2000年 5月中旬の日記
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5月11日(木)
今日、課長がいきなり「教育に行かへんか」と言った。来週の火曜から金曜まで東京で開催される教育の枠が空いているそうなのである。また出張か。月曜の夜から移動だから、また一週間家を空けることになるか。まあ今回は教育だから、ぜんぜん気がラクなんだけどね。会社の金で教育してくれるんだから有難いと思わなければ。

今日は職場からの帰りに星ぼしの荒野からを読む。最初の「天国の門」を読み終えた。最初に出会ったときに宇宙人がやっていたことに意表を突かれる。そうか、こういうファーストコンタクトもアリ、だな。結末は「こういうふうになったらありきたりだな」と思った通りになってしまった。まあ、発表された当時に読んでいれば感想も違っていたのかもしれないが。そういう意味では、こういうスレた年齢になってしまってから古典といわれる作品を読むのはツライ部分もあるなあ。アイデア以外に「惹き」がないとねえ。アイデアは真似られても、「物語としての面白さ」はなかなか真似られないものですからね。

今日は下り坂だという天気予報だったので早く帰った。「おみやげやで」と言って息子に私鉄の特急電車を渡す。昨日は寝ていたからな。彼は受け取って「ありがと」と言っただけであった。
「はい、おみやげだよ」
「わあ、おみやげだ。やったあ!」
というのに私は憧れてるんだけどねえ。カバーを掛けていたのがまずかったか。それでも、中身を見るとけっこう嬉しかったようで、5回くらい読まされた。カミさんは「またこんなの買ってきて! 私は読まないからね。シンジ(仮名)、お父ちゃんに読んでもらい」と言っているのである。

おみやげを買ってきたので、息子には多少はポイントアップしたようである。風呂に入れるためにカミさんが先に入っている浴室に連れていくときも「とーちゃんと、はいりたかった」と言う。それでも、素直にカミさんと入ってくれた。風呂に入れたあと、目薬を点す。今日は耐えていた。終わったあと「なかなかったよ」と言っている。よしよし、偉いぞ。カミさんが「今日は父ちゃんと寝るか?」と言うが彼は「かーちゃんと、ねる」と言う。しかしその後で彼が「とっきゅうでんしゃのほん、よんで」と言ったときに私が「上で読もか」と言ったら素直についてきた。いっしょの布団の中で本を読む。読み終えて電気を消すが、彼はなかなか寝ない。私は眠いのだ。なんせ、今日は帰りの電車の中で本を読みながら何度も気を失ってたんだから…



5月12日(金)
今朝も息子は私になついている。出勤しようとして居間を出ると、階段の踊り場のところで抱きついてきた。頭を、くしゃくしゃと撫でてやる。今日は抵抗なく抱き上げさせてくれる。ああ、小さきものを抱きしめるのは、どうしてこう、心が安まるのであろうか。彼は、今日は一人で玄関まで見送りに来てくれたのだった。

往きの電車の中で星ぼしの荒野からの「ビーバーの涙」を読み終えた。いやしかし、凄い「断面」の切り取りかたですなあ。こういうの、思いついてもなかなか書けないような気がするんですけど、まさか本当に書いてしまうとは。でもやっぱり、翻訳モノは読みにくい。何かを描写しようとするときに、欧米人と日本人では目の付けどころからして違うような気がする。これは「慣れ」の問題なのかな。

Type2の2GBハードディスクカードが出るらしい。値段にもよるが、買ってしまいそうな気がする。FIVAの容量が足りない身としては、8GB化というのはたまらなく魅力的な響きがある。東芝製だというのがちょっとナニだが、OEM製品を買えばいいんだろう。

今日は昼休みにセキララ結婚生活けらえいこ:講談社文庫)を買った。家に帰るときにもこれを読んでいたのだが、カミさんに見せると「何で買ってきたの?」と訊かれてしまった。ううっ、面白そうだったから買ってきただけなんだよ〜。ヨソの夫婦のことなんて、読んでみると面白いじゃないか。「ああ、あるある」とか「それは修行が足りないぞ」とかいう感じで。しかし、そういうことを言いながらも、カミさんはその本を読んでいたのであった。

夕食を終えて風呂に入れた息子を受け取りにいったとき、浴室の中からカミさんに「カラオケに行きたいんだけど、いい?」と言われた。そりゃいいですけど。まだ私は入院する前のように歌える状態ではないんですけどね。まあ、現在の状態を把握しておくのもいいでしょう。カミさんは風呂上がりの息子にパジャマではなくTシャツとズボンを着せはじめた。おろ、今から行くんですか。まさかそうだとは思わなかった。唐突で、いかにも彼女らしい。カラオケに行くならセガカラしかないでしょう、ということで、セガカラのあるところを調べる。まずインターネットで調べることにするが、セガカラのサイトには載っていない。電話帳で調べて訊いてみようかという話もしたのだが、けっきょくまず近場からつぶしてゆくことになる。最初に行ったところは駐車場にほとんど車がなく寂れた感じで、なんとなく入りづらかったので別の店に行く。すると、そこはパチンコ屋になってしまっていたのであった。うーむ、カラオケボックスというのはもう儲からない商売になってしまっているのかね。最近の若い人は携帯に多くのお金を使っているみたいだからねえ。カミさんが「これは神様が『歌うな』って言ってるのね」と言って、そのまま帰ることになってしまった。あららー、食事を終えてあとは寝るだけだと思っていたテンションを「歌うぞ」という状態に急に上げられて、それを解放しないまま放置されるなんて…このやり場のない情動を、私はどうすればいいんだろう?



5月13日(土)
昨夜も息子を寝かせていて一緒に寝てしまっていた。7時前に目が覚めたので、無理矢理身体を引き起こす。2日続けて通信を休むわけにはいかない(おいおい)。7時半頃に妻子が起きてきた。冬樹蛉氏の日記に先日の飲み会のことが載っていたので、通信回線をカミさんに譲って私はシャワーを浴びる。今日はカイロに行くというのに、ここ2日続けて息子と一緒に寝てしまっていたので風呂に入っていないのだ。出てくると9時を過ぎていた。これでは息子を送っていけないので、カミさんが保育所に連れていってくれた。彼女は冬樹氏に「常人じゃない」と書かれていたので怒っている。いや、たしかに常人ならざるオタクぶりだと思いますけど。私がオタクだというのは正しくないですけどね。木根さんの問題発言も書かれていたので、これから彼女のところには説教のメールや電話が殺到するだろうと夫婦で話すのである。楽しみだ(こらこら)。

カイロからの帰りに、行きつけのスーパーが閉店した後に新規開店した店に入ったのだが…高価いし欲しいものがない。隣にあった地元のスーパーも同時期に閉店しちゃったし、困ったもんである。この店も安かったんだがなあ。こうして、新しいスーパーがどんどん出店して、旧い店がつぶれていくというのはワタクシ的には困ったものなのである。新しく出店してきたところは、店内の雰囲気は新しくていいのだが往々にして高価いのだ。これも消費者の選択によるものなんだろうけどねえ。多少店が旧くて大々的に折り込み広告が入ってなくても安い方がいいという私は少数派なんだろうか。それほど消費者が馬鹿だとは思いたくないのだが。

カミさんの健康保険証が私あてに送られてきた。保険証の表紙にも世帯主として私の名前が書いてある。使用するのも保険料を支払ってるのもカミさんなんだが。酷い話である。

カイロから帰ってきたときにはカミさんは昼寝していたのだが、昼過ぎになって「よく寝たわ」とか言いながら起きてきた。昼食を食べて「古本屋に行く」と言い出した。いっしょに出かける。1階の中古CDを片っ端から見ていたらカミさんがやってきて「もう私は終わったわよ」と言う。そのうちに「疲れたー」と言い出した。まだ2階の古本は見ていないんだが仕方がないか。シングルCDが1枚50円だったので「ジュエル」(東山紀之亀淵友香)と「満月」,「一粒のダイヤを探して」(いずれも松阪晶子)を買う。東山紀之氏と亀淵友香さんの組み合わせというのが、いかにレアですねえ(笑)。聴いてみると、亀淵さんが遠慮がちに歌っているのが微笑ましいというか何というか、ねえ。松阪晶子さんは前に聴いた曲が良かったのでまた買ったのである。ワタクシ的には「一粒のダイヤを探して」のB面(とはCDでは言わないんだな、本当は)の「ある休日に…」が渋くて良かった。A面(とは言わないんだってば)は典型的なロックなんだが。

弟から送られてきた本の中からPIT BULL 1」あだちつよし:JUMP COMICS DELUXE)を読む。これはなかなか良かった。ボクシングマンガの定石通りなんだが、それでも燃えるのである。



5月14日(日)
今日はカミさんのお祖母さんの四十九日なのである。昨夜は3時過ぎまで通信していたのだが、今朝は9時には起きねばならない。寝ていると、横で寝ている息子と目が合った。えへっと笑う。彼は起きあがり、カミさんの方に歩いていく。おい、やめろ。アレに触ると危険だということがまだ学習できてないのか。…でも、もう起きるべき時間だな。カミさんは「なんで目覚まし鳴らなかったの」とか言いながら起き上がった。

車でカミさんの実家に行く。人がいっぱいである。すし詰めになって読経の声を聞く。あ、数珠を持ってくるのを忘れた。私ゃ両親とも実家が九州なので、法事なんてほとんど出たことがないのだ。そういえば小学生の頃、同級生が法事で休んだりしているのを見て「何なんだろう」と思っていた記憶があるな。これからはどんどんそういう人間が増えていくんだろうなあ。

読経が終わってみんな膝を崩したのだが、私はそのままでいたら、続いてカミさんのお祖父さんの15回忌も兼ねているということで、その読経が始まった。うう、ちょっと脚がキツいぞ。

読経が終わって会食になるが、慣れない人間といっしょにいるのはなかなか辛いものがある。「人間関係を作るのが下手な人間」というのは昔からいたのだ。料理も、ほとんどが水棲動物を加工したもので、私は大量に食べられないものばかりである。どれも美味く感じない。体調が悪いせいかなあ。相変わらず眠いし。胃の中に溜まったものが気持ち悪い。人混みから逃げるようにして2階に上がる。カミさんが子供の頃に読んでいたと思われる絵本があったので、息子に読んでやる。よくこういうものが残っているもんだね。ウチなんか親父が使わないものは捨てる主義なので、昔のものはほとんど残っていないのだ。絵本を読んでいるとノドが痛くなってきた。風邪かなあ。

息子が退屈そうにしているので、彼を連れて先に電車で帰らせてもらうことにしてもらった。また無愛想なヤツだと思われるだろうな。まあ仕方がない。息子を連れて駅まで歩く。ちょっと日差しがキツい。駅の前に来たときにちょうど普通電車がやってきたので「あれに乗るぞ」と言ったのだが、すぐに行ってしまった。息子はそれが納得できなかったようで「なんで、でんしゃ、いってしもーたん?」と訊く。何と答えたものか。当初は「時間が来たからや」と応えていたのだが、彼は「時間が来る」というのが理解できない。そりゃ、時間軸に座標があって、その上の任意の時点を時刻という値で指定することができるということも知らないし、だいいち「来る」というのは何かの実体を持ったオブジェクトが空間的にこちらに近づいてくるということだからね。そこで「行かんかったら次の電車が来たときにぶつかるやろ」と言う。これもなかなか理解してもらえない。「そう…」と言っても、次の瞬間にはまた同じことを訊く。今日は夜になるまでずっと同じことを訊いていた。3歳児の相手は大変である。

電車から降りても息子は同じことを問い続けている。伊勢志摩ライナーアーバンライナーの両方を見れたんだから、それで満足しろ…とは言えんしなあ。家に向かって歩いていると彼は「あついー」と言いだした。無視して歩いていると、ついには私の前にまわって脚にしがみついてきた。「どうするんや」と訊くと「だっこお」と言う。けっきょく、そこから家まで彼を負ぶって帰ったのであった。背中にいると息子は静かである。まさか寝ちまったわけじゃないだろうな。今、キミは幸せなんだぞ。その状況にいるときはわからんだろうけど。

家に着いた。疲れた。胃が重い。息子も眠そうなので寝室に行くが、寝てくれない。そのうちに私が寝てしまった。彼は階下に下りていってしまったようだ。かなり経って、カミさんが帰ってきた気配がする。彼は一人で母親を出迎えることになってしまったわけだね。

再度私が起きたときには暗くなっていた。今日も昨日録ったヒッパレを観る。やはりSweBeは良い。そのくらいかな。麻倉未稀さんと庄野真代さんは流石に巧かったし、コロッケも上手かったんだが…

法事に小さい子供も何人か来てたので、カミさんは息子について「従姉妹の娘さんに比べて言葉の発達が遅い」というようなことを言っている。べつに私はコイツで満足なんだけどね。ちゃんとコミュニケーションできるし、それほど馬鹿でもないみたいだし、なによりも自分の好きなことを持っていて、それに関しては集中力を発揮できる。それで充分じゃないかなあ。病的なものがない限りは他と比べたって仕方がないと思うんだけど。問題は、本人と周囲が幸せな人生を送れるかどうかなんですからねえ。ま、これも親馬鹿なんだろうな。



5月15日(月)
昨夜は、昨年の8月以降にFIVAで作成・収集したデータをMacに移してたら朝までかかってしまった。Virtual PCでネットワークを認識しなくなっているのでフロッピーで受け渡していたのである。超原始的である。まあ、それでもFDDを買ったのでラクにはなっているんだけどね。これがなければ、FIVAをメビウスに繋いでそのFDDを使わねばならなかったんだから。下を見れはキリがない。それでPDにバックアップしたので、PCカードに保管してるデータを消せるな。

今日は会社に出て、夕方から東京に出張なのである。新幹線の車両は300系であった。この車両が走りはじめた頃に乗ったことがあるのだが、相変わらずある程度以上の速度になると細かく揺れはじめる。ちょっと気分が悪い。昔は、加速するときに電圧が下がるのか、一瞬照明が暗くなったりしていたのだが、それは改善されているようだ。

往きの新幹線の中で弁当を食べ、星ぼしの荒野からを読む。まず「おお、わが姉妹よ、光満つるその顔よ!」であるが…どうにも救いのない話ですな。ひょっとしてこの作者、人類が嫌いなのか? とか思いながら読んでいたら、次の「ラセンウジバエ解決法」も同様な内容の話でしたね。手段は正反対だが、結果は「天国の門」と同じだ。なんだか「みんなみんな、いなくなってしまえばいいのよ」というテーマで貫かれているような感じがしますね、この作品集。次の「時分割の天使」まで来ると、もう人類に対する深い絶望感を感じてるんじゃないかと思ったりして。それに対する作者(というか超越した存在)の回答がテーマなんですが、何となく小松左京風の作品ですな。海外の、しかも年長の作家に対して「小松風」なんて言うのはおかしいのかもしれないけど、私の基準は20年以上前の日本のSFなんで。

東京駅に着いたとき、隣のホームに500系の車両が停まっていた。実物を見るのは初めてなのである。いや、やっぱり格好いいですね。しかし、断面があんなに丸いとは…まさに弾丸列車だな…発想が古いぞ。

ホテルの部屋に入り、まず電話機のチェックをする(苦笑)。電話線を外せるようだ。ラッキー! でも、FIVAを繋いで通信しようとすると、例の「発信音がありません」というエラーが出て繋がらない。このエラーは前にも見たぞ、というのでコンパネを触ろうとすると…設定方法が前のFIVAとぜんぜん違っている。同じWindows98なのに…こういう一貫性のないところが私がMSが嫌いな理由の一つである。ヘルプも更新されてないから役に立たないし(もともと役に立ってないという説もあり)。けっきょく、今夜は通信をあきらめて寝たのであった。



5月16日(火)
今日は東京のホテルから出勤である。東京と大阪ではエスカレーターで立つ人と歩く人が左右反対なのでとまどう。無意識のうちにエスカレーターの右側に立って、他の人がみんな左側に立っているのに気づいて慌てて左に避ける、というのを何度か繰り返した。これは身体が覚えちゃってますからね。

しかし、東京は煙草を吸いながら歩いている連中のマナーが悪いなあ。どいつもこいつも煙草の火を外側に向けて振り回している。まあ、ワタクシ的には歩きながら吸っている時点ですでにマナーが悪いんだけどね。以前来たときは大阪の方が歩きながら煙草を吸う人間が多くて嫌だったのだが、電車から降りてすぐだからかもしれないが比率的には遜色が無くなっているような気がする。以前に「女性型歩行喫煙」と書いたけれども、東京の人間はメンタリティ的にそれに通ずるものがあるのかもしれない。煙草は吸うけど火を自分の方に向けるのはイヤ、というような。

教育が終わり、神保町に行く。東京に来て行くなら神保町か秋葉原だが、電気製品に対しては今はあまり欲情していないのである。電気屋は全国的にどこに行ってもあまり変わらないような気もするしねえ。しかし、どこまで行っても本屋である。歩いても歩いても本屋である。それでも買いたい本はあまりない。大阪に持って帰らなきゃいけないから、よほど惹かれたものでないと買えない。定価390円の本が3500円とかしてたりするしねえ。やっと大きな道に出て、本屋の並びが途切れた。腹が減った。疲れた。いったい何冊の本の背表紙を見ただろう。ちょっとどこかに入って休まなきゃ身体が保たない。「牛丼50円引き」というのに釣られて吉野屋に入ってしまった。大盛りに卵を混ぜて食う。けんちん汁の具が多いので嬉しい。さて、今度は来た道を逆にたどって道の向かい側を踏査するのである。まだ本は一冊も買っていない。どこに何があるか、まだちゃんと把握できていないからね。これは、頭の中にインデックスができるまで通い詰めなきゃ、いい買い物はできませんねえ。新婚当初に出張に来てぶらついていた頃の記憶がだいぶ役に立ったんだけど。ここに住みたいなあ(笑)。…とか考えていたら、気がつくと左手にずっしりと重い荷物を持っている。うああ、やってもーた。こんな重いものを大阪まで持って帰らねばならないのか。馬鹿だねまったく。中を見ると以下のものが入っていた。
小松左京コレクション2 継ぐのは誰か?/果しなき流れの果に」(小松左京ジャストシステム 1995)定価2,500円…1,050円
時空いちびり百景」(かんべむさし堀晃:毎日新聞社 1989)定価1,300円…315円
地図の思想」(小松左京:講談社 1965)定価580円…1,050円
魔女でもステディ」(岬兄悟:ハヤカワ文庫 1985)定価380円…157円
瞑想者の肖像」(岬兄悟:ハヤカワ文庫 1981)定価380円…157円
ポップコーンLOVE」(岬兄悟:角川文庫 1987)定価420円…158円
むう、なんだかSFオンラインを真似したみたいでイヤだなあ(苦笑)。「小松左京コレクション2」は「オレが買わねば誰が買う?」という感じで買ったのだが、「果しなき流れの果に」はハヤカワ文庫版も買ったしケイブンシャ文庫版(だったっけ?)も買ったしハルキ文庫版も買ったし…馬鹿じゃなかろうか。これでオンデマンド版を買えばカンペキかな。「地図の思想」もハードカバーで重い。裏表紙に小松先生の写真が載ってますが…若い。これを書かれたときは30歳台の半ばだから…今の私よりも若いのね。ショックだわ。あとは岬兄悟氏の文庫がまとめて見つかったので買った。1980年台以降のSFに関しては、私の知識および蔵書はポッカリ抜けてるんだよな。

ホテルに戻り、ロビーにグレ電があったので、それで通信する。部屋での通信がうまくいかないからねえ。フロントのオバサンの目の前である。不審そうである。自分でも怪しいヤツだと思うぞ。あちこち廻るので、けっこう時間がかかる。通信している間にも3〜4組の客が入ってきた。無言の緊張が高まる。うがあ、これもみんなMSが悪いんじゃあー(こらこら)。

通信を終えてコンビニで明日の朝食のパンを買ってきた。しかし、このパン、「手作りハンバーグ」と書いてあるが、「風」って何だ、「風」って? 「風」というからには手作りじゃないんだろう。だったら紛らわしい名前を付けるな! 消費者を舐めているとしか思えない。そもそも、ハンバーグで「手作り」って、そんなにアドバンテージがあるものなのか? …でも、買ってしまっている自分が哀しい。



5月17日(水)
ホテルの部屋に蚊がいるらしい。蚊に喰われないようにいろいろやっていて思いついたのだが、貧乏揺すりというのは、虫に刺されないようにするために進化してきた結果なのではないだろうか。多少エネルギーを無駄にしても、虫に刺されなければ伝染病になる確率が小さくなるのである。鎌状赤血球と同じですな。うん、これで胸を張って貧乏揺すりできるぞ(するなよ)。

今日も神保町に行くのである。昨日古本屋でもらった「神田古書店地図帖」を見ると、まだ半分も廻っていないことを思い知らされてしまったのだ。で、今日は古本を買わずに新品の本を買ってしまったのだ。わざわざ東京まで来て買わなくてもいいじゃないかと思われるかもしれないが、大阪では一度しか見たことがない本なのだ。こんなもんいかがっすかぁ 上」「同 下」(いずれも水玉螢之丞:アスキー出版局)なのだが、大阪でただ一度見たときには汚れてたしこの厚さで1500円は高価いと思って買うのを躊躇していたら無くなってしまったのだ。それ以降、今日まで遂に遭遇することはなかった。でも無くなると欲しくなってしまうのが人情というものである。特に水玉さんの単行本は他に見たことがないですからねえ。あちこちであの絵はよくお見かけするのだが、どれも枚数が少ないので一冊の本にするにはかなり時間がかかりますから。どこかの出版社がまとめて本にしてくれないかなあ。ということで、ここで会ったが百年目なのである。もう市場からは消え失せていると思っていたのだが、恐るべし神保町! しかしこの頃、水玉さんってパーマかけてたんだ。ええっ、編集担当はスタパ齋藤さんだったの? すごい組み合わせですねえ。

今日は神保町を2時間くらい歩き回って、買ったのは上記の新刊2冊のみであった。今日は古本を買わなかったなあ、とか思いながらホテルに戻っていると、田町駅の構内で古本を売っていた。2時間近く古本の中を歩き回ったというのにまた見に行くのである。あんだけ廻って買うべき本が見つからなかったんだから、こんな数箱の本の中に買うべきものが見つかる可能性はほとんど無いんじゃないかと思いながら眺めていたのだが、見つかってしまいました。この本です。
ゆっくりと南へ」(草上仁:ハヤカワ文庫 1991)定価420円…200円
いやあ、わからないもんですな。

移動中の電車の中で星ぼしの荒野からの「われら<夢>を盗みし者」を読み終えた。これもまたやり切れない話ですなあ。読んでいると切なくて恥ずかしくて死にたくなる。落ち込んだときに読むと危ないかもしれない。しかし、やはり翻訳物は読むのに努力を要しますなあ。話が素直に頭の中に入ってこない。慣れのせいだけじゃないと思うぞ。

さすがに今日もフロントの目の前で通信する度胸はないので、FIVAを抱えてホテルを出る。雨がパラついている。傘を取りに帰るのも面倒くさいので、そのまま出ていく。運よく、グレ電の電話ボックスが見つかった。それほど人通りも多くない。電話ボックスというだけなら駅の前にいっぱい並んでいるのだが、人通りが絶えないので落ち着かないのだ。中にはいると、ボトンボトンと大粒の雨が落ちる音がしはじめた。これは、雨が強くなりそうだな。下手すると出られなくなってしまうんじゃないだろうか。電話ボックスの中に閉じこめられた私の運命はいかに。待て次号!(続かない)



5月18日(木)
今朝はホテルの部屋でこんなもんいかがっすかぁを眺めていたら出るのが遅くなってしまった。やっぱり面白いや。それに、濃い。「ぱっと見は絵が多いわりに読んでみるとものすごく時間がかかる」というコンセプトらしいけど、確かにそれは達成されてますね。水玉さんの描く女の子って、どうしてこんなにカワイイんでしょうか。一家に一人こういう娘が欲しいっ!(こればっかし) 当時、こんなに可愛くてPCやゲームの話が分かる彼女がいたらシアワセだったでしょうねえ(いないから話になるんだって)。そんなヤツが身近にいたら、羨ましくて首を絞めてしまいそうだ(苦笑)。しかし、ウィンドウズが出た頃って、みんな希望がいっぱいだったですねえ。マルチタスクになるとスゴイことができそうだ、なんてね。現実になると、こんなもんなんですけどね。

教育では、各人の机の上に液晶ディスプレイがあって、それが講師の操作によって講師のパソコンの画面と各人のパソコンの画面を切り替えて表示できるようになっているのだが、たった今まで自分の思い通りに動いていた画面がマウスを操作してもポインタが動かなくなって勝手に動き出すというのは凄い違和感がある。なんだか、自分の身体が乗っ取られて勝手に動いているような感覚なのである。もう、パソコンが身体の一部のようになっているということなんだろうな。マウスポインタなんか、無意識で動かしてますからね。

今週は、教育の内容は楽勝なのだがその後がハードである。さすがに疲れたので、今日はまっすぐホテルに帰る。田町駅で本屋に入ったら、「こんなもんいかがっすかぁ」が上下巻とも揃ってあった。うにゅー、東京ではまだまだ在庫があるのか。大阪ではかなり大きな本屋を何軒も探したけど見つからなかったのに。こんなに情報格差があったのでは、大阪の地盤沈下は止まらないんじゃないだろうか。

ホテルに帰って日記を書いていると、21:53頃に地震があった。今日はインターネットに気軽につなげないので、情報が取れないのである。不便だ。



5月19日(金)
今朝は、講習会の会場に行く途中でコンビニに寄って本と着替えは宅急便で送ることにする。さすがにパソコン入りの鞄と旅行用の鞄に加えてハードカヴァー4冊を含む10冊以上の本を持って満員電車に乗り、講習会会場まで10分以上の道を歩き、また駅まで帰って夕方の山手線に乗り、新幹線に乗り換えて大阪まで戻ってからまた3本の電車を乗り継いで家まで10分以上の道を歩く…というのは想像しただけで気が遠くなってしまう。これで千円以上かかるんだから、本を安く買うという点では意味がないな。大阪で買えない本を買うのでなければ逆効果だ。

講習会会場に行く電車の中で星ぼしの荒野からの「スロー・ミュージック」を読み終えた。「今までの傾向からして、こういうふうになるんじゃないだろうか。だったらイヤだな」と思ったとおりの結末になってしまった。まだ途中までしか読んでいないのだが、ホントにこの本が昨年のベストになったんでしょうか。それだったら、私はSFギョーカイの人々とは感性が違いすぎると言うしかないですな。しかし、SFが読みたい!を読んだSF初心者が「ベストだから」というのでこの本から読み始めたら、SFを好きになってくれるもんなんだろうか。早川も「本年度ベストSF」などと大々的に書いた帯をつけるというのは、この本は売れるかもしれないが長期的に見たら逆効果だと思うんだが。…などと、講義が始まる前に書いたりする。

講習は、最後は時間がなくなってバタバタと理解する暇もなく進んでしまった。帰ってからテキストを読み直すしかないか。今夜は家に帰ってから通信できない可能性があるので、公衆電話でHPを更新してから移動したらギリギリの時間になってしまった。田町駅で山手線に乗った時点で、新幹線の出発予定時刻まで20分足らずであった。駅間を2分と計算すれば乗り継ぎ時間を加えても楽勝だが、夕方なので人の乗り降りに時間がかかっている。けっこう不安なのである。けっきょく、5分以上前に着いたのだが。そういえば、新橋駅に着いたとき、巨大なディスプレイに大相撲の中継が映っていた。数十人の人間(ほとんどが背広姿のオジサン)がみんなそっちの方を見ている。なんだか異様な光景である。40年以上前の街頭テレビの時代ってのは、もっとすごかったんだろうけど。ちょうど、貴乃花が寄り倒されるところが映っていた。横向きになって身体を浮かされて寄り倒されるというのは、負けるときのパターンですなあ。

新幹線は、金曜日の夕方だけあって満員である。指定席の車両のデッキで立っている人間もいる。自由席で帰るとなると大変だったな。弁当を食べた後、「星ぼしの荒野から」の「汚れなき戯れ」を読む。これはなかなか面白かった。最初は「ソラリス」の焼き直しかと思っちゃったんですけどね。続いてタイトル作の「星ぼしの荒野から」ですが、これは好きなタイプの作品だなあ。すると、この「本」じゃなくて、この「作品」がベストだということだったんだろうか。それでも、ワタクシ的にはこれがベストだとは思えないんだけれども。「人間界」でのゴタゴタがあまり面白くなかったしねえ。何で父子相姦になっちゃうんだろうか。

久しぶりに家に帰ると、トイレの窓枠の上にヤオイ同人誌が山のように積まれていて、窓が開かなくなっていた。何ちゅうこっちゃ。カミさんは古本屋で「県立地球防衛軍」(安永航一郎:小学館サンデーコミックス)を全4冊400円で買ってきていた。ざっと読んでみたが、「アナルマン」に比べるとまだ変態度は少ないですな。すごくマトモに見える(笑)。

カシオがFIVAの新製品を発表したというニュースを見て衝撃を受ける。うがあ、やっぱり出たか。今の機種が発表されてから半年経っているからなあ。新機種が出ても不思議ではない。しかし、よく調べてみると「基本的な仕様に従来モデルから変更はない」と書いてあったので安心した。PostPetとかをプリインストールしてあるだけらしい。不要なソフトはディスクの残容量を減らすだけだ。個人的にはOSだけインストールしてあるのがいちばんいいのだが。



5月20日(土)
私の妹の見合い相手は、お兄さんが東大を出て厚生省に勤めているせいで何度も話が壊れたらしい。「立派すぎて…」とか言われてるらしいが、逆じゃないのか? オレだったら、厚生省のキャリア官僚なんかと親戚になりたくないぞ(大偏見)。偏見かもしれないが、勉強ができるというだけで甘やかされまわっている人間の人格が歪むというのはそれなりに根拠があると思うんだがなあ。少なくとも部落出身者と親戚になりたくないと言うよりは健康だと思うけど。まあ、どんな場合でもレッテルで物を見てはいけない、ということなんですけどね。

今日は、私が息子を保育所に迎えに行くことになる。保育所からの帰りに彼を連れてスーパーに入り、買い物をする。カリントウを買ったとき、彼は「かえったら、かりんと、たべよな」と言う。おう、未来について条件つきの発言ができるようになってるんだね。帰りの道すがら、彼は「かーちゃん、ねんね、してるん?」と訊く。家に帰ってそれをカミさんに言うと彼女は「息子にまで生活パターンを読まれているのね…」と言った。うーむ。ムキになって否定しないのか。

近所のホームセンターのペットショップが動物の種類を増強したらしいので「行って来たら」とカミさんに言われる。まあ、動物園とかに行くよりもラクだし安上がりではあるんだけどねえ。時間的に遅いしちょっと疲れているので返事を保留してたら、夕食のための買い物を頼まれてしまった。けっきょく行くことになるのである。やはり動物の種類が増えている。以前は金魚くらいのものだったのだが、犬猫や亀、カブトムシや鈴虫、セキセイインコやオカメインコの鳥類、蛇やウサギまでいる。息子は犬猫にはあまり関心がないようである。女の子は犬猫のコーナーに多いのだが(こら)。やはり祖父母の家で見たせいか、セキセイインコに親近感を感じているようだ。セキセイインコの入っているケースに口を近づけている。気がついたときには口をくっつけんばかりにしていた。こら、汚いぞ…とか言おうとして、寄生虫が伝染った方がアレルギーが軽くなるかも、と一瞬だけ思ってしまったのだった。彼はその後ずっと「せきせいいんこ、げんきですかー、してたな」と言っている。どうやら、セキセイインコに挨拶をしたつもりらしい。その後も、息子が満足して買い物ができるようになるまでには相応の時間を必要としたのだった。

今夜は私が息子を風呂に入れた。カミさんが息子を連れて上がってから私が脱衣所に上がって身体を拭いていると、息子が階段を下りてくる音がする。何をしに下りてきたんだろうと思っていると、彼が脱衣所のドアを開けて顔をのぞかせた。「シンちゃん(仮名)、できたで」と言う。「何ができたんや?」と訊くと、彼はパジャマの首のところを引っ張ってアンダーシャツを見せる。ボタンが留められていた。そうか、それを見せに来たのか。偉いぞ。でも、本当はもうボタンを留めたくらいじゃ驚かないんだけどね。

狼谷辰之  新書館ウィングス文庫
なる
¥620+税  ISBN4-403-54021-X



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