いやいや、すごいすごい。

「あの二人」がついに出会ったっ! 今週のバガボンドである。なんだか、廃墟を行くモスラの前にゴジラが現れたようなような雰囲気ですな(こらこら)。そして、ブラックジャックによろしくも凄い。医療現場というのは極限状態が現れる場ではあるのだが、それでもそれをこれだけビビッドな形で描き出してくれるというのは、並々ならぬ実力というべきであろう。

今夜も21時前まで仕事。職場を出たときには20時50分。明日は京都に行かねばならないので本屋に行けるかどうかわからない。ジュンク堂に急ぐ。着いたときには21時ジャスト。ダメかなとも思ったがまだ店内に客がいるので駆け込む。そしてようやく「第六大陸 1」(小川一水:ハヤカワ文庫 JA:→【amazon】:→【bk1】)をゲット。ああよかった。けっきょく私が最後の客だった。店員は「ありがとうございます」とは言っても「またいらっしゃいませ」とは言わない。まあ、時間外の労働をさせてるわけだからな。でも、この本はその次に行った旭屋書店にもあったのだった。

今日の毎日の朝刊一面は『ヤミ金融:「脅迫電報配達は違法」債務者がNTT西を提訴へ』というものであった。馬鹿じゃねえの。「脅迫的な文言であることを知りながら、電報を受け付けて配達するのは違法だ」って、どんな内容であろうと配達するのが仕事ってものでしょう。それに、その判断は誰がどうやってやるの? 配達者が内容によって配達方法を変えることを一つでも認めると、何でもできることになっちゃいますですよ。それに「違法」って、法律のどこに書いてあるんでしょう? 「文言を知っている」ということが前提なら「信書の秘密」を犯してるから憲法に反しているでしょう。「検閲」ってのは憲法違反だったはずなんだが。こういうことを弁護士が言っているということが恐ろしい。そりゃ取り立て受けてる人にはお気の毒としか言いようがないが、そもそも安易に金を借りたのがイカンのだし、取り立てが脅迫じみているなら別の方法で対処すべきでしょう。まったく何を考えてるんだか。

3次元データを生成するシステムと立体映像を表示する装置が組むというのは、当たり前のことなんだがワクワクするものがありますなあ。



6月27日(金)
今日は朝から京都で打ち合わせ。おかげで6時半に起きねばならない。目が覚めたとき、明るかったので「寝過ごしたか!」と思ったのだが、ちょうど6時半前であった。

今日は長距離を移動するということで、長編のプレシャス・ライアー菅浩江:カッパ・ノベルス:→【amazon】:→【bk1】)を読んでいる。どうも読み始めて主人公の考え方に違和感を持ったのだが、読み進めていくとその主人公のひねくれた物の見方が「アリス」によって逆に茶化されるのが楽しい。私だって読み始めて「えっ、さんって、こういう考え方をするの?」って思ったくらいだからな。主人公と作者の考え方は違っていてもいいはずなんだが、その当たり前のことにも気づかなかった。それだけ語り口が巧いということである。そして痛快だ痛快だと思いながら読んでいたら今度は……やっぱり巧いなあ。

主人公が偉ぶっているが実は何も分かってないというのも、その匙加減が絶妙である。かなり深くまで考えていないと、こういうわけにはいかない。やはり小説を描くには、読者よりははるか高みにいないといけないんだよなあ。「この人はわかってない」と思われたらその時点で終わりである。難しいことではあるが。

ユビキタスの未来像も、いまの最先端の人々が考えているイメージを自分のものにしていると思う。そしてその限界も。報道などでどういう研究がなされているかは知っていても、こうやって具体的に描かれることによって「なるほど、こういうふうになるんだろうなあ」と思わせてくれるのである。

そして、創造とは何か、オリジナリティとは何かというテーマが浮かび上がってくる。さらに後半では、現実とは何かという問いかけが突き付けられる。仮想現実を描いた作品ではお決まりのテーマだが、それをこれだけリアルに有無を言わせぬ迫力で突き付けてくるというのは、やはり作者の実力であろう。その技術が実用化されたときのイメージを確かに破綻なく想像できて、それをリアルに描き出す能力。

しかし、「スタックする」という言葉の使い方に違和感を感じるんだよな。私らはこの言葉を「ファースト・イン・ラスト・アウトの記憶領域にデータを保存しておく」という意味に使っていたんだが、最近はネガティブな意味で使われるんだろうか。たしかにSL-C700で英語の辞書を引いてみると「渋滞する」という意味もあるみたいなんだが、あんまり聞かないんだよな。まあ、私のような薄々が知らないような濃ゆいところで使われてるんだろうけど…とか思って家に帰ってからインターネットで調べたら、この場合の「スタック」は世間では動詞としては使わないようですな。失礼しました。



6月28日(土) 
眠い眠い。明るくなってかなり経ってるはずなんだが眠い。息子が起こしに来た。母親が昼寝に入るので代わりに私を起こしに来たようだ。今日も私が息子を耳鼻科に連れて行くことになっているので、起きなければならないか。

起きてみると11時過ぎである。こんな時間まで寝ても眠い。困ったものである。昨日のパンが放置されていたのでそれを食い、昼過ぎになって息子を医者に連れて行く。彼は補助輪を外した自分の自転車で行きたいようだったが、雨が降っているし大きな道路を通るので私の自転車に乗せて行く。

息子は医者に左の小鼻を指されて「キミ、ここ、触りすぎ」と言われている。頭や額は痒くてよく掻きむしっているのはよく見るけど、左の小鼻は触っているようには見えないんだけどな。けっきょく、とりあえずは問題はないが、プールに入るのでイビキをかいたり鼻が詰まったりするようなら診せに行くようにとのことであった。

息子はイカ焼きを食いたいと言っているらしい。カミさんによると駅の近くに店があるということなので、帰りに買ってくることになっているようなのである。それで駅の方に行ってみるが、イカ焼きを売っている店が見つからないのだ。駅の周りを2周くらいしたが、それらしき店は見つからない。家に電話するが、カミさんは寝ているので出てくるわけがない。けっきょく、カミさんが起きてから場所を訊いてまた来ることにしようと言って帰るのである。

家に着くと息子は腹が減ったと言いはじめる。母ちゃんが起きてくるまでラーメンでも食っておくかと訊くと「えー、ぼく、いかやき、たべたいなー」と応える。それだったら我慢しろ、と言って放っておくとまた腹が減ったとグズグズ言いはじめる。仕方がないので私が自分のカップうどんにお湯を注いで出来上がるのを待っていると、予想どおり彼は小鉢を出してきてその横に置くのであった。「どうするんや」と訊くと「ちょうだい」と言う。まあ、そのために作ったようなもんなんだけどね。

息子は私の膝の上に乗ってきて私のパソコンでゲームをやり始める。それだと私が使えないので、FIVAを出してきて彼に使わせる。しばらくすると彼は「パワーズオブテン」をやりたいと言いはじめた。彼はいま太陽系の惑星がマイブームなのである。そのソフトはこのマシンには入ってないなあ。入れるにはネットワークに繋がなきゃいけないか。LANカードを挿して先日買ってきたケーブルを繋ぎ、ネットワークを新しい家の設定に変更するのである。

夕方になってカミさんが寝室から「あー、よく寝た」と言いながら下りてきた。車で買い物に行くので、ついでにイカ焼きも買ってきてくれるそうである。息子はゲーム中だったのだが、イカ焼きを買いに行くと言われて急いで出ていくのであった。

息子は覚えた知識を他人に披露したくてたまらないようである。母親と以下のような会話をしている。
「ちいさいほしのなかでなー、ちきゅーがいちばんおおきいねん」
「なんやそれは?」
「すいせいとー、きんせいとー、ちきゅーとー、かせいとー、めいおーせーのなかで、いちばんおおきいねん」
父親が地球型惑星を「小さい星」と言って説明しているのだが、そりゃ他の人にはわかりませんわな。うーん…

MAXFACTORマスカラのTVCMどう見てもつける前の方が美しいと思うのだが、他の人は使用後の方がよく見えるんだろうか。個人的にはああいうCMは逆効果だと思うんだけど、私の美的感覚がおかしいんでしょうかねえ。



6月29日(日) 
昨日の夜に息子が「あした、ぷらねたりうむとか、みれるとこ、いきたい」と言ったので、今日も息子を連れて大阪市立科学館に行くことにする。「今日はオムニマックスやプラネタリウムは見いひんぞ」と言い含めて家を出る。展示物を観るだけだったら400円で済むからな。

息子は駅まで自分の自転車に乗ってついてくる。先週には補助輪なしで運転できなかったのに、振り返るともう一丁前の顔をして走っている。なんだか感慨深いなあ。それでも細い路地を走るので、前や後ろから自動車がやってきたりすると非常に心配である。自動車の前に倒れ込むことも無いとは言えないからな。

今日も北新地駅で降りてから「BALANCE POWER」(ハマダコンフェクト)を買って息子に食べさせながら歩く。彼は通い慣れた道程でかなり慣れてきたようだ。どれくらい歩けば着くかがわかっていれば疲労度も違うだろう。

大阪市立科学館では、今週も展示場を2周する。息子はもう一度廻りたいようだったが、閉館時間が迫っていたので断念させる。日射しが強いので帰りはビルの影になるルートを通ったら、彼は「なんで、ちがうみち、とおるの?」と不審そうである。歩いていると前を大きなネズミが横切った。彼はそれを見て帰ったら母ちゃんに教えてあげるとか言っているが、そういうことを教えてもあんまり喜ばないと思うんだがなあ。

今日も帰りはジュンク堂に寄る。もう彼は読んだことのない本でも自分でひらがなを読んでいけるようになっている。楽になったものである。読み間違えているのを訂正するだけでいい。ひらがなばかりだから、かえって大人でも間違いやすいのだ。

そして、今日もラーメンを食べに行く。Webで調べてみると第二ビル地下の「楼蘭」という店の評判が良かったのだが、今日は閉店していた。オフィス街なので日曜日は閉まっている店が多い。そこで、少し逆戻りして「薩摩っ子」という店に入る。出がけにカミさんに「晩ご飯の用意はしないからね」と言われてきたので、ご飯付きの定職を頼む。例によって大盛りを頼んで息子と分けるのである。

「ニンニクは入れますか? ちょっと入れた方が美味しいですよ」と言われたので「はい」と応えたのだが、出てきたラーメンを見て驚いた。ナマのニンニクの欠片がゴロゴロ浮いている。おいっ、どこが「ちょっと」じゃ! と思わずツッコんでしまうのである。しかし、大盛りというのはすごい量だ。息子はご飯にキムチが付いてきたのでゴキゲンである。おい、ラーメンも食べろよ。

まずはスープをすすってみる。旨いっ…と一瞬は思ったのだが、すぐに塩辛さが口の中いっぱいに広がる。これは味付けを間違えたんじゃないかと思うくらいである。これは私にはとても耐えられない。麺を食べてるだけでもご飯が要るくらいである。チャーシューはトロトロ。これも最初は旨いのだが、大量に入っているのでそのうちにイヤになってくる。息子は平気で食べてるんだけどねえ。彼は支払いのときにオモチャの自動車をもらってポイントアップのようである。でも私はちょっと…

帰りに近鉄に乗っていると、2階建て車両ばかりを連ねた列車とすれ違った。それを見て息子は「『らく』や!」と叫ぶ。今週も見ることができたか。今までほとんど見たことがなかったのになあ。そう思って考えてみると、どうも大阪線に乗っているせいではないかと思い当たった。名古屋や伊勢志摩方面に行くには大阪線を通らないといけないからな。それに休日の夕方で、大阪に帰ってくるところに遭遇しているというのもあるのだろう。

家に帰ると、私と息子がニンニク臭いと言ってカミさんに激烈に嫌がられる。ううむ、明日は仕事なんだが、大丈夫なんだろうか。



6月30日(月) 
朝から下痢である。どうも、歳を取ったせいかニンニクを食うと腹を壊すようだ。以前も空きっ腹にニンニク料理を食うと胃が痛くなったりしていたのだが。ちょっと私の体質にはキツすぎるみたいだな。カミさんが、トイレがニンニク臭いとぶーぶー言っている。すみませんねえ。でも、一緒に暮らすというのはそういうことなのだよ。

今日は通勤中に「初恋〜浅き夢みし」(村下孝蔵:→【amazon】)を聴いている。この方のアルバムを聴くのは初めてなのだが、シングル曲はなかなかいい感じだ。惜しい人を亡くしたものである。

そして、通勤中にプレシャス・ライアー菅浩江:カッパ・ノベルス:→【amazon】:→【bk1】)を読み終えた。いや、面白かったです。パソコン雑誌に連載されていただけあって、ガジェットとして出てくる技術は現在最先端の研究として報道されているものをすべてぶち込んだという感じなのだが、それでもここまでリアリティ豊かに描けるというのはすごい。量子コンピュータまで出てくるのには驚いた。量子コンピュータの原理については私もよく理解できてないのだが、それを小説で描いてしまうなんてねえ。そして何よりも話の内容がすごい。深い話だとは思っていたが、ここまでいきますか。やはりSFを描く人は、ここまで深く考えないといけないんですねえ。

カミさんに臭い臭いと言われているので、身体の中からニンニクの成分を排出しなければならない。職場に出てから1時間でポカリスエットの480ml缶を2本飲み干す。思わぬ出費である。それに、1リットルの水分を入れ替えるというのは、体力的にもかなり負担のような気がする。若い頃にはそういうこと、考えたこともなかったのだが。そして、午後にはアミノサプリの2リットルボトルを買い込んできて飲んでいる。1リットルとそれほど値段は変わらないからな。これを買うくらいだったら午前中のポカリは要らんかったなあ、と思ってしまうのである。しかしそれも仕事をしている間に飲み終えてしまった。我ながらよく飲んだものである。

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