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7月1日(金) 
引き続き通勤中に「海を見る人」(小林泰三:ハヤカワ文庫 JA:→【amazon】:→【bk1】)を読んでいる。今日は「母と子と渦を旋る冒険」を読み終えた。いやー、すごい話ですな。この世界は我々の知っている物理法則に反しているのかと思ったら、そういう原因だったのですね。検算する気はないけど、見かけ上そういう力がはたらくように見えることは理解できる(そうやってわかったつもりになって確認しない人間がいちばん騙されやすいんだがな)。

主人公のネーミングが異様な感じで、なんだかセンス・オブ・ワンダーだ。こういう小手先のところで「奇妙な味」を出すのは反則気味かなとも思うのだが。まあ、こういう擬人化をしてこういう結末になっても、無常観ではなく異様な感じしかしないというのもこの人の個性だろうか。



7月2日(土) 
今日は娘は保育所に行っている。息子は将棋教室である。雨が降っているのでカミさんが車で送って行ってくれる。そしてカミさんが昼寝に入っている間、私は例によってHDD&DVDレコーダーのハードディスクの整理である。

息子が帰る時間になってもカミさんが起きてこないので、私が迎えに行くことにする。家を出たときには雨は止んでいたので自転車で行くつもりだったのだが、タイヤの空気が減っていたので入れていると大粒の雨が降ってきた。けっきょく、歩いて迎えに行く。

ささやかながらボーナスが出たので、今夜は家族全員で寿司を食いに行く。そして帰りに近くのブックオフに寄り、娘をカミさんに押しつけて店内を駆け回って18冊も買ってしまう。息子が「キャプテン」の4巻を欲しいというので、350円もするがそれも買う。最後に娘の相手を交代したのだが、カミさんは何も買わなかったようだ。選ぶ時間が少なかったでしょうか。まあ、欲しいものはすでに持ってるんだろうかな。



7月3日(日) 
今日も雨。午前中に車で買い物に出ただけなので娘は母親にじゃれついて鬱陶しがられている。それで、娘を連れて散歩することにする。歩いてその辺を一回りするだけのつもりだったのだが、家を出ると娘は自転車を指さしてあれに乗せろという。どうにも説得の余地がないようなので、自転車に乗せてスーパーに向かう。

まずはスーパーのフロアでカートを出すが、今日も娘は自分で押すという。それで押させていたのだが、転んでカートの下に入り込んでしまう。滑ったのか。それで泣き出したのをカートに乗せてなだめるのである。

午前中に買い物を済ませているので、とくに買うものはない。それで今日も電車を見ていたのだが、今日もなかなか帰ろうとしない。やっと立ち上がったと思ったら、今度はエスカレータでさらに上にあがると言う。兄ちゃんもエスカレータが好きな時期があったが、キミもそうなるのかな。

上のフロアは雑貨の売り場である。その隅っこにいくつか遊具が置いてある。自動車型で、乗って硬貨を入れると揺れるヤツである。こういうのは揺れなくても乗ってるだけで楽しいだろう。金を入れずにタダ乗りする。息子のときもそうだったな。

娘は次々に乗り換えて楽しんでいる。ただ、彼女が自力で乗るには少し高いので手をついて上らなければならないのだが、雨が降っているので床が濡れていたりする。手が汚れたとか訴えるので、トイレに駆け込んで手を洗ってやる。

そのうちに娘はハンドルを握ると、こちらを見て自分の座っているシートの横を指さして何か言っている。運転するから横に座れと言っているのか。母親が運転しているのを見てるんだろうねえ。狭いのに無理矢理身体を折り曲げて、助手席に座らせていただくのである。



7月4日(月)
引き続き通勤中に「海を見る人」(小林泰三:ハヤカワ文庫 JA:→【amazon】:→【bk1】)を読んでいる。今日は「海を見る人」を読み終えた。うーん、これもまた極端な話ですねえ。光速度が(相対的に)小さいがために相対論的効果が効いてくる世界。そういう世界ではカジシン的なメロドラマが成立するはずだが…造りは悲恋の物語なのだがそれほど泣けないのは、やはりこの人の個性だろうか。

朝日新聞のサイトは派手に広告が出てウザイので「制限付きサイト」にしているのだが、そうすると「JavaScriptを有効されますと広告が御覧いただけます」と表示される。広告が鬱陶しくてそうしてるのに、こういうメッセージを出すというところが笑える。しかも、日本語おかしくないですか。新聞社のサイトなんだけどねえ。



7月5日(火) 
引き続き通勤中に「海を見る人」(小林泰三:ハヤカワ文庫 JA:→【amazon】:→【bk1】)を読んでいる。今日は最後の「」を読み終えた。こりゃまた極端な理論だ。光速での「移動」を実現するためのこの技術は、あまりに突拍子がなさすぎて、SFを読み慣れているはずの私にとってさえも現実味が乏しい。まあ、どんなに突飛に見える仕組みでも、それが実現可能であれば実現してしまうのが人類(いや生物)というものなんだけどね。話としては、なかなか感動的な話のはずだが、途中でネタがバレてたからな。

いやー、恐ろしい時代が来ようとしてるんですねえ。NHKが国民全員から受信料を徴収できる世界がやってくるんですね。放送のデジタル化ってのは、利用者にはぜんぜんいいことがないよなあ。まあ、NHKを見なけりゃいいだろ、と言われればそうなんだが。



7月6日(水) 
今日から通勤中に「図書室の海」(恩田陸:新潮文庫:→【amazon】:→【bk1】)を読み始めている。まずは「春よ、こい」だが、初っ端から恩田陸ワールド全開である。読み始めてすぐに「この作品は読んだことがある」と気がついたのだが、それでもやめられない。テーマとしてはパラレルワールドなのだが、とてもせつなく懐かしく美しく、そして意志の力の強さを謳った作品になっている。海を見る人の後にこういう作品を読むと、「ああ、やっぱり私は科学的整合性よりもこういう詩情あふれる作品の方がいい」とか思ってしまう。やはり薄々の一般人だな。

続いて「茶色の小壜」。古株OLが事故に居合わせ、怪我人を慣れた手つきで処置する通りがかりの女性が自分の会社の同僚だということに気づく。主人公は彼女のことが気になって仕方なくなり調べてゆくと…という話だが、あんまり読んで楽しい話ではなかった。まあ、ミステリというかホラーというか、こういう話もアリなんだろう。

最近、家に帰ったときに子供たちが起きていると、息子だけでなく娘もお土産を要求するようになっている。今まではふりかけを渡していたのだが、これは昼食時に食堂でおかずが足りなくなったときの予備として買っているので1日に最大1個しか増えない。近頃は土産として1日に2個必要になっているので、在庫が無くなってしまった。それで今日は、職場で昼食後に1粒ずつ食べているヨーグレットを、それぞれ1粒ずつ与える。娘は受け取ってどうしたらいいかわからなかったようだが、母親のところに行って食べてもいいと言われたので食べたようである。まあ、ヨーグレットの方が原価は安いからいいか。



7月7日(木)
気に入って通勤中に聴き続けている星に願いをnavy&ivory)だが、さすがに4ヶ月近くも聴き続けるともう充分という気分になってきたので、今日から通勤中に「そうかな」(小田和正:→【amazon】)を聴いている。かなり淡々とした曲ばかりなので、全体として印象が薄い。枯れてきたということなのだろうか。あと、言葉がブツブツと切れるのも気になるところ。息が続かなくなってきてるのかなあ。まあ、自らを省みても、何事につけても粘りがなくなってきているという自覚はあるのである。ましてや10歳も年上なんだからな。

引き続き通勤中には「図書室の海」(恩田陸:新潮文庫:→【amazon】:→【bk1】)を読んでいる。今日はまず「イサオ・オサリヴァンを捜して」を読む。これも一人の人間のことを知ろうとする話。今回は(たぶん米軍の)日系の兵士である。この聞き取りの内容を読んでいると、この人物がいかに有能で魅力的な人間であったかが見えてくる。そして帰りに読み終えたが…あの話がこのような世界につながっていたとは。ぜんぜんわけがわからないが、驚いた。

続いて「睡蓮」を読み始める。主人公の女の子がすごく魅力的だ。一人称なのになあ。

家に帰ってくつろごうとしたときに右鼻の奥がチクチクしてきたと思ったら、くしゃみが次々に出て鼻水が大量に出てきた。こんなに急激に来るのは初めてだ。アレルギーでもないと思うんだが。風邪を引いてしまったのだろうか。



7月8日(金) 
引き続き通勤中に「図書室の海」(恩田陸:新潮文庫:→【amazon】:→【bk1】)を読んでいる。今日は「睡蓮」を読み終えた。この話もこういう終わりかたになるわけですか。底無しの穴の中を覗き込んでいるような虚無感。この物語の中で起こることに関しては、何の説明も示されない。やはり予告編というか、パイロット版なのだろうか。しかし、雰囲気だけはある。この雰囲気を観賞すべき作品なのだろう。

今日は金曜日なので、家に戻ると子供たちは二人とも起きていた。私が玄関に入ると、例によって二人して手を差し出して土産の催促である。息子にはヨーグレットを渡したのだが、娘はもうすでに歯を磨いているというので一つだけ残っていたふりかけを渡す。しかし彼女はふりかけを渡すと、今夜はこれを床の上の放り出す。そして、兄と同じものがもらえないとわかると、泣いて怒るのである。困ったものだ。



7月9日(土) 
一昨日より右鼻の奥がザラザラしているような感じがする。風邪を引いたかもしれない。そういうことで、また医者に行く。まったく虚弱なことである。診察結果は「まだ引きはじめやから」ということで、飲み薬は処方せずに吸入で様子を見るとのこと。診断の通り、夜になると症状はほぼ無くなっていた。

何気なくテレビを点けたらケーブルテレビでラストサマーという映画をやっていた。恐怖映画のようだが、主人公のジェニファー・ラブ・ヒューイットという女の子に萌え。あの年齢のコーカソイドとしては信じられないくらいの可愛さである。思わず次の放送を録画予約してしまった。それだけに留まらずWebで画像を探してみたのだが、どうして歳を喰って化粧ギトギトになってからの画像ばっかりなんだ!?

今夜は娘の通っている保育所で催しがあるというので、一家全員で出かける。保護者が食べ物を売る露店を出しているというので、夕食もそこで済ませる予定である。天候を心配していたのだが、出発するときには降っていなかった。一家4人で自転車に乗って出かける。

天気が悪くみんな室内にいるせいか、人口密度が高い。人が多いのは苦手だ。まともに歩けない。すごいストレスを感じる。今回はカミさんが販売担当だということで、娘を連れてあちこち見て回る…はずだったのだが、娘はこういう異常な環境で母親と引き離されたので身をよじって泣きわめく。大人しくしてくれ〜

販売の役目を終えたカミさんが娘を連れて買い物に行くというので、私は食堂に割り当てられている教室で待っている。家族がやってくるまでにテーブルを確保しておいた方がいいとは思うのだが、食堂になっている部屋は満員である。こういうところの場所取りは苦手だ。

まだ土地の所有が確定しなかった時代に生きていたとしたら、私はいい場所を確保できないだろうな。なるべく他人と争わないように、頭を使えば何とかギリギリ生きてゆけるような世間から見落とされたニッチな場所でつつましく生きていくような戦略しかとれないような気がする…などと、ただ待っていてやることがないと余計なことを考えてしまうのである。



7月10日(日) 
今日も息子は将棋教室(オプションだが)がある。昨夜、行くことを確認したはずが、彼は遊びに出たまま帰ってこない。かなり時間が過ぎて帰ってきた息子は友達を連れていた。これから家で遊ぶという。将棋教室はどうするねん、と言うが、けっきょく友達との遊びを選ぶのである。カミさんは娘を連れて昼寝に入ったので、私は隣の部屋でドタバタ暴れているのを聞きながらパソコンをいじる。

17時になったので息子の友達にはお引き取りいただく。それから私は息子を残して散髪に行く。帰ってきてもカミさんと娘は寝室に入ったままである。かなり遅くなって彼女らは起きてきた。今夜、娘を寝かせるのは大変そうだな。

今夜は私が子供たちを寝かせたのだが、娘は身体中が痒いという。1時間以上もの間、彼女が痒いというところにローションを擦り込み、それでも痒いと言えば擦ってやるが、次々に痒いところが出てきて眠れない。どうも、汗をかいているところが痒くなるようなので、扇風機をつけて風を当てながら痒くなりそうなところを擦ってやる。そうしていると、背中とかお尻がサラサラになってきた頃になってやっと動かなくなったのだった。

新書館ウィングス文庫 狼谷辰之 
 対なる  【Amazon】
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