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▲1月21日(金)▼ →
今日は京都で仕事をしているので、あきんどスシローで昼食を食べる。「づけ鰹」というのが流れてきたので食べてみる。初めて見たが、これも旨い。魚の味が強いだけにイカやマグロよりも味を濃くしてあるように感じる。相変わらず、かんぱちも美味い。シソの葉のアクセントが効いている。本来私はシソは好きじゃなかったはずなんだけどね。そして、タイの上品な旨みと歯応えを楽しみ、久しぶりに「かに本身」を頼む。一時期は毎回のように食べていたのだが、飽きてしばらく食べていなかったのだ。今日はいいズワイガニが入ったのか、ズワイガニの握りがたくさん流れていることもある。口に入れて噛んだ瞬間、カニの身の旨みがじゅわっと口の中に溢れてくる。ひやー、美味しー。日本人に生まれて良かった〜。今日食べたものはみんな美味かった。づけイカの旨さが霞んで印象に残ってないくらいである。
京都の作業場所にあるトイレでは節電のため使用しないときは電灯を消してある。それで点灯させるためのスイッチだけは発光するようになっているのだが、これがワンタッチではなかなか押せないのである。昼間は一発で押せるのに。目標が見えているのは同じなのにもかかわらず周囲の明るさによって精度が明らかに変わるというのは、やはり自分の指が見えていないのが原因なんだろう。自分の指の動きを見ることで、軌道を補正しているんだろうなあ。
引き続き通勤中に「闇の中の子供」(小松左京:新潮文庫 こ 8-4:→【amazon】)を読んでいる。今日はまず「第二日本国誕生」だ。この国で馬鹿みたいに税金が高価く、腐れ役人がのさばっているのは「競争がない」からだ。それは、この本が出てちょうど30年経った今も変わらない。おそらく何年経ってもそうなんだろう…と思ってしまうところが哀しいが。
それは誰でも思っていることなのだが、そこから「国」というものの考察に入ってゆくところが小松左京である。そうなんだよな。「国」というのも「自己」と同じく、いろいろな種類の定義がある。
しかし、このようなコストによるサービス競争を社会全体(当然、役所は除く(苦笑))で行っている時代に生きている身から見ると、「第二日本国誕生」がこのような発生の仕方をするというのはちょっと違うような気もするな。コスト削減というのは、内部にそれなりの痛みを伴うものだと思うからである。
それも、従来の国家システムにそれだけ寄生虫(それも働かずに多くの養分を必要とする)が大量に巣くっているということなのかもしれないが。そりゃねえ、関西空港や大阪ドームの建設や維持に必要なコストの住人への負担は大変なものだろうからな。
まあこれは、ギャグとして描いているようだからな。それでも、第二国家の公式声明には泣けた。そうだよ、こうでないといけないんだよ。今の日本が哀しくて、この世界の素晴らしさに泣ける。そして感動していたところで…こういうオチですか。これにはやられた。
続いて「養子大作戦」を読み始める。かなり人種差別的な表現が入ってるから、これは古本でしか読めないだろうな。この「土人」たちは日本人のパロディなんだろうか…などと考えながら読んでいる。
帰りにヨドバシに寄り、思いついてゲームパッドを買う。最近、息子が私のパソコンでパックマンをやるときにキーボードを酷使しているので不安なのである。ノートパソコンはキーボードがやられるとやっかいだからな。
それで、USB2.0のPCカードも買う。私のパソコンはUSBポートが2つしかついていないのである。マウスとUSBメモリを挿してしまうと、もうおしまいなのだ。USBメモリが必要ないときは抜けばいいだろうという話もあるのだが、これに入っているファイルを使っているアプリケーションで全部閉じても、Windowsが抜かせてくれないのである。悪女の深情けというやつか。まったくWindowsというやつは。
ゲームパッドはポイントで買えるのでこっちだけポイントを使って払うようにしてもらう。会計は別になってしまったが、特に問題はない。いや、レシートが馬鹿デカいので、2枚も渡されると扱いに困る。まったく、ヨドバシのレシートは何でこんなにデカいんだ。
続いてソフマップに向かっていると、「蛍の光」が流れている。あら、閉店時間を21時にしたのかよ。ヨドバシとの勝負をあきらめたのか。それでも5分あるので店内を見て回る。
スピンドル入りのDVD-Rを買おうかとも思ったのだが、どうも国産はそれほどヨドバシと価格が変わらない。だったらポイントのあるヨドバシで買った方がいい。だがそこで、見知らぬメーカーだが10枚399円のスピンドル入りがあったので買ってしまう。1枚40円だったら失敗してもショックは少ないし、たとえ全部失敗してもケースを買ったんだと思えば…(笑)
いやー、スゴいですねえ。不正をしないと昇進できない…ですか。それが一般企業ならともかく、警察だというのが凄い。日本はどうなってしまうんだろう。まあ、NHKでもそうだが、内部告発する人間がいるというのがまだ救いだな。この人たちが嘘つきだとして抹殺されたら、日本はそれこそ終わりだぞ。
「ICカード公衆電話が廃止へ」というニュースを読んで「えーっ、ICテレホンカードって有効期限があるの!?」と思い、まだほとんど使ってないカードを取り出してきて確認してみると…去年の後半で切れていた。何でこんなものに有効期限なんて設定するんだあっ! ふつうのテレホンカードでは死蔵されたものが多くて美味しい思いをしたのだが有効期間がなかったので儲けとして「確定」できないので泡銭を得ようということなんだろう。けっきょく向こうの都合か。うきーっ、NTTに金を恵んでやったことになるのかぁっ!(個人的に恨みがあるらしい)しかし、前にも書いたかもしれないが、携帯電話の普及という時代の変化を読みきれなかったことで、ICカード公衆電話への投資はまったく無駄金に終わったわけですな。それもまた利用料金に上乗せされてたわけだ。今までは競争がなかったわけだからね。
▲1月22日(土)▼ →
今日は息子と一緒にツイン21で開催されている古本市に行くことになっている。千円の範囲内で本を買うのに頭を使ってもらおうということである。娘は保育所に行っているのでカミさんも誘うと、彼女の車で行くことになった。私は定期券を使えるので電車で行く予定だったんだけどね。やはり私が太らないというのは車を持っていないということもあるんだろうな。
例によって前を行く車のナンバープレートを使ってゲームをしながら目的地に向かう。そして本を選び始めるが、息子は大量の本の中から望みの本を見つけ出すということがまだうまくできないようである。ある程度こちらが選んでやって、そこから彼が買うかどうか決めることになる。「マンガはどこ?」とか言っているが、そういう本は中が確認できないようになっている。百科事典はどうかと言ってみるが、そういうのは図書館にあるからいいと言う。まあそうかもしれないねえ。
前回は1冊100円のコーナーとかあったのだが、今回は全体的に高価くなっているような気がする。息子も千円ではそれほど数は買えない。母親に知恵をつけられたのか、どうしても千円に収まらないので差額は自分で出すとか言っている。買い物カゴの中を見てみると…けっきょく全部電車の本かよ。
カミさんが本を買い終わったらまず「犬々房 DOG MIND」という店に行きたいと言っていたので、IMPに行く。すると彼女は腹が減ったと言い出した。息子に何が食いたいか訊くと、例によってラーメンを食べたいという。当初、息子と二人で来る予定だったときには、京橋駅周辺にラーメン屋が集中しているというのでそこに行ってみようかと思っていたのだが、カミさんが一緒だとそこまで歩かせれば怒り出すだろう。この近くでちゃんとしたラーメンを食おうと思ったらツイン21かなあ。
そういうことでツインに戻ろうとしていたらカミさんはIMPのミスドに行くと言いはじめた。息子も迫力に押されてそれでいいと言っている。ミスドで出してるそばなんて、大量生産の何のこだわりもないものだ…なんて息子に言えるような雰囲気でもないし。しかし、エレベーターで3階まで上がって陸橋を渡るだけなんだけどな。私が太らないというのは歩くのが苦にならないせいもあるんだろう。
カミさんは、そばに加えてドーナツも頼み、何でドーナツを食わないのかと私に訊く。そんな油で揚げた甘いものを昼食と称して食べていたら太っちゃいますがな
食事を終え、「犬々房 DOG MIND」に行く。犬との「ペットショップ&ふれあいスペース」なんだそうである。私なんかはそのへんの犬をナンパして触らせてもらえばいいじゃないかと思うんだが(ぜったいに人間よりも犬の方がナンパしやすいはずだ)、世間では金を出してお触りさせてもらうものらしい。そういうものも金で買う時代になってしまったのか。嘆かわしいことである…って、何の話だ?
入場料が500円で餌代が100円ですか。3人だと二千円近くなりますな。テナント料と生き物を飼育する手間を考えるとこの程度は仕方ないんだろうか。けっこう客が入っていることを見ても、世間的にはこれがリーズナブルだと思ってる人が多いということなんだろうな。私は餌は要らないと言う。毎日人に撫でられている犬なんだから、別にチップは渡さなくてもお触りさせてくれるだろう。
我々が犬のいるスペースに入ると、どっと犬がやってくる。どうもエサ目当てのようである。あんまり可愛い子はいない。まあ、子犬の期間は短いからな。どうしても成犬が多くなってしまうのだろう。それに、小っちゃい子は先客が抱いて放さないのである。後から来た客のところには回ってこない。これは、もう少し客の少ないときに来るべきでしたねえ。子犬はずっとサービスしてると疲れるみたいだし。まあ、私はいつも家で人間の仔を抱いてるから別に子犬など抱かなくてもいいんだな。やっぱり子犬よりも人間の子供ですよ。
帰りに娘を保育所から回収して家に戻る。娘は食事前に彼女の兄が食卓の上を拭いていると、彼女も手近にある濡れタオルをもって同じように拭いている。いやいや、それは母ちゃんがキミの顔とかを拭くために用意したものだから、そういう目的に使っちゃいけないんですけど。
今週の「げんしけん」はイベントの話。カミさんをはじめヲタクな人たちはイベントに行ってこういうことをしているのか…と、薄々の一般人には感心することしきりである。カミさんの日ごろの言動から見ても、本当にこういう感じなんだろうなあということがいちいち頷けて、笑える。まったくためになるアニメである。しかし、息子がいるときに観たのはマズかったような気がする。エロ同人誌なんてものの存在が前提になっているような話を8歳児に見せちゃダメでしょう。エロ自体が教育上よろしくないし、そういう世界があるということを知るのも早すぎると思うぞ。どうせカミさんのそういう本が家の中に溢れてるんだと言われればそうなんだけど…というか、平気で目につく所に置いてあるのってマズいっす。私のエロ本はちゃんと隠してあるんだから。
▲1月23日(日)▼ →
息子が布団の中に入ってきたので目が覚めた。女性軍が寝ている方を向いて「レイちゃん(仮名)!」と言っている。見ると、娘が立っていた。起きてたのか。寒いだろう。息子と二人で呼ぶが、彼女はやってこない。どちらかというと、寝ている母親に対して「まんま、まんま」とか言っている。母ちゃんを起こしたら、また機嫌が悪くなる。息子が「ぼく、連れてくるわ」と言って布団を出ると妹を抱いてやってくる。それで布団の中に引っ張り込んで寝かそうとするが、眠ってくれない。けっきょく、3人で起きることにする。
息子が焼いているパンができるまでベビーチーズを出してきて半分ほど娘の前に置いて顔を洗いに行く。帰ってくると、チーズの残り半分も無くなっていた。彼女がテーブルの上に上って、自分で包装を剥いて食べていたのだ。包装の銀紙は食べたりしてないだろうな。
昼頃にカミさんが起きてきた。食事を終えるとお菓子を出してくる。娘はお菓子を食べ終わると、使っていた皿を台所の流しの上に置きに行く。兄がやらされているのを見て真似をしているのか。教えられなくてもやっているのか。偉いもんである。
息子は友達を呼んで、居間の隣の部屋で遊んでいる。カミさんが娘を連れて買い物に行っている間に、洗濯物を干して自分の昼食の用意をしながら私のメインマシンのOSをWindows2000のSP4にアップデートし、USB2.0のPCカードを挿す。こういう時間がかかってPCを占有される処理は、何か別のことをやりながら行うべきである。
そして、増設したUSB2.0のポートにゲームパッドを挿してそのボタンにキーボードの矢印キーを対応付けようとしたのだが、その方法が見つからない。どうもそういうことはできないようなのである。ボタン操作をキーボードのボタン押下のイヴェントに対応づけられると思っていたのだが、ゲームの方が対応してないダメなんですか? 困ったもんである。また無駄なものを買ってしまったことになるのか。トホホである。
今夜は私が子供たちを寝かせるように仰せつかってしまう。娘は元気である。こういうときは母親の乳を吸いながらでないと眠ってくれないんだがなあ。案の定、寝室に入って一緒の布団に入っても、彼女はぜんぜん眠ってくれない。私の布団を抜け出そうとする。外は寒いので出さないようにすると、抵抗して泣き続けるのである。そんなに父ちゃんと寝るのがイヤなんですか。
▲1月24日(月)▼ →
朝、家をでる前にパソコンを操作していて思う。どうもSP4に上げて、動作が遅くなったような気がする。とくに、ファイルをクリックしたときに対応するアプリケーションを起動するのに時間がかかっているようだ。いかにもMicrosoftである。困ったもんだなあ。
「Xiao Pix」で撮った写真をパソコンに移して見てみると、かなり下の方が写っている。モニターがないので撮影時にどこを撮っているかがわからないためである。人物を写した場合、肝心の顔が写っていなかったりする。困ったもんである。意識して地面と垂直に立てて構えないといけないのね。これは慣れが必要だな。あと、クロックを内蔵していないので当然といえば当然なんだが、撮影日時が記録されないのも困ったものである。やっぱりUSBメモリのオマケなんだよなあ。
今日は初めての客先に行く。大阪モノレールに乗ったのだが、座席がクロスシートだった。たしか前に乗ったのはロングシートだったはずだ。「Xiao Pix」で写真を撮っておく。息子に見せれば喜ぶだろう。そして目的の駅で降り、古本市場の看板を見つけて心が騒ぐ。さらにはあきんどスシローや黒兵衛、めんむすまである。ここはいいところだ(苦笑)。
引き続き通勤中に「闇の中の子供」(小松左京:新潮文庫 こ 8-4:→【amazon】)を読んでいる。今日は往きに「養子大作戦」を読み終えた。形式としてはドタバタ小説だが、考えはじめると、日本の歴史とか、小国が近代以降の国際社会で生き抜いてゆくための方法とか、日本の道徳の有効性(前回は運用がマズかった)とか、いろいろと考えさせられることが出てくるのである。噛めば噛むほど味が出るというやつですな。
続いて「恋と幽霊と夢」。読み始めて、どこかで読んだことがあるような気がした。小松左京が同じネタの作品を描くはずがない。そう思いながら読んでいると、やはり記憶にあるあの作品だった。この作品は強く印象に残っているんだよな。エッチシーンがあるからというだけでなく。最高の幸福と、筆者の体験した悲惨さとの対比が強烈で。
これも「地には平和を」と同じく、この人が描かないではいられなかった作品なんだろう。あの戦争で生き残って、こういう贅沢三昧の生活をしていれば、こういう話を描きたくもなるというものでしょう。
そう思いながら読んでいるとやってきたのはこの、見方によってはとてつもなく恐ろしい結末。戦争を知らないで快楽を享受している世代である我々に、これを見せつけるために描かれたんだろう、この作品は。
…いかん。ここまで小説としての評価をするのを忘れて読んでたぞ、この作品集。
今日、息子は妹を負ぶって保育所から家まで歩いてきたらしい。へえ、保育所から我が家までだと自転車でもけっこう時間がかかるのになあ。偉いものである。でも、昔はもっと立派な子供がいたんだぞ…などと、戦争モノの小説を読んでいると思ってしまう影響を受けやすい私。
私が夕食を食べていると娘がやってきて、食卓の上に積木を乗せる。2つ積んでパチパチと拍手。最近、積み木を積めるようになったんだな。キミ、誉められようと思って来ましたか。
息子は家の中で縄跳びをしている。新しい家になって床が頑丈になったのでできるんだよなあ。どうも、ハマっているようだ。もう寝なければならない時刻なのにまだやると言って母親に怒られている。まったく限度を知らない奴である。
娘が廊下との間の戸を開けていたので母親に閉めるよう言われると、彼女はちゃんと閉めている。言っていることがわかるのか。偉いもんである。ある意味、もう猫なんかよりも知能は進んでるな。人間というのはすごいなあ。
今夜はカミさんが子供たちを寝かせてくれる。かなり時間が経ってから彼女が下りてきたが、階上から娘の泣き声が聞こえてくる。起きて布団から出てたら風邪を引くなあ。頭痛がすることもあり、私が上がって寝かせることにする。娘と一緒に寝てると肩が冷えるんだけどね。寝室に入ると、娘は布団の中で泣いていた。私の布団の上から呼ぶと、こちらにやってくる。兄ちゃんを踏むんじゃないぞ。今夜は昨夜と違い、素直に私の胸の上で寝たのだった。
▲1月25日(火)▼ →
昨夜から頭が痛い。寝ていても眉間から目の間の奥が重苦しく痛い。頭蓋骨の中なので揉みほぐしたりできない。痛みの中心と「通じて」いそうなところを圧迫して軽快させようとする。なんか、背中まで通じていそうな気がするな。
娘は母親に靴下をしまうように言われると、履いているものを脱いでさらに落ちている別の靴下も拾ってカゴに入れに行く。偉いもんだな。ウチの子だとは思えないくらいだ。やっぱり2人目は知能が発達してるんだろうか。そういう意味では、長男に相続させるシステムというのは家の存続のためには良くないような気がするぞ。まあ、次男以降のほうが逞しいから外で新天地を開拓させようという構想なのかもしれないが。で、ウチの夫婦は両方とも1人目なのである。
引き続き通勤中に「闇の中の子供」(小松左京:新潮文庫 こ 8-4:→【amazon】)を読んでいる。今日は「少女を憎む」からである。自伝小説なのだろうか。そうでなければ、このような(重苦しいというか瑞々しいというか…どう表現すればよいのだろう?)作品は描けないんじゃないかと思ってしまう。
私も著者と同じ昭和一桁に育てられた世代だから、多少はこの抑圧を知っている。でも、抑圧が強ければ強いほど、それを越えたときの快感も強いというのも事実なんだよな。……などと甘っちょろいことを考えながら読んでいると、酷い目に遭うことになるのだ。この作品は。
この、抑圧から解放される「啓示をうけた」場面。今更ながら惚れ惚れするような表現である。しかし、それだからこそ、最後のあの結末が胸に迫ってくる。文章だけで、無関係な人の心をこれだけ揺り動かすことができるのだ。いやこれは、何も知らずに安穏と暮らしている我々のような世代に対する呪詛の言葉なのかもしれない。
続いて「長生きの秘訣」。ネタとしては一発モノなのだが、この、リアリティを増すための書き込みがたまらない。そしてオチも、笑えるように見えて深遠な孤独を感じさせるものである。こういう上質な小品をコンスタントに読ませてくれる作家は、今はもういないのか。別に新しい設定はなくていいからさあ。
仕事帰りの電車の中でオジサンたちが読んでいるスポーツ新聞には「海老沢辞任」とか書いてある。しかし、会長が辞めても何も変わらんでしょう。あそこが腐りきっているのはあの一連の騒動でみんなわかったはずだ。あんな腐りきった組織を維持するための金など誰が出してやるものか。視聴者の好意で成り立っている組織なんだから、それを忘れちゃおしまいでしょう。そういう意味では、愛媛県警はさらに腐ってるようなんだがなあ。
今日も息子は家で縄跳びをしている。昨日は跳ぶときにドンドン音がしていたのに、今日はもう余計な力が抜けてトントンいっているだけである。昨日はエネルギーのロスが多いので10回も跳ぶとフォームが崩れてきていたのだが、今日はもう何回でも跳べる感じである。子供というのは1日で信じられないくらい進歩するものだなあ。
今日もカミさんが子供たちを寝かせてくれたのだが、今夜も彼女が降りてきてから娘の泣き声が聞こえてくる。そして今回も私が寝かせに行く。娘を寝かせる前に息子にオシッコをさせようと思って彼を抱き上げると、自分のために助けがきたと思って期待していた彼女はギャアアアアーと泣きわめく。ちょっと待っててくれよー。
▲1月26日(水)▼ →
今日はトラブルがあって船場の方にある客先に行く。自社の環境で再現しないのでエンドユーザの方に操作してもらうのである。するとすぐに再現した。やはりユーザの方に話を聞くと「操作手順」ではなくて業務的に「自分のやったこと」しか意識していないので、実際に見てみないと再現させるための情報は手に入らないのよね。
再現するのは見たが、それで確実に再現させる手順を見つけるのがまた大変。お客様の環境を借りて何度も同じような手順を繰り返してみる。昼飯抜きで15時過ぎまでかかった。使わせてもらったPCがサーバの上にあったので、ずっと立ちっぱなし。疲れた。
どうも、IEが画面を描き換えているときに特定のJavaScriptが動くと発生するようだ。このあたり、最近のシステムはGUIが絡んでくるので調査が難しいんだよな。以前はデータの流れだけ追いかけていればよかったんだが。まあ、何といってもシステムがIEの上で動いているのが最大の問題か(爆笑)。
再現手順から見てIEが怪しいと思われるので、IE6にバージョンアップしていただく。しかし、それでもあっさり再現したのであった。けっきょく、持ち帰って再調査するということになる。ツラい。
客先からの帰りに、すき家で牛丼を食べてみる。すき家は初めてである。やはり吉野家の方が肉がジューシーで好みだな。豚汁もやたら唐辛子が入っていて辛い。
引き続き移動中に「闇の中の子供」(小松左京:新潮文庫 こ 8-4:→【amazon】)を読んでいる。今日はタイトル作の「闇の中の子供」を読み終えた。「大人の都合で殺される子供の悲惨さ」をあの筆力で我々に思い知らしめる作品かと思ったのだが、いやいやそんな一筋縄で行くような作品ではなかった。この長さの作品にこれだけ複雑な仕掛けを施すとは、さすがである。日本の伝統芸能論、文化論にもなってるし。そして、ラストの余韻も素晴らしい。さすがである。こういう佳作をコンスタントに描ける作家が今の日本には…もういいですかそうですか。
▲1月27日(木)▼
今日も今日とて京都で仕事。昼休みに作業場所近くのセブン−イレブンに行くと、「天使にラブ・ソングを…」のDVDの展示が無くなっていた。どうも、1月後半から2月分の販売ということになっているようなのである。「えーっ、前月分は無くなっちゃったのぉ!?」ということで、帰りに家の近くの店に行く。多少強引に頼み込んででも入手しようという腹づもりである。
店のねーちゃんに「DVDですけど、展示してないものは買えないんですか」と訊いてみると「取り寄せになりますけど」という返事。そう言われたとき、レジ奥の棚にあるのを見つけてしまった。邦題を言うのは恥ずかしいので、「その、いちばん左の上のやつ…」とか言っていると、あっさり「SISTER ACTですか?」と言われてしまった。はあ、そうです。
出してきたパッケージを見ると「1890円」とか書いてある。「げーっ、ひょっとして1500円というのは期間限定なのか?」とか思っていたら、バーコードを読ませてレジのディスプレイに表示された価格は1500円だった。ふう、ラッキーである。
引き続き通勤中に「闇の中の子供」(小松左京:新潮文庫 こ 8-4:→【amazon】)を読んでいる。今日はまず「犬」を読み終えた。小松先生には珍しく何の変哲もないストレートなホラーのように見えて…やはりこういうネタですか。でも、描いてあることは一面の真実を突いているよな。これはなぜなんだろうねえ。何もしないのに。
続いて「ハーモニカ」。296ページ5行目「RL/I」は「PL/I」の間違いなんじゃないだろうか。しかし、コンピュータと対話するのがブラウン管にタッチペンという時代に、コンピュータの進化の速さと世代間のギャップを絡めた作品を描いているとは。全くこの人の先進性と視野の広さにはかないませんなあ。
この頃はまだコンピュータは中央にあって、家庭にあるのは端末機なんだな。でも、利用イメージは、ブラウン管が液晶に、タッチペンがマウスに変わってはいるが、現在の姿とそれほど違ってはいない。子供が、よその家には端末が3台もあるとか言ってるし。
そしてこのラストシーン。こちらの視点から描いてるのがまたいいのよね。このテーマもこの人の描き続けてきたものの一つだよなあ。
この本の最後は「変貌」。短いがいい作品だな。「宇宙(そら)に嫁ぐ」の男性版というところか。フェミニストや旧来の結婚制度に否定的な人たちからは価値観が旧いと言われるかもしれないんだけれど。しかし、現在の社会状況を見るに、やはりこちらの方が正しいのではないかという気もする。頭だけで考えてるものが、数知れぬ修羅場を体験してきた先人たちが積み重ねてきた知恵の集積にかなうわけはない…とか思ってしまうのも、オレが歳を取ったということなのかなあ。
これでこの本も終わりである。本当に粒ぞろいですな。これだけの品質の作品を量産してるのをリアルタイムで読めたなんて、いい時代だったんだなあ。ちょうど大阪万博前後の時代。あのころはまだ子供だったから、リアルタイムで追いかけるほどの経済力はなかったんだ。でも、10代の時期に読めたのは幸運だったと思うべきか。
続いて「ゴルディアスの結び目」(小松左京:ハルキ文庫:→【amazon】:→【bk1】)を読み始める。まずは「岬にて」。
しかし、なんとも荒涼とした風景である。まさしく地球の果てのような場所が、圧倒的な存在感で描写されている。そしてこの、突き抜けたような「美」のイメージ。麻薬に酔っている状態での幻想として描写されているが、よくもまあこういうものを表現してしまうものだ。筆力の無い人が描いたら、イメージのチープさに笑ってしまうことになるに違いない。
SF的なガジェットは何も出てこない。ただ透徹した視点で荒々しい風景や心象のイメージを描いているだけなのだが、そこに巨大な宇宙と時間の姿が浮かび上がってくる。これは、この人の表現の、一つの到達点であろう。
そしてこのラスト。すべては廻る。夢は現、現は夢…
▲1月28日(金)▼ →
娘が泣いているので目が覚めた。どうやら彼女の母と兄が下りていってから起きてしまったらしい。呼んでみるが、泣くばかりでこちらに来ようとしない。どこか痛いのだろうかと思って行ってみるが、そういうことはないようだ。抱き上げて一緒に布団に入るが、大人しく胸の上に乗っている。しかし、咳が出て眠れないようである。けっきょく、そのまま起きて階下に下りるのだった。
一昨日に客先まで出向いて調査したトラブルだが、やはりIEのバグだったようだ。自社の環境では客先で見つけた再現パターンを試しても再現しなかった。それで困ってしまったのだが、パッチを当てていないクライアントをテスト環境に組み込んでやってみると再現したので、OSとかブラウザのパッチを1つずつ適用しながらやってみると、「Internet Explorer 6 SP1 用の更新プログラムのロールアップ」というのを当てると起こらなくなったのだった。これが公開されたのは昨年末なので、この障害がそれ以前に発生していたらまったく原因がわからないまま客や上司や発注元の営業に責められて苦しみ続けるところだった。
「IEが絶対に悪い」ということを言うのは確実に切り分けをして相当な根拠が必要だし、そもそもIEが悪くてもMicrosoftが対応してくれるとは限らないし対応するにしても時間がかかるんだよなあ。けっきょくこちらで回避策を講じないといけなくなる。経験上、「Microsoftは一連の明確な責任を果たしている」とは思えない。こういうことのためにMicrosoftに高価い金を払って奴らは大儲けしてるんだよな。世の中の不公平さを感じるひと時である。
しかし、エンドユーザの方に仕事を中断してもらって謝りながら調査していた私の苦労はいったい何だったんだ。Microsoftの馬鹿野郎!
引き続き通勤中に「ゴルディアスの結び目」(小松左京:ハルキ文庫:→【amazon】:→【bk1】)を読んでいる。今日はタイトル作の「ゴルディアスの結び目」。冒頭から、提示されるイメージに圧倒される。よくこんなものを思いつくものだ。さて、これをどう物語ってくれるのか。
▲1月29日(土)▼
ジョーシン日本橋8ばん館が閉店するので今日からセールをするというハガキが来ていた。それで久しぶりに日本橋に行くことにしている。カミさんもまんだらけに行きたいと言っているのだが、閉店セールではいいものはすぐに売り切れてしまうと思われるので、私は先に電車で行くことにする。朝食は途中で食べる予定だったのだが、家を出たのが少し遅くなったので食べる機会を逸してしまった。
電車の中で「ゴルディアスの結び目」(小松左京:ハルキ文庫:→【amazon】:→【bk1】)を引き続き読んでいる。他人の精神に入ってゆく話を読んでいつも思うんだが、その中で本人がこんなに客観的に見えてるはずがないと思うんだな。まあ、この場合は超常現象が絡んでるから、そういうものを超えてるのかもしれない。臨死体験でも自分を見下ろして、見えるはずのないものが見えたりすることがあるそうだし。
恵美須町駅で降り、目的の店に入ってパソコンのフロアに上がる。国産のDVD-Rが2割引。1枚100円を切りますな。カミさんに頼まれていたワープロのインクカートリッジも2割引だったので、黒を5個、カラーを2個買い込む。
しかし、すごく並んでいる。列がフロアの中を半周くらいしている。しかも、なかなか進まない。客の処理が遅いなあ。二千円くらいしか得しないのに、冷静に考えるとこれだったら並んでる時間を考えると逆に損をしているような気もする。
並んでいるときに、シャープのノートパソコンが平常価格で10万円を切っているのが見えた。これから2割引だと8万を切りますか。思わず気を失いそうになるが、「何に使うんだ?」と自分を叱りつける。CPUやハードディスク容量はともかく、画面解像度やメモリなどは私が常用するには少なすぎるだろう。いま使っているマシンはUXGAに512MBだからな。用途としては息子に使わせるくらいだろうが、彼はまだローマ字を覚えてないので与えられないのだ。与えるとしても、まずFIVAなんだけどね。
そして、昼まで寝てから来ると言っていたカミさんが到着するまで、Power書院を探しながら電器街中を歩き回る。日本橋の風景もかなり変わってしまった。食事をできるところがかなり増えている。そういう意味では、昔の日本橋はかなり禁欲的なところだったんだな。以前でもニーズはあったと思うんだが。露店で海賊版のパソコンソフトやDVDを堂々と売っていて、けっこう人がたかっていたりする。ちょっと品性が下がっているんじゃないだろうか。
歩き回っていると、平常価格で国産のDVD-Rを1枚100円未満で売っている店があったのだった。あんなに並んで損をしたな。しかし、DVD-Rが10枚で190円とかいう店があったが、何ですかその値段は。CD-Rよりも安いんじゃないですか。
バルクの光学式マウスが1000円というので買ったのだが、その後に入った店で、メーカー品のマウスが半額処分されていた。1000円よりも安い。まったく日本橋はこういうことがあるから難しいし楽しい。けっきょくもう1個買ってしまうのである。馬鹿みたいである。ついでに同じように半額処分されていたテンキーボードも買う。NumLockすれば数字キーが矢印キーとしても使えるようなので、これはゲームパッドとして使えるんじゃないだろうか。そういう目的で使えなかったとしても、持っていれば何かの役に立つかもしれない。
けっきょくPower書院が残っていそうな店は全部廻ったのだが、売っているところはなかった…というか、広いフロアを使ってあまり売れないだろうと思われるソフトも含めて大量に展示しているような店は淘汰されてしまっているんだよな。そういう店に行けば残ってるんじゃないかと思って来たのだが。Power書院がバンドルされているパソコンが中古で売ってないかと思ってまた日本橋中を廻るが、けっきょく見つからない。
カミさんは昼まで寝てそれから車で来ると言っていたので昼過ぎに着くと思って昼飯も食わずに廻っていたのだが、15時を過ぎてもまったく音沙汰がない。立ちっぱなしで腰が痛くなってきたしこれ以上時間を潰すのも限界なので家に電話をかけてみると、しばらく待った後に眠そうな声で彼女が出たのであった。まだ寝てましたか。来ないのかと訊くと行きたいと言う。けっきょくさらに1時間以上待つことになるのである。まあ、充分に睡眠を取って事故を起こさないで来てくれればいいと思うべきか。
カミさんと一緒に「まんだらけ」に入る。彼女が同人誌のフロアに上がっている間、息子がベビーカーを押して店内を廻ってくれる。楽になったものである。息子のときはカミさんと交代でベビーカーを動かしておかないといけなかったからな。カミさんが下りてきたが、彼女の買いたい本は無かったようである。
「まんだらけ」周辺には同人系の店が軒を並べている。これも時代の変化だな。何軒か廻ったが、けっきょく彼女の望むものは無かったようである。
カミさんの車に乗り、家に向かって走り出したのだが、彼女は店に残っていたインクカートリッジも欲しいというので戻って確保しに行く。息子は不満そうだったが、家に戻ってから「ドラゴンボール」の34巻に加えて35巻も譲与すると言うとあっさり「いいよ」と言うのであった。この時間帯だとほとんど並ばなくてよかった。私の買ったDVD-Rもインクもほとんどそのまま残っていた。ほんとうに並んで損したな…というより朝飯食ってからゆっくり出てきてよかったんだ。
帰りに家の近くにあるあきんどスシローの店で夕食を食べる。娘は初めての寿司屋である。彼女に食べさせるには一人が付きっ切りにならざるを得ないし、機嫌が悪くなると抱き上げてそのあたりを歩き回らないといけない。まあそれでも、家族全員で食事に行けるようになったというのはめでたいことである。
▲1月30日(日)▼
昨日買ってきたテンキーボードだが、ゲームパッドの代わりに使うのは難しいようである。縦横に移動する場合、2,4,6,8のキーを使うのだが、画面を見ながら手探りで操作していると他のキーを押してしまう。やっぱりキーは必要なものだけでないと、手探りで目的のキーが押せないよなあ。まあそれでも息子が私のマシンでゲームをするときはこれを使わせることにしよう。彼のゲームのためにキーボードを酷使したくないし、子供の適応力というのはすごいからな。
今日は散髪に行く。このあたりで最も安い店に行ってみるが、休んでいた。日曜日に休むなんて、大丈夫かいな。それで、私の把握してる範囲で2番目に安い店に行く。相変わらず仕事は速い。髭を剃るときなど、剃刀の動きが速すぎて不安になるほどである。
散髪からの帰りにスーパーに寄ると、まだ早い時間帯なのに惣菜が安くなっていた。外が寒くてこれ以上外に出る気にならないので、夕食の分を買い込んで帰る。
我が家の側面に細い路地がある。人通りが少ないのでセンサーライトを設置しているのだが、どうもうまく反応しないので運用できてないのである。どうも最近は世の中が物騒になっているようなので、セキュリティには気をつけねばならない。
それで、脚立に乗って調整してみる。路地を挟んで向こう側の土地に生えている木の枝が風で揺れるので、それに反応しているのかもしれない。そう思ってセンサーの方向を下のほうに向けようとしていると、ボキッと音がして首がグラグラになってしまった。まあそれでも、中で断線してなければ使用上の問題はないだろう。
センサーの上部に、つまみが2つあるのを見つけた。どうも、これを回すと何かが調整できるような気がする。感度と点灯時間くらいだろうか。マニュアルが無いからよくわからないのである。ガス漏れセンサーや給湯システムにもマニュアルはあるはずなんだが、家に付属している製品のマニュアルって見たことがないんだよな。入居するときにひとまとめにして引き渡されるものではないのだろうか?
とりあえず、2つともいちばん左に回してみる。何でも最小の値にすればいいんじゃないだろうか。そうすると、ちゃんとこちらの動きに反応して点灯するようになった。これでおっけーだろう。しかし、後で試してみると、家の敷地内で動いたときには反応するが、塀の外の路地を通行しても点灯しない。うーん、外を歩いているときにも点灯しないと抑止力にはならないよな。でも寒いし体力も尽きたので、これ以上の調整はしない。私は軟弱者である。
▲1月31日(月)▼
朝、起きてみるとカミさんは熱があるという。昨夜は寒気がすると言って早めに寝たのに、真夜中を過ぎてから置きだしてくるんだもんなあ。だから昨夜は寝たほうがいいと言ったのに。
会社で打ち合わせ中に携帯がブルった。カミさんからである。体調が悪いので早く帰って来れないかとのことである。仕事の残りは家でやるということで上司の了解をもらって最短のルートで帰るのであった。
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