ホーム目次日記2005年 > 2月上旬
[前の日記へ]
2月1日(火) 
今朝、家を出て周囲を見ると、あちこちに雪が積もっていた。今日も京都で仕事なのでどうなるだろうと思ったのだが、着いたときには降っていなかった。しかし、昼休みに食事を終えて寿司屋から出ると、そこには雪が舞っていたのだった。そこからコンビニに向かって歩いていると、氷の固まりのような向かい風が吹き付けてくる。いやもう、逃げ出したくなっちまいましたですよ。

こんなに寒いのは何年ぶりだろう。帰るときも、ビルの外に出た瞬間に、いや、外に面した扉の前に立っただけで冷気を感じて身体中の筋肉がガチガチになる。大阪に着き、JR大阪駅の地上のホームの上に立っているだけでも辛い。身体を動かさないではいられない。定期券が無駄になっても地下鉄を使った方が良かったかも…などと思ってしまうくらいである。

引き続き、移動中に「ゴルディアスの結び目」(小松左京:ハルキ文庫:→【amazon】:→【bk1】)収録のタイトル作を読んでいる。後半部分、この話のコアとなる部分の描写があまりに人間中心的すぎる。ちょっとバランスを欠いているような気がした。

続いて「すぺるむ・さぴえんすの冒険」である。30年前の作品にもうカラー液晶ディスプレイが出てくるわけね。213ページ12行目、「リストリーバル」は「リトリーバル」の間違いなんじゃないだろうかと思った。それを言い出すと、次のページの「ネグレジブル」も「ネグリジブル」なんじゃないかという気がするし、この本タイトルの「ゴルディアス」も百科事典では「ゴルディオス」になっていたりする。外来語の表記というのは難しいものである。

それは別として、設定としては基本的にこういう状況であることは何となく考えていたのだが、その予想を上回ってくれるのが読んでいて嬉しい。冒頭の「問いかけ」はこういう意味だったのか!

「松下電器産業がジャストシステムに勝訴」というニュースが。特許の内容を読んで呆れる。何でこんなアホなことで訴えるかね。これなら私だって考えつくぞ。松下はいつから特許ゴロになったんだ。世間にこういうことを報道されて、恥ずかしくないのかね。

日本メーカーの唯一と言っていいアドバンテージは、多少完成度は低く高価でも先進的な製品であれば買ってくれるユーザがいることだぞ。そういうユーザに買ってもらうことで開発費が回収できて、またそれに対する要望をを次の製品にフィードバックすることができるから先に進めるのだ。たぶんこれは、そういう先進的なユーザを敵に回す行為だと思うんだがな。

少なくともモノが考えられる人間ならこの裁判の馬鹿馬鹿しさがわかるだろうし、そういう人間なら松下に好印象は持たないだろう。少なくとも、私はこれから松下の製品を買う意欲が失せた。まあ、もともとあそこは新しいものは生み出さずマネシタ電器としてやってきた会社だからな。それじゃ韓国や中国のメーカーには勝てんから、今後はこういう商売でやっていこうという戦略ですか。けっ!

「女性向け萌えゲーは安定市場」ですか。しかし、それをやっているのが堀江社長(わはは、「会社システムはネズミ講」ですか。そりゃそうかもしれない)の元彼女ですか。やっぱり彼女とはそういう関係だったのね。ゴシップ好きのマスコミが押しかけてるんでしょうなあ。

廃盤CD大ディスカウントフェアというのをやっているということを知ったので、そのサイトに行ってみる。けっこう掘り出し物があったので6セット購入。6セットで6000円を切るというのはだいたいリーズナブルなんじゃないかと思うのだが、それでもやっぱり高価いなあ。しかし、石嶺聡子さんのCD、大量に廃盤になってしまったんですねえ。



2月2日(水) 
今日も今日とて京都で仕事。今朝は昨夜よりも寒くなるんじゃないかと恐れていたのだが、家を出た時には昨夜ほど寒さは感じない。それでも雪がちらちらと舞っている。阪急の梅田駅に着き構内に入ると、京都線が雪で遅れているとアナウンスされている。実際、私の乗った特急列車も数分遅れで発車した。「まさか向こうでは積もってるんじゃないだろうな」とか思いながらも、ダイヤが乱れているせいで淡路駅の前で停まっていたくらいで窓の外にもほとんど雪は見えなかったので心配はしていなかったのだが…

京都で目的の駅に着きホームに下りたとき、不安な気持ちが心をよぎった。なんか、みんな傘を持ってるんですけど。それに、地下駅なのにホームが濡れてる。やっぱり雪が降っているのか。でもまあ、地上では降ってなかったしもう止んでるんじゃないかな…と思って階段を上がる。

しかし階段を上ってゆくと、地上への出口から盛大に雪が降り込んできているのであった。慌てて傘を取り出すのである。地上に出てみると、あたりは一面の銀世界だ。人や車が通っていないところは、下手をすると5cmくらい積もっている。車が走っているところはまだ地面が見えているが、人しか歩いていないところはよほど交通量が多いところでないと真っ白である。盲人用の点字ブロックもまったく見えない。こりゃ大変だ。ずっと停まっていた車は、雪の塊になって窓も見えないような状態なのである。

今日は祭りのようで、壬生寺周辺では露店を設営する準備をしている。大変だ。大阪ではこういう光景にはまずお目にかかれないので、Xiao Pixで写真を撮りまくりながら歩く。そのあたりの木にも雪が積もって非常に美しい。椿の花に雪が積もっているところも撮れた。

引き続き移動中に「ゴルディアスの結び目」(小松左京:ハルキ文庫:→【amazon】:→【bk1】)を読んでいる。往きに「すぺるむ・さぴえんすの冒険」の最後の部分を読み終えた。これはすごい話だ。設定としては今までにもあったパターンの変形だと思うのだが、内容の深みが違う。個人と人類全体…いや、地球全体の話だったのである。

続いて「あなろぐ・らう゛」を読み始める。この作品集はまだ貧乏な学生だった頃に、文庫本で本屋の店頭にあるものは読み尽くしてしまって渇望に耐えきれず、清水の舞台から飛び降りるような気持ちでハードカバーを買ったものである(いま読んでいるのは文庫判だが)。いちばん性的に飢えている頃に読んだんだな。それで、この中編集の中で最も印象に残っているのはこの作品冒頭のセックスシーンと、それに対する考察だったりする。

しかしあの頃のセックスのパートナーを求める飢えというのは、今から考えても我ながら可哀想になるくらいでしたなあ。探せば愛しあえる相手もいたんじゃないかと思うんだが、いろいろと邪魔するものがあって(たいていは自分の内部に)それができなかったのも厳然たる事実である。まあ、学部もクラブも女子がぜんぜんおらんかった(クラスは30人中2人。クラブは皆無だ)からな。

中年も後半になってしまった今あらためてこの作品を読みなおしてみると、やはり性行為とその快感に関する考察ひとつにしても深い。まあ同時にこの考えが自分の中の深いところに根をおろしていることも感じているのだが。

なんてことを考えながら読んでいても…いやー、この雷が落ちる場面の表現ひとつとってみても、モノが違いますなあ。なんでこんなに臨場感が違うんだろう。何かを体験したときに取り入れる情報量と、それを整理して表現する能力が違うんだろうなあ。

そして、この「美」とか「感動」に対する疑問。それは、ずっとこの人が問いかけてきたテーマの一つ。これだけ疑問符だらけの作品を読んでいると、こちらも何かを問いかけたくなってしまう。こんなに哲学的な、そして同時に科学の最先端を行く(そう、宇宙の成り立ちに関しては、この作品が描かれてから、それほど理解が深まっているようには感じない。それは、人類の知性の進歩が踊り場に差しかかったせいか、それとも私が歳を取っただけなのか)内容なのに、なぜこんなにわかりやすく美しく胸に迫ってくるのだろう。

この作品も答えの出ない疑問を提示するまでなのかと思っていたのだが、後半に入って「宇宙の美しさ」とそれを感じる「知性」の関係について、筆者なりの回答が述べられている。

非常に納得できる…というか、若い頃にこの人の作品を貪るように読んでいたからその影響下にあるせいかもしれないが。しかし、私だってある程度は自分で考える力はあるつもりなので、無意識にせよ自分なりに整合性の検証は行っているはずだと思う。いや逆にこの、多くのものを統合して示してくれる知性を追いかけながら生きてこれたことが幸せだったと思う自分がここにいるのである。

この全宇宙的スケールを見据えた、この壮大で美しい説明。それが、この宇宙も滅びることを認識してのことであるだけに貴い。そう思う。

そして明かされるこの話の真実。これは作者の願望だろう。けっして届かないであろう、時空の果てへの叫び。知性の勝利よ永遠なれ。作者だって、このようなことは不可能だとわかっているはずだ。それでも、力の限りそれを描くのが物語りというものなのである。



2月3日(木) 
今日も京都で仕事。昨日は雲があったせいか一昨日ほど寒くなかったのだが、今日はまた寒い。

引き続き通勤中に「ゴルディアスの結び目」(小松左京:ハルキ文庫:→【amazon】:→【bk1】)を読んでいる。ようやく最後の「あなろぐ・らう゛」を読み終えた。けっきょく、科学というのは人類が宇宙を認識しやすくするための1つの方法にすぎない。そういうことだ。それが「美」に対する感動へとつながる。

そして巻末の「初版あとがき」がまた泣かせる。小松先生のスタンスが見事に述べられていて、全文引用してしまいたいくらいである。しかし、これだけみっちりと中身の詰まった作品が、小松先生にとっては「個人的な1行のメモ」にすぎないんですか。かないませんなあ。

続いて「最後の隠密」(小松左京:角川文庫 緑 308-8:→【amazon】)を読み始める。まずは「東海の島」。殷王朝も末期の、中国の海岸部情勢の話である。非常に興味深い内容なのだが、地名も何もかも全くなじみのない世界の話なので、睡眠不足であることもあって読みながら何度も意識を失う。

それでも当時の世界観から見ると、かなり壮大な話である。そして、「あの話」と繋がるですか。へえ。他の作品でもリンクしてるのがあったが、ここにもあったのね。

そして、ラストシーンがいいねえ。この作品の底の方を静かに流れていたテーマが一気に表に出てきて、主人公の決意表明で締める。いい感じの読後感である。



2月4日(金) 
今日も京都で仕事。阪急に乗る前にブックファースト梅田2階店に寄ったら、げんしけんのコーナーができている。全巻平積み。そして「こんなサークルに入りたかった」と書いてある立体POPが。思わずカミさんに見せるためにXiao Pixで写真を撮るのである。

引き続き移動中に「最後の隠密」(小松左京:角川文庫 緑 308-8:→【amazon】)を読んでいる。今日はまず「竜虎抱擁」。戦国時代の話かー、このあたりも詳しくないなあ…とか思いながら読んでいたら、あちゃー、そういうネタですか。こりゃカミさんが喜びそうな話ですなあ。

続いて「南海太閤記」。これも戦国時代の話。前の「竜虎抱擁」が歴史をハチャメチャにする過程の話だったのに対して、これは改変された(のか?)世界の話である。へえ、若江八尾って、キリシタン大名だったんですか。しかし、よくもまあ、これだけ壮大な法螺話が描けるものである(誉め言葉)。

本日の最後は「ぬけ穴考」。これも歴史テーマだが舞台は現代。「臥竜庵」ですか。先生の日記ページのタイトル「臥猪庵」というのはここからきてるんだろうな。

京都で仕事場に行くまでの経路にブックマートという「リサイクル書店」のチェーンが開店した。嬉しい。新刊の本屋はどこに行っても品揃えは変わりばえしないけど、古本屋は店によってあるものがぜんぜん違うからな。

それで帰りに行ってみたが…店がちょっと狭い。街の本屋さん、という程度の広さである。そこに本とかCDとかDVDとかを展示している。必然的に品揃えが薄くなる。いや、狭いせいだけではない。本の表紙を見せて陳列していたりするのである。やはり本が少ないのだ。

これじゃ、ブックオフや古本市場には勝てんでしょう。ああいう大型の店舗は、広大なフロアに背表紙しか見えないほどの数の本を詰め込んでいる。たとえほとんどクズばかりだったとしても、大量に在庫があれば、掘り出し物が見つかる可能性があると思えるし探す楽しみも出てくる。やはり古本屋というのは規模の勝負になってしまうのだなあ。

そう思いながらも、げんしけんのコミックスが350円だったので1巻を買ってしまう。古本があれば買ってくるようカミさんに頼まれていたのだが、彼女もこの値段なら文句は言わないだろう。

で、帰りの電車の中で読んでいたのだが、原作では日本人の層分化というものも描いているように見える。私ゃ、あそこまでオタクにはなれんなあ。コミケなんて、ああいう人の多いところには行きたくない。

阪急を降りて寄ったブックファースト梅田2階店でラピタを買った。付録に「世界最小の自走する鉄道模型」が付いているようなのである。1000円未満だし、これだったら息子は喜んでくれるだろう。

家に帰り、探偵!ナイトスクープの「カギ大好き少年の夢」という話に感動。依頼者はカギが大好きで誕生日のプレゼントとかはすべてカギや錠だったという12歳の少年。依頼内容は、日本の四大錠を是非とも触らせてほしいというものであった。探偵にさっそく自慢のからくり錠を開けさせる依頼者。カギ好きの人はそういうので自慢したいものなんでしょうか。

依頼者と探偵は日本有数の錠前コレクターである老人のところに行ったのだが、触らせてもらうためにはどの程度の実力を持っているか試すため老人の出してくるからくり錠を開けなければならないという。ところが、最初に出てきたのがなんと少年が探偵に開けさせたのと同じ錠前なのであった(笑)。それも含めて次々に開けていき、望みの錠前を触るたびに恍惚の表情を浮かべる少年。手触りや開けるときの感触がたまらないんだそうで。ついには老人も「テストなんて言ったら失礼な」と言って課題は免除。「来られれば、自由にどれでも触っていい」とか言っている。依頼者は一番弟子になった記念にもらったカギに頬ずりして「嬉しい〜!」と瞳をウルウルさせているのであった。いやー、やっぱり凝るならこうでないとね。

薄々な自分に対する自戒も込めて、寝ころんで観ている私の上に乗っかっていた息子にそう言ったのだが、彼はもう眠いのか反応が鈍いのであった。



2月5日(土) 
今週はものすごく眠かった。今日も眠い眠いと思いながら眠っていると、気がつくと午後になっていたのだった。歳のせいかのう。

今日は休みなので、HDD&DVDレコーダーで録り貯めた鉄人28号を息子と一緒に観ている。1回目を試しに観てみたら、すごく懐かしい感じだったので2回目以降も録り続けているのである。私は息子よりも小さい頃にオリジナルのアニメをリアルタイムで観ていたのだ。最初に鉄人の影が地面に映ったところで「ああ〜!」と思ってしまったですよ。それ以降も「これは違う!」と思うようなところがほとんど出てこない。

「親子で観る」という製作側の狙いに、まんまと乗ってしまっている。そういう意味では、この作品はリメイクとしてこれ以上望めないというくらい良い仕事をしていると言えるだろう。オリジナルのテイストを残したまま現代の科学技術を知った目で見てもボロが出ないようロボットシステム(というより全体の世界観)をグレードアップし、しかも「戦争」という新しいテーマを持ち込んでいる。オックスバッカスも、何もかもみな懐かしいロビーはまだ出てきてないようだけど、いずれ出てくるんだろうか。

気になるところといえば、さすがに小学生が車を運転したり拳銃を撃ったりしちゃイカンでしょう…というくらいか。でもまあ、これがないとこの話は成立しないからな。あとは…あ、そうだ、テーマソングの歌詞が変わってるのがイヤ。「あーるときは」なんて間延びしてて聴いていられない。エンディングの歌詞も記憶しているのとは違うような気がするんだが、これも変えられているんだろうか。

村田亮通信販売アドレスにCDの購入申込のメールを送ると、「代金のお振込をお願い致します」という返事が返ってきた。それでカミさんに払い込みを依頼しようとしてメールを印刷しようとすると、できないのである。ドライバをインストールし直してみたり、いろいろやってみたがどうしても印刷できない。うーん、困ったなあ。メールをテキストに落として仕事場で印刷するか。でもそれじゃ、何のために家にプリンタを置いてるのかわからないよなあ。

息子がキャッチボールをしようというので、家の前でボールを投げあう。ところが排水溝の入り口に物を置いてブロックしてなかったので、息子の捕り逃したボールが落ち込んでしまった。予備のボールは無いという。彼はまだやりたいようなので、大きなボールを持ち出してくる。最近学校でドッジボールをやっているようなので、このサイズでもいいんだろう。しかし大きなボールを投げると筋肉への負荷が違うようで、すぐに身体が暖かくなる。これは明日以降のダメージが心配だな。



2月6日(日) 
気がつくと娘が枕元に立っていた。今日、息子はお義母さんと一緒にスキーに行くことになっているので6時起きだと言っていた。それで彼とカミさんが起きて下りているんだな。娘は私の布団に入りたいようなので、掛け布団を上げて入れてやる。胸の上に乗せてすぐに静かになったと思ったら、私の横に降りて安定する場所を探す。それでまた動かなくなったと思ったら、また移動し始めるのである。何度もそれを繰り返していると、カミさんが上がってきたのであった。彼女に娘を預けてまた寝る。

昨日は一日の半分くらい寝ていたというのに、今朝もまた眠い眠いと思いながら寝ている。それでも、目が覚めたときはまだ午前中だった。

プリンタで印刷できなかった件だが、カミさんのPCからも印刷できなかったのでこれはプリンタ側の問題だろうということで電源を入れ直してみると印刷できるようになったのだった。ネットワークプリンタでPCが複数台あると、障害時の切り分けが楽だな。

しかし、こうやって直接アーチストから通販でCDを買うというのもいいもんだな。自分たちがアーチストを支えているんだという実感がある。彼もメジャーレーベルから離れ、自分の手でコツコツと自らの作品を売ってゆく選択をしたということは、本当に音楽が好きだということなんだろう。これからは、音楽で儲けようという人間じゃなく、こういう音楽が好きな人間でないと続けていけない時代になっていくんだろうと思う。そして、本来それが正しい姿なんじゃないかと。

アーチスト側も大変ではあろうが、万人に受ける音楽というものが無くなりつつある現在、これからは特定のリスナーに向けて、販売ルートによって搾取される率が少ない経路で流通させるような形になっていくべきなんだろう。もう、既存の販売ルートに乗せずアーチストの取り分を多くしてオンラインのみで売るようなCDが出てきてもいいと思うんだがな。もう私は街のレコード屋でCDを買う気がしないからなあ。

今日は私が子供たちを寝かせる。娘は今夜も先日のように泣いて布団から出て行こうとする。布団を抜け出そうとしたときにそのまま出してやって、しばらく起きたまま泣かせているとまた布団の中に入ってくる。けっきょく戻るところは父親の布団しかないのだな。それがわかると気が楽だ。それでもなかなか寝てくれない。どうも何度も起きてなかなか寝ないと思ったら、ウンチをしてたですよ。抱いて階下に下りるのである。



2月7日(月)
ここ2日ほどいっぱい寝ていてかつ昨夜は子供たちと一緒に早く寝たのに、今朝はいつもの時間まで起きられない。この休日は半分くらいの時間を眠って過ごしたような気がする。起きてみると一昨日に息子とキャッチボールをしたせいで肩が痛いのは想定どおりだが、何だか胸がキリキリと痛い。まさか狭心症か心筋梗塞か? つい先日人間ドックに入ったところだからそれはないと思うんだがな。どうも背中の筋肉が痛んでいるような気もする。でも、心臓の筋肉が傷んでいるときも痛みの場所はいろいろだというからな。家に戻って調べてみると、それほど痛みは長く続かないそうだから、やはり筋肉痛か。

引き続き「最後の隠密」(小松左京:角川文庫 緑 308-8:→【amazon】)の「ぬけ穴考」を読んでいる。タイトルどおり、大阪城の抜け穴の話である。まずは「本当の」大阪城の壮大さ壮麗さと、その記録がまったく残っていないし調べようともされないことに対する作者の怒りが語られる。これを読んでいると、秀吉の頃の大阪城の姿が目の前に浮かんでくるようで、こういう抜け穴が本当にあったような気がしてくる(いや、本当にあったのかもしれないが)。そして、作者である主人公は友人宅で抜け穴を見つけ、その中に入ってゆく。ただ最後は落としようがなかったのか、単なる法螺話というか集団幻想ネタというか、非現実な方向に行ってしまったのが個人的には残念。

続いて「最後の隠密」。SF作家である主人公の家にある風呂桶から明治元年の世界にいた隠密が出てくるという話である。江戸時代や幕末の頃における社会の情勢やら仕組みがわかっていれば本当に興味深いことが描いてあるのだろうとは思うが、あいにく歴史知識の乏しい私にはよく楽しめない。

しかし、昭和元禄の世に跳ばされてしまった隠密の、なんと哀しく、そして痛ましいことか。自らの拠って立つ規範であるところの「忠義」というものが無くなってしまっているんだから。そういう意味で、そういうものが本当に未来永劫必要ないのかという最後の問いは深く、かつ今の我々には痛い。とくに今の世の中、昭和の絶頂期を過ぎて制度上の、いや国民全体の行動規範による疲弊が目立っているだけに。警察が私利私欲のために不正をしているような世の中になってしまってるんだよなあ。昭和元禄で世の中全体がうまく回っている時期にこういう問題提議を行っているというのは卓見であることだと思う。

次は「まめつま」。スタンダードな和製ホラーでございますな。

続いて「猫の首」(小松左京:集英社文庫 32-F:→【amazon】)を読み始める。今日の最後は「日本脱出」。ワンアイデア一発。途中でネタも割れるしショートショートみたいな作品だが、笑えたからいいか。



2月8日(火) 
今日も京都で仕事。引き続き移動中に「猫の首」(小松左京:集英社文庫 32-F:→【amazon】)を読んでいる。今日はまず「拾われた男」である。主人公が雨の中車をとばしていると、全裸の若い美女が飛び出してきて…彼女は記憶を失っているが、大金持ちらしい。それから彼の「男の夢」のような生活が始まる。ただひとつ気になるのは…

ネタとしては「あの作品」と同じだが、この作品では「贅沢の意味」というか、「理想の暮らしとは何か」ということを問いかけている。今の我々が恵まれた生活をしているにもかかわらず人生にリアリティを失っているのと通じるものがあるかもしれない。

続いて「女のような悪魔」。「悪魔のような女」を逆にしてみるとどうなるか、という発想なんでしょうな。悪魔と結婚した男の話である。「なんだ、女と結婚するのと変わらないじゃん」と思っていいんだよね? 軽い調子のオープニングに、そう思いながら読んでいると…うわー、恐ろしい話になるもんですねえ。「悪魔」というのはそういうものなのね。

今日の最後は「異次元結婚」。結婚式の最中に大事なモノを無くしてしまった新郎の話である。いやもう、電車の中で読んでるのに笑える笑える。そして、なるほどー、そう来ますか。

昼休みに食事を終えた後でコンビニに入るとゲーム伝説という食玩があるのを見つけてしまった。私はオタクではないので食玩には萌えはないのだが、PCで扱えるデータが付いていると、本でも何でもついつい買ってしまうのである。300円ちょっとでPCゲームが買えるなら安いもんだろう。家に帰ってパソコンのDVD-ROMドライブに入れてみると、CDから直接起動するようになってるのね。PCにインストールするタイプだと複数のユーザで使い回されるということなんだろうか。あと、このゲームはゲームパッドに対応しているようである。ゲームパッドを買ったのが無駄にならなくて済むかもしれない。



2月9日(水) 
昼休みに仕事場近くの中華料理屋に入ると、NHKのニュースでWindowsの脆弱性に関するニュースをやっていた。へえ、もう一般のニュースになる時代なんだな。

mp3プレーヤを買って以来、通勤中に聴く音楽は自分の人生で出遭った好きな曲たちを256MBいっぱいに詰め込んでランダムリピートで再生している。「iPod shuffle」みたいな方式ですな(この製品の発表前からやってるけど)。とにかくベストと思える曲をブチ込んでランダムに再生し、レベルが落ちると思った曲はどんどん入れ替えて純度を上げてきている。

名曲だと思っていた曲でも、このハイレベルな曲たちの中に入れてしまうと、少しでもテンションが劣ると弾き出されてしまう。その中で遺言(柳ジョージ&レイニーウッド)のような地味な曲が負けずに残っているというのは自分でも予想外であった。やはり、静かでもそれだけの「力」が込められている、ということなのだろう。

同じアーチストの曲は1曲しか入れないというシバリを課していたせいか、映画音楽から懐メロからアイドルからアニソンからジャズまで入っている。とりあえず、自分のためのメモとして現時点でメモリーの中に残っている曲をここに書いておく。

曲名アーチスト
We May Never Like This AgainMaureen McGovern
Get It!Mio
No One In The WorldDionne Warwick
ときめきより速くHi-Fi SET
Can't Give You AnythingThe Stylistics
I'd Really Love to See You TonightEngland Dan & John Ford Coley
私がいる石嶺聡子
FOREVER岡本真夜
まるで天使のように岩崎元是&WINDY
water,flowerSILVA
震える背中越しにさよならThis Time
さよならは冬の星座LOOK LONESOME LANE CLUB
最後の雨中西保志
Miss you like crazyNatalie Cole
UMIKAZE TSUSHIN杉山清貴&オメガトライブ
End Of Eternity 〜永遠の果て〜露崎春女
I Need YouMaurice White
It's Raining MenThe Weather Girls
Poor ShirleyChristopher Cross
彼方へ中西圭三
ALL About SoulBilly Joel
夕凪さだまさし
Come In Out Of The RainWendy Moten
TEKO'S THEME竹内まりや
You AreLionel Richie
Empty PagesAir Supply
HEY DEANIEERIC CARMEN
観覧車村田亮
Happy Birthday尾崎亜美
花嫁はしだのりひことクライマックス
Any Other Fool渡辺貞夫
We're All AloneBoz Scaggs
Easy LoverPhil Collins and Philip Bailey
FameIrene Cara
Isn't She Lovely ?Stevie Wonder
Sky HighJigsaw
You Don't Have to Be a StarMarilyn McCoo & Billy Davis Jr
Aquarius5th Dimension
Overnight SuccessTeri Desario
You Can't Hurry LovePhil Collins
Sugar baby loveRubettes
Simple Songふきのとう
When Will I See You Again?Three Degrees
We Are the WorldUSA for Africa
Whatever We ImagineJames Ingram
月迷風影有坂美香
一緒に…MAX
君のためにSAKURA
夏風The Gospellers
夜はふたりでOff Course
未来予想図IIDreams Come True
横顔平井堅
遺言柳ジョージ&レイニーウッド


それで、そろそろ気の済むまで聴き込んだので、新しいCDも買ったことだし今日からまたCD1枚を入れて聴くことにする。今日は「Super Hits」(Weather Girls:→【amazon】)である。しかし、これだけパワフルなヴォーカルを擁するグループのベスト盤であるにもかかわらず、ここ数カ月ずっと自分なりのベストを聴き続けてきたせいか、「It's Raining Men」や「Dear Santa」以外はあまり耳に引っ掛かってこない。耳が肥えてしまっているのか。困ったもんである。

引き続き移動中に「猫の首」(小松左京:集英社文庫 32-F:→【amazon】)を読んでいる。今日はまず「Mは2度泣く」。何の話かと思ったら、「あの映画」のシリーズに関する話ですか。そして、それが「あの作品」につながってゆくとは。でも、それだけの話だな。作者もあまり力を入れて描いているようには見えないし。それでも「国際社会の裏側の野蛮さ」というテーマは押さえてあるんだが。

次は「出来てしまった機械」。高校生向けの雑誌に載っていただけあって、明るく楽しく未来への希望に満ちた話である。昔はこういうのが少年少女向けの雑誌に載ってたんだよなあ。

続いて「猫の首」。ああっ、小松左京が仔猫の愛くるしさを描いている。いやーん、可愛いーん。…しかし、これがあるからこそ、この残酷さの衝撃が大きくなる。罪作りなものである。猫という存在に対するアンビバレンスな感情が見えますなあ。たしか作者は飼い猫と闘ったことがあるらしいが、そのときに描いたんじゃないだろうな。

この本の最後は「大阪の穴」。つい先日読んだぬけ穴考とほぼ同じ構造である。やはり、よほど大阪城の抜け穴に思い入れがあるようですね。

巻末に著者年譜があるのも嬉しい。教養を落として大学に5年行きましたか。私と同じだ(それが何か?)。

読み終えたところで梅田に着いたので降り、ブックファースト梅田2階店に入ると監督不行届が平積みになっていた。さっそくカミさんに電話して買ったか訊くと、買って来いとの仰せである。ストラップ付きのもあるけど1000円アップだと言うと無しのでいいという。後で実物を見て後悔して怒られたら怖いなあ。



2月10日(木) 
今日も引き続き「Super Hits」(Weather Girls:→【amazon】)を聴いている。昨日一日聴いていると、だんだんいい感じになってきた。「land of the believer」なんか、けっこういいじゃないか。水準はキープしてるかな。

帰りに京都のブックオフに寄り、「読む楽しみ 語る楽しみ」(小松左京:集英社 1981)を見つけて買う。ハードカバーである。こういうのが出てたのか。文庫しかウォッチしてないので、ぜんぜん知らなかったな(とか思いながら家に帰ってamazonで検索してみたら文庫になってるじゃん。さすがに薄々の一般人)。小松先生の書かれた、他の人の小説やマンガに対する解説を集めた本のようである。電車の中でちょっと読んでみたが、さすがに文章の重みが違う。それにくらべて、解説のこの軽佻浮薄さは何だ。まさかわざと上滑りな文章を書いて、本文の重厚さを際立たせようとしてるんじゃないだろうな。小松先生のご指名だという話だし、それはないだろう。やっぱり「地」ですか。

今日は「デジタルな神様」(渡辺浩弐:幻冬舎文庫:→【amazon】)を読んでいる。マザー・ハッカー―1999年のゲーム・キッズ 2」2000年のゲーム・キッズのシリーズのようだ。小松先生の旧作を続けて読んだ後に読むと、最新技術をテーマに読みやすく気の利いた話を次々に読ませてくれるところは昔のSFの手触りを残していると言えそうだな。

帰りに電車の中で読んでいると駅に着いた。車内アナウンスを聞いて我に返る。「鶴橋」と聞こえた。そんなに時間が経っていたのか。本に入り込んでいてぜんぜん気づかなかったぞ。もう乗り込み始めている人波に逆らって車両の外に出る。ホームに降りて周囲を見回すと、そこは「京橋」であった。アホや〜。また車内に逆戻り。このギュウギュウ詰めの車内で立ったまま残り半分の行程を過ごさねばならんのか。

デジタルな神様」を読み終えたので、続いて「夢からの脱走」(小松左京:新潮文庫 こ 8-6:→【amazon】)を読み始める。まずは「ホクサイの世界」だが…うーん、これは作者の意図がよくわからない。

新書館ウィングス文庫 狼谷辰之 
 対なる  【Amazon】
【bk1】
ISBN4-403-54021-X ¥620+税 



[ホーム] | [日記の目次へ] | [次の日記へ]