ホーム目次日記2004年 > 8月中旬
[前の日記へ]
8月11日(水) 
けっきょく、昨夜はパソコンの前で人事不省に陥っていた。飯も食ってない。当然、歯も磨いてない。気がつくと6時過ぎである。もう寝なおす時間はないな。まあ、酒も飲んでないので久しぶりの休肝日になったと前向きに考えることにしよう。

出勤時、電車に乗っていると背広の胸ポケットで何かがブルった。会社で持たされている携帯ではない。PHSの方である。こっちにかけてくる人間はほとんどいないはずなんだがなあ。そう思って発信元を見ると、私の弟である。満員電車の中なので取れずにいると、何度もかかってくる。これは緊急の要件だろうか。

昨日、私の父が癌の手術をしているので、ひょっとすると容体が急変したのではないだろうか。このまま阪神に乗り換えて駆けつけた方がいいだろうかそれとも家に引き返して喪服を用意してから子供たちを連れて行った方がいいだろうか今日は休めるだろうけど明日からサーバを停めさせてもらっての移行作業をする予定なのにどうするか…などと頭の中で目まぐるしく考える。乗換駅で降りて電話をかけるが、弟は出ない。仕方がないのでこのまま梅田まで行くことにして電車に乗ると、またかかってきた。環状線は少し空いていたので取ると、いきなり父に代わられた。

なんでも、昨日手術をして心配してるだろうからと私の家に電話をかけてみたら出ないので、私のPHS番号を知っている弟に直接かけさせたそうなのである。我が家の電話がおかしくなてるんだろうかと思ってかけてみるが、やはり繋がらない。それでカミさんのPHSにかけてみると、昨夜間違いファックスが来たので受話器を上げていたらしい。ふにゃふにゃ。

出勤時に梅田の本屋で「蒐集家(コレクター)」(異形コレクション:光文社文庫:→【amazon】:→【bk1】)を見つけた。まだ前のを読み終わってないのに次のが出ましたか。ここしばらく京都で作業してたから短編は後回しにして長編ばかり読んでたからなあ。それでもとりあえずは買っておくべきでしょう。獏ちゃんの新作も入ってるみたいだし。しかしそのときには定期入れの中に図書券が1枚しかなかったのだった。たぶん今日は読まないしこれから京都まで往復するのに持ち歩くのは重いので、帰りに買うことにする。

引き続き通勤中に「遷都」(小松左京)を読んでいる。この宮廷内の勢力争い、ほんとうに楽しそうに描いてますなあ。でも歴史に疎い私には全然わからないのである。これも私の脳の処理能力を超えているようで、帰りの電車の中で何度も意識を失って内容がまったく頭に入ってこなかったのであった。昨日は「なんで飽きずに読めるんだろう」と書いていたのだが、自分が興味の無い分野に関する記述になるとやはり眠くなってしまったのであった。エンターテインメントとしては、ちとキツい。

梅田駅を出ると人が多い。それも、いつもと客層が違う。連れが「サラリーマンとかとちゃうから、むっちゃ歩きにくい。動きが読めへん」と、ぶーぶー文句を言っている。やっぱり世間ではみんな遊んでいる時期なんだねえ。まあ、甲子園帰りとかち合うよりはマシでしょう。鶴橋に着いても、JRから近鉄への乗り換えの改札機のところで、駅員が「ここは近鉄の乗り換え口なので近鉄の切符が要ります」とか言っているのであった。

家に帰るとカミさんに「監督不行届」がWebで読めるようになっているので読んでおくようにと言われた。これは、私に対して「死ぬ頃には立派なおたくの婿に」ということなんだろうか。でも、私にはとうてい無理だなあ。

「日本語版Windowsは俳句をエラーメッセージに使っている」って…アメリカ人はそう思ってるわけですか。しかし、連中が俳句だと称して書いているのは「俳句」というより「3行詩」だよなあ。まことに異言語間の変換というのは難しい。



8月12日(木) 
今日も朝から京都に移動。梅田で阪急の特急に乗り、私が席に座ろうとしていると、ちっちゃいババアがその前の席に走り込んできて猿のように油断なく周囲を見回す。その目つきの厭らしいこと。「こりゃ後から仲間が来るな」と思っていたら案の定、爺婆がやってきた。「あんたそっちに座り」と言って爺さんの方を通路の向かいの席に座らせる。そこも占拠しているつもりだったらしい。それで立ったままだったのか。そして自分の隣に婆さんを座らせ、喋りはじめる。こりゃちょっと我慢しなきゃいけないですかね。

今は「遷都」(小松左京:ケイブンシャ文庫 1995)の「応天炎上」を読んでいる。うーん、わけがわからん。まるで予備知識なしに平安時代に置き去りにされたような気分である。やはり、この時代の出来事を理解するための基本的な教養というものが私には決定的に欠けていることを否応無く思い知らされるのであった。

小松先生ほどの博識と知力あらば、このどろどろした権謀術数を読み解くのは面白いかもしれないが、私のような薄々の一般人にはついていけない。あっけなく置き去りにされて、呆然と後ろ姿を仰ぐのみ、なのであった。

帰りの阪急は急行だったのでロングシートだったのだが、隣に座っていた頭の禿げかけた初老の男がうるさい。甲高い声で向こう側に座った男とのべつまくなしに喋っている。声が大きいので話してる内容がいやでも耳に入ってくるのだが、「ポストモダン」とか何とか難しい用語を使っている。文学青年の成れの果て、という感じですか。最終兵器彼女を例に挙げて「最近の若手は社会に対する問題意識が低い」とか何とかいっているのも聞こえる。マンガも読んでるですか。まあ、オレもそうだけど。

そのうちに脚を組んで足の裏を私の方に向けてきた。非常にストレスを感じさせられる。社会的訓練ができてないんじゃないの。とか思ってるとSFマガジンみたいなサイズの雑誌を開いて「こんなん商業誌に載せるレベルじゃない」とか「これだったら自分が書いたほうがいいと思ってる人間がいっぱいいるはず」とか言い合っている。「メフィスト」という雑誌だった。うーん、そういう話は電車の中じゃなくてWeb上でやってくれれば有難いんだが、あの世代じゃ無理かなあ。テクノロジー好きのSF者ならともかく、こういう雑誌を読んでる層だと。

◇ ◇ ◇

いやー、素晴らしい。なるほどー。いろいろ考えるものですね。以前「そこらのウイルスは芸がない」と書いたことがあるが、この感染方法は斬新だ。ディレクトリの階層をいちばん上まで上がってスタートアップのフォルダに解凍させるようにすれば、次に起動したときにウイルスが実行できるわけですか。それは思いつかなかったなあ。

かと思うとこれも凄いアイデア。「インクジェットプリンタによる“皮膚印刷”」というからニセモノの刺青でも印刷するのかと思えば、皮膚組織自体を「印刷」するとは、こりゃ一本取られましたな。これを書くためにニセモノの刺青を何と呼ぶのかを調べてたら「リストカットタトゥー」というものを見つけてしまった。『跡が残る傷をつけないで、安心して「ほらリスカだよ!俺を構え!」と威張れるチャンスを提供したい』ってアナタ…。世の中、病んでますなあ。

ITmedia三連発。「英語圏のドットコムビジネスを、十数行の文章とともに、毎日一つずつ紹介する」サイトを運営するビジネスマンの話。ITは、いま──個人論のシリーズのようである。相変わらず読み応えがあります。



8月13日(金) 
昨夜も居間の床と仲良くなっていた。気がつくと今朝も6時前。昨夜は飯を食ってから意識を失ったのが救いか。今日も早く家を出なくてはいけないので、もう眠れない。

遷都」(小松左京:ケイブンシャ文庫 1995)をもうすぐ読み終わるので、電車の中で座れたときには「The S-F Writers 現代日本SF作家25人作品集」(1995)を読むことにする。アンソロジーだが、大判なので満員電車の中で片手で持って読むというわけにはいかないからな。そう思って家を出る前に探していたら見つからなくてちょっと遅くなってしまった。何をしてるのやら。

まずは草上仁氏「ラスト・メディア」を読み終えた。いやー、いいですねえ。マルチメディアの技術が失われインフラが朽ちかけている時代の物語である。ネタとしてはふつうのネタなんだが、料理のしかたが巧い。それに当時、世の中がマルチメディアに沸きかえっている時期にこういう作品を出すというのもセンスの良さを感じさせる。

続いて久美沙織氏「夜明けのババアいや!―インタビュー・ウィズ・オールド・レディ―」。婆さんに身体を貸した(ボディ・シェアリングというのかな)若い女の話だが、なかなか楽しめた。

それから栗本薫氏「ファースト・コンタクトの終わり」を読んだのだが、なんか、不真面目さがスベってて全然面白くない。それまではそんなに眠いとは思わなかったのだが、これを読み出すととたんに意識が不連続になる。眠い。べつに難しい内容でもないのに。

内容もSFじゃないな。ファーストコンタクトテーマのつもりで描いているようだが、珪素生物である宇宙人の考えに地球人である作者の見方が混じってしまっているのが露骨に見えてしまって、萎える。本当にSFセンスのある人なら、そうであるのは仕方ないにしても、意識して読者にそれを感じさせないように描くと思うのだよね。たとえギャグの短編だとしても…いや逆にそれだからこそちゃんと世界を創らないと。

そういうところが鼻につきだすと、道具だけ既存のSFのものを拝借してきている作品の典型のように見える。珪素生物の生態・思考というものを突き詰めて考えずに、えーかげんに書き飛ばしているとしか思えない。金を取って読ませてるんだから、読者よりは考えてもらわないとなあ。

最後に椎名誠氏「漂着者」を読み終えた。不思議な話だが、私が望んでるSFではないな。



8月14日(土) 
今朝も居間で寝潰れていた。6時前に目が覚め、そのまま起き上がる。もう何日、布団の上で寝ていないだろう。

今日も京都で仕事。往きの電車の中で他人が持っているスポーツ新聞の1面は「渡辺辞任」一色である。いや、産経もそうだった。たぶん、自分が前面に出てると悪者になるのが嫌だから隠れようという魂胆なんだろう。しかし、そういうことのために将来有望な選手を一人犠牲にしますか。「たかが選手が」と言い放つあの人らしいことだよなあ。

こういう行為を避けるためにドラフト制度を導入したのに、逆指名とかいうものを導入してそれを骨抜きしたら裏金が動くようになるのは当たり前だよなあ。(いま「当たり前だよなあ」と変換しようとしたら最初の候補は「当たり前田よなあ」だった。ほうキミ、あの番組を知ってますか>SL-C700

JRに白い杖をついた男性が乗っていた。その人の腕時計をみると、文字盤は隅っこにデジタル表示があるだけで、あとはスピーカーになっているようである。盲人用の腕時計はそうなっているわけですね。でも、それだと腕に外向きで着けていると使いにくくないんでしょうか。いや、腕時計型である必要もないんじゃないのかなあ。ペンダント型とかの方が、片手で扱えるからいいのかも。

別に携帯電話でもいいような気がする。「時間は?」と訊くと時間を答えてくれるの。電話番号や相手の名前を言うと電話をかけてくれる盲人用携帯電話。もうすでにありそうな気がするなあ。音声認識はもう実用化されてるんだから、無かったらそれはメーカーの怠慢のような気がする。いや逆に、そういう製品があったら細かい字が読みにくい老人とかにも売れるんじゃないかな。

引き続き、通勤中に座れれば「The S-F Writers 現代日本SF作家25人作品集」(1995)を読んでいる。今日はまず清水義範氏「バイライフ」を読み終えた。これは良かったっすね。この人の作品は今まで読んだことがなかったのだ。生頼範義氏と混同してたくらいで(<ぜんぜん違うじゃん)。内容はタイムスリップもの(若い頃の肉体になっているから正確には違うということらしいが)である。まず文体が論理的だ。主人公の考えていることや行動の動機づけがはっきりと理解できる。これは感情移入するうえで重要なことである。過去に戻った時の周囲の状況の調べ方とか、それからの行動とか、自分でもこうするだろうなと納得できる(別にオレは山□百恵とヤりたいとは思わんが)。そして途中でさらに意外な真実が明らかになり、ニヤリとするオチにつながってゆく。きっちりとまとまったいい作品でございました。またこの人の作品を読んでみよう。

しかし、こういう作品を読んで思うのは、過去に戻った自分に、周囲に対してどんなアドバンテージがあるかということである。この作品では競馬で、ではトレンドとかそういうものだったが、私には手っ取り早く糧を得る方法が思いつかない。ヤフーの株を買っていちばん高価かったときに売り抜けるか。でも、ブラックマンデーがいつだったかも覚えてないような人間が株をやるのは危険だよなあ。世間の動向に無関心ではイカンということですな。やっぱりソフトウェアのアイデアで稼ぐ方法を考えるか。でも、コンピュータの無い時代に行ってしまったらオレは何の役にも立たないぞ、きっと。

通勤中に座れなかったときには「遷都」(小松左京:ケイブンシャ文庫 1995)を読んでいる。引き続き「糸遊(かげろう)」を読む。序盤はなかなか気品のある文章で心地よく読めたのだが、また時代背景の説明になると眠くなって気を失ってどこまで読んでいるかもわからなくなってしまうのである。

高校野球の期間中は甲子園帰りの観客と一緒に帰らなくていいと思っていたのだが、梅田に降りてみると縞柄の法被を着てるのが見えた。何人かいるので試合があったとしか考えられない。大阪ドームでやっていたのか。しかしそれほど人数は見えないので、今日は負けたんじゃないだろうか。そう思って帰ってから調べてみると、やはり大差で負けていたのであった。



8月15日(日) 
最近あまり寝ていないはずなのに、今朝は10時前に目が覚めてしまう。小用を足し、そのまま寝ていようと思ったのだが眠れないのでけっきょく起きることにする。

家族はすでにみんな起きている。娘が食卓に掴まって立ち上がっている。カミさんに言うと、彼女も「お、立った立った」とか言っている。彼女も見たことがなかったらしい。これも第一発見者は私なのか。

息子は今日も私の白髪を抜くという。ドラゴンボール 巻21」が読みたいんだそうである。そういうことで、今日も70本抜かれてしまったのであった。

今日も息子を連れて買い物に行く。例によって彼は行くのを嫌がったが、「お菓子を買ってくれるなら」ということでついてくる。出がけに何か自分で買うものは無いのかと訊いてみるが、金を使うのがもったいないとか言っている。今は所持金を増やすのにハマっているのはわかるが、金というものは貯めるだけじゃいけないんだぜ。貨幣は流通しないと経済は発展しないのだ。

それでも家を出て走り始めると、やっぱりキャプテン 4」が欲しいとか言い出した。「ドラゴンボール」の続きかと思ったら「キャプテン」の続きですか。2年生が読んでも面白いものなんですか。まあ、他の野球マンガを知らないせいもあるんだろうけど。けっきょく、彼は自分の財布を取りに帰ることになるのであった。

近くの古本屋を廻るが、「キャプテン」の文庫版は見つからない。大判のものはあるが、置き場所に困るのでサイズは小さく統一したいからな。息子は「財布、持ってくることなかった」とか言いながら学生街を後にするのであった。

しかし腹が減った。そういえば、3時のおやつの時間も過ぎたというのに今日は朝食にスティックパンを3本食っただけである。それで、チキンラーメンでも食おうと思ってお湯を沸かしていたら、カミさんは寿司を食いにいくつもりなのにと言う。寿司屋は混むので早めに家を出なければならない。沸かしたお湯はそのまま電気ポットに入れるのであった。

娘はお義母さんに預かっていただけることになった。車で寿司屋に向かう。我々はそれほど待たなかったが、帰る頃には待ち合い場所をあふれて階段まで人が列を作っていた。繁盛しているようである。それでも、個人的にはこのくら寿司よりも作業場所近くにあって毎週2日くらい行っているあきんどスシローの方が美味いような気がする。

息子はけっこう「通な」食べ方をしている。スタンダードな寿司ばかり食っているのである。母親が食べているようなマヨネーズ味のものとか肉とかには見向きもしない。子供としては味覚が鋭いのではないかい…とか思っていたら、コーンの軍艦巻きを手に取ったのであった。ふにゃふにゃ。



8月16日(月)
今日は通勤中に「Very Best of」(Ray Charles:→【amazon】)を聴いている。レイ・チャールズ追悼である。しかし、崇拝者も多いというのは知っているのだが、やはりワタクシ的にはあまり好みではない。大人になって多少は理解できるようになっているかなとも思ったのだが、やはり心が反応しないのであった。やっぱり、どうしても古さを感じてしまうよなあ。ビートルズなんかはぜんぜんそういうのは感じないのだが。

しかし、久しぶりに新しいアルバムを聴いたなあ。最近の日記を読み直してみると今まで音楽を聴いていなかったのかと思うくらいであるが、実はずっと「RECYCLE Greatest Hits of SPITZ」(スピッツ:→【amazon】)を聴いていたのである。調べてみると2ヶ月以上ずっと聴いていたことになりますか。なんか、曲の区別がつかないのに飽きがこないという不思議な感覚だったので、曲を覚えてしまうか飽きてしまうまで聴いてみようと思ってたら2ヶ月以上経ってしまったのである。これだけの期間、しかもこの間は京都で作業をしてて通勤時間が長かったのに聴き続けられたということは、いいアルバムだったということになりますか。

引き続き通勤中に立っているときは「遷都」(小松左京:ケイブンシャ文庫 1995)の「糸遊(かげろう)」を読んでいる。枕草子のようなエッセイでも当時の文化や暮らしぶりに関する知識がないと理解できにくいのに(そういう意味では「春はあけぼの」あたりは文化に関係ないので理解しやすいんだろうな)、和歌とかになると、作者の人生の流れやその時点での状況がわかっていなければ理解できないものもある。学校で古典文学を教えるときに、そういうものを短い時間で押し込むことに意味があるんだろうか…とか読みながら思ってしまった。修行というのは何でもまず「意味もわからず暗記する」ことから始まるんだろうけどね。まあ、後になって「あれはこれだったのか」とでも思うことが一度でもあれば意味があるのかもしれないけど。

座れたら「The S-F Writers 現代日本SF作家25人作品集」(1995)を読む。今日はまず菅浩江氏「(しず)の小田巻」を読み終えた。この作品のテーマは「老い」。これだけのテーマをこの長さで描くにはさすがに短かすぎるようで、主人公の心の動きに納得しきれない部分もあるのだが、それでも充分に読み応えがある。

続いて高千穂遥氏「虚船(うつぼぶね)」を読んだのだが…巧いなあ。このオープニング。この不思議な感覚。意識だけの存在になって太古の世界を動き回っているらしい、そういう誰も体験したことのない状態にあるのが、理解する快感をもって頭に入ってくる。そして、「夢」と「進化」と「宇宙」が絡み合う。小松先生の作品を読んでいるのかと思うくらいである。エンディングも素晴らしい。そうか、そういうことなのね。うむ、これこそ私の望むSFである。クラッシャージョウダーティペアだけの人じゃなかったのね。

CPUサーバに繋いでいる120GBのUSBハードディスクの調子が悪くなってきた。書き込んでいる時に「遅延書き込みデータの紛失」というエラーが出たりしていたと思ったら、認識されなくなってしまったのである。こういうのは原因を調べるのも疲れるよなあ。それで空き容量が少なくなってきていたこともあり、新しいハードディスクを買うことにする。今なら250GBですか。仕事帰りにヨドバシに寄り、売り場に行ってみると、BUFFALOのUSBが使えるのが29,800円。USBとIEEE1394が使えるのが30,800円で高く積み上げられている。USBはストレージのインターフェースとしてあまり良くないというのがいろいろ経験したうえでの結論なので、べつにUSBは要らないんだがなあ…とか思うんだが、1000円の差ならいいか。そう思って商品カードを持ってレジに歩きだす。まあそれでも他メーカーの価格を確認しておくか、と棚に遠慮がちに並べてある箱を取り上げてみると…アイ・オーでIEEE1394の250GBが29,800円じゃあーりませんか。もうこれ以外の選択肢は考えられない。個人的にBUFFALOの製品とはあまり相性が良くないしな。

さっそく家に帰って接続してみる。何の苦労もなく認識した。素晴らしい。BUFFALOのUSBとはえらい違いである。周辺機器はこうでないとな。しかし起動してみると、もう一台のUSB120GBハードディスクもおかしくなっている(泣)。電源を入れても、小さな音でチリチリいうばかりで、アクセスランプも点かないしディスクの回り出すブイーンという音も聞こえないのである。そのうちに電源が切れてしまう。120GBが2つ壊れたんじゃプラスマイナスゼロじゃないか。何度か電源を入れ直すと、アクセスランプが一瞬点いたりするので、何回も電源をOFF/ONして、やっと動いた。今のうちに中に入っているデータを買ってきたハードディスクに移すのである。



8月17日(火) 
起きてから確認してみるが、昨夜に開始した壊れかけハードディスクからのデータ移動はまだ終わっていなかった。まあ、100GB近くあるからな。おかげで、EXILIMに入っている音楽データの入れ替えができなかった。不本意ながら今日も「Very Best of」(Ray Charles:→【amazon】)を聴くのである。

環状線に乗ると、オリンピックの自転車トラック日本代表の車両ジャック広告が。競輪業界は金はあるだろうし、これを機会にメジャースポーツになりたいんだろうな。

往きに阪急梅田駅でホームに入ってきた特急の中を見ると、ねーちゃんが寝ているのが見える。他の客が降りてしまっても起きない。いつもならアルバイトが全員降車したことを確認しにくるのだが、今日はそれをせずに降車側の扉が閉まってしまった。それでも熟睡している。クロスシートの座席がガッチャンと反転してやっと目が覚めたようである。ふらふらしながら出てくる。そんな丸々した顔をしてるのに、なんでそんなに眠いんですか。その女の座っていたところとその隣の席だけ反対側を向いているのであった。それで4人掛けになったところに男女4人連れが座ってきてペチャクチャ喋る。うるさい。

引き続き、通勤中に座れたときは「The S-F Writers 現代日本SF作家25人作品集」(1995)を読む。今日はまず田中芳樹氏「風梢将軍」を読み終えた。中国妖怪モノである。つまらなくはなかったが、これはワタクシ的にはSFじゃないよなあ。

そして帰りには谷甲州氏「猟犬」を読み終えた。いやー、怖いっすねえ。宇宙には何がいるかわからない、という恐怖を感じさせてくれる。こりゃSFですよ、SF。

最後には東野司氏「父はロボット」を読み終えた。目が覚めると私はロボットになっていた、というヤツですか。面白かったっす。

昼休みにコンビニで「野球盤の殿堂」というのを見つけ、懐かしくなって息子への土産に思わず買ってしまった。野球盤のミニチュアである。この大きさではとてもまともに遊べそうもないが、息子だったら200円ぶんは楽しんでくれるだろう。こういう細かいものを扱うのは指先の訓練にもなるだろうしね。家に帰って渡してみたが、けっこう遊べているようである。自分で実況しながらプレイしている。もう阪神の打順もみんな覚えているのね。まあ、本物の野球盤を知らないから遊べるんだろうけど。

今日は夕方から客先に呼びつけられる。バス待ちの時間に「遷都」(小松左京:ケイブンシャ文庫 1995)の「糸遊(かげろう)」を読む。紫式部や清少納言が出てくるんですか…とか思ってたら安倍晴明や渡辺綱まで登場させますか。この節操のなさは獏ちゃんみたいだな。しかし、作者が「愛着のある作品」と書いているだけあって力が入ってます。それは充分に伝わってくる。

打合せが終わって雨の中、客先から阪急の駅まで歩き、自動改札機に回数カードを入れた…つもりだったのだが、改札機から出てきたカードを見て血の気が引いた。回数カードではなく普通のプリペイドカードだったのである。客先に行くのに京都市営バスを利用したので、そのときに使ったカードを定期入れの常用カードのところに入れてしまっていたのだ。これじゃ割引がないじゃないか。何とかできないか駅員に相談しようとしたが、さっきからずっと別の客の相手をしている。時間がかかりそうなので諦めてホームに降りるのである。390円の1/11で時間をつぶすのは物事の優先順位がわかってない人間のやることだ(オレか)。

そして電車に乗っていると、窓の外の黒い空が間歇的に真っ白くなる。遠くで低い音が響いている。落雷して電車が停まるとイヤだなあ、とか思いながら乗っている。隣に座ってるのが美女だったらべつにいいんだけど。いや、それよりは地下街で人込みの中を歩いているときに停電する方が嫌か。

梅田に着いてから駄目元でサービスセンターに入り、使うカードを間違えたと事情を話す。せめて改札を通ってすぐに申し出れば対応できたかどうかだけでも訊きたい。頼りなさそうな初老の係員に事情を話すと、あっさり「それじゃ取り消しましょか」と言われてしまった。なんだか簡単にできるらしい。まずはプリペイドカードを機械に挿入して何か操作をすると取り消されて出てくる。裏面の降車駅欄は「HK梅田」なのだが、残額欄には「処--」と印字されている。続いて回数カードも機械に突っ込み、1回分を消費して処理は完了である。そういうオペレーションも可能なのね。いや勉強になった。

家に帰って自分の部屋に入ると、何だか妙な音がしている。BUFFALONASも異音を発しているのである。先に買ったアイ・オー製品はまだ問題なく動いているというのに、なぜだ。外付けのハードディスクも、同じように設置しているのにBUFFALOの製品の方がアイ・オーよりも明らかに熱くなっている。やはりBUFFALOの製品は良くないのか。それがわかるまでに、かなり貢いでしまったなあ。



8月18日(水) 
今日もEXILIMに入っている音楽データを入れ替えることができずに、引き続き「Very Best of」(Ray Charles:→【amazon】)を聴いている。一日の暮らしの中で、EXILIMに入っている曲を入れ替える習慣がなくなっているのだ。これはこれで面倒臭いのである。EXILIMがUSBモードに入っているときには充電できないのでクレードルに乗せて充電完了してから転送しようとするのだが、USBモードにするには本体のスイッチを物理的に押す必要があるのでクレードルを設置している2階にある自分の部屋まで上がらなければならない。転送もUSB1.1なので時間がかかるんだよな。100メガ以上だと分単位で時間がかかるので転送が終わるまで待っているのもかったるいのだ。

引き続き通勤中に座れたときには「The S-F Writers 現代日本SF作家25人作品集」(1995)を読んでいる。今日はまず中井紀夫氏「絶壁」を読み終えた。うん、こういう作品は好きだ。あるはずのない、こういうものの見方を描いてくれる作品が。自分も子供の頃、地球儀を見ながら「こうだったらどうだろう」と考えたことがあるような気がする。それも共感を呼ぶ要因のひとつだろう。

そうそう、思った思った。重力があるのは地球(つまり宇宙全体か)が猛烈な速度で膨張してるせいなんじゃないか…って。そのあたりも考えることが似ているので好ましいんだろうな。そして、その「見方の違い」が人生観の問題につながってくる。このへんも巧い。いやー、いい作品でございました。

続いて野田昌宏氏「火星を見た尼僧――クロチルドの湖(うみ)」。いやー、これもいい話だなあ。火星の運河と嫉妬と惑星探査機と超能力と。どういいんだと問われると説明が難しいんだけど、いい話でございました。

しかしこの作品集、イラストの方がオールスターですなあ。水玉螢之丞吾妻ひでお唐沢なをきとり・みき…名前を並べるだけでもすごい。よくこれだけのメンバーを揃えたもんだな。小説の方は、ちょっと頂点が欠けてるような気はするんだが(笑)。

それから火浦功氏「ただのバカ一代」である。うーん、よくわからん。語り口を面白くしようという意図は見えるんだが、それでこのストーリーは何。たんに不条理なだけなのか。

そして眉村卓氏「茅花(つばな)照る」を読む。これは凄い作品だ。こういう言葉はあまり使いたくないが、じっさい凄いのだから仕方がない。我々とまったく形態の異なる「存在」が我々の一人と同化して、「あの災害」や戦争を媒介に「死」や「記憶」について考察する。そのテーマを要約するだけでも凄いのに、冒頭のこの「存在」の描写がまた凄い。このわずか2ページ半の記述で、我々とまったくありかたの異なる「存在」のありようをギュウギュウと理解させられる。何という密度であろうか。しかもそれが見事に納得できる体系を形作っている。こういう作品を読む喜びというのが、私がSFを読み続けている原動力なのである。やっぱりこの世代の人はモノが違うなあ。

今日の最後は岬兄悟氏「球の内側」。なかなか面白かった。「自分が裏返る」というのは、こういうのとはちょっと違うんではないかい…とか思いながら読んでいたのだが、そのうちに納得させられてしまった。こういうヘンな話(誉め言葉です)はこの人の面目躍如だな。

今日は発注元での打合せが早めに終わったので、作業場所に戻らずそのまま家に帰る。大阪で定時に退社したくらいの時間に家に着いてしまった。まだ明るい。家に向かって歩いていると、前の道で息子が独りでボールを投げ上げて捕ろうとしている。やっぱり友達がいないのか。彼は私を認めると、私のスピードに合わせてこちらに歩いてくる。そのまま一緒に家に向かい、彼は窓から中に向かって「父ちゃん帰って来たで!」と声をかけるのであった。

今夜も息子は私の白髪を抜くという。ある程度抜いたところで、カミさんが参入してきた。それを見て息子もまた私の頭に取り付いてくる。右側からカミさんが、左側から息子が白髪を抜いてくる。まるでサルの家族である。まあ、猿の類であるのは間違いないんだけどね。



8月19日(木) 
最近ハードウェアのトラブル続きの私だが、今日はEXILIMの調子までおかしくなってしまった。リモコンのプレイボタンを押しても反応しないのである。本体で操作して何とか電源は入るようになったが、リモコンで何か操作をするとポーズ状態になってしまい、すぐに電源が切れてしまう。うーん、リモコンが壊れたのかなあ。コードは何千回と曲げ伸ばししているはずだからなあ。これもかなり使い倒しているので払った金の元は取れていると思うのだが、これだけ続けて壊れると物入りで困ってしまうのである。

きょうはまた、通勤時にどっと人が増えた。世間の夏休みは終わってしまったか。私は休日出勤の代休も取れてないのだが。

引き続き通勤中に座れたときには「The S-F Writers 現代日本SF作家25人作品集」(1995)を読んでいる。今日はまず光瀬龍氏「遠い入江」を読み終えた。古生代の岩盤から発見された微小な構造物。その周囲にあった生物の化石の形状は…という、SFの王道といっていい設定である。期待して読んでいたのだが、このオチはちょっと期待外れ。この長さじゃ仕方ないのかもしれないが。

続いて村田基氏「最後の教育者」を読み終える。これも素晴らしい。子供を教育したり躾けたりするのは人権侵害だということになってしまった世界。今でもこれに近いことを言ってる人たちはいるよなあ。そういうちょっとした歪みを拡大して見せてくれるのがSFの醍醐味である。

それから山田正紀氏「メタロジカル・バーガー」。マニュアルによる均一化とアイデンティティの問題を扱った作品である。着眼点は面白いのだが、ちょっと抽象的すぎて切迫感がないかな。

今日の最後は夢枕獏氏「真言士」。超能力モノだが、なかなかとぼけた話ですな。相変わらず読ませる力はすごい。

そして、座れないときに読んでいた「マザー・ハッカー―1999年のゲーム・キッズ 2」(渡辺浩弐:幻冬舎文庫:→【amazon】)も読み終えた。テクノロジーの進化とそれによって顕在化する矛盾をテーマにしたショートショート集だが、どれもこれも読ませてくれる。近未来の技術がテーマだけに、毎回毎回これだけのネタを探し出してくるのも大変だろうし、それをきちんと料理してみせる技も大したもんだ。

前作よりもさらに切れ味が増しているように感じる。保存してある受精卵をもとに自分たちの子供を「リセット」しようとする話なんて、おかしいんだけれども笑えない。そういう理屈も成り立つかもしれない、とか思っちゃうからね。たしかに元の状態に戻るだけだといえばそうなんだが、それが可能になると人生を生きる意味が崩壊してしまう。

突き詰めてゆけば、自分とは何か、人生とは人格とは何か、というイーガン的な重いテーマにまで繋がってゆく。ショートショートであるからそれをあからさまに描くことはもちろん無理で、読者をそのテーマのスタートラインに立たせて背中を押したところで終わる。こういうのが「粋」だというんだよな。



8月20日(金) 
今日から通勤中に「スカーレット・スターの耀奈」(梶尾真治:新潮文庫:→【amazon】:→【bk1】)を読んでいる。これも長編ではないが、読むのに時間がかかりそうだから京都で作業をしていて通勤時間がかかるうちに読むのである。まずは「スカーレット・スターの耀奈」を読み終えた。古典的なラブストーリーである。あまりに古典的すぎる。ヒネリも何もない。そう思いながら読んでいたのだが、それでも最後はちょっと泣けた。

続いて「ドリーム・スターの亜眠」も読み終える。これも、SFラブストーリーの一つの形。ではあるのだが、何となく空虚さを感じてしまうんだよな。夢の中でのみ実現する恋なんて…

最後に「ホーンテッド・スターの玲乃」を読みはじめたのだが、これまでの2作とは違って、どうも文体に違和感を感じる。なんだか読点が多いように感じるのである。読んでいるときのノリがブツブツと切られるような感覚。ちょっとイヤンな感じ。

今日は作業場所での飲み会をキャンセルしたので早く帰れるはずだったのだが、先日バージョンアップ作業をしたパッケージのバグをユーザに発見されてしまって帰れなくなってしまう。けっきょく、いつもより遅い22時前まで京都の作業場所にいた。家に帰ると真夜中である。明日は大阪でイベントがありカミさんが参加するので早く帰ろうと思ってたんだがな。

明日は大阪でイベントなので、木根さんが泊まりにいらっしゃっている。しかし木根大人はかなり疲れているようである。お互い歳ですかな。「一緒にするな」と言われそうだが。

明日は娘を保育所に預けに行く予定になっていたのだが、彼女は発熱しているので家で寝かせることになる。個人的には保育所まで往復するよりも家の中でまったりとしている方が精神的にラクなのだが、容態の急変が心配だな。今夜も40度の熱が出ているのである。

新書館ウィングス文庫 狼谷辰之 
 対なる  【Amazon】
【bk1】
ISBN4-403-54021-X ¥620+税 



[ホーム] | [日記の目次へ] | [次の日記へ]