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▲6月1日(日)▼ →
今朝は9時過ぎに目が覚めてしまった。疲れているのに早く目が覚めてしまうというのは、いよいよ老人になってきたのか。ざっとWebを巡回してまたすぐに寝るつもりだったのだが、けっきょく昼前に妻子が起きてくるまで起きていたのであった。
「教育実習でセクハラの悩み」という記事が。まあ、教育実習生というのは絶対的な弱者だから、充分そういうことはあり得るでしょうなあ。だからちゃんとそれを防止する仕組みがないといけないのだが、そういうことにはなってないんだだろうな。私が教育実習に行っていたときには、放課後にグラウンドで陸上部の女の子が走ってるのを理科室の窓から「美しいなあ」とボーッと眺めてたから、逆にセクハラしてたようなもんだが。ただ、一緒に教育実習に来ていた中に凄い美人がいて(そういうことは滅多に思わない私が美人だと思うんだから大したもんである)、彼女が授業をしているのは隣の校舎から見てもわかるくらいだったのである。なんせ、生徒の机が教室の前半分に集まってしまうのである。あれも今ならセクハラになるんだろうなあ。
今日も息子は祖母の家に行って帰ってこない。カミさんは昼寝に入ってしまう。そして今日も息子がお小遣いを渡せとやってくる。彼は祖母から財布をもらったようだ。昨日の釣銭が残っているだろうということで今日は100円を渡すと、「えぇ〜っ、100えん〜?」と不満の声を上げるのであった。もともとは100円の予定だったんだから我慢しろ。
夕方になって今日も家の前でボールを投げて打たせる。このあたりは昨日と変わりばえのしない日常である。彼のボールの投げ方だが、転がったボールを拾って私に投げ渡すときには普通に投げるのである。しかし、改まって投球しようとするとヘンテコなフォームになってしまうのだ。どうも、考えすぎるとダメになるみたいである。キミ、きっと本番に弱いタイプだな。
今夜も息子は父親と寝るというので一緒に寝室に入って絵本を読んでやる。読み終えて電灯の明かりを落とすと、彼は私の上に乗っかってきて何だかんだと喋りかけてくる。じっくりと彼の話を聞く機会があまりないので、学校のこととか学童保育のこととか、いろいろと話を聞き出す。なかなか眠らない。それでもずっと話を聞いていたら、私の腕に頭を乗せたまま眠ってしまったようだ。これだけくっついて眠ってくれるのは何年ぶりだろうか。
▲6月2日(月)▼ →
SLシリーズザウルス用データベースがまたまたまたまた延期。今度は3ヶ月も遅らせるんですか。まあ、β版をダウンロードさせてくれるらしいから、それで充分かな。でも、使えるのは8月末日までか。使いにくかったらCSVファイルに出力して…と思ったら、さすがに出力機能はつけてないようである。
仕事を終え、職場から駅に向かって歩いていると、構内からアナウンスの声が聞こえてきた。放出駅で人身事故があったそうである。ほんとにJRは人身事故が多いな。監視体制にでも問題があるんじゃないかい。しかし、列車が発車できる状況になったとか言っている。それで、そのままエスカレーターを下りてゆく。ちょうど列車が出て行くところであった。次の電車もすぐに来た。いつもより遅いせいか空いているので座ることができた。しかし、車内放送では前の列車がつかえているようなことを言っている。駅構内の放送と内容が違うような気がするぞ。地下鉄でも同じようなことがあったし、情報が別のルートで伝わっているからタイムラグがあるんだろうか。案の定、列車はすぐに走りだした。途中の駅で足止めされることもなく運行してゆく。ちょうどいいタイミングで乗ったんだな…と思っていたのだが、乗り換え駅の直前で停まってしまった。次の駅で電車が停まっているらしい。しばらく動かない。駅じゃないから下りて別の路線に乗り換えるわけにもいかない。これだったら走ってでも前の電車に乗るんだったか。まあ、座れてるし本を読んでりゃいいんだからいいんだけどね。
その間に「クリスタルサイレンス 下」(藤崎慎吾:ソノラマ文庫:→【amazon】:→【bk1】)を読み終えた。うーん、SF的ガジェットが山盛りなんだが、逆にそのせいで焦点が絞り込めてないような気がする。読んでいてワクワクしないんだよな。「虚無回廊」なんかだと、あれだけアイデアをぶち込んでてもあんなに心がときめくのに。
▲6月3日(火)▼ →
今朝も居間のパソコンの前で死んでいた。寒くて目を覚ます。2階の寝室まで上がる力がないので、隣の客間で布団を被って寝る。起きると背中が痛い。風邪か筋肉痛か。
今日は通勤中に「青春歌年鑑 1973」(→【amazon】)の1枚目を聴いている。ここしばらく録音技術の進化はそれほど進んでいないような気がしているのだが、さすがにこの頃は録音が古く感じるな。でもこの方が一つ一つの音がよく聞こえていいという気がしないでもない。逆に言うと、ここ20年くらいは発表時期によって技術的な差は感じられないので、音楽の内容だけの勝負になるんだろう。最近の音楽をあまり良いと思わないのは、そういう理由もあるのかもしれない。まあ、年寄りの戯言だが。
このアルバムの曲がずっと耳元で流れていると、あの頃のラジオを聴いているような気分になる。しかしいくら懐かしいといっても「赤い風船」を自分のマシンのハードディスクに保存するのは私の美意識が許さないのであった(苦笑)。
上巻に引き続いて「クリスタルサイレンス 下」(藤崎慎吾:ソノラマ文庫:→【amazon】:→【bk1】)を読み始めているのだが、やはりネットワーク上の存在を擬人化するのは無理がある。いや、擬人化するのはかまわないのだが、それが我々が住んでいるような町中を歩いてたりアクセサリーをつけたりするのがワタクシ的には違和感ありまくりなのである。しかも追跡を逃れようとしているんだから、こんなにオーバーヘッドが大きくてかつ証拠が残りやすいレイヤーで動き回ることはないだろう。このあたり、気にならない作品もあるから、やっぱりセンスとか相性とかいう問題か。
そのあたりの違和感の原因をつらつらと考えてみるに、どうもこれが人間ではないものが電脳世界で活動している描写であるからだと思い当たった。やはり街があったり扉を開けたりというインターフェースは人間に対するインターフェースのはずなのですね。それをこの世界で育った存在が緊急時に使っているのはおかしいだろうと思うのだ。「電脳世界というのはこのように描写するものだ」という前例に従って、それほど深く考えずに描いているようにしか見えない。そういうのは、私の思うSFから最も遠い創作態度だと思うのですね。
頭頂部が妙に痒いと思っていたら、白髪が大量に発生していた。私の父が「痒いところに白髪がある」と言っていたのだが、その理論は少なくとも私の家系では正しかったということになるか。カミさんに抜いていただく。このまま一気にロマンスグレーに移行すればいいんだけどなあ。
▲6月4日(水)▼ →
今日は通勤中に「青春歌年鑑 1973」(→【amazon】)の2枚目を聴いている。たしかに懐かしいのだが、自分のPCのハードディスクに保存しておこうと思うほどの曲はそれほどない。やはり1971年は特別な年だったんだろうか。
サインによる認証について「書いた署名そのものより、書くときの動作によって個人の認証を行っている」というのは目ウロコでしたな。
▲6月5日(木)▼
今日は昼一番からシステムの改造項目打合せを行うので昼前から京都に移動。帰りにジュンク堂に寄って「示談交渉人M」(佐藤秀峰:バンブーコミックス:→【amazon】:→【bk1】)を買う。へえ、この人こんなところで書いてたんだ。そして職場から家に帰る電車の中で読んでしまう。これも熱い。しかし私にはこの世界は理解できない。要約もできない。ただ、「どこが『示談交渉人』なんだ?」とは思いましたな。描いてる途中でテーマが変わっちゃったんじゃないかという気が。でも胎教には悪そうだ。カミさんには読ませないようにしよう。
今日は移動中に「青春歌年鑑 1979」(→【amazon】)を聴いている。それほど印象に残る曲はないが、この頃になるとニューミュージック系の曲が多いので聴ける曲は多い。
エグい、エグすぎるぞMicrosoft。「Windowsを使ってIEを普及させた同社だが、今後はIEを使ってWindowsのアップグレードを促そうとしている」という。汚いやり方はまったく変わってない。「これまでのOSはIE 6 SP1を加えることで限界まで達した」って、よくそんなことをヌケヌケと言えるもんだな。
▲6月6日(金)▼ →
今日は通勤中に「青春歌年鑑 1974」(→【amazon】)を聴いている。なんだか「歌謡曲」系の曲ばかりですな。それでもフィンガー5のアキラ君(じゃなくて晃くん)のボーイソプラノは今でも十分通用する…って、このあたりはそれほど進歩してないからな。しかし、2枚目6曲目の「逃避行」(麻生よう子)は上手い。ぜんぜん聴いたことがなかったんだが、それでも一声聴いただけで上手いのがわかる。これだけ実力があってしかもこのアルバムに入るほど売れてたのに知らなかったなんてなあ。そしてそれ以降は妙にいい感じになってきた。今の時代からみると、このあっけらかんとした力強さが羨ましいような気さえする。これは、来週も続けて聴くことになりそうだな。
松井選手もメジャーではなかなか苦労してるようです。それを考えると、1年目にあれだけの成績をコンスタントに残したイチローという選手がいかに高度な能力を持っていたかが今さらながらにわかりますな。口先だけで言いたい放題言ってた連中は、ちょっとは反省してほしいものです。
引き続き通勤中に「クリスタルサイレンス 下」(藤崎慎吾:ソノラマ文庫:→【amazon】:→【bk1】)を読んでいるのだが、やっぱりネットワーク内の描写に納得できない。我々のネットワーク上の存在が、何億年も前から存在するネットワークに転送されて、そこでアパターとして存在できるのも、どうにも気に入らない。そんなもの、情報のサンプリング方式からデータのエンコード方法から通信のプロトコルから何から何まで違うのに、何の苦労もなく変換できるわけないじゃないか。それが向こうの世界に行ってから物の見え方が違うとか言ってるんだから笑止千万。アナログな世界の認識方法なら何の問題もないことだが、デジタルな情報というのはそんなに簡単じゃないんだぜ。「魔法の力で別の世界に行きました」だったらいいかもしれないけど、これはSFなんだよねえ? しかし前世紀から日記を書いてきて、これだけイチャモンをつけた作品も初めてなんじゃないだろうか。問題外だったら「私には面白くない」の一言で終わりのはずなんで、逆にこれだけ引っかかるというのはある意味スゴいのかもしれない。
今夜は発注元の営業が客先に拉致されて改造項目の調整をしていたので、その対応で22時まで会社にいる。家に帰ると23時。しかし玄関に入ると、家の中から子供の声がするような気がした。すぐに息子が廊下に飛び出してきて「おかえりー」と言う。まだ起きてたのか。最近は21時頃には寝てるんじゃなかったのか。まあ、明日は学童保育は休むらしいからいいのかもしれないんだけどね。
居間に入ると、テレビでは「マトリックス」を放映していた。息子はこれを観るのは初めてだそうだ。番組が終わると彼は手足を目まぐるしく動かして格闘シーンを演じている。母親に対して、自分を撃つ真似をしろと言う。何のことだろうと思ったら、身体を反らせて避けるポーズをする。はははは。なんだかずいぶんハマったようだねえ。
▲6月7日(土)▼ →
ガガガガガガ…という騒音で目が覚めた。隣の家で工事をしているようだ。我が家の柵について抗議されたときに向こうでも塀を作ると言っていたから、その工事なのかな。妻子はすでに起きている。眠ろうとしたが、うるさくて寝ていられないので起きる。私たちが起きるとすぐに工事の音は聞こえなくなった。前回の仕返しかい?(やめなさい)
息子は学童保育に行かずに家で過ごすことになっている。彼は今日も「最新こどもおもしろ学習館」(主婦と生活社:→【amazon】:→【bk1】)を読んでいる。そしてまたいろいろと訊いてくるのである。
「『あぽろ』って、何?」
「ギリシャの神さんのことや」(註:アポロはローマ神話での名で、ギリシャではアポロン)
「えー、宇宙船のことやで〜」
「神さんの名前を宇宙船につけたんや」
「なんで?」
「カッコええからやろ」
こういう会話を強いられるのである。
息子は学校でパソコンの授業を受けたそうである。小学1年生からパソコンに触らせるんですか。ちゃんとパソコン教室があるそうだ。今の学校はそうなのね。まだ1時間しかやってないのに、いろいろなゲームをしたとか言っている。まずは30人全員にパソコンの操作法から教えるだけでも1時間くらいかかってしまうんじゃないかと思うんだが、もうそんなにいろいろやっているのか。他の大人や息子にいろいろ教えた経験からすると、マウスの使い方を覚えるだけでも大変だと思うんだけどね。今の世の中でも小学1年生の1クラス全員がパソコンの使い方を知ってるとは思えないんだけどな。
お義母さんが息子を夏休みに5泊の合宿に行かせたいということで、夕方から妻子はお義母さんと説明会に出かけている。彼らは外で食事をしてくるということだったので私はカレーを食うように言われていたのだが、どうにもこうにも腹の具合が悪い。下痢である。何度もトイレに駆け込む。ふつうだったら出すものを出してしまえば腹痛は治まるのだが、今回は4〜5回は便器の上で呻吟した。けっきょく夕食は食えないのであった。
▲6月8日(日)▼ →
隣で寝ていた息子がゴロゴロと転がり始める。時計を見ると10時である。そのうちに私の上に乗っかってくる。私の顎のヒゲをザリザリと触る。しばらくするとオシッコをしに行くといって寝室を出て行った。戻ってきたがまたすぐに寝室を出て行く。起きるみたいだな。私も起きなきゃいけないか。
洗面所に下りて顔を洗っているとカミさんからご下命があった。洗濯機を回しておけとの仰せである。はいはい。そのうちに息子が空腹を訴えだしたので、彼にはカミさんが昨日買ってきたドーナツを食わせ、私はトーストを焼いて食べる。カミさんは起きてこない。どうせ昼過ぎまで起きてこないだろうから、洗濯物を干す。こんなにいい天気なのに、洗濯物を干さないのは勿体ないからな。
私がパソコンをいじっていると、息子は私の膝の上に乗ってきて、彼のためのリンクページを表示するように言う。しばらくはそれでインターネットさせるのである。やっぱりこういうときだけのためでも、彼のパソコンを用意しておく必要があるか。するとLANのケーブルがもう1本要るなあ。
今日は息子を外に連れて行った方がいいよな。最近彼は「最新こどもおもしろ学習館」(主婦と生活社:→【amazon】:→【bk1】)という図鑑を読んだりして科学的知識に興味を持っているようなので、職場近くにある大阪市立科学館に行こうかと言ってみる。そろそろ意識して「科学的なもの」に触れさせておくべき時期だろう。しかし、ホームページで調べてみると「観覧券発売は16時まで」ということであった。カミさんはまだ起きてこないし、起きてから家を出たんじゃほとんど遊べないなあ。
しかし彼はパソコンを使い終えると「『おおさかなんとか』、行きたい」と言ってくる。もう遅いから公園にでも行かないかと言うのだが、どうしても行きたいという。すでに14時だから、すぐに家を出ても15時過ぎちゃうぞ。しかし、起きてきたカミさんも連れて行った方がいいというので行くことにするのである。
自転車に息子を乗せて駅まで行き、近鉄とJRを乗り継いで行く。JRの駅でポスターにオーシャンアローが載っていたので「これ何や?」と訊くが、「何やったっけ?」とか言っている。忘れてしまったようである。電車についての知識はかなり抜け落ちてしまっているらしい。以前は我が家でいちばん詳しかったんだけどねえ。
鶴橋までで前回買ってやった息子の乗車プリペイドカードの残額がちょうど無くなった。JRの自動販売機で子供用のJスルーカードを買おうとしたら、子供用のボタンを押しても反応しないのである。駅員に訊くと、子供用は無いということであった。プリペイドカードを使うのなら、大人用を買って自動販売機で子供用の切符に引き替えろと言う。ええー、それだったら自動改札を直接通れないからメリットが無いじゃないか。まったくJRは融通が利かないのである。
北新地から大阪市立科学館まで歩く。ちょっと長く歩かねばならない。案の定、息子は途中で「まだぁー?」とか言いだした。日差しも強いし、かなり体力を消耗しているようである。JRからだとちょっと不便だよな。地下鉄の肥後橋駅からでもけっこう遠いのだが。
塀に貼ってある時間割を見ると、プラネタリウムはもう終わっている。16時からのオムニマックスというのなら間に合いそうだ。今は「T−Rex〜よみがえる白亜紀〜」というのを演っているらしい。息子に「恐竜のやつ演ってるらしいで。観たいか?」と訊くと「観たい」と応える。そうだろうね。受付に着いたときには15時を過ぎている。「オムニマックスが16時からなので、今からだと観覧は30分しかできませんけど」と言われる。息子は展示物も「観たい」と言っているので観覧券も買う。まあ、小学生は無料で大人は400円だからな。
展示場に入ると、彼はまず太陽系の惑星の大きさを示してある展示物を見つけて駆けてゆく。もう形を見ればどの惑星か判るようである。冥王星から指さしていって「土星、木星…」ときて「小惑星は?」と訊かれる。いや、小惑星は小さくて惑星とは見なされてないのだよ。そういう意味では冥王星も惑星かどうか議論があるところなんだが。「何で冥王星、小さいの?」と訊かれる。それは材料が少なかったからだと言われてるんだよ。「ふーん、冥王星のあたりは少なくて、木星のあたりは多くて、水星のあたりはまた少なかったんやね」と言っている。まあ、私の知識では、おおむねそういう理解でよろしいでしょう。親の知識が間違ってると、子供は不幸なことになるな。その間違いを見つけていくのが成長というものなんだろう…と自分を納得させるのである。
息子は、力や電気に関するもので自分で動かしてみる展示物などはハンドルを回したりして大喜びである。自分のアクションが展示物に影響を与えてその結果を見て楽しむというのではなく、自分が動かせるだけで楽しいということなんだが。まだ彼にはそこまでの理解力はない。
かなり急いで廻ったのだが、半分も観ないうちにオムニマックスの開演時刻前になってしまった。急いでエスカレーターを下りる。けっこう空席はあったが、観やすい席はすでに占有されている。上映が始まり、最初の数分を観て思い出した。これは、観たことがある。あれはアイマックスシアターで観たんだった。いま調べてみると、ちょうど3年前か。こういうとき、日記をつけていると便利だな。息子も気づいたんじゃないかと横をうかがうと、どうも気づいていないようである。そして劇中で「だったらいつ? 21世紀?」という台詞が出てくるのが可笑しい。これを作った頃は、21世紀というのはかなり先のことだったんだな。
球面になっているスクリーンが滑らかな曲面でなく筋が入っているので、それが映像の後ろに透けて見えて臨場感が削がれる場合があった。こういうのは技術的な問題じゃないと思うんだけどな。そして何よりも、主人公が不細工すぎる。容姿とか才能にコンプレックスを抱いている女性だという設定はわかるんだが、それにピッタリの女優を主演させてそれをそのまま映像で表現されると辛い。非常にツラい。アメリカ的な美人というのもツラい場合があるのだが、アメリカ人が見てブスというのは日本人が見てもブスなのである。それも普通の映画じゃなくて視野全体に大写しされるわけだから、これは拷問に近い。こういうところでは観て楽しいものを映すのが技術の正しい使い方というものなのではないだろうか…とか書いてたら、前回も同じことを書いている。よっぽどイヤだったらしい(苦笑)。
息子は途中で私の腕にしがみついてくる。終わった直後に「怖かった」と言っていたので、かなり恐ろしかったようである。3年前に観てるはずなんだけどねえ。今あのときの日記を読んでたら、これが彼が観た最初の映画で、そのときも「こわかった」と言ってオシッコまで漏らしていたのか。まあ、今までの人生の半分の時期だから、彼にとってはすごい昔なのかもしれない。そういう意味では、「母胎内のことを覚えている子供」というのは眉唾だな。まあ、ウチの子の記憶力が劣っているのかもしれないが。
上映が終わると息子は「おなかすいた」と言う。だったら帰りますかな。私もこの24時間で口に入れたのは今朝のトーストだけなのでヘロヘロである。新地のラーメン屋の味を体験させてやろうかと思っていたのだが、どうもそれまで保ちそうにない。堂島地下街の安いうどん屋にもラーメンがあったはずだから、そこで食べるか。しかし、そこに入ってみるとラーメンは無いと言われてしまったのであった。堂島地下街やダイヤモンド地下街もほとんどの店が閉まっている。ビジネス街だからなあ。けっきょく、新地の中華そば屋で食べることになるのである。
入ったのは「きのや」という店だったのだが、大盛りを頼んで2人で分けて食べる。息子はそれほど食えないはずだから、2つ注文するよりも経済的だ。麺は細めだが、あまりスープと絡んでない。スープはかなり濃くしてあるんだけどね。しかし、チャーシューが旨かった。「醤油でじっくり長時間煮込んでいる」そうである。
中華そば屋を出てジュンク堂に向かう。しかし息子はなぜ駅と反対側に行くのかと訊いてくる。そのうちに「まっすぐ、かえりたい」と繰り返すようになってしまった。やはりかなり疲れているようである。何とか誤魔化しながら歩く。しかしジュンク堂に入って子供向け書籍売り場で絵本のギッシリ詰まった本棚を前にすると、彼はケロッとして本を選んでページをめくり始める。このあたりも「業」としか言いようがないなあ。ジュンク堂を出て堂島薬師堂の前を通ると、息子は水が流れているのを見て喜ぶ。やっぱりキミはこれが気に入ったようだね。
新地を歩いていると息子は曽根崎川跡碑を見つけてこれは何かと訊く。たしか、このあたりは「蜆川」という川が流れていたはずだから、その跡でないかい。そう言って読んでみると、やはりそうであった。間違ったことを教えなくてよかった。子育てというのは科学的知識も地理歴史的知識も要るものであるなあ。
近鉄に乗って途中の駅で通過待ちをしていると、息子がホームの方を指さして何か言っている。振り向いてみるとホームの反対側に「あおぞら2」が停まっていたのであった。彼は「貸切やで」と言っている。行き先表示にそう書いてあるのか。まあ、あれは貸切用の車両だからな。「近くで見るか?」と訊くと「うん!」と言うので電車から降りて見に行く。EXILIMを持ってきているので息子を立たせて写真撮影である。市立科学館ではバタバタして写真が撮れなかったのだが、思わぬところで役に立ったな。カメラを構えると、運転席の前に立っていた運転手さんが退いてくれる。ああ、すみませんねえ。
出発した駅に戻ってきた。駅の周囲に自転車を停めるところがなかったため駅近くのスーパーの駐輪場に停めていたので、そのスーパーに入ってみる。お買い得品があれば買えばいいだろう。ちょうど総菜が半額になったところであった。買いそうになったが、カミさんに電話をかけたときに夕食の用意はできているということだったので断腸の思いで耐える。息子がキムチを買いたいというので買って店を出るのである。駐輪場に行くと、よく太って毛がフカフカの猫がいた。人を恐れていない。首に飾りをつけているから飼い猫なんだろう。息子が歩いてゆくと、向こうから彼の方に近づいてくる。逆に彼の方がビビって後ずさりする。こら、怖がるな。頭をなでてみろ。大人しく身体をなでさせる。息子に身体を擦りつけてくる。よく人に馴れた猫ではあるねえ。
昨日今日と私が息子を寝かせる。寝る前に彼が読んでくれと持ってきた絵本は、古いが見たことのないものであった。新幹線の本だ。まだのぞみもない時代の、たぶん国鉄の頃の絵本である。それでも新幹線に関わる人々のことがけっこう丁寧に描いてある。どうしたのかと息子に訊くと、学校の図書室で借りてきたという。おう、もう入学2ヶ月目ですでに図書室を利用しているのか。がんばって図書室キングを目指すのだぞ。
▲6月9日(月)▼ →
今朝は5時半に目が覚めてしまう。息子は横で何も被らずに寝ているので毛布を掛けてやる。私は疲れているので眠るよう努力したのだが、眠れないので起きることにする。
疲れているのに朝早く目が覚めてしまうというのはいかがなものか。
朝食を食べるとドッと疲れが襲ってきたので、小一時間ほど居間の隣で横になる。息子が家を出たと思ったらすぐに玄関を開けて「ふたば、でてたー」と叫ぶ。アサガオの種をまいていたのが芽を出したようだ。それはよかったな…とか思いながらしばらく眠っていたようである。
起きてからサイトを更新してゴミを出していたら、乗るべき電車の発車時刻まで10分を切っていた。これは遅刻かな…と思ったのだが、必死で歩くと何とか間に合った。この距離を10分で移動可能なのか。しかし汗をかいたな。
先週に引き続き通勤中に「青春歌年鑑 1974」(→【amazon】)を聴いている。しかし、あいざき進也が歌ってるのを聴いて「すげえ受け声」と思ってしまうオレって…(涙)
今夜は21時前に仕事が終わったので、帰りにジュンク堂に寄って「ラブ・ゾンビ」(山崎さやか:九竜コミックス:→【amazon】:→【bk1】)を買う。山崎さやかさんは「NANASE」で評価急上昇なのと帯に「女の性と恋愛を描く」と書いてあったり、「見よ!!山崎さやかの神髄(コア)は短編(ココ)に有り! 庵野秀明」と書いてあったりしたせいなのである。でも、帰りの電車の中で読み終えたが、あんまり良くないか。しかし、各作品に出てくる女の子たちよりも、描いてるときのことをネタにしてるマンガに出てる作者の方を可愛いと思ってしまうオレって…やっぱり好みがヘンなんでしょうか?
そして「クリスタルサイレンス 下」(藤崎慎吾:ソノラマ文庫:→【amazon】:→【bk1】)を読み始めたが…ツラい。気になりだすと何もかもが嘘臭く思えてきて(いや、嘘なんだけど)読んでいられない。すみません、もうこれ以上読めません(誰に言ってる?)。ということで、この本は挫折する。ダメじゃ。
家に帰ったときには妻子は寝ていた。2階に上がると起こしてしまいそうなので先にシャワーを浴びる。そしてカミさんが起きてきて食事の用意をしている間に自分の部屋で前のZAURUS(MI-C1)からSL-C700へのデータベースの移行を行う。これも前の機種から全データを転送して必要な情報だけを受け取るようになっているようなので時間がかかる。転送状態にしたまま居間に下りて食事に入るのである。しかし、前のZAURUSで全データを転送する方法を忘れてしまっていてちょっと焦った。メニューから「光通信」を選択しても反応しないのである。「バックアップ/リストア」から「光」を選択すると何とか移行できたようだ。赤外線通信というのは便利だ。
▲6月10日(火)▼ →
今日は通勤中に「続・青春歌年鑑 1984」(→【amazon】)を聴いている。やはり「北ウイング」とか「悲しみがとまらない」とか、林哲司氏の曲は素晴らしい。この時期の歌謡曲の作曲家としてはダントツだな。実力的に頭2つ3つ以上抜けている感じだ。そして「愛・おぼえていますか」は懐かしいねえ。「マクロス」はレーザーディスクを買ってしまったくらい好きだったんだ。いや、オタクの方々的な「萌え」とかいうんじゃなくて、シナリオが良かったんだな。あのファーストコンタクトがセンス・オヴ・ワンダーだったのですよ。
今日から「サテライト・オペレーション」(小松左京:集英社文庫 1977)を読んでいる。ちょっと最近の未評価の作品を読むのに疲れたので、基本に帰って口直しである。あと「会合〜月の誕生〜」という作品がずっと記憶に残っていてそれがどの作品かわからなかったのだが、最近になって「小松左京コーパス」というのができているのを知って、それで検索してやっと作品名がわかったのである。作品名がわかれば「小松左京作品リスト」でどの本に入っているかは調べられる。そうすると、収録されているのはこの本だけだということだったので本棚から引っ張り出してきたのである。インターネットというのは本当に便利だ。まあ、最後に作品を引っ張り出してくるところはまだ手動でやらなきゃいけないんだけれど。しかし、この作品がこの本にしか入っていないというのは寂しいねえ。おぼろげな印象しか残っていないのだけれど。逆に20年以上経っても印象が残ってる方がすごいか。
まずは「女か怪物(ベム)か」を読み終えたが…いやー、やっぱりいいわ。アレとコレを組み合わせるのも凄ければ、説明されてみればそれなりに理屈が通っているように見えるのもすごい。それにこのオチも効いてますねえ。
今夜は19時に仕事を終え、20時過ぎに家に戻った。まだ息子は起きている。妻子は食事中であった。私も加わり、食べ終えた頃に息子の就寝時刻となる。彼が3人で寝たいというので、私も慌てて歯を磨いて寝室に上がってゆく。彼は母親に絵本を読んでもらったあと、私にも本を読めと言う。3人で寝ようと言ったのはそれが目的ですか。私が本を読み終えて電灯が消えると彼は母親の方に行こうとする。引き留めようとするが、嫌がる。そこで日曜日に大阪市立科学館に行ったときのこととかを話しかけると、私の腕に頭を乗せたまま喋ってくれるのであった。
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