2001年 6月上旬の日記
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6月1日(金) 
今日も朝から病院通いである。昨日家に帰ってきてからは、寝ているときに一度寝返りを打ってグラッときただけで、あとは目眩は感じていない。このまま治まってくれればいいのだが。今日は聴力検査である。三半規管が周囲から侵されて壊れている場合、聴覚に異常が出るということらしい。毎年受けている人間ドックで聴力検査をするときには、ヘッドフォンを被せられて各々の耳から2種類の高さの音を2段階の音量で聴かされ、聞こえたところでボタンを押すだけだったので簡単なものだと思っていたのだが、さすがにそういうものではなかった。ヘッドフォンを被せられて手にボタンを握らされるのは同じだが、まず測定場所が違う。密封された部屋の中に1人閉じこめられて測るのである。完全防音というヤツか。音もいろいろな高さの音を、だんだん音量を小さくしながら聴かされる。限界値を測るということですか。それだけかと思えば、次にはヘッドフォンを交換して反対側の耳からノイズを聴かせながら測られる。なかなか時間がかかりましたな。大量の人間を処理しないといけない人間ドックでこれをやるのは無理だな。

しかし、微細な音を聞き取ろうと思うと、大変な集中力を必要とする。身じろぎをして起こる衣擦れの音はもちろん、唾を飲み込む音、呼吸する音さえ邪魔になる。それが無くても、バックグラウンドにシャーッというノイズが存在する。これは耳鳴りか。血管内を血液が流れる音なんじゃないか。ここしばらく、こんなに集中したことは無かったぞ(苦笑)。

検査を終えて問診である。まず、音叉を叩いてキーンといってるヤツを眉間に当てられ「どうでした?」と訊かれる。どうでしたと訊かれてもねえ。「左の方がよく響いたような感じがしますけど…」と答えると、納得したようである。聴力検査でも、わずかに右耳の聞こえが悪かったそうだ。三半規管は左右のどちらが悪いか分かりづらいらしいのだが、これから判断すると右の方が詰まっている可能性が大きいそうである。右が聞こえにくいといっても、それでも平均値よりは感度が良いんだったらいいんじゃないかと思うんだがなあ。

原因によってはステロイドの点滴が有効らしいのだが、それを判断するために平衡感覚の検査もすることになる。ステロイド治療は2週間以内に始めなければならないので早くしないといけないらしい。検査の予定がなかなか空いていないようなのだが、ちょうど明日の予定が変更になって空いたところだったようだ。明日も検査である。3日続いて通院だな。

DELLからクレジットカードで決済できなかったというFAXが来た。さすがに今までほとんど使ったことがないカードで40万近い買い物をするのは無理があったか。仕方がない、Niftyの支払いをしている方のカードを使うか。しかし、電話とFAXで連絡してくるとは…何でメールを使わないんだろう?



6月2日(土) 
今日も早起きして医者通いである。今日は平衡感覚の検査だ。まずは足形のついたボードの上に乗って1分間立ち続ける検査。重心の移動を測っているようだ。続いて目を閉じて同じことをやる。片足でも目を閉じて1分以上のあいだ立っていられるんだから簡単なはずなのだが、重心を動かすまいと思うとかえって身体が揺れたりする。難しいものである。倒れはしないけどね。

続いて、眉間と両こめかみの3ヶ所に電極を取り付けられる。眼球の動きをモニターするようだ。電極を取り付けるところをアルコールをつけた脱脂綿でゴシゴシ擦られる。えらく入念にやっている。痛い痛い。まさか筋肉を露出させようとしてるんじゃないだろうな。え? 面の皮が厚すぎるんですかそうですか。

電極を装着され、黒いボードの上の光点を目で追わされる。瞬きをしてはいけないと言われるのがツラい。続いて、そのまま横になって首を動かして測定される。

そして最後に、耳に冷水を注入して強制的に目眩を起こさせ、そのときの眼球の動きを測定する。三半規管が壊れていると、冷水を注入したことによる麻痺の影響が少ないということなんだそうである。イマイチ理解できないような気もするんだけどね。検査をしているお姉さんが「看護婦さんを呼んできます」と言って出てゆく。検査技師では耳の中に水を入れられないらしい。検査といえども他人が体内に異物を注入するときには医師か看護婦の資格を持った人間でないといけないのかな。だったら、カノジョの胎内に異物を挿入したり注入したりするのも違法行為になるんだろうか。いやべつにカノジョじゃなくてカレシでもいいんだけど。

まずは右耳に冷水を注入される。あんまり気持ちのいいものじゃない。しばらくすると…来た来た。世界が回る。視線が横の方にズレていって、端まで行って戻ってきてからまたズレてゆく、というのを繰り返している。そして落ち着いてから左耳だが、水を入れるために耳の穴に挿入される器具が痛い。サイズが合わなかったのか交換したが、それでも痛い。どうもうまく水が入らなかったようで、目眩が発生しない。けっきょく2度も水を入れられてしまったのである。それでも、右の方が目眩が酷かったような気がするな。

検査の終了後に問診を行う。昨日までの検査では右の方が悪い結果が出ていたのだが、今日の検査は左の方が悪かったということで三半規管が壊れているということはないだろうということになる。一時的におかしくなっていたのではないかということである。それでも、5人に1〜2人は再発するらしいんだけどね。どうも、体調が悪いときに出るような気がするから、嫌だなあ。

しかし、病院での待ち時間は長い。昨日今日の2日で絹の変容篠田節子:集英社文庫)をほとんど読んでしまった。まあ、薄いから持って行ったんだけどね。

夕方、サッカーのカメルーン戦を見る。やはり、こういういい試合をしてくれると体調が悪くても元気が出るね。いやー、どっちも強いわ。両方ともボールとトモダチになってるけど、なり方が違う。カメルーンはボールを身体の一部のようにして扱っているし、日本はピンポイントでパスを繋いでいる。まあ、ホームだから結果は割り引いて考えなきゃいけないんだけどね。



6月3日(日) 
カミさんがLibrettoの日本語変換が馬鹿すぎるという。Windows95のMS-IMEだからねえ。まあ、98になったって2000になったって馬鹿なのは変わってないが。やはり文章を入力する人間はFEPは良いものを使わなければ、ということでATOKを入れるのである。

息子は今日、散髪をするのである。ずっと伸ばしていたのだが、夏には丸刈りにするのだ。昨日行って混んでいたので今日の15時に予約しているのだが、彼は早くから時計を指差しては「もう、さんのとこやで」と言って、「あれは長い針! 短い針が3のとこに行ったら3時や」と母親に突っ込まれている。何でそんなに行きたがるのかと思っていたのだが、前回の終了後にペロペロキャンディーをもらったのでそれを期待していたようだ。今回はグミキャンディーだったので、少し不満だったようである。カミさんが息子を散髪屋に連れて行っている間に、私も別のところに散髪に行くのである。息子と同じタイミングでした方が違和感は少ないだろう。

外付けハードディスクにデータをダウンロードしていたらThinkPadフリーズしてしまった。SCANDISKすると、それも途中で凍ってしまう。どうも、ハードディスクが壊れたようだ。困ったもんだなあ。

夜になってカミさんがLibrettoでホームページ・ビルダーが立ち上がらなくなったと言いだした。けっきょく私が調べることになるのである。他のソフトは立ち上がるが、ホームページ・ビルダー関係のEXEだけが起動時に「システムに装着されたデバイスは動作していません」というエラーになるようだ。よくわからない。Webで調べるしかないか。すると、こういうページが見つかった。どうも、ATOKをインストールしたせいで、ホームページ・ビルダーも使っている共有モジュールが古いもので上書きされてしまったようだ。なるほどねえ。こりゃ、Windowsの構造的欠陥だな。けっきょく、ホームページ・ビルダーを再インストールして設定をやり直すことになるのである。



6月4日(月) 
先週後半から休んでいるはずなのだが、まだ調子が悪い。背中が痛い。今日も早めに退社して日本橋にカミさんのFIVAに入れるハードディスクを見に行く。TVでサッカーの中継があるが、早く修理が完了した方がいいだろう。DVD-RAMのディスクも底をついたし、プリンタのインクも補給しておかなければならないだろう。IBMで6GBくらいのものを1万円ちょっとという予算だったのだが、10GBが12,000円で売っていたので買う。5GBと1,000円しか違わなかったからね。その店で、10GBのFIVAが99,800円で1万円の商品券付きで売っていた。メインのノートを買い換える予定でなければ買ってしまうところだった。危ない危ない。いま調べてみるとOSがWindows Meだった。それだったら、買わずに正解だね。

今日、通勤中に絹の変容を読み終えた。なかなか怖い話ですなあ。でもイマイチ、シンクロ率が上がらない。けっこう書き込んであるんだが。何故なんだろう。

家に帰るとカミさんはイニDのヴィデオソフトを観ていた。お願いしてサッカーを見せていただく。後半の途中から観たのだが、疲れているのかどうも調子が悪そうである。パスが繋がらないのでボールが保てない。なんだか、昔のニッポンを見ているようである。それでもブラジルが決定的なのをいくつか外してくれて助かった。 TVじゃ、準決勝は勝つという前提で話してるけど、こういうときに限ってコロッと負けたりするんだよな。



6月5日(火) 
朝、必死で日記を書いて更新しようとしたが、サーバが落ちているようだ。昨日は更新できてないのになあ。高価い料金を取ってるわりには、Niftyのサーバは脆弱なんだよな。けっきょく、家を出るまでには更新できなかったのであった。

今日も雨が降っているのでカミさんに迎えに来てもらった。会ってすぐ、彼女は私に何か告げる。え…何だって? 夕方に、従弟が亡くなったそうだ。ここしばらく、危篤状態だったそうだからな。再発したと聞いたときから、遠からずこの日が来ることは覚悟していたのだが。でも、5年半も、よく頑張ったよ。本当に。

明日が通夜で明後日が葬儀だそうだ。私も大学時代に母の実家には4年間下宿させてもらっていたので、少なくとも葬儀には出席しなければならないだろう。4年間一緒に暮らした仲だからね。両親の故郷に帰ったときには足になってもらってたし。しかし、確かまだ30代になったばかりだろう。あんな、いいやつがねえ。傍若無人な人間ばかり生き残って…世の中は不条理だよ。彼とは、先日大阪にやってきたとき、別れ際に「今度は日本橋に行こうな!」と叫んだのが最後になってしまった。自分でも、果たせないことだろうと心の隅では思っていても、言わずにはいられなかった。あれが最後か。辛いなあ。



6月6日(水) 
従弟の話が続くが…何で別れ際に「日本橋に行こう」と言ったかというと、彼がオタクだからである。たぶん、従兄弟の中でいちばんオタクである…いや、ウチの弟妹がいたか。しかし、ウチの弟妹といい従弟といい、何で小学生の頃に私と住んでいた人間はオタクになってしまうのだ。母が文学少女だったウチはともかく、母の実家なんて体育会系の家庭だったはずなのに。状況証拠だけ見ると、まるで私が悪いみたいじゃないか。まあとにかく、地方のオタクはなかなか大変なようなので、いちど日本橋に連れて行ってやりたかったのだ。

出社して、上司に明日と明後日を休ませてもらうようにお願いする。最近休んでばかりで申し訳ないのだが。なんだか、先月から私は社内で最も働いていない人間になっているような気がするなあ。

仕事をしていると、カミさんから電話がかかってきた。高速バスで帰りの切符が取れなかったそうである。うーん、夜行バスだと片道で10,300円、往復だとなんと一万八千円台なのである。飛行機や新幹線のほぼ半額である。大阪行きの終点がいつの間にかUSJになっているので、そのせいだろうか。土曜の朝に着く便だしなあ。

仕方がないので、職場でインターネットを使って代替交通機関を検索する。割引料金を比較してたら、ほとんど一日が潰れてしまった。なんせ、会社のIT環境が劣悪なもので。まあ、ECの研究をしたということにしよう(苦笑)。いろいろ調べてみたが、九州に行くには今や割引を使うと飛行機の方がJRより安いのね。時間とか考えると、こりゃ勝負にならん。こんな状態で九州に新幹線を作ったって、さらに赤字を垂れ流すだけだと思うんだけどなあ。

帰りにANAに寄って予約したチケットを購入する。そこで、現金よりもクレジットカードを使った方が安くなると言われてクレジットカードで購入する。しかし、理屈に合わないな。どうしてなんだろう。

今日は通勤時に「MARVELOUS」(MISIA)を聴いていた。一定の水準はクリアしているとは思うのだが、イマイチ「引き」の強い曲がないな。

今日も雨なのでカミさんに駅まで迎えに来てもらう。夕食を食べて1時間で準備をしなければならない。けっきょく、出発するときにも送ってもらった。有難いことである。21時半の夜行バスに乗り込む。禁煙なのは有難い。



6月7日(木) 
気がつくと5時過ぎだった。外は明るい。まだ到着まで1時間あるので、また横向きになって寝る。途中まではフットレストを使っていたので脚が伸ばせなかったのだが、フットレストを上げると楽な体勢で眠ることができた。座席が水平にならないのはちょっと辛かったんだけどね。起床時間になり、熱いおしぼりが配られる。薄明の田園地帯の中を、ただ走る。

いつの間にか市街地に入っていた。気がつけば知った道を走っている。平日の朝なので、制服の女子高生が見える。しかし、どうも違和感がある。見知っている制服なのだが、私の学生時代に比べて、どうも崩れているような印象があるのである。まあ、20年以上経つから校風も変化するのが当然だとは思うのだが…あの、憧れの第一高校はどこへ行った?

路線バスに乗り継ぎ、母の実家に着いた。出棺まで1時間ちょっとである。故人の両親が努めて明るくふるまおうとしているのが痛ましい。こういうときに、言葉は無力だ。励ましてあげられる言葉はあるのかもしれないが、私の力では見つけられない。黙々と用意してもらった朝食を食べ、喪服に着替える。昨日から来ている私の母親が彼の同僚の寄せ書きを見るように言うが、とても、そういうものを見られるような気分ではない。

親族が集まって、いよいよ出棺である。棺の中に、愛用していた服と、帽子が入れられる。そういえば、いつもこの帽子を被っていたよなあ。そして、花。両親が泣きながら言葉をかけている。後になって「明るく送ってやるつもりだったのに…」と言っていたが、これが自然だと思いますよ。それに、自分を責めちゃいけない。気持ちは分かりますけど。責めちゃいけない。

車で火葬場に移動する。彼は亡くなる直前まで職場に出たいと言っていたので、特別に許可をもらって霊柩車は職場の中を廻って来たらしい。職場の人が並んで見送ってくれたそうだ。みんなに愛されていたんだねえ。後続の車を運転していた彼の兄は、もう涙で運転できないほどだったという。

火葬場に着き、いよいよ最後の別れである。自分なら、とても点火のスイッチを入れられないんじゃないだろうか。もう、深く吐息をつくしかない。終わるまで、何ともやりきれない時間を過ごす。

また車で家に戻り、昼食を食べる。そして、式場の公民館まで歩いて移動する。遠くでヒバリが鳴いている。梅雨に入っているが、今日は雨は降っていない。死ぬときも天気を気にして死んだのかねえ…などと話しながら公民館に向かって田んぼの中を歩く。

とにかく、他人に気を遣うやつだった。祖父母が亡くなる前にも自分が中心になって世話をしていたし。今回も、苦しさに一晩中唸ってて他の患者が眠れなかっただろうから謝っておいてくれって…そんなときに、そういうこと、気にするんじゃない。自分がいちばん苦しいんだからさあ。最初に入院したときから、自分のことより家族のことを気にしやがって。

亡くなった後、彼の友人がやってきて、彼と約束していたので遺品の整理をさせてほしいと言ったらしい。親に見せたくないものもあるからと。そして、大量に持っていたゲーム類は(彼はゲームオタだったのだ)換金して親に渡してほしいと。どちらかが死んだら、生き残った方がやる約束だったそうだが……でも、発病してからの約束だから、お互いにどちらがやるかはわかって約束してるんだよね。どういう気持ちで約束したんだろうか。

でも、本当に君は他人から好かれていたんだね。みんな、号泣しながら弔辞を読んでましたもの。通夜のときも、棺から離れない友人がいたというし。それも、他の弔問客の邪魔にならないようにして。友達まで、そういうことを気にして……「良い葬儀」という言い方はおかしいのかもしれないが、それでもやはりあれは良い葬儀だった。人間、死んだときに評価が定まるのだとすれば、やっぱり君の勝ちかも知れないね。カミさんの言葉も読んでやって下さい。

葬儀が終わり、遺族が参列者への挨拶に出ていったが、故人の兄の4歳の娘が疲れて眠ってしまっている。私が抱いて連れて帰ることにする。いつも息子を抱いているから慣れたものである。だいたい同じ体格だ。この子も大きいね。しかし、さらに上には上がいるもので、別の従弟の息子は3歳なのにウチの子とほぼ同じ体格なのだった。3歳児検診で両親の身長体重を訊かれたので応えると「遺伝ということも考えられますね」と言われたそうな。

家に戻り、お世話になった近所の人たちへの接待が始まる。男たちは邪魔にならないように外で待っている。九州の男は接待が苦手なんである。従弟の娘が目を覚まして、サンダルが無いとか言っている。あ、抱いて帰ってきたから履き物は持ってきてないや。

私と私の両親は、母の妹夫婦の家に泊めてもらうことになる。夕食を食べながら叔母夫婦と両親と私で、いろいろと話をする。私の父親が倒れたときの話も聞く。親子だけではなかなかこういう話はできないのである。もう今年で35年になるんだな。

前に、父が夜中に倒れたときには我々兄弟を近所の人に頼んだと書いたが、最初は近くに住んでいた母の弟に電報を打ったらしい。当時は、どこの家にも電話があるような時代ではなかったのである。しかし彼は夜勤明けで眠ったところだったので、いくら戸を叩いても起きなかったそうな。そこで、その電報は近所の人に預かられることになってしまったらしい。ほとんどトトロの世界ですな。そこで、社宅内で電話がある家のことを思い出して、そこに電話をかけて鍵の場所を教えて子供のことを頼んだというのが真相だったようだ。

父は開業したての病院に担ぎ込まれてそこの診察室で治療をしていたのだが、当時はそこにしか電話がなかったので、親戚中に電報を打っているのを「自分は危ないんだな」と思いながら聞いていたそうである。医者も、いくら輸血しても出血してしまうので匙を投げかけたらしいが、母親が背負っている生後半年の妹を指して
「先生、この子が父親の顔を知らずに育つのは、あんまり不憫です。植物人間になってもええから、この子が父親の顔をわかるようになるまで何とか生かしてください」
「意識は戻らんかもしれんぞ」
「それでも、かましません」
「わかった。もう少し頑張ってみる」
というので、頭部を下げ、輸血を止めて血圧を下げる処置に出たそうである。父は血圧40までは覚えているが、そこから先は記憶がないそうな。

それで一命は取り留めて何とか退院はしたのだが、母には1年保たないだろうと言っていたそうだ。それで5年後に父が挨拶に行くと、ドクターは文字通り椅子から飛び上がって驚いたそうな。幽霊が出たと思ったんでしょうな。

妹の結婚式前日の息子の行動について新事実が判明した。彼の憧れの君はここの孫なので叔母夫婦と同じ部屋にいたのだが、息子は当初、部屋の外をウロウロして中をうかがっていたらしい。そして、意を決したように部屋の中にやってきて彼女に向かって「ぼくは、いかりしんじ(仮名)です。あなたはだれですか」と言ったそうな。おおおう、スゲエ。大人だってなかなかそこまではできないぞ。それからあの熱烈アタックですか。一世一代の告白だったのね。まあ、それをあちこちでやられても困るんだが。



6月8日(金) 
今日は従弟の初七日の法要である。ぜんぜん初七日じゃないんだけどね。遠方から何度も親戚が来るわけにもいかないので、葬儀の後すぐにやることも多いらしい。宗教も時代によって変化するということだな。でもやはり、親しい者を喪った哀しみを昇華するにはある程度の時間が要ると思うんだけどね。

母の実家の菩提寺は、市の中心部にある。敷地に入ってみると、木が鬱蒼と生い茂って、鳥がさえずっている。すぐそこを車がビュンビュン通っているとは思えない。建物もそうとう旧い。市街地はかなり空襲の被害があったと聞いているのだが、ここはそれを免れたんだろうね。

昨夜は、葬儀が終わり家族だけになって、彼の父親は号泣していたそうだ。そうだろう。私だって息子に先立たれたら正気でいられない。

従弟はもう、最後の方は常時来ている以外の人間が面会に来るだけでそうとう疲れていたらしい。いよいよ危ないという状態になってから遠方の人間が会いに行くと「おまえはもう終わりだ」と言っているようなものだから私は行かなかったのだが、彼の体調を慮るとそれが正解だったんだろうな。でも、やっぱり意識のあるうちに逢いたかったよ。

彼が従弟のなかで私のことをいちばん慕ってたとか言われると、かえって辛いよねえ。特に、メールが来ても、なかなか返事を書けなかったりしたからなあ。返事が欲しいんだろうな、何か言ってほしいんだろうな、そう思うようなメールもあったんだが。…生きているうちに何もしてやれなかったくせに、死んでから「いいやつだった」とか言ったって偽善だよな。オレって、最低だ。

インターネットの掲示板とかで仲良くしていた人も何人かいたらしい。そっち方面への通知はどうしたのか彼の母親に訊いたが、それは彼の兄がやったらしい。最後の方は彼女が代わりに送受信していたらしいからね。そういう相手には病気であることを明かしてつきあっていたらしいが、それでもいきなり死亡の通知が来たので「そんなに悪かったとは…」と驚いていたそうだ。彼は「入院しますけど絶対に治します」とか書いていたらしいし。文字だけのつきあいだと、実際のところは見えないんだよね。

家に帰り精進明けの食事を終え、落ち着いた頃になると、また弔問客がやってくる。遺族がまた応対しなければならない。客がまたいろいろ話を訊いたりするから時間がかかるんだよな。相手をする方は、疲れているのに同じような話ばかりしなきゃいけないんだろうし。遺族のことを思ってやってくるのかもしれないが、やはり、自己満足だよな。

かなりビールを飲まされたが、帰るまでに彼の遺品のパソコンでExcelを使って弔問客の名簿を作ることにする。少しでも遺族の負担を軽くしないといけない。いちばんのパソコン使いがいなくなったんだからね。何かあると雑用は彼に頼んでたみたいだし。ウチも、私が死んだらカミさんはトラブルの対応はできないだろうな。出発までに何とか親戚・近所の百数十人分の入力は完了した。しかし、手書きの文字というのは読みにくい。本人は自分の住所と名前だからわかるんだろうけど、他人が見ると全くわからないのもある。こういうときは下手でも丁寧な字を書こうと思ったことであった。

故人の母親が空港まで車で送ってくれるという。こんなときに…有難いことである。空港の売店で、カミさんと息子に土産まで買ってくれる。私は何も慰めることができなくて、ただ飲み食いしてただけなのに…

カミさんが息子を連れて関空の駅まで迎えに来てくれた。帰りは電車の中で従弟の話をして二人で泣きながら帰る。息子もいつもと両親の様子が違うのはわかるようで、「おとーちゃん、だいすき」と言って抱きついてきてくれる。母親にも同じことをしている。4歳児なりに慰めてくれようとしているのか。気を遣わせてしまって、すまないな。でも、死ぬなよ。本当に、死んでくれるなよ。




6月9日(土) 
今朝は早起きできなかった。息子もなかなか起きなかったようである。昨夜は帰ってきたカミさんのFIVAを何とか使えるような状態にしなければいけなかったので彼を寝かせたのは真夜中過ぎになってしまったのである。そして、息子と一緒に寝てしまっていたのだ。

会社の後輩にハードディスクを入れ替えてもらったものを6日に持って帰っていたのだが、さすがにあのドタバタの中では環境を整えられない。カミさんだけじゃ設定できないだろうからね。OSはCD-ROMドライヴを繋いで入れないといけないし、LANカードのドライヴァはフラッシュカードで入れないといけない。入出力装置を省いて小型軽量化しているマシンの設定は大変だ。

メールが来ていた。私の発注したマシンは日本に向けて輸送中だそうである。しかし、DELLがまた大幅に値下げしたようで、内蔵のDVD-ROMをCD-Rも焼けるタイプに変更した構成でも私のより2000円も安くなってしまった。ちょっと悔しい。本当に時価だねえ。私が入手してからPC価格が暴騰してくれれば嬉しいのだが(苦笑)。

今日も例のラーメン屋で外食である。喪に服すと言いながら豚骨ラーメンにニンニクをブチ込んで食っているのである。全く救いようのない奴だな。そしてまた例によって食後は隣の古本屋に入る。そこでまたオリジナルの星虫のオリジナルを発見してしまった。何でこれを手放すんだろう。また思わず買いそうになってしまったのである。

そして、今週もカラオケを歌いに行く。喪に服すると言いながら歌を歌って騒いでいるのである。順番待ちの時間にレンタルソフト屋で中古のCDシングルが1枚10円で売っているというので見に行く。45枚も買ってしまった。いつ聴くんだろう。録音するだけでも大変だな。



6月10日(日) 
息子が起こしにきた。まだ9時じゃないか。昨夜(今朝?)は5時まで起きていたので眠いのである。しかし、母親は全く起きる気配がない。仕方がない、起きるか。

時間はあるが、なかなか日記が書けない。平気なようでいても、やはりショックを受けているのか。今回にしても祖父母の葬儀のときでも、みんな泣いてるのを遠くから見ているような気分だったから、オレは冷血漢だと思ってたんだがなあ。

サッカーの決勝を観る。ちょっと見ただけでも、かなり実力差があるような感じでしたね。システムがどうこう言うよりも、まず駒の威力が違う。これまでは信じられないくらい速くパスを回せていたのだが、やっぱり圧力が強いので思うようにパスが繋がらない。こりゃダメだ。まあ、それでも勝つ可能性が皆無とは言えないのがサッカーの恐ろしさだな。

狼谷辰之  新書館ウィングス文庫
なる
¥620+税  ISBN4-403-54021-X



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