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6月1日(火) 
昨日は昼間は蒸し暑かったのだが夜になって冷えてきた。私の布団が片付けられてタオルケットだけになっていたので、それを身体に巻きつけて寒い寒いと思いながら眠っていた。家族は大丈夫だったんだろうかと起きてから確認してみれば、カミさんと息子の布団はまだ残されていた。亭主の扱いというのはこんなものか。

今朝も息子と一緒に家を出る。息子の学校を過ぎて一人になってから気がついた。昨日のうちに「ムジカ・マキーナ」(高野史緒:ハヤカワ文庫 JA:→【amazon】:→【bk1】)をほとんど読み終わっていたのに次に読む本を持ってきていないのである。仕方がない。どこかで何か買うことにしよう。

今日は通勤中に「グレイテスト・ヒッツ Vol.2」(クイーン:→【amazon】)を聴いている。入っている曲はどれも水準はクリアしている。しかし私はQueenは無条件に愛してるというほどではないので、ヒット曲以外はそれほどでもない。ファンならたまらないのかもしれないが。

そして、往きに「ムジカ・マキーナ」を読み終えた。全体的には、これを実現した技術レベルがちょっとアンバランスなような気がしながら読んでいた。周辺技術が未成熟な状態でこのような技術が突出して発生するはずがないと思ってしまうのである。裾野がなければ山は存在し得ない。いくら急峻でも、塔のような山はありえない。まあ、それを描くのがSFというものなんだけどね。それでもパラサイト・イヴに比べればぜんぜんおっけーだな(基準はそれかい)。

しかしそういう懸念をすべて吹っ飛ばしてしまうほど、この物語のクライマックスは素晴らしい。至高の音楽、音楽による闘い、それが音楽用語を解さない私のような人間にも圧倒的な迫力をもって迫ってくる。この作品が賞を獲れずに世に出ることも難しい状況だったというのは信じられないな。それでも、今こうやって私の手元にあるということは、この作品がそれだけの「力」を持っていたということなんだろう。これは書こうとして書けるものではないような気がする。筆者が取り憑かれたようになって描いているのが伝わってくるように感じられる。私の勝手な思い込みかもしれないが。

帰りに、読む本を入手するため仕事場近くのブックオフに寄る。そこで、「日本地名地図館」(小学館:→【amazon】:→【bk1】)という本を見つけてCD-ROMがついているというので思わず買ってしまった。半額だとはいえ五千円近くするのだが。こういうデータベース的なものを見るとついつい見境なく買ってしまうのである。とにかく、自分のPCに入っている情報を充実させたいのである。自然の欲求なのである。

そして「なぞの転校生」(眉村卓:角川文庫:→【amazon】)も買ったので帰りの電車の中で読み始める。いま読んでみるとかなりヌルい。当時としてはそれがちょうど良かったのかもしれないが。これだけ高度な存在がこんなふうになるなんてありえないよなあ…などと思いながら読んでしまう。しかし、それを素直に楽しめなくなっている自分が少し哀しかったり。人は変わってゆくものなのである。

それでも、「彼ら」の正体が判明してからは俄然盛り上がってくる。この結末にはちょっと感動してしまった。こういうストレートすぎる展開には多少の古臭さは感じるが、素直に読みたい気分にしてくれるんだよなあ。設定はヌルいが、物語としての力は最近のライトノベルよりも上なんじゃないだろうか。そう言えるほどライトノベルも読んでいるわけじゃないが、そういうことを思ってしまった。

今夜は家への途中でスーパーに寄り、野菜ジュースや発泡酒、ヨーグルトなどを買って帰る。風邪気味で重い本を持っているのにさらに荷物を増やすというのも馬鹿な話である。夜空を見上げると、ちょっと前まで真夜中の中天に輝いていた木星が、いまは西の空に見える。それほど木星は動いていないのだろうけど、地球の動きが速すぎるんだな。こうやって、気がつけば人生が終わっているのだろう。それでも、この人生を微分した一日一日をより良くなるように生きていくしかないのだな。そういうことを思いながら家に向かうのである。

家の前に立つと、娘の泣き声が聞こえてきた。家に入るとカミさんは電話をかけている。娘は2階で泣いているらしい。買ってきたものを冷蔵庫にしまい、着替えてから階上に上がる。長時間放置されたせいか、娘は抱き上げても怒っている。こういうときは勝利の方程式…ということで娘を背負うが、すぐにカミさんの電話は終わったのだった。焦って背負ったので腹筋が攣ってしまった。痛い。



6月2日(水) 
今朝は家を出るのが少し遅くなってしまった。いつもより少し遅れて家を出て近鉄に乗っていると、環状線で人身事故があって止まっているという車内アナウンスがあった。あらー、どうすればいいんだろう。とりあえず鶴橋で降りて近鉄のホームで駅員に訊いてみる。JRの駅員に振替乗車証というのをもらうように言われる。

それでJRとの改札のところに上がって訊いてみると、ここでもJRの駅員に振替乗車証をもらうように言われる。指さす方を見ると、JRの駅員がものすごい人混みに取り囲まれている。しばらくたどり着けそうにない。やっぱり振替切符の発行も自動券売機でできるようにすべきだよなあ。たまにしか使われないシステムだから対費用効果という点では優先度が低いのかもしれないが、混乱時の損失を考えるとやはり障害時のシステムも大事なんだよな。とか考えながら10分ほど待ってやっとJRの駅員のところに着く。

しかしJRの駅員は遅延証明書を配っているだけだった。地下鉄の駅に行って振替切符をもらうように言われる。何だよそりゃ。それだったら何も考えずに地下鉄の駅に行けばよかったんだ。時間を無駄にしたな。他の人も同じことを訊いている。こりゃ近鉄とJRの間の連絡がうまくいってませんな。しかし、ずっと同じことを訊かれるならFAQとして拡声器か何かで広く通知するようにすれば混乱も少なくなると思うんだがな。まあとにかく、また人の波をかきわけて人混みから脱出するのである。

そして地下鉄の駅に行くと、改札前で代行乗車票というのを渡された(→【写真】)。思えば、JRを使って通勤しているのに、不通になって代替輸送されたことはなかったよなあ。環状線はほとんど高架になっているから事故は少ないのだ。皆さんもJRが止まって地下鉄で振替輸送されるときは直接地下鉄の駅に行きましょう。こういうのは情報共有しないとな。

地下鉄で何とか梅田に着いたが、阪急の特急にうまくタイミングが合わない。時間潰しに梅田駅の本屋に入ると、「The S.O.U.P.」(川端裕人:角川文庫:→【amazon】:→【bk1】)があるのを見つけてしまった。おおっ、この人の作品は何があっても読むべきなのである。即ゲットなのである。すぐに読み始めたいのだが、すでに「エリコ 上」(谷甲州:ハヤカワ文庫 JA:→【amazon】:→【bk1】)を読み初めてしまってるからなあ。まあ、こっちも面白いからいいか。上下巻だしヌルい作品だったらすぐにでもチェンジするんだが。

風邪を引いたのか、水っ洟が止まらない。昼食を食べているときなんか、体液の分泌が盛んになるせいかダラダラ流れてくる。ハンカチで鼻を押さえながら食べるのである。

うわー、マイペディアも1,980円ですか。すでに持ってるのに買ってしまいそうだな。持ってるのはバージョンが古いからな。とにかく、自分のPCに入っている情報を充実させたいのである。

今日も夜遅くまで京都で仕事。家に帰り着くと21時過ぎだったのだが、息子は起きて「トリビア」を観ていた。私も食事をしながら観て、終わると一緒に寝室に入って寝ることにするのである。



6月3日(木)
昨夜は息子と一緒に早く寝てしまったので今朝は早く起きようと思っていたのだが、けっきょく起きたのはいつもより少し早い程度だった。それで日記を書いたりしていたのだが、起きるべき時刻になっても妻子が起きて来ない。息子を起こしに行くとカミさんは「起きなきゃ…」とか言っていたのだが、我々が下りても寝室から下りてこない。トーストを焼いて息子に食わせる。後片付けをして今日はゴミ出しの日なので燃えるゴミを集めていたら、息子は先に出て行ってしまった。ふにゃふにゃ。いつもは私が先に出ようとすると「父ちゃーん、待っててや〜」とか言うくせに。

時間がなかったので、ぜんぜんWeb巡回をしていない。カミさんが起きてこなかったということは、昨夜は遅くまで遊んでいたはずだ。日記も更新しているはずだと思うのだが、読めてない。そこで、出勤途中のホーム上で携帯を使って見てみる。やはり更新されていた。便利になったものである。

阪急の京都行き特急は、今日はいつもにも増して並んでいる人が多い。しかしその人数も車両によって違いがあるようで、真ん中あたりの車両を待つ列に並ぶとほぼ希望どおりの席に座ることができた。それで本を読もうとしていると、すぐ横に誰かが座ってくる。2人分空いている席もあるだろうに、何で私の隣に座ってきますかオバサン(といっても私と同年代なんだろうけど)。

引き続き「エリコ 上」(谷甲州:ハヤカワ文庫 JA:→【amazon】:→【bk1】)を読んでいる。読んでいて設定に不自然さを感じない。隅々までよく考えられている。どうも最近そうでない話を読んでいるので、そういう当たり前であるべきことに感心してしまうのである。これは読むのを中止することはないだろう。

風邪気味で鼻水ダラダラである。経験的にこういうときは水分を大量に摂取すべきなのである。ライフガードの500ml缶が100円なので、往きと帰りにそれぞれ1本ずつ買って歩きながら飲む。家に帰ると、飲みかけの缶を持っているのを息子が見つけて飲ませろと言ってくる。飲ませてやると、「おいしー」とか言いながら飲んでいる。カミさんには「薬みたい」な味だと言われたんだけどね。

そして、夕食時には発泡酒でまた水分の補給である。しかし飲んでいると、肩の後ろがキューッと締めつけられるように痛くなってきた。ちょうど10年前、20km離れた客先に1時間かけて自転車で行き、着いた直後にビタミンC飲料を飲むとこういう感覚があったのを思い出した。体内の浸透圧が急に変わったせいだろうか。心筋梗塞でもこういう痛みがあるというからなあ。

なかなか痛みが治まらない。今は生命保険の切り替え時期のため2つに重複して入っているので、今このままコロッと逝ってもいいかなあ…とか思ってしまう。子供の頃は死ぬのが怖くて怖くて仕方がなかったのだが、この歳になるとそれほどでもない。どちらかというと、子供に対する責任感で生きているようなもんだからな。いや、やっぱり娘が一緒に風呂に入るのを嫌がるまでは生きていたいよなあ(コラ)。



6月4日(金)
相変わらず風邪で鼻水が酷い。水っ洟が顔を流れているのを何とかしなきゃ…とか思いながら何もできずに寝ている。けっきょく、そのままの状態で7時前まで寝ていた。起きると顔面がゴワゴワなのである。

やはり、こういう水っぽい風邪のときには水分補給だ。仕事場に行く途中にあるスーパーで飲むものを買うことにする。DAKARAの2リットルボトルが175円と表示してあったので買うことにした。しかし、175円と書いてあったのにレジでは198円と表示されたのである。文句を言うと、責任者らしき人が呼ばれてきて「POP取り忘れ」とか言っている。するとそれは昨日までの値段ですか。それでも、差額は返してくれたのだった。仕事場に着いて飲み始める。午前中の2時間でほど飲みきってしまった。時速1リットルですか。

今日から通勤中に「BEST〜the single」(ZARD:→【amazon】)を聴いている。デビュー当時はヴォーカルのねーちゃんが好みのタイプだったのでファンだったんだが(当時のヴィデオテープがあるんだがベータマックスなんで再生できねえや)、売れてしまうと過去の暴露情報がいろいろと出てきて「売れるためには何でもやる女」だというイメージができてしまって醒めちゃったんだよな。それくらいでないとこの世界では生き残っていけないだろうということはわかっちゃいるんだが、やはり幻想は抱いていたいものなのである。

しかし、改めて通して聴いてみると、ノリやすいリズムのわかりやすいアレンジ、キャッチーなサビと、一般大衆に売れるためにしっかり計算されているのに感心する。わかっていても、なかなかこうはできないものだ。私も妙に先鋭的なものよりこちらの方が安心して聴ける。ちょっとドラムスがうるさいか。

エリコ 上」(谷甲州:ハヤカワ文庫 JA:→【amazon】:→【bk1】)を読み終え、「エリコ 下」(谷甲州:ハヤカワ文庫 JA:→【amazon】:→【bk1】)を読み始める。下巻になって出てきた悪役が今までいなかったタイプで不気味でイヤンな感じが非常にいい感じである(何を言いたいのか?)。これだけ現実離れした話なのに、ぜんぜん嘘臭さを感じない。このあたりの手際は見事なものでございます。



6月5日(土) 
私が芸能人になって仕事でキムタクと一緒に移動してて、途中で工藤静香に会って「あっ、彼女はキムタクの奥さんだったんだ」と気づいて「ご主人にいつもお世話になっております」と挨拶したら「いえいえ、こちらこそ」と返されて、「俺も芸能人になったんだ」とキムタクに言ったら「何言ってんすか」と返されているという夢を見た。……オレってスゲエ俗物だったんだ。自己嫌悪である。しかし、俗っぽいと言えばこれほど俗っぽい夢もないよな。まるで、目立ちたがりの小学生が見そうな夢である。書いてて恥ずかしくなってきた。まあ、こういうので笑ってもらうというのも、ネタとしてはアリでしょう。

今日は休日のはずなのだが、仕事で午前中に客先に電話しなければならないので早めに起きる。そして先日買ってきた「日本地名地図館」(小学館:→【amazon】:→【bk1】)に付属していたCD-ROMから検索ソフトを自分のPCにインストールしてみる。何の問題もなくインストールできた。地図をダブルクリックして地名について調べられるのは便利である。しかし実際に使ってみると、もう少し細かい地名まで載っていたら…と思ってしまう。まあ、ちょっと細かくするだけでデータ量が十倍とかになっちゃいそうな気がするからな。

カミさんは朝からマスコマを観に行くのである。新世界というディープな場所に、バトー似の美女草薙素子似の美女を連れて行くということは、「イノセンス」ごっこをしに行くとしか思えない。ちょっと羨ましいような気もするのである。

今日も娘は保育所行きである。カミさんが映画を観に行っている間に、息子を耳鼻科の医者に連れて行くよう言いつけられる。学校の健康診断で扁桃に肥大があると診断されたので、水泳をしてもいいかどうかの判断をしてもらわねばならないそうなのである。土曜日なのでかなり待たされる。息子は待合室に置いてある本を読んでいる。やっと順番が来て診察されるが、「ノドは腫れてるだけですわ。気になるんは鼻ですわ。薬出しときます」と言われてしまう。ノドが腫れてるのが問題だと言われてここに来てるような気がするんだが。

ついでに私も今週はずっと体調が悪いので診察してもらう。「風邪ですな。鼻風邪ですわ」ということである。屋外に出るとくしゃみや鼻水が酷くなるような気がするので花粉症の可能性もあるかなあと思っていたのだが、この倦怠感はやはり風邪だったか。

医院で処方箋を受け取り、薬局に行って金額を告げられたときになって気がついた。私は鼻風邪だったら抗生物質など飲む気はないし、息子にも余計な薬を飲ませる気はない。だったら処方箋はシカトしてそのまま帰ってくれば良かったんだ。うー、1600円以上も無駄にしちまったぜ。

そして、ドラゴンボール 巻8」を買いに行く。息子に「道 覚えてるか?」と訊くと「覚えてるよお」と言うので先に走らせると、曲がるべきところで真っ直ぐ行ってしまう。「こらー!」と叫んで止めたが、そのまま行かせて自分で間違いに気づかせた方が良かったかな。そして、前回3巻があった古本屋に入ると「ドラゴンボール」がほとんど無くなっている。それでも数冊残っている中に8巻を見つけて買うのである。200円であった。

カミさんから今日は遅くなると電話が入っているのだが、娘は保育所に迎えに行かなくてもいいのだろうか。洗濯物と布団を取り入れてから電話をすると、17時に迎えに行くことになっているという。それじゃ、もうすぐ出なくちゃいけませんな。

帰ってきた娘はカミさんの実家で預かってくれるという。それで家に戻ってカミさんのご下命で米を研いでいたら、息子がやってきてキャッチボールをしたいと言う。まあ、これから梅雨だからしばらく外で遊びにくくなるだろうし、娘もお義母さんに預かってもらっているので、やることにしましょうか。

カミさんが帰ってきてから近所の安売り酒屋に発泡酒を買いに行く。麦風というのが24缶ケース入りだと1缶あたり税込でも100円未満だったので買う。でもこれは発泡酒じゃなくて、酒税法上の分類では「リキュール類」になるようだ。アルコールは麦焼酎由来のものだかららしい。だから安いんだな。

しかし、いろいろと考えるものである。すべては根拠なくビールの酒税が高いことが原因だ。法律に矛盾があるのだから、その隙間を突くのは当然の行為だよな。最近までこういう動きがなかったのが不思議なくらいである。酒税の定義で「ビール」ではなくて旨い酒を造る。それを、各メーカーがこれだけ舌の肥えた国民に対して提供しようと鎬を削っているのである。意外と、この法律の矛盾のせいで新しい味を創ってしまうことになるのかもしれない。

ここのところ鼻の内側でずっと水っ洟が分泌されている。それが乾燥し固まってゴワゴワになる。それで鼻をほじってたら、トロトロっと鼻血が出てきた。慌ててティッシュを取りに行く。鼻を押さえて行ったはずなのだが、ティッシュを取って振り向くと、私の歩いた後にはポタポタと血が落ちている。床に落ちた血痕を娘が触ろうとしている。おい、やめろ…というか、彼女の手や服まで血が付いているんですけど。こんなに鼻血が出たのは初めてだな。私にもこんなに血液が流れているということか。



6月6日(日) 
身体がだるくて10時過ぎまで寝ている。昨夜は鼻から大量出血したので、鼻の穴にティッシュを詰めたまま寝ていたのだった。起きて顔を洗う前に洗面所で抜糸…じゃなくて抜ティッシュするときにはまた出血するんじゃないかと緊張したが、さすがに一晩経っているので引き抜いても特に問題はなかった。

カミさんは14時過ぎになって娘を連れて起きてきた。やはり昨日の「イノセンス」ごっこは疲れたらしい。今日も一家ダラダラと過ごす。しかし蒸し暑い。私は脂肪が少ないので夏向きの体質だと思っているのだが、この湿度の高さには耐えられない。去年もこんなに暑かったっけ。そう思って昨年同時期の日記を読んでみるが「日差しも強いし」という記述はあるが蒸し暑いとは書いてないなあ。

夕食時に、昨日買ってきた麦風を飲んでみる。やはり麦焼酎が主原料というだけあって、発泡酒のような軽さはない。「ビール風チューハイ」という感じですな。それにアルコールも濃く感じる。一人で飲むと酔いが強すぎるかもしれない。



6月7日(月) 
【注意】今日の日記は食事中には読まないように(そんな人いないだろうけど)。

私が出勤するためには近鉄線を越えて向こう側に行かなければならない。踏切で特急が通り過ぎようとしていたのでそれが行ってしまえば開くのではないかと思って待っていたのだが、踏切直前で速度を落としてしまった。見ると、特急の車両ではあるが回送であった。そしてその回送は通り過ぎたのだが、警報機の矢印表示は消えない。また次の電車が来るようである。近鉄は車両が来るかなり前から踏切が閉じてしまうんだよな。業を煮やしたオッサンが遮断機をくぐり抜けようとしている。安全係数を高くすればそれだけ安全になると思ってるんだろうな、近鉄の馬鹿どもは。それだけ待っている人間にストレスが溜まるから、逆に危険な行動を取りがちになるんだぞ。阪急のクイックレスポンスを見習えってんだ。

梅田で阪急の特急に乗るため、列に並ぶ。ババアがいない列に並ぶのが正解。反対側の入り口にババアの集団がいればなお良し。ババアが後ろの乗客が入ってくるのを妨害してくれる。いい席に座ろうと思えば、そこまで考えなければいけないのだよなあ。

十三で隣に女の人が座ってくる。…オバサンか(私より若いだろうが)。ええ歳して付け爪してるんかい…とか横目で見ながら思ってたら、強烈な匂いが押し寄せてきた。なんでこういう派手な女は臭いんだろうね。マスクをかけて耐えるのである。

…なんか、攻撃的なことばかり書いてるなあ。体調悪いんか。月曜日なのに。

今日はアミノサプリの2リットルボトルを買い込んで仕事場に向かう。最初の1時間で半分を飲んでしまい、今日も時速1リットルのペースかと思っていたのだが、なんだか腹具合がおかしい。便意を催してトイレに行く。そのときには少し緩い程度だったのだが、すぐにまたトイレに行くと…すごい下痢である。しかし、苦痛はない。そして3回目のトイレでも、まだまだ水のように出てくる。肛門から、ほとばしるように出てくるのである。これだけの下痢は久しく経験したことがない。先週のDAKARAではこんなことはなかったんだがなあ。アミノサプリが体質に合わなかったのだろうか。

今日も京都で21時前まで仕事。家に戻ると真夜中である。思いついて妹のペンネーム(童話を書くときのもの。漫画家時代は別)で検索していると、彼女の本が出ているのを見つけてしまった。何をしているのかと思えば、こういうことをしていたとは。とりあえず、リンクを張っておこう(→【amazon】:→【bk1】)。書名や著者名を出さずにWeb書店のページにリンクを張るだけならば、本人に気づかれる心配はないだろう(カミさんのペンネームは知られてるはずだから、そっち方面から捕捉されてる可能性は大きいが)。誰か間違って買ってくれるかもしれないし。でもやおいではありません。童話です。ウチのカミさんとはまったく無関係です。

でもポプラ社っていうと、大手じゃないですか。個人的には、文芸社とかじゃなければそれでいいんだが。調べてみると長崎県新潟県で課題図書になっているらしいから、そういうことはないだろう。偉いもんである(まあ、やおいじゃどう間違っても課題図書にはならんだろうが)。しかし、カミさんも妹もクリエイターなのに、この私の薄々さは、いったい何なんだろうね、まったく。



6月8日(火) 
今朝も息子と一緒に家を出る。彼が校門を入ると、校舎の上の方から声が降ってくる。「碇〜(仮名)」「チョウチョなってんでー」彼は上を見上げると、校舎の入り口に向かって駆けてゆく。教室で蝶の幼虫でも育ててたんだろうか。

今日は通勤中に「青春歌年鑑 1989」(オムニバス:→【amazon】)聴いている。しかし、この年のヒット曲はヒドい。どの曲を聴いても軽くて軽くてどうしようもなく空虚である。自分が歳を取ったせいかとも思うが、そう思って聴いていても薄っぺらい感覚しか感じない。歌謡曲の工藤静香の方が聞きごたえがあるくらいだ。あと、美空ひばりのキャラクターやスタイルは好きではないのだが、それでも「川の流れのように」はいい曲だな。

帰りに電車の中で聴いていた歌があんまりヘタクソなのでアーチスト名を見てやろうと思って京都駅のエスカレータのステップに立ってEXILIMのリモコンの液晶を見ていたら、どうも追い越してゆく人の流れがおかしい。周りを見ると、歩かない人はみんな左側に立っているのである。私だけ右側にボーッと立っているので追い越すときに左右の移動が発生していたのだ。慌てて左側に移ろうとして追い越そうとしている人とぶつかって鼻を打ってしまった。いてて。鼻血が出なくてよかったと思うべきか。で、その曲を歌ってたのは宮沢りえだった。

しかし、同じ関西圏だからということで何も考えずに右側に立ってしまったのだが、思い出してみれば京都も右側を歩くのだった。たしか広島もそうだったし、大阪だけが違っているのだろうか?

そして今日、通勤中に「エリコ 下」(谷甲州:ハヤカワ文庫 JA:→【amazon】:→【bk1】)を読み終えた。最後はなんか小さな話になってしまったというか騙されたみたいというか、そういう感じだったのだが、それでも面白かった。何度も書いているが、これだけ現実ばなれしたものが次々に出てくるのに全然白けない。これは大したものだ。連載中に立ち読みしていたときにはスゲえイヤらしい作品だと思っていたのだが、通して読んでみるとそれほどでもなかったな。やはり主人公が元は男だということを知ってしまったせいだろうか?

続いて「The S.O.U.P.」(川端裕人:角川文庫:→【amazon】:→【bk1】)を読み始める。期待して読み始めたのだが、どうも記述がヌルい。インターネットに関わっている者ならば誰でも知っているようなことしか書かれていない…などと思いながら読んでいたのだが、どうやらまだ奥があるらしい。そりゃそうだろうな、この人の作品がこういう薄い内容のまま終わるはずがない。普段ネットに触れていない人への導入部というところか。でも、この人の作品を買って読むような層だったら、この程度のことは先刻ご承知のような気がするんだけどな。ハッカーが2ちゃんねる用語を使ってるのもイヤな感じだったんだが、どうやらこれはいわゆるスクリプトキディのようだ。

今日は妹の本(→【amazon】:→【bk1】)が出ていることについて実家に報告するために早めに家に帰る。それでも家に着いたのは21時前だった。電話すると、私の母は旅行中だという。やはり妹の本の件は知らなかったようだ。彼女はそういうことは家族に知られたくないので秘密主義なのである。以前、投稿した童話が大賞を獲ってその授賞式に母親を連れて行ったのをずいぶん喜んでいたから教えてやればいいじゃないかと思うんだがな。ウチの兄妹の中ではいちばん甲斐性がないくせに一人暮らししてたから、経済的にはいちばん親に迷惑かけていたはずなんだから。電話している横でカミさんが「お兄ちゃんに見つけられちゃって、可愛そうに」と言う。こんな時代なんだから、こういう派手なことしてれば私のような薄々の一般人でも検索できまっせ。Googleがなかった10年前ならいざ知れず。

カミさんは子供たちを連れて寝室に上がっていった。私が食事をしてシャワーを浴びてパソコンをいじってたら2時を過ぎてしまった。階段のところに洗ったままの洗濯物が放置されている。湿ったまま置いておくと雑菌が繁殖して洗ったのが逆効果になるんだよなあ。そういうことで私が干すことにする。一番上は乾きかけていたが、やはり下の方は異臭を放ち始めている。しかし量が多い。小間物干しに吊りきれない。「何でこんなにあるんじゃー」とか、きーきー言いながら干している。いかんいかん。きーきー言うのはカミさんの役目だ。生後9ヶ月の乳児を含め子供が2人もいるんだから、洗濯物が多いのは当然だな。梅雨時でなかなか乾かないし。

洗濯物を干してベランダから入ってくると、寝室にカミさんの姿が見えない。居間に下りてゆくと、彼女はパソコンを使っていたのだった。ふにゃふにゃ。



6月9日(水) 
今日は通勤中に「RECYCLE Greatest Hits of SPITZ」(スピッツ:→【amazon】)を聴いている。「スピッツ」という名前には「力がないくせにうるさく吠えるだけ」というイメージがあってあまりいい印象は持っていなかったのだが、なかなかいい感じだな。まあ、それだけネーミングは大事だということである。そしてベストだけあって、私のようなオジサンでもたいていの曲は聴いたことがある。やはりよく売れてるんだな。ただ、どれもこれもみんな同じ色なので、ずっと聴いていると頭が麻痺してくる。自分達のスタイルにこだわりがあるのかもしれないが。

朝、阪急梅田駅で特急を待っていると、そこがエアコンの吹き出し口の真ん前だったので、強烈な冷風が大量に吹き出してきていた。個人的には気持ちがいいんだが、こんな地上駅のオープンスペースでこういうことをしていいのかね。莫大なエネルギーと負のエントロピーの無駄だと思うのだが。

引き続き通勤中に「The S.O.U.P.」(川端裕人:角川文庫:→【amazon】:→【bk1】)を読んでいる。主人公がオンラインゲームの世界に入ってゆくところで、なんかイヤンな感じ。私は普段からRPGのゲームはしないしファンタジーもよくわからないのである。いやそれよりも、だいたい経験的にこういう話は当たり外れが大きいのである。クリス・クロスとかクラインの壺とか傑作もあるのだが、どちらかというと私にとって愚作が多い。どうも後者の匂いがするのがイヤなんだよな。

ゲームの世界で「完全な自由度」を実現しようと思えば、現在のゲームシステムとはまったく異質の仕組みでなければ実現できないと思っているのだが、この描き方ではそういう記述がない。…と、イヤな予感を無理やり分析してみたが、どうも違うような気もする。この不安感はいったい何なんだろう。

しかし、指輪物語になぞらえて語られる、この二人の出会いの場面は感動的だ。陳腐な言い方だが、やはりこの人の作品には「青春」がある。若者たちが妄想とも思われるような「何か」をなしとげる、いや、なしとげようとする物語。それがいいんだよな。

この作品中では「AI」という用語が重要なキーワードとして使われているようだ。しかしこの言葉は、私の中ではすでにガラクタのようなイメージになっている。古いブリキのロボットのような、そんな感じ。そういう言葉が使われているのも違和感を感じる一因だ。まあ、ニューロコンピュータやカオス理論、人工生命まで知ったうえで描いているようだだから、何かの意図はあるのかもしれないが。

昨日は雨が降らなかった。今日なんか、快晴である。まあ、梅雨入り宣言したとたんに雨が降らなくなるというのは、ここ数年の傾向だからな。しかし「梅雨入りしたとみられる」ってのも、責任逃れの役人らしい言い回しだよな。そんなことでテメエの存在価値はどこにあると思ってるんだ。

今朝は作業場所に行く途中でスーパーに寄り、アクエリアスの2リットルボトルを買い込んで仕事中に飲んでいる。やはりアクエリアスは大量に飲むと甘ったるさがちょっとイヤだな。



6月10日(木) 
引き続き通勤中に「The S.O.U.P.」(川端裕人:角川文庫:→【amazon】:→【bk1】)を読んでいる。現実世界の描き方は申し分ないのだが、サイバースペースの描写には違和感をがあるんだよなあ。こういう作品ではいつも感じることなんだけれど。どうしても現実世界との比喩で描くと嘘臭くなってしまう。その本質は現実世界と異なるところにあるのだから。

朝、京都に着き阪急の駅を出て裏通りを歩いていると、ジーンズ・Tシャツで丸坊主といった体育会系の兄ちゃんたちが寺の中を覗き込んでいる。1メートル四方ほどの板とかを持ってたりしたので一瞬引越し業者かとも思ったのだが、その中の一人がデカいカムコーダーを抱えていたので合点がいった。何かの撮影だな。やっぱりこういう現場は肉体労働である。彼らの一番後ろ、狭い道なので向かいの塀にくっつくようにして一人だけ小ぎれいな格好をした化粧の厚い姉ちゃん(と言いにくくなりつつあるくらいの年齢か)が立っている。この人がレポーターですか。暑い中ご苦労さんな事である。歩いてるオレも、相当ご苦労さんだが。

母の旅行先の情報がないか調べていて見つけた60年前のblog(違うって)。特攻隊員を見送る女学校の先生の日記である。こういう情報こそインターネット上にはあるべきだな。

娘は、うつ伏せになって腕の力で方向転換ができるようになっている。しかしまだ這って望む方向に進むことができないのである。昔の日記を読むと、息子はこの頃にはもうすでに這い回っていた掴まり立ちもしていたのである。やはり成長の度合いというのには個人差があるのだなあ。兄妹でこうなんだから、他人だったらもっと差があるんだろう。

新書館ウィングス文庫 狼谷辰之 
 対なる  【Amazon】
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ISBN4-403-54021-X ¥620+税 



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