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7月1日(火) 
今日は朝から京都で打ち合わせのため、早起き。打合せが終わったらマシン室に行って作業用に置いていたパソコンを持って大阪に帰ろうと思っていたのだが、客先から依頼された作業を手伝ったりしていたらまたトラブルが起きたりして、けっきょく夜まで京都にいたのであった。

今日は通勤中に「Riding with the King」(Eric Clapton & B.B. King:→【amazon】)を聴いている。今日も長時間移動するので評価に時間がかかりそうなのを選んできたのだが…すぐに評価が出てしまった(苦笑)。私ゃ、ブルースはよくわからんのである。

そして読む本も長編をということで「パワー・オフ」(井上夢人:集英社文庫:→【amazon】:→【bk1】)を持って出て読み始めている。この人の作品は読んだことがないはずなんだが、ジュンク堂で私の評価が高いSF系の作品ばかりが並べられている棚があって、そこに並んでいた作品なのである。そこに並んでいて既読の作品の評価を平均すると5点満点で4点近かったんじゃないだろうか。この棚は私と趣味の近い人が選んで並べているに違いない…ということで、買ってきて読んでいるのである。インターネットでもそういうサイトが見つかればいいのだが、なかなかそういうわけにもいかない。やはり私の趣味が特殊なんだろうな。

読み始めてみると、期待に違わず面白い作品である。読んでいてぜんぜん眠くならない。それどころかバスでの移動中にもやめられずに読んでいるくらいだ。そろそろインターネットが一般に知られだした時代の作品だが、これだったら今でもじゅうぶん面白く読める。「コンピュータウイルスが原因で少年がドリルで手に穴を開けられるのが発端」だというのを読んで、ホラーとかトンデモ系の話なのかと思っていたのだが、まったくそういうことはない。コンピュータが進化すればこういうこともありうる、という話である。論理的に無理がない、とワタクシ的には思える。これはSFでしょう。



7月2日(水) 
今日は通勤中に「RISE 1」(岡本真夜:→【amazon】)を聴いている。この人のアルバムを聴くのは初めてである。「いい曲を書く人だな」という認識はあったのだが、聴いてみるとやはり予想通りの内容であった。個人的にはヴォーカルに力強さが足りないのが少し物足りないのだが、そういうところがいいという人がいるのは理解できる。しかしこのメロディは心地いい。聴けば聴くほど良くなってくる。ああ、音楽っていい。そう思わせてくれる。こういう思いは久しぶりだ。これは才能としかいいようがないんだな。教えてできるもんじゃないし、努力して身につくものなら誰でもヒットを飛ばせることになっちゃうからね。

引き続き「パワー・オフ」(井上夢人:集英社文庫:→【amazon】:→【bk1】)を読んでいる。この作品を読み出してから、家に帰るときには少し遠回りにはなるが確実に座れるルートを選ぶようになっている。それくらい面白い、ということだ。そして、ここには書けないが、この衝撃。後から考えれば予想できたことだが、まったく思いつかなかった。このあたりも巧い。

伏線の張り方が巧い、ということなんだな。関係なく進んでいた話がどんどん繋がってくる。それぞれの話も不自然さがなくて独立したドラマとしてどんどん面白く読ませてくれる。それが意外な形で組み合わさって、予想外の方向に転がってゆく。こういう話を読むのは快感である。

コンピュータの仕組みもちゃんと理解しているというのが伝わってくるから安心して読める。技術的に時代背景が多少古いような気はするが、そういうのは問題じゃない。設定した条件の範囲内でどれだけ矛盾なく驚くべき物語を紡ぎ出してくれるかが重要なのである。 アイデアをもとに物語を創りあげるのが巧いというか。アイデアをそのまま投げ出して終わり、のような人もいるが、やはり私はドラマとしても読ませてほしいのである。

しかし、こんないい音楽を聴きながらいい小説を読めるなんて、今日はシアワセな日であった。

米図書館のウェブ検閲が低所得者層を圧迫するという記事が。たしかに人種差別に関して調べようとしていてそれが「無かったこと」にされてたら困るよなあ。ウチも子供が自力でWebの中を歩き回るようになったらどうするかは悩ましい問題である。

家に帰ってシャワーを浴びて夕食を食べ、パソコンをいじる。カミさんが寝てしまうと、猛烈に眠くなってきた。ぼんやりした頭で懸命に横になれる場所を探す。平らな場所は…あった。隣の部屋の畳の上である。食卓の下から重たい身体を引っ張り出し、必死で目的地まで引きずってゆくのである。



7月3日(木)
今日、出勤途中に「パワー・オフ」(井上夢人:集英社文庫:→【amazon】:→【bk1】)を読み終えた。ここ2日間書いてきたように、これは傑作である。こういう言葉は安易に使いたくないが、まぎれもなくそうなんだから仕方がない。クリスタルサイレンス」が読むに堪えなかったので私はもう電脳モノが楽しめない身体になってしまったのかと不安だったのだが、プレシャス・ライアーパワー・オフ」と2冊続けて面白い電脳小説に出会えた。やはり相性の問題だったか。次にこの人の本を読むのは、何がいいかなあ。

往きに「パワー・オフ」を読み終えたが、次に読む本を持ってきてない。帰りにSL-C700小松左京氏「失格者」 を読み終えた。あんまりピンとこなかったな。やっぱり戦争とか貧困とかを体験してないとこの世界は理解できないような気がする。

ううむ、韓国ではゲーム開発者であれば兵役が免除されるのか。日本ではこういう文化は虐げられてるからなあ。フランスや中国にもちゃんとした教育機関があるらしいのに。好きだから劣悪な条件でもやっている、という国ではもうダメなんじゃ…

アメリカじゃ軌道エレベータの建設計画が具体的に動き出しているのか。カーボンナノチューブの大量生産の目処はついているらしいからなあ。何だかんだと言いながらも、この前向きさは偉いもんではある。



7月4日(金) 
今日は通勤中に「Second to None」(CHEMISTRY:→【amazon】)を聴いている。しかし「My Gift to You」以外はほとんど記憶に残っていない。売れたのかもしれないが、歴史に残る作品ではないように思えてしまう。最近はこういうのが多いような気がするなあ。というか、売れたからといって良いものだとは限らないのは昔から同じなんだな。私がひねくれてるだけなのかもしれないが。

今日は仕事が行き詰まってしまったので、夜になって参考にできる書籍を探すため本屋に調査に出る。その途中でヨドバシに寄って、USB2.0接続の120ギガバイト外付けハードディスクをもう1台買ってきた。もう容量が足りなくなってしまったのである。これを接続すれば、ファイルサーバにしているノートの容量は320ギガバイトということになる(重いOSが2つ入っているので全部使えるわけじゃないが)。最初に買ったパソコンが93年の9月だからほぼ10年前で、そいつにはハードディスクなんてついてなかった。RAMカード8メガバイトに全部入れてたんだよな。それを考えると、10年で4万倍か…恐ろしいものである。

今日からまた「夏のグランドホテル」(異形コレクション:光文社文庫:→【amazon】:→【bk1】)を読んでいる。帰りに加門七海氏「金ラベル」を読み終えた。そんなに好みの話じゃないと思いながら読んでいたのだが…この降る星のイメージは美しい。

続いて最後の井上雅彦氏「モザイク――夏のチェックアウト」を読み終えたのだが、うーん、まとめて締めたいのはわかるのだけどねえ……まあそれでも、アンソロジー全体としては面白かったですね。ふつうの短編集よりも手間はかかっているだろうが、その価値がある趣向である。描く方もやり甲斐があったんじゃないかな。そうでなきゃ、こういう競作形式のアンソロジーには書けないでしょう。

今夜、家に帰ってキーを鍵穴に突っ込む。そして回すが…反応がない。鍵がかかってないじゃないか。どうしたんだ。まさか外国人窃盗団や強盗に入られたんじゃないだろうな。階段下から階上を窺うと…寝息が聞こえる。それなら大丈夫だろう。ということで背広を脱ぎ、パソコンの電源を入れる。いつもなら丑三つ時前になるとカミさんが起きてきて夕食を作ってくれるのだが、今夜は遅いようである。そのうちにまた猛烈に眠くなってきた。パソコンを使っていて何度も気を失う。もう耐えられない。隣の部屋の畳の上に倒れ込んで…



7月5日(土) 
カミさんが洗濯物を干しに来たので目が覚めた。ベランダには寝室の窓から出入りしなければならないのである。カーテンを開けられると…眩しいっっ! カミさんは寝ててもいいと言ったようだが、目が覚めてしまったな。時計を見るともう11時である。それでもまだまだ眠いんだが。たしか昨夜は1階の客間で倒れているのを起きてきたカミさんに見つかって寝室に追い立てられたような記憶がある。寝る前に歯を磨いてないので口の中が気持ち悪い。そろそろ気をつけないと10年後には使える歯が残ってないということになりかねないな。

居間に下りてゆくと妻子はタイタニックを観ていた。先日テレビで演っていたのを録画したものらしい。カミさんは自分でナレーションや解説を入れながら観る癖があって、映画とか一緒に観てるとツラいこともあるんだが、質問したい盛りの息子相手ならそれもいいんだろう。でも息子がそういうものだと思ってネタバラしで嫌がられるようになったら不憫だなあ。

今日も私が息子を耳鼻科の医者に連れて行く。雨が上がったので息子も自分の自転車に乗って行く。今日は医者に「良うなってるん、わかる?」と訊かれて彼が頷いて終わりである。親への説明は何もなし。まあ、良くなってるんならそれでいいんだが。

息子は診察を待っている頃から腹が減ったと言っている。カミさんが「具多(GooTa)」というカップラーメンが旨いと言って買ってきているらしいので帰ってそれを食おうと言うとその気になったようである。彼も楽しみにしているようなのだ。家に帰ってさっそく作って食べる。3種類買ってきていたのだが、どれもこれも辛い。辛くしないとインパクトがないのかなあ。辛い方向に行かないと満足できないってのは、日本人の味覚は末期的じゃないの…と思ってしまったのであった。食べ終わってからしばらくすると、こんどは猛烈にノドが渇いてきた。塩分も相当多かったようである。

今日も息子は「最新こどもおもしろ学習館」(主婦と生活社:→【amazon】:→【bk1】)を読みながらいろいろと質問をしてくる。猿人と原人と新人がどう違うかと訊かれても困ってしまうんですけど。「何で星に一生があるの?」とかも訊いてくる。そういう、すでにそうなっているモノに対して理由を訊かれるのも困るなあ。そりゃいつまでも輝いていられないからだよ。

今日はカミさんがしんどいというので私が息子を風呂に入れる。彼の興味は惑星から衛星に移ってきているようである。「すいせいときんせいが0こ、ちきゅーとめいおうせいが1こ、かせいが2こ」と数はもう覚えているようである。まあ、大惑星の衛星の数はあってないようなものだから覚えなくてもいいぞ。衛星の名前も教えてやるとフォボスとダイモスくらいは覚えたようだが、木星の4大衛星は覚えきれないようだ。でもなあ、これからの世の中を生きていくうえで、ガリレオ衛星とタイタンくらいは必須の知識だぞ。ちゃんと覚えるように。

しかし、湯船の中で息子と宇宙の話ができるようになるとは…生きていて良かったと思うひとときである。まあ、私も小学校に入るか入らないかの頃は子供用の百科事典で宇宙の巻をよく読んでたからな。このあたりは遺伝だろう。そのころ私はそれに載ってた潮汐説を信じていたのである。だって、ダイナミックでカッコいいじゃないですか。まあ今だったら他の星の重力で太陽から惑星の材料が引きずり出されたとしてもすぐに拡散してしまうだろうから固まるのは無理だと思うんだけどね。

湯船の中で向かい合って座っていると、私のイチモツが浮力で浮き上がっているのを息子が向こう側から見て言う。
「とーちゃんのちんちん、おぼうさんみたいやな」
「そうかな。頭丸いしな」
「このくろいの(陰毛)、いしょうみたいやしな」
なるほど、そう言われれば向こうから見るとそう見えるかもしれないな。これを読んでいる女性の方、彼氏(またはダンナ)のモノを見たときにこれを想起して思い出し笑いをして気まずくなっても当方は責任を取れませんのであしからず…てなことを書けば、クスッとしてしまう人もいるかもしれないと思うので書くのである(こら)。

今日も寝る前に息子に私の白髪を向かせる。50分近くかけて10本抜いた。その間私も何もできないし、そんな時間があったら息子にも勉強に役立つことをさせろという方もいらっしゃるかもしれませんが、一見無駄に見えるようなことでも意味があると思うのである。手先の訓練になるし集中力もつく。1本3円なので掛け算の概念も教えられるだろう。自分の力で金を稼ぐということも教えられるしな。



7月6日(日) 
昨夜、息子は7月になったのでプラネタリウムやオムニマックスの出し物が変わっているに違いないから見に行きたいと言っていた。インターネットで調べてみると、今の演目は8月末まで変わらないらしい。だったら、今日は行かないことになるのかな。とか思っていたら電話がかかってきた。息子が出る。彼の祖母からのようである。今日の予定を訊かれているようだ。彼は今日の予定はすでに決まっていると言っている。どこに行くか訊かれたようで「いちりつかがくかん」と応えている。だから祖母とは遊びに行かないということになったようだ。

月が変わっても新しい催し物にはならないようだと言うと息子は「そんな〜!」と声を上げる。何だか芝居がかった反応だな。そういうことで、彼は祖母に公園へ遊びに連れて行ってもらうことになる。日曜日がフリーになるのは久しぶりのような気がするな。

フリーとはいってもやるべきことは山ほどある。今日は息子が外に出ている間に車の運転の練習をすることにする。自慢ではないが、私は運転免許を取ってからほぼ四半世紀の間まったく運転をしたことがないのである。しかしカミさんの調子が悪くなったときに深夜でも産婦人科に駆け込めるように、次の子供ができたら運転の練習をするという約束だったのである。仕事がドツボだったとか引っ越しがあったとかで延び延びになっていたのだが。

そういうことで、まず前回の運転免許書の更新時にもらってきた冊子でオートマティック車の操作方法を勉強する。私が免許を取った頃にはまだオートマ車が一般的ではなかったので、私は教習所でマニュアル車しか触ったことがないのである。起動時にはブレーキを踏んだ状態でギアチェンジしてからブレーキを解除するのか。べつにクラッチを外さなくてもいいわけなのね。ふむふむ。とにかく困ったときにはブレーキを踏めばいいわけか。とりあえず、理屈は理解できたつもりなので、続いて実践に入る。

カミさんに隣に乗ってもらって、家の近くをゆっくり一周する。久しく自分で運転する乗り物というと自転車くらいしか乗ったことがなかったので、ウィンカーを出すという感覚が無くなっている。とりあえず何とかどこにもぶつからずに1周できたので、もう1周することにする。ゆっくり走っていると対向車がやってきた。ウチの周りは交通量は少ないのだが道が狭いので、すれ違うのが大変なのである。避けようとして左に寄ると、ガリッと音が…げげげ、小学校の柵に接触したようである。うう、ぶつかっちまったか。

ウチに戻って家の前の駐車場に車を入れる練習をする。家の前の道が狭いし、まだどういう軌道で入れるのが最適なのかわかっていないので何度も切り返しをしないといけない。隣家の奥さんが顔を出してこちらを見ている。うるさいですか、すみませんねえ。新聞の販売員が来たのでカミさんは彼と話し始めた。一人で切り返しをしていてバックしていたら、販売員の人が声を上げた…と思ったら後ろから衝撃が。門柱にぶつかったようである。今日の接触事故は2回なのであった。

しかし疲れた。右足をずっとブレーキの上で待機させていたので足首の筋肉が痛い。もっと力を抜いて運転できるようにならないとな。カミさんは腹が張ったとか言っている。そりゃ緊張するでしょうねえ。二人して休みながらパソコンをいじっていたら息子が帰ってきた。公園から他の子を2人連れてきたそうである。我が家で遊ぼうということになったらしい。隣の部屋で遊び始める。父親は家の奥でどっしりとしていた方がいいだろう。息子は自分の家だからこの場を仕切ろうとしているみたいなんだが、なかなかそういうわけにはいかないようである。

今夜は外食ということになる。カミさんの希望で今日は回転寿司屋。息子は腹が減っていたようで、自分で皿を取ってどんどん食べ始める。こういうのは初めてのような気がするな。食べ終えた頃に息子が、ウンチが出ると言いだした。ん、ひょっとして、ここは和式しかなかったんじゃないか。一緒にトイレに行って個室に入ってみると、やはり和式であった。それだったら、和式トイレでの用の足し方を教えておくか。こういうことを教えておくのも親の勤めである。口の中に残っている寿司には悪いんだが。

息子を抱き上げて便器の上に立たせ、穿いているものを下ろしてしゃがませる。彼はどう体勢を安定させればいいかわからないので、両側の壁に手をついて支えようとする。いやいや、ちゃんと脚だけで身体を支えないといけないんだよ。とかやっていると、溜まっていたのかすぐに立派なヤツが出た。長時間しゃがんでいるのは無理だろうから、すぐに出て良かったと思うのである。こうやって、彼は6歳にして生まれて初めて和式のトイレで用を足すという経験をしたのであった。



7月7日(月) 
今日の天気予報は曇りである。家を出るときには雨がパラついていたのだが、予報が曇りなら…ということで傘を持たずに家を出る。しかし、歩いているうちに雨粒が大きく多くなってきた。いまさら家には戻れないので、鞄から折り畳み傘を出して差す。いつも鞄に傘を入れて持ち歩いているくせに、それを使うのは面倒臭いヒトなんである、私は。

今日は通勤中に「Legacy: The Greatest Hits Collection」(Boyz II Men:→【amazon】)を聴いている。最初の方はワンダフルな作品ばかりだと思っていたのだが、後半まではレベルが維持できなかったようだ。どうも外国のアーチストは「ぜんぶが好き」と無条件に言える人が少ないような気がする。文化が違うせいなんだろうか。

今日から通勤中に「地球になった男」(小松左京:新潮文庫 1971)を読んでいる。疲れているせいか、読んで後悔する可能性がある本を読む気力がないのである。ヤバいかもしれない。とりあえず、すでに感想を書いている作品は飛ばして、まずは「コップ一杯の戦争」を読み終えた。イラク戦争が始まったというニュースに特に何の関心も払わなかった身としては、感慨深いものがありますなあ。人類の命運なんてその程度のもんや、という、筆者の突き放した視線がいっそ清々しい(おいおい)。まあ逆に、小松SFを長年読んできた読者としては、この短い話の裏にあるもの、この翌日からの大混乱を想像するという楽しみもあるわけだが。

今日は大阪で仕事のはずだったのだが、データに異常が発見されて昼から急遽京都に行くことになってしまった。仕事場のビルを出ると、カンカンの晴天である。暑い。気づかないうちに日なたに出てしまったのかと思って空を見上げると、太陽は見えないのである。空全体が熱いのだ。日陰にいても、太陽の見えない空から熱が降ってくるのを感じる。恐るべき熱である。しかし、京都に着いて電車を降りてみると、雨が降っていた。いったいどうなっているのだ。

阪急の特急に乗るのなら長時間座っていられるはずなので、移動途中でS-Fマガジンを買う。長時間座っていられるなら、大きな本でも読める。私はS-Fマガジンはほとんど買ったことがないのだが、グレッグ・イーガン氏と小川一水氏の短編と冬樹蛉の記事が載っていて800円台であれば買いでしょう。秋山瑞人氏の作品が載ったときにも買おうかと思ったのだが、値段が高価すぎて断念したのだ。それを除くと今まで買ったのは創刊500号記念特大号だけなんだよな。しかし、秋山瑞人氏といい小川一水氏といい、ハヤカワの外で育った作家が書いていないと買う気がしないというのは、ちょっと哀しいものがあるなあ。しかも昨年は秋山瑞人氏が1作書いただけで「SFマガジン読者賞」を獲ってるし。

そういうことで、まずはグレッグ・イーガン氏「決断者」を読み終えた。この作品も、ある小道具を補助線として自己というものを内省する話なのである。自分の脳内におけるニューロンの発火パターンを観察できる道具を手に入れた男。彼は自らの行為を決定するにあたっての意志の根本を辿ろうとするが…。キリスト教的…というより決定論的な人にはショッキングなのかもしれないが、私のような人間には当たり前の結末だよなあ。

今日はカミさんの体調が悪いため外で飯を食ってくるように言われていたのだが、早く家に着いた方がいいだろうということで家の近くで24時間営業しているスーパーで総菜類を買って帰ることにする。夜遅くなっているので総菜類が半額になっている。400円程度で弁当に総菜を2品追加できる。ラッキーである。そこで、買い置きの発泡酒が切れかけているのを思い出した。今日は暑いので、飲まないと食い物がノドを通らないような気がする。安い発泡酒を探してみる。いちばん安いのはマグナムドライである。これはどこでも安く売っているんだが、「ドライ」と名付けられているのは辛口がウリだろうからあんまり買いたくないんだよな。スーパードライなんか、辛いだけで味がないから好きじゃないんである。そういう好みが世間一般とずれているのは認識しているのだが。

そのうちに、酒類コーナーの隅っこに350ml缶が100円未満で売っている製品があるのを見つけた。「バーゲンブロー」という、ダイエーのプライベートブランドらしい。私ゃブランドにはこだわらないから、これで充分である。家に帰って飲んでみると、かなりマイルドな味である(家に持って帰る過程で温度が上がっていたせいもあるかもしれない)。ドライビールを好む刺激追求型の人には物足りないかもしれないが、私のようなまったりと生きたい人間にはこれも好ましい。しばらくはこれを飲むことになるか。けっきょく、弁当と総菜2品と発泡酒6缶で1100円ちょっと。まあ、いい買い物であった。

息子は母親の実家に泊まっているそうである。本人も望んで行ったそうだから、たまにはこういうのもいいんだろう。

2台目のハードディスクをファイルサーバに繋いだのだが、今夜そこに大量のファイルをコピーしてたらフリーズしてしまった。サーバがこんなに不安定だったらやってられないよなあ。安くても新しいマシンを買うかなあ(なんでそっちの方向に考えが行く?)…などと思いながら電源を切って再度起動する。そうすると、あの悪夢が…「関数ドライバが〜」というメッセージが表示されて前に繋いでいたドライブを認識しなくなっている(号泣)。再起動して繋ぎ直しても認識しない。仕方がないので、またまたドライバをアンインストールして最初からやり直す。もう泣きそうである。閉め切った部屋で発熱量の多いマシンに向かい合っていると暑い暑い。カミさんの体調が悪いため起こしてはいけないので部屋は開けられないし出入りも控えているのである。



7月8日(火) 
カミさんの体調が悪く、症状が悪化したら即入院だと言われたらしいので、今日は出勤を遅らせて洗濯物を干したり彼女の昼食の用意をしたりしてから家を出る。食事の準備といっても冷凍食品をオーブンに入れてスイッチを入れただけなんだが。

今日は通勤中に「LOVE BEAT BEST COLLECTION〜ドラマティック・レイン」(稲垣潤一:→【amazon】)を聴いている。前にも書いたがこの人のヴォーカルスタイルはそれほど好みではないはずなんだけど、なぜかいいんだよな。このアルバムの収録作も、どの曲もそれなりに聴かせてくれる。みんなシングル曲で耳に馴染んでいるせいもあるんだろうけど。でも、これだけ聴いたことがある曲が並んでいるということ自体、すごいことだと思うのである。

今日も引き続き「地球になった男」(小松左京:新潮文庫 1971)を読んでいる。今日はまず「御先祖様万歳」を読み終えた。これはバラしてもいいと思うが、この作品はタイムトンネルものである。それによって100年むかしと繋がってしまった村のてんやわんやが面白おかしく描かれている。オチとかは今となってはありふれたネタだが、この作品が今でも読むに値するのはアイデアなどにあるのではなくて、やはり物語としての面白さと、突拍子もないことが起きたときに現われる現象がいかに深い思索の上に組み立てられているか、だな。

続いて「オルガ」を読み終えた。オープニングがイヤラシイ。このお相手の「少女」をいかに魅力的に描くかが作家としての腕の見せ所だな。肉体が機械化されたときに性の営みはどうなるか…それをこういう話にしてしまいますか。でも、この未来人の感性はなんとなく納得できる。しかし、これは「深い」なあ。小松左京先生はセックスを描いても一筋縄ではいかない。まあ、性というのは俗っぽく描かれるものだからこそ、これだけひねってあるんだろうけど。ひねるにしても、未来のセックスの姿をこれだけ良さげに描いているから後の展開が生きるんだな。

このところ続いているトラブルの原因がわかった(と思われる)ので、それに対応するための改造の指示をして報告資料を作っていたら23時を過ぎてしまった。明日はそれを客先に報告に行くそうで、そのための打合せを京都で朝9時からやるという。そうなると明日は6時過ぎに起きなきゃいけないんだよなあ。

家に帰るとカミさんは眠っていた。症状が悪化すると即入院だと言われているらしいので、今週は安静にしているのである。息子は今夜も祖母の家に泊まっているようである。0時過ぎに家に帰って、飯を食ってシャワーを浴びてパソコンをいじっていたりしたら、気がつくと4時である。うがー、2時間しか眠れないじゃないか。カミさんに起こしてもらうわけにはいかないので、携帯電話のアラームをセットして寝るのである。



7月9日(水)
目が覚めたら7時半過ぎである。ぎゃー、今日は朝一番から京都で打合せだからもう電車に乗ってないといけない時刻じゃないか。携帯電話のアラームをセットして枕元に置いていたはずなんだが、よく見るとマナーモードになっている。ううむ、だったら音は出なかったような気がするな。カミさんは今朝も洗った洗濯物を干してくれないかと言っているが、今朝は無理ですぅ。すみませーん、ということで食事もせずに家を飛び出すのである。

京都から帰ってくる阪急の特急では補助席に座ったのだが、向かいの補助席には毛髪を金々に染めたねーちゃん二人組が座っていた。その化粧がスゴい。目の周りを真っ黒に塗りつぶしているだけでもげろげろっと思うのだが、さらにその周囲を白く縁取りしている。なんかもう、カップヌードルのCMに出てくる宇宙人みたいな容貌になっている。宇宙人ならまだ可愛いんだが、怠惰な生活がうかがえるあの締まりのない身体の上にあの顔がついてるとなあ…

今日も通勤中に「地球になった男」(小松左京:新潮文庫 1971)を読んでいる。まず「兇暴な口」を読み終えたが…ショッキングといえばこれほどショッキングな話もないだろう。今でもこれほど衝撃的な作品はそんなにないんじゃないか。この恐るべき発想と筆力がなければこのような驚愕すべき作品は生み出しえない。そういう意味では、これこそ海外に紹介すべき作品なのではないだろうか。でも、こういうのを読ませると、また日本人に対する偏見をエスカレートさせそうだな。しかし、ラストまで一部の隙もない。まことに恐るべき作品である。

続いて「」を読み終えた。がーっ、怖い話だ。こんなに短いのに、なんでこんなに恐ろしいんだろう。



7月10日(木)
今日は朝から京都で打合せなので、早く家を出ないといけない。息子は、昨日学校で育てている彼のアサガオに蕾がついていたので見に行こうと言っている。私の出勤時にカミさんとお義母さんまで呼んできて、4人で彼の小学校まで見に行くのである。学校に向かっている途中で、携帯電話を持ってきていないのに気がついた。着替えているときに急かされたので忘れたんだな。鞄をお義母さんに持ってもらって忘れ物を取りに帰るのである。すみませんねえ。鞄を返してもらうときに「重たいねえ。自分よりも重たいのとちがう?」と言われてしまう。いやー、そういうことはないと思うんですけど。

息子のアサガオはちゃんと咲いていた。彼は大喜びである。他の子の鉢はだいぶ前から咲いてたりしたからねえ。彼は一日中アサガオが咲いたと言っていたそうである。

今日は通勤中に「BEST OF」(Eric Clapton:→【amazon】)を聴いている。思っていたよりも地味なのに驚く。まあアンプラグドなんかもそうだったけど、こっちの路線の方が評価が高かったりするんだよな。「Layla」や「She's Waiting」が好きな私としては、ロックでロールしてる方が好みなんだが。

そして本の方は、引き続き「地球になった男」(小松左京:新潮文庫 1971)を読んでいる。まず「昔の女」を読みはじめる。こういう、ブンガクの香り高い作品をさらりと書いてしまうところが恐ろしい。なんでこういう鮮烈な文章が書けるんだろう。この作品を最初に読んだ10代半ばにはこの凄さがわからずに、この不思議でしっとりした濡れ場の場面しか記憶に残っていなかったりするのである。ここで描かれている情事の描写(「ファックシーン」ではないんだな、絶対に!)には学生の頃には「お世話になった」よなあ。この作品で「意馬心猿」なんて言葉を覚えたんだな。しかしそれでもこのオープニングの風景描写は印象に残っているような気がする。このイメージの喚起力!

今日は朝から京都で打合せ。そして夕方から障害対応した結果を検証するために負荷テストを行うので、マシン室に移動して待機である。そして負荷テストが始まると、今度はまた別の障害が発生してしまった。それでまた帰れなくなる。けっきょく、夜中の24時までマシン室にいたのだった。京都で泊まるかという話もあったのだが、3人のホテル代よりは大阪までタクシーで帰る方が安いだろうということで、タクシーを拾って帰るのである。

家に帰ってパソコンをいじっていると、またファイルサーバがフリーズしてしまった。ううむ、不安定だなあ。そして再起動してみると…また1個目のUSB2.0ハードディスクが認識されなくなっている。うがー、ガッデーム! これじゃまた復旧するのに数十分かかってしまうじゃないか。こんなに時間を浪費しなきゃいけないくらいだったら、また新しいマシンを買った方が…(苦笑)

新書館ウィングス文庫 狼谷辰之 
 対なる  【Amazon】
【bk1】
ISBN4-403-54021-X ¥620+税 



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