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▲9月21日(日)▼ →
雨が続いているので洗濯物が大量に溜まっている。我が家のベランダは広い方なのだが、さすがにスペースが無くなってきたので乾きかけのものを浴室に入れてカワックで乾かすことにする。カワックというのは大阪ガスの温水浴室暖房乾燥機で、赤子ができると梅雨時に洗濯物が溜まるだろうということで新築時にビルトインタイプを組み込んでおいたのである。しかし、ぜんぜん乾いてない。。入れる前より湿っているようである。ううー、大阪ガスってダメダメじゃん。
▲9月22日(月)▼ →
すっかり秋である。吹く風がもう、肌寒い。この夏も無為に過ごしたなあ…とか思いながら駅に向かう。
今日は通勤中に「ふたり乗りの電車」(ふきのとう:→【amazon】)を聴いている。この人たちのアルバムを聴くのは初めて…じゃなかった。はるか昔に弟が買ったのを聴いたことがある。「Simple Song」はいい曲だった。しかしこのアルバムは、耳触りはいいが、それ以上のものは感じない。フォークデュオなのに思ったほどコーラスもそれほど使ってないし。このアルバムと同時期に「ワインの匂い」が出ていたことを考えると、逆にいかにオフコース(当時は「オフ・コース」か)が音楽的に突出していたかが思い知らされるのである。
引き続き通勤中に「あなたの人生の物語」(テッド・チャン:ハヤカワ文庫 SF:→【amazon】:→【bk1】)を読んでいる。今日は「ゼロで割る」(テッド・チャン/浅倉久志)を読み終えた。これは数学SFである。数学の無矛盾性は公理と同じく証明することはできない−−言われてみればなるほどと思うし、心の底ではそれは自明のことだと感じていた。しかし、それを思いついて作品としてまとめ上げるとなると話は別だ。こういう話、どういう終わり方をするんだろうと思いながら読んでいたのだが、けっきょくこうなりますか。
▲9月23日(祝)▼
娘は毛布とかを掛けられるのを非常に嫌がる。不満そうな声を出しているので見ると掛けられた布の下で必死に脚を動かしていたりする。それで掛けているものをどけてやると静かになったりするのである。いまはまだ寒くないからいいが、冬になるとどうなるか心配だな。
そういう意味では、娘はよく動く。1kg近く重い状態で生まれた息子はこれほど動かなかったと思うんだがなあ。息子は冬の生まれだったから重い布団を掛けられていたというのはあるかもしれないが、それを差し引いても娘は身体の動かし方が激しいような気がする。声もよく出す。特に不快なときは泣くよりも「んんーっ、んんーっ!」と怒っている。これも生後間もない頃から音波の発し方を練習しているようなところがあったのである。やっぱり二人目の方がパワフルだよな。生まれてすぐからこうなんだから、やはり一人目と二人目以降では母胎の状態が違うんだろうか。
▲9月24日(水)▼
朝から雨。傘を持っているので電車の中で本を読みづらい。辛い。楽しみは音楽くらい。今日は通勤中に「Your Song [LIMITED EDITION]」(オムニバス:→【amazon】)の2枚目を聴いている。やはり選曲のセンスがいいですな。
昨日から「あなたの人生の物語」(テッド・チャン:ハヤカワ文庫 SF:→【amazon】:→【bk1】)のタイトル作を読んでいる。今日も読み終わらなかった。いや難しい。難しいけど面白い。描いてあることを理解しようとしていたら、電車を乗り過ごしそうになってしまったくらいである。とくに女の子が生まれたときの描写とかあったりするので、娘が生まれた直後のいま読むとクるものがありますねえ。
復刊ドットコムとパピレスが組んだのか。なるほどね。Webの世界ではこういうことが簡単にできるからな。
家に帰り妻子が寝てから隣の居間でパソコンをいじっていると娘が泣き出したので、彼女を妻子が寝ている部屋から連れ出し、膝の上に乗せていると安心したような顔をして寝ている。どうもこの子は寂しがり屋のようだ。人の気配が感じられないと泣いたりするのである。まあ、乳児にとっては親に置いて行かれることは死を意味するから、親を求めるのは当たり前か。まだ目もちゃんと見えてないようなんだけどね。明るい暗い程度は区別できているみたいなんだけど。
▲9月25日(木)▼
今日も雨。目が覚めると8時前である。そろそろ起きるか…と思って階下に下りてゆくと、妻子が3人とも熟睡していた。うわ、そうか、息子は昨夜カミさんが寝かせてくれたのだが、起こして学校に送り出すのは私の役目だったか。息子を揺り起こす。トイレに行って顔を洗えと言ってるのにグズグズしている。こら、8時30分にはキミは学校に居なきゃいけないんだろう。
その間に朝食の用意をしなければならない。冷蔵庫の中にはすぐに食えるものはみつからない。仕方がないので一昨日のすき焼きの残りを電子レンジで暖め、ご飯にかけて卵を混ぜてまたチンする。猫の餌みたいだが、味はいいはずだ。
息子はチビチビダラダラと食っている。もう食べれないと言ったのは8時20分過ぎ。牛乳を飲ますと今からウンチをするという。それが終わって急いでパンツとズボンをはかせてランドセルを背負わせようとすると、入っているものの確認をするという。それで「せいかつ」の教科書が入ってないと騒ぐ。昨日のうちにチェックしてないのかよ。教科書を入れ替えて玄関に着いたときには8時27分。「ちゃいむなったら、どーしよう」とか言いながら靴を履いている。そう思うんだったら、もう少し急いだらよかったんだ。まあでも人間というのはヘプタポッドと違って未来が見えない動物だからなあ。まあ、見えててもどうにもならないんだが。
息子は帽子をかぶって傘を持つと、半泣きになりながら駆けてゆく。続いて家の外に出てみると、傘も差さずに走っている。おーい、傘くらい差せ…という言葉も届かないのであった。
今日は通勤中に「Your Song [LIMITED EDITION]」(オムニバス:→【amazon】)の3枚目を聴いている。やはり1枚目に比べると落ちるか。とくに後半はあまりインパクトのある曲がないな。
引き続き「あなたの人生の物語」(テッド・チャン:ハヤカワ文庫 SF:→【amazon】:→【bk1】)を読んでいる。3日がかりで「あなたの人生の物語」(テッド・チャン/公手成幸)を読み終えた。うう、なんでこういうヘンな話でこんなに感動できるんだろう。以下、この作品について語ること自体が激しくネタバレになってしまうので、文字の色を変えます。
1日目は「ふつうのファーストコンタクトSFだな」と思いながら読んでたんだ。ただ、挿入されている「娘に対する語りかけ」の「時制」がなんだか変だな、とは思ったんだが。あとから思えば、これが主人公の変容した観点による記述だったのだな。こうやって、後で「ああ!」と思わせる構成がまず巧い。
2日目には異星人の使っている言語が想像以上に難物だということがわかってきた。昨日も書いたが、理解しようとして電車を乗り過ごしそうになったくらいである。そして、その言語を習得する過程で主人公は(我々も含め)大きな認識の変容を迫られる。たしかに、新たな言語を習得するということはそれ自体で完結できる新たな思考回路を脳の上に構築するということだから異星人の思考様式に同化してゆくというのは何となく分かるような気がするが、それでもこれだけ異質だとねえ。
この異星人による「世界」の認識のしかたは我々人類とはまったく異なる。無理やり例えれば右脳と左脳のようなものであろうか。むろん、それとは比較にならないくらい違うのだが。我々が逐次的に世界を認識しているのだとすれば、彼らは世界が全体的なイメージとして(それも4次元の)見えているように感じた。そしてそのことにより、「決定論と自由意思」の問題に対しても、見事な一つの答えを示している。
さらに、夢を絡めるのがまた巧い。夢というのは自分でコントロールできそうに見えてぜんぜん思い通りにならないものだからな。
しかし、どうやったらこういう作品が描けるんだろう。この作品全体が四次元方向に広がった一枚の絵であり、それを一枚の絵として眺めていることが作品のテーマでもある。よっぽど長い時間をかけて練り上げているのかなあ。
仕事から帰ってくると、家の前に数人のオバサマ方が立ち話をしている。その中にお義母さんもいらっしゃった。「ややこが笑うた」とか言っているのが聞こえる。家に帰ってからカミさんに訊くと、孫娘をあやしたら笑ったというのでたいそうお喜びだったらしい。それを近所の方々に語っておられたのね。
▲9月26日(金)▼
今日も午前から京都で打合せ。電車の中でSL-C700を広げると、昨夜電源を切ったときの状態のままでフリーズしていた。電池ぶたロックを解除してリセットし、再度起動する。それでメモ帳を起動してアドレス帳を起動するとまたOSごと固まってしまった。これはどこか容量が足りなくなっているのではないかと思ってdfコマンドで記憶装置の使用状況を確認してみると、本体メモリーの残容量がパーセンテージで1桁になっている。何か消せるものはないかと調べてみると、前のZAURUSのメモ帳から移行したときのテキストデータが残っていた。このデータはMicrodriveにコピーしてそっちを使っているのである。
本体メモリーのメモデータは古くなっているから消そうとして、大変なことに気がついてしまった。Microdriveに入っているメインのテキストデータはすべて更新日付が同じなので前の機種から移行した日付に揃ってしまっているのかと思っていたのだが、本体メモリに入っている移行直後のデータを見ると更新日付がファイルごとに違うのだ。移行日付よりも前になっている。ううっ、データを新しい順に並べたりできるから、これはある意味重要な情報である。それがMicrodriveにコピーしたときに脱落してしまったらしい。Linuxの仕様ってそうだったっけ。うーん、でもMicrodriveに入っている情報が最新になっているしなあ。何とかWindows上で復旧する方法を考えなければ。
今日は「Your Song [LIMITED EDITION]」(オムニバス:→【amazon】)の4枚目を聴いている。いいのはいいのだが、だんだん平均点が落ちてきているような気がする。数十年の蓄積があるんだから、そう簡単にネタ切れになるわけがないと思うんだけどなあ。
引き続き「あなたの人生の物語」(テッド・チャン:ハヤカワ文庫 SF:→【amazon】:→【bk1】)を読んでいる。今日はまず「七十二文字」(テッド・チャン/嶋田洋一)を読み終えた。…これは驚いた。この短い作品のためにこれだけの世界を構築してしまうとは。寡作なのもうなずける。我々のものと異なる世界が隅々までキッチリと構築されている。思えば最初の「バビロンの塔」もそうだった。この世界で使われているテクノロジーはほとんどオカルトの世界なんだけど。それが近代の合理的思考のもとに整合性がとれた体系を構築している。舞台装置はファンタジーなのだが、できるだけ数少なく大きな嘘をついてそれ以外は愚直なほど論理的整合性を求めるのがSFだとするならば、これはワタクシ的には紛れもなくSFである。それも、世間に流通しているものよりもっと大きなレベルでの。「宇宙に行けばSF」だと思ってる人にはこういう話は描けないだろうなあ。
続いて「人類科学の進化」(テッド・チャン/古沢嘉通)を読み終えた。これは論文の形式を採ったショートショートである。超人類が出現して彼らにとって人類が取るに足らない存在になってしまったとき、科学は何を為すべきか…。これもクールな話でありました。
京都に往復するのでどんどん読める。続いて「地獄とは神の不在なり」(テッド・チャン/古沢嘉通)。この世界も我々の世界と一つだけ異なっている。それは、神の存在。しかし神が人々の前に姿を現すというわけはなく、この世界ではしばしば天使が降臨する。それを目撃したものには恩寵が与えられることもあるが、大規模な破壊がもたらされ、必ず何人かが傷つき死ぬ。何だが、エヴァンゲリオンの使徒みたいだな…と思ってしまったですよ。そう思ったのは私だけではあるまい。で、その世界で神への不信を抱いていた男が神を愛するようになる話なんだが…話としてはよくわかりません。
京都からの帰りにヨドバシに寄ってポイントでリストカメラの電池を買う。ついでにカミさんのクッキングタイマーの電池も買う。彼女に息子の運動会のためにビデオカメラを用意しろと言われているので、ここで買うことにする。私も結婚前はビデオカメラを8ミリばかり4台以上買ってたりしたのだが、高倍率のズームが付いている機種はここ10年くらい使ってないのである。定期的に駆動してないとメカも歪んでいるだろうし、そもそもバッテリーが死んでいるだろう。そういえば引っ越しするときにCCD-TR705を引っ張り出してみるとテープ挿入部の樹脂が溶けていたのである。さすがにソニー。10年も使うことは考えてないってか。とか思っていたのだが、写真がないかとWeb上で探してたら「このシリーズ特有の」問題らしい。なんだかなあ。
シャープのけっこういいキカイが49,800円だった。これだけの機能が付いて5万なら買いでしょう。そう思って店員に確認すると、アクセサリーキットは別売でそれがないと使えないという。うーむ、何たる悪どい商売だ…と思ったら「すでに同型機を持っている人のため」だという。まあ、そう言われればそうかもしれませんが…そういや、昔のソニーの8ミリカメラもそうだったよな。
仕方がないのでまたしばらく悩んでビクターの小さいDVカメラが59,800で売っていたのでそれを買うことにする。レジの前でさんざん並んで店員に品名を告げると「前のお客様で売り切れてしまいました」と言われてしまった。さらに「こういう小さいタイプはバッテリーがすぐに無くなるので予備のバッテリーを買ってたらけっきょく割高になってしまいますが」と言って別の製品を勧めようとする。そういう商売をするか、ヨドバシ! 閉店時間になってしまったので、けっきょく買わずに泣きながら帰ってくるのである。ソフマップにもロクな機種がない…というか高価い。仕方がない。明日の朝は早起きして日本橋に中古のカメラを買いに行こう。
独身時代は30万円クラスのカムコーダーを平気でバリバリ買っていたのに、5〜6万円の製品を買うのにこんなに悩んでいるというのは我ながら笑えるな。まあ最近はビデオカメラには興味が無くなっているので「これを買いたい!」というのがなくてトレンドも把握してないからどれを買っていいのかわからないし、自由になる金も減っているので価格が第一条件になってしまう。だいたい、ビデオカメラを使う機会というのはほとんど無いのでコストパフォーマンスが非常に悪いものだと考えるようになってきているのである。以前買ったヤツも、考えてみれば高価い金を払って買ったのに使ったのはほんの数回だぞ。「思い出は金には換えられない」というのはあるんだけどね。
そういう意味では、これを書いているいま考えると運動会の撮影なんてレンタルで充分なんだよな。私が最初にビデオカメラを使ったのは曾祖父の50回忌に出たときだったのだが、そのときはCCD-V90をレンタルしたんだな。あれは1988年だったから、15年前か。それでもあれはいい機械だった。Hi-8ではないから解像度はないが、画像が非常に安定していたのである。
▲9月27日(土)▼
今日は宮本春日さんのウエディングパーティである。それに出席するために木根尚子さんも大阪に来られるついでに初めて我が家に訪問されるので、迎えに行くようにカミさんに言われている。昨日ビデオカメラをヨドバシで買えなかったので早起きして日本橋に中古品を買いに行く。しかし、行ってみると中古品のモノがない。中古というのは「縁」だからなあ(なんか新品も「縁」という気がしてきたのだが)。さっき別の店で見たソニーのHi-8カメラにDV出力が付いていたからそれをヨドバシで買うしかないかなあ。それだったら溜まっている8ミリのテープをデジタル化する目的にも使えるし。そう思っていると連絡がつかなかった木根さんからPHSにメールが入っているのに気がついた。もう大阪に着くそうである。だったら別の店に行っている暇はない。カメラはパーティ会場に行く途中でヨドバシに寄って買うしかないか。
鶴橋駅で木根さんと合流し、新居(という時期でもないが)にご案内する。そしてまた木根さんと一緒にパーティ会場に向かう。彼女は他のヤオラーな方々と淀屋橋で待ち合わせしているということなので淀屋橋で別れ、私は梅田のヨドバシに向かう。
ヨドバシに着き、家電売り場のある3階に上がってトイレに行こうとしてたら後ろから呼び止められた。宮本春日さんのダンナである。もうすぐパーティが始まるだろうに、何で主役がまだこんなところにいるんだよ。訊くと、新婦は顔を作りに行って帰ってこないのだという。ふーん、でもよりによって何でこんなところで待ち合わせるかね。まあ、あそこは夫婦とも濃ゆいオタクだからな。
宮本春日さんがやって来られるのを待って挨拶し、ビデオカメラ売り場に向かう。昨夜ヨドバシで希望のカメラを買えずに帰って以降の半日間いろいろと考えたのだが、DVカメラは買うべきではないだろう。我が家のビデオシステムはVHSと8ミリの混在ということになっているので、これ以上フォーマットが増えるのは避けたい(いやベータもあるんだが)。Hi-8のムービーがいちばん安いというのもある。それに、DVというフォーマットに関しても、そろそろ次の段階が見え始めているからな。テープではなくメモリーカードに記録するという方向性が。それを考えるとD-Snapという選択肢もある。128MBのSDカードと一緒に買うと5万円程度。安いビデオカメラと値段は変わらない。画質を確認してみると、VHSの3倍モード程度の画質である。まあ別にこれでもいいんだが、ズームが2倍では運動会では使えないな。次の機種が出ることがアナウンスされてるしなあ。
買おうと思っていたソニーのHi-8のカメラにDV出力がついていないというのでまた悩む。まあ仕方がない。時間がないのでこれで妥協するしかないか。万単位の買い物で妥協などしたくはないのだけどね。しかしもうギリギリの時間なのに、なかなか店員がつかまらない。レジの前に並んでいたのだが、前の客の相手をしていた店員がどこかに行ってしまって帰ってこないのである。他のレジに並び直すのも何だしなあ。まあ、そのあたりの人件費を削って安くしているんだから仕方ないのだが。やっと歩いている店員をつかまえて購入したい製品を告げる。しかし彼は在庫置き場を探して、また売り切れだと言われてしまったのであった。もう次の機種を選んでいる時間はない。徒労感に襲われる。泣きながらパーティ会場に向かうのである。
梅田から肥後橋のパーティ会場まで早足で歩いて何とか開始時刻ギリギリに飛び込んだ。公式には私の同僚とカミさんの友人が結婚したということになっているので私は当然新郎側の席だと思っていたのだが、そこにはすでに私の座る席はない。その横の島は新婦側招待客の席なのだが、著名なSF作家の方々やSFレヴュアーの方や作家公認ファンサイトの管理人さんなどがいらっしゃって、とても私のような薄々の一般人は畏れ多くて近づけない。その横の新婦側友人の席にはカミさんの同人関係で知った顔がいくつか見えたのでそこに座ることにするのである。
パーティ自体は非常に楽しめるものであった。新郎新婦がオタクだということを前面に出して、それをネタに楽しもうという趣向ですな。オタクも市民権を得たものだ…というのとはちょっと違うか。まあこれで新郎の同僚も新婦の知り合いも、この二人がオタクの夫婦だということがわかっただろう。こういう会は新郎新婦の人となりがわかるのがいちばんだからな。
そしてクライマックスは新郎の会社で綿々と受け継がれてきた刑罰出し物である。新婚さんを電飾つきの台車に乗せて接吻させ、会場内を廻るというものである。新婦が「○○○の社員って、おかしい!!」と怒っているのが笑える。コンピュータ関係の会社は忙しくて結婚できない人が多いので、幸せな人間は何をされても文句は言えないんだな。
▲9月28日(日)▼
今日は息子の運動会である。けっきょくビデオカメラが買えなかったので、昨夜から我が家でいちばん新しいカムコーダーであるところのシンプルハイエイトに充電している。運動会に行ってみると…最近のビデオカメラは小さいなあ。こんな弁当箱みたいなカメラ(これでもグッドデザイン獲ってたのか)を持っているのは私くらいである。値段も数分の一になって誰でも買えるようになってるし、普及するというのはこういうことなんだな。
それで息子を撮ろうと思っていたのだが、集団になると息子がどこにいるのかわからない。けっきょく、開会式から退場してくるときと徒競走のときしか息子を撮ることはできなかったのであった。
その息子はというと、けっきょく徒競走では大差の4位最下位。しゃーないなあ。オレの息子だから仕方がないか。
午後は私が娘の相手をして、カミさんとお義母さんに運動会を見に行っていただく。遠くからでも息子を識別できるような競技はもう無いようだからな。
数年間まったく使っていないビデオカメラで撮影したので、ちゃんと撮れているか不安である。それですぐに再生してみたのだが…いちおう記録はされているようなのだが、なんだか色が薄い。印刷物みたいに紫外線で褪色するわけでもないと思うのだが…CCDのカラーフィルターが褪色してるのか?
それで、そのビデオカメラに入れっぱなしだったテープの前の方には息子の5年前の姿が映っていた。いやー、やっぱり幼児は愛らしいっすね。今の方が手はかからないし知的な会話はできるし役にも立つようになってるんだけれど。
今夜はお義母さんが娘を見てくれるというので、息子と親子3人で外食することになっている。カミさんは店を息子に選ばせるとラーメンになってしまうだろうから落ち着かないというので、木曽路という和食のチェーン店に行く。メニューを見て驚いた。セットメニューが軒並み3千円以上するのである。それにビビっていちばん安いものを頼んだのだが、ぜんぜん量が足りない。3千円も出して腹がいっぱいにならないとは…私のような貧乏人が来るところではなかったな。もう二度と来ることはないだろう。
▲9月29日(月)▼
今日は通勤中に「ANRI the BEST」(杏里:→【amazon】)を聴いている。さすがに粒ぞろいである。しかしこれも後半になるとちょっとレベルが落ちてくるような気が…
引き続き「あなたの人生の物語」(テッド・チャン:ハヤカワ文庫 SF:→【amazon】:→【bk1】)を読んでいる。最後の「顔の美醜について――ドキュメンタリー」(テッド・チャン/浅倉久志)を読み終えた。脳の特定の部位を麻痺させることにより「美醜失認処置」が可能になった世界。それを導入することに関しての混乱をルポルタージュ形式で書いた作品である。いやー、作品を読むと作者がいかに物事を深く考えているかが歴然とわかってしまいますな。美醜ひとつに対してもこれだけ様々な見方が出てくることに感嘆する。そして最後の衝撃の大逆転。なるほどやられた。
そしてこの作品はイーガンの「しあわせの理由」にストレートにつながってくる。自らをコントロールするということは、どういうことなのか? そのコントロールする主体を自我と呼ぶならば、それもコントロール可能ではないのか? けっきょく、最後には何も残らないのではないか? 考え出すと恐ろしいことになりそうだが、やめられないのである。
これでこの本は終わりである。ワタクシ的には「祈りの海」の衝撃には及ばないが、それでもよい短編集でございました。「お話」としてちゃんとまとまってるぶん、衝撃が弱いのかなあ。
しかし、13年で8作ですか。うち1本はショートショートだから、ほとんど2年に1本のペースですな。知り合いと「次の本が出るときには定年になってるんじゃ…」などと言っていたのだが、発表時期を見るとけっこう固まっている。ショートショートを除けば1990〜1991年に3作、2001〜2003年に4作ということだから、執筆に専念できれば1年に1作以上は期待できるかもしれない。でもなあ、堀晃先生や梶尾真治先生のように、他に仕事を持ちながらじっくり熟成させているから、あれだけ隅々までよく考えられた作品ができるのではないかとも考えるのである。
帰りはまた「教室」(異形コレクション:光文社文庫:→【amazon】:→【bk1】)を読み始める。朝松健氏「侘びの時空(そら)」を読み終えたが…うーん、好みのジャンルではない作品を読むのは疲れる。そして次の犬木加奈子氏「教室は何を教えてくれる?」は…小説じゃないか。
人間の理解、そして機械からのリアクション呈示技術の研究で「基本6感情はあまり信用できないとか、喜びだとか悲しみだとか一言で言えないニュアンスが非常に大事であり、ある表情から別の表情への変化が大事だということがわかってきた」というのは面白いなあ。日本語ワープロを作るときに従来の日本語の文法はあまり役に立たなかったという話も聞いたことがあるが、やはり「人間と違うモノに目的の動作をさせられる」ようでないと正しい理論じゃないと思うんだよなあ。
▲9月30日(火)▼
玄関を開けようとしている音で目が覚めた。お義母さんが入ってこようとしているようである。時計を見て驚いた。8時15分である。階下で妻子はまだ寝ているようだ。この前息子が遅刻しそうになったときより遅いじゃないか。慌てて起きて下りてゆく。カミさんが息子に食べさせているのは牛乳と6Pのチーズケーキ。それだったらすぐに食えるな。彼は、今日はトイレに入ったがウンチは出なかったようだ。学校で催さねばよいが。彼はウンチをするときは洋式便器でなければならないし、ズボンとパンツを脱いで個室に入らねばならないのである。
今日も引き続き「教室」(異形コレクション:光文社文庫:→【amazon】:→【bk1】)を読んでいる。飛鳥部勝則氏「花切り」を読み終えた。ホラー少年同性愛風味つき…という作品なんだが、好みのジャンルでないにもかかわらずなかなか読ませてくれた。
今夜はトラブルのため1時半過ぎまで仕事。タクシーで家に帰り着くと2時過ぎ。それから食事をする。隣の部屋で娘が泣き出したので膝の上に乗せてパソコンをいじる。膝の上に乗せると安心して寝るんだよな。寝入ったところでカミさんの横の布団に戻す。…とか、いろやってたら5時を過ぎてしまった。トラブルが解決してないので明日も早く家を出なければならない。2時間しか眠れないじゃないか。
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