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11月21日(日) 
息子がオシッコについてきてくれというので起きる。10時前である。息子は今日、祖母と一緒に奈良に行くと言っているので10時に起きねばならなかったのだ。朝食を食べていると宅配が来た。プリンタかと思ったら健康保険組合から家庭常備薬を送ってきたのだった。

息子が祖母と奈良に行くのに妹を連れて行きたいようである。祖母などは「レイちゃん(仮名)に大仏さん見せてあげるために行くんやからねー」などと言っている。しかし、カミさんは今週、屋内の配置換えをしたので行く元気は無いと言う。それで私に矛先が向かってくるのである。

それでも私は散髪するからということでご遠慮させていただく。先週先々週と息子を連れて移動しまくっているのに、今週も必要もないのに子連れで移動できるかぁ!(とは立場上言えない)。

けっきょく、カミさんも行くことになる。彼女は私に洗濯物を干して夕方に取り入れて飯を炊いて洗面所のメンテナンスをやっておくよう言いつけて出て行く。私は行かなくてもよくなったとはいえ、日記を書いたりカミさんに言いつけられた用事をしたりしてから散髪に行ったりしているとそれほど余裕はない。

まずは洗濯物を干してから日記を書いて上げ、洗面所の流しにパイプユニッシュという薬品を流して散髪に行く。ここ数日、排水口の水の流れが悪くなっているのである。このままだと先日のように詰まって水が流れなくなってしまう。まあ、カミさんは目皿を外して娘のウンチを流し、そのまま放っておいたりしているので、毛髪が流れ込んで詰まったりするのは仕方ない部分もあるだろう。

散髪から帰ってきて洗面所に水を流してみる。薬品を入れる前よりも流れはよくなっているが、念のためトイレ吸引カップでガポガポしてみるが…なんか、流れが良くならないんですけど。困りましたな。

どうしようか。薬品は最後だったので買ってくるか、それとももう一度吸引カップでガポガポやってみるか…と思いながら苦しげに流れてゆく水を見ていると、何だか排水口の中に白いものがあるのが見える。指を突っ込んで引っぱり出してると…歯ブラシですよ、奥さん。そりゃ水の流れが悪くなるはずですわな。目皿を外しているときに落ち込んだんだな。

また宅配が来た。何かと思ったらプリンタだった。もう来たのか。日曜日なのにねえ。そして妻子が帰ってきてからもう一度来た。おやおや、今日はもう3回目だよ。これはカミさんのお知り合いからお歳暮であった。日本海のズワイガニと甘エビだそうである。カミさんは海産物が好きなので喜んでいる。

カニはまだ生きているそうである。新鮮なものなので、さっそく今夜の夕食時に賞味させていただく。さすがに旨い。いや、ふつうに「旨い」という感覚を超えて、旨味が相変化して甘味になっている。砂糖なんかの甘味じゃないんだけど、「甘い」としか言いようのない味覚。こりゃ凄い。子供たちも旨い旨いと言いながら食っているし、カミさんも感極まったように「おいし〜!!」とか言っている。いやいや、これは良いものを食べさせていただきました。



11月22日(月) 
引き続き通勤中に「万物理論」(グレッグ・イーガン山岸真:創元SF文庫:→【amazon】:→【bk1】)を読んでいる。やっと第二部が終わった。これはちょっとキツかった。やっぱり、あちらの宗教絡みの話はよく実感できない。

しかし時間がかかっている。早ければ片道で文庫本を1冊読んでしまうというのに、読み始めて2週間近くになるがまだ終わりが見えない。テーマ的に密度が濃いのもあるが、とにかく難解なのである。この人の長編を読むのは大変だ

休日明けだというのに、先週から引き続き体調が悪い。いっそのこと休んでしまおうかと思ってしまったくらいである。明日も休みだから「休日の谷間なんで休んじゃいました」という感じなのがイヤなんだが。午後は上司が外出してたので早めに帰ろうかと思っていたのだが、定時間際に帰ってきたので帰れなくなる。けっきょく、いつもより遅い時間になってしまった。ふにゃふにゃ。



11月23日(祝)
気がつくと、居間でひっくり返って眠ってしまっていた。6時前である。最後の力を振り絞ってヒーターのスイッチは入れて寝ていたのだが、さすがに夜明けは寒い。空気は暖めていても、床から熱が奪われる。何とか日記を書き上げて寝室に上がって寝る。9時前になっていた。

寒い。布団を被っているのに、寒くて寒くて耐えられない。客間から分厚い布団を引っ張り出してきて今まで被っていた布団の上に掛ける。それで寒気は何とかなったのだが、今度は吐き気が襲ってくる。

これも寝ていても我慢の限界を超えてしまったので、起きてトイレで吐くことにする。お茶を飲んで喉の奥に指を突っ込み、吐こうと試みる。それでも吐くというのは正常時の機能ではないので、なかなか出てこない。全身を振り絞って吐こうと試みる。腹筋が攣る。

そのうちに努力の甲斐あって、ガポッと水っぽいものが出てきた。胃の中に何か残っているような感じだったので未消化の食物が出てくるのではないかと思っていたのだが、出てきたのはお茶だけであった。やがて、便器の中の水面に薄茶色いアクのようなものが浮いてきた。これが私を苦しめてきたものだろうか。

しかし、布団に戻ってもなお吐き気は治まらない。すでに妻子は起きているが、また起き出してお茶を飲み、吐く。それでも胃の上半分くらいしか洗浄できてないような感じである。私は強度の胃下垂なので、胃の奥が深いのである。それでも、都合3度ほど吐くと、何とか胃の不快感は軽減したので寝る。

ずっと分厚い布団を被って眠っていた。隣に寝かされていた娘が声を上げだしたので目が覚めた。18時過ぎである。丸半日眠っていたことになるか。ううー、こりゃ明日も使い物にならんだろうなあ。休むしかないか。



11月24日(水) 
今日は仕事を休み、家で静養。昼前にカミさんが「チーズスイートホーム 1」(こなみかなた:KCデラックス:→【amazon】:→【bk1】)を買いに車で本屋に行くというのでお供する。わんわん。しかし、本だけではなくて大工道具とかトイレットペーパーとか、あちこち回ることになる。これは、家で寝てた方が良かったかな。

カミさんは家に戻ると昼寝に入る。息子に学校関係でトラブルがあったらしいので、私はお義母さんや息子の対応。いつの時代も、気の弱い子供は生きにくい。オレもそうだったよな。

夜になって食事の後片付けをしていると携帯がブルった。何でこんな時間に…と思って発信元を見ると、私の弟であった。先日数時間かけて作ったアルバムが無駄になるのはあまりに哀しいので送ってしまったのだが、その件についてであった。複数のファイルに分かれているのでフォルダごと自己解凍形式で圧縮してWebサーバに上げ、そのURLをメール本文に書いて送ったのだが、「PC上の適当な場所に保存する」というのがわからないようなのである。

うーん、それがわからないとなると、Windows(というよりDOSから続くMicrosoftのOS)のファイル管理から説明しなくちゃいけないよなあ。とりあえず、ドライブ直下にダウンロードしなおしてもらって解凍してもらうのであった(18MBがあっという間に落ちてきた。さすがに基地局近くのADSLは速い。きっとウチよりも速いなあ)。

夜になるとまた寒気が襲ってきた。まだ体調は快復していない。でも明日は京都に行くことになっているので休めないのである。



11月25日(木) 
今日は京都で仕事。梅田で本屋を覗いていて出発3分前にホームに上がったのだが、もうすでに特急は座れる状態にない。ホーム上にはすでに次の特急のための列ができ、車内では空いた席を探すジジババどもが歩き回っている。やはり嵐山の紅葉でも見に行くのだろうか。

私も立って京都まで行く元気はないので、次の電車を待つことにする。電光掲示板を見ると次の特急は3ドア車だということだ。しかし、みんな2ドア車の扉の位置に並んでいる。列車が着くまで真ん中の扉のところに並んでいたのは私一人。もうちょっと情報を集めて自分で判断するようにした方がいいんじゃないの。まあ、私は余裕で座れたからいいんだけれど。

引き続き移動中に「万物理論」(グレッグ・イーガン山岸真:創元SF文庫:→【amazon】:→【bk1】)を読んでいる。この作者のこれまでの作品は人格の仮想化(符号化してメモリーにキャッシュすれば本体が破壊されても同じだ)がテーマだった。しかし、この作品では、人間の精神がどうしようもなく肉体に縛りつけられて依存しているものであることも示される。

何らかの考え方の変化(というより思索の進展)があったのだろうか。まあ、その「肉体」も解体してみせずにいられないのが、この人らしいと言えなくもないのだが。

そういえば、昔(と言ってもぜんぜん違和感がないな)ルールを大量に覚えさせることにより人工知能を実現可能だと主張する意見を読んで、肉体を軽視しすぎていることに違和感を感じていたことを思い出した。肉体の苦痛や快感があるから「意志」も現れるわけだし……

あやや〜、そういうことを考えながら書いてたら、気がつくと乗り換え駅を2つも乗り過ごしていたですよ。やはりこの作品は私の脳には荷が重いのですな。

そして乗り換えて読み続けていると…いやー、凄い。何が凄いといって、この「宇宙的事件」に対する人類の「衝撃の感じ方」が凄い。これがSFだ。



11月26日(金) 
今日も朝から京都で仕事。京都で電車を降りて仕事場に向かっていると、いつも通る公園の中を体操服に短パン姿の小学校高学年と思しき少女たちが走っていた。公園に入って歩いていると、すぐ横を身体を揺らしながら走り抜けてゆく。先生らしき大人がついているので、授業の一環なんだろうか。しかしランニングだったら、なんで校庭でやらないんだろう。まあ、目の保養になったからいいんだけど。

京都からの帰りにヨドバシに寄り、IEEE1394ケーブルの0.3mを買う。先日買った分ですでに安定稼働しているのだが、ケーブルを短くした方がいいと判明したからにはそれを推し進めるべきでしょう。将来的にはさらにディスクを増設するだろうし。

DVD-Rも国産20枚が3000円くらいのものがあったが、まだ家に10枚以上ストックがあることを思い出して思い止どまる。ケーブルと合わせるとポイントでは買えない値段になることもあるな。DVD-Rはどんどん安くなっているものだし。

昼間は晴れていたのに天気予報では夜から雨だと言っていた。京都の仕事場を出たときには雨は降っておらず、阪急で梅田に着いたときにも雨は降っていなかった。しかしヨドバシを出てJR大阪駅に向かおうと思ったら雨が降っていたのである。濡れた傘を持って電車に乗るのは嫌なのでヨドバシのビルの中に引き返し、フロアを縦断して地下に降りて大阪駅に入る。なんか、屋根の下なのに雨を感じた。

環状線のホームに上がると、屋根の上をザーッと雨音が駆け抜けてゆくのが聞こえる。そして外回りの線路の側から霧雨がホームの上に降り込んでくる。こりゃ並んでられませんがな。しかし、他の客が並んでいるのでその後ろに並ぶ。そのときには雨は降り込んできていなかったのだが、列車が着いて列が前に進むとまたザーッと音がして細かい水滴が顔に降りかかってくる。ふにゃー、やめてくれー。

濡れるほど前に並んでいたおかげで座れたのでよかったのだが、途中の駅でも扉が開くたびに雨が車内に降り込んできているようである。降りるときに床を見ると、反対側の扉のところまでびしょびしょに濡れていた。滑らないようにしないとな。

鶴橋でも駅の構内にいるというのに、上方から雨の荒れ狂う音が聞こえてくる。こんな強い雨は長く続くはずがないので、ブックオフに入って時間を潰そうかとも思ったのだが、体調が悪く長時間立っていられそうにないので断念する。

万物理論」(グレッグ・イーガン山岸真:創元SF文庫:→【amazon】:→【bk1】)はいよいよクライマックス。なるほどー、うまいオチだー。そして、この盛り上がりも見事。こんなに無茶苦茶な(に見える?)理屈なのに、その上に乗せられて疾走するこの快感! 凄まじき腕力である。

そうか、相対性理論が物質とエネルギーを統一したように、究極の理論はすべての力を統一するだけでなく、情報までも統一してしまうのか。

家の最寄り駅を出たときには、すでに雨は止んでいた。けっきょく、傘は差さずに済んだのだった。今夜は22時を過ぎていたが、明日は休みなので家族はみんな起きていた。例によって息子が「おみやげは?」と言いながら出てきて、ふりかけを渡してやると居間に戻ってゆく。それと入れ替わりに娘が這いながら廊下に出てきた。彼女は私の姿を認めると立ち上がって私の方に歩いてくる。ずいぶん長い距離を歩けるようになったもんだな。そして私の前で両手を拡げ、「でァ!」と声を上げる。抱っこですか。抱き上げて居間に連れて行くのである。

カミさんが現在古いプリンタの前に置いているものを置く場所を考えないといけないということで新しいプリンタの設置を先延ばしにしていたのだが、スキャナやコピーとして使わないときは上に乗せておけばいいじゃないかということで、娘を寝かせてからプリンタの設置をする。

まずは現状のプリンタと旧プロキシサーバを撤収する。ケーブル類はカラーボックスの背後にまとめていたので、引っ張り出すと大量の埃がもれなく付いてくる。ここに設置して1年半なんだがな。ノートが1台なくなると、かなり線もスッキリする。プリンタケーブルは太かったしね。

設置するためにいろいろ触っていると、店頭で見たときに感じたハードウェアとしての完成度の高さを改めて感じる。かなり優秀な設計者がいるんじゃないだろうか。スケジュールを崩してまで練っただけのことはあるな。そういうことができるのも、トップじゃないからなのかもしれないが。

あとはソフトだ。ネットワークプリンタ/スキャナとしてドライバのインストールをするが、インストーラが複数の独立したインストーラを繋げているようである。その繋がりがうまくいっていないようだ。1つのソフトのインストールが終わって次のインストーラが自動で起動するはずが、それに時間がかかるのでその間にボタンをクリックしてしまって「お待ちください」のままずーっと待ってただよ。このあたりは無理にワンクリックでやろうとせずに、順番にソフトの必要性を説明しながらインストールさせた方がいいんじゃないかと思うのだが。



11月27日(土)
ああ、やっと休日である。今週は2日も休んだのに、そういうことを考えているのである。



11月28日(日)
今日も体調が悪く、室内でぐだぐだしている。HDD&DVDレコーダーで録画していた月曜組曲を観る。小田さんBridge Over Troubled Waterを歌っているのを聴けるとはねえ。いい番組だ。でも、最後の高いところを伸ばさなかったのは歳のせいなんだろうか。

風呂洗いをしていると、その間に私のマシンでゲームをしていた息子がやってくる。
「最高記録でたー」
「なにでや?」
「ソリティア」
「何点?」
「2224点」
まあ、キミはそういう得点を獲得するゲームが好きみたいだからね。でも、わざわざ報告に来るほどのことでもないと思うんだけど。

昼間は体調が戻ってきたように感じていたのだが、夜になるとまたキツくなってくる。やはり体調にも日照周期の影響があるのだろうか。今週も大変そうだな。



11月29日(月) 
今日も歯医者に行く。今回は下の親知らず側面に両側とも穴が開いているらしいので、その治療である。いちばん奥だから歯茎との間に食物の滓が溜まりやすいしそれを検知しにくいからな。私としては左の方が気になるのだが、医師の判断としては右の方が重症らしい。まあ、右の親知らずの脇は、自分の舌でも触れないくらいの秘境なのである。

今日は念入りに麻酔を射っている。麻酔が効きはじめているのだが、顎に力がかかっているのでさらに深く針を突き刺しているのがわかる。麻酔を射ちながら「奥の歯は前歯より大きいので麻酔の効きが悪いかもしれません」などと恐ろしいことを言う。

たしかに治療中に一度痛いポイントに当たって、その後も空気を吹き付けられると沁みた。とりあえず痛んだのはそれだけ。

今回も病変部を削り取って樹脂で固めておしまい。上面に詰めていた金属が劣化していたので、そこも処置したらしい。

この歯も神経までは冒されていなかったようだ。しかし、今回治療している歯はみんなギリギリまで削られているようなので、今後きちんとメンテナンスしないとヤバいのか。ちょっと悪化するだけで致命傷になりかねない。

今日は急遽京都に行くことになってしまった。しかし今読んでいる「万物理論」(グレッグ・イーガン山岸真:創元SF文庫:→【amazon】:→【bk1】)は現在エピローグに入っていてあと数ページである。電車に乗る前に何か買わねばならない。京橋の本屋で探して「ブランコのむこうで」(星新一:新潮文庫:→【amazon】:→【bk1】)を買った。今ごろ新刊が出るのか…と思っていたのだが、売れてるらしい。へえ。

歯の治療を終えたときには昼休みに入っていたのだが、まだ麻酔が効いているので京橋のダイエーでパンを買って移動中の電車の中で食べることにする。そうすれば食事するための時間を本屋での立ち読みに充てることができるからな。しかし、左側だけで咀嚼するのは非常にストレスが溜まる。私は10代の頃から左下の歯が悪かったので、ずっと右側で噛む習慣がついているのである。左右の顎についている筋肉のバランスが悪いというのは良くないことだというのはわかっているんだが、これはもう自分ではどうしようもない。虚弱なのはそのせいもあるのかもしれない。

噛みにくいのを我慢してちゃんと噛み砕いているはずなのだが、心なしか胃の負担も重いような気がする。けっきょく、パンを3つ食うのに30分もかかってしまった。往きにはほとんど本は読めず。まあ、ものを食っていると恐れをなすのか誰も隣に座ってこないのは良かったんだけど。

帰りにやっと「万物理論」を読み終えた。それで、問題点がいくつか。

まず、人類がすべて作者ほど頭が良くはないということ。そもそも文字を読めなきゃこれを「理解」できるはずもないし(そう、この作品こそが、イーガンにとっての理解」なんだろう)、地図を読むことさえ訓練が必要なのだ。

第2に、「理解」が世界に影響を与える、というのも納得しがたい。やっぱりそれは自分の内側のことなんでしょ、と思ってしまうのである。その「内側の世界」に自分たちもいる、ということなのかもしれないが(このあたりは読み間違えている可能性が大きいので自信なし)。このあたり、BS6005に何が起こったかに通じるものがあるような気がする。

第3に、その理論が理解できたとして宇宙のすべてが理解できるというのもなあ。現実世界の複雑さ、カオスというものを(あえて、だろうけど)無視しているようなのも気になるところ。まあ、登場人物にも「建造物の基礎を見ても、天井に触れたことにはなりません」とは言わせてるんだけど。

それでも、この作品が現代SFにおける最高峰に位置していることは疑いがないだろう。まあ、こういう突拍子もない作品を最高峰と言うのは、ちょっと複雑な気分ではあるんだけれど。

先日「汎性」の3人称について「オリジナルではどういう単語なんだろう」と書いたが、訳者あとがきで言及されていた(ネタバレしそうで事前に読んでなかったのである)。「ve」なのね。そうか、それに英語だと所有格や目的格も創らないといけないのか。…とか思って読んでいたら、英語としては性を問わない3人称として辞書にも載っている単語なのですか。「Ms.」と一緒でフェミニズムの影響なんだけど、個人的にはちょっとヤな感じ。

そしてまた人間の精神が肉体に依存していることが示されていることについて「考え方の変化があったのだろうか」とも書いていたが、訳者あとがきを読んでいるとこれは最新の作品というわけではないらしい。そういう点では、考え方が変わったというわけではなく、今まで読んだ作品にそういう傾向のものが多かったということか。

…などと、エピローグの残りと訳者あとがきを読んで感想を書いているだけで帰路の時間も潰れてしまった。これは、「ブランコのむこうで」を買う必要は無かったか。

つい先日「DVD-Rはどんどん安くなっているものだ」と言って買わなかったのに、帰りにヨドバシに寄ってFujiのDVD-R30枚スピンドルが4200円を切っていたのを見て買ってしまう。1枚130円ですか。150円が相場だと思ってたからなあ。しかし、相場が130円になる前に使えるかときかれるとちょっと不安なのが何とも。

家に帰り子供たちが眠ってからHDD&DVDレコーダーに録画されているエヴァを、DVDに焼く前準備としてCMカットを行う。フレーム単位で行えるしノンリニアだから時間も短縮化されてるんだろうけど、それでもやっぱり動画の編集というのは時間がかかる。

トイレに行くために扉を開けたカミさんが、娘が泣いていると言う。彼女の指令により寝かせに行く。寝室に入ると、娘は起き上がって泣いていた。布団から出てかなり時間が経っているのか、抱き上げると身体が冷たい。長時間泣いて目が覚めてしまっているようで、抱いて寝室内を歩き回ってもぜんぜん寝てくれない。起きたてだと、抱き上げればすぐに目を閉じて大人しくなってくれるのだが。

腕が疲れたので布団の上に寝かせ、泣き疲れるのを待っているとカミさんがやってきたので選手交代。しかし階下からもずっと娘の泣き声が聞こえている。ついにカミさんが娘を抱いて下りてきた。「背中が痒くて寝られないのよ」と、まるで私が悪いかのように言われてしまう。まあ、アトピーは私の遺伝なんでしょうけど(泣)。それでも、私といるときには背中が痒いようなそぶりは見せないんですけどね。

そのうちにカミさんは娘を私に抱かせて寝室に上がって行ってしまった。何とか私の腕の中で目を閉じるようになってはくれたが。気が高ぶっているようで、なかなか呼吸が穏やかにならない。この状態では降ろすとすぐに泣き出してしまうのである。腕が限界になってきたので、最後の切り札を出すことにする。負ぶい紐である。

娘を背負って歩き出すと、彼女は喜んでいる。また目が覚めてしまったので、就眠のプロセスを再度やりなおすことになる。彼女を背負っていると、長時間パソコンに向かっているわけにいかない。ほとんどの時間を、テレビを観ながらあるきまわっている。そうこうしていると、ネットワークまで繋がらなくなってしまった。娘を背負ったまま、何度もケーブルモデムのところまで行って電源をOFF/ONしたりルータを再起動しても状況は変わらない。弱り目に祟り目である。

そのうちに、背中の娘が頭の置き場所を探すようになってきた。早く寝てくれー。気がつくとエヴァが終わっていた。4時ですかあ。

なんとか深く眠ってくれたようなので、寝室に入って布団の上に横たえようとするとまた泣きはじめる。けっきょく、カミさんの布団の中に収納されてやっと泣きやんだのだった。



11月30日(火) 
起きて思う。まだ火曜日なのか。あと4日も仕事をしないといけないのか。これでいいのか。

ようやく私の周囲にも新札が流れてくるようになってきた。それでも、発行されて4年以上経つ二千円札はまだ2枚しか触ったことがないのだけどね。本来、お札というのは偽造を避けるためにどんどんバージョンアップしてゆくものなんですねえ。聖徳太子の一万円札や伊藤博文の千円札が長くて私はその時期に育ってきたので、何となく変わらないものだという意識があるんだよな。

会社で久しぶりにMYCOM PC WEBのサイトを見ていたら、動画の広告が表示されてその再生が終わるまで記事が読めず非常にウザい。速攻でIEの「制限付きサイト」に登録するのである。読者に嫌がられたら逆効果だよなあ。そのあたりの見極めが難しいんだけど。

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