2001年 2月上旬の日記
▲2月1日(木)▼
昨夜からノドと眉間が痛い。寝るのが遅かったのに7時過ぎに目が覚めてしまう。そのまま起きたほうがいいのかもしれないが、小用を足してまたそのまま布団にもぐりこむ。雨が降っているようだ。今日も辛いなあ…などと思っていると、目覚し時計が鳴って気がついた。いちど寝てしまうと、また起動するのに時間がかかるんだな。息子も起きた。今日は泣いたりしていない。
今日は「時の果てのフェブラリー」(山本弘:徳間デュアル文庫)を読み終えた。たしかに異世界の描写はよく練られているが、どうも読んでいて盛り上がらない。途中で作者の不合理なものへの憎しみのようなものが見えてしまって、ちょっと引いてしまったところはあるかもしれない。いくら不合理であろうと、それが必要な人はいるんですよねえ。科学の合理性を突き詰めていった、非情なほどの救いの無さに耐えられる人間はそれほど多くない。その不合理さが他人に危害を加えるならば、闘わねばならないんだけど。あと、ロリコン趣味の人間に対する「媚び」のようなものが見えてしまうところも個人的にはマイナスポイント。
家に帰ったとき、妻子は入浴中であった。私が洗面所に入ってゆくと、中で息子が「ただい…おかえり!」と声を上げる。まだ立場の区別がつきにくいのか。トトロの台詞は覚えているくせに。
今夜は息子の要望により、親子3人で寝室に入る。絵本を読み終えて電灯を消した後、息子はいろいろと喋りかけてくる。そのうちに「あー」と声を発しはじめた。下をハモって声を響かせてやる。彼は喜んで、ずっと父子で「あー」とかやって、カミさんに呆れられる。まあ、声が響く「感覚」というのは覚えておいた方がいい。ひょっとすると将来何かの役に立つかもしれないからね。私がしてやれる数少ないことの一つだ。
▲2月2日(金)▼
今日、カミさんは保育所の集まりがあるということで、私が早く帰って息子の面倒を見れないかと言われている。しかし、仕事がこういう状況なので確実に帰れるという保証ができない。お義母さんに預かってもらうことにしてもらう。有り難いことである。こういうことがあると、毎度のことながら独りで頼れる人もなく子育てをしている人がいるというのが信じられないですねえ。保育所で預かってもらえない時間帯は仕事ができないし、病気もできない。我々は恵まれている…のではあるが、それでも辛いものは辛い。
で、今日は本社で作業をして早く帰れるように根回しはしていたのだが、けっきょく客先でやってもらっていた作業が遅くまでかかってしまい、待機していると本社を出たのは20時半であった。勤務時間が思うようにならないというのは、ツライなあ。
私が寝る前に1階の洗面所で歯を磨いていたら、息子が「シンちゃん(仮名)も、はぁ、みがく」と言いながら歯ブラシを持って下りてきた。どうしたんだ急に。いつもは居間で磨いているんだろう。彼は私の隣で歯を磨くと、水を口に含み、上を向いてガラガラガラガラ…とウガイをする。そういえば、カミさんが息子がウガイをできるようになったとか言っていたなあ。それを見せに来たのか。ウガイはずっと前からできたと思っていたのだが。
▲2月3日(土)▼
目が覚めたのは11時であった。当然、息子はもう保育所に行っている。ぜんぜん気づかずに寝ていたな。久しぶりに半日、自分のために使えるか。とは言っても、そのうちの半分以上は身体が錆びつかないように動かすことで消費されるのだが…まあ、将来もなるべく快適に過ごすためには必要な負担だろう。
17時を過ぎてそろそろ息子を迎えに行かねばならないな、と思っていたらカミさんが昼寝から起きてきた。買い物に行くついでに迎えに行ってくれるというのでお願いする。けっきょく、今日もパジャマ姿のままで一日過ごすことになるな。
今日は節分の行事を行う。大阪では節分には恵方を向いて海苔巻きを丸かじりするするらしいのである。私は兵庫県で育ったのだがこういう風習は知らなかったので、これは大阪周辺の習慣なのであろう。親子3人で海苔巻きを頬張る。食べ終わるまでは声を出してはいけないらしい。息子もそう言い聞かせると黙って食べている。偉いもんだが、4歳児というのはもう少しワイルドな方がいいのかもしれないけどね。まあ、私の子供だから仕方ないか。しかし、彼が食べている途中で海苔巻きから具がポロリと落ちた。彼は「おちた」と声を発する。まあ、こういうもんでしょう(笑)。
飯を食いながら「筋肉番付」を見ていたのだが、何だかしばらく見ないうちに変な感じになってますね。これじゃまるでオーディション番組だ。私ゃこんなレベルの低い踊りを見たくてこの番組を見てるわけなじゃないんだがなあ。最高の技術を見せてくれるだけで満足なんだが。「ストラックアウト大会」みたいなのが他の視聴者にはウケたのだろうか。TVチャンピオンといい、自分の好きな番組が変質してゆくのを見るのは哀しいものである。
そういえば今日は豆まきもしたんだった。3階に上がってベランダや窓から豆をまく。「鬼は外」「福は内」で一回ずつ投げろと言っているのに、息子は「おにわそとふくわうち」と続けて言って投げてしまう。何度も教えるが、なかなか直らない。なかなか思うようにいかないもんだねえ。
息子が電車の本を2冊出してきて比較している。同じ電車が載っているのを指して「いろ、なんでちがうん?」とか言っている。うむ、複数の資料を比較して検証するというのは正しい姿勢だが、どう答えていいものかなあ。同じものでも印刷によって色調が変わるというのは、私には説明できないぞ。
ホンダのCMにASIMOが出ている。車を誘導しているのだが、その動きにカミさんと二人で「うわーぉ」「うおー」とか言いながら見ている。いや、すごいもんだ。こういうものを見られるとは、生きていて良かったと思うひとときである。
カミさんが風呂に入って息子を連れてゆくまで2人で居間で過ごしていると、彼がメソメソしだした。ウンチを漏らしたらしい。うーむ、最近続けて失敗してるらしいが、今日もやっちゃったか。急いで風呂場まで連れてゆく。彼をカミさんに引き渡して、私は中身をトイレで始末してから洗面所でパンツを洗うのである。
▲2月4日(日)▼
今朝は9時に起きて通信を始める。昨夜も息子と一緒に日が変わる前に寝たのだが、起きたのはこんな時間である。まあ、一人で起きられるようになったのは回復の兆しか。10時過ぎになって息子が起きてきた。しばらく独りで遊んでいたが、そのうちにグズグズ言いだした。「おなか、いたい」とか言っている。「ウンチするか?」と訊くと表情を曇らせる。さては、と思ってパンツの中を覗くと……やはりやっていた。また後始末をしなけりゃいけないか、と思ったところでカミさんが起きてきた。後始末をお願いする。しかし、急に制御不可能になってしまったな。どうしたんだろうか。
今日は日本橋に行くのである。先週、カミさんの8ミリビデオデッキの調子が悪くなってサービスをコールしたのである。来てもらったときには症状が再現せず出張費を払わされたのだが、かなり酷使していることもあり再生用の機械を買い足したいという要望なのである。なんせ、年に1000時間も使ってるらしいからね。機械自体も、私が独身時代に予備機として買って箱に入れたまま使ってなかったのをカミさん用にしたものだから10年近く前の機種だからなあ。我が家ではビデオテープの消費量が多いので、テープは8ミリがメインなんですな。こういう家庭はあまり多くないだろう。ついでに食器乾燥機も安くなっているようなので買うことになる。
まずはインターネット通販の価格調査である。もうすでに8ミリ単体のデッキは一覧には無くて、VHSとのダブルデッキの最安値が46,500円であった。これが基準になるな。これより高価いようならインターネットで買うことになる。
一家3人、車で日本橋に向かう。最近、息子は車の中では元気がない。首を持ち上げるのは電車やバスを見たときだけである。最近、彼が出かけたくないときにも連れ回しているせいかなあ。
日本橋に着いて、車は電器屋と提携している駐車場に入れる。その店でお買い物をすれば一定時間が無料になるのである。まずは安いという実績のある店に入る。そこでは8ミリ単体のデッキが51,000円であった。ダブルデッキはそれよりもさらに高価い。これはインターネットで買うことになるのかな、と思いながら駐車場と提携している電器屋に行ったら、VHSとHi8のダブルデッキが在庫処分で48,000円であった。送料と代引手数料を考えるとこれを買うべきだろう。しかし、8ミリ単体よりもダブルデッキの方が安いとは、なんということであろうか。食器乾燥機もここで買った。冬のボーナスはこれで終わりだな。ささやかなものである。
▲2月5日(月)▼
今朝は7時前に起きて通信を始める。1時間足らずではそれほどのことはできないな。しかし、風邪が治らない。土日を休めば回復するのではないかと思っていたんだがなあ。ノドの腫れは治まったが、今度は鼻風邪である。オマケに下痢。この冬の風邪は消化器にクルらしいから気をつけなければ。
▲2月6日(火)▼
今日も雨。ここしばらく、冬にしては雨が多いような気がする。異常気象というほどじゃないけど、雨が降ると通勤が鬱陶しい。富士山にも噴火の兆候があるらしいし……関係ないか。しかし、前にも書きましたけど、南の方から富士火山帯を通って何かがやってきているような動きですねえ。やっぱり「日本沈没」を思い出してしまうなあ。
朝、息子は私が出てゆくときに、私に早く帰ってきてほしいという意味のことを言っている。母親に「そういうときは『早く帰ってきて』て言うんやで」と教えられて「はやく、かえって、きて」と言いなおす。私だって早く帰りたいんだけどねえ。自転車が使えないので歩いて最寄りの駅まで行く。傘を持っているので電車の中で本が読めない。濡れたものは押しつけられるし臭いは感じやすくなるし、雨の日の満員電車はサイアクである。
東京の仕事の雲行きがおかしい。何だか揉めているような雰囲気である。まだどうなるか決まっていないので、その隙に今日は早く帰って難波の本屋を巡回して「プラネテス」を探すことにする。最初に入った本屋には無かった。次の店に向かって地下街を歩いていると、携帯電話に向かって大声で怒鳴りながら歩いているオッサンがいた。エスカレータで別のフロアに行ってもまだ「金払え!」とか言っているのが聞こえている。迷惑なことである。アンタのやってることって、すんげえ恥ずかしいコトだぜ。わかっとるんかね。
次の本屋でようやく「プラネテス」を見つけた。ここで遭ったが百年目、である。もう逃がさないぜ。こんな、発売後1ヶ月も経ってないというのにどこでも見つからなくなってしまうような地味な本を置いてくれていたことに対する感謝のしるしとして(笑)「タケル道 1」(大和八重子:少年サンデーコミックス)も買う。……しかし、「プラネテス」は次に行った店にもあったのであった。こういうのは一つ見つけると次々に見つかったりするんだよな。
さっそく帰りの電車の中で「プラネテス」を読むが、やっぱり、いいっす。もう1冊買ってくるべきだった、とまで思った。今年のSFオンライン賞のコミック部門は「最終兵器彼女」に投票しようかなと思ったりしていたのだが、やっぱり私はこれだ。推薦作でなくてもいい。オレはこれが好きなんだ。しかし、何でこれが推薦作リストに入ってないのかねえ。単行本が出ないといけないのか? いや「連載作品は、連載期間か書籍発行日の一部が昨年中であれば、終了・完結を条件としません」と書いているので問題はないはずだ。
家に帰って玄関に入ると、階上から息子が「おかえり」と声をかけてくる。「ただいま」と応えると「とーちゃん!」と叫ぶ。嬉しそうだ。そう反応してくれると私も嬉しい。居間に上がってゆくと、カミさんは熱があるという。だったら早く帰ってきて正解だったな。カミさんを先に寝かせて通信していたら、息子を寝かすのが遅くなってしまった。寝かそうとすると愚図りはじめる。泣きながら寝室に入って行く。あーあ、母ちゃんが起きちゃったじゃないか。
▲2月7日(水)▼
カミさんが熱を出しているので、今朝は私が息子を保育所に連れて行かねばならない。いつもより早く起きたのだが、それでも子供と一緒だと思ったようにやるべきことが進まない。何をするにも時間がかかる。けっきょく、会社に着くのはかなり遅くなってしまうのであった。
家を出る直前になって、息子がコマ回しの紐がないと言い出した。その辺を探してみたが見つからない。もうかなり予定時刻を過ぎている。こういうことで病人を起こすわけにもいかないしな。行くぞ。息子は泣き出した。「かーちゃんと、いく」とか言い出す。「母ちゃん、病気なんや」と言うと「かえりは、かーちゃんが、いい」とかグズグズ言っている。保育所に着いてもメソメソして、何をするにも私の手を握って行こうとする。別れるときにも「かえりは、かーちゃんが、いい」とか言って素直に手を振ってくれたのだが。しかし保育所ではコマ回しが流行っているようで、椅子を丸く並べて女の子までがその中でコマを回している。これは、紐がないと息子は辛い思いをするかもしれないな。
課内会議に遅れて参加し、ZAURUSに入れている技術用語集のデータで言葉の意味を調べようとして大変なことに気がついてしまった。半角カタカナの文字が見えないのである。いや、半角カナ全てが見えないわけではなくて、見える文字と見えない文字があるようである。「ダイナミックエイチティーエムエル」が「ダイナ ッ エイ ィーエ エ 」になっていたりする。ざっと見て、カ行、サ行、タ行、ハ行、マ行、ラ行、ャ行が見えないようである。フォントが壊れたのかと思って充電池を外して再起動とかしてみたが状況は変わらない。フォントはROMだからなあ。しかし、データによってはこれらの文字が見えるものもあるのである。すると、気づかなかっただけで、今までずっとこういう状態だったのかもしれないな。だったら、前のZAURUSから移行したときにおかしくなったのだろうか。しかし、どこが違うのかねえ。半角の濁点付きカタカナ(そういう文字があるのですよシャープの電子手帳には)が含まれたデータがそうなっているのかと思ってもみたのだが、はるか昔に入力したデータはそうなっていない。いや、最近はパソコンとの親和性を強めるために半角変換の機能では濁点付きの文字は濁点を独立させて2文字に変換するようになっているはずなんだが。何でこのデータ、半角濁点が入ってるんだろうかねえ。そこで思いついて、見えない文字を全角に変換すると見えるようになったのである。しかも、再度半角に変換するとちゃんと見えるのである。情報が無くなったわけではないのね。ちょっと安心した。でも、いったいどういう状況になっているのだろうねえ……え、何で半角カナなんて使ってるんだって? いやねえ、電子手帳はメモリーが28KBしか使えなかった頃から使ってるもんで、ついつい半角に変換できる文字は半角にしちゃうんですよねえ。貧乏性というやつだ。
夕方になって、カミさんが復活しているかどうか確認するために電話をかける。復活していなければ私が早退して息子を迎えに行かねばならない。しかし、家にかけてもPHSにかけても出ないのである。どうしたんだろう。死んでるんじゃないだろうな。職場からは1時間半かかるので、定時に出たのでは保育所に着くのが19時になってしまう。そうこうしているうちに課長につかまって込み入った話が始まった。ううう、仕方がないなあ。そして資料をまとめなければならなくなってしまった。その件について明日打合せをするとか言っているので今日中に作らなければならないか。フル回転で資料を作る。こんなに急いで仕事をしたのは久しぶりだ。出来上がった資料を課長に見せている間に電話をすると、やっとつながった。もう息子は帰ってきているそうである。はあ。まあそれでも速攻で帰るのである。
雨が降っているのでカミさんは、車で迎えに来てくれるという。大丈夫なんでしょうか。いつもの古本屋で落ち合って、カミさんが本を探したいというのでそのまま本屋に行く。ついでにスーパーに寄って野菜ジュースを買ったのだが、息子はラムネ菓子を買ってもらって大喜びである。「なんで、あたらしいん?」などと訊いている。いや、食い物だからねえ、中古は買わんでしょう。
家に帰るとお義母さんから電話がかかってきた。それを受けたカミさんが息子に向かって「サザン乗りたないか?」と訊く。彼は即座に「さざん、のりたい」と応える。息子を連れて和歌山に行ってくれるそうである。しかし、和歌山に行って何をするんだろう。和歌山市駅の周辺なんて、あんまり見るべきものはなかったような気がするんだが。まあ、息子を預かってくれるのはありがたいのだけどね。息子をサザンに乗せてやるためだけなのかなあ。まあ、我々も息子のために環状線一周とか京阪本線往復などということをしてたりしたからなあ。
▲2月8日(木)▼
昨夜は息子がなかなか眠らなかったので私も一緒に寝てしまっていた。今朝は7時前に目が覚めたので、急いで起きて日記を書く。カミさんは完全に復活したようだな。今朝も某所の掲示板に2時過ぎに書き込んだ形跡がある。彼女は7時半になって起きてきた。息子は連れていない。今日はお義母さんが預かってくれるというので保育所に連れて行かなくてもいいのである。しかし、すぐに階上で物音が響き始めた。こういう日に限って自分で起きるのだな。
昨夜は雨のため自転車で帰れなかったので、今朝はカミさんが車で駅まで送ってくれるという。今日は道が空いていたので思ったよりも早く駅に着くことができた。車を降りるときに「行ってきます」と言うと息子は「いってらっしゃい。はやく、かえって、きてね」と言ったのだった。うう、私も早く帰りたいのはやまやまなのだが。
夕方になって会社から客先に電話がかかってきた。東京の発注元と揉めていて明日の朝一から東京に来いと言われているとのこと。えー、また明日は5時起きかよ。しかも、社内で対策会議をするので、会社に戻ってこれないかという。あー、鬱陶しいなあ。
本社への移動中に「〈柊の僧兵〉記」(菅浩江:徳間デュアル文庫)を読み終えた。これも良かったですねえ。こんなにうまく解決するはずがないよなあ、などと思いながら、それでも読み終えるたときには金を出して読む価値があったと思っている。そう思わせてくれるところが「物語の力」というものだろう。…なんだか、「メルサスの少年」を読んだときにも同じようなことを書いていたような気がするな。
そして移動中に「20世紀SF 3 1960年代 砂の檻」(河出文庫)を買った。前巻の「20世紀SF 2 1950年代 初めの終わり」は面白くなかったが、最初の「20世紀SF 1 1940年代 星ねずみ」は面白かったからね。もう一回くらいは買ってみよう、というところである。
今日、息子は南海に乗らず、強い要望により前々から言っていた「はんしんのとっきゅう」に乗ったそうだ。家に帰ってくるときにも強い要望により近鉄の「しんがたしゃりょう」が来るまで待って乗ったそうである。そんなに甘やかしていいんだろうか。まあ、彼の希望をかなえるために行ったんだけれど。
▲2月9日(金)▼
今日はまた朝から東京で打合せなのである。決まったのが昨日の夕方なので、今朝も5時に起きて東京に行かなければならない。一週間仕事をした果ての金曜日にこれはツラい。今朝も真っ暗な中、自転車で駅に向かうのである。
今日は今月末までの作業量を減らしてもらう交渉に行ったのだが、けっきょく何の譲歩も引き出すことができなかった。「客が言ってるからやるしかない」の一点張りである。部長まで一緒に行って何の成果も無し。徒労感ばかりが残るのである。やることもないので早めに帰る。
帰りの新幹線の中で「かめくん」(北野勇作:徳間デュアル文庫)を読み終えた。いやー、こりゃ凄いっすね。どーでもいいようなことばかり書いているように見えて、全体として見れば凄いテーマを表現している(ように見える(^_^;)。読み終えた後に残る、この無常感はどうだ。表現されている「世界」に関しては納得しづらいところもあるんだけどね。それでも素晴らしい作品でございました。
続いて「20世紀SF 3 1960年代 砂の檻」を読み始める。まず「復讐の女神」(ロジャー・ゼラズニイ/浅倉久志)だが、面白くねー。いくつかの惑星が舞台で、超能力者と改造人間が出てくるというだけ。読むのが苦痛。何でだろう。何が合わないのだろう。次の「『悔い改めよ、ハーレクィン!』とチクタクマンはいった」(ハーラン・エリスン/伊藤典夫)もまったくもって面白くない。何でこういう作品を載せるのか全然理解できないのである。続く「コロナ」(サミュエル・R・ディレイニー/酒井昭伸)はまあ、苦しまずに読めましたわな。テレパスというのは辛いものなのです。そして「メールシュトレームII」(アーサー・C・クラーク/酒井昭伸)。これは良かったっすね。電磁加速ランチャーのトラブルで月面への衝突軌道に乗ってしまった主人公。姿勢制御ロケットも故障。このまま死を待つしかないのか──そして、衝撃の結末がやってくる。登場人物にもちゃんと感情移入できるし、何よりも宇宙のイメージが素晴らしい。この作品は映像で観たいなあ。
家に帰ると妻子は「紅の豚」を観ていた。カミさんは自分の好きな宮崎アニメを観せているようだ。しかし、あんまり子供のうちから続けて観せるのはどうなのかなあ。こういう作品は観るべき時期というのがあるような気がするんだけど。物心つく前から観ていて、最初に観たときの感動が味わえないというのも可愛そうかな…という気もするのだが、それはまた別の作品で味わえばいいことなのか。そんなことは気にせずに良いと思ったものは見せた方がいいんだろうかねえ。まあ、清濁併せ呑んで育ってゆくのが子供というものだが。
▲2月10日(土)▼
昨日東京で無茶な仕事を押しつけられたことが確定してしまったので、今日も休日出勤をしなければならないのである。何で私ばかりこういう目に遭うのかねえ。普段の行いが悪いのだろうか。
妻子は今日も朝食を食べながらトトロの「なりきり」をやっている。カミさんは息子に「あんた、よう覚えてるなあ」などと言っているが、それに即座に反応できるアナタも尋常じゃないと思いますぜ。私なんて記憶力が不自由だから、とても無理だ。なんか、母子でトトロの台詞を掛け合いしてるのを見てると、弟妹がファーストガンダムで掛け合いしてた頃のことを思い出すなあ。最初の放映当時、私は九州の大学に行ってたので全く情報は入ってきてなかったのだが、休みに帰省してみると弟妹が訳の判らない言葉で応酬してるの。「凄いんだぜ。戦争してる相手の兵器の名前がわからないから、お互い違う名前で呼んでるの」とか力説されてもねえ。確かに言われてみればそれまでのアニメってヘンだったのかもしれないけどね。そして妹はアウシタンへの道を…(苦笑)…しかし、どうしてこう私の周りってオタクが多いんだろう。知らないうちにオタクを引きつけるフェロモンでも出しているのだろうか。いや、弟妹はフェロモンとは関係ないよな。誘因物質はあっても「オタク化物質」なんてものがあるとも思えないし。
10時くらいに家を出てゆく予定だったのだが、しんどいので、けっきょく昼からでてゆくことにして午前中はダラダラ過ごす。息子を保育所に送って帰ってきたカミさんが居間の戸を開けた瞬間、飛び上がって驚いていた。家内は無人だと思っていたらしい。そんなに驚かなくても…
今日も引き続き通勤中に「20世紀SF 3 1960年代 砂の檻」を読んでいる。往きの電車の中で「砂の檻」(J・G・バラード/中村融)を読み終えた。最初に状況が説明されないので、シチュエーションがよく理解できない。オチも面白くない。読むのが苦痛というほどではなかったが。続く「ベイビイ、きみはすばらしかった」(ケイト・ウィルヘルム/安野玲)は面白かったですね。今なら誰でも思いつくネタではあるけれど。
狼谷辰之 | 新書館*ウィングス文庫 |
対なる者の誓い |
¥620+税 | ISBN4-403-54021-X |
[ホーム] | [日記の目次へ] | [次の日記へ]