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12月1日(土) 
今日も休日出勤である。今日は先々週に引き続いて客先のサーバの設定をするのである。今週はサーバの増設だ。事前の設定は一昨日に本社で行っていたので今日の作業は夕方には終わるかなと想定していたのだが、事前に設定していた内容がミスっていたようでサーバ間の整合性が取れなくなってしまった。詳しい人の力を借りて復旧する。増設したサーバにデータを移行するツールに制限事項やバグがあったようで、それの対応でまた時間がかかる。けっきょく、終電ギリギリの時間になってしまった。電車に乗ったときには翌日である。今夜遅くなったのはいいのだが、月曜日に使われ始めてトラブルが発生するのがいちばん怖い。月曜日は用事があって午後は休むことになっているのである。トラブったらそれが吹っ飛んでしまう。今日のトラブルは復旧したつもりだが、正常な手順を踏んでいないだけに正しくなくなっている可能性が無いとはいえない。けっきょく仕事のこと以外、何も書くことがないなあ…とか思いながら家に帰る。

昨日から通勤中に「風見鶏」(さだまさし)を聴いている。やはりこの人の独立後数年間の充実ぶりは素晴らしい。ワタクシ的には今はすっかり「老いた麒麟」になってるんだけどね。好きな曲を挙げてゆくだけでも「最終案内」「つゆのあとさき」「思い出はゆりかご」「セロ弾きのゴーシュ」と、次々に出てくる。それぞれについて書くには日記の余白が足りない(というギャグがわかる人はおらんだろうなあ)ので、例によって以前にNiftyの会議室に書いたものを引用してお茶を濁すことにしよう。このアルバムに入ってる曲に関するところだけ抜粋してるので、ちょっと変なんですが。ほんとうは時間と気力が足りないのである。書きたいことはいっぱいあるんだけれども。
最終案内/さだまさし

1999年01月05日 02:05

その、大好きなアルバムの冒頭のこの曲ですが、この、淡々とした細かい別れの描写が
もう…聴いていると胸を締めつけられるような気持ちになってしまいます。あの<風>を
感じたように思ったのは、気のせいだろうか。

…で、さだまさしさんをもう一曲。

セロ弾きのゴーシュ/さだまさし

1999年04月04日 02:53

これも、この方に多いモチーフ「失った愛する人を想う唄」です。
あまりにストレートなので、人によっては受け入れがたいかもしれませんが…
私は、この曲には素直に泣けてしまうのです。

思い出はゆりかご/さだまさし

1998年06月01日 11:31

この曲も「極光」と同じテーマの曲ですね。さだまさしさんの得意なテーマの
曲だと言えましょうか。この、哀しいほどの愛する人への想いと、メロディー
の優しい手触りが、どうしようもなく好きなのです。
家に帰るとカミさんは寝ていた。起きてこないのでそのへんのものを暖めて食べる。テレビを点けて、眠気よけにNHKでやっていた「Asia 2001 マレーシア」というのを観ながらパソコンをいじる。うーむ、こうやって競演していると日本人の歌手は線が細いねえ。行ったのがアイドル主体だったというのもあるんだろうけど。ダンサーの身体能力も劣ってるみたいだし、これは日本人全体の問題なんでしょうなあ。やはりこの国は先細りか。でもまあ、DA PUMPがなかなかスゴかったですな。よくあれだけ身体が動くもんだ。踊りは誤魔化しが利かないからねえ。

まあ、向こうのホームグラウンドだったから大物が来てたせいもあるのかもしれないけど、このメンバーでどっちを観たいかと訊かれたら、圧倒的にマレーシアの方ですねえ。声もしっかり出てるし、踊りもキチンとやっている。何よりも、ざっと見ただけでもマレー系・中国系・インド系などに分かれているのがわかってバラエティがあるし、それぞれがアメリカ音楽の影響を受け入れている様子が見えて非常に楽しい。しかしSiti Nurhalizaは上手い。上手いヴォーカリストの通例でかなり余裕を持って歌ってたみたいだったけど、この人の本気を観てみたいぞ。こういうのと並べてみると、やっぱり日本人は小手先で誤魔化しているように見えちゃうんだよなあ。「モーニング娘。」系の連中がヒットチャートの上位を席巻しているような国だから仕方がない。まあ日本人の演奏が終わると「中国系の観衆が大挙して会場を後にした」らしいから、日本だけのことではないか。



12月2日(日) 
昨夜もパソコンの前で果ててしまっていた。妻子が起きてきて喋ってみると、声がガラガラである。これは、風邪を引いてしまったかな。息子に見せるページを探していて鉄道ジャーナルのサイトを見つけてしまった。Topicsのページは新しい車両が写真入りで紹介されていてなかなか楽しめるだろう。ただ、いきなり出てきたのが「きらきらうえつ」だったので脱力。またJR東日本かよ。このネーミングセンスだけは何とかしてほしいもんだなあ。

今日はカミさんの実家に親戚が来るので息子はそこに預けられることになっている。それで今日は半日自由に過ごせるはずなのだが、何もする気が起きない。だらだらとWebを巡回するだけである。日記を書く気も起きない。疲れているようだな。創造力(というほどのものでもないが)を発揮するには体力も必要なのである。

もともと文章を書くのは苦手なんだよな。小学生の頃から作文が嫌で嫌で仕方がなかった。そういえば中学生の頃、まったく文章が書けなくなったことがある。理由はというと馬鹿みたいなことで、一人称の書き方に悩んでいたのである。それまで使っていた「ぼく」「僕」では子供っぽいし、「私」だと女性みたいだし(今はそう思っていない)、「俺」だと馬鹿みたいだし(今はそう思っていないってば)。まあ、少年の頃というのは、どうでもいいことで悩むものなのでございます。



12月3日(月) 
今日は私の父が吐血して死にかけた日なのである。それで、5年ごとに命の恩人のドクターのところに挨拶に行くことになっている。今日は昼からカミさんと息子を連れて一緒に行くことにしているのだ。息子はまだ無理だろうが、カミさんにはそのときのことをなるべく知っておいてほしいのである。こういうときでないと出ない話もあるからね。ドクターや婦長さんの方から見た話も聞けるだろうし。私の仕事の方は、トラブルはあったがウチの担当の部分ではなかったし昼までに解決させたので何とか行けそうだ。しかし、カミさんに電話してみると、いま医者にいて息子が水疱瘡かもしれない、とか言っている。しばらくして彼女からメールが入った。やはり水疱瘡だったそうである。これで、今回の巡礼は中止である。残念だ。ウチの両親もドクターも高齢だから、次回は無い可能性が高い。かえすがえすも残念だ。

客先から5分も歩けば日本橋なので帰る途中に寄ることにする。Ruputerのベルトが切れたので交換してもらいたいのである。しかし、ベルトの幅が広すぎるようで、合うものが無いそうなのだ。時計の専門店もあったのだが、Ruputerを見せた瞬間、爺さんに「取り寄せやね」と言われてしまったのであった。仕方がない。これ以上時計無しで過ごすのはストレスが溜まる。ここしばらくはPHSで時間を確認していたのだが、時間を知るためにいちいちポケットから引きずり出さねばならないのは面倒臭いのである。カレンダー表示可能な時計としてリストカメラを買うことにする。2万円を超えているが、ポイントを使えば税込みでも2万未満で買える。定期代が入って少し気が大きくなっているのである。仕事が忙しくてストレスが溜まっているのもあるかな。

マウスも買う。1000円以下だから買ってもいいだろう。光学式マウスの調子が悪いのでFIVA用のマウスを使っているのだが、やはりスクロールホイールが無いと不便なのである。FIVA用マウスも調子がいいとは言えないのでMicrosoft製のマウスを買うのがいちばん安全かもしれないが、それだけは意地でも避けたいのである。OSを支配していることによりライバル製品がうまく動かないようにして蹴落とすというのは連中のやり口だからな。

しかし、歩いていると鞄がどんどん重くなってくる。昔は一日中歩き回ってても平気だったのに。歳かなあ。体調が悪いのもあるな。背中やノドが痛くなってきた。寒気もしてくる。これは早く帰らねば。

前の日に火事になった現場の前を通る。巡回中に近くを歩いててもそれほど匂いは感じなかったのだが、やはり現場の真ん前を歩くと異臭がキツい。見ると、閉じられたシャッターに三角や四角の穴が穿たれている。消防隊が消火のために開けたのかな。ナイフでアルミホイルを斬ったような感じで断ち切られてている。こういうものも常備しているのか。その穴から中に入ろうとして警察のお姉さんに注意されているコート姿の兄ちゃんがいた。関係者だろうか。中は黒焦げのようだったから何も回収できるようなものは無いだろうと思うんだけどね。

しかし、久しぶりに腕時計をすると、手首を回して時計を揺らしてしまう。私が高校入学祝いに買ってもらった最初の腕時計が「自動巻き」というタイプだったからである。今の若い人は知らないだろうなあ。これは機械式だったのだが、本体にかかる加速度を運動エネルギーとして取り込んで動作するという素晴らしいメカニズムだったのだ。腕を動かすことによりネジが巻かれるのである。なんとクリーンな仕組みであろうか。まあ、機械式だからどうしても正確さが水晶発振子に劣るので市場から駆逐されてしまったのだけどね。カレンダーも、31日が無い月の次は手動で一日分進めてやらなければならないというのもあったしな。

家に帰ると息子は元気である。部屋の中を走り回っている。キミは本当に病人なのかね。まあ水疱瘡はそれほど熱が出ないこともあるらしいが。今夜は私が早めに寝かせることにするのである。



12月4日(火) 
昨日の続きだが、ウチの親父は恩人のドクターにとっても医療人生の中で最も印象深い患者の一人ではなかったかと思うんだな。とにかく、独立して開業準備段階にあったところにいきなり血を吐きながら乗り込んできて、こりゃダメだと諦めかけたのが最後の手段で助かって、退院するときに本人には余命5年と宣告したが実はそれほど保たないと思っていたら本当に5年後に挨拶にやってきて「文字通り」飛び上がるほど驚いたってんだから。某国立大学病院の副院長にもなった人が、あれだけ不眠不休で一人の患者を診つづけるということも滅多にないことだろうし(父の同僚がこの病院に通っていても思うように回復しないのでその大学病院に行ったら「あの先生に治せないんだったら治せません」と言われたそうな。元同僚にそう言われるとは)。開業したてじゃなかったら、他の患者も診なきゃいけないだろうからたぶん助からなかったろう。そういう意味でも私の父は運がいい。そして、その家族である私も。

意識不明の父がベッドの上で暴れながら上げている叫び声を聞きつつ3歳年下の弟と二人で病院の階段の下のところで遊んでいた情景というのは、私の原体験の一つなのである。そういえばあのとき「こんなところで遊んでるの。お母さんは?」と看護婦さんに声をかけられたんだったな。黙って父の病室の方を指さすしかなかったんだが。ああいうときは誰も子供のことなんて構う余裕はないんですよ。いや逆に母の父親が九州の田舎からやってきたときに気が緩んだのか彼女が生後半年の妹を抱えて「かわいそうに…」と泣き出したのを見て、9歳の自分には何もできないと思ったんだよなあ。あ、何で父が暴れてたかという理由を後に本人が述べていたのだが、当時病院がまだ建築中だったので大工さんが釘を打っている音が聞こえてたせいらしい。カンオケを閉じられようとしていると思ったんだそうな。

昨夜も早めに寝たのだが、今朝も起きたのは7時過ぎである。途中で一度目が覚めたのだが、時計を見ようとすると何も見えない。暗いせいかなと思っていたら、起きてから見ると何も表示されていなかった。「腕に装着していない時には表示部の電源が切れる」と書いてあったが、装着してても長時間動かさなければ電源が切れるんだったか。加速度センサーでもついてるのかな。しかし身体が重い。ノドも痛い。家を出るときには雨は上がっていたのだが、カミさんに駅まで車で送ってもらう。

今日は早めに職場を辞して、キタの安売りチケット屋で地下鉄や近鉄のプリペイドカードを買う。定期代を使い込んでしまうと毎月こういうコストがかかるんだよな。まあ自業自得だが。今朝はカミさんに送ってもらったので自転車を駅の近くに置いてない。近鉄で帰って駅から歩こうかとも思ったのだが、カミさんに電話すると迎えに来てくれるというので地下鉄で帰ることにする。乗換駅のホームに降りると「長田駅での車両故障は復旧しました」というようなアナウンスが流れている。へえ、止まってたんだ。電車が来たので乗り込んで次の駅に着いたのだが、そこからなかなか出発しない。最後尾の車両に乗っていたのだが、車掌室内で何か切迫した調子で言っている無線の声が聞こえている。そのうちにドアがまた開いてしまった。「高井田駅で車両故障が発生し…」とか車内アナウンスされた。これは、一時は動いたけど、次の駅で力尽きた…ということでしょうか。これは長引きそうだな。幸いにもここは堺筋本町駅なので堺筋線に乗り換えられる。近鉄で帰ることにしよう。乗り換えできない駅で止まってたらどうにも動きがつかなくなるところだ。カミさんに電話してお迎えをキャンセルするのである。

例によって車掌や駅員に食って掛かっているオッサンがいる。「整備不調やないか」とか言っている。駅員は頭を下げるしかない。そんなことを言ったって何も解決しないんだがなあ。こういうことが頻繁に起こると問題だろうけど、ここしばらくそういうのは無かったんだから。そう言ってるアナタが常時、そんなに完璧な仕事をしてるんですか…なんてことを言うと喧嘩になるので言わない(苦笑)。ふだんの生活で鬱憤が溜まっているのかなあ。それのはけ口にしちゃいけませんぜ。職員に対する暴力も多いらしいし。

日本橋で近鉄に乗り換えようとするが、やはり乗り換える人が多いようで精算機や切符売り場の前には列ができている。これはかなり混みそうだ。反則っぽいが、いちど始発駅の難波に戻ってから座って帰ることにする。案の定、途中では立ってる人は押し合いへし合いの状態になった。時間のロスはあったが、これが正解だろう。

息子は今日も元気で居間の端から端まで走り回っている。カミさんも原稿が書けなくてかなり苛ついている様子。こういうときに仕事が忙しくて休みも取れないというのはツラいことである。せめて今夜も私が息子を寝かせるのである。いまはカミさんの実家から持ってきたエルマーと16ぴきのりゅうというのを読まされているのだが、絵本と比べて文字が多いので読むのが大変だ。こんな長い文章を素人が読んでいるのを聞いていて、息子も理解できてるんだろうか。いちど何を言ってるのかわからない、と言われてしまったしな。



12月5日(水) 
昨夜は息子と一緒に早めに寝たはずなのだが、カミさんの目覚ましが鳴るまで起きられない。7時半である。しかし、妻子は起きてこない。まあ、カミさんは昼間は保育所に行かない息子の相手をして夜中に原稿を書いてるみたいだから仕方ないか。独りでトーストを焼いて食べ、家を出るのである。

今日は通勤中にジョージ・ハリスン追悼…というわけでもないが(いや、やっぱりそうか)「Abbey Road」(The Beatles)を聴いている。ビートルズのアルバムの中で私がもっとも好きな一枚である。これもアナログレコードを持っているのだが、CDが出たときに買ったのである。大学時代、下宿していた母の実家にバス停から帰るにはほとんど人通りのない田舎道を歩いて帰らねばならなかったのだが、このアルバムのB面後半のメドレーを歌いながら歩いていた記憶がある。このアルバムにはジョージ・ハリスン氏も名曲を残してくれている。ビートルズの後期には、最初から曲を提供してきた二人の天才ポール・マッカートニージョン・レノンの間にジョージ・ハリスン氏が加わることによって、バラエティがより豊かになった時期なのである。小田和正鈴木康博の間に松尾一彦氏が割り込んできたオフコースの場合もそうだが、こういう時期には非常にレベルの高い曲が揃う。アビー・ロードにも17曲が収録されているが、どの曲もそれぞれ味のある曲ばかりである。特に、B面後半のメドレーが好きだ。4人が協力して創った最後のアルバムだということだが、解散直前にもかかわらずこれだけのものを創ってしまう底力は素晴らしい。まあ、いま聴いてみるとジョン・レノン氏が壊れかけていた時期なので、そのあたりがちょっと鬱陶しかったりするのだが、こういう時期を経験しないと、あの境地には達することができないんでしょうな。

今日は往きにクラゲの海に浮かぶ舟北野勇作:徳間デュアル文庫)を読み終えた。これはなかなか楽しんで読めましたな。けっこう深い(ような)ことが書いてあるからね。でも、読み終わると「何だかよくわからなかった」という感想になってしまうのである。最後にすべてのピースがペシペシペシペシっ…とはまって一つの絵が見えてくる、というふうになれば凄いんだろうけど、それは難しいんだろうな。実はそうなっているのだが私が読み取れてないだけだったりして…

今日の帰りから「虜われの遊技者たち」(大場惑:ハヤカワ文庫 1992)を読み始めている。この人は今までアンソロジーで何本か読んだ短編が良かったからね。まずは「ブレイキング・ゲーム」を読み終えた。「スパイが月との間を往復する間にその鞄の錠前破りを依頼された金庫屋の話」である。うーん、最後まで読ませてくれたが、これはSFなんだろうか。まあ、最後のロックを解除する方法はSF的なネタといえないこともないが。10年前はSFだったんだろうかなあ。10年間で読むほうの感性もかなり変わってきたということなのかな。

今日は20時過ぎに仕事を終えた。息子が起きている間に家に帰ることができる。彼はいま「かずあそび」の塗り絵ノートがお気に入りのようである。「よんで」と言って持ってくる。ううむ、父ちゃんはアンパンマンは好きじゃないんだけどなあ。最初は書いてある内容や使用法を理解させるのも難しかったのだが、今日は書いてあるモノの数と数字が一致しているところにだけ進める迷路とか、数が大きくなる方にだけ進める迷路とか、ちゃんとクリアしている。かなり知能も上がってきたようだ。

電源オプションを変更してCDからmp3へのエンコード中にOSごと落ちるのは解決したかと思ったのだが、今日も1曲目でマシンが固まっていた。うーむ、そういう原因ではないのかなあ。マシンを再起動してやり直すと今度はうまくいく。起動直後のメモリーがキレイな状態ならいいんだろうか。今度はログアウトしてログインしなおしてからやってみるか。まったく困ったもんである。Windows2000は安定してるなんて誰が言った?

カミさんは息子に対して一人で寝ろと言っている。「早よ寝んと明日早起きできんかったら、ハリー・ポッター観に行かへんぞ!」と言われて彼はしぶしぶ階上に上がってゆく。さっきは寝室に半纏を取りに行くのも怖いと言ってたのに。私は食事を終えると急いで寝室の中を見に行く。息子は電灯を消して布団に潜り込んで独りでじっとしている。「歯、磨いて上がってくるからな」と言って洗面所に下りるのである。



12月6日(木) 
今朝もカミさんの目覚ましの音で起きる。そして、今日もカミさんは起きてこない。また独りでトーストを焼いて食べようとしたのだが…チーズが無くなっている。ジャムも無い。蜂蜜もあったはずなんだが、どこにあるかわからない。仕方がないなあ。パンの素材の味をかみしめながら食べるのである。澱粉は長時間噛んでいると酵素の働きで糖になると教わったのは小学校のときだったか。

朝食を終えて脱いだパジャマを入れるために寝室の扉を開けるが、カミさんは少し頭をもたげてすぐに眠りに落ちてしまった。やはりいつもは「亭主に食事を作らねばならない」というのじゃなくて「息子を保育所に連れて行かねば一日中家にいることになる」という理由で起きているのだろうなあ…などと拗ねてみたりするのである。

夜通し降り続いていた雨は、出かけるときには止んでいた。それで自転車に乗って走り出したのだが、そこらへんを行く人は自転車に乗っている人も含めてみんな傘を差している。よく見ると、道端の水たまりに次々と水の輪が拡がってゆく…こりゃ判断が甘かったか。そのまま15分の道のりを駅近くの駐輪場まで急ぐのである。しかし今日はついてない。雨が降っているから安全運転しているせいもあるが、ことごとく信号に引っかかる。雨に濡れながら自転車にまたがって信号が変わるのを待つのはとても哀しい気分になる。駅に着いたときには、背広がかなり水分を含んでいた。こりゃ匂うかもしれんなあ。

今日も通勤中に「虜われの遊技者たち」を読んでいる。2つ目の「スモーキング・ゲーム」を読み終えた。煙草を吸うことが犯罪となった世界で、それに対するレジスタンスの話である。これもSFマガジンに載ってたようだが、SFには見えんなあ。読んでいて端々に感じるのだが、作者は喫煙者なんだろうな。非喫煙者が煙草の匂いに対してあんなに鈍感なわけがないと思うんだが、そのあたりの感覚の鈍さが喫煙者と非喫煙者の軋轢の大きな原因の一つなんである。

最近ネットワークもマンネリ気味かなあと思っていたのだが、こういう楽しみ方もあるのね。やはり使う側の工夫次第なんだな。個人的に笑えたのはこれである。ネット上で日記を公開していると、こういう危険性は常にあるんだよな。ウチも身近な人にこういうふうに思われてる可能性は無いともいえない。(…「否定の連続」って、わかってやってんだから口出すな。ウゼエぞ>ATOK)

咳が酷い。昨日あたりから気管支にチクチクと痒みは感じていたのだが、やっちまったか。気管支が痒い。げっほんげっほんと咳をする。耳掻きでも突っ込んで掻きたいくらいである。でも、そうすると痛いんだろうな。咳の衝撃で刺激しても痛いんだから。困ったもんである。しかし、体に変調があってからそこで持ちこたえることができない。そこからずるずると行くところまで行ってしまう。免疫力が弱いのかなあ。やはり睡眠時間を増やした方がいいか。わかっちゃいるけど…

家に帰ったときには妻子は風呂に入っていた。何だか英語風の言葉を喋っているのが聞こえる。ハリー・ポッターを観てきたのか。今回も息子はかなり怖がっていたそうである。まあ、予告編を見ててもずいぶん暗い画造りのようだからね。いかにもイギリス風と言うべきなんだろうか。

CDからのリッピングの途中でマシンが止まってしまう件であるが、ログインしなおしてから実行すると該当現象は発生しなかった。やはりメモリの問題かな。Windows2000はメモリ保護がしっかりしてるというのは嘘っぱちなんじゃねえか。まったくもう。

今夜はカミさんが息子を寝かせてくれたのだが、かなり時間が経っても下りてこない。交代するために上がってゆくと彼女は「ほんとに寝ないわね」と言う。そうなんすよ。なかなか寝てくれないんすよ。昼間あんまり動いてないしねえ。



12月7日(金) 
今朝は目覚ましが鳴る前に起きたが、それでも7時過ぎである。今朝もカミさんは起きない。しかし朝食の用意をしていたら起きてきた。「寝てればいいのに」と言うと、生ゴミを捨てるのを頼まれる。そうか、今朝はそれで起きてきたのね。

今日は昼休みに職場近くの書店で「日経エンタテインメント!」を買ってしまった。今年1年間の流行りがよくまとまっていたので、1冊買って保存しておくのもいいかなと思ったのだ。家に持って帰るとカミさんにもウケたからよしとしよう。

今日も引き続き通勤中に「虜われの遊技者たち」を読んでいる。今日は「ディギイング・ゲーム」と「リーディング・ゲーム」を読み終えた。「ディギイング・ゲーム」は、建設中の道路の進路にある桜の木を助けるよう美少女に頼まれた地中に住む穴掘り人の話である。これはそれほど面白くもなかった。しかし、続く「リーディング・ゲーム」は面白かったですね。物語というものが抹殺された未来の話。それにもかかわらず、主人公のもとには子供の頃からどこからともなく物語が届けられる…という話。未来の話なので「鉛筆」が「エンペソ」になっていたり「教科書」が「強化書」になっていたりするのが何とも不思議な雰囲気を醸し出している。固有名詞を少しいじるだけでこんなに変な感じになるとは思わなかったな。あとがきで『それまでは小説としての体裁をなんとかしようというところに神経がいってたんですけど、ちょっと横着になったというか自信がついたというか、「小説ってなんでもありでいいんじゃないの」って気がついたんです』と書いておられるが、たしかに読んでいてそれまでの作品から一皮むけたような気がしますね。

今日から通勤中に「Greatest Hits Volume III」(Barry Manilow)を聴いている。前回聴いたのが「II」だったので「I」だと思ってたのだが「III」でしたか。さすがに「I」の方が粒ぞろいだ…とか思いながら聴いてたんですが(苦笑)。いやはや、さすがに大物、層が厚い。



12月8日(土) 
カミさんに「SF系日記更新時刻の中に入ってたわよ」と教えられる。ありゃりゃ、いつの間に。最近、アクセス数が増えてきたような気がしてたのはそのせいか。私はアクセス解析とかはぜんぜんしてないのである。「タレコミも可」とか書いてあったからなあ。ううむ、小松左京先生と同列に並べられてしまうのは嬉しいような恥ずかしいような。これで小説が面白くなかったとか書きにくくなる…ということはぜんぜん無いんですが。でも、ここしばらく、SFに関することは何も書いてないんだが、こんなことでいいんでしょうかねえ。

今日も休日出勤してお客様のマシン室の中でサーバの設定をする。例によってあんまり座れないし、一つ間違うと一日分の作業がパーになって最初からやり直し…てなことになりかねないので神経を使う。非常に疲れる。いや、朝の状態に戻して最初からやり直し…なんてのはまだマシで、月曜日になってトラブってお客様の仕事が止まって謝りながら原因を調べて設定をやり直すというのが最悪だな。仕事で使ってるデータが無くなった…なんてことになると目も当てられないし。

今日も引き続き通勤中に「虜われの遊技者たち」を読んでいる。今日は「ピーピィング・ゲーム」を読み終えた。自分の10年後を覗くことを依頼された「覗かせ屋」の話である。特に何ということもない話であった。

今日は珍しく明るいうちに作業が終わった。客先のビルを出るときにみんなで「おおー、明るい」とか驚いてみせる。まあ、それでも暗くなりかけていたんだけれども。帰りに日本橋の電器街でもブラつこうかとも思ったのだが、とてもそういう気になれない。まっすぐ家に帰る。息子に「なんで、はやく、かえってきたん?」と訊かれる。はっはっは、たまにはそういうこともあるのさ。

カミさんが食事の用意をしていないということで、今夜は外食することになる。彼女はまたまたラーメンが食べたいようだったが、私の要望を容れてもらって中華料理のチェーン店に行くことにしていただく。息子も味方してくれたしな。「どこが違うんだ」と言われそうだが。



12月9日(日) 
今朝は6時過ぎに目が覚める。体調が悪いんだから寝てればいいと思うのだが、起き出してパソコンをいじってしまう。玄関のチャイムが鳴った。宅急便である。長期勤続表彰の記念品であった。カタログを渡されて商品を選べるのだが、私はこういうカタログに載っているものにはほとんど物欲を感じないヒトなのでカミさんに選んでもらったのだ。彼女は真珠のネックレスを選んだのだが、私もそれを買って彼女に贈ろうかなとも思ったので意見の一致を見たというところだな。1年早いが、結婚10周年記念の先払いということにさせてもらっているのである。

妻子が起きてきた。朝食を食べると息子はプラレールの線路を母親の指示を受けながら組み立て始めた。しかし、ずいぶん怒鳴られている。「あっちと左右反対やろ。自分で考えてやり! 下の方にあるやろ。違う、箱の中や!」とか言っても、5歳児には無理な部分もあると思うんだがなあ。それで私のことをスネイプみたいだなんて言えないんじゃないかと思うんですが。

早くに目が覚めはしたのだが、やはり眠い。まだ昼前だが寝ることにする。息子に一緒に寝ようと言うが拒絶される。しかし彼は母親に言われて寝室までついてきて一緒の布団に入ってくれた。優しいねえ。彼はすぐに出て行き、私は眠りに落ちる。気がつくと17時を過ぎている。今日は一日寝て過ごしたことになるか。日曜日のような気がしないな。病欠したみたいだ。明日からまた6日間、労働しなければならないのか。



12月10日(月) 
今朝も7時前に起きる。妻子は8時前になっても起きてこない。今日から保育所に行くんじゃなかったのか。すっかり朝寝の習慣がついてしまったようだな。起こしに行っても二人ともなかなか起きないのである。

今日は先々週にサーバの設定をした客先でトラブルが起こったという。1週間何もなかったから大丈夫だと思ってたんだがな。昼前に客先に入る。現象は把握したのだが、対処方法がよくわからない。異常時の対処というのはマニュアルには書いてないからねえ。経験が必要なのである。このソフトに関して詳しい人がなかなかつかまらない。客先のマシン室で待ち状態というのはなかなか辛いものである。

午を過ぎたので待ち時間の間に食事を摂りに出ることにする。いつもは職場近くのビル内にある社員食堂に潜り込んで安く済ませているのだが、今日はミナミの街の中である。いつもの倍の出費は覚悟しなければならないかと思っていたのだが、「ラーメン180円」と書いてある店を見つけたので思わず入ってしまう。たぶんここと同じチェーンであろう。チャーハン(「チャーライス」と言っていたがチャーシュー+ライスの意味だろうか)と合わせて税込みでも400円でお釣りが来るのである。これは私のような貧乏人にはありがたい。

しかしこの店、店員の日本語が怪しい。「ありがとうございました」と言っているのだろうが「ありっタシタ」としか聞こえない。この発音は中国系かな。日本人を雇ってたんじゃこの値段は無理だろうしな。日本人としては複雑な心境だが。隣の客も中国語で会話しているみたいである。ここはどこ…という感じですね。チャーシューも煮豚じゃなくて焼豚だったのだが、少し臭みがある。原材料も中国産なのかな。でなければこの価格は実現できないだろう。スープは鶏ガラに醤油のシンプルなつくりで、価格を考えれば充分なものである(と、私は思った)。このデフレ時代、こういうのが進出してくると細々とやっている飲食店はたまらないだろうな。食事を食わせるのは利幅が大きいのでそれほど客が多くなくとも何とかやっていけるという話なんだけど、マクドナルドや吉野家のように薄利多売の方向に行く店が増えるとヤバそうな気もする。まあワタクシ的には喫茶店のビジネスモデルのほうが脆弱そうに思えるんだが、これはコーヒーを飲まない人間の感覚なんだろうか。

トラブっているソフトのエキスパートと連絡がついてトラブルが解決したときには夕方になっていた。しかし疲れた。ほとんど連絡待ちをしてるだけだったような気もするのだが、疲れた。客先のマシン室は座る場所もないしねえ。

今日も通勤中に「虜われの遊技者たち」を読む。今日は往きに最後の「メイズィング・ゲーム」を読み終えた。これは面白かったですね。目が覚めると記憶を無くして迷路の世界にいた男。他にもこの世界に対して様々な関わり方をする人々がいた。そこで彼は…という話である。よく考えてみると我々が生きている「この世界」だって記憶のない状態で生まれてきて、世界の仕組みを学習しながら「人はどこから来てどこに行くのか」というようなことを探求してゆくわけだから同じだといえば同じなんだよな。そのあたりをコントラストを強めた形で提示するところがSFである。

そして帰りに「月のしずく100%ジュース」(岡崎弘明:新潮文庫 1990)を読み始めたが…うみゅー、こりゃダメだ。ファンタジーノベル・シリーズだということで期待して読み始めたのだが。なんでいきなり世界がミュージカルになっちゃうんだろう。すぐにネタだとわかればいいのだが、それ以降も訳のわからん世界が延々と続く続く。100ページ読んでも、スッ飛ばして150ページまで行っても、ずっとこの調子みたいである。これは私には合わない。見限ることにする。短編なら我慢できんこともないが、長編では無理だ。趣味なんだから我慢してまで読むことはない。撤退である。

今夜は比較的早く帰れたのだが、息子はいない。お義母さんにコンサートに連れて行ってもらって、今夜は母の実家にお泊まりなのだ。そういうことで私は、オリジナルの原稿を書いているカミさんの相手をしながら、まったりと過ごすのである。

狼谷辰之  新書館ウィングス文庫
なる
¥620+税  ISBN4-403-54021-X



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