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▲3月11日(日)▼ →
今日は午後から息子はソフトボールだし娘は母親の実家に遊びに行った。カミさんが昼寝に入ると一人である。それでも録画した番組や自動ダウンロードしてきたデータの整理をしているとすぐに娘が帰ってくる。おかげで未整理の番組はなくなったが。
娘は帰宅するとすぐに寝室に上がって母親と一緒に昼寝に入った。起きてきてから一緒に買い物に出る。スーパーの中で娘が「うんこ」と言い出したので、慌ててカートを売り場の隅に置いてトイレに行く。和式だったので抱え上げてさせたのだが、やはりそういう状態ではオシッコしか出なかった。そりゃそうだよねえ。
帰りにシリウスが見えたので「お星さんやで」と言うと娘は「ほんまや!」と言い、オリオン座のあたりを指さして「いっぱい、いっぱい、いっぱい!」と叫ぶ。私はリゲルくらいしか見えなかったんだけどねえ。彼女には2等星以下まで見えるようである。目の性能もかなり違うのね。
娘と一緒に風呂に入っていて彼女には「ろ」が発音できないことが判明してしまった。浴室から出る前に湯舟に浸かって数を数えていたのだが、彼女が一緒に唱え始めたので数字を覚えたのかと思ったら「いち、に、さん、し、ご、どく」とか言っているのである。それも数字として認識しているのではなくて、言葉として覚えているだけのようだし。
「ろ、ろ、ろ、ろ、ろ、ろ…」と言ってみせると「ど、ど、ど、ど、ど、ど…」と応じる。「らりるれろ」と言わせると最初は「らりるれずぉ」という感じだったのだが、繰り返していると「らりるれろ」らしい発音になってきた。でも「ろ」だけ言わせると「ど」になってしまうのである。難しいもんだね。
▲3月12日(月)▼
ずいぶん間が開いてしまったが、「肉食屋敷」(小林泰三)の最後の作品である「獣の記憶」を読み終えた。うーん、かなり考えて書かれた作品のようだが、私にはどうでもいい内容であった。
今夜はカミさんが子供たちと寝室に入ってくれたのだが、すぐに下りてきた。用事があるからと言って出てきたそうである。急いで食事を終え、歯を磨いて抗鬱剤を飲み寝室に上がる。
息子が「ギュッギュして」と言って私の布団に入ってくると、娘も対抗意識を露わにして入ってくる。けっきょく両側を子供たちに挟まれ、ハムスターみたいにギュウギュウ詰めになって寝ることになる。息子はすぐに静かになり、娘も背中をさすっていると間欠的に身体を動かすだけになった。夜半過ぎになって小用に起きたときに娘はカミさんの布団に押し込み、息子を暖房機代わりにしてまた寝る。
▲3月13日(火)▼ →
ついに恐れていた事態が発生した。朝、カミさんが娘を保育所に送って行っている間に日記を更新しようとしていたのだが、廊下で猫がにゃおんーん やぁうーぅん みゃぁぁぁう…と鳴いていると思ったら、ドアがガチャリと開いた。
猫がドアを開けるようになってしまったのだ。我が家では各部屋のドアノブはレバーを押し下げて開けるようになっているのだが、それに飛びついて開けることを覚えてしまったのである。うーん、困ったもんだなあ。居間に入られて人間様の食物を荒らされたり私のパソコンを落下させられたり寝室に入られて寝具を毛だらけにされたり私の部屋に入られて書籍流や電子機器崩壊を起こされたりすると困るんだが。
今日も午前中は眠くて眠くて仕方がない。しかし、紙パックの緑茶をがぶ飲みし始めると頭が冴えてきたような気がする。多量の水分を摂取して抗鬱剤の血中濃度が下がったせいだろうかそれとも緑茶に含まれるカフェインのせいか。家から持ってきたお茶では覚醒効果は少ないような感じがするので、やっぱりカフェインかなあ。
しばらく仕事帰りに本を読む気力がなくてSL-C3200でアニメを観ながら帰ったりしていたのだが、ここ数日はそれにも飽きたのか本を読んでいる。それで今日から「ひとりっ子」(グレッグ・イーガン)を読み始めた(今日は頭が冴えているような気がするせいもある)のだが、やはりイーガンは良い。とてもクールで、読んでいるだけでこちらの頭も研ぎ澄まされてくるような感じさえする。海外のことは知らないが、国内におけるSF読みの意見を総合すれば、イーガンこそは現代SFの最高峰という評価になるであろう。もちろん私もそう思っている。
▲3月14日(水)▼
引き続き通勤中に座れたときは「ひとりっ子」(グレッグ・イーガン)を読んでいる。往きに「行動原理」を読み終えた。他の作品にも小道具として出てくるが、脳内の「配線」を変えてしまうマイクロマシンの話である。イーガンにかかると、「愛」や「信念」や「苦悩」といったものでさえ脳というハードウェア上で走るソフトウェアであり改変可能なものになってしまう。
薬品によって脳内の状態を(たとえそれがどんなに耐え難いほど苦しいものであっても)変えようとしている私には切実な問題であった。まあ、酒を飲むというのは毎日それをやっていると言えないこともないか。
帰りから「真心」を読んでいるのだが、まったくイーガンにかかれば「愛」さえも脳内におけるシナプスの結合パターンに還元されてしまうのだなあ。ご丁寧にもこの作品中では、「愛」の電気的生理的な仕組みだけでなく、生態学社会学的にも必要性や進化まで記述してみせている。「愛」というのは西欧人にとっては特別な概念だからな。解体してみせるにはそれなりの注意が必要なのだろうか。
▲3月15日(木)▼ →
昨夜も子供たちと一緒にハムスターのようにギュウギュウになって寝た。3時過ぎに小用に起きたとき就寝前の抗鬱薬を飲み忘れているのを思い出した。それで階下に下りて服用する。手元にお茶がなかったので鞄の中に入っていたペットボトルのお茶を飲んだのだが、飲んでからそれが職場から持ち帰った緑茶であることに気づいた。これはカフェインが多くて飲めば眠れなくなるのではないかと思ったのだが、何の問題もなく朝まで眠れた。緑茶を飲むと気分が良くなるのはカフェインのせいではないのか。飲めばすぐに効果が現われるような気もするから、単なるプラシボ効果なのかな。
今夜は雨が降っているので屋根のある京橋ルートで帰る。そこで本屋に寄り、「蔵人 3」を買う。出て半月以上経っている。すでに平積みではなくなっている。帰りに読むが、やはりテーマへの愛情というのは歴然と作品に出るもんだねえ。
電車に乗ってみると雨が止んでいるみたいだったので、寺田町まで行ってブックオフに寄る。コミックには掘り出し物はなかったが、息子に読ませている歴史まんがが全巻揃っていた。抜けていた分を買うのである。これでコンプリートだ。
家に着いたときには22時を過ぎていたのだが、子供たちは土産を求めて出てきた。息子に本を渡し、書棚に順番に並べるよう指示する。彼は「12巻、上に持ってって読むな」と言って1冊取り出し、寝室に入るのであった。
BOSTONのボーカルが自殺したですか。ショックだなあ。でも、あれからもう30年以上になるのね。歳を取ったわけだ。
▲3月16日(金)▼
昨夜はカミさんが子供たちを寝かせてくれたのだが、私も早めに食事を終えて抗鬱薬を飲み寝室に入った。寒いので息子を説得して彼と一緒に寝る。朝方になって彼の股間が湿ってきているのでトイレに行くように言うと、彼はそのまま起きて階下に下りてしまった。それで寒くなったので私も小用に行き、カミさんの布団から娘を取り出して一緒に寝る。熟睡している3歳児は柔らかくて暖かくて可愛い。幸せ。
今朝、両親が接吻しているのを見た娘は、私を呼び寄せて身を屈めろと言う。そうすると頬っぺたにぶちゅっとされてしまったので「きゃー」と声を上げると、カミさんが「なんで私のときはそういう反応がないのよ」と文句を言う。いや、夫婦でやるのは当たり前の行為でしょう。そう言っていたカミさんも娘にぶちゅっとされると「きゃー」と声を上げているのである。一緒じゃんか。
通勤中には引き続き「ひとりっ子」(グレッグ・イーガン)の「真心」を読んでいる。「愛」をテクノロジーで「ロック」するという話である。しかし読んでいると不安になってくる。主人公がどーでもいいことをグチャグチャ考えるのは私にそっくりだが、そのことによってロックすべき「愛」の回路が変質してしまったりしないんだろうか。いや、この「後ろめたさ」がロックされてしまったら大笑いなんだけどな。そういうネタなんだろうか。
▲3月17日(土)▼ →
昨夜は遅くまで起きていたので昼過ぎまで起きられない。カミさんから息子の口臭がひどいので耳鼻科に連れて行くように言われている。待たされるのは嫌なので前回私が行ったところに連れて行くつもりだったのだが、私が起きたときにはすでに診療時間が終わりかけていたのでかかりつけの医者に行く。待たされるから読む本を持っていくように言うと、彼はGBAを持って出たのであった。
行ってみるとやはり待合室はほぼ満員である。私は「ひとりっ子」(グレッグ・イーガン)を持っていき、「真心」を読み終えた。ネタ的には目新しくないし、オチもイマイチよくわからなかったな。テーマは「愛」を解体することだったんだろうけど、それにしてはインパクトに欠けるような。イーガンにはどうしてもそういうものを期待してしまうのである。
娘は母親がDVDを借りに行ったときについていって、アンパンマンのDVDを借りてきたらしい。ずっとそれを観たいと言っている。再生すると、かなり集中して観ているようである。エンディングのところでは踊ってるし。この強烈なのめり込み方は、母親に似たんだろうなあ。
息子は息子で空耳アワーにハマっている。カミさんが録画していた去年と今年の空耳アワードとかをずっと観ていて、ふだんはずっと空耳の歌詞を口ずさんでいる。娘までその影響を受けて「クンニー、クンニしてー」とか歌っているのである。こら、女の子がそんな歌を歌っちゃイカン。困ったもんである。
▲3月18日(日)▼
起きて階下に下りてゆくと、息子にショッキングなお知らせがあると言われる。東芝のHDD&DVDレコーダーに録画していた内容がまたまた消えたそうである。そろそろ来るころじゃないかと思っていたのだが、やっぱり来ましたか。まったく東芝製品の品質の悪さはどうしようもないなあ。
幸いにも、いちばん録画数が多いWBSがつい先週に4時間分貯まったのでDVDに焼いたところだった。他の番組は暇なときに1つずつダウンロードしてくるしかないか。先週の「ジャンクSPORTS」が未編集だったのでまだファイルサーバにダビングしてなかったのが残念なくらいか。ハードディスクを初期化し、フォルダを作り直す。慣れたものである。こういう手順に慣れてしまうというのも哀しいものであるなあ。
今日はまたカミさんの発注していたラックがやってくる。設置し終えて彼女が中身を入れ替えている間に洗濯物を干し、散髪に行くことにする。理髪店に向かっていると、薬屋が閉店セールをしていた。ここは安かったんだが、あまり客が入ってなかったからなあ。向かい合っていたスーパーが閉店してしまったのが大きかったか。
掘り出し物はないかと入ってみると、ガラガラになった店内に家族全員で店番をしている。もの悲しい光景である。今の世の中、人間も情報もモノも広く速く動くようになっているから、広い範囲でも1社か2社が一人勝ちするような構造になってきているんだな。以前だったら小さな地域の自営業が多数でシェアできたんだが、それができない時代になってきている。この流れは我々には止められない。ますます集中度が増してゆく富を再配分する方法を考えるのは政治の仕事なんだろう。
抗鬱剤の副作用か、今日も眠い。カミさんが昼寝に入ってから子供たちにパソコンで動画を見せてやっていたら、座椅子に座ったまま眠ってしまっていたですよ。こういう状況で眠れることに、自分でも信じられない。
▲3月19日(月)▼
昨夜は子供たちと23時前に寝たというのに、今日も朝から眠い。抗鬱剤の副作用なんだが、睡眠がまったく脳の休養に効いてないような気がするな。家から職場に持ってきたお茶500mlに加えて、1リットル紙パックの緑茶を2本も買ってしまう。それをがぶ飲みして体内を流れている間だけ頭が働いている実感がある。その間はトイレが近くなるし、困ったもんである。これも生きてゆくための必要経費だということなんだろうなあ。
帰りにコンビニに寄ると、見たことのない角川のマンガ雑誌が出ていた。「目を引くようなものはないなあ」とか思いながらパラパラとめくっていると…こ、これは清原なつの先生の絵ではありませんか。しかもこの内容は…テレパス? そしてこの名前は…慌てて表紙を見ると、やはり家族八景だった。こりゃ凄い。私のような人間には夢の組み合わせですなあ。コミックスになったら買うぞ(おい)。
▲3月20日(火)▼ →
今朝は通勤中に立ったまま「ひとりっ子」(グレッグ・イーガン)の「ルミナス」を読んでいた。鬱になって以来、通勤中になかなか音楽を聴く気にもなりにくい私に立ったままこんな難解な小説を読ませる(しかも既読なのに)というのは大したものである。数学の論理的整合性が破綻しているというのは怖いなあ。こっちから計算してゆくのとあっちから計算してくるので結果が違うというのは、踏みしめている大地が崩れ去ってしまうような恐怖を感じさせる。なんせ私は、自分の正気を確認するのに暗算結果が現実と整合性が取れていることによるような人だから。
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